Skyさんの長文コメントへレスがついたもの
Sky
一貫性のある物語、テーマ性の深い作品は高評価する傾向にある。目安としては80点台が良作だと感じたものです。70作品を超えた辺りから今まで以上に内容を求めるようになった気がします。それゆえに最近は深みのある作品を好みがち。感想はできるだけ長文になりすぎないことを心掛けたい。 ※2011/12/05 投稿を停止します。今までありがとうございました。感謝いたします。
- HP/BLOG :
- CIEL CLAIR
一貫性のある物語、テーマ性の深い作品は高評価する傾向にある。目安としては80点台が良作だと感じたものです。70作品を超えた辺りから今まで以上に内容を求めるようになった気がします。それゆえに最近は深みのある作品を好みがち。感想はできるだけ長文になりすぎないことを心掛けたい。 ※2011/12/05 投稿を停止します。今までありがとうございました。感謝いたします。
レス
さらっと平然とエロスの壁を突破する。規制なんて怖くない。これほど作り手の本気を感じさせる作り方など他に無いのかもしれない。なるほど変態紳士である。 → 長文感想(1586)(1)
通常ならあまり興味は向けなかったジャンルなんですが
最初に書いたように自分の好きなライターさんが絶賛していましたので購入に至りました。
エロゲは直接的なエロシーンを入れられるのが強みでもあり、またそれが恋愛のゴールとしても描けますね。
しかしギャルゲ(非18禁)はその表現ができないぶん、萌えやらエロというものを売りにした作風は
向かないはずなんですが、アマガミはそこを逆手に取っているのかなと感じました。
規制に引っかからない程度に捻った変態プレイをする、とでも言いましょうか
そこが面白くまた規制という壁があることは見る人も理解しているだけに、
そのなにか「やらかしてやろう」という意気込みをすごく感じるんですよねw
システムも物語も特別秀でるところはなく、むしろ古いとさえ言われている表現ばかりですが
それゆえに変態的な会話や、やりとりが際立っており面白いところですね。
最近は規制が強まり表現の幅が狭まると嘆く声も多いですが、
そういったものにも必ず抜け道みたいなのがあり、人の想像力には規制はかけられないのだなと
どこか感慨深く思ったりもしました。
スポーツなどでもそうでしょうけど、ルールなしのなんでもありより、
課せられたルールの中で何かをやり遂げることが一番人を楽しめませるのかなと。
「TOLOVEる」もそういった意味ではとても面白い作品だと思いますね。
少年誌の限界に挑戦しているところがなかなかに良いと思いますw
ccharaさんのレビューは様々な角度から物語を見ておられるので
気付かされるところが多くいつも感心しながら拝読させて頂いております。
本レビューは勢いだけで書いたものですので拙いところも多かったと思いますが、
レスを頂き誠にありがとうございます。
また何か機会があればよろしくお願いします。
投票してくれた方もこの場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
瑞麗の唄。 → 長文感想(1902)(ネタバレ注意)(2)
常識的な価値観からルイリーを見たとき、ただ狂っていると思いますし、
主人公たちはただ哀れに思えてしまう。
けれど私はそこにある種の美しさを感じましたし、
絶望なくして虚淵作品は成り立たないとも思います。
数多の慟哭の果てに、他の全てを捨てでも愛を勝ち取る。それは狂気でもあり純愛でもある。
ならば賞賛されるべきことでもあり、叱責されるべきことでもある。
…とりとめもない話になってしまいましたが、
虚淵氏の作品は色々な見方ができるから面白いのではないかなと思います。
個人的意見を述べているばかりで、参考になるような感想はとても書けないとは思いますが、
また何か機会があればよろしくお願いします。
まだまだ至らないところが多く、
拙い感想だったとは思いますが読んで頂きありがとうございました。
瑞麗の唄。 → 長文感想(1902)(ネタバレ注意)(2)
私もほぼ同意見です。
ルイリーはなぜバッシング受けないのか常々疑問に思いますね。
主人公たちが不憫すぎる......orz
私も長文感想書いたのですが、不手際でデータ消えてしまいまして、新しく書くのもなんだなぁ、と思っていたんですが、貴方の感想がほぼ私の感想と同じなので、思わずレスしてしまいました(汗
これからもどんどんレビューして参考にさせてください^^
Key作品は事実のみを描き、真実を明確に語らない。補完を行うことで作品は完成される。具体的で論理的な作風を好む人にはこれほどつまらない作品はない。自ら収束し補完しなければならない物語を「面白い」と言うのであれば、これほど面白い作品はない。物語の抽象性を楽しめるかが鍵。 → 長文感想(1919)(ネタバレ注意)(1)
自分とは違った解釈をしている方のご意見を頂けて大変嬉しく思います。
>真実というのはその作品が象徴するもの、製作側が作品を通して伝えたかったものと解釈して宜しいでしょうか?
はい、その通りです。起きた出来事の意図と言いますか、伝えているものが不透明なゆえにそこを自分なりの納得できる理由を見つけて補完すればいいという意味です。
そこで私が捉えた理由というのもccharaさんが引用してくださっている部分で間違いありません。
>主人公も自覚してこそ真にこの物語の奇跡が価値を持つ気がしないでもないです
ふと思ったのですが「奇跡」対する捉えた方というより、
“いつこの作品に触れたか”というのがこの作品の評価を決定させるのではないかと私は感じます。
私がこの作品を初めてプレイしたのはかなり前になります。確か2003年ぐらいだったと思います。
それなのになぜ今頃感想を書いたのかと言いますと、最近アニメKanonのBDが発売されたりして再びこの作品の世界観に浸るきっかけがあったからです。
そうして当時のことを思い出しながら原作もプレイしてみようと思い、そこで抱いた感想が当レビューになります。
ccharaさんはもしかしたら最近この「Kanon」をプレイされたのではないかとお見受けします。(間違っていましたらすみません。)
私も今の時代にこの作品を初めて触れたのならば、
もっと言えば数多くの作品を見た上で初期のKey作品に触れたならば、おそらく否定的に捉えたと思います。
何故かと言いますと当時「萌え」というものは今のように定着されていませんでした。
だから初期のKeyは“特徴を露骨に表現する”ことでキャラの「可愛さ・健気さ」をアピールしていたのだと思います。
それゆえに私はあまり違和感を覚えることなく、この世界に浸れました。
最近プレイして確かに作為的なものは感じたのですが、それでも昔と同じように楽しめたのは既に私の中でこの作品が「思い出」なっているからなんだと思います。
>【それを人形的・あざといと感じて醒めたのが私であって、別のものを感じられたのがSKYさんなのだと捉えています】
ccharaさんも仰る通り、この点が私との一番の違いと言いますか、評価の分かれ目なんだと思います。
そしてその背景にあるものは“いつこの作品に触れたか”というのが大きいと思います。
私自身このゲーム業界に興味をもったきっかけが「Kanon」や「AIR」だったりします。
露骨なキャラも役割を背負わすようなシナリも違和感を覚えなかった。そういうものなんだと受け入れました。
だからなんでも肯定的に捉えようとしているのだと思います。その証拠と言ってはなんですが「AIR」には100点をつけていますし。
ゆえにムーブメントを起こしたこと、泣きゲーや、ともすれば萌え要素まで定着させた
初期のKeyは凄いという評価に行き着きます。
「CLANNAD」は未プレイですがアニメ方を拝見しました。
この作品も口癖を言うキャラ(ことみ)、現実的ではない存在者(風子)など、どこかKanonを思い出させるものがあります。
これらを見て昔とは違い、ある種の気持ち悪さのようなものを感じました。
それでも物語は今までとは違い、幻想的なものばかりではなく、非常に普遍的なものが多い。
学校生活、就職、仕事、恋愛、結婚、出産、死別など誰ものが経験しうることを切実に描いているから共感し、感動しました。
解釈の違いというのも、もちろんあると思うのですが、
いつ作品に触れたのかで評価が変わってくるように感じます。
本作は「恋愛」でもなく「家族」でもなく、そこにある“原点”を描いた。人と人とが寄り添い、同じ時間を共有し、気持ちを分かち合う。そこに生まれる力、それが自分にどのような意味を与えてくれるか。そういった人としての「本質的」な姿を描いていると思う。それも徹底的に描くことで今までにない価値を見出している。仲間同士で駆け抜けていく青春という一瞬の力強さも相まって、爽快性と友情に溢れた清々しい作品となっている。 → 長文感想(3568)(ネタバレ注意)(2)
私は無印のほうを購入したので、プレイしたのはもう2年前になりますが、broadsnowさんの感想を読んだら自然と『リトルバスターズ』に夢中になっていた頃を思い出し、何より共感しましたので、投票させていただきました。
恋愛ゲームというのは最終的に「2人だけの世界」をゴールにしている。
けれど本作は「共有すること」を目的にしているから、それぞれが共通の目的を持っていて、その中で自らの存在意義を見出そうとする構成が、従来の美少女ゲームとは違った価値を見出しているのでしょうね。
私もこの作品を「理樹の成長物語」だと位置付けているので、あのラストは蛇足なのではなく、恭介を超える重要な場面なので、非常に意味のあるラストだと思います。
主人公が恋しているのは誰か個人ではなく、リトルバスターズという団体。それゆえにずっと縋りついていたリーダーの思惑を超える行動は成長の証であり、弱かった少年が自立した瞬間。その瞬間こそがこの作品のゴールなんでしょうね。
私は男性陣を中心に感想を書いていますが、broadsnowさんは各ヒロインのことも交えながら考察されている。そのことに感銘を受けました。
わざわざコメントまでいただきありがとうございました。
また何か機会があれば、宜しくお願いします。
本作は「恋愛」でもなく「家族」でもなく、そこにある“原点”を描いた。人と人とが寄り添い、同じ時間を共有し、気持ちを分かち合う。そこに生まれる力、それが自分にどのような意味を与えてくれるか。そういった人としての「本質的」な姿を描いていると思う。それも徹底的に描くことで今までにない価値を見出している。仲間同士で駆け抜けていく青春という一瞬の力強さも相まって、爽快性と友情に溢れた清々しい作品となっている。 → 長文感想(3568)(ネタバレ注意)(2)
宮沢謙吾
>非常に意地っ張りで、もしかしたらあの中で一番子供のままなのかもしれない
私もそう思います。理樹と鈴が年齢より幼いと言うなら、彼は幼い頃から成長していないのに無理して背伸びをしている印象を受けました。
「十で神童 十五で天才 二十歳過ぎればただの人」という格言がありますが、彼は幸か不幸か本当の神童だったのでしょう。ほとんどの人が挫折を経験し、己の道を再考したり、別の行き方を歩んだりするのに彼は「俺は負けてはいけない」「俺は人を守れるほど強くなくてはならない」という意地を通せるほどに強かった。そのため、それに執着してしまい成長の機会を逸してしまったように思います。
棗恭介&直枝理樹
>そしておそらく手を差し伸べる理樹よりも、手を繋げばその全てが終わる事を思った恭介のほうが勇気がいるのではないかなと。だが彼は決然と何も口には出さず親友を信頼し手を繋いだ。ふたりを繋ぐまさに『絆』のようなものが見えた瞬間であった。
「手を繋ぐ」
それは理樹がリトルバスターズ再結成を完遂した証。恭介なら立ち直れると恭介を信頼したからこそできた行為。
「手を繋ぐ」
それは恭介が長い間夢見ていた夢の終焉を告げる合図。理樹なら強く生きれると理樹を信頼したからこそできた行為。
理樹はリトルバスターズが全員揃う明るい未来を夢見たのに対し、恭介は理樹と鈴が助け合う未来を夢見た違いはあれど、ふたりは互いに信頼し合い、想い合い、守り合った。ふたりは手だけでなく絆で繋がっていた。
あえて最後に
井ノ原真人
>その言葉がどれだけ救いとなったか想像するまでもなく、おそらく一番嬉しかった瞬間だったんじゃないかなと感じる。大好きな理樹を命懸けで身を挺して守ろうとした姿が目に浮かぶ。最後まで涙を見せなかったのも素敵。愛すべき馬鹿。
真人は私が本作品で最も好きなキャラです。理樹と鈴を成長させるための暗躍が多く描かれ最後には号泣した恭介、ボケとツッコミの両刀を使いこなし別れのシーンで名言を残した謙吾。多くのプレイヤーの目はこのふたりに向いてしまうかもしれません。しかし、彼らの中で一番強かったのは間違いなく真人です。それは唯一泣かなかったというのは勿論、冷静に物事を捉えていた聡明さも理由に挙げられます。
理樹、鈴、謙吾、恭介彼らは別れの際に涙を流した中、真人だけは終始笑顔で世界を去りました。それは、最初から最後まで真人が真人らしくあり、自身の行動に一切の悔いがなく、大切な親友と楽しく過ごせたからなのでしょうね。
彼は確かに勉学という点では優秀とは言えません。しかし、クドの悩みを理解していたなど決して思考放棄した馬鹿ではありません。理樹と鈴を成長させるという途方もない試み、自分の頭では解決策を見出すことはできないと中立的立場を貫いて、二人を楽しませることを自身の責務としてあの世界で「日常」を守っていました。そしてRefrainでは自身に起こることを冷静に予測した上で、理樹に警告を出し自身に与えられた役割を全うします。その責務が彼にとっても苦しいものとなろうとも、彼は理樹を信じて与えられた道を進みました。恭介が認めているように、彼が居なくてはあの世界を守ることはできなかったでしょう。
“変わらないこと”は永遠ではなく、変わらないものがないから続いていくものがある。智代と朋也との絆は確かに愛だと思う。愛を見出したのは互いの心、宝物を見つけたのは家族の絆、永遠を紡ぐのはみんなの想い。智代のメッセージを受けとった人が別の誰かにまた伝えていく。そうやって道を託していくこと、“続いていくこと”が「永遠の愛」なのだと思う。森のくまさんは永遠への架け橋なのだと感じる。 → 長文感想(1413)(ネタバレ注意)(2)
plutinonさんの感想を拝見させていただきましたが、
私も自分とは違った意見を持っている感想を拝見できたことが嬉しく思います。
何より勉強になりました。
感謝いたします。
貴重なレスありがとうございました。
投票していただいた方もありがとうございました。
では、失礼します。
「人との繋がりの難しさ」からみえてくるのは「人とのコミュニケーションの否定」ではないか。 → 長文感想(942)(ネタバレ注意)(2)
拙い感想を読んで頂いた上に、投票及びレスまでしてくれたことに感謝いたします。
難解といいますか色々な解釈ができると思っていますし、
時間が経つにつれて自分のなかでもだいぶ印象が変わってきてもいます。
いつか再プレイをし感想の書き直しをさせていただくかもしれません。
その時にまたご意見、ご感想等下されば幸いです。
それでは乱文失礼しました。
“変わらないこと”は永遠ではなく、変わらないものがないから続いていくものがある。智代と朋也との絆は確かに愛だと思う。愛を見出したのは互いの心、宝物を見つけたのは家族の絆、永遠を紡ぐのはみんなの想い。智代のメッセージを受けとった人が別の誰かにまた伝えていく。そうやって道を託していくこと、“続いていくこと”が「永遠の愛」なのだと思う。森のくまさんは永遠への架け橋なのだと感じる。 → 長文感想(1413)(ネタバレ注意)(2)
またまた失礼します。
なるほど、と思いました。
私はこの作品を低評している人間ですが、この解釈はなんと言うか、いいですね(笑)。
深読みしすぎな気もしないでもないですが、そこは抽象的な描き方をした側(製作者)の問題であって、個人的にはアリだと思いましたよ。 なにより、こう解釈することで、一見前半と後半で分断されているように見える物語も、一本の物語として捉えることができますしね。
私も機会があれば再プレイして本作を見直したいところです。
私自身の意見とは相容れませんが、こういうレビューを拝見できたことは素直に嬉しく思います。 投票はそうした想いからのものとお考えいただければ。
とりあえずこの辺で失礼させてもらいます。 どうもありがとうございました。
「人との繋がりの難しさ」からみえてくるのは「人とのコミュニケーションの否定」ではないか。 → 長文感想(942)(ネタバレ注意)(2)
初めまして、Skyさん。
私も概ね同意ですが、もしかしたら太一は“失敗例”だったのかもしれない、と思わなくもないです。
……尤も、そうだとしたら、ラストの読み手の同情を引くような描き方はいただけないのですけどね。
この辺りの書き手の真意はやっぱり分かりませんね。
取り留めのない話で、失礼しました。