誇り高き姫騎士は、絶対チ×ポなんかに負けたりしないのだ!
いやマジで。
コント的な前振りではなく、姫騎士アンリエッタも女戦士ヘルガも、チンポなんかには負けなかった。
この作品のパッケージや宣伝に唯一誇張、虚偽があるとすれば、それはパッケ裏の
「チンポには勝てなかったよ・・・」の一言だと思います。
作中では一度姫騎士が言うけれど、負けてなどいませんでした。
姫騎士アンリエッタも女騎士ヘルガも、山賊や神のチンポではなく、己の内なる欲望に負けてしまったのです。
ダブルヒロインモノで思い出すのが
ニトロプラスの「君と彼女と彼女の恋。」で、センセーショナルに話題をかっさらったし、
(自分は見ていないのですが)ニコニコで公式が生放送したりしたらしいので、
プレイしていなくても何となく内容を知っている、という方がいると思います。
自分は発売されてすぐにプレイしたくちですが、様々な方が言うような、
エロゲへの砂かけ、ユーザー批判、マンネリ化した業界批判…。
そんなものは、あまり感じませんでした。
あの作品は、現存するメーカー、クリエイター、また今現在エロゲという媒体に魅力を感じ、
エロゲクリエイターを目指す人たちへの、ニトロプラスからの、最大限の応援、エールだったと思うんです。
「こんなことをしたっていいんだよ、思い出せ、かつて型破りだったエロゲというものを!」
…実際にそれを、実現でき(かつ売上や話題にすることができる)メーカーがニトロプラス以外にどれほどあるのか?というのはさておき。
業界内でも影響力の強そうな彼らが行うことによって、
「我々はエロゲー、18禁という媒体を利用して行えるさまざまな試行錯誤や冒険を忘れてはいない」
と、古くからのユーザー、メーカー、クリエイターたちを鼓舞する気持ちが伝わってきました。
ととの。がそんな鼓舞を、自己主張を、大変スマートで、センセーショナルにやってみせたのに対して、
この巨乳姫騎士(のみならずHAIN劇場すべて)は、大変ドロ臭く、理解しづらい装飾にまみれていて、
その作風は狙い通りでもあるんだろうし、
同時に、それがHAIN、もっと言えばエレクトリップ、弱小(あえてこう書く)メーカーの限度なのでしょう。
あまり「万人にお勧めできない」という表現は使いたくないですが、
ととの。は、エロゲは体験版をいくつかやったかな程度のラノベやアニメ好きのオタクでも「理解できる、プレイしとおせる、なんとなくやりたいことがわかる」もの…だと思うが、
巨乳姫騎士はそうはいかない。
けれど…そんなイビツな、泥臭いものだからこそ感じ取れる情熱や、魅力が、確かにある。
姫騎士…アンリエッタ…アンリは、チンポには負けない。堕ちたりしない。
途中悪堕ちスキーがウヒヒとなりそうな黒い鎧に身を包みますが、そんなものは虚飾…というか、
それ以前の「桜のアンリエッタ」の方が、よほど、囚われ堕ちていた。
「少女王国の再建」という妄執に憑りつかれ、目の前のことを上手に処理できず、
悲しい擦れ違いで主人公とも心が急速に離れていく。
「血桜のアンリエッタ」と化し、神のチンポの奴隷という立場になってからは、
主人公であり、弟であるエミリオへの想いも、
気負うものなく、気楽に生きているくせに主人公に選ばれた女戦士ヘルガへの嫉妬も、
全て隠すことなくさらけ出す。
アンリは悪堕ちなどしていない。
悪という立場を手に入れたことで、思う存分、自分本位に、ヒロインとして暴れることができるようになった。
「どんなことをしても幸せを手に入れる!主人公の寵愛を得るのは私だ!」
…ただ悲しいことにそれは、主人公が他の女を選んでしまってからでは遅かった。
そうなってしまった時点で、いくら暴れようと、魅力的な本性が顔を出そうと、
プレイヤーの思い通りにならない「クソアマ」にすぎなかった…。
女戦士ヘルガは、アンリと違って序盤からユーザーが好きになりやすい、
優しく、ぶっきらぼうで、んでエロくて、なんでもしてくれるメスゴリラだった。
誇り(しかもユーザーからすると序盤では完全に何のことかよくわかんない)なんてものに縛られて不器用なふるまいをするアンリよりずっとわかりやすく魅力的で、
主人公がそれに甘えてしまうのも仕方ないし、
プレイヤーである自分がゴツい手コキに勃起してしまうのも仕方ないのだ。
そんなヘルガも、己の欲に負けた。
かつて、はるか昔、選ばれない者だったヘルガは、アイツらを助けてやらねば、
と思っているくせに…主人公に好きだと言われた瞬間、ヒロイン扱いされる嬉しさにとろけてしまい、
ズルい割り切りをして恋愛関係に陥いることをよしとしてしまう。
結果としてアンリの精神は混迷を極め、主人公はギロチンポの刑に処されてしまった。
そんな三人にもたらされた結末は、本当に悲しかった。
けれど、最後の最後で光が示される。
「生きていればいい」
その一言と共に、笑顔で果てしない青空を見据える姿は、ご都合主義だ。
HAIN劇場が、少女王国が、虐げられてきたヒロインたちが抗い続ける、
「可愛ければそれでいい」
という萌えによるキャラクターの消費と、本質的には同じかもしれない。
それでもいい、たとえ予定調和でも、ご都合主義でも、どうか生きてくれ。
たとえシンさん(神)が、他人の不幸でご飯が美味い山賊(ユーザー)が、いくらはずかしめようとも、
自分は自分の意志で生きている、その魂があれば、ヒロインは手折られることなどない。
ただの萌え豚のごはんに成り下がってしまうことなど決してない。
そういった、他でもない「ヒロインへの鼓舞、応援」が、この作品には満ちていた。