ゲームがマルチメディアと言われて幾年が過ぎただろうか・・・ゲームとしてはどうか?とも思うがマルチメディアとしては何かを感じさせられた快作(怪作?)だろう。この作品には語られる重いテーマも、泣ける話も、ゲーム性も無い(と私は思う)。ゲームで言えば「アクアノートの休日」映画で言えば「バウンス ko GALS」と通じる物があると思っている。日常を切り取りが絶妙。
個人的にはNormalEND?が味があって涙物。
惜しむべき点はフラグ立てに終始しなければならないというゲームコンセプトとは異なる攻略性だろうか。
会話ボール、ヴォイドだっけ?ま、ボールでいいや。
相手には意味のある(フラグの立つ)ボールを投げないと際立った反応が無い、これは本作がコミュニケートをコンセプトとした物ならば致命的なミスだと思う。
ただ、これはゲーマーとしての視点であり、興味の無い話には乗って来ないという人として当然ある行為をゲームキャラクターである相手に認めるか否かという所まで踏み込むと一概に否定できない面もある。
また、ライターがSFマニアなのか世界観の構築に心血を注ぎすぎという点も賛否が分かれる、本作を恋愛ゲームとして捉えると、世界の存在感をいかにプレイヤーに認識させるか、それに伴うキャラクターの存在感をいかに感じさせるかに終始している感が強く
キャラクターとのラブラブイベントを期待するゲーマーにとっては肩透かし以上で巴投げを喰らった様な衝撃があるだろう。
しかし、この点もテレビ電話、デジタルフォンだっけ?ま、電話で・・・
電話でのみ会話する彼女達と“会う”までのゲームなので逆に言えばラブラブしすぎは変だし、深く入り込むのも行き過ぎだと言えるかもしれない。
つまり、彼女達に会ってもいいかな?と思わせるゲームなので、プレイヤー側も彼女達に会ってみたいなと思わせられるゲームという事になる。
その為の細かい世界観の構築であり、彼女達の存在感そのものを強固にする為の描写なのだろう。
結局の所、ゲームはコンセプトを無視してまでもユーザーに迎合しなければならないのか?
またはニーズに基づいてゲームは作るべきなのか?という卵が先かニワトリが先か的な感想に落ち着いてしまう。
ただ、私はこういう作家性が強いユーザーをおいてけぼりにした作品は好きだ。