プレイしながら自分の口からほぅと零れるため息が、我知らず切ない憂いの色を帯びていることに驚かされた。気づいたら否応なしに引き込まれていた。想いの奔流に当てられ、打ちのめされてる自分を見つけた。…今の私、傍から見れば絶対キモいなw。これではまるで初心な小娘みたいじゃないかと自嘲
当初は90前後の採点を考えていたが
最終ルートのcodaに100点満点の破壊力を感じ、最終的にこのくらいに収まる
圧倒的なボリュームを中だるみ無く読ませる筆力
捨てルートも一切なく全力投球
ただしサブヒロイン陣のエピソードは、あくまで物語の脇道として描かれ
本筋は雪菜を軸に据えて、それにかずさへの想いを絡めていく
前編から継承されるテンポの良い掛け合い、シニカルな意趣返しの応報
時に擦れ違い、あるいは絡み合う、近づけば逃げ、離れては縋る…人間模様。そのドラマ性
想いの強さ故に心の器から零れ、時に爆発する諸感情の奔流
ネガティブな『人間味』と、複雑で長大な恋の推移とが、一切の容赦なく真摯に描き尽くされる
あれだけ多分に人の業を織り交ぜたのに、この物語はどうしてこんなにも美しいのだろう?
最終ルートのcodaは非の打ち所もない傑物
月並みな表現だが、ここまで強いインパクトを感じたエロゲはYU-NO以来
(あまりに回りくどかったため以下推敲しました)
誤謬を恐れずに言うなら、CC学生編に限れば
解しやすい娯楽色を薄めて、その代わり作品の"質"を高めようとする姿勢が見られる
しかしメリハリが損なわれたり、分かりやすい盛り上げの機会が失われたり
一部解しがたい感情表現が生じたり
それらは、作品の硬度が上がって間口が狭まってしまう諸刃の剣でもある
無茶振りかもしれんが、そこは頑張れば両立できたように思うのだ
作品の完成度が全体的に非常に高かったが故に
もう少しだけ頑張る余地があったのに、完成度を高められたのにと
その"少し"を惜しむ気持ちを抱いてしまうのは、果たして私のわがままなのだろうか?
…もっと売れるといいなぁ、このゲーム
春希の病理について、メイン3名の"弱さ"について、小春と春希との決定的な差異について、千晶の本質について…
各人物に関しても語りたいことが多々あるが
とても長くなりそうなので、気が向いたら、その内ここに追記することにする
追記1
北原春希の病理について
WA2ICのレビューで私は主人公のことを『ウザキャラ』『トラブルメーカー』と扱き下ろした
CCをプレイした皆さんになら、その指摘の正しさを認めて頂けると思う
北原春希が批判されるであろうと予め見込んでいた、そして実際に叩かれているファクターの一つに
彼が交際する女性を絞ることができない点、その不誠実さが挙げられる
辛いときに優しくしてくれた女に転んでしまう、あるいは、ずっと想い続けていた女との再会から
やけぼっくいに火がつく等の展開は、(全肯定こそ無理だが)一定の理解と共感をもってユーザーに受け入れられる
しかし、双方にいい顔しながら決着つけずにズルズルと二股を続けることに対しては
レビューを読む限り多くのユーザーが眉をひそめているし、それは予想通りでもあった
春希に近しいとよく喩えられるヘタレの代名詞、君望の主人公の鳴海孝之は
同時に2人の女を愛してしまった葛藤に苛まれこそすれ、可及的速やかに白黒はっきりつけなければならない、
どちらかと決別せねばならないという明確な意思を抱いていた
そこには幾許かの誠意が感じられる
つまりその意思がまるで無い北原春希は喩えるなら、鳴海孝之ではなくむしろ伊藤誠だったりする
(もしかして当作がアニメ化されれば「春希死ね」が流行語になったりするのだろうか?)
…上記の表現は実はあまり正確ではない
人間のクズの代名詞、スクイズの伊藤誠は
当初は純朴であったが、最終的に露骨な直結厨と化して因果応報に倒れる(アニメ版)
彼は自覚的、確信的に女の子に手を出す「普通の悪人」である
しかし北原春希のそれは自覚的ではない
常に自分を責め続け、コンナコトハイケナイイケナイと頭の中で連呼しつつも
卑怯な裏切りをどうしても止められない
彼の行動は識閾下に根ざした、自動的なものである
とすれば春希の抱えている問題は感情or人格的なものではなく、それはむしろ病理の領域なのだ
前置きが長くなってすまないがここから本題に入る
私は早い段階で、北原春希は境界例ではないかという強い疑念を抱いていた
彼の問題行動は心のビョーキに拠るものなのではないか、と
主人公は母子家庭出身で、その母との関係は冷め切っている
冷戦状態はある程度大きくなってからのことらしいが、子供に対してこういう振る舞いを取ってしまう母親は、
それ以前=春希の幼い頃から、我が子に情薄く接してしまう素養を持っていたと想像するのは易い
親から十分な愛情を得られなかった人間は、ほとんどのケースで自己肯定感を養えずに成長する
彼には自分を好きになったり、自分を認めてあげる能力が欠落している
愛溢れる家庭に育った雪菜が、春希やかずさだけでなく、自分自身のことも大好きだと明言するのと対照的に
主人公は付属時代から「俺なんか」と自嘲を口にしてばかりだし
CC以降はもっと露骨に自身を責め続けている
彼が学業や仕事、自分磨き等に人並み以上に必死に執拗に入れ込むのは
まるでそうしなければ=後付の能力や社会的な評価で自分自身を着飾らなければ
自分には価値が見出せないのだと、暗に主張しているようにさえ見える
事実春希は麻理から"あやうさ"を指摘される
女を抱くときの春希は積極的でねちっこくて、甘ったれで
特にサブヒロイン3名&codaかずさルートで顕著に見られるのだが
母親のおっぱいにしゃぶりつく赤子のように、
交際する女を母親の代替にするかのような印象を与える
つまり春希の心の根底には、自身に対する自信のなさ、自己を確立できない脆さと
それを埋めるものを自分の外側に、我知らずとても強く求めてしまう心の働きがある
もう一つ押さえておかねばならないのはその自意識過剰ぶり
病的なまでに肥大化したエゴ
付属時代から、他人のためにありえない程献身的であろうとする彼の行動様式には
薄ら寒いなにか病的なものを感じずにはいられなかった
大学時代に顕在化するのだが、彼は根っからのエゴイストで
他人の役に立つような行動や意識を有しつつも
本質的には常に自分自身のことばかり考えているフシがある
他人のために行動するのも、「そうしないと自分がムズムズするから」であり
真に他人のことを考えてる訳ではない為、
その行動は迷惑を鑑みない、目的のために手段を選ばないものとなる
もし本気で他人のことを案じるのならば
相手の痛みを察して、ある程度は自重する動きを見せるはずなのだ
それが無い春希は『相手の都合』より『相手に踏み込みたい自分の気持ち』を常に優先する
そういう心の働きが、自分のことしか目に入らない傾向が、他人の何倍も強いのである
(かずさ逃避ルートの最終盤は本当に酷かったなぁw)
たまたま彼が重度のお人好しで、"ある意味においては"善良であるので
それが上手い具合に周囲に許容されているだけなのだ
そしてそれこそが、杉浦小春が小春希と揶揄されることに私が異を唱える最大の理由
だって本家の春希には、他者に対する誠意などというものが、始めから微塵も備わっていないのだから
小春ルートでは、彼女が良心の呵責に潰れるまで
春希自身は自分を責めるスタンスを維持しつつも、
実は口ほどは悪びれずに、いけしゃあしゃあと悪行を重ね続けた
そこには誠意などというものは微塵もなく、あったとしても口先ばかりである
彼が意識するのはいつも「優等生で他人に優しく皆から頼られるボクちゃん(キリッ」
それと「他人を傷つけて全責任を負う悪いボクちゃん(キリッ」
他の女を忘れたくて爛れたセックスに浸るのも、現実逃避で仕事に逃げるのも
心理学的にはどちらも自傷行為に該当するそうで…
主人公はつくづく、「可哀想なボクちゃん」に浸るのがお好みらしい
麻理ルート、彼女との破局後佐和子とバーで逢うイベントにて
「俺が悪いんです、俺を責めてください」云々と抜かしたとき
リアルで「コイツこの期に及んでまだこんなこと言ってんのかよwwwちっとも反省してねーwww」と
爆笑しながらディスプレイに向かって思わずツッコミを入れてしまったw
案の定佐和子に全部見透かされて「君は他人から責められて罰を受けたつもりになりたいのかもしれないけど」と窘められる
『罰を受けたつもりに』がポイント
自己満足ばかりで本当の意味では責任を取ろうとしない
事ある度に自分が悪いと連呼して自身を責め苛む彼だが
多くの読者がお気づきのように、彼にとってはその状態が一番"楽"なのである
少なくとも白黒はっきりつけるよりは、自分いじめに浸っているほうが"楽"
他人の責任を認めるくらいなら、それを全部自分で被ってしまったほうが"楽"
そしてその心の状態を、ついつい知らずと自動的に選択してしまう
自責の念が自己愛の裏返しだなんて、シニカルにも程があるのだけれど
ホストに貢ぐアゲ嬢や、自室に引きこもるニートの心理が比較的近いのか?
自身の置かれる状況が悪いと、破滅に向かって突き進んでいると自覚を持ちながら
そこに耽溺することをどうしても止められない
外圧がなければ自発的には行動を起こせない
人によっては外圧を受けてもそこにしがみ付いたりする
今挙げたケースに共通してるのは
そういう人達が、周囲から目を逸らして自分の気持ちしか視野に入れないこと
社会的な事情や自分を心配してくれる他人より、自分の気持ちを最優先してしまうこと
頭の中は自分のことだけで一杯になっている
自分に自信の持てない不安心理も、身勝手なエゴも
人間なら誰だって、ある程度は心に抱えているものである
そういった心の闇、業の存在そのものは否定されるべきではない
問題は北原春希はそういう性格傾向が肥大化していて、普通の人の何倍も強くて
それがサブヒロインルートやcodaかずさルートに見られる遁走
つまり反社会的な問題行動を誘発してしまう点にある
かずさルートに至っては自律神経失調症まで併発し、日常生活が送れなくなる
身体に変調を来すまで自身を苛むというのは、裏返せばそれだけ自意識が肥大化している証左でもある
北原春希が二股をズルズル維持し続けて白黒はっきりつけないのは
あるいは失楽園ばりの愛の逃避行に走ったのは
そしておそらく、大学時代初期に雪菜に半端な態度を取り続けたのも
他人に過干渉するくせに惚れられると酷薄に拒絶する最低な態度の理由も
彼が弱いからでも、ズルいからでも、嘘つきだからでもなく
実は心を病んでいたが故なのである
彼の最大の不幸は、それに気づいてあげられる人間が周囲に一人もいなかったことだ
早期に適切な措置が取られていれば、春希はここまで問題を起こさなかっただろうし
周囲の人間が巻き込まれて迷惑を被ることもなかったのだ
追記2
小木曽雪菜の強さと弱さについて
強さと弱さは本質的には同じ物の表裏で、それは不可分であると私は考える
例えば、誰かを想うことは当人の心を強くもするが
同時にその人物が弁慶の泣き所になってしまう
何かを護りたいという意思は人を強固にもするが
裏返せばそれは、その対象を喪うことに怖れを抱くということでもある
さて、当タイトルのメインキャスト3名において、一番『強い』と称されるのは雪菜であった
だが逆説的に捉えれば、それは彼女が最も大きな『弱さ』を抱えているとも解釈できる
かずさとウィーンに逃れるルート(世間ではこれがtrueと呼ばれているのかな?)にて
雪菜は統合失調症を患い、面会したかずさの良心をこの上なく打ちのめす
不満や怒りや憤りと、無償の愛情と、対照的な熱情を同時に心に焼き付け続けるという行いが、統失発病の典型例だったもので
物語冒頭から「この娘いつかは病みかねないなぁ」と危惧していたのだが…案の定w
ICの私のレビューでも言及したのだが
猫を被って自分をよく見せようとするタイプの人間には、一般的に
それが気を惹きたい相手であるほど、素の自分を懸命になって隠そうとする傾向が見られる
(だからIC序盤の雪菜の振る舞いが理に適わないと指摘した)
根底には「ホントの自分を見せると他人から嫌われてしまう」という強い不安心理がある
これは作中でも彼女の口から語られる
>「こんなものを見せたら、あなたが離れてしまう。
>気持ちが、一気にかずさに向かってしまう」
雪菜と春希の関係に限ってはそれは誤解であって
目に見える分かりやすい弱さを晒せば、むしろ逆に春希は彼女を心配して二度と離れられなくなってしまうはずだが
(かずさに対する彼の言動はまさにそうであった)
面白いことに、彼氏のことなら何でも言外に理解できるはずの、春希マスターの小木曽雪菜さんが
何故かこの事柄に限ってだけは全く誤った認識を持ってしまっている
ここで重要なのは、『本当の雪菜』を真に嫌うのは、北原春希ではなく小木曽雪菜であるということ
彼女は、自身が私的な感情で嫌っているものを
他人こそがこれを嫌うのだと主格の摩り替えを行っているのである
その結果何が起きたか
雪菜は内心、春希に対する不満や不安、怒りや憤りを抱えつつも
彼に嫌われたくない一心でそれを隠し通す
心の奥底に封じ込めて蓋をして、自分自身でさえもそこから目を逸らして…
彼女が春希を責めることを頑なに拒み続けたのは
彼の非を認めることが、封印している『本当の雪菜の気持ち』を肯定することに繋がるから
好きな男にだけは絶対に見せたくない、本当の"黒い私"を晒してしまって
結果"愛しの春希くん"に嫌われてしまう、と心底思い込んでいるからである
この辺りの彼女の行動原理は、そのプロファイルに合致するように思う
雪菜はおそらく識閾上では、春希の過ちを赦すつもりになっていたのだと思われる
だけど彼女の無意識は彼への恨みを消化しきれていない
『責めない』ことと『赦す』ことは似て非なるものだ
だからこそ、この消化不良が次なる悲劇に繋がる
雪菜はどれだけ春希から好意を示されても、それを心の底から信じることが出来なかった
彼の心に、昔と変わらぬかずさへの思慕を読み取ったり
あるいは再び彼が他の女に走るのではないかという不安を抱え続けたり
そういった不安心理が、雪菜の心の蓋を維持し続ける力に転換されていた
逆に言うと、雪菜が春希の愛を心から信じられるようになった、まさにその時こそ
彼女の積年の恨みが、不満が、不安が、怒りが、憤りが、流した涙が、全部まとめて大噴火する
彼への信頼が爆発のトリガーになっていた訳だ
(正確には、信を得た時点では枷が外れるだけで変化は見られないが、次に地雷を踏んだ瞬間に爆発する)
クリスマスイベントにおいて、春希がかずさへの未練に蓋をして
きちんと自分に向き合ってくれていることを全部見透かしているのに
自分を選んでくれたのだと分かっているのに
理性に感情がついていかなかった雪菜
・彼女の『感情』が何処を向いているのか
・彼女の、彼女自身も知覚できない本当の望みとは何なのか
もしも春希や武也や依緒が、先述したような彼女の内面の葛藤に早期に気づいてあげられさえすれば
問題はもっと簡単に収束したのかもしれない
だが、たかが20歳そこそこの若者にそれを求めるのは酷な話だろうか
この後紆余曲折を経て2人はよりを戻すが、雪菜が抱える問題の解決には更なる時間を要することになる
歌へのトラウマの克服と、春希とヨリを戻すことについては
彼に対する愛の強さで全部押し切ってしまった印象を受ける
歌と、『春希から嫌われる』という不安心理は直接的には結びつかない為
彼女の抱える一番の地雷スイッチは踏まずに済んだというところか?
作中の人物は皆、雪菜の愛情の深さと春希への態度をして、彼女を強い人間だと評していた
だがそれは自身のネガティブな一面からの逃避行為に過ぎなかった
これまで述べてきたように、雪菜は強い不安心理から自身の本心を覆い隠してきた
彼女自身そこから目を背けて自覚しないようにしてきた
自分の嫌な面を好き好んで直視したがる人間なんてほとんど居ない
それが許されるのなら忌避した方が楽に決まってる
だけど本当は、そういう醜く浅ましい一面も自分の中にはあるのだと
その弱さに真摯に向き合うこと、他人に包み隠さず露わにする意思
それこそが、人の心の強さの証明なのではないだろうか
(今アニメやってるペルソナ4がまさにそんな話だったような…w)
そういった意味では、メイン3人の中で一番強いのは冬馬かずさである
一番弱くて脆いのが小木曽雪菜
彼女は春希に受け止めて貰うまで、その弱さに向き合うことが終ぞ叶わなかったのだから
他人から嫌われることを怖れてもいい
自分をより良く見せようと猫を被ってもいい
他人から傷つけられたときには、目いっぱい腹を立ててもいいのだ
沢山傷ついて、沢山怒って、沢山泣いて…
でも最後には、小木曽雪菜は笑うことの出来る人だと信じられる
>「わたしが一番頑張ったんだよ!
>とっても辛い思いをしたんだよ!
>だからいいよね?幸せになってもいいよねぇっ!?」
勿論、幸せになってもいいのだ
coda雪菜の最終盤。春希のプロポーズ
決壊した雪菜の壁。心の奥底から湧き出る恨み言の数々
だけど彼女の流した涙は読者を不快にさせるものではなく、心を溶かす熱量を帯びていた
あのシーンになって初めて、私は雪菜の中に『強さ』を見出せた気がする
いい物を読ませて貰った、という想いがある