soulfeeler316さんの「徒花異譚」の感想

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人生はおとぎ話よ。
死んで花実は咲くものか?











本批評は構成上、シナリオライター海原望氏の過去作についても、幾らか言及しています。
そこが少しでも気になるなら、追伸だけは読まない事を推奨
また、これはあくまで自己満足的な一個人の解釈であり、断定できる物ではない事を予め、ご了承下さい。










1.はしがき
どうも、『フェアリーテイル・レクイエム』の批評を書いている最中に発売した為、予定変更。クリアしたから絶賛、『徒花異譚』の感想を書いている浮気者です。でも、こればっかりはしょうがない。凄く出来が良くてそれを伝えたいと思う心が、止められなかったから致し方ない。
お伽話に準じた世界観で本質を問う、処女作以来の作風へ回帰した本作。大石竜子氏の華麗なる幻想絵画に、さっぽろももこ氏、松本慎一郎氏の和風チックな世界観を荘厳で象った至高のBGM、そして海原望氏の読みやすい中に深みを携えて彩られた文章。それらが見事に融合を果たしたのが、今回の傑作『徒花異譚』となります。
そんな彼女等が、初めてタッグを組んだ原点から早5年。この『徒花異譚』においても、伝えているメッセージはまるで変わってない事に、僕は密かな安心感を覚えていました。
それは「ほんとうのこと」を追い求める作風。氏の作品は、これまでの過去作を読めば自ずと察せるように、物語の流れと言うのが一貫しており、そこに潜む思想も徹底しているのが、俯瞰すると見事、感じられます。
しかし、この『徒花異譚』はそんな「これまで紡がれてきたモノ」に留まらず、過去作で描かれなかった「その先」を描写していました。以前の作品を全てプレイしてきた僕は、それが何だか無性に嬉しかった次第
本批評ではその部分は勿論の事、そこへ至るまでの童話知識も掻い摘んだ上で、本作を改めて語ろうと思います。いつもと何ら変わんない、ダラダラとつまんねえ羅列文章の極みなので、時間的猶予が豊富な方ならどうぞ御笑覧下さい。暇潰し程度には読めるでしょう。





2.おとぎの国の倫理学
①花さかじいさん
「枯れ木に、花を、咲かせましょう!」


導入編。THE チュートリアル。シロが可愛い。犬好きな身としては、分かっていても沁みる展開
物語において、親しき者の「死」は往々にして起こるものですが、導入からそこを深く掘り下げた事に、思わず嬉しい悲鳴をあげてしまいました。段階を踏んで、度数を上げていく悠長はせず、最初からフルスロットルで作り上げている御話に、思わず敬意を表したくなります。
この第1章から僕自身、「妥協していない姿勢」を、強く色濃く感じていました。親しき者の死が、絵草子をめくる度に繰り返されて。マヤカシに満ちた生が、絵草子をめくる度に見せ付けられて。何度も絶望の淵を彷徨う花さかじいさん。それは、彼が「生きている物語」の世界において、この上なく儚い地獄の仕打ちであり、そんな嘘っぱちの意味に囚われ続けて「徒花荒らし」となってしまうのも、実に詮方ないと痛感します。
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「こうして本当の結末にたどりついてみますと、やはりなんともいえずしっくりきます。これこそが私の人生だった、これこそがシロの想いが織りあげた物語なのだと、胸を張りたい気分です」

『徒花異譚』花さかじいさん
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しかし、そんな嘘をも内包した『1つの物語』として自身を肯定出来れば、それは人生賛歌となりて生き続ける。好々爺の潔き姿が胸を打つ、新たな『花さかじいさん』がそこには確かにあったのです。


物語の新たな見方ってヤツを、固定観念で凝り固まった頭にぶつけられ、僕はこの時点で結構な衝撃を受けていました。
幼少の頃から子供部屋へと引き籠もり、数々の童話に親しんで過ごした僕でしたが、今になって振り返ると、読んだ時こそ多くを思えど、それ以上に登場人物の内面へと踏み込む黒筆や白姫、男の子や女の子以上の事をして来なかったように思うのです。
深く考えると言う行いを、怠っていた僕自身の本性。怠惰で怠慢な乱読者の姿あり。
しかし、この第1章で完膚なきまでに叩きつけられました。簡素に見える表現の中にも、様々な登場人物に葛藤や苦悩が鏤められていたかもしれない。それに寄り添い、見つめて、考える事で、そこにまた『物語』へ対する新たな思いやりが芽生えていたかもしれない。そんな過去への想念が、知らず知らずに湧き出てしまうプレイタイムと相成ったんです。
「お伽話」の見方を改めて学ばされた「此処」から、自分を見つめ直す「童話の旅」は幕を開けました。読んできた『物語』の数々に、少しばかりの想起を馳せて、新たな想いで先へと進めた序章。それぞれの童話は、それぞれの登場人物が生きた1つの世界。僕の『花さかじいさん』は再度、その価値観の紗幕に光を与えてくれた御話と言えましょう。心に花を咲かせてくれた、実に雅なお伽話でした。




②浦島太郎
「ありがとうね。こんな……馬鹿馬鹿しいくらい幸せな結末を与えてくれて」


『浦島太郎』初読の際「乙姫は酷い女」としか思わなかった僕にとって、何とも身につまされる童話。やった事はどうしようもなく愚かで馬鹿らしいかもしれませんが、それでも彼女にはどうしようもなかった。自分の想いに抗う事は出来ず、現状維持に留めて逃避する他なかった。そんな切ない女性の葛藤がきらりと光る、これもまた素晴らしき御話です。

乙姫が浦島太郎に恋していた事。おじいさんになってからの後日談。これらについては、民話に詳しかったりすると、結構有名な話で。『丹後国風土記』にある「浦島伝説」の原型の1つは、水江浦嶼子(水江浦島子)なる人物が亀姫と呼ばれる神の娘に一目惚れされて、求婚されて、宇宙の彼方にある蓬山(=常世の国)まで連れて行かれるSF奇譚だし。鶴になって蓬莱山へと飛び立った浦島太郎が、亀である乙姫と再会し、永遠に添い遂げたと言う顛末は、室町時代に残存した展開の名残ですね。男の子がその『御伽草子』Ver.を「やっと見つけた」と言っていましたが、時代背景その他諸々察すると、凄く頑張ったんだろうなと痛感します。

ただ、その結末を「知っていた事」は、別にさして重要じゃなくて。そこへ至るまでの過程を熟慮した先に見えるものこそ『物語』であると。第2章でも実感を果たせたのが嬉しい所
乙姫の浦島太郎へ向けた我なる想いは、決して抑え切れる程に鎮まった篝火でなく、しかし諦念の冷や水がそのいたいけな身を責めていました。それは、ずっと物語を脱線し続ける強さとはならず、必死で逃れ続ける弱さにしかならず。現状維持でお茶を濁す中途半端な日々に、絵草子が応えた結末。これは、そんな乙姫の想いを汲み取った誰かが、浦島太郎との幸せを願ったからこそ生まれた結末、彼女の揺るがなかった「想い」を尊んだ終幕だったのかもしれません。

最後、鶴と亀が背景でしれっと再会したのを確認して、純粋に良かったと思えたのが彼女等の『物語』に対して僕が抱いた「想い」となります。
読み手の「想い」が展開を変えて、幸せな終わりへと導く。そんな奇跡が心地良く、心に深く染み渡った御話でした。
恋。とても温かい言葉だなと思います。
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「お伽話に触れるたびにくるくると表情を変えているきみを見て、本当に懐かしい気分になったんだ。お伽話を読むというのは、こういうことだったと」

『徒花異譚』黒筆
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③うりこ姫とあまのじゃく
「あたしの人生よ。それだけでもうどんなお話よりも価値があるんだから」


読み終って「ああ、1番好きだな」と思えた御話。『うりこ姫とあまのじゃく』は、本作の内容を初めて知った時から、僕が最も期待していまして。このお伽話の描き方次第で、『徒花異譚』の評価も十中八九変わると感じていた程。だから、こんな無闇勝手な切望へ見事応えてくれた事に、僕なんかは堪らない嬉しさが込み上げてしまいました。4つのお伽話の中だと、この第3章が1番お気に入り。そのお好み具合は、傍から見ても相当なモノと言えましょう。
取り敢えず皆さんには、この御話知ってましたか?って疑問を一先ずぶつけてみるとします。柳田國男を読んだ事がある人なら馴染み深いでしょう。彼の大著『桃太郎の誕生』では、桃太郎と瓜子姫の類似性・対極性が指摘されていますので。
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さういふ中でも瓜子姫の昔話は、他の何れのものよりも桃太郎に近く、又幸ひにして諸国の類例が、幾らかづゞ互に異なつて居るので、将来或はもう少し精確な起源説を、提出し得る見込もあるのである。

柳田國男『桃太郎の誕生』
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桃太郎と瓜子姫と、二つの昔話を比べ合せて見ると、双方一致して居るのは前半分だけで、是から後は丸で行き方が違つて居るやうに見えるが、此相異は果して最初からのものか、それとも童話になつてからの傾向が、追々にそれを著しくしたかといふことは、可なり私たちには大切な問題である。

柳田國男『桃太郎の誕生』
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瓜子姫は、桃太郎の女性版としての解釈も根強く残る御話です。最初の川上から流れてきた漂流物に、開けると中から子供が出てくる類似点は元より、意識的に対照的な展開や結末へと至る構図も、双方の互いに対する意識を感じさせ、非常に興味深い産物と相成っていた次第。そこん所を踏まえた上で、この先の『物語』を語っていきましょう。
瓜子姫。大人になろうと自立を始めた1人の少女の御話


『うりこ姫とあまのじゃく』は、土地や時代によって全く異なった物語に変容しているのが興味深い童話と言えます。僕は北の雪国出身なのですが、郷里で語られていた『うりこ姫とあまのじゃく』は、瓜子姫が天邪鬼に木へ吊るされて落とされ、皮を剥がされ殺されて、彼女の霊体・魂の象徴である鳥が蛮行を歌い、最後に復讐が果たされる最もバッドテイストな物語です。
どうも東日本だと瓜子姫は死亡する展開(中でも東北は皮を剥ぐ、食人等で特に残酷)が多く、西日本だと瓜子姫は生き残る展開が主流だそうで。
そして、この第3章が素晴らしいと思う理由の1つは、何故そんな2つの相対した物語になってしまったのか?って問いに見解、価値を与えた点が大きいと言えましょう。

本作の天邪鬼は瓜子姫の影。裏の感情を示した存在である事が描かれていました。「ひょ『うり』いったい」「『うり』ふたつ」なんて言葉もあるように、2人が同一存在である解釈を『物語』上で見事披露しています。
柳田國男は、瓜子姫を「小さ子信仰」を象徴する1つと語りました。古来、霊力を秘めし聖なるものは小さな姿で体現するとして、桃太郎や瓜子姫のような果実から生まれる「異常出誕児」は「小さな姿をした神、もしくは神意をうつした子供」であると。瓜子姫とは言うなれば、信仰対象となる神の化身でもあると主張した次第
天邪鬼も元々は、天探女と言った人の心を読める神様に起源があるとされています。妖怪とも精霊とも決め難い存在であり、強いて言うなら否定的に処理された存在や現象が、神様から転化して妖怪に成り得る表裏一体の証明対象です。日本における「妖怪」って概念は、神の間も行き来したりする存在であり、別地域だと祀られていた例も決して少なくありません。
つまり、何が言いたいか。瓜子姫が天邪鬼と同一存在であり、表裏一体の関係と言う主張は決して適当に作られた産物じゃないって事。彼女が天邪鬼でもあったなら、開けてはいけないとする玄関扉を開けてしまう天邪鬼の側面も持ち合わせていた事になり、あの押し問答も得心が行きます。それを、上手くこの『物語』で示した本作には感嘆の念を禁じ得ません。

そして何より『物語』としての出来が良かった事も、僕が『うりこ姫とあまのじゃく』を気に入った理由になるでしょう。嘘屋演出を強く感じたこのお伽話は、盛り上げ方が非常に丁寧で、最も心を揺さぶられました。
大切な人を尊重するあまり、嘘をつきすぎてしまった結果、自分の「夢」「目標」「本当の願い」が見通せなくなる。

「ほんとうのこと」が、分からなくなる。

本当にしたい事は別にあるのに、それが叶わない悲しみ。それが、徐々に自身の内面を追いつめて行き、もっともっと自分の事がわからなくなる。描写が本当に上手い事を痛感させられ、僕も思わぬダメージを負ってしまった程
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「あははははははは」
「うふ、ふふふ、ふふふふ」
「その色、綺麗ねえ……」
「なあにをする気なのう?」
「わたしたちを殺すの?」
「そんな酷いことしないわよね?」
「殺して……」
「わたし達は消えたって、なくならないのに」
「早く殺して……!」
「増えることはあっても、減ることは無いのよ」
「ねえ、殺してよおおおお……!!!」

『徒花異譚』うりこ姫
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ここが本当に辛かった。「自由になって、遠くの世界へ旅立ちたい」思念をよく理解出来るからこそ、自身の死でしかそれが為しえない苦しみを慟哭している様に、甚く心響いてしまった。

そして、そんな苦悩を理解したからこそ、彼女の成長が小気味良く、最後の締めに唸らされます。自身を同一化出来た少女が、別の自分も受け容れた上で「ほんとうのこと」を見つめた終わりが、至極胸を打ちました。
とは言え僕も、最初はこれで良かったのか、疑問を浮かべてしまったのが正直な所。ただ、僕は独り思えただけです。「夢」を見失っていた1人の少女が、大事な望みだけは決して取り零さず、精一杯生きていく事を誓った結末。たとえそれが気慰みの結果生み出された代物だとしても、その「夢」が齎す輝きは他と何ら変わらない。だからこそ、彼女が「夢」を抱くに至った過程を、奮起して勝ち取ろうと動き出した想いを、愚弄する振舞いは許されないんだと。思えただけです。
全てが終わった今では確かに思えます、これが良かったんだと。
白姫の言っていた通り、うりこ姫は本当に優しい少女でした。僕は優しい女の子が好きです。だから、彼女を1番気に入ったのは、最早言うまでもない事でしょう。
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白姫と黒筆はそれぞれ別れの挨拶を口にしたが、未来へと進みだしたうりこ姫の背に届いたかは分からない。
長々と横たわる影は、軽い足取りに弾んで、実体と楽しい追いかけっこに興じているようだった。
ふたりは、瓜子姫とその影が消えるまで、眩しげに目を眇めながら見送り続けた。

『徒花異譚』
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出来るならどうか、彼女が彼女のままで、そのいたいけで純粋な「ほんとうの夢」が叶いますように。
そんな事を深く心の奥底で想えた、嘘偽りの無い読後感でした。




④桃太郎
「何のために生まれたのかを知り、それを果たすために全力を尽くす――なんて素晴らしいことなのだろう」

桃太郎。自立し始めた青年に襲い掛かった悲劇の御話
「霊泉の実である桃から生を授かった」桃太郎が、邪気を払えず長寿へも至らず、無慈悲に殺されてしまうのは大層な皮肉を感じます。
この第4章で、全ての真相が明るみとなりますが、婚約者が凄く良いヤツですね。愛する事は無いけれど、彼女の覚悟と信念に敬意を表し、同士として共に戦い抜こうと誓うその精神。強くあろうとし始めた男の格好良い姿だと切に思えた次第。そしてだからこそ、世の儚さの如きモノを感じました。良いヤツ程早く死ぬ。実にくそったれな世界です。
彼と彼女の病気は不治の病と目されていた「結核」でしょう。工業化が進んだ明治時代以降に、人口の過密化と劣悪な労働環境によって、急速に流行った難病。才能や美貌に恵まれた若者の死を惜しんで「肺病天才説」「佳人薄命」なんてまことしやかに囁かれた由来の病原菌。ある種のロマン文化をも象徴させた病でした。
よって時代背景は、華族も存在した1869年以後から技術の進歩によって鎮静化の一途を辿った1947年の間と分かります。「死」と言うものが現代よりも身近にあったからこそ、この時代の人々はもっと「生」について考えを深めていたのかもしれません。
だからこそ、生きる希望を失ってしまった白姫が、どのような道を選ぶのかが、この後の展開へと続く訳で。終わり方それぞれ、この先語っていくと致します。「生」の希望に溢れた『桃太郎』を完成させる事の出来る道を求めましょう。





3.エンディング
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永久の未完成、これ完成である。

宮沢賢治
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①夢現
「中途半端」を体現した結果、夢に浸る事も現実へ立ち向かう事もままならず、どっちつかずの迷宮に彷徨って死んでしまう展開
このルートが悲惨なのは、『物語』が傍にありながらもそれとの共生が唯一為されていない点にあります。どんな形であれ、少女を幸福へと送り届ける責務を果たせなかった書生にとって、彼女はもう死んだも同然であり。物語の中では居場所を得られず、生きる事の出来なかった彼女と『物語』を紡ぐ行為も果たせぬまま。
書生にとってそれは、過ぎ去った思い出の語り草として、「私」の夢見心地に聞こえてきた夢物語として、幕を下ろします。
同じ「早死」でも「夢」ルートとは対比的に印象付けられた結末。それは只々悲しく、寂しい終わりに他ありません。


『物語』は全くの未完成ですが、これもまた1つの結末と言えます。
彼の自殺によって、明確な死を迎えられた『徒花異譚』の1つの結末
それは見事に仄暗く、哀しみで溢れた悲劇譚と言えるでしょう。
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風をだに 待つ程もなき 徒花は 枝にかかれる 春の淡雪

風を待つまでもなく、散ってしまう人の心と言う花は、枝に掛かっている春の淡雪のように、酷くあっけないものだなあ。


『夫木和歌抄』
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②夢
「死合わせな結末」と称するのが1番良いかと存じます。
これまでのお伽話で「夢」を描いてきた事により、擬似的な幸せを作り出してきた黒筆と白姫。そんな彼等2人で紡ぎ出した完全世界へ自身を投入し、その中で幸せになれた白姫の一生を描いたルートです。それがたとえ死も伴った幸せだとしても、いつまでもいつまでも、徒花郷と言う『物語』で生きる事の出来た彼女が、幸福じゃなかった筈がありません。
ウィリアム・シェイクスピアの作品に登場するハムレットは、死後に見る夢を恐れて死なない道を選びます。しかし、その「夢」が徒花郷で繰り広げられる、温かくも落ち着いた幸せな日々だとしたら、彼女が其処へ導かれるのも決して愚かと断じれはしません。書生の存在も、残念だけど知らないから。
そしてだからこそ「ほんとうのこと」を見失った先に、獲得した新たな「ほんとうのこと」を胸に、彼女が新たな世界で生きていく事を誓った結末。それが「夢」ルートにおける詳細と言えましょう。

このルートをプレイして僕は、某仏教学者が説いた格言「本当のものがわからないと、本当でないものを本当にする」を自然と想起していました。
「ほんとうのこと」ではないけれど、彼女と彼にとってはこれもまた「ほんとうのこと」なんだって。
「嘘が覚めてしまった夢」だとしたら、覚めない夢は「真実」となる。
彼女にとっては間違いなくそうであり、彼は彼女の想いに報いるが為、その結末を受け容れる次第。『物語』の世界を紡ぎ続け、彼女の為に描き続ける書生の気持ちが、どこか儚く切なく苦しくて。しかし素晴らしい生き様だと思わせてくれました。

正直、以前までの僕としてはあまり納得が行かない、個人的には嫌いなタイプの終わり方なんです。あの書生の涙は、心に悔しさの波風を立たせ、チクショウと思えた光景でしたし。
ただ、本作ではどこかするりと受け容れる事が出来たのも事実。それはきっと、取り残された書生の想いもきちんと描いてくれたからだと実感します。彼が妥協の末に受容した解釈を持っているなら、僕が語る事なんて何もありません。只々、もっと幸せにしてあげたかったなと思えた位
それに、例え死んだって「出会ったことや過ごした時が消えるわけではない」から。その「思い出」を無かったモノにせず、生き続けようとする彼の想いを、虚仮にしたくはないと思ったんです。
過去作では見られなかった描写に成長を感じ、切ないけど、どこか安らかに見守る事の出来た展開。そんなエンディングは僕個人として珍しく「そこまで嫌いじゃない」と結んでおく事に致しましょう。儚く切なく苦しいけれど、どこか温かい終わり方でした。


『物語』は全くの未完成ですが、これもまた1つの結末と言えます。
彼女の病死によって、明確な生を与えられた『徒花異譚』の1つの結末
それは聊かほろ苦く、けれど愛情に溢れた悲劇譚と言えるでしょう。
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明日ありと 想うこころの 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは

明日が来ると信じていても、一夜の嵐で吹き散ってしまう桜のように、儚い命は明日をも知れないのだ。


『親鸞上人絵詞伝』
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しかし、『桃太郎』の結末へは至れない。




③現
TRUE ENDと呼ぶに相応しい見事な終幕です。
現実に立ち向かう白姫と支える黒筆、そしていつも傍で見守っている『物語』の登場人物全ての想いが詰まった結末。「ほんとうのこと」に立ち向かう彼女の想いが、それに応えるキャラクターそれぞれの激励が、強く光り輝いた最高の展開。やはり海原氏は、この「TRUE END」ってヤツを素晴らしく華麗に手がけてくれると、再認識した瞬間でした。
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(夢に逃げれば、わたしはあなたの思い出すらも失うことになる)
白姫は、全身に感じる優しいぬくもりに向かって、胸中で語りかけた。
(あなたとの思い出はしあわせなものばかりではありません。時には、思い返すうちに、胸が張り裂けそうにもなります)
(でも――それでもいい。忘れたくないのです)

『徒花異譚』白姫
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甘い泥濘に浸るか、厳しい佳境へ立ち向かうか。物語だとよくある構図ですが、これまで育んできた「色々な思い出」を重視するからこそ、目覚めなければいけないと考える作風が至極好ましいと、やっぱり僕は実感します。此処は夢に溺れて大切な彼との思い出を失くす位なら、立ち向かう事を選べる白姫の強き魅力が如何なく発揮された名シーンで、彼女が凄く輝いて見えました。

そんな白姫に『物語』の登場人物……を抜け出した『現実』の登場人物が駆けつけて力を貸してくれる展開。王道ながら心に深く響きます。
神経生理学上において「夢」とは、自身が体験した過去の出来事や出会った人物を再認識して、表象・偶像化した事で生み出される産物。黒筆の物語から得た刺激と、白姫がやっていた現実世界の人々をお伽話の登場人物に重ね合わせる行為、そして彼女が過去に体験したシーンが断片的に組み合わされ、脳内でストーリー化した事によって出来たモノとされています。
しかしそれ以前に「夢」には、古代より呪術的な力があると信じられてきました。そこに出てくる人は、図らずも自分の事を想っている証明として、確かに存在しています。『万葉集』で湯原王の妻が詠んだ和歌、『伊勢物語』の駿河国で在原業平が詠んだ和歌、『古今和歌集』で藤原敏行朝臣が詠んだ和歌等、例を挙げれば枚挙に暇がありません。
その考えは、平安時代以降になると、逆に夢を見る人が相手方を想っていると言う、現代的な真逆の構図に落ち着きます。しかし本作では、そんな古代の考えを一概に否定する事はありません。
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「人は死したところで終わるわけではない。その想いは、形を変えて生き続ける――」

『徒花異譚』祖父
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「命が尽きるまで戦いなさい。一分一秒でも長く、生きるのよ」

『徒花異譚』家庭教師
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「……もうはぐれないで。お願い」

『徒花異譚』妹
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「……お嬢様。あなたは私や他の者のことを、単純にご自分が作り出した夢幻だと思っていらっしゃるようですが、そんなことはないのです」
「いつかあなたにもわかるでしょう。その寿命が尽きた時、人の魂がどのように肉体から遊離して、他人の心に入り込むのか……」

『徒花異譚』婚約者
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誰かが誰かを想っている限り、それはどんな形であれ、形となりて体現する。『太平公記』の「離魂記」が如く、離れ離れになっても生き続ける魂。生者が死者の夢を見るように、死者もまた生者の夢を見て、その想いは普遍に過ぎる。
そんな永久の想念が、彼女の道を照らして「現」に帰らせる展開は、僕の胸を強く打ったんです。彼女が小さな世界で育んできたモノがあったからこそ、白姫は「夢」で痛みを和らげ、「現」へ立ち向かう事が出来ました。全ては無駄じゃなかった事実を、僕も実感出来ましたから。
だからこそ、彼の元へ自然と歩んでいる彼女の姿が、とても誇らしく見えたのでしょう。心が震えてしょうがありませんでした。凄く凄く、読んでいて嬉しかった光景でした。

「夢の通ひ路」と言う言葉があります。夢の中で異性の元へ通っていく道すがらを指した言葉です。
全て終わって、理解しました。これは書生の「夢の通ひ路」を描いた『物語』でもあったんだと。
彼が黒筆として接した「夢」で、白姫は「恋」を知り、それを持ち帰って花咲かせる事で、それが2人の「愛」となります。
そして、そんな2人の想いは『物語』を通して彼女が死ぬまで、彼女が死んでからも、ずっと語り継がれるんです。
彼等が精一杯「実を成した花」として、この先も語り継がれるんです。
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『むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました』

『徒花異譚』
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そんなお馴染みの書き出しで始まりそうな、幸せな「夢」として、これから先も生き続けていくんです。

幼少の頃より『物語』に触れてきた人間にとって、それがどれだけ心に沁みるか。恐らく、分からない方も多いと思います。
僕にとってこれは、どんなに辛く、悲しく、苦しい事があっても、『物語』は常に傍にいて、自分達を見守ってくれる。そんな全肯定を示してくれた作品に他なりません。
幼少の頃から現在において、これまで触れてきた『物語』の全てへ、クリア後僕は感謝の想いを捧げたくなりました。何故ならそれを強く実感出来たからです。
そんな本作に、低評価を付けられる筈もありません。甚く高評価したいと思えた「ノベルゲーム」になりました。
『物語』を愛する者として、この『徒花異譚』を忘れる事は一生無いでしょう。
本作のような素晴らしき「ノベルゲーム」が世に生まれ出てくれた事、僭越ながら深くこの場で感謝致します。本当にありがとうございました。


『物語』は未完成。しかし、これは1つの結末です。
彼女の往生によって、明確な生を与えられた1つの結末
それは聊かほろ甘く、愛情に満ち溢れた『徒花「異譚」』
実の付かない筈の徒花が、枯れずに尚も咲き誇り、今もこうして生き続ける。
晴れて花咲き、実を成した『純愛譚』です。










P.S.
本作は、矢鱈と過去作品と関連したモチーフが多い事で、僕の中では話題となりました。
『シンソウノイズ~受信探偵の事件簿~』においては、
不帰ルートにおける「取り残された者」の後日談……「夢」ルート
帰還ルートにおいて「手を繋いだ者達」の後日談……「現」ルート
と相成りますし、
『バタフライシーカー カオス・ナイトメア』における「夢」と「現」の解釈も少々入っているやもしれません。
『シンソウノイズ~受信探偵の事件簿~』のように描かれなかった後日談が、別作品で解消された気分にも浸れて、僕個人としては最高な気分です。特にそれは僕もかなり気に入っている作品なので(勿論、続編が描かれるのが1番ですが)
こうした過去作品を知っているかいないかで、見方も少々変わる『物語』を作って下さった事に、深い所で感謝の意を捧げたくなった次第

そして恐らく、そんな過去作品の中で本作の見方が最も変わる作品と言えば、海原望氏のメインライター処女作『フェアリーテイル・レクイエム』でしょう。
『徒花異譚』がお気に召した方は『フェアリーテイル・レクイエム』も気に入ると言う意見を見つけました。僕も嵌るだろうとは思います。
ただ、気をつけなければいけないのは、『フェアリーテイル・レクイエム』が『徒花異譚』よりも「甘くない」と言う事実。それは、陵辱的な作風や気が滅入るストーリーもそうなんですが、何よりその結末が『徒花異譚』とは全く異なっている事に起因します。
多く語りすぎると、今度は別作品の批評且つネタバレになってしまうので、深くは語りません。

もしまた逢えたなら、今度は『フェアリーテイル・レクイエム』の批評で相見えられる事を願って。
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