華美な文章と、贅肉を極限まで削ぎ落とした構成で綴られる、学園青春物語。学園モノの王道と呼ぶのはちょっと違うけれど、一つの完成系と呼ぶのは当てはまりそうな、そんな不思議な作品。長文は、ファンタジーや、幽霊と勘違いされがちな隠しキャラのシナリオについての、私なりの考察と、その感想
さて、隠しヒロインである美夢、この人のシナリオは一体どういう話だったのでしょうか。
私が最初にプレイした時は、幽霊モノの話だと思っておりました。実際、そういう評価が出回っていたし、それで評価を落としている人もいて、私もそれに有る程度納得を示していました。
しかし、もう一度このシナリオをやり直したとき、シナリオ最後のシーンでの文章に非常に感銘を受けたのです。そのあまりに切ない文章に。そして同時に「これは幽霊の話なんかじゃない」と思うようになりました。ただ単に、幽霊が具現化して、主人公と仲良くなって結ばれて終わり、なんて結末じゃ、あの切なさは出ないと思ったのです。
そしてそう考えてくると、実際にそういったファンタジーとして片付けるには整合性があまりになさ過ぎる事に気付かされました。というよりも、そもそもなぜ涼は美夢を覚えていないのか。幽霊だから、消えた瞬間に記憶も消える、なんて事も考えられましょうが、それだとしても話としての論理展開があまりにはしょられすぎていると考えたのです。それ以外の物語が非常に論理的に、物語を構築してる点から考えても、それは不自然だと思ったわけです。
さて、前置きが長くなりました。じゃあ、幽霊やファンタジーではないとしたら、このシナリオは一体なんなんだろうか。そこで私が思い至ったのは『妄想』というものでした。
……ヒロイン側のね。
そう考えると、あらゆる辻褄が私の中でぴったりと噛み合ったのです。涼が美夢の事をまったく覚えてない事も、美夢の母親が彼女は幸せだったと断定してしまう事も。彼女が妄想の中で幸せに浸っていたと考えるなら、自然だと思えたのです。
そして同時に、これはとんでもなく悲しい物語なのだと気付かされました。結局彼女は、病室の中で一人、決して現実には結ばれることのない男性と、妄想に浸っていただけなのです。そして、その相手となった人物は、自分の存在をはっきりとは覚えてくれてなかった。
作中に、こんな文章があります。
『
「佐々木君?」
涼は聞いていなかった。
美夢の母の言葉を、頭の中で反芻する。
「憧れてた、って……」
我知らず、漏れ出るつぶやき。
「……たったあれだけのことで?」
いったい何度、音楽室で話したというのだろう。
好意を憧れへ変質させるには、あまりに少ない時間ではなかったか?
「……それだけで……?」
歌穂が悲痛な表情で、繰り返す涼から目を背けた。
』
涼の方からすれば、美夢への想いなんて、所詮その程度に過ぎなかったはずなのです。同時に、美夢の想いもその程度のものだと、涼は思っていた。自分に対して憧れるなんて有り得ない、と。だけど現実は違った。その程度の邂逅ですら、人は好意を憧れに変える事が出来るのです(そう考えると、最後に歌穂が目を背けた理由も、色々と深く考えられますね)。
そして最後に、涼はそんな二人の想いの差に気付きます。気付かされてしまうのです。
『
涼は写真を取りだした。
暗い音楽室、並んで微笑む二人の姿は見えない。
それでも―――
美夢の微笑みは鮮やかによみがえる
美夢の心に、最後まで自分はいたのだろうか。
わずかな心のふれあいを、大切に思ってくれたのだろうか。
そうなの、静原さん?
』
そうに決まっているのです。残り少ない命の彼女が、死ぬまでの道程において糧としたのは、たった一葉の写真。そこから想いを無限に膨らませて、幸福な夢を見て、そして死に至る。おそらく死を受け入れてたであろう彼女にとって、その道程は幸せなものだったのでしょう。彼女の母がそう言ったように。
『
重ねるごとに過ぎ去った美夢の日々。
忘却と憧れに柔らかく霞んでしまった記憶と、それだけは真実だった彼女の淡い恋心が―――あまりに哀しい。
』
そして同時に、やっぱりこの物語は哀しい物語でもあるのです。涼が悪かったわけじゃない。人の好意や想いなんてすれ違いばっかりで、たった数回の音楽室のやり取りで、美夢の想いを感じ取って受け止められるなんて、それこそ奇跡のような話です。きっと美夢にとっては、その僅かばかりの出会いすらも奇跡に思えていたに違いありません。だから彼女は、自分のことを忘れて欲しいと願った。優しい思い出だけで出来た幻の涼と、自分は生涯を添い遂げるつもりでいたから。
誰が悪いわけでもなかった。しかし、現実には悲劇がそこにある。それゆえに、このシナリオは、どこまでも私の胸を強く打ちます。私にとって、最も美しいドラマの一つ。それこそが、このCrescendoの美夢シナリオなのです。