「あるいは―― 意味不明の様に扱われている、電波を その様な電波を、哲学の様に受け止める たぶん、ここまでは君とボクは同じ考えなのではないのか?」 「違うとしたら――」 「哲学しようとするか、しないかの差だ」
すば日々未プレイ、原作未プレイのため解釈違いはご容赦を。
電波ゲーとして有名な終ノ空リメイクが、かの有名なすば日々とセットで発売ということで、全作未プレイの私は迷わず購入。
どれからプレイするか迷ったものの、どちらも相関関係のある作品とのことだったので、終ノ空ですば日々をサンドイッチするのがよかろうと、まず2本目がすば日々に決定。後はリメイクのほうがとっつきやすいだろうと安易な考えでリメイクから着手。
さて、リメイクと言ってもリメイク前との差異を知らないわけなのだが、1周しての感想は思ったほど電波ではないように感じられた。
つまるところ、ノストラダムスとクトゥルフをネタにして、生きる意味とは~とかを哲学する物語なのではなかろうか。
電波と感じられたのはざくろ、卓司あたりで、これはクトゥルフでいうSUN値チェックに失敗して発狂した人間なのだから、その発言を理解しようとするのが間違いというだけ。
彩名は難しいことは言っているかもしれないが、電波な内容を話しているわけではなく、ただの哲学談義といった感じであった。
以下ネタバレ込
主観者:水上行人
記憶や証拠(記録)は今いる自分が昨日と同じ自分であることを担保するのか?
世界5分前仮説
今まであった事から予測してこれからの事も同じであろうと思う。
この自然の一様性原理を正当化するためには帰納法を使うが、
その帰納法が自然の一様性原理によって正当化されている
互いが互いを正当化してぐるぐる回っているだけ、循環論法になっている
→明日からの自分が今日の自分であること、あるいは、今日の自分が昨日までの自分であることは担保されない
終ノ空について。
「だってそれはいつでも、開かれており、閉じられており、一点であり、全体であり」
「空間を持たず、時間を持たず、限界であり、その場であり、そして
”今・ここ”と名指す事が出来る」
「そんなものでしかないから…」
「そう、今はいつ?ここはどこ?その本質的疑惑に立ち止まったら、見つめればいい」
幼馴染を慰めたらラストがTRUEとか罠では?先にNuinoseⅡから見てⅰは現在未読。
「マミヤクンガトビオリタダケダヨ」
一部ワタナベクンが混ざっていた気がする。謎。
バックログを開くと一部途切れてる。だんだんと消える文字が増えてるのか?演出意図は不明。
主観者:若槻琴美
猛獣使いについて
やす子とのレズセックス
→行人編で悲壮感漂わせてたけど他の男に犯されたわけではないという弁明?
主管者:高島ざくろ
裕福な家庭で幸福に生きていたはずが、ある日一転してヤクザの管理下で娼婦の真似事をする人生に。
売春をネタに同級生にまで性処理の道具として扱われる不幸な日々。
小沢が転落死した日、SUN値チェック失敗。
不幸な偶然が重なり、前世ネタで盛り上がる厨二と意気投合し無理心中。
主観者:横山やす子
A面
実の父の顔も知らず、母は蒸発。養父に初潮前から処女を奪われる最悪のスタート。
兄を罪悪感で支配し操り、父を殺害。
「高名な文学者は〈幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれも
それぞれに不幸なものである〉と書いたらしいが、私にはそうは思えない。
不幸とはだいたいバカが情動のまま動き、その快楽の代償を支払わずに、
そのしわ寄せが弱い者に降りかかるだけだ。
バカは考えない。考えないで快楽を求めて動く。その行動原理は極めて単純だし、
結果もだいたい同じだ。
だから私は考える。」
「幸福とは、自らのために世界のすべてを利用して手に入れるものだ。」
→やす子という人物の成り立ち?
B面
琴美との出会い。ホームレスの教え。
「それでも、堂々とした態度、一切の恐怖を見せない姿は、どんな動物も屈服させる。」
→やす子に大きな影響を与えたもの?間宮のカリスマの正体?
本編
小沢の死の真相。ざくろの死の影響。
ナイアーラトテップの話から見えてくる彩名の正体。
「クスリでよくなるやつだ。こんなの幻覚だ。単なる幻覚だ。
フラッシュバックだ。問題無い問題無い」
この段階ではまだ疑いの段階だったが、セックスドラッグを使用しての乱交でクスリの使用経験も確定。リルルが見えるのはクスリの影響か、SUN値チェックに失敗したせいかは定かではない。
愛について。
「違わないよ。愛ってそういうもんなんだよ。
愛は最高のエゴだ。最高の自分勝手な想いだからこそ愛には価値があるんだよ」
「私は彼女に幸福を押し付けている。
けど、それこそが私の幸福なんだよ…」
「愛は支配的で、暴力的で、利己的で…そして優しさに包まれている。
だから人を愛するという事は意味がある。それは力だから――。」
「愛は力なのだ。だからそれは美しくも尊くもない。
猛毒は薬にもなる。ただそういう事に過ぎない。」
「愛は呪われているからこそ、祝福に値する」
幸福について。
クソみたいな世界で楽しく生きられた。それは、幸せだったということだ。byやす子
主観者:間宮卓司
卓司が行人に感じていたものは理想自己の具現?
彩名による卓司くんいじめは今作最高のギャグシーン。
「いやな事ばかり…いやいやえんに隔離されるかもしれない」
終ノ空の”それ以後”がいやいやえんかもしれない(※ありません)
彩名と接触したせいかSUN値チェックに失敗。BOTのようなリルルを現実の存在として受け入れる。
終ノ空について。
「世界の終わり?それって至りの空の事かしら?」
「その言い方が私は適切だと思う。終ノ空ともよばれているけど」
「いいえ、その宇宙は”終わりノ空”ではないわ。あくまでも終ノ空なの」
「終わりは何かの始まりなんだから…いつも」
「んじゃ?何か新しい世界でも始まるのかい?」
「始まってはダメ」
「それだったら今までと同じなの」
「世界が始まるわけではないんだけど…」
「無にはならない…」
「だってそれは無の始まりなんだから」
生きる意味の問答
「無限の中では、どんな年数でも有限である以上は、それは一瞬だよ」
「人間の子孫が無限の時間に存在出来ないなら、それは一瞬だよ」
「人間の生きる意味 生命の生きる意味 それらの問は、
無限の時の前に無効になるの」
卓司くんヤク中疑惑by横山きよし
→クトゥルフ的SUN値チェック失敗した人間をヤク中と同列化している可能性。
「いつも澄まして、まるで動じず、孤高の様な態度をとっていながら。
いざ、自分が追い詰められたら、取り乱して我を忘れる
そうだよ。 孤高なんてそんなもんだよ。」
「こいつらもボッチだった頃のボクと変わらない。
ただ、装う事に長けているだけだ。」
「君だってそうだろう。水上行人くん。
君だっていざとなれば、こいつみたいに取り乱して我を忘れる。」
→自分の恐怖の象徴である彩名を貶し、過去の自分の理想であった行人も同じだと決めつけ、過去の自分を遠回しに肯定。やってることは実質オナニー。まさに自慰。
彩名について
「そもそも、その気になればすべてを思い出せる私が、
いちいち観測する事を好み、体験する事を好んでいる…」
「無限なる世界霊魂の連なりの果てであるものが、これではまるで人間の様…」
神について
「宇宙に必要な魂は一つだとしたら、それは一つなのか、それとも全てなのか?」
「一にして全 魂とはそういう存在となる」
「なるほど…だが傲慢だが。それは神と言わないか?」
「違う。魂の総体であって、その他のあらゆるものもすべて含めた無限の総体こそが
神であると言える」
「魂という様態もまた神の無限平面のごく一部に過ぎない」
「すべての宇宙は神の違った様態にすぎない」
「存在するものはすべて、あらゆるものの起因である神の力を一定の形式で
表現しているとも言える」
自分が自分である保証
「一瞬の今は過去と未来を必ず内包している。たとえば落下する物体を受け止める時に、
人は、その瞬間だけでなく、原因である過去から、未来を予測して、今を行動する」
「間宮卓司が間宮卓司くんであるという保証。同一性を担保するものは、
今という感覚質そのものこそ、”今”そのものではなく、過去と未来を
織り込んだものとして存在している事」
「宇宙は、あるいは人の精神は音ではない。
必ず音から次の音に連なる音節の様な形をしている」
「存在者としての人間は運動と慣性を持っている
それをコナトゥスと呼んでもいい」
やす子が見ていたリルルと、間宮が見ていたリルルは別物?
「横山やす子が誰かと話している。
リルルちゃんと?まさか、ボクにすら声が聞こえてないのに?」
→偶然話が通じていただけで、どちらも発狂してそれぞれに幻覚を見ていた可能性
生きること
「我々は、人の生きる意味を求めたがる
なぜなら、意味がなければ、人は生きていけないからだ!
意味がないのなら、10分の人生も100年の人生も同じであり
生まれたての赤ん坊の首を絞めて、その人生を10分で終わらせて
しまっても誰も文句はいえない
なぜなら、その赤ん坊が、生き続ける意味など、理由など、どこにもないからだ
正しさが世界にないとはこういう事なのだ!」
「世界に意味などないのだ!」
「いや、お前と同じ様な事を俺は思っていた――」
「この世に生を受けるとは、罰を受ける事に等しい
だってさ、この世で生きるという事は、数え切れないほどの罪を犯す事だ…」
「多くの生命を殺し、他人を騙し、自分を騙し、そしてやがて自分も死んでいく――」
「お前の言う事は、傲慢ではあるが、大筋で俺も同意するよ。
世の中はクソだし、世の中の人間の大半はクソだ」
「ああ、そうだな。そうだとも。
もし仮に生まれる事が罰に等しいのであれば、俺達は生まれた瞬間に負け犬だよ…」
「だから生まれたての赤ん坊の首は絞めるのか?」
「呪われた、生を 祝福された、生を
あるいは――
呪いの様に扱われている、死を その様な死を、祝福の様に受け止める
たぶん、ここまでは君とボクは同じ考えなのではないのか?」
「違うとしたら――」
「生きようとするか、しないかの差だ」
「だとして、汚れていたとしても、価値がないものだとしても、生きるべきだ」
「だが、それもやはり生への意志故のものだ。
人はよりよき生を求める、だから絶望もする」
「その絶望を否定するべきではない。
その絶望の果てに死を選んだ人間もまた否定するべきではない」
「生きる事は、考える事じゃないんだ」
「絶望そのもの、そして幸福そのもの、それらを生きる事の価値とするな」
「生きる事は、まさに生きる事だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「そういう事は考えるんじゃないんだよ。
世界が嘘にまみれているとかは思考でしかない」
「俺達はただ、その時を見るだけなんだよ」
Numinose Ⅱ
神即自然、汎神論
「だったら、観念と物質という二つの裂け目はなくなるのか…。
すべてが無限の神の知識と様相であるのならば、それらは一つでしかない」
「その一は、無限が故に全であり、そして人間もその無限平面の連鎖状の
知能の一部だとしたら、人も一でありながら全と連なる」
「頭で考えた世界も、物体世界と言われる現実も、違いなどなく、
それらに境界線などない世界」
「君は間違いなく、20日まで間宮卓司の世界を見ていた。
そして、その先にある終ノ空を見た」
「今の君は間宮卓司だった視線かもしれない」
→プレイヤー=行人=卓司=やす子(以下省略)を示唆?3人の私にはそういう意味も含まれていた?
リグ・ヴェーダ
「それは、祝福と呪いという二人の子供」
「天則の車輪は、天の周囲をたえず廻天する…」
「それは決して老朽する事なく。 子供達は、対をなしてその上に立つ」
「彼らの素晴らしき日々は、”今・ここ”という形で連続する…」
「それこそを永遠の相という――」
→”終ノ空”も”今・ここ”と表現されてたような?
「つれだつ友なる二羽の鷲は、同一の木を抱けり」
「その一羽は甘き菩提樹の実を食らい他の一羽は食らわずして注視す」
「一羽の鷲は、世界という菩提樹の実を食べるの…」
「それは、世界のすべてをつかめようとする、鷲」
「この鷲は聞き続ける」
「何に? そう、世界に… なぜ、私は、存在しているのか」
「そして、この鷲に 答える訳のない世界が、答えたの…」
「鷲よ… それ以後に至るがよい…と」
「それに対して、他の一羽は、菩提樹の実を食らわず注視するの」
「この、鷲は世界を見つめる…」
「ただ… ここに立っている ずっと ここに立って見つめている 世界を…」
「世界? そう、もう一羽の鷲が捨てた…もの 世界のすがたを…」
「そうしてその鷲は消えていく 何もない… 無のなかに鷲は消えていく…」
「何の意味もなく、何の理由もなく ただ――ただ、消えていくの」
「たぶん 捨てたものと捕まえたものを感じる心。
それが菩提樹の実を食らわず注視する鷲なの」
終幕
「ずっとずっと一緒だよ」
「永劫に 永劫に 永劫に」
→素敵な彼女 素敵な友達 を永遠に繰り返す…な、本当は怖いエロゲーオチ?
結局この作品は何が言いたかったのか?
・生きる意味なんてない
今日の自分が昨日の自分と同じ保証はないし、明日は違う人間になってるかもしれない
それでも人は生きていける
音無彩名は何者なのか?
・クトゥルフ神話を元ネタにするニャルラトホテプ(ナイアーラトテップ)に連なる超常の存在。あるいはその一面。
エロシーンは抜けるのか?
・それ目的で買うものではない。絵柄は好みだったが、幼馴染は汚されたとかで悲壮感漂ってたし、全体的に和姦がほぼない。キレイ・カワイイ系のいちゃいちゃセックス好きにはおすすめしない。
自分が生きてる意味はあるのだろうか?とか、そんな悩みを持つ人におすすめしたい作品。やす子編は人間ドラマとしてもわかりやすく面白かった。
次に予定するすば日々もほとんど情報なしでプレイできるので楽しみ。