どエロいのに面白い"神ゲー"。濃い性行為描写も本筋に絡んでちゃんと意味をもつ。視覚的な表現に圧倒される。今までやったゲームの中でも抜群に印象に残る。神設定、声優の演技、テキスト、演出も素晴らしく、ヒロインのセリフに、一つ一つの言葉に、その想いに、どこまでも魅了される。夏という季節の使い方。性描写の物語への絡め方。日常の感覚を踏み越えた表現。言葉と、言葉を超えたもの。大好きな作品。
エロの暴力。
こころの無垢のような魅力を描いておいて、髪の匂いの条りがあって……で、妹にする。しかも、本人の認識では義妹ですらないという。
この言霊設定、天才がすぎる。
おかげで兄妹の背徳感(妹側だけだけど)、内に秘めていたエロさを主人公が解放させる、行為を口で説明させる恥じらいの描写といった、内面的なエロさをガンガン描いてくれる。
しかも秋野花さんボイスで。普段のこころとの、あの可愛らしいキャラとのギャップよ。このゲーム、やっばい……。
妹役はいままでプレイしたゲームだとひこうき雲の美奈しか知らないけど、こころは、純粋さも裏側に隠しているエロさも相当なので、まあすごいことになる。
神の末裔、俗世と離れた里の風習、畑仕事で体が丈夫、子供ができにくいという設定のおかげで、貞操観念は亡きものにされ、主人公は最初から経験豊富、絶倫、避妊をしなくても平気なことになっている。(一応愛以外のヒロイン側は気にしてもよさそうだけど、そういう野暮な話もどうでもよくなるくらい画面の中では誰も彼もが行為に夢中だったりする。)
ほんとよく練られてイマスネ。
ほたるの不安定なところを抱くシーンも、愛の開始早々にしてやたら濃いシーンや上からの感じも、どれもそれぞれの色があっていい。
ある意味一番衝撃だったのが響子の個別1回目のHシーン。
このゲームのエロさは絵の要素、とくに塗りが上手で丁寧なことも大きな要因だと思うんだけど、ここの響子のCGはその中でもさらに抜けていると思う。立ち絵こそほかとテイストが違うので好みが分かれそうだけど(とくに愛は魅力的すぎる)、CGになると化けるというか、可愛さや美しさとエロさがここまで融合しているって珍しい。性的な刺激があるのに、ハッとさせる美しさもある。思わず魅入ってしまったCGは他のゲームにもあったけど、エロシーンでそれを感じることになるとは思わなかった。素晴らしい。
ちなみに、ほたるは話の都合で処女喪失が3、4回あり(?)、そのうえ初体験から文字通りイキまくる。上に書いた個人的な感想を抜きにすれば、さすがメインヒロインというか、ストーリーでもエロでも結局もっていった感がある。
エロCGの構図もバリエーションが多い。口かパイズリで出してから2回連続といった流れが多かった印象だが、足コキや放尿、自慰、陥没、母乳、イスにする、授業中に勉強してる中で、など人によっては堪らなそうな要素もあった。液量もやたら多い。どうやって拭き取ってるんだとか野暮なことは言ってはいけないのだろう。
それでも、内容のハードさよりも精神面的なエロさに振っていると思う。
ちなみに、おしっこをかけられて射精するという、どう説明しても意味不明にしかならなそうな(?)場面があって笑ってしまった。
冒頭から言いたかったことを書いてすっきりしたので、ここからは真面目なことも書きたいと思います。
※本作は印象的なセリフや言葉が非常に多く、それらを反芻したりメモしていたら、プレイ時間が長くなりすぎてしまいました。参考にならないと思いますので念のため。
ぬくもりの時間
「じゃあ、約束」
「誠さんは、すごい力を持ってて、でもその使い道がないなら、それをみんなのために使ってあげて」
「みんなの笑顔と幸せを守ってあげて」
「それがお願い」
「約束」
このゲームで一番最初に心を奪われたもの、そして振り返ってみるとこのゲームを自分の中で特別なものにしてくれたもの、それは光の表現だった。
気づいたのは、あずきさんが入院した後の病院の待合室のシーン。特別なCGもなく背景の絵だけだったが、夕暮れの、その光の色の表現に見入ってしまった。茜さすというには赤みは薄く、終わりや死の暗示としては柔らかい、優しい、色による表現。眩しさとも、輝かしさとも、鮮やかさとも、そのどれとも異なる。夕暮れなので立ち絵も若干赤く染まっていると思うのだが、それも細やかなもの。画面全体に広がる、光の柔らかさは微塵も邪魔されない。
待合室ではなく、ほたるとの約束の場面を引用した理由の一つは、ここで流れるBGM『ぬくもりの時間』。このタイトルも曲も、そのあたたかさを通して、自分が光の色に感じたモノを的確に表現してくれている。もう一つは、「夕日の中で、ほたるが笑った。」という記述とともに画面に映る、まるでその柔らかさそのもののような、笑顔。ここはストーリー全体にわたって重要な場面というだけではなく、"ほたる"が大事なことを言う場面の『色』を決定づける。
彼女が神の側にいた主人公を、人の世界に導く存在であること。最終話の彼女のタイトルに「蛍」があるように、作中でも随一の命と死と生を体現する存在であること。それらの事実は、その存在を照らすものが、そして同時に、その存在を内側から規定するものが『この光の表現』にあることをもって、このゲームを、このゲームにしか出せない色彩の中に位置づけてくれると思う。
この世界が好きだ
「"それでも進むだけの価値が外の世界にあるのかって、自問した"」
「"あった"」
「"あったよ"」
「"人間が自由に生きている場所だった"」
「"僕は、この世界が好きだ"」
神の末裔でありながら、人のコミュケーションに憧れる誠。人の世界で様々な感情に触れ、物語全体を通して身につけていく。舞台はこじんまりとしていて、田舎のこの町から出ることもないし、期間も短い。朝起きてから寝るまでの日常を通して語られる物語は、何の変哲もないものにみえる。
そこに、神の視点を入れる設定が生きていると思う。誠を通して語ることで、町の人にとってもプレイヤーにとっても日常の当たり前のことが、当たり前でなかったと、意味があったと気づかされる。この効果は、誠を導く役割である、ほたるの達観した視点が加わることで更に増幅される。何気ないコミュニケーションの一つ一つの要素に自然と焦点が当たり、言葉として印象に残る結果に貢献していたと思う。
なんだ、そういうことか。
母からもらった命を、母に返しただけのことだ。
里を出てきてよかったと、ようやく、心の底から思えた。
気持ちのよい夏の夜。
町の明かりのせいで里よりも見える星の数は少なかったけれど、夜空がきれいであることに変わりはなかった。
星は、いつだって、見えなくても、そこにある。
あずきさんに言霊を使い、湖畔で誠が倒れる場面は、満月を背景に見下ろす愛の美麗なCGとともに母親がくれた言霊を思い出すことでも、里に帰ろうという愛の発言を断ることでも印象的だが、本当の母からもらった命をあずきさんという現在の母に返しただけ、という独白によって更に際立っている。里を出て、二人目の母と出会い、今度は自分が救う番になれたこと。それが誠にとって、里を出て良かったと、人としての感情の中に意味を見つける。
夏の夜を感じて、自分の生きる意味を自覚するここの描写は、後半のほたるに重なる。このゲームの『夏』の使い方は、お盆や彼岸といった命や死を連想させる要素もあるが、その暑さに、夜空の星に生を実感するところに本質がある。町の夜空もきれいだと、見えなくてもそこにある里の星を思う描写。里でなくても大丈夫、町で生きてよかった、自分の大切なものは変わらない、満ち足りている、そういう象徴だろうか。
まるで"言霊"のように
「あなたは、私のぶんまで生きて。幸せになって」
鈴夏の言葉は、今までと違う意味をもって響子に届く。
ーーまるで"言霊"のように。
言霊。この設定もエロ用だけでなく、物語の根幹として機能する。神の万能さの表現であり、物語を進める魅力的な設定でもあるのだが、むしろ万能であるがゆえに、それを使わないことによって、願いや想いの本質を描きだすところに意味があると感じる。
引用した場面も、言霊ではないのに、それが本物の鈴夏による本当の願いであることによって、響子の心を、言葉のとおりに、動かす。
「こころに拾われてきた日に話してくれた、外で暮らしたかっただけっていうのは、本当なんでしょ?」
「それなら、特に聞くこともないわ」
「あなたは、うちの子だもの」
第一話の病室。誠を息子と思い込む言霊の効果が切れた、あずきさんの言葉はまさにその一例。偽の親子関係だったはずなのに、頭を撫でる印象的なCGとともに語られる言葉の温かさは、言霊を超えて読み手に響く。
「だから、帰らないで。ずっとうちにいて。お願い、だから……」
「……お願い、行かないで……兄さん……」
こころ個別√終盤の、言霊の件を謝り別れを告げた誠に対する、こころのセリフもそう。『だから……』の言い方にまず感動させられてしまったが、その後の『兄さん……』の破壊力は本当にすさまじかった。恋人として、好きな相手として引き留めるところまでは期待どおりで、後ろから抱きつくCGと声の演技の絶妙な魅力にグッと惹き込まれ、それだけでも胸にきたのに、そこに家族としての、妹としての感情も乗せてくるとは予想できなかった。言霊で作った関係だったのに、それでも一緒に過ごした時間に、長くはないかもしれないが、あずきさんの件もあった密度のある時間に、兄としての誠を求める気持ちも本物だと、こころにとって本当の家族だと感じられたのではないか。
二人が本当に兄と妹になった瞬間が、第一話のタイトルにある『絆』が確かに本物になった瞬間が、表現される。言霊を超越したセリフ。素晴らしい声の演技。とても印象に残った大好きな場面。
(話は逸れるが、第一話は、
「だから、わたしはお母さんのこと、気づかないふりをしてなきゃいけないの?」という、入院したあずきさんの態度から真実を隠されていることを察したセリフや、
「わたしをひとりにはしないよね?」という、命を賭して言霊を使う覚悟を決めた誠を知らずに引き留めようとするセリフ、
「……わかんない」「わたしのことも、兄さんのことも、愛ちゃんのことも……」「全部わかんないよ!」という、誠から本当は兄ではないことを告げられた時のセリフなど、
こころの、妹しての、恋する一人としての強い想いと、いろいろな感情が込められた声の演技を聞くことができる。このゲームを楽しめた大きな要因となった。)
最後の一週間
「誠さんと一緒にテストをさぼって、日傘をプレゼントされて、写真を撮ってもらって、子猫と遊んでーー」
「たくさん幸せなことがあったし」
「まあ、わたしは、これでいいかなって」
第一話では、日曜に不安定になって、消えない傷をつけてほしいと言い、処女を奪わせる。
第二話では、響子の願いを叶えてあげないのか、鈴夏を救わないのは『外側の理屈』ではないかと主張する。だが、鈴夏本人に、響子の命をつかうくらいなら諦めると否定されてしまう。
第三話では、誠と背中を合わせ手を重ねる作中屈指のCGとともに、あずきさんを救っても命を落とさなくてよかったと話す。「だってーー自分が死んでしまったら意味がないじゃないですか」。
第三話までのほたるも、引用した、誠の告白への返事を翌週へ回すほたるも、その胸中は、その真意は、この時点ではほとんどわからない。
明日への期待
「先週のほたるは、今週のほたるに、あなたへの想いを託してくれた」
「だから、わたしも次のほたるに生きる意味を託さなければいけないと思うの」
後にオリジナルから毎週ほたるが本当に死を迎えていたことが明かされる。その事実は、プレイヤーが体験してきた毎週のほたるの言動をひどく重たいものにする。そのときどんな気持ちだったのか、そこにどんな願いが込められていたのか。
「今日はできないことを素直に認めて、諦めないで、未来の自分のために今の自分ががんばれば、きっと願いは叶う」
「それは、素晴らしいことでしょ」
「だからーー」
彼女は花のように笑う。
「わたしは、ここまで」
「たくさんの素敵な思い出をありがとう、誠さん」
明るく笑顔で、その笑顔がわかるような、伝わるような声の表現。そこに悲しみの色がないから、希望しか感じられないから、『ほたる』であって『わたし』だから、同時にどうしても哀しさも感じてしまう。
日曜日。夜の湖畔の花園。11時55分。
「……時間だ」、虫の音が聞こえなくなる。無音の演出。
蛍が夜に舞う中、指先から光っていき、鈴夏のように消えていく、ほたる。
「ありがとう、誠さん」。このセリフの言い方は、どこまでもやさしい……。
消させないと言霊を使おうとする、誠。
やめて!と拒否する、ほたる。
「ダメ……わたしを救おうとしちゃダメ」という『わたし』が強調されたセリフと、「懇願するような必死な瞳」という記述。テキストに負けない、絵の強さ。「わたしが選んだ結果なの」。ほたるの瞳に涙が浮かぶ。彼女が泣いていてくれれば、僕は"言霊"を完成させていただろう、という独白。感情的で余裕のない『必死な瞳』は、しかし涙を流させない。ひとつの命を救うのに、ひとつの命を失うことは答えになっていないと、誠が命を使うことを許さない。『わたし』を救おうとすることを許さない。
「ちぇっ……」「やっぱり怖いな……消えるの……」。自分に向けたつぶやきが示すように恐怖がないわけではない。それでも、その瞳が訴えるように、消失の恐怖に耐え、想いを必死に託そうとする。明日へ期待し、希望を残そうとする。『諦めないで、未来の自分のために今の自分ががんばれば、きっと願いは叶う』。自分が言った言葉をそのまま現実にしている。
「また、会いましょう」
「わたしが言うのもおかしいけどーーほたるを愛してあげてね」
優しく微笑みながら、一筋の涙が、彼女の頬をこぼれた。
「何度生まれ変わっても、わたしはあなたに恋をするから」
最期になって、ほたるの頬を実際に涙が流れる。ここの微笑みの絵も、最後の一言の表情も、意志の強さと儚さが同居するような魅力に引き込まれる。
全身が光になり、ゆっくりと弾ける。
命そのものの光は、誠のまわりに集まり、手に寄り添い回転する。
日傘のようにくるくると。
このテキストは、堪らなかった。日傘を買うシーンの二人のやりとりも、日傘に嬉しいときの癖を見つけるやりとりも、とっても、とっても素敵だったから。
言葉を超えたもの
「外に出た瞬間、どうでもよくなっちゃったの」
「その時、わたしは、一度は離れてしまった世界と、また繋がることができた」
「首と手の平に汗が噴きだして、今が夏だって思い出した」
コピーがオリジナルの意識から生まれながら、なぜ別人のように感じるのか、なぜ前向きに生きることができるのか。その理由が礼拝堂の会話で明らかになる。(作中どこで語られていたか忘れたが)死を見てみたくて病院に忍び込んだ子供の頃のほたるの、外に出て夏の暑さに生を実感したという原体験が、説得力を与えてくれる。オリジナルが忘れてしまっているであろう本心に迫るヒントでもある。
「多分、どのほたるも、わたしと同じように夜空を見上げたんだろうね」
「わたしと同じように、胸を熱くしながら、夜空に手を伸ばしたんだろうね」
「だって、みんなほたるなんだから」
じっとりとした空気。夜空一面に輝く星。オリオン座。車の音、草と土とコンクリートの匂い、蝉の声、人の暮らしの明かり。夏を感じさせる何もかもが、ほたるたちに生を実感させる。嫌いだった夏が瞬く間に好きになる。一週間後に死を目前にして生き返らせる。精一杯、楽しく笑顔で生きたいと思わせる。
先にも書いたように、『夏』の描き方はこのゲームの特徴だと思う。人を生き返らせるものは理屈でも論理でもない。今が夏だ、という実感そのものだ。綺麗な夜空にハッとさせられることはあっても、胸を熱くしながら手を伸ばしたことがある人など、実際にどれほどいるのだろうか。ほたるの感動がどれほどのものだったか、日常の感覚を踏み越えたこの表現に思いっきり魅了され、とても印象に残った。
「1週間で消えてしまうコピーである自分の記憶や想いを、オリジナルてはなく、あなたの中に残したんだ」
「想いを繋げていったんだ」
コピーである彼女たちは信じたのだ。
本当の自分を。
人間の善意を。
次の自分も、きっと、今の自分と同じことを考え、オリジナルとは別の自らの意志で歩きだすだろうと。
表情と声に凛としたものを感じる。ほたるにとって、とても大事な、意味があることの表現。
コピーたちが信じたのは、夏の実感がもたらすものであり、そこに本来の自分を見つけることであり、水無月ほたるの本質はオリジナルも見失っている部分にある、ということだろう。「健康な魂は、健康な肉体に宿る……なんです」。病院で話したこの言葉の意味に、気づくことができる。
「だって、間に合ったんだもん」
「オリジナルの水無月ほたるとは別に、あなたと過ごした水無月ほたるが、ようやく今、わたしの中でひとつになった」
「わたしは、ここにいる」
夜の湖畔の花園。前回までの思い出がある大事な場所で、"ほたる"たちが残した想いについて誠が語る。
ここの「だって、間に合ったんだもん」は、ほたるの最高の笑顔をまた見せてくれる。目の前で消えてしまったほたるが残したもの。彼女が諦めないでがんばって未来の自分に託したもの。その想いが、繋がった瞬間。ここは思いっきり感動させられてしまった。自然と、涙が零れた。
前回のほたるが残した「また、会いましょう」。病院で最初にあったときは、誠も『君は僕の知っているほたるじゃない』と言いかけるくらい別人と捉えていた。自分も、最初は前回のほたると同一とはとても思えなかった。それでも会話を重ね、誠の中で積み重なった"ほたる"を、目の前の彼女の中に見つけることができた。わたしの中でひとつになって、ここにいる。そう、"ほたる"とまた会えたのだ。
ほたるの同一視。誠が目の前のほたるを"ほたる"として愛するように、プレイヤーも同一性を感じられると思う。この自然な描き方が、同一性の中に”ほたる”の本質を感じられるところが、本作の見所だと思う。オリジナルの悪意から分かたれて、夏に生を感じ、誠に、恋に生きる意味を見つけて、前向きに、必死に、次のほたるに想いを繋ぐ。彼女に見るこうした、生の表現に、心を掴まれる。
「これが、誰かを本当に好きになるって気持ちなんだ」
小さなつぶやき。
でも、その声は、僕が今まで耳にした中で一番きれいな音だった。
「おかえり、ほたる」
僕が言うと、ほたるがぎゅっと抱きついてきた。
「ただいま、誠さん」
エロシーンは二人の距離を近づける要素として重要な意味をもつ。ほたるは特に顕著。「身体が繋がれば、心の感覚もちゃんと繋がるんじゃないかって!」、そう言ったのは1週前のほたるだが、ほかのどの"ほたる"よりも好きになりたい、恋をすることより大事なことはない、と言う現在のほたるも身体の繋がりを求め、心の繋がりを探す。その濃い性行為描写は(「妹のこころにフェラチオを見られるの、やっぱり、嫌だった?」というセリフが印象的な、言霊でやりたい放題の天才的な使い方が光る)前回にも劣らない。
ちゃんとした恋人になるのに時間がかかるからと、「考えて……考えて……」「好きだから、考えて」「だからーー!」、そう言って想いを行為にぶつけた前回のほたる。2回の『考えて……』は言い方が少し違って、2回目により気持ちが乗ることで、結論に至るまでの葛藤、簡単な問題ではないことを表現する。『だから』に籠められた、切実で、大切なもの、でも自然に気持ちを感じられる言い方。誠のキスと肯定の言葉を受けた、ほたるの返事「……はい」。沈黙もたっぷり使い、幸せともっとたくさんの感情を、小声で、その中で表現する。
行為後に心が繋がったという誠。「そうだったら、いいな」。ほたるの、いいな、の言い方のやさしさ。
今回のほたるも、その行為も、これだけ意味が籠められた前回に負けていない。むしろ上に引用した事後のやり取りによって、より完成された感じすら受ける。「おかえり」「ただいま」。"ほたる"たちが自分の中でひとつになったことは既出だが、それでもこの瞬間に、本当に好きな気持ちを身体で理解し心が繋がったことによって、"ほたる"は誠の元に帰ってくる。
夏の実感が生きることを思い出させてくれたように、身体で一線を越えることが心を繋ぐ。論理や理屈ではない、ほたるのイキまくる姿にそれらを圧倒的に超えたものが、描かれる。言葉が大事にされている本作だからこそ、こうした表現にはとても『意味』を感じる。このゲームが好きな一番の理由かもしれない。
コトダマ紬ぐ未来
わたしはそれを、そっと手のひらに収めた。
それを優しく包み、
胸に抱く。
あたたかい……。
「…………」
ED1のラストに出てくるこの『あたたかさ』は、誠のほたるへの想いにも、第三話の愛が希に発した言霊と同種のようにも、本稿の最初の方で書いた光の『ぬくもり』にも、命そのものの光がもつであろう温度にも、自分にはそのどれにも感じられた。
このラストに至るまでに、名場面、名台詞が沢山出てくる。
これまでの思い出を巡る二人。湖で愛の「私は、今日、泣くわ」という本音が聞ける。個別を見ているとよりその本当は好きという想いが沁みる。学園では、誠に楽しく暮らしてほしい、笑顔でいてほしいという、ほたるの願いが聞ける。
礼拝堂での「だから、ありがとう」。ここまでに出会った人たちがみんな、笑っていた。『みんなを幸せにしてあげて』という願いが間違いじゃなかったって実感できて、本当に嬉しかった。そう話す、ほたる。「ありがとう」に込められた思いは、それが”ほたる”とした約束だから堪らない。
誠が結婚を申し込む。「はい!」。この夏の集大成のような笑顔、という記述。ライターの思いが強すぎるのか、叙情的というより客観的な説明寄りの表現が増える。言語表現に凝ってない分、逆に力の入れようが伝わってくるように思う。
二人だけの結婚式。「もう、なにも言う必要がないんだね」。満たされていること、これ以上何も要らない事が繰り返し記述される。二人の想いが通じていること、恋物語としても完成していてとても素敵なばかりか、あまりに美しいそのウェディングドレス姿に絵としても完璧だと感じてしまう。
「魂なんて、わたし、いらない、っ!!」、このセリフの強さ。完璧だった話の流れは一転、お互いの想いがすれ違う二人。オリジナルの生にしがみつく叫びにも匹敵する、迫真の演技。
花園で最期を迎える誠。「……涙?」。最後の最後に、ほたるから、また贈り物をもらってしまった。という記述。「わたしが消えたら、泣いてくれる?」「いつか、ふいにわたしのことを思い出して、あなたは涙を流してくれるかしら?」と、ほたるの願いを事前に書いていたが、ここで、自分が消える流れで回収するとは。
あなたは約束を守ってくれた。
また会おうね、と。
だからわたしも、生きようと、思った。
ラストの声なき独白は、それぞれのプレイヤーの脳内で再生されるから、ある意味どんな演技よりも際限なくその嘆きの深さを伝えてくれる。ほたるのどこまでも前向きな感情も、だから今だけ泣かせてほしいという懇願も、誠への想いがこれでもかと表現される。
けれどこのEDの結末は、明示的なタイトル回収によって示されるとおり、間違っている。
”ほたる”の同一視は重要な意味をもつが、彼女の本質は分化元であるオリジナルの中にもあるはず、ということが初謁見翌日の礼拝堂での会話で察せられる作りになっている。しかし怒りに囚われた誠は、オリジナルの悪意という一面だけをみて本物ではないと、本物であっていいはずはないと断ずる。それは感情の複雑さとは無縁の、力はあるが意志はない『神』の側の思考なのだろう。意志はあるが力はない『人』が、神ではなくその末裔に過ぎない者が、感情に任せて力を使う。その罪に対し、罰を受けることになる。
「誰かが必死に生きようとする。その意志や願いを奪うことは、神が全能であろうとも、罪なんだよ」。オリジナルに向けた誠の言葉も、タイトル回収もハッとさせられるほど非常に綺麗だが、この言葉は誠にも当て嵌るはず。「そう……お前は、僕だ。」という記述にあるように、誠はオリジナルの罪だけでなく自身の罪も自覚しているのでは。その上で、自身もろとも命を奪うことを、それ以外に方法はないと、"ほたる"を救うことを躊躇わない。言霊の力が、言い方次第で何でもできるような言葉遊びではなく、代償に本質があるように描かれるため、この結末は残酷ながらとても自然に映った。
合わせ鏡の裏側
先ほども、ほたるを騙せば、成立した手段だ。
ほたるを救う、絶好の機会だった。
今を逃せば次はないかもしれない、唯一の、機会かもしれなかった。
でも……。
でも。
『みんなの笑顔と幸せを守ってあげて』
『それがお願い』
みんななのだ。
「頼む、ほたる」
「これは願いだ」
「…………」
ほたるの視線がまた定まらなくなり、宙をさまよう。
だが、彼女は微笑んだ。
「……蛍が、見たいわ」
ED1を見た後に「殺してやる」を選ばない選択肢が追加される。途中まで同じ話をなぞり、礼拝堂の会話も再度出てくる。この会話がオリジナルを含めた”ほたる”の同一視に自然と繋がるため、一度目の会話の時点で既に正しい答えを出すための材料が提示されていたことがわかる。
そして話の差分によって、オリジナルを徐々に理解し、その中に"ほたる"を見つけていく様子が丁寧に、丁寧に描かれる。
蛍が入った和歌は知っているのに、でもあの花園の蛍の美しさを知らない。同じだけど、違う。違うけど、同じ。という記述。だから、蛍の美しさを見せたかったのかもしれないと、暗闇を照らす小さな光を思い出してもらいたかったのかもしれないと、蛍をなぜ持ってきたのか自問する誠。
蛍を逃がしたことで、夏の空気に触れるオリジナル。会話を重ねて少し距離が縮んだのか、ベッドに座ることを許される。ほたるの顔を正面から見るCG。暗いがほたると同じ顔を、悪意だけではない表情を画面に見つけることができる。
「……明日も来るの?」「それと、ケーキ」「アイスとドーナツとピザも」。椅子の用意も含め、帰り際の会話が印象に残る。「おやすみ、ほたる」「……死ね」。『ほたる』と呼ぶ、誠。最後の一言に、わずかな照れを感じたという描写。二人の距離が、ゆっくり変化していく。
きんぴらごぼうをしつこく薦める誠。思案するように眉をひそめるその表情は、僕の知るほたるにそっくりだった、という独白。「……さっきの櫛で、髪を梳いて」「ん? いいけど、そうしたら食べてくれる?」「一口だけよ」「うん」。
『合わせ鏡の裏側』。黒と赤に彩られた暗い鬱々とした画面にも拘らず、この音楽によって、二人の時間が、どこか暖かみのある、とても優しいものに感じられる。
「……ほたる、って呼びなさいよ」「…………」「お弁当箱のほうも食べてね……ほたる」「……気が向いたらね」。もしかして笑ったのだろうか、と誠が気づく描写。段々と移ろってゆく心情が感じられる、何気ないように聞こえるやりとり。こうした描写の繊細さも見所の一つ。あれだけ悪意と怒りに塗れていた二人はもう、見当たらない。
「……いいわ」「あなたの次の言葉は、無条件に受け入れてあげる……そう覚悟してあげる」。弱っていくほたるに、ここが分岐点だと、自覚しながらも言霊をかける。「"君も、確かに、水無月ほたるだ"」「だから僕と、"もっと話をしてほしい"」「"僕は君が好きだ"」。オリジナルの中にも"ほたる"を見つける。"ほたる"と認めるところから、始まる。
無理矢理、性行為に及ぶほたる。
「この痛みが、苦しみが、怒りが、血が……っ、ぐ……わたし、よ……」
「わたしは、ここに、いる!」
「生きてるのよ!」
たくさんの"ほたる"の想いを繋いで、わたしを”ほたる”たちの中に見つけるコピーの『ここにいる』。それとは全く異質の、身体の痛みと苦しみに生の実感を求める『ここに、いる!』。
「う、うううう……!」
「き……っ! きら……あ! ああ!」
『嫌い』という言葉が出そうなたび、僕は彼女を突き上げる。
「あ……う、ぐ……嫌な、人……!」
「でも……っ……でも……」
「……好き」
性行為によって、誠への想いを認める。オリジナルはコピーと違うようで、身体的な感覚が心を動かすところは同じものが描かれる。「こんなの、こんなの、知らない! し、知らない…う、ああああ!?」「いいんだ、ほたる、それで、いい、んだ!」。誠は、彼女を認め続け、呼び続ける。『身体が繋がることで心が繋がる』。繰り返し使われるこの大事な要素は、最も心が離れたところから始まり、行為も無理矢理で優しさが微塵もないオリジナルこそ、むしろ、一番体現しているといえる。
初めての口づけ。彼女から甘い匂いがしていたが、唇を重ねると、それがより匂い立つ、という描写。暗い部屋、 黒と赤に彩られ、キスをする二人のCG。淫らで艶かしく、そこに美しささえ感じられるほど。キスをしながら、残った体液を、拭う。ほたるからは止めどなく溢れてくる。挿入を伴わないのに、作中のどのシーンよりもエロい。拭うのをやめない誠。受け入れるほたる。愛を確かめ合う行為にも、感じられる。
「少し、だけ、眠る……」「いて……そこに、いて」。ピロートーク、なのか、一応。あまりに通常の行為でなかったためそう呼ぶのが憚られるが、そこには確かに優しさがあったと思う。「起こして、ね」「絶対に、起こして」。眠ってしまったら二度と起きられないのではないか、不安に苛まれていることがわかる。
「ねえ、手を繋いで」。柔らかくて、小さい、僕に救いを求める、手のひら。手の記述はここでも印象的に使われる。彼女のか弱さと、体温が低いことによって刻限の迫る命の儚さが表現される。
「……あたたかい」。ほたるが、わずかに微笑みをこぼした。僕は、握る手に、もう少し力を込めてあげる。『ぬくもり』の表現といえばいいだろうか。温度としても、握る行為としても。
ほたるに真剣な頼みがあるという誠。「君の言うコピーと、きちんと話をしてほしい」。
そして話は上で引用した「……蛍が、見たいわ」に繋がっていく。
ああ……夏だわ
いや、彼女がみているのは、僕の頭よりもさらに向こうーー夜空だ。
星の輝く、空を。
「ああ……夏だわ」
彼女は震える腕を、天に伸ばす。
大嫌いな季節と言いながら、なにかを掴もうと必死に手を伸ばす。「死にたくない……死にたくない……もっと……わたしは……」「生きたい!」。このセリフは、病院から出たばかりのコピーが言ってもおかしくないと感じる。夏の夜空に、胸を熱くしながら、手を伸ばす。その、瞬間。絵が描かれるのは作中ここだけ。その表情も、伸ばされた手も非常に映える。
「ああ……土の感触」
素足のオリジナルは、たったそれだけのことに、感極まったような声をもらす。
「どれだけ苦しくても、自分の力で歩きたいの。わたしは」
「ずっと、自分の力で立ち上がりたかった」
「また歩きたかったのよ」
夜空だけではない。素足で歩く土の感触も、オリジナルには格別だったことが、コピーの自分のことだからわかるセリフと、一歩ごとに、命を搾り出し、というテキストも加わって、どれだけ意味のあることなのかが表現される。だから、花園を歩く足のCGはとても印象的。手前の花も、細い足も、スカートの皺に至るまで、線の、陰影の力強さを感じる。
そしてーー辿りついた
二人のほたるが、月灯りと蛍舞う花園で見つめあう、美しいCG。
「あなたが変われば」「あなたが信じれば」「取り戻せる」「だって」「あなたも、わたしなんだもん」。コピーの言葉に、笑顔に、オリジナルが決心し、二人は手を結ぶ。握手が重要な意味をもつかのように、絵で表現される。
誠があずきさんを救う時。
鈴夏が響子と別れる時。
ほたるが背中合わせに誠と話し、さよならを言う時。
愛が雪の中に希を感じた時。
これまでも大事な場面では、重ねた手や、握手の絵が使われてきた。二人の想いが繋がったことの表現だろう。愛のときの言霊のように、きっとそれは"あたたかい"。ただし同時に、決別へ向かう表現でもある。ここでも、変わらない。想いが届いた"あたたかさ"と裏腹に、別れが訪れることを暗示している。
けれどーー
最後の最後にこれまでの『お約束』を裏切ってくる、想定外の素晴らしい展開。
結んだ手を通じて、コピーがオリジナルを導いていく。
「いや、"僕にはできる"」。 だからこそーー僕には"できる"。
不安を遮るように誠が言う『"できる"』は、言霊であって、言霊を超えている。神の立場なら、できるのかと力の当否を自問しそうなものを、人の立場から、答えはない、進まなくてはわからないと考える、意志の現れ、願いそのもの。人としての誠だから、"できる"。そう願う。
人として生きると決めたから。
必ず僕も幸せになると約束したから。
帰る場所ができたから。
僕は願う。
愛する人たちと一緒に生きたい。
だから。
"ほたる"たちが繋いできた想いが、誠に、コピーを同一視させ、オリジナルとも同一視させる。そして、天津罪を超えた答えに辿り着く。
それだけではない。
第一話のほたるとの約束。『みんなの笑顔と幸せを守ってあげて』『それがお願い』。
目の前で光になって消えてしまったほたるの、諦めないで、未来の自分のために今の自分ががんばれば、『きっと願いは叶う』。
神の立場ではなく、人として決断し約束を果たす誠によって、こうした"ほたる"たちの願いが、ついに叶えられる。
この意味で、ED2はED1を超えている。
ヒロインたちと過ごした時間によって、誠の根本に、みんなも自分も犠牲にしない、愛する人たちと一緒に生きたい、という願いが生まれる。これがそのまま、人としての決断と行動につながっていくところも、各話の物語が収束する構成も、ED2を特徴付けている。
2つのほたるエピローグの最後の絵は、青空を見上げる構図は共通で、ほたるだけか、誠もいるかという点が異なる。「あなたは、今、何色ですか?」 この問いかけにも、ED2は誠が答えてくれる。夏の夜を気持ちいいと言い、オリジナルを連れ出すときの「外の世界は夏なのだ。」という独白。彼にとっても、前向きな、生の実感を現すものなのだろう。ED2だけでいえば、昼間に直接見上げるそれは、加えて、生きているからこそ感じられる目の前に広がるこれからの可能性そのもの、という意味でもあると思う。
序盤の一言が伏線になっていたことも驚かされた。さりげない張り方も、大筋が解決した後にほろっと救いを与える使い方も、流石すぎる。
どなたかが感想で書かれていたが、ご都合主義ともとられそうな流れを、気持ちや想いも絡めて説得力をもって書くのが巧すぎると思う。
総評
絵の力。言葉に魅了される本作だが、瞳、手、足に焦点を当てる表現など、そこに一番の強みがあるように感じてしまう。
OPや作中の『水の表現』は目を見張るものがあった。彼岸と繋がっていると語られる点も、OPの水に浮かぶ四人のヒロインの姿に意味が足されていると感じる。
言及していない一枚絵のうち、愛√の教室を雪で染める幻想的な一枚、選択肢のところの湖に立つ姿、個別に入った後の、初めて見る花火に左手の指輪をかざす、最後の喫茶折り紙で本を読む、そのどれもがとりわけ美しかった。
立ち絵の表情や仕草も魅力的。特に愛の立ち絵は、姿勢や手先、指の描き方に艶っぽさや色気が宿っていたように思う。差分も豊富な上に、一つ一つの表情が一定のパターンの中から選ばれているにも拘わらず、場面にハマっていると感じることが非常に多かった。それだけ発露の瞬間を捉えられていたからではないか。
演出も丁寧で、日常会話から盛り上がるところまで、コロコロと表情も姿勢も変化し、読み手を飽きさせない。ほたる√後半のムービーも鳥肌モノだったが、絵の見せ方、適度に間を入れる場面の切り替え方など、細かいところも自然で引き込まれるものになっていたと思う。
ほたるとの結婚式のシーンも、ウェディングドレス姿の美しさだけでなく、二人の絵の見せ方も上手く、終始くぎ付けだった。ED1のラストの花園でのほたるも、ED2の花園での二人も、もはや言葉にならないほどただただ素晴らしかった。
キャラに被せたセリフ表示も、実際に喋っているように感じられ、表情に目が行きやすく視線誘導としても成功していたと思う。
BGMのタイトルも、込められている意味を考えるのが楽しい。
ほたるのテーマ曲に「合わせ鏡」があるのは、無限に続く鏡像がコピーのようだし、『合わせ鏡の裏側』もコピーに対するオリジナルの立ち位置のよう。『明日への期待』なんて、次に想いを繋ぐ、ほたるの心情そのものだと思う。
光の表現。水の表現。
優れたテキストによって。言葉の一つ一つが意味を、深みを持つ。
夏という季節の見せ方、性行為の物語での絡め方、理屈ではなく実感がヒロインの内面を変化させる描き方は、特に秀逸だった。命や死を扱いながら、生の表現が際立つその描き方も、高く評価したい。
良質なシナリオが作る世界に、絵の力でグイっと引き込む。声優の演技、音楽、演出でさらに引き立てる。
ビジュアルノベルの最高の形の一つ、と言っていいのではないかと思う。