Lumis.Eterneさんの「Choir(クァイア)」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

そして「歌」は静かに消えてゆく・・・。
この作品は、一般的にはあまり高い評価を受けてはいないようです。
その原因は主として、カードバトルを中心としたシステム面での「操作性の悪さ」や「欠陥」に
あることは明らかです。
私もこのゲームをやっていて、「いらいら」したり「理不尽さ」を感じたりしたことはありました。
そういう意味で、少なくともこの作品が「ゲーム」を名乗る以上、そういったシステム上の問題が
この作品全体の評価を大きく下げてしまうということも、ある意味理解もできますし、納得もできます。
しかし私にとってこの作品は、とても「好きな」作品であり、その魅力についてどうしても今一度考えて
みたくなる、そんな作品なのです。

物語の基本的な流れは以下のようなものです。

  「旧校舎には妖魔が棲みついている」。主人公の通う学園では、生徒達の間でこのようなうわさが
  流れていました。そしてそれは単なるうわさではなく、「妖魔によるいたずら事件」が度々おこって
  いたのです。
  そんなある日、突如として以前とは比べ物にならないほど「凶悪な」事件が起こり始めます。
  そして、このような事件に対処するために主人公の「宮本祐樹」をはじめとする何人かの生徒達は
  「降魔委員会」を結成し妖魔との戦いを開始するのです。

この作品においては、主人公の宮本祐樹をはじめとする「降魔委員会」の側を“LAWサイド”、
そしてもう一人の主人公である橘御門が率いる「妖魔」の側を“CHAOSサイド”と位置づけています。
つまり一つの物語を「人間」の目から見たのが“LAWルート”、「妖魔」の目から見たのが
“CHAOSルート”ということなのです。

私は一周目のプレイではLAWサイドから始めました。
物語の流れは、事前に私が予想した通りの「光」と「闇」の戦いであり、極めて善悪のはっきりした、
人によっては「ありきたり」と感じるようなものでした。
LAWルートにおいては、橘御門と「妖魔」の強さと暴虐が描かれます。何人かのヒロインは橘御門の
「魔の手」にかかり陵辱されてしまいます。まさに、人間の目から見ると橘御門と妖魔は「絶対悪」としか
言えないでしょう。
もしもこの物語がここで終わっていたならば、「弱い人間達が、愛と友情の力で“強大”で“邪悪”な
妖魔を打ち倒す、正義の物語」として大団円を迎えたのかもしれません。しかし、それではあまりにも
「ありきたり」であり「陳腐」です。とてもではありませんが好きになることなどできなかったでしょう。

二周目のプレイでCHAOSルートを進めていくうちに、私は「この物語」の世界が徐々に違って見えて
くるのを感じることになりました。ひとりでも多くの方にこの作品をやっていただきたいと思って
いますので、極力「ネタバレ」を避けながら言いますと。「人間」の側の「正義」の名の下での「傲慢」が
見えてくるということであり、橘御門を初めとする妖魔たちは決して「強大」ではないし「邪悪」という
言葉で斬って捨てられない面があるということです。
彼らの住む世界に満ちている「憂鬱」と「諦め」そして「寂寥感」は、いわゆる「強大な悪の集団」と
いわれるものには、およそ似つかわしくないものです。

少々乱暴ではありますが、この作品のシナリオの構図を「たとえ話」で表現するとすれば次の様になると
思います。

 ・LAWルート:「森の中」や「住宅地」で人間が「野生動物」に襲われる事件が多発する。
         人間は「自警団」を組織して、なんとか野生動物を撃退しようとする。

 ・CHAOSルート:人間によって住処を追われた「野生動物」は、人間達の襲撃に怯え「肩を
           寄せ合って」暮らしていた。そして人間に対し必死の抵抗を試みるのだった。

これはあくまで「たとえ話」ですので、“Choir”という作品がこの通りの物語であるという意味では、
必ずしもありません。
私が言いたいのは、この作品は「善悪の対立」などという単純な図式で言い表せるものではないということであり、
妖魔たちはもしかすると、人間達の苦しみとは比べ物にならないほどの「苦悩」と「悲嘆」の中にいるのかも
しれないということです。

実は、この作品の舞台となる学園は「聖アルケイド学園」という名前です。
アルケイドが「アルカード」のことだとすれば、より一層この作品の構図がはっきりとしてくるのではないで
しょうか。
そうです、この学園はもともと妖魔たちの住処であり、橘御門たち妖魔こそがこの学園の「主」だったのです。
そこへ人間達が無遠慮に土足で踏み込んできた、そういう物語と考えることもできるのです。

私は基本的にヒロインの同時攻略はしないことにしています。ですから、私は本作をヒロインの数だけ周回した
ことになります。具体的には9周ですね。ヒロインは10人いますが、そのうちの一組は同時攻略が必須になって
いますから。
そして、二つのルートのメインヒロインとも言える「梨葉ルート」と「華乃ルート」をやり終えたとき、
私のこの作品への見方は完全に変わっていました。
この作品では、「梨葉ルート」と「華乃ルート」はやはり最後にやるべきでしょう、この二人の関係性こそが
この作品の世界観そのものを象徴しているからです。
そしてそうすることにより、全てのルートをやり終えたとき、「しみじみとした余韻」が残ることでしょう。

これは、原画を担当されたのが「くすくすさん」であることとも関係しているのでしょうが、私がこの作品の
ヒロインたちの顔を思い浮かべる時、彼女達はほぼ例外なく「愁い顔」をしています。
作中で彼女達は実に様々な表情を見せてくれていたはずなのに、なぜか思い出されるのは、愁いを帯びた彼女達の
微笑みなのです。このことは、この作品を実に端的に表していると感じます。
この作品に満ちている「空気」を一言で言い表すとすれば、それは「愁い」でしょう。
いったい「誰が」、「何に」愁いているというのでしょうか・・・。
この作品は、「すでに失われてしまった夢」の物語であり、時間からも取り残されてしまった者の「愁い」の物語です。
この作品は、ひたすら「救い」を求め続ける者の受難の物語であり、狂おしいほどの「愛」の物語なのです。

この作品のタイトルである“Choir(クワイア)”とは「聖歌隊」または「合唱団」のことです。
この聖歌隊は、いったい「誰のために」、「どんな歌」を歌うのでしょうか。
そして彼らに本当の「救い」は訪れるのでしょうか。
ここまで私の拙文をお読みいただいた方ならばもしかすると予想がつくのかもしれませんが、できればご自分の目で
確かめていただきたいと思います。この「歌」とその「場面」は十分に私の「琴線」に触れるものでした。
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