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latteさんの君が望む永遠 ~Latest Edition~の長文感想

ユーザー
latte
ゲーム
君が望む永遠 ~Latest Edition~
ブランド
âge(age)
得点
98
参照数
65

一言コメント

三角関係やドロドロとした生々しさは題材の一部の要素に過ぎず、本来揃って並ぶはずのない選択を前に、主人公と登場人物たちの苦悩と葛藤が丁寧に、徹底して描かれる。そうした状況から前へ進むことがてきるのか、できるとしたらそれは何によってか、という点こそ重要で、答えに辿り着くことで、感動と、どうしようもない傷みと、そして、やさしさを教えてくれる。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

名作。クリックが、重い……。執拗なまでの対比、夏であることの生かし方、とことん悩まされる選択肢、秀逸なテキスト。遙をはじめ声の演技も抜群で、特に茜の演技は神がかっている。ルート間のバラツキなど欠点もあるが、メインでは選択肢による差分の作り方が巧くノベルゲームならではのゲーム性を楽しめた。構成から細部に至るまでその作りこみは素晴らしく、物語に引き摺り込む力も圧倒的で、眺め倒し、聴き倒し、読み倒したい、という欲求に応えてくれる作品。



選択肢によって生じるテキストの差分が丁寧に作られている。例えば主人公の独白が増えて気持ちに変化が生じたことがわかったり、大事な場面でのヒロインのセリフが増えて隠されていたその心情が表現されるため、どの選択肢を選んだか、どちらのヒロインに沿った差分を読んだかによってプレイヤーごとに異なる物語体験を得られるのではないかと思う。
この特徴を最大限生かすためにも、初見は攻略を見ずに進めることが推奨される。そして、一つEDを見た後に差分を読んでいくことで、あの場面のこのヒロインの心情はこうだったのかと発見することになり、物語の細かい部分が明かされ登場人物の真意に迫っていく、そういった遊び方ができるのではないかと思うし、実際自分はそうした体験ができた。無印が発売された頃(2001年頃)のゲームがみなそうだったのかは自分にはわからないが、少なくとも自分がやってきたゲームにはあまりなかったノベルゲームならではの利点として巧く活用されていた。


Latest Editionでは演出を強化したと公式の紹介あるとおり、立ち絵の動きはこだわりがみられる。第一章のお祭りに向かう駅のシーンでは、孝之と話している遙ではなく後ろの二人の立ち絵が動いて会話している雰囲気を出すなど、細かい。
また、特に第三章で顕著であるが、とにかく同じ画のまま進むことがなく、数クリックで画面が変わるように工夫されている。絵についていうと、顔のアップを多用する点は慣れが必要かもしれない。ただし、涙の差分が丁寧に作られていて、場面によってはそこに感動させられてしまったことも事実なので、自分としては肯定的。

音のこだわりも半端ではない。電話が切れる、ツーツーという音、靴音、ドアが閉まる、蝉、ひぐらし、雨、波、自販機の缶ジュースが落ちる音、エアコンのスイッチ、アルバムのページをめくる、電話が切れた裏で隣の部屋の着信音が聞こえるなどなど、あまりにリアルで何度も驚かされた。
BGMは、もはや物語とよく合っているなんてレベルではなく、切り離せないくらい作品と一体化している。悲しいところも切ないところも重苦しいところも、音楽が流れた瞬間に引き込まれる。ごくごく自然に。当然のごとくピアノやギターの音の質もよく、とてもきれい。
要所ではわざとBGMがなくなり、無音になって緊張感を高めたり、波の音だけになったりと工夫がこらされる。これが場面に対して本当に効果的なものになっている。


第一章はこの長い物語の序章として本当によくできていて、遙と付き合うまでの過程と付き合ってから仲を深めていく様子が、丁寧に丁寧に描かれている。
時折覗く水月の感情を隠すような素振りは、否応なしに三角関係が拗れていくであろうことを期待させるし、プールで時間が経つにつれ暗くなる演出とともに二人が語り合ったり、夏であること、それも単に輝かしい生き生きした季節というよりも、夏の夕暮れや夜の情緒を生かし背景の美しさと組み合わさることでさらに魅力を増している。水月がもらった指輪を左手の薬指に嵌めて眺めるあのCGは、そのなんともいえない表情が、このキャラが内に抱えるものをどんなテキストで語るよりも雄弁に語ってくれる。
水月が髪を切らない理由、友情と恋愛、孝之が一人暮らしなのに部屋で遙と過ごすシーンが(第一章では)出てこない、デートの場面が多く屋外のシーンが多い、後の展開との対比になる要素がたくさんある。

遙がなぜ孝之を好きになったのか、その理由が明確に描かれることはない。
それでも水月のセリフをとおして、彼女が孝之との付き合いを通じてそう感じたように、遙が孝之の魅力をずっと前から見つけていたことが語られる。
彼の魅力は、このセリフの直前に起こった制服の事件と孝之が水月を気遣う振る舞いが示唆されることによって、プレイヤーへ提示される。これと、プールでの対話にみられるような、祭りの約束を無視してでも友人のために時間を使い、時には相手に内面に踏み込んで寄り添おうとする姿勢は、作中いいところがほとんどない(ように描かれる)彼の見せ場である。格好いい主人公にはほど遠いが、いざというときには期待できるというこの魅力の描き方が上手く、第二章でその優しさゆえに身動きが取れなくなったときに感じる苛立ちやもどかしさも、苦悩を乗り越えて行動に移す彼から感じる成長も、ここの表現があったからこそだと思う。


その後の話はとにかく、重く苦しい。
第一章の明るく楽しい雰囲気からそのラストで一転し、雷雨とともに官能的なテキストで幕を上げる第二章の冒頭。(ここは本当に秀逸だと思う。)
親友だった水月はベッドの上でもう事故は過去のもので触れたくないと話し、遙の父親はいまの自分の人生を大事にしろと言い、唯一遙に寄り添おうとする茜に対しては孝之も(家族ならずっと寄り添えるもののそれすらも叶わない)自分の思いはわからないと切って捨てる。3年間経ったことを認識できない遙を囲んで皆で演技する。誰も事実は伝えられない。
このひどい気持ち悪さこそ、本作を際立せている。さらに最悪なことに、こうした現実になってしまったことについて、どうしようもなかった理由があることも語られる。

この気持ち悪さを抱えながらプレイヤーは問われるーー何も知らない3年前そのものの遙にキスできるのか。この悪魔のような、作り手の底意地の悪さが詰まったかのような、この作品をこの作品たらしめる要素が凝縮されたような選択肢。
あれだけ第一章で魅力的に描かれているのに、むしろ魅力的だったからこそ、いまは別の彼女がいるから浮気になるとか、その彼女がよりにもよって親友である水月だといった罪悪感だけではきっとなくて、もはや心は離れてしまっているのに演技としてそこまでやるのか、目の前にいる遙に変わってしまった孝之がそういう行為をすることが本当にいいのか、そうしたことを問われているような気持にさせられる。
それは遙に対する哀れみなのか、哀れむこと自体がかつて大切だった人への裏切りであるかのような気がして、ここはどうしてもキスをする理由が見つけられなかった。


信頼できない語り手といっていいのか、作中で語られる情報を鵜呑みにできないように感じた。
孝之は第二章序盤こそ事故のショックから立ち直ってまともに思えるが、悩みに悩みまくるうえに、周りの状況や相手の気持ちに気が付かない場面も多い。後半で自身の口から(事故の影響で周りの人と距離ができていった結果として)友人が少ないと語られるとおり、水月や慎二の認識に影響され過ぎているように見える。遙の父親の自分の人生を大切にしてほしいという発言も、自分と家族のための発言であることが語られる。親友ポジの慎二も、客観的な発言をしてくれていると思い込みながら読んでいたが、特定ルート終盤でヒロインの一人に特別な思いを抱いていたことが明かされる。
このように、孝之の主観を通して語られる物語は、第二章の最初こそ「現実」として描かれるものの、その実、孝之の認識を支える登場人物の発言に私情が入っていることで、必ずしも正しいと言い切れない。

この点が巧みだったと思う。冒頭述べた通りプレイヤーによって体験が異なると思うので、ここは全く共感してもらえないかもしれない。
初見で水月寄りの選択肢で進めると、孝之の「現実」がそのまま真実になっていくように見えたが、水月√を終えた後に遙寄りの選択肢を選んでいくと、差分として、孝之の内面に遙に関する気持ちが表れ「現実」と拮抗するように描かれていた。特に、文脈から遙に寄り添う行動はおかしいのではと感じられる選択肢も、むしろ行動させることによって孝之の内面に変化が現れていたことが印象的だった。
それは、ヒロインを攻略しているようで、まるで孝之の閉じた心を攻略し導いていくように感じた。プレイヤーの選択が直ちに物語に反映されるのではなく、孝之の行動も変わらず、内面も少しずつしか変化しない。それでも積み重なった選択はいつしか孝之を変え、運命を変え、選ばれたヒロインとの結末に至る。これが話の流れを損なうことなく物語体験を質の高いものにする、という意味で成功していたように思う。よく言われている選択肢の通り動かない主人公というコメントも、本作ではむしろ必要な要素だったのではないかと感じる。

声優の演技がすばらしく、水月こそ一部では演技というより音量調整が少しおかしいように感じられるところがあったものの、そういったところを除けばしっかり引きこんでくれる。
遙は、第一章、認識能力が欠けている少し幼い感じ、回復して元に戻った後の演じ分けや、特徴的な笑い方だったり、キャラを立たせるのが自然で上手い。ここぞという時の感情の絶妙な乗せ方は感動を何倍にもしてくれる。強い感情が籠った演技は、叫んだり声を荒げることがないからこそ、一際、映える。
さらに特筆すべきは茜で、第一章の少し幼い部分と第二章の孝之に厳しく接する部分とのギャップ、冷たい態度の裏にある感情の表現、怒りにしろ悲しみにしろ感情を声のトーンや音量に乗せることが非常に上手く、脳内で想像する声を軽く超えてくれる。第二章の、感情がこもったときの声量を抑えた演技があまりに秀逸で、茜のそうした感情が見えるのが大体大事な場面であることもあって、ぐっと心に響き、打たれてしまう。
これは、例えば孝之と二人でお見舞いの花を買うシーンが分かりやすい。

「……めんなさい……」
「……ごめんなさい」
「……何かをしようって気持ちを…………ううん、そうですよね、虫がいいですよね……」

それまで孝之にあれだけ反抗していた茜が初めて理解を示す、それも態度を改めるのは自分に都合が良すぎると言って、ぐっと堪えながら、思いの丈を零していく。作中テキストでも示されるように、ただお見舞いに花を買っていく、それだけのことがこれほど難しくて、そして意味があることなのか、この花がもたらすその後の劇的な展開も相まって非常に印象に残る場面だが、ここ単体でも感極まってしまうくらい演技が神がかっていたと思う。
茜√は、彼女の思いが作中でも特に複雑な事から、こんな名演技のオンパレードになっている。


テキストの使い方、特にテキストでしかできない表現にも触れないわけにはいかない。立ち絵の動きや表情差分、そして音で表現している部分も多いが、視覚や聴覚に頼るだけではなくテキストでも丁寧に綴っている。(同メーカーの作品であるマブラヴと比較するとわかりやすい。)アニメや映画のように映像や音といった瞬間的に流れてしまうものではなく、テキストを読む行為によって言動の一つ一つに時間をおくことができ、視覚聴覚からきた刺激と一体として受け取ることができる点は、どんなノベルゲームにとっても利点になりうるものではあるが、重苦しい雰囲気と、静かであること、(動的と反対の意味で)静的であることに凄みを感じる本作において特に生きていたと思う。

なお、テキストの表示スピードを最大にしなければ、読点や「…」も一つ一つに時間をかけて表示してくれる。表示スピードなんて読む人にとって最適なものにすればいい、と言われればそれまでだが、大事な場面ではテンポを落とし、テキストをゆっくり味わうことに意味があるように感じられる、そういった作品だと思う。

前置きが長くなったが、絵や音にこだわっているからこそ、単純な視覚や聴覚への刺激では表現できないもの、読み手の想像力に訴えるような、言葉や記述だからこそできる表現もまた魅力的で、作中の、特に重要な場面において著しかったと思う。(映像表現ではできないと言うつもりはなく、媒体によって表現の仕方はもちろんあるとは思う。それでも文章表現には固有の魅力があるということは言えるはず。)

例えば、病室の遙の、「手のひらから木の枝みたいに伸びた5本の指は、とてもじゃないけど、女の子の手には見えない。」という記述は、月日の経過、主観的にみえる可愛らしい立ち絵との差異によって、魅入ってしまう不気味さがある。


なかでも異彩を放っているのが、遙が病室で3年経ったことに気が付く場面。
写真と雑誌と二人を見比べる様は、画面を覆う極度の緊張の中で時間感覚が失われたかのような記述と、瞳の動きまで詳細に観察していながら遙が何度確認しているのかわからなくなるといった認識に矛盾を孕んだ記述によって、その異常性が表現される。

 「だれ?」そう言った遙の言葉には、抑揚も感情もなく、それは赤の他人に向けられたものですらない。
 まるで、オレたちをこの世の者ではないかのような……まるで人間ではない、宇宙人か何かと言わんばかりの……恐れの言葉とすら受け取れた。

不意に3年が経った事実を突きつけられ、姿も人間関係も変わってしまったことを理解していくその恐怖は、言葉と記述によって、痛々しいまでに表現されてしまっている。

遙が向けた顔に宿る絶望も、涙に濡れた瞳が訴えるものも、床に落ちた花びらも、その色が仄めかすものも、色彩的でなくてもあってもすべてテキストによって表現され、それらは、作中のどんな画面効果を使った場面よりも劇的である。画面に映る絵はほんの数分前とさして変わらない。変わらないからこそ、言葉と記述によって描かれる異常な状況が際立っている。

 その瞳は、じっとオレの方を見ていたけれど、もう何も見えていなかったと思う。
 どんなに視線を追いかけても、遙と合うことは……なかったから。

3年経ってしまったこと、さらに水月との関係を答えた後の、最後の瞬間を一層悲劇的なものにするこの記述は、映像的でありながら単なる映像描写にとどまらない。それは、絶望と悲しみを表すのにあまりに的確で、そして、その深さがどれほどのものか読み手に委ねられているという点において、語り尽くせないほど雄弁でもある。

花の色がもたらすイメージも、続く記述によって、過去にも遙の全てを奪ったこと、3年前の事故を想起させるものになっている。それでも、テキストから伝わる衝撃こそ十分大きいからか、過去のCGが表示されることはない。


話の重苦しさと、絵や音、そしてテキストの一文一文が持つ緊張感は、読み手のクリックの重さにつながっている。
こんなにもその重みを感じた作品は初めてかもしれない。選択肢を前にして悩んでしまうのはもはや当然で、それ以外でも、特に大事な場面において、何度も手が止まり、息を呑み、話を反芻しながら進めることになった。単に話を進めるのが辛いという感情もあったし、気が滅入る展開も多くとにかくエネルギーが必要で、それでいて物語にどっぷり浸かっていしまい離れられなかった。

例えば、病室で倒れた孝之が意識を取り戻した場面では、独白の背景となる、窓から見える夏の夕暮れの絵や音による表現が素晴らしく魅入ってしまう一方で、遙がどうなったかは知らない方がいいという水月のセリフが最悪の展開を予想させるため、ノベルゲームをやってるだけなのに心臓が痛くなりながら進めるはめになった。
ホラー要素でも何でもないのに、先が読めないことの恐怖、物語がどこまでも際限なく酷い展開になっていくのではという恐怖が凄まじかったことを覚えている。


時間という要素が、直接的に、間接的に、丁寧に扱われている。第一章から日付が明示されることで、一日一日の日常を過ごしていることも、日にちが空いて時間の経過を示すことで関係が深まっていることも、そして、『あの日』が作中で特別な意味を持つことも表現される。
日付感覚がリアルだからこそ、3年という時間の経過が重みをもって感じられる。
加えて、病室の遙が認識能力を取り戻すことで、いつ事実が明るみに出てしまうのかというカウントダウン要素も、読み手を引き付ける。

第二章はマンション、病室、バイト先の往復になり、背景が限定され単調であり閉塞的。孝之の内面の表現とも、3年経ったことによる学生から社会人への変化とも、とることができる。
そして、ここから一歩を踏み出そうとする海辺や丘のシーンを鮮やかなものにしている。


どちらかのヒロインを選ぶことで、もう一人との別れが描かれる。この描き方も強烈で、感情を本気でぶつけてくる。それも泣き叫ぶといった安直な形ではなく、もっとずっとその内面が感じられるような描き方がなされる。
ただし、逆にいうとヒロインが主人公に感情をぶつける場面は思ったより少ない。主人公の、登場人物たちの、3年間で変わってしまったことに対する苦悩や葛藤こそ作中で時間をかけて描かれていて、これによって作品のもつ空気感が決まり、物語が進んでいたように思う。

三角関係が中心にあることも、ドロドロしていることも否定しないが、そうした言葉がもつものとはかなり異なる印象を受けた。
むしろそこにあるのは、苦悩や葛藤を乗り越えることができるのか、選択を通して、蓋をし続けてきた3年前と、自分を取り戻そうとしてきた2年間と、再度向き合ってどういう答えを出すのか、といった主人公とヒロインの成長であって、その一歩を踏み出せるのであればそれは何によってか、という点こそが重要なのだと思う。




以下はそれぞれの√やキャラの感想です。
※これまで以上のネタバレを含みます。


水月√

遙と病室で会う度に会話する度に、水月を抱く。
征服欲、支配欲を剥き出しにした孝之の要求を受け入れることで、ときには水月が自ら誘い積極的に溺れることで、不安を紛らわせようとする。一時であっても現実を忘れ、お互いに依存しあい、二人だけの世界の閉じこもる。

この生々しさ。男女の書き方の一つとしてひどく、それこそ顔を背けたくなるほど成功している。それは、舌を絡めることを知らないキスしかできない病室の遙との対比と、そのキスから孝之が遙の心が痛いくらいに伝わる、という記述があることによって一層引き立つ。

水月の弱さと繊細さ。
第一章の水月と遙の初登場CGの構図による対比、そこにあった孝之が出会ったばかりの頃の印象は完全に逆転する。
二人の髪の長さも逆転したのに、認識能力が戻らない無垢な遙との対比も、時間感覚を取り戻し前を向こうとする遙の強さとの対比も、どこまでも水月を追い詰めているようで、孝之の隣を手に入れていながら不安に苛まれ、2年間で取り戻したはずの「現実」にはどこか後ろめたさが漂い、前に進むことができない。

「なんでよっ! 最初はそうだって……言ったじゃない! 付き合い始めた時からそうしようって約束だったじゃない!」

遙の孝之を見る目が、その目に宿る純粋すぎる思いが怖い、と言う水月。そこに映っていたのは、二人の「現実」が2年間が否定される恐怖、だろうか。
二人の遙へのけじめにあたる『約束』をしたことも、遙に報告して罰を受けることなしには到底許されないようなことをしている自覚があったようにも、でもそうするほかはなく当事者としての現実に耐えられなかったようにも、遙が目覚めないことを無意識のうちに前提としつつも、罪から逃れたい、ただの慰めに過ぎない、そこに縋るようなものにも、感じられた。


「何が3年よっ! 何が目覚めて良かったよっっ!! こんなんじゃ嬉しくなんかない!」
「何で……何で……なんでこうなっちゃたの!! 私が何したっていうのよぉぉ……」

病室で一人、動かなくなった足に対して、こんな身体では傍にいて欲しいなんて言えない、と嘆く遙。ここまで直接的に、克明に描写するのはこの√のこの場面だけ。
ここの苦悩や葛藤が√終盤を重くするという意味でも、この√内では解決されないという意味でも、とても重要な場面。そして、遙√の海辺のシーンと孝之の告白に返すセリフを、より一層深いものにしてくれる。

「同情なんて……そんなもの要らないわ! 孝之君もいなくなって、同情されてっっ! 目覚めた途端にそんな思いをするくらいなら、いっそ死ねば良かった…………!?」
「!?」
 水月の手が思いっきり遙の頬を殴っていた。

答えを出した孝之が水月と病室を訪れたこの場面は、本音をぶちまけ、殴り返そうとする遙の強い意志が目立つが、むしろ叫びたいくらい悲痛なのは殴った水月の方だろう。
この3年間が、二人の2年間が、時間の残酷さが、凝縮されたようなシーン。
遙と水月の思いが交錯し、思わず手がでるほど強い気持ちをぶつけあうそれは、決裂しているようにみえて真逆の、お互いを心の底まで理解してほしいという訴えに満ちている。

続く丘での告白は、遙の思いをぶつられてなお水月が孝之を選び、孝之の側にいるために吐いた嘘を謝ることで、2年間を肯定し、前へと踏み出す。
水月こそがその場に立ちたかったであろう第一章の遙の告白をなぞることで、画としても対比としても内容としても十分すぎるほどであって、この√では孝之が水月を選択する理由もすでに描かれていたものの、ここの水月によって二人の時間が動き出したと感じられる。


そして、さよならをする、海辺のシーン。
遙の気持ちがわかるから3年前に戻りたいと水月が言ったように、いまなら水月のことがわかると言う遙。病室でぶつかりあったことの答え合わせのように、お互いに思いを馳せている。

過去から前へ進むため水月との『約束』を果たそうとする孝之に対して、「その顔は……優しかった。」という記述。
水月への思いはもちろんのこと、リハビリに耐え一人病室で嘆くのに、表向きそれは隠し現実を受け入れる、自分から孝之と別れるその強さが、ここの優しかったという記述に詰まっているように感じてしまう。

「それはそうだよね……この3年の間に、孝之君は私の知らない時間を過ごしてきたんだもの……」
「色んなことで笑ったり、怒ったり…………泣いたり……」
「私が好きで追いかけていたのは3年前の鳴海君……そんな人は、もうどこにもいないんだよね」

時間の残酷さを象徴するようなセリフ。
遙にしかできないセリフ。
嘆き、悲しみ、諦め、そのどれとも違って、そしてすべてが込められているような、セリフ。

付き合って下の名前で呼ぶようになった期間よりもずっと長い時間、遙の中では『鳴海君』だったことに思い当たる。


夜に一人で自身の運命を嘆く姿を、水月にぶつける本音を見てきたからなのか。
この√では、3年前の、水月の制服を隠し、プールでの対話に付き合う、いざというときに相手に寄り添い行動できる孝之はもういなくなってしまったんだな、という思いが強かった。
水月を選ぶ選択も、2年間を前に進めることも、決して悪いこととは言えないはずのなのに、自ら別れようとする遙の強さに感動だけしていればいいはずなのに、ご都合主義でも何でもいいから、この状況を、遙を何とかしてくれる奇跡やヒーローの登場を、願わずにはいられなかった。


『マヤウルのおくりもの』を出して孝之を、世界で一番やさしい人にしてお別れしようとする遙。これが最後だ、と一瞬思い出がよぎる孝之。時間の残酷さ、変わってしまった二人、本当のさよなら=もう戻れないことが意識にあるからこそ、最後の瞬間に至る二人の描き方があまりにグッときてしまい、強く、強く感動した場面。

絵本の内容を借りて表現される、さよならを言うことができる「やさしさ」。同じように感じられてしまう、上に書いた遙の顔にみる「優しさ」。
その内側にある強さも、2つを重ねて考えてしまうところも、本作の魅力が溢れていると思う。

EDと絵本『ほんとうのたからもの』。
水月と遙がお互いを思うことが描かれていたからこその、涙腺に効果抜群の、温かい終わり方だった。



サブヒロイン、大空寺√

感動的な蛍ED、その前哨戦(?)のような文緒ED、水月や遙との別れ方がひどい玉野まゆED、水月との別れ際が比較的スッキリしている穂村愛美TRUE、狂気の描き方が限界突破している穂村愛美ED。
いずれも三角関係に第三者が関わることで展開していく構成ではあるものの、遙√や水月√と並ぶような、新たな解釈を与えるようなエピソードはなかったように思う。

ただし、大空寺√は例外。遙√とも水月√とも異なる、拗れてしまった関係への別角度からの答えを与えている。

まず重要なのは観覧車のシーン。まゆまゆと比べて、自分は理由もなく好きになっているため負けているのでは、と自分の気持ちがわからないことに涙する大空寺。「誰かを好きになるのに…………理由なんていらないだろ」と返す孝之。
そうして孝之の中に、自分も最初はそうだったのに、いつのまにか理由や責任に縛られている、という考えが生まれてくる。

「……私はパンを焼いてあげました」
「だから、あなたも私にパンを焼いてください」

雨に打たれる大空寺の魅力的なカットと、孝之の部屋で水月に向けられる、この痺れるセリフ。この√の水月は孝之に求めすぎなようにあえて描かれていると感じるものの、それでもあまりに痛快な一幕だった。
「誰かを好きになるのに、理由なんていらないだろ……」と孝之の言葉をとどめとばかりに投げつけるところも、水月が去った後の、謝ったほうがいいのかと孝之と交わすやりとりも、大空寺の魅力がこれでもかと溢れている。

「それとゴミ同然の絵本と、写真は燃えるゴミに出しといたわよ」

人によっては不快感を覚えそうな、このインパクト抜群のセリフ。立ち止まっていたものを無理矢理動かす、大空寺にしかできない荒業。なかなかの所業なのだが、その言動がいちいち本質をついているからこそ、不思議と許せるというか、ここまで上手くキャラを描いた作り手の勝利なのだろう。
流石ツンデレのはしり(?)というべきか、孝之の部屋で二人が夜に交わす会話は、大空寺の繊細な部分が出ていてどれも必見の出来。


この√があったことで、水月√における、理屈で自身の選択を納得しようとする孝之への皮肉を感じずにはいられなかった。
モトコ先生の、遙に必要なのは同情ではなく現実を見せることだ、という言葉をきっかけに、遙が表向き諦めてくれたことを理由にして水月を選択する流れも、その後の茜を理屈で説得するところも、言い訳めいていて、遙に傾いていた初見時の自分には到底納得いかないものだったから、なおさら、理由や責任に囚われることへの否定が鮮やかに映った。

『マヤウルのおくりもの』を探すシーンでその片鱗は見えていたはずだったのに、鬱展開の休憩所たるファミレスのギャグ担当くらいにしか見ていなかったキャラが、まさか個別でここまで化けるとは。

ちなみにEDは、ある意味この二人らしい、冗談みたいな終わり方で締めてくれる。



遙√

大空寺√をやっていたからか、選択をする度に遙への気持ちが解放されていく内面の様子が、理屈ではなくて理由や責任とはまた別のところで心が動いていく様子が、印象的。

「夜空に星が瞬くように……」

病室で指を絡める選択をすると見ることができる、『おまじない』。
二人が変わってしまったことが、一人だけ変わったことに気づいていないことが、その声も話し方も3年前と変わっていないことが、ただただ哀しく、いとも容易く涙腺を崩壊させてくれる。
孝之が、自分にはその資格があるのかと自問してしまう哀しさ。その純粋過ぎる内容は、もはや呪いや枷のようにすらみえてしまう。

このシーンは、白背景にセリフを重ねるだけの演出のほか、第1章の場面を絵をつけて振り返る差分があって、作中でも大切に扱われていることがわかる。

ここに限らず、病室のシーンは二人にとって濃い内容が描かれながら、遙が認識能力を取り戻すと記憶には残らない。
少しフィクションとして作りすぎている感があるが、それでも孝之の内面はたしかに変わっていく。この半月がなかったら、キスもおまじないもなく3年前の思いは戻らなかったかもしれない。

まさに、奇跡のような時間だったと思う。


車椅子で海岸に連れていく場面。
蝉の声が鳴る中、暗転し、海に近づくにつれて聞こえる波の音。視界がぱっと開け、鮮やかな太陽と雲を見上げ、そこから画面が降りていき到着する。病室の窓からの景色が世界のすべてに見えていたことからの、解放感。

それでも目の前に広がるのは、風が涼しいというには少し冷たいくらいの、病院のすぐ傍で、静かな、ほかに誰もいない海岸。夏の海というには、寂しい。これまでずっと画面を覆っていた緊迫感は消えてしまい、どこか重しを失ったようにもみえる。
あと1時間もすれば空が赤くなる、という時間帯の中途半端さ。告白=夕暮れというくらい背景に意味を持たせている本作の中でも、特異な場面。

「3年って、短いんだか長いんだか……わからないね」

じっと水平線を見つめて、まるで独り言のように、3年という時間について語る遙。
少し寂しい夏の海、足跡が波によって、2回3回と覆われ消されるという描写、BGMが消えて波の音だけになる演出。
それらは絶妙としか言いようのない重なり方で、しかも要素が積み重なって増幅するような方向ではなく、むしろ余計なものがないからこそ無性によいと感じられる。

時間によって人の気持ちは移ろっていく、そんなことを思わせるように、遙の語り単体でも惹きつけられるのに、ここに孝之の3年前への思いも織り重なることで、この場面は複層的な魅力をもつ。

遙の横顔に、風が長い髪を流して見えた耳と首筋に、それが髪が短かった頃を思わせたのか、不意に3年前の自分の気持ちが蘇る孝之。

「ふたりで会うのは良くないって言うか……いくら友達でも、私たちは……」

水月のために距離を置こうと、じっと前を見て語る遙。孝之はその横顔しか見えない。二人がすれ違っているようで、でもそうではないことを、遙の瞳に、溢れるぐらい溜まった涙に見つける。
どこか寂しい夏の海だからこそ、堪えていた姿が映える、この描き方。

孝之が抱き寄せてキスしたタイミングが遙の涙に気が付く前であること、理屈も理由もなく感情がつき動かしていること、そして、動いた後に自分の気持ちをハッキリと自覚する描写。
同じように遙に見たものがきっかけでも、その踏み出す一歩の描き方は、水月√と対照的。


病室へ戻り、想いを交わす二人。
3年前には一度も言えなかった遙への「……愛してる」。
この3年間についての孝之の正直な告白。
ここまで溜めたものが決壊するように、抑えていた二人の感情がストレートに表現される。

「それはそうだよねって……変に納得した自分と、やっぱりひとりぼっちかって悲しんでる自分がいて……夜も眠れなくて……」
「ホントは私も……孝之君とずっと一緒にいたかった……いたかったんだからああっ!! うわあああ……」

孝之と距離を置かなければと、表向きは強さを見せていた遙の、本音。
ある日突然すべてが変わってしまい、でも時間を戻すことはできない、それを納得するしかない、そうしたものへの感情に溢れている。

遙のここの泣き声の演技は、言葉では絶対に表現できないものがあって、聴き手に響く。


「オレだって……オレだって……この日をどんなに待ったか……やっぱりオレは……待ってたんだよ……この日を待ってた……」

3年間待たなかった、水月を愛した、と正直に告白しておいて、やっぱり待ってた、というこのセリフ。

この「やっぱり」が。

待ちたくても待つことが叶わなかった「この日を待ってた」が。

言葉尻だけ捕まえれば矛盾も甚だしいこの伝え方が、一度は諦めてしまったこと、無力感、後悔から、2年間蓋をしてきた想いを、ようやく、ようやく解放してくれる。

遙の瞳から、涙が零れる演出。このとんでもなく堪らない演出を、ちょうどこのセリフのあと、ここ以外あり得ないタイミングで入れてくる。
二人は終始泣きっぱなしだろうに、それでも頬を流れる瞬間が胸にくる。


話はしかし、ここで終わらない。
孝之の抱える問題は、告白できるかどうかだけではなくて、三人の関係に決着をつけなければならない。
そのため、ここからが本番とばかりに、まさかの親友による寝取られ、自分は汚れているといいボロボロになる水月、抱いてしまう孝之が描かれる。目の前の水月がひどい状況なのは分かるが、この流れは流石に擁護できない……。三角関係ものは、まるでそうしたルールでもあるかのように、嫌なタイミングでエロシーンを入れて心底気持ち悪くさせてくれる。

茜と水月の対峙、狂っていく水月の描写、そしてシャワーとともに聞こえる泣き声から、水月が本当は苦しんでいることを悟る孝之。水月の髪に触れ、頭を撫でながら、寝息が聞こえるまで黙って側にいる。

もう元の二人には戻れないことに自覚的なのに、それでも踏み出すことができない。

「全部オレが悪い!! でも……それだけを言い続けていたら……もう……心がもたない……助けてくれよ」
「助けてくれよ……誰か……どうすれば取り戻せるのか……教えてくれよ……」
「どうすれば、遙と水月が泣かずに済むのか……教えてくれよ……」

優柔不断とか、誰かを傷つけるのが怖いとか、そうした段階はとっくに過ぎていて、袋小路のような出口のない感情に、どちらのことも思う自身の正直な感情に、ただただ振り回されているようにもみえる。
そして、そうした自分を無限に責め続けている。

第一章の良かったところがとことん裏目に出たような、この孝之というキャラの本質にも感じられる。


この病院の屋上で叫ぶ場面は、プレイ中、まだ悩むのかとウンザリする気持ちも正直あった。

でも、だからなのかもしれない。

次の、作り手が一番描きたかっであろうシーンは、本作の中で最も感動させられ、心の奥底まで動かされたような、記憶に残る、最も印象深いものになった。




「孝之君が生きてきたこの3年間は……孝之君に何を教えてくれましたか?」




どうしてこんなセリフが書けるのか……。
よりにもよって疑問形で、問いかける形で。

この言葉が、この流れで、この場面で出てくるとは……。

でも、言われてみればこのセリフは自然で、これしかありえないように思える。

作品によって立ち上がらせようとしている『形』に、あまりにハマっている。ハマり過ぎている。

もちろんそれは、読み手の素朴すぎる誤謬、作り手からすれば、描きたいもの、場面やセリフ、記述こそが先にあって、そのために設定や舞台が用意された結果ということかもしれない。

本来目の前に並ぶことのない、3年前の恋人と、2年間で積み上げた「現実」の恋人。
優しすぎるが故に、どちらの思いも受け止めて過ぎてしまい、自分を責め続ける主人公。
ヒロインにはない、主人公が生きてきた『3年間』という時間。

すべての設定はこのため、遙の芯のあるキャラも、弱音にみえる人間らしさも、第一章での描き方も、水月√の描き方も、このためなのかもしれないし、そう言われた方がずっと納得がいく。

水月√の、水月の3年前からの純粋な想い。
大空寺√の、理由や責任に囚われた選択の否定。

これらとは全く異なる、遙による、孝之の3年間の、すべてを受け入れようとする肯定。
それこそが二人の時間を進めてくれる。


上の問いかけに対する答えは、二人の行為シーンを含め、孝之の独白によって丁寧に描かれる。

そこでは、
「手放したものの数だけ、オレは君を包み込める……オレは君を知ることができる。」という記述や、
「でも遙だろう? ……オレに、オマエが遙である以外が必要だと思うのか?」というセリフなどによって、
人間性の、その人の本質を知ろうとする行為や、ほかの誰でもないその人であることを求める行為によって、孝之の遙への愛も表現される。

「絶対に……絶対に……途中でやめないで」というお願いとともに、3年前を超えようとする二人。
まさかエロゲのこの手のシーンで、思いっきり感動させられることになるとは思わなかった。

二人が初めてつながることに、ようやくここまできたことに、3年前にできなかったことをいまのこの二人が行うことに、とても意味があると感じてしまう。プレイしている自分にとっても「初見」だったこと、偶然だったが、遙との行為シーンもある茜√よりも先にやることができて幸運だったと思う。

タイトルの『永遠』の意味が、もう一度、回収される。
3年間の辛い現実を乗り越えた経験が、とてもたくさんのもの、とても大切なものを、いくつも失ってきたという記述にもあるような「ここまで」が、第一章で一度回収されたものに、改めて、そして、より深い意味を与える。


「……別れよう」

自分から切り出し、けじめをつける孝之。水月の意外なほどあっさりした態度に、病院の屋上での場面を見られたのではと気づく。
短いシーンだけれど、身を引こうとする水月も、玄関の別れ際の水月も、この作品における『やさしさ』がみえて、心に残るものだった。


「時間が一番残酷で……優しい。わかる?」

キャッチコピーがあまりに秀逸な本作。同じ内容がモトコ先生の口からも語られ、物語は結末を迎える。
このEDだけは退院の様子が丁寧に描かれる。
一つの区切り、物語としての終わりが最も感じられる。

ここのED曲の自然な入り方。歌詞が、沁みる……。

第一章の印象的な場面やセリフを繰り返す手法も、ほとんどの場面を使いきったと思ったが、最後に遙から、「友達を大切に出来ない人は、誰も大切に出来ない。そして、友達を大切にされたことを喜べない人は、何も喜べない」という言葉を、やはりここしかないといったタイミングで出してくれる。
人によっては関係がここまで拗れているのに何を綺麗事を、と片付けてしまうかもしれない。けれど、水月も遙もそんなことは十分理解していて、このままでいいとは思っていないはずで、だから、街を離れざるをえないそのどうしようもなさも含めて、水月を、4人の関係を思う言葉が胸に響く。

指輪を捨てられない水月。
イルカとタコのカップを捨てられない孝之。

元気になった遙が海辺で笑顔を向けてくれる、鮮やかなカット。映える。画面にも、このEDにも。

物語の性質上、全員が幸せになることはなく、どうしてもスッキリした終わり方にはならない。

それでもラストの四人の写真は、昔との並び順の違いだけでなく、水月の髪の長さと、遙の指に嵌められた指輪によって、時間のやさしさを教えてくれる。



茜√

「私…………何かいけないことしましたか?」
「教えてください…………」
「なんで、こんなに辛いんですか?」

「それでも私がしたのは…………」
「…………鳴海さんを好きになっただけじゃないですか!」

3年前から想いを隠し持ち、姉への思いとの間で悩み続ける。
水月の気持ちがわかる。孝之の気持ちもわかっていく。
ある意味、孝之以上に悩み苦しんでいく、作中でもとりわけ複雑な心情をもつ。

倒れた茜を看病する孝之が、忘れられないと語る3年前の感情。お見舞いの花を水月に持たせる孝之と、耐えきれなくなり真相をぶちまけてしまう茜。夕暮れの海辺での茜の告白と、そのあまりに感動的なカット。遙が目覚めなくなって自分を責める茜。そこに3年前の自分を重ねる孝之。
「なら、次に姉さんが目を覚ますまで私と付き合ってくれますか?」という嘘めいたセリフと、けど、きっとウソだったのは言葉だけだ……。という孝之の心の声。

水月ED、遙EDでもあれだけのものを描いていたのに、そんなことお構いなしにこの作品らしい名セリフ、名場面がこれでもかと出てくる。

何より、茜が置かれた立場に、作品全体の中での設定に、感心させられてしまった。
作中では、3年前の事故後の描写は少ない。水月が孝之に寄り添った描写も限定的。むしろあえて隠していると思いながら読んでいたが、この√では茜を通して再現するように同じ構図をとり、まるでそのときの孝之の、水月の心情はこうだったのではないか、と読み手に思わせるように描いている。隠しているから、プレイヤーはいきなり3年後に放り出され、ついさっきまでの3年前の気持ちとの間で苦しむし、そして茜√の話が読ませるものになっている。


「茜…………お願い。出ていって…………」
「ごめん…………」
「早くひとりにして………………お願いだから!」
「っ!」

当然だが、修羅場が多い……。
遙も水月も、孝之の前では少し本音を見せるけど、表面上は取り繕うことが多く、むしろ口に出せないことがかえって内面をより表現してくれる、そんな描き方だった。比べると、茜は、孝之の前でも感情がダダ洩れで、遙にも水月にもぶつけてしまう。自分もぼろぼろなのに、ぶつけずにはいられない。
茜とぶつかりながら、自分と重なるからこそ否定しきれない水月。思い悩むそのセリフは、ほかの√にはない表情をみせている。

「……孝之君と、一緒に歩きたいから、がんばっているのに」

リハビリを頑張っていることを孝之に話す場面は、水月√とは真逆の描き方をしている。この√の遙は、悲痛なくらいその弱さが出てしまっていて、水月を使って描かれていた弱さに重なるように感じる。
綺麗な海岸があるんだって、孝之君と歩きたい、と話す遙。水月EDや遙EDでのあの印象的なシーンがあったからこそ、ぐっとくる。ぐっとくるのだけど、同時に、媚びているようにも、孝之に依存しているようにも見えてしまって、頭がおかしくなるような、二つのEDの遙との落差に気持ち悪さすら覚える。


「嫌いになってくれればよかったのに」
「嫌いにしてくれればよかったのに」
「…………遙のときは、もっとちゃんとやりなさいよ」

水月との別れは、二人がどこか結末が分かっているように見えるから、余計に心にくる。このセリフは、水月のことであると同時に、遙のあの場面の伏線にもみえることで、その意味がひとつ深く感じられる。

その日のまま玄関で待っていた茜を、抱く。下の名前を呼ばせ、「好きになってよかった」というセリフ、腕枕のカットが印象的。普通の恋愛の帰結に見えることが、茜の複雑な立場を思うと、かえって劇的に映る。


そして、問題の病室の場面。
もうEDのはずなのに。水月も茜も収まるべきところに落ち着いたのに。

3年前の思い出を、遙の口から語らせる。
全部いい思い出だという遙の、立ち絵が笑顔なのが、ひたすら質が悪い。
もう駄目なのかな、あのころみたいに自分をみてくれないのかな、と思い出に訴える遙。第一章の思い出は、作中であれほど感動的に使われる場面もあったのに。でもそれは諸刃の剣であって、印象的だからこそ心を抉られるような切れ味もある。

 遙の手がオレに手にふれた。
 小さくてあたたかくて…………けど、弱々しい。
 きっと力っぱい握っているんだろうけど。
 お願いだから、もっと強く掴んでくれ。
 そうでないと、振り払えなくなる。

ここの記述は、遙も、孝之の心情も、この場面そのものも、あまりにも上手く表現している。
この孝之を、プレイヤーを引き戻そうとするものが「弱さ」というところが、『マヤウルのおくりもの』で示した、さよならが言えるやさしさとは真逆をやっているところが、この作品らしさに溢れている。

立ちあがり、ドアへと進む孝之。
背後で、ベッドから落ちたとわかる音。
遙の口から何度も何度も繰り返される、ひとりにしないでという、哀願。

「もう誰もういなくなっちゃう」「みんな私を置いて行っちゃうんだもん」というセリフ。
3年前の、恋人だった孝之はいない。親友だった水月も病室にこない。
家族も、茜とのことがあるから、そこに自分の居場所はない。
このセリフは、誇張でもなんでもない。事実に塗れている。

「ひとりにしないで…………」

本作屈指のシーン。ここの選択肢は選べない……。

『弱さ』がその大元にある、ということがとことん効いている。
理屈で考えれば正解は明白で、でもそれが正解でしかないから、理屈でしかないからこそ、感情が選ばせてくれない。(本作の孝之がどうしても選択できなかった気持ちは、こういうものだったのだろうか。)

遙を、他のEDでは芯の強さをあれだけ描いていた彼女を、どこまでも弱く、孝之に縋るように描く、作り手の底意地の、質の悪さ。その強さが少しでも見えたらずっと簡単だったろうに、そんなものはどこにも見つけられない。



茜BAD

二つあるBADの片方では、再び事故がおきて茜が昏睡してしまう。
水月の立場を今度は、遙が担う。
役割が変わっただけで、この地獄のような状況はまだ続く。単純な構造として、孝之が一歩を踏み出さない限り続いてしまうという暗示のようにもみえる。その意味で、この作品は孝之の成長を描いているともいえる。



妊娠ED

孝之の部屋で、茜が孝之への気持ちを丁寧に語る。
現実から逃げるように一夜をともにして、そして、後から後悔する場面をもってくる。
こちらでも茜の描き方は、報われないものになっている。


「……遙なんて、目覚めなければよかった。死んでしまえばよかったのに…………」
「…………」
「……どうして何も言わないのよ? 殴らないのよ?」
「このほうが痛いときもあるだろ?」

自分で言ったことに傷つく、別れ際の水月の、水月らしさがでているシーン。


そして、第二章は共通からずっと話が重すぎるくらいなのに、まだ先があったのかと純粋に驚いてしまったくらい、この√はとことん重い……。

「やっぱ、似合いませんよね? ぜんぜん、姉さんみたいじゃないですよね?」

遙の代わりとなろうとする、それを象徴するように3年前のあの姿で現れる茜。この茜も受け入れる孝之も、どこか倒錯的に感じられる。それも、水月BADに描かれるような愛情の倒錯とはまた別のものに。

どこで選択を間違えてしまったのか。ラストは何とも言えない気持ちにさせてくれた。



第三章

メイン3人のEDのその後が描かれ、第二章の内容を補ってくれる。くれるのだが、やや公式による釈明にもみえてしまった。特に、遙ED後の話において、運転するモトコ先生が孝之の性格や行動原理について語る場面は、内容は合理的だがちょっと説明的すぎて、おそらく優柔不断ぶりへのユーザーの声に対する返答、公式による設定開示と彼の擁護のようにも感じられた。

このため、第二章での話の締め方のまま、余白を残す形でプレイを終えたとしても、この作品の楽しみ方としては全然ありだと感じた。(このメーカーの作品は作中で何でも説明しすぎと感じていることも、その理由の一つ。)

ただ誤解のないように言えば、それは第二章までで十分すぎるほど描き切っていると感じられたからで、第三章に見所がないわけではない。

遙ED後は、水月や茜の後悔、遙と孝之がさらに進むための話が描かれ、何より、遙EDで出てきた海辺のカットにストーリーがつく場面があって、多少の不満があってもそれを吹き飛ばしてくれるくらいラストでもっていってくれる。

茜ED後も、第二章のラストのカットの後の話をしっかり遙を絡めて描いてくれるし、水月に焦点があたって関係を修復していくのも嬉しい。

水月ED後は、慎二と遙の病室のシーンであの感動的な場面を再現し、そして、両親を登場させて水月の内面を掘り下げてくれる。水月にとっての水泳の重要性が両親が絡むことで明確になる。そのうえで、水月が両親へ語る3年間に起こったことと、父親の返答は非常に感動的だった。

上に書いたことと矛盾してしまうが、水月ED後のこの部分は、第二章の内容をさらに深めてくれると感じた。(さらに、こうした話を第二章に出さず、後日談として語ることも、あの水月のドロドロとした描き方を強調しているようで、そういう作品だからこその魅力があったなと改めて感じてしまった。)
ただし、水月EDで孝之についた嘘の設定を再度ひっくり返してしまうので、人によっては気になるかもしれない。



君が望む第一章

水月、茜、緑髪の方とのifを描いてくれる。ただし、第一章のプロットに忠実なため、FDらしいというか、本編がよくできている分ちょっと展開が強引に感じられた。

それでも、もう一度第一章を最初からプレイし、あの日の待ち合わせに間に合うことができた、駅で待つ遙の背中を見ることができた瞬間は、長い時間をかけてこの物語をみてきたからこそ得られる感動があった。