ゲーム性(攻略、選択肢幅等含む)/シナリオ性/キャラクター性/エロの内最低二つは優れていないと高得点を付けないことにした。エロくないので若干低め。
見方によれば、最高水準だと呼ばれるテキストタイプのエロゲ(本作)がライトノベルの域にその領分で追いついた(ライトノベル化した)とも言えるだろうし。
逆に言えば最高水準をもってしてもノベルスの領域を出ていないレベルだと言える。
マルチメディアと呼ばれるゲーム産業において、本作は映像による演出、BGMを使用しているものの、
大半は活字媒体の領域に重心を置いていて、アニメに比べてノベルとの差異を感じ辛い面は拭えない。
映像演出の妙は他の追随を許さない程のレベルで、アニメーション一辺倒だった業界を一新しかねない程の物だとは思いますが・・・
フルアニメとリミテッドアニメの差の様な物なので受け手としたら技術云々は瑣末な問題なんですよね。
個別ルートにしてもセイバーシナリオ=前説、セイバー話、凛シナリオ=本編、凛が主人公じゃね?カッコ良すぎるんですけど・・・、桜シナリオ=士郎の動機の発現、ヒーローが存在する為の悪(倒すべき敵)とその考察、そしてやっぱり凛が主人公じゃね?、設定解説編。
と扱いが分担されているし、通して読み進める形になっている。
士郎の在り方を主眼としているので士郎の物語であり、士郎が主人公だと言えるのだが、ハリウッドスタイル的には在り方が定まっていない者は主人公足り得ない。
ハリウッド的には二時間中三十分内には在り方が定まり、それに向かって二転三転はある物の突き進むが、本作は非ハリウッド的で旧邦画的な在り方が定まる事自体に物語を収束させている。
まぁ、士郎はヒーローに成る前の存在なので(ヒーロー=主人公)には成りえないのかもしれない、そういう面において凛はヒロインでは無くヒーローなのだろうと思った。
即DEADという分岐もゲーム性としてはどうか?という向きがあるが、結末、未来の提示という読み方からすれば、死、そして緊迫感を持たせるためのイリア惨殺や判断ミス死亡以外の、桜ホラーやBADENDという物は面白かったと思う。
エロゲはエロくあるべしとまでは言わないが、18禁で出す以上18禁でしか表現し得ない物を出して欲しいと思うのは当然の要求だろう。
逆説的に非18禁でマルチメディア展開できてしまう辺りからして、自ずから18禁である事を否定しているような物なのかもしれない。(アニメ始まりますね)
桜シナリオに関しては18禁かも?と思えなくもないが、このレベルの描写なら青年漫画やノベルは十分範囲内だし、映像作品においてもR指定レベルかと思う。
個人的に、本作のほのぼの恋愛パートは見ていて、シリアスな部分との乖離が酷く、呆れる内容だったし、エロも邪魔臭く感じた。
落差の激しいほのぼの展開というのは80年代以降にみられる、真面目、熱血一本調子は格好悪い、ダサイという風潮、ポストモダンに起因していると思う。
近年は勝ち組、負け組みと二極化し、無気力世代と揶揄される物になっているかと考えられるが・・・
可能性宇宙論というか並列世界物というか、この手のお題は『ドラ○もん の○太の魔界大冒険』から『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』 と良く扱われる題材ではあるが、論の起点が起点だけに基本的に救いが無い。
本編でも描かれているように、救っても救っても救われない世界が存在するからだ。
その辺りをギャルゲー(恋愛系)では無意識的可能性宇宙というか、個別ルートと呼んだりする。
一人のヒロインを攻略(仲良くなる)すると他のヒロインとは仲良くなれないという当然のアレ。
しかし、エロゲーにおいては無意識的並列世界統一法とも呼ぶべきハーレムENDという救済というか破綻が用意されていたりする。
話が脱線したが、要は可能性宇宙論を下地にすると基本的には救いが無くなるという事。
しかし、近年『infinity』シリーズと呼ばれる、打越(中澤?)シナリオにおけるレトリック(アキレスの矢的パラドックス)による可能性宇宙収束法とも言うべき救済法がゲーム業界にもたらされた(と思う)。
本作はその様な技巧を用いずに正面から可能性宇宙論を描いている。
少なからず他の並列世界とリンクする部分があるが、プレイヤー認識としての整合性の為ではなくサーヴァントシステムとしての記憶の並列化とマスターとの同調による物だろう(ざっと見た感じ)。
この辺りの演出は語りすぎずに実に上手く表されていると思った。
しかし、この上手さはゲームとは全く異なる部分でライターの筆力以外の何物でもない。
『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』や『infinity』シリーズは恐らくゲームデザインを加味した上での設計であり、本作や『Air』等はシナリオありきの物だと思われる。
別に士道不覚悟という訳ではないが、読み物として面白く、王道的であるが故に、ゲーム、しかもエロゲで表現する事か?と思ってしまう。
総括してしまえば、エロゲで出さずに文庫、漫画等で表現した方が良かったのではという所。
アニメにしてしまっても(というかもう放映寸前な訳だが)、バトルロワイアル物としたら『舞HiME』よりは良い物が出来る気がする。
『仮面ライダー龍騎』や『仮面ライダーブレイド(のアンデッド設定)』ら子供向け(大きなお友達含む)番組のバトロワ構成と
18禁マルチメディア産業随一と謳われるソフトの構成に大差がないという無視し難い実情。
そして、それを傑作、名作と言わしめてしまう18禁マルチメディア産業の層の薄さを大変遺憾に思う。
安価で安易に製作できるエロ(同人)業界においてでしか、個人の作家性という物を素直に表現できないという実情はあるのかもしれないが、本作の様にその作家性が決して尖っている訳でも無く、言えば大衆受けする、王道、典型的とも言える(ライトノベルに良く見られる)内容にエロを加味した物を提供してくる辺り、素直に一般PC(コンシューマー)で作ってくれと思うのは自分だけではあるまい。
余談
凛GOOD ENDの「sunny day」ってシロウのGOODなだけでセイバーが答えを見出していない分においてその体は凛にガンド打ちされたBADENDと変わり無いんじゃ・・・
そして、物語重視派の方翼を担うKeyに比べると音声面において大きく劣りますね、好き好き以前でしょう。
文面は好き好きレベルですし、映像演出も五分か少し勝るくらいではないでしょうか?別に無理矢理双方を比べる事はないのですが・・・
私は既読シーンはスキップしましたし、何度も読み込んでいないので、深い読み込みをしている方にしてみれば批評できる立場でもないかと思いますが、その辺りはご容赦ください。
色々書きましたが、エンタティメントとして考えれば100点と言っても良いと思います。
シナリオも読み物として飽きさせないし、エロゲとしてどうか?ゲームとしてどうか?等と考えなければマジで非の打ち所は無いでしょう。
ただ、読み手(プレイヤー)として介入すべき隙間が全く無いほど完成されているので『infinity』シリーズの様に心に残る(悪い意味で?)事がありません。
ゲームの特徴は双方向性とよく評されます、本作は作品として世に生み出された瞬間に完成されているため、私達プレイヤーが介入する必要が無いという点において、幾分かの減点がなされています。
あと、士郎(少年)とエミヤ(大人)のジュブナイルという話なので物語上仕方の無い事かもしれませんが、少年漫画臭すぎる点もアレですね。