SFのところはいまいち好きになれなかったが、ED前後の話がとても好き。継承という関係に落ち着き、恋人に落とさなかったのは英断だと思った。
SFのところは好きじゃないし特に思うところもないので感想もない。
この作品は最後、ジュードがフィリアに対して「娘と思ってもいいか?」と聞くところにすべてが詰まっている。そして、その結末を起点に、作品全体を考え直すのが良いと感じた。
恋人という関係ではなく、娘という関係を選んだ意義をいくつか考えてみる。
まずキャラクターたちを対等な関係に置く必要がなくなる。将来どうなるかわからないが、AIを教育するという言い方に特に違和感はない。
次に継承という要素が光る。受け継がれたものはAIやアンドロイドという特質故に、半永久的に残り続けていく。一つの遺産の形だ。
そもそも人間であると主張しつつも機械的に行動するジュード、機械でありながらも博愛主義的であり人間らしさが感じられるフィリアと、逆の要素を兼ね備えているペアが作品の中枢にいる。果ては機械的であり人間的である曖昧さがありつつも安定している、自立した人間になるだろうとは予想がつく。
主人公が機械的なのには彼が母や娘を捨てた末に放浪の身になったという過去がある。そのために人との有機的な繋がりをあまり持っていない。
そこでフィリアという少女が来ることで、かつて名前も知らないまま、顔を合わせることもないまま失ってしまった娘という欠落が埋められる。そして彼は人間らしくなり、世を去ることができた。
フィリアは過度に人間的であった。しかし人間的な暖かさをもちつづけると損すると知った。故に非情さを学んだ。ジュード最期の75日間で共に旅をし、そして彼から人に冷たくしつつも優しくする方法を知った彼女は、人らしくあろうとしたときよりも人らしいとすら言える。
多くのものをフィリアに託しつつもジュードは死んでいった。
フィリアを世界に送りだした。しかし遺されたフィリアは限りなく長い時間をジュードなしで生きなければならない。その喪失感がこの作品を悲劇的なものにしつつも、大きな感動を呼び起こさせる所以であろう。それは私たちが親に取り残される経験の模倣である。
ED前後で感じた大きなカタルシスと、スタッフロールで時間が経過しつつも残るジュードの墓は、崇高さすら感じられた。
アフターストーリーについて
フィリアがより多くのものを人という存在に継承していくという話がとてもよかったです。
人でよりも人の暖かさを持ち、しかし別れなどに対しては非情である。これはジュードの残した運び屋の金科玉条のように大切に守られるべきことなのでしょう。
そしてより多くのものを人に託していく。悠久の時のなかで、彼女は大いなる母のようにすら感じられる。