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tomosibee3104さんのD.C.P.C. ~ダ・カーポ プラスコミュニケーション~の長文感想

ユーザー
tomosibee3104
ゲーム
D.C.P.C. ~ダ・カーポ プラスコミュニケーション~
ブランド
CIRCUS
得点
100
参照数
569

一言コメント

【異説】D.C.はキャラゲーの皮を被った、脱エロゲー推奨作品

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

はじめに
 この作品は記念すべき私のエロゲー100本目であり、15年ほど前にプレイしたD.C.P.S.のおさらいでもある。私の趣味嗜好に大きな影響を与えた作品を1つ挙げるならばD.C.ダ・カーポ以外にない。具体的には、ガヤシステムと攻略後の声優インタビューで声優にも目を向けるようになり、音夢に義妹属性を植え付けられ、さくらに金髪幼女を教えられた。
 これだけ思い入れのある作品ではあるが、再プレイの感想としては「こんなにわかりづらいシナリオだったのか」だ。さくらルートをやるまでは唐突に桜が枯れて原因がわからない。音夢ルート単体ではなぜ音夢が生きているのかもわからない。美春ルートではロボ美春との恋愛が終わり、本来の美春とどのような関係を持つのかわからない。
 自分が好きだった作品は、D.C.ダ・カーポとはどういうものだったのか。ナンバリングは4まで続き、再来年にはD.C.も20周年を迎える今、改めて考察してみた。ただし、本来のダ・カーポを見るため、追加ヒロインは扱わないこととする。

D.C.ダ・カーポで描かれているもの

・一つの終わりと、新たな始まり

「確かに一つの物語は終わりを告げた。けれど、新しい物語が再び幕を開ける。
 一つの物語は終わり、新しい物語が。」(頼子ルート)

 これこそがこの作品におけるダ・カーポである。本来の意味は曲の冒頭まで戻り再度演奏する音楽用語である。つまりは同じ演奏を繰り返すように思えるが、そうではない。毎日同じように見える景色も同じものではないように、同じように聞こえる演奏でも、まったく同じ演奏などありはしないという主張がこの作品にはこめられている。
 音夢、ことり、萌、頼子、さくらの5ルートは枯れない桜の魔法の終わりと、新たな始まりを描いている。美春のみ桜の魔法とは無関係に終わりを迎え、彼女の物語は続かない。
(眞子ルートは桜の魔法とまったく関わりのないオマケ扱いなので考慮外)
なぜ美春のみBADENDと捉えられかねない終わり方なのか。それは、より深くテーマを読み込むことで見えてくる。

・ネバーランドからの卒業

「ワタシは自転車の補助輪みたいなもんさ
 最初はそれがないと走れない。ワタシは当たり前のように支えている
 でも、いつかそれをはずさなきゃいけない時が来る…
 最初は倒れる。苦労を覚える。たいていの人間はそこで痛みを知る
 でも走れるようになる。いつか…補助輪がないほうが速く走れることに気が付く。
 遠くまで行けることに気が付く
 それが夢の終わり…現実のはじまり」(D.C.)

 この作品では、魔法の力で願いの叶う舞台を夢の島――ネバーランドとして描く。そして、魔法とは自転車の補助輪のようなものであるという。音夢、ことり、萌、頼子、さくらの5ルートは、各ヒロインがこの補助輪を外せるようになるまでの物語と言える。しかし、それだけがこの作品テーマの本質ではない。それだけでは美春ルートの説明がつかない。

・この作品の本質は「夢の終わり、現実のはじまり」である。

 この作品において、魔法と夢は似たような意味合いを持たせられており、現実の対義語のように扱われる。そして、謎の技術で人間同様に振る舞えるロボットとはまさしく非現実的だ。つまり、美春とは存在自体が非現実の象徴として描かれているヒロインなのである。そのため美春ルートにおいては物語の終わりがヒロインの終わりとなる。主人公が歩む現実には存在できないということだ。

「おはよう…夢の世界へようこそ…うんん。もう目覚めたんだね」(D.C.)

 さて、本題。この台詞は全ルート攻略後に解放されるD.C.シナリオでさくらの姿をした存在からの第一声である。これは主人公への呼びかけであり、プレイヤーへの呼びかけでもある。夢の世界とはD.C.ダ・カーポ、この作品世界。そして全ルート攻略によるゲーム終了が夢の終わり、目覚めである。

「魔法使いは、人を本当に好きになると魔法が使えなくなるの」(音夢ルート)

 この台詞は昔から印象に残ってる。まるで30歳まで童貞だと魔法使いになる都市伝説の逆説みたいだと、そんな風にも思っていた。魔法とは夢、非現実、あるいは現実逃避。つまるところオタクにとってのエロゲーだ。

「関係ないが、お前を見てワタシはピーターパンみたいだと思っていた
 めんどくさがりで、自分勝手で、退屈嫌いで、
 でも最期には文句を言いながら助けてくれると」(D.C.)

 ネバーランドから卒業しなければいけないのはピーターパン=主人公=プレイヤーなのだ。ヒロインの補助輪を外す手伝いを通じて、プレイヤーが自身を省みることを望まれているのがこの作品D.C.ダ・カーポである。

「それは、そう… 春の終わりと、夏の訪れを迎える前の夢
 この時点で意味をもった――ダ・カーポのような、終わりとはじまりの夢
 また、いつか。 夢で逢いましょう、と桜が笑った 春の出来事――。」(D.C.)

 この時点とはなにか。ゲームの終わり、間違いではない。ゲームの終わりで、プレイヤーへ語りかけるところまで描いて春は終わる。桜は散り、魔法はおしまい。ネバーランドを卒業したウェンディは春のみ大掃除のためにネバーランドへ行くことを許される。それでも大人になって、結婚して、子供を生んで、空は飛べなくなり、ネバーランドに行けなくなった。
 さくらは自ら桜を枯らし、最愛の人との日々の前に責任を果たすため帰国した。ことりは心が読めなくなった”当たり前の世界”を受け入れ、不安を乗り越えた。萌は夢の中での幼馴染との逢瀬を諦め、救われた命を、現実で幸福に生きると決めた。美咲は借り物の、頼子の身体で関係を進めるのではなく、美咲自身として純一と向き合った。眞子はそもそも魔法に頼らず、努力して恋を成就させた(描写や設定は努力に疑問を持たざるをえないが)。

「『美春さん』の記憶を思い出して、わかったんです
 思い出は誰かに作ってもらうものじゃないんです。
 思い出は自分で作るものなんです」(美春ルート)
「だから、美咲ちゃんは、美咲ちゃん自身のために、頑張って」(頼子ルート)
 
人より遥かに短命なロボ美春は、数百年を生きる魔女の境地へ至った。また、舞い散る花びら、飛ぶ蝶々、バス通学、当たり前の光景に美春が大はしゃぎする様は、当たり前の日々の尊さを教えてくれる。

「枯れてしまった桜は、どうしても物悲しい。 けれど、これが当たり前だった。
 枯れるのが当たり前なのに、俺達は、当たり前じゃない状況に慣れてしまっていた。
 そう、それは、ただの慣れ。失った反動は強いかもしれないけれど、
 再び、慣れるだけだ。 そしてそれは、そんなに難しいことじゃない。
 当たり前のことなんだから。」(ことりルート)

 枯れない桜、願いを叶えてくれる魔法の桜。義妹と恋愛し、女の子をとっかえひっかえするエロゲの世界。当たり前じゃない世界を楽しみ、慣れてしまったオタクがこれを失うことは辛い。それでもいつかは慣れる。
 夢から覚め、現実を生きるということは、一つの物語を終え、新たな物語を始めるということ。ピーターパンは、プレイヤーは、いつまで夢の国を生きるのだろうか。いつになったら現実に向き合うのか。D.C.ダ・カーポという作品は、そんな問いかけをプレイヤーにしているように思えてならない。最後に、さくら先生のありがたい金言を持って締めとさせていただく。

「夢は、希望とか将来を語るものではないんだよ
 夢とは、戦って歯を食いしばって叶えつづけるものなんだ♪」


以下蛇足
 ひとりだけ魔法がとけた後の説明をしてないヒロイン?

「うん。…でも、それはまだ先でいい。助けられる人じゃなくて、
 助ける人になるっていう夢は… 兄さんと飽きるくらい一緒にいてからで」

 …兄離れができず、先延ばしにする妹がいるらしい(ワタシは音夢の笑顔と台詞で下僕にされる全国1000万の妹好きの一人だが)。
 音夢と言えば、音夢ルートは単体だと何が起こっているかよくわからず、音夢が倒れた原因も、音夢の自業自得説とさくらの呪い説があり、信者が争っていたのも懐かしい。せっかくなので、検証してみた。

「うん、いつも通りの微熱かな」(音夢ルート初日朝)

「やっぱ、熱っぽいじゃないか」
「そんな大したことないよ。いつもと同じだよ」
「そのいつもが熱なんだろうが」(音夢ルート初日帰り)

さくらが帰って来る前から、音夢の体が弱かったことがわかる。

「向こうで暮らすようになってからは、いたって健康です」(萌ルート)

島の外では健康を取り戻し、病弱なのは魔法の力によるものだとわかる。

「私は兄さんが好きだけど…兄さんが誰かを好きになったら、
 やっぱり兄妹だって諦めようって思ってた でも、さくらはダメ
 …さくらにだけは渡さない 私は兄さんのモノだよ」

さくらへの強すぎる対抗心がわかる。

 さて、動機はともかくとして、実際の利益関係はどうだろうか。つまり音夢が倒れて誰が得をするか。音夢ルートでは本校にも通わず音夢を看病した純一。ED前の夕暮れの屋上は、音夢が憧れたドラマのよう。さくらルートでの選択肢、泣いてた女の子は音夢ではなくさくらだった。それでもさくらは音夢の様子を見に行けと言ってくれる。さくらと恋人になってからも音夢を理由にさくらを蔑ろにしたりはしていない。むしろ音夢が倒れたらその看病を純一がするだろうことはわかるはず。
 結論、音夢が倒れて損をするのはさくらの方なのだ。そして憧れたドラマのような恋愛を実演してみせた音夢こそが願いの持ち主。奇病で倒れたのも、病弱だったのも、兄の気を引くための自作自演のようなものだったわけだ。いや、ワタシは音夢の笑顔と台詞で(以下略)

 ところで唯一ルート分岐後にバッドエンド選択肢のある音夢ルート。その選択肢は3月26日、「これは幸せな夢だ」。4月29日、「枯れない桜へ」、この2つのみ。たとえ3月28日に「さくらの言葉に頷く」でも、4月21日に「音夢を諦める」を選んでも、バッドエンドにはならない。現実よりも夢を選ぶこと、音夢の願いを魔法や奇跡の類で叶えるものと勘違いすること、これがバッドエンドの条件だ。このことからも夢=非現実に生きることの否定が見てとれる。
 4月26日に「ことりを好きになるんだ」は一つの選択であり、ノーマルエンドと呼べるものであるが、ことりから純一への好意に説得力を持たせるなら、朝の登校時間を音夢とことりで共通にして交流を増やすなどしてほしかった。

 最後に、私はまだまだ”魔法”を捨てる気はないが、それでも自分の価値観に大きな影響を与え、15年ぶりの再プレイでも新たな発見をくれたこの作品に100点をつけたい。
「思わずストライクゾーンを踏み外してしまうような、心のこもった声。」な北都南さんは最高。