peacefulさんの「ゴア・スクリーミング・ショウ」の感想

エロとホラーの関係性について考察(駄文)
エロゲー史に残るホラーの代表作である『ゴア・スクリーミング・ショウ』 (直訳すると「血糊と叫びの演劇」)。
制作側が「ビッチビチの内臓全てを丁寧に書き込んだのにソフ倫に止められた」と豪語するほどグロの作り込みが凄い。
そんなエロとホラー(グロ)の融合が成された一方で、純愛をテーマに構成した作品としても完成度の高さが伺えます。

Q0:「でも、どうしてエロとホラーはこんなにも親和性が高く、組み合わせると普段より興奮するのだろうか?」

そんな内から湧き上った疑問を解消すべく、
今回は本編の内容から脱線して、エロとホラーの関係性についての考察、もとい駄文をお送りしようと思います。
(ちなみに私の本編の感想に関しては、おおよそ高評価の方々と同じで、久々に読み応えのある面白い読み物でした)





Q1:「ホラーの醍醐味って何でしょうか?」

A1:それは観る者が恐怖感を味わって楽しむことだと思います。
サスペンスやスリラーも然り。
血しぶきや惨殺死体などの直接的な描写(スラッシャー)によるスプラッターも、あくまで恐怖感を引き起こす一つの手段です。
そんな恐怖感にエロの性的興奮が付随された代表例として、欧米におけるホラー映画が挙げられます。

作中で牧真太君より、
「ホラー映画の場合、大体エッチなことを始めた連中から先に死ぬ。またはシャワーシーンが出てきた女優から死ぬ」
と語られたように、

現在でもホラー映画にHを取り入れるのは、ある種様式美であり、客寄せであり、ファンサービスを兼ねたお約束とも言えますね。
しかしそれらのエッチシーンは、レイプのような暴力の一部としてのエロではなく、
これから殺される被害者の官能的なセックス描写や、シャワーシーンといった日常的なものが大半です。
(映画の内容によっては勿論例外もありますけど……)


Q2:「ではホラー映画という題材において、何故エロが凶悪さの表現で用いられていないのか?」

A2:恐らくその理由として考えられるのは、
これから起きることを知らない幸せなひと時を描くことで、急転直下の恐怖のどん底に突き落とす、落差(絶望感)を描く一面性。
または裸という無防備な状態により、観る者の恐怖心を掻き立てる意図。
それとビジュアル的なエロとホラーの対比という効果、つまり絵的な目的が考えられます。
さらに深く突き進むと、貞操観念のない若者に制裁を与える暗示的効果。
曰く欧米ならではのキリスト教的道徳観の矯正を示しているかもしれません。

そうした緊張と緩和、生と死の隣り合わせ、自己保存の本能に訴えかけるホラー映画ですが、
調べたところによると、もともと必要性があってエロシーンを入れていた訳ではないそうです。
欧米ではポルノ映画の規制を受け始めた時に、客入りの良くなかったホラー映画と融合する形で何時の間にか定着したそうで、
この事は日本ホラー映画にお色気シーンが殆どないことからも見て取れますね。


Q3:「ならホラーとエロを組み合わせた文化は欧米独自のもので、日本にはなかったのか?」

A3:いいえ。我が国には様々なジャンルを取り入れた変態(エロ)ゲーム文化があるじゃありませんかっ (笑)!
まぁそれは冗談として、日本にも戦後初期のエロ・グロを売りにした「カストリ雑誌(大衆紙)」がありました。
表紙には官能的な女性の絵。ページを開くとポルノ小説や性的興奮をあおる記事。
赤裸々な性生活の告白や猟奇的な事件のルポ等が掲載されたそうです。
日本の風俗史の中でも、とりわけ「俗悪」の代名詞として位置付けられたカストリ雑誌。
戦後初期の世の中は血生臭く、焼け跡には硝煙が漂い、廃墟と飢餓とインフレで騒然としていました。
そうした環境で生き抜いた大衆は、癒しと刺激を求めて「カストリ雑誌」という娯楽を求めたのかもしれません。

また戦前では、江戸川乱歩がエロとグロを題材に表現した短編や中編を多く書き記しています。
(特に彼の小説で鬼才を放ったのが『蟲』『盲獣』『芋虫』です。興味がある人は読んでみるのもありかも…)

恐らくさらに時代を遡れば、エロとグロの関係性の歴史を多く紐解くことができるでしょう。
世界中でみても、サバトといった妖しげな宗教儀式にエロとグロが密接に関わったりしますからね。
とりあえず過去の歴史が「エロとホラー(グロ)の親和性の高さ」を証明してくれました。
(この場ではホラーと云うジャンルの中にグロがあるという解釈をしています)


Q4:「では、なぜその組み合わせに人々は興奮するのだろうか?」

その答えを語る前に外せないのが、フロイト(精神分析の創始者)によるリビドーの概念です。
何でも深層心理において性的エネルギーは重要な存在で、生物的観点から見ても人間の目的は子孫繁栄に突き詰められます。
そうした思考・行動に影響を与える性的欲望のエネルギーをフロイトはリビドーと呼びました。

そのリビドーには自己保存の本能、種族保存の本能に基づく性的本能(エロス)の他に、死への衝動に基づく死の本能(タナトス)が存在します。
フロイトは人間の持つ根源的で本能的な欲望をエロスとタナトスと定め、
正常な人間にはこの二つがバランス良く共存している状態であると示しました。

つまり人は恐怖(死)を感じる状態でもリビドー(性的欲望)を覚えてしまうということ。
よってQ4の答えは、A4:人の性的欲望は性(エロ)と死(ホラー)を感じた時に強く表れるため、と考えられます。
根源的欲求が二つ組み合わされれば、成程。普通より興奮するのも頷けますね。


【補足】
ですがこのエロスとタナトス、二つのバランスが崩れると人間の精神に様々な問題が生じるそうです。
例えばタナトスは本来自分に向くものなのですが、自己愛が働いて自分に向かうことを避けるために、
他者に対して危害を加えるように働くことがあるといいます。
(猟奇的殺人など。それは言い過ぎ!だとしても、ヒステリーを含む神経症の原因になりやすいだとか)
エロスもタナトスも根幹を支える非常に強力なエネルギー故、方向性を間違ったり、過度に抑圧された状態は危険といえますね。
しかし、どちらも人間の繁殖と種の維持に必要なため、正常な性の発散方法を行使し、
性的エネルギーを上手く操作すること(自我の強さ)が大切になっていきます。
なので抑圧や罪悪感を持たず、社会に影響を与えない程度でリビドーを開放することが必要です。
つまりエロゲーをプレイすることは全然問題ないというか、我々にとっては必要行為なわけです(笑)。はい。

(リビドーの概念は時代毎に多数の研究者によって広義的解釈が成されています。今回は議題に合わせてそれらの解釈を纏めたものです)


【まとめ】
そんな感じでエロとホラーの関係性について纏めてみたのですが、どうだったでしょうか?
少しでも「へぇ~そうなんだぁ」と思えてくれる方がいると嬉しいです。
ですが多分いつも以上に読み難くて、全然納得できない方も多いと思いますので、そこはご容赦を。
あくまで本文は自分が納得できる解答を模索して得た考察(駄文)ですので……。

しかしながらこの疑問、掘り下げれば掘り下げるほどディープな深淵へと嵌っていきます。
私が結論付けた心理学も氷山の一角で、本当はもう少しフロイトやユングと絡めた考察を色々したかったのですが、
残念ながら私の根気が続きませんでした。すみません。
またアプローチを変えれば、大脳新皮質の関与という医学、時代環境を疑う現代社会学、果ては民俗学と、
極めれば本一冊書けるくらい幅広くエロとホラーの関係性を説くことが可能かも知れません。
あとはこの組み合わせの発展、もとい拗れたのが、俗にいう「リョナ」に該当するのではと考えられます。
他にもタナトスから派生したと思われるSとMの性的嗜好を、加虐と被虐による死への願望の投影や方向性として説明できる余地が残されています。
ですがこうなると流石に切りがないので、この辺りで筆を置こうと思います。それでは~また。


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