投稿再開しました。のんびりいきます。よろしくお願いします。
ゲーム ブランド クリエイター 音楽 音楽関連商品 ユーザー POV/タグ SQL 職種詳細 クリエイター(すべて) キャラクター 名前 フリガナ
レス
誰も狂ってなどいない。 → 長文感想(6696)(ネタバレ注意)(7)
気に入ってもらえてうれしいです。
誰も狂ってなどいない。 → 長文感想(6696)(ネタバレ注意)(7)
よくもここまで読み取られたものです。 敬服いたします。
多様な解釈がなされている本作において、近い視点に立って議論されている方は恐らく数いるでしょう。
しかし、jericさんのものほど説得力に富んだ文章を拝見した覚えはありませんでした。
大変参考になりました。 ありがとうございました。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
自分は、FateもKey作品もその他諸々のエロゲー群も、構成を支えている複雑・難解な思想的背景があろうがなかろうが、「ゲーム」というフォーマットで出した以上は、エンターテイメントの領域を脱することができない存在だと思うんですよね。
所謂サブカルの領域から社会問題について語っていくという評論のパターンは確かにありますけど、エロゲーをプレイした後の感想・考察まで社会問題やら思想やらと結びつけて語る必要はないでしょう。何だか、エヴァに関する評論がわんさかと行われていた頃に感じた違和感を思い出します。
jericさんの言いたいことは分かりますが、わざわざこのエロ助で語るべきことなのでしょうか?自分はここを、プレイヤーがゲームをクリアした後に感じた素直な感情を直接明記するためのサイトであると思ってます。jericさんがどうしてもオウム問題やらナショナリズムと結び付けてFateについて考察したいのであれば、あくまで自己完結的なもので終わらせてほしいです。
変なレスをしてしまって申し訳ありませんでした。失礼します。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
早く次のレビューが読みたいです。
僕もjericさんみたいな素敵なレビューを書けるようにがんばります。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
>「Fate」は衛宮士郎が己の理想を貫き通し、世界を救う英雄になる話だ。
>世界を変える。運命を変える。そこにマッチョイズムが見え隠れする。
>主人公は恐ろしく自省的、内向的人物だが、物語自体に自省的構造(メタ構造)がない。
Fate全体の結である3章のあとでは唯の杞憂に過ぎないと思います。
2章にのめり込んでしまうと3章を受け付けられなくなるのが、Fateの一番の問題です。
3章が一番重要なのに一度読んだだけでは判り辛くて、それを毛嫌いするとFate全体の理解に影響を及ぼしてしまうでしょう。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
『物語は一本道にしないと言いたいことがばらけてしまうので私はマルチエンドはやらない』
という言葉を残していて、私はこの言葉がかなり印象に残ってるのですが、
この物語はまさにそれなんじゃないかな、と思います。
「感動させよう」「感動させよう」とただ思って書いた文章では人はまず感動しません。
その気持ちだけでけでなく、また文章を書く手法だけでなく、
一番大事なのはその作品にどんなテーマを載せるか、ということ。
最終的には「伝えたい事」「書きたい事」をうまく作品にのせないと、
いい作品にはなっても名作にはならないと私は思ってますし、
実際に昨今のゲーム評価を見ていてもその様な結果が出ている様に見えます。
最後のルートは私的に許容しがたいものなので語りませんが、
第一ルートでは信念を貫いた末に英雄は死んでしまいます。
第二ルートの一見ハッピーエンドの先には、
「正義気取りの自分を後悔して殺しに行く」という危険性をはらんでいます。
いわばどちらも「正義」という信念を貫いてみたけど結果はどうなる?
という問いがあるんじゃないかな?あくまで個人的な推測ですが。
まぁあれです。この作品にも今までの作品の様な物があるんじゃないか、といいたくて
色々と自分のとこにも書いてないような考察をごちゃごちゃと書いちゃいましたが、
最終的にいいたいのは、
「言いたいことは解るけど、見て欲しいからといって
この作品で感動した人を乏しめる書き方はよろしくないんじゃないかな?」
ということです。相手にされなくなるので自重~の一文が気にかかりましたので一応。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
彼らの作品群を見た私の感想は、「えらく歪つなシロモノだけに、ニューウェーブには違いない。しかし、自分は好きになれない」という物でした。jericさんの感想、言いたい点とかなり被るのでは無いかと。私個人の感想は、私が文章と筋運びの技巧に拘る嗜好の結果ですが、きのこ文は、「感動とリアルタイム感を煽る」点に特化し、突き詰めたという判断をしました。この点が私が歪つと感じる理由だし、独自の地位を築いた所以だと思います。それが好きか嫌いかは個人の趣味ですが、jericさん同様、バランスを捨てて扇情に特化した作品が、こうも世間に支持されるのはちょっとおかしいのではないかと思いました。現在のエロゲファンの多くは「感動」や「泣き」を求めていると思いますが、簡潔な文章で地道に組み上げるリアリティや筋運びの巧みさ、をバッサリ切り捨て、DJ的、実況中継的な扇情に特化した作品で得る感動・泣きはあまりに記号的じゃないのかと。オウムを引き合いに出したのはちょっと極端でしたが、jericさんの言わんとしたところは、私が常々TYPE-MOONについて思っていた事と近いと感じました。きのこ文は技法としては、ある意味一つの究極なので興味深くはありますが、あからさまで極端な手法なので、これほど広い層に受け入れられたのは驚きです。支持層の純粋過ぎる感動への渇望と、純粋培養された泣き・感動の提供は不気味に感じました。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
そもそも、感動の結果「不毛な諍いの種」になっていると言うのは問題なのかなと。
その他さまざまな葉鍵でも、「これがわからない奴は人間じゃない!」のような言説は良くあったので、
「不毛な諍いの種」とはそういうものとは異なるものだと勝手に解釈しますが、
もし、プレイヤーが画一的なメッセージを受けていればプレイヤー同士争わないはずです。
つまり、ここのプレイヤーが異なった印象を受け、異なった考えを得たという証明と言えるでしょう。
それは、洗脳と同一視できるものとは違うでしょう。
そういう意味で言うと、
あなたの立場なら、むしろ、これまでの異論がなかった感動の方が問題のように思います。
異論がないと言うことは、画一化された感情の効果的な伝達でしかなく、
それはあたかも、"動物的"な消費でしかないのですから。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
オウムというのをどう解釈するかは難しい問題ですが、
いわゆる大きな物語の終焉(共産主義の凋落など)のなかで、
新しい物語をつむごうとした集団だとおもいます。
彼らは閉塞した社会を新たな価値で変容し解決しようとした以上、
心理的には1960年代の学生運動とまったく違いません。
共産主義がニューサイエンスに変わっただけなのです。
どちらも、彼らは閉塞したこの世界を変えようとしている時点で、
彼らは閉塞していないということもできるでしょう。
その後の流れについては割愛するとして、
fateやいわゆるセカイ系といわれる物語はどうなんでしょうか。
彼らは(偽造された)世界を前提としていて受け入れています。
だから、この世界を変革しようという意思もありませんし興味もありません。
世界とはこういうものだから、その中でうまくやっていくという流れでしかありません。
これは、オウムや世界同時革命のような夢想に従って
世界を変革しようとする意思とはまったく方向性が違います。
このような差異は、彼らのディスカッションのスタイルなどにも現れます。
徒党を組んで統制された組織を作り、その上で議論をするという方法論を行いません。
個々人が勝手なことを言っているに過ぎません。
世界観は共通しているかもしれませんが、
それをつなぎ合わせる一本芯の通った思想がないからです。
むしろ、さまざまな世界観が並列し存在しえる様相を描いています。
実際fateは桜ルートと凛、セイバールートは互いに認め合わない関係にあるでしょう。
これは、オウムや一部の政治団体!のような、
理想のためには全体主義的で没個性となる団体と真逆のあり方です。
このようなあり方はそれはそれで問題視される点はあるでしょう。
しかしながら、少なくとも、「立ち上がれ、諸君!」といわれたとき、
この世界の変革という理想を胸に立ち上がるかどうか、
そして、全体主義的な徒党を組み、他人に判断を強要するかどうか、
この二点に関しては否といえると思います。
(むしろ、アメリカの例を見ると、
あなたの危惧している状況は既におきていて、
祖国のためと兵士が借り出されていますが、
それはむしろ強いアメリカや宗教といった大きな物語の世界であり、
fateのような流れとはまた独立しているというべきでしょう)
補足
感動をどんどん求めるようになったのは、
プレイヤーの感動要求水準が高くなったからでしょう。
生半可な感動では彼らは感動できなくなっています。
「感動的な音楽、目くるめく映像、流麗なレトリックとともに語りかけたとき」
一番耐性があるのはそういうゲームをやった人間でしょう。
11/05 22:40 訂正
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
fusenekoさん
>「波状言論?」
波状言論です(笑)。あと最近見た上祐史浩氏へのインタビューも入ってます。
(http://www.videonews.com/
の第289回)
なるほど、剣製のメタファーですか。
こういう話をききたかった。ありがとうございます。
1610さん
「宗教=悪」と私が主張しているととられるようなところがあったとしたら残念です。
僕の知り合いにも、熱心な新宗教の信者で、反社会的な傾向どころか非常にいいやつがいますから。
そうではなくて、
美少女ゲームの一部は、ある種、人を感動させるための技法を極める方向に進んでいるように見える。
(少年漫画などとは比べ物にならないくらい強力に。私は漫画を読んで涙を流した記憶ってないんですよ。美少女ゲームでなら、たくさんありますが。程度問題です。)
にもかかわらず「感動させる」ことがネガティブな面を持つことに無頓着になっているように思える。
それが「Fate」では端的にあらわれているようで気持ち悪い。
がいいたいことなんですが。
読者の注意をひくために、宗教(オウム真理教)を引き合いに題したのがまずかったんでしょうね。
デリケートな問題なだけに泥縄式に詳しく説明していったら、本来主題にしたかったこと:Fateの解釈からどんどんはずれていって自縄自縛。
>「次に、オウムとFate信者には決定的な違いがあるでしょう。
信仰の度合い。」
私もそう思います。
→ここから何も「Fate」の熱狂的な信者が聖杯戦争を実際の日本で実現するために無差別テロをおこすだろうなどとは、断じて言うつもりはない。
→繰り返すが、自分は別に「Fate」が有害な作品、反社会的なものだといいたいのではない。
と何度か予防線を張ったつもりだったんですが。
>「Fateを熱狂的に支持する人達は宗教にはまっているのと同じ状況であり、いざとなった特に盲目的な判断しか下せないのではないか」
とも本気でいっているわけではないです。
どうも今回は筆が滑った、いうか挑発的に書きすぎたようですね。
kuroisuさんの書かれるとおり、この場の趣旨からずれた内容も多々あるでしょう。
ただ、fusenekoさんのような解釈を聞くことができ、たくさんの方に読んでもらうこともできたみたいなんで(現在の参照回数:2948)悪いことばかりではなかったなと。
(もっと感情的に攻撃されたり、きれいさっぱり無視されることもあるかなとおもってたんで。)
あまり、こうしたやり方を連発して、みな様から相手にされなくなると困るので以後は自重したいと思いますが。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
まず、宗教=悪 と、考えすぎです。自分は特に何の信者でもないので、詳しくは知りませんが、宗教は絶対的に悪い習慣だとしてしまうのは、あまりよくないと思いますし、その考えそのものが差別を生み、信仰じみた思想に変わってしまう可能性もあるでしょう。
次に、オウムとFate信者には決定的な違いがあるでしょう。
信仰の度合い。
ある意味これが全てともいえますね。
オウム信者は、その体・生活・思考など、持てる全てでもってこれを崇拝します。
Fate信者は・・・一時の情熱でしょうか??
「もしかしたら、Fateにそれら全てを捧げている人がいるかもしれないじゃないか」
と言われるかもしれませんが、それは確率の話。オウムを信じた人もいたのと同じで、その確率はFateとは何ら関係のない、個人の問題ですよね。
たしかに、言動だけ聞けば狂ったようにFateを誉めているような人がいたとしても、その中にFateのためなら人を殺せると言う者がどれほどいるでしょうか。もちろん、口だけでは如何様にも言えますが、それとこれとが別であることくらいは言うまでもないでしょう。
飽くまでも娯楽であることくらい、ファンだってわきまえているでしょうし、それを危ない信仰と言ってしまうと、正直この世に存在する全ての趣味・娯楽にそれが当てはまってしまいます。
なので、jericさんの述べた「Fateを熱狂的に支持する人達は宗教にはまっているのと同じ状況であり、いざとなった特に盲目的な判断しか下せないのではないか」という意見は、極論であると言えるでしょう。
あと、「Fateが熱狂的に燃え上がるように造られている」と仰り、それが危ないと言われているようですが、それってどんな漫画やアニメやゲームでも、戦闘ものなら必ず目指している境地であり、単にFateはそれに成功しただけだと思うのですが・・・。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
科学と宗教の違いは、否定可能性を許容するか、しないかだそうです。
宗教は信仰が揺らいでしまえば終わるので、否定可能性は許容されません。
だから宗教極右は神の存在を否定するダーウィンの進化論を目の敵にするわけですね。
逆に科学は信仰に凝り固まってしまった時点で終わります。
天動説は間違っているのではないか? とか、
そういう否定可能性を許容することによって、科学は進歩してきたのです。
真理を目指しながら、決して真理に届かぬ己を自覚せねばならない道。
己の正しさを常に疑い続けねばならない生き方。
それって剣製(投影魔術)に似てると思いませんか?
宝具を指して、「奇跡の具現」と呼んでいるのはハッタリではなく物語上の必然なのです。
衛宮士郎の戦いは、偽物をいかに本物(理想・奇跡)の位に近づけるかという戦いであって、
それは常に強い自制によって成り立っています。
(たとえば剣製勝負において、アーチャーに「お前は基本骨子の想定が甘い!」とか言わせてみたり)
9人を生かすために、大切な1人を殺す生き方。
大切な1人を生かすために、他の9人を殺す生き方。
どちらが正しいのか? どちらも正しかないんですよ。
いや、正しいと思った時点で理想でも何でもなくなるのです。
切嗣然り、「自分は正義の味方になれなかったんだよ」と悔いながら、
「正義の味方になる」という夢を、次世代に紡いで死んでいきます。
それって根源を目指す魔術師たちに似てると思いませんか?
僕はFateって、英雄に“なれなかった”人間たちの話だと思うんですけどね。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
そういう人はオウム事件でだまされた人間がオウムにだまされたと思っているだけで、その原因が自分にも関係ある考えたりしないだろうし自分が信じているものがまさかそうだとは考えないような人間なんではないかと思います
無知の知のエピソードに感銘を受けない人間は自分で痛い目にあうまで教訓を得ることはできないんではないかなとか思います
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
なぜ、この作品を好きになれないか、を問い詰めていったらこんな文章になってしまいました。
オウム真理教事件の経験が生かされてないのかな → 長文感想(6365)(ネタバレ注意)(14)
Kanonは二度死ぬ。 → 長文感想(1971)(ネタバレ注意)(2)
今回はいままで書いたものに比べ私的な価値観を前面に出した内容だったのでどんな反応が返ってくるか(はたまた返ってこないか)と思っていたんですが、気に入ってくれた方がいてよかったです。
この投稿ほどでないですが自分の心情をつづることに力を割いた文(クロスチャンネルなど)は既にだしていますし、自分ではなく作品を分析することに重心を置いた批評(家族計画とか)もありますのでよろしければそちらもどうぞ。
(コメント欄の投稿者名(jeric)をクリックすればその投稿者の批評を集めたページに飛べます。ご存知かもしれませんが)
自分は書きたいことがたまるまでためてから一気に書くというスタイルなので頻繁には投稿しませんが、書くことがなくなるまでまたここにちょびちょび投稿していきたいと思います。
そのときまた思うことあれば、コメント、投票してもらえるとうれしいです。
では
Kanonは二度死ぬ。 → 長文感想(1971)(ネタバレ注意)(2)
評価をしつつ、文学的な考察、及び詩的な表現大変気に入りました。
kanonはいたる氏の絵が受け付けず未プレイですが、jeric氏の評価文で作品の雰囲気が手に取るようにわかりました。
これから,jeric氏の評価文が載りましたら、漏らさず読ませて頂きたいと思います。
久しぶりに、良い文章を読んで大変気分が良くなりましたので、失礼と思いますがレスさせて頂きました。
誰も狂ってなどいない。 → 長文感想(6696)(ネタバレ注意)(7)
それでも、「CROSS†CHANNEL」によって一部で神とまで呼ばれる成功をおさめた重圧の中、安全策に走るのでなく(「神樹の館」はリハビリ的な意味合いもあるのかも)作品ごとに新しい試みを入れようという姿勢にはエールを送りたいんですがね。
ロミオ信者としてではなく、
美少女ゲーム業界が成熟&飽和し、固有名詞とシナリオとキャラ要素の順列組み合わせを変えただけの作品が氾濫し、それが受容される現状を憂う一ゲーマーとして。
このままキャラゲー路線でいっても要素の組み合わせが尽きたら飽きがきて美少女ゲーム業界自体が地盤沈下。ジリ貧ですよ。きっと。
実際、販売本数もここ最近はほぼ横ばいみたいですし。
2000:587028本
2001:549519本
2002:427444本
2003:510637本
2004:567976本
2005:579771本
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/rev%3a%e3%82%a8%e3%83%ad%e3%82%b2%e3%81%ae%e8%b2%a9%e5%a3%b2%e6%95%b0
より
「CROSS†CHANNEL」もそうですが、「雫」にしろ「ONE」&「Kanon」にしろ、時代をかえる、流れをつくる作品は「見たこともない」ような「奇妙で」時に「不細工」な作品だったわけで。
失敗は成功の元。最近の賛否相半ばする評判の作品群も2年3年後の美少女ゲーム業界への投資と思ってはどうでしょう。
いつかロミオ氏の手で第二の「Kanon」が生まれる日が来るかもしれない。そのための投資だと。
そして大御所ゆえに販売本数がある程度計算でき、冒険ができるのもロミオ氏の強み。
ロミオがやらずにだれがやる!改革派シナリオライター最右翼!
ってなわけで、氏にはどんどん「変なゲーム」を作っていってほしいですね。
(自分的には「イマ」もかなり楽しめました。布石という意味を抜きにしても、もとはとれたかなと。)
誰も狂ってなどいない。 → 長文感想(6696)(ネタバレ注意)(7)
CROSS†CHANNELの頃の作品が一番よかった。
今じゃ読みにくくてストレス溜るし、起承転結とかそういうのそっちのけだから、横暴が目立つ。
誰も狂ってなどいない。 → 長文感想(6696)(ネタバレ注意)(7)
コミュニケーションの艱難を体験し限界を感じても、それでも諦めず一歩ずつ進まなければならない。『イマ』のエンドは人類の殆んどが絶命し1億人から再スタートですが、そこにはコミュニケーションの再構築に挑む意思が何となく感じられました。
誰も狂ってなどいない。 → 長文感想(6696)(ネタバレ注意)(7)
なるほど。そういう見方もありますね。
この作品が
①際限なく記号に戯れるのをやめて、生身の人間とコミュニケーションに挑めとみるか
②逆にある種のコミュニケーションの不可能性を表現しているのか。
(②について本文にははっきり書きませんでしたが、東浩紀編「美少女ゲームの臨界点+1」中の論評「美少女ゲームとセカイ系の交差点」はこの立場で書いているようです。)
読み手次第だと思います。
自分はロラン・バルト的な
「作者の意図よりも先にテクストがあり読み手の立場の数だけ読み方がある」
という立場に賛成する人間なので、
ロミオの言いたかったことが何なのか。
この作品が「本当は」なにがいいたいのか。
といったことにはネタ以上の興味はありません。
それで面白い読み方ができればよし、できなければそれまで。
いずれにせよ
「美少女ゲーム内部から美少女ゲームを語っている」というのがおもしろいなあと。
「エヴァ」にしろこれにしろ
オタク系作品の傑作と呼ばれるもののなかに自己言及的というか、そのジャンルの内部破壊を企ててるんじゃないかと思わせる作品が少なくないのって何でですかね。
そのジャンルが嫌なら別の仕事を探すなり、評論など「外から」攻撃すればいいのに。
考えられるのは
1作者はオタク的なものが嫌いか限界を感じているが、外から言ってもどうせだれも耳に入れないから内部からという戦略的思考。
(エヴァ以降アニメから実写に向かった庵野秀明はこれかもしれない)
2作者はオタク的なものを嫌っているわけではないが、作者の自意識があまりに強いため、無意識にそのような作品を書いてしまう。あるいは意図的にその作品のフォーマット自身を壊すような作品を書きたいと思ってしまう。
ヒートアップしたステージ上でベースギターを燃やしながら演奏したギタリストのように。
3オタク的な文化には「ダメ」といわれることが必ずしもネガティブにならないという面があり、作者もそれを熟知していて、そうした「マゾい」(←というと語弊がありますが)感情フックに引っ掛けることを計算してやっている。
「D.O」のホームページに「山田一」だった頃のロミオのコメントがあり
http://www.interchannel.co.jp/game/kazoku/special/special01.html
「ユーザーの皆さんも駆け足でオタクを卒業することなく、魂の赴くままなるようになっていきましょう。」
とあるので、文字通り解釈すればロミオは2と3の複合型かなと。
その他なんかあったらご教授いただければありがたいです。
では。
誰も狂ってなどいない。 → 長文感想(6696)(ネタバレ注意)(7)
よって、キャラは狂っていると断定する必要があり、また下記のようなオタク活動をロミオ氏は歓迎しないでしょう。
>コンプリート後の閉塞状況を打ち破り物語と睦みあい続けるには方法はひとつしかない。
考察、創作等で物語を自分で再構成し誰かにその感動を話すこと。
作中の良く判らないSF世界は、太一の精神世界を描いています。そこからキャラを順次追い出すという事は二次元世界の歪なキャラに萌えるのをやめていく事であり、現実世界の人間との難儀なコミュニケーションに臨めと言っているのでしょう。