地を這うような高揚感と空を翔るような閉塞感。陰鬱にして華麗なる挑戦に最高の賛辞を送る。
この作品がおもしろいか、ときかれれば決してそうではない。
純粋におもしろさ評価するなら70点弱といったところか。
ただ、この作品は違う。
おもしろいとか否とかその次元で語れる作品ではない。
なぜなら、「夏めろ」はもっと高い次元からユーザを見下ろしているからだ。
「恋愛は自分の理想を投影する」作中のセリフだ。
この時点ではユーザはまだ「夏めろ」を見下ろしている。
テツオが理想をヒロインに投影してる、とこの時点では考えるからだ。
しかし、この作品最大のトリックはここにあった。
このセリフの意味に気付いたとき、ユーザの立つ大地は崩壊し
遥かなる高みに「夏めろ」を見ることになる。
このトリックに気付いたのは3人目のヒロインであるキッカ
ルートであった。
彼女のトラウマには誰もが力が抜け、安心を感じたはずだ。
この安心感こそ、伏線の収束点だったのである。
この展開は明らかにシナリオの縮小であり歪曲だ。
そこまでに至る道筋、テキストをみればあきらかにシナリオの
頂点はその部分だと考える。
しかし、そこをあえて縮小することでユーザの足元がぐらつくのだ。
そして、その安心感とともにルートを読み進めると
不自然なHシーンが続く。
それまでのキャラクタをすべて壊して、まったく新しい
キャラクタを刹那的に創造する。
この時点でようやく気付いた。
「夏めろ」のからくりに。
その時点でもう「夏めろ」はユーザを見下ろしている。
「恋愛は自分の理想を投影する」
この自分とはユーザ自身のことであり、テツオはその便宜的な代替者でしかない。
ここで、「夏めろ」は次元を駆け上がり、作品の枠を飛び越える。
かつて胸に抱いた、ある種もっとも純粋な願いを投影する。
それが「夏めろ」だったのだ。
この時点から作品を振り返れば、もう少し本質に迫れるだろうか。
1つ目は、序盤の空回る日常会話だ。
恐らくこれが“あのころ”の日常なのだろう。
傍からみたら、腹立たしいほどに出来上がっていて、面白みのない。
そんな会話に大きな魅力を感じ、その世界を信じきっていた時代をこのテキストは表現しているのかもしれない。
2つ目は、団長のナンパ成功をあげる。
「夏めろ」の世界はすべてがユーザのものなのだ。
団長の入る隙間はなく、またパラレルにそれを決定し完結させた。
3つ目は、未来の不確定さだ。
あくまで純粋にいまを楽しむ描写に終始した。
エンディングでも、決して先のことを言わないで、"いま"の描写をした。
一見理想から離れるように感じるが他の作品のエンディングよりも不安がない。
言い換えれば、不安を許容し受け入れることができるエンディングのカタチだった。
「夏めろ」はこれまでの作品とは大きく異なる。
あきらかに、芸術を目指した作品である。
エレガントなトリックと、潔い構成は特筆に価する。
キャラクタ、テキスト、シナリオ
それら全てを踏み台にして高みを目指したこの作品に
最高の敬意と賞賛、そして最大の感謝をおくりたい。