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tkktさんの眠れぬ羊と孤独な狼 -A Tale of Love, and Cutthroat-の長文感想

ユーザー
tkkt
ゲーム
眠れぬ羊と孤独な狼 -A Tale of Love, and Cutthroat-
ブランド
CLOCKUP
得点
86
参照数
1189

一言コメント

男は義の為に死んで、女は愛の為に死ぬ。そんな昭和の極道を「古臭い」と嗤いながら(妬みながら)、人道すら暴力で捻じ曲げるなら、それは畜生に堕ちるという事で、なれば畜生らしく惨めに死ぬのも仕方ないのかなと思いました。まあ、あざみちゃんスペシャルビッチだし、美玲ちゃんに乗り換えるルートが無いか探し回った僕に人道とか偉そうに語る資格もないんだけどね。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

グラフィック(19/20)
 キャラデザがセンス抜群。美玲ちゃんの右耳のピアスが可愛い。視点変更のアイキャッチもお洒落ですね。背景絵に関しては、実録調を意識した題材だけあって、実際のフォトを加工したものが多かったみたいですね。一枚絵についても質が高く、最後まで安定していました。ウンコに関しては2シーンのみ。紗雪の下痢便は「溜め」と「飛距離」が足りず、ダルマ女の固形便に関しては、(暗所での脱糞だったせいもあり)細部の書き込みと産まれたての光沢が足りなかったように思います。まあ無修正で描いてくれるだけで感謝だし、あまり贅沢を言うものでもないですね。グロ表現に関しては、筋繊維や骨の断面も結構細かく書き込んであって丁寧な印象を受けました。クロックアップの面目躍如って所でしょうか。


ストーリー(41/50)
 一言ではヤクザが主体かのように書きましたが、実際の主役は、「俺」と「あざみ」の物語なので、ハッキリ言ってヤクザは添え物、舞台装置としての機能が強い。昏式氏も先に「二人」ありきで膨らませていったとの事なので、購入検討者は間違っても極道モノを過度に期待して買わないように、とだけ。とはいえ、ヤクザ者たちの生き様(死に様)が、二人の物語に少なくない影響を及ぼしたのも事実です。なので、そこまで登場人物に格差はつけずに書いていこうと思います。ここからはネタバレ全開ですので、既プレイの方のみお読みください。

 ・ヤクザとは
 そもそも、ヤクザ屋の興りというものは(作中の東儀が詳細に語ってくれていた通り)、戦後国家の治安維持機構が成熟していない段階においての自警団が大元であり、つまり元々は大衆のヒーローだったハズなんですよね。犯罪被害者を救済する具体的な実効力を行使し、引き換えに援助を受ける。今日まで続く「みかじめ」のシステムの原型ですね。この互恵関係が、こんなに成熟した社会の中でも未だ有る所には有るという事実は、ひとえにその必要性の証左となっています。まあ、ある程度人生を生きていると分かってきますよね。「結局最後は暴力だな、この世はw」って。相手が人道を知り、同じテーブルについてくれる場合のみ対話が成り立つのであって、どんなに澄んだ正義も、畜生にはまさしく「馬の耳に念仏」となります。どころか、賢いお馬さんと比較したら馬に失礼というような輩も少なからず存在するという頭の痛い事実。そんな手合いに対して、じゃあどうやって主張を通すのか。まあ簡単ですよね。古今東西、獣の躾は暴力と相場が決まっています。その真理を意識・無意識問わず、人々は分かっているからこそ、侠客やらダークヒーローやらに対する畏敬が生まれるワケです。繰り返しますが、興りは間違いなく義侠心だったハズなんです。三国人と組んで民衆から略奪する楽な道を選ばず、その強きを挫き弱きを守る苦難の道を選んだ先達たちは。
 さて、では今のヤクザはどうなっているのか。彼らが最終ルートで迎えた最期を見れば、自ずと見えてくる物がありますね。李剣栄は義理の息子たちを守るため凶弾に倒れ、皆に看取られながら逝きました。雲石穀はその親父の仇を自らの手で討ち本懐を果たします。両者、命より重い盃の契りを貫き切った、天晴なヤクザでしたね。ご先祖様たちも地獄でねぎらってくれるでしょう。
 で、青池会の面々。突然の暴力で理不尽に命を奪われるだけでしたね。東儀が余りにあっけなく死ぬもんだから、拍子抜けの心地がしたものですが、よくよく考えたら、そりゃそうだと思い直しました。最愛の人を地獄に突き落とした東儀が、親子の義理を果たした李・雲のように満足に死ねるハズが無いんですよね。親父に尻尾切りされ、夢の為に戦うことも許されず、突然やってきた変態に今際の言葉も紡げないまま一方的に殺され、愛した女も穢される。だけど過去誰よりも彼女を穢したのは彼なのだから、抗弁の権利すら無いんですよ。人の道を自分から外れて畜生に堕ちた分際で花道なんて用意されるワケが無い。路傍で犬死にがお似合い。(別ルートでは)カタギの美玲ちゃんを蹂躙するメンタリティの海江田も、紗雪に灸と呼ぶには非道過ぎる行いをした御舟にしても、同様です。因果応報。と、まあ仁礼春彦あたりなら総括しそうだし、実際なにも間違っちゃいないとは思うんですが……一言でも書いたように、僕自身、そんな高潔で正しい人間でもないことは自覚しているので、まあ援護射撃までは出来ませんが、一応もう少し奴等の良い所も探してみようじゃないかと思います。
 
 ・夢を見るのも難しい時代。
 青池会の中核連中は、今際の際でも、「なんで俺が」といったような繰り言は吐きません。つまり上で書いたような事は先刻承知で、僕なんぞに言われるまでもなく、とっくに覚悟が完了している状態で日々を生きていたという事ですね。主人公の母・姉を殺した少年とは違って、他者に理不尽を強いてきた過去が今度は自分を理不尽に殺しに来る時を何度も想像した事がある。もちろん覚悟をしていたら非道をしても良いというワケでは決して無いけど、少なくともクズの自覚すらない阿呆ではないという話。
 御舟はBルートで仁礼に殺される際にも、紗雪への行いの応報なら「少しは辻褄の合うくたばり方」と評したように、また最終ルートでその紗雪を逃がして死んだように、まあ覚悟は据わり切ってましたね。この人は仁義に生きるオールドヤクザの背中を見て育った世代だろうし、いよいよの最期には自分勝手は承知で、彼らの猿真似くらいはしようと決めていたのかも知れないですね。青池会とは違いますが、孟にしてもチンケな半生を過ごし、自分の終わりが見え始めた今、「一生に一度でいい。一片の曇りもなく正しいことをしてみたかった」と、そこに命張る覚悟を決めていました。海江田に関しても、(自分の命すら残機の数字みたいに見えているゲーム脳なのかもしれませんが)やはり呆気なく死ぬ未来も十分に想定している様子でした。
 そして東儀衛。彼は冷酷無比なリアリストであると同時に、狂信的な夢追い人でもあるという、中々パンチの効いたオッサンでしたね。自分を原理主義者と謳い、ヤクザの立ち位置を元在った場所へ戻すことに妄執している。「俺は他人を騙しはするが、自分にだけは一度も嘘をついたことがない」という言は本物も本物で、自身の野望を一度も曇らせた事は無いのだろうし、その為に生涯唯一愛した女を騙して地獄に叩き落した。いわばアレは魂に「不退転」と墨を彫る行為だったんですね。由良さん一家はたまったもんじゃないけど。
 親に捨てられた東儀は、吹っ切れ、負け戦に向かう前に、色々な感情を覗かせます。奇しくも親の仇討ちに燃える雲を見て、憧憬に目を細めていました。「男稼業はもっとシンプルで骨太だった」と、そんな時代を生きられた仁義のヤクザを羨み、同時に今の時代を嘆いているようでもありました。まあぶっちゃけ、バブル期なんかを生きてた半端なヤクザが「仁義」だの「カタギさんに迷惑掛けるな」とか言えたのは、一言で言えば余裕があったからというのも大きいんだよね。シノギの選択肢なんて五万とあっただろうし。それに比べて今のヤクザは死に体。極道と息巻いても肝心の道が無い状態だから。だったら道なき道を作り出すには、畜生道でも通らんと無理だろうって。東儀の中には、多分そういう輩を、楽に稼げて道がどこまで開けていた時代の恩恵を自身の仁義と勘違いしている小人物と嗤う心もあったんじゃないかと思う。嗤うっていう行為には、同時に妬みを伴っていることがままありますからね。そしてそんな所を親父にも見透かされ、信頼関係を築けていなかった事が破門に繋がったのかも知れません。まあ仮に信頼関係が築けていても分の悪すぎる勝負で組自体を潰すより右腕を失った方がマシと言う判断をするのは至極当然かもしれません。事実、東儀が逆の立場でもそうしたでしょう。風見鶏のチンピラは何も海江田に限った話じゃない。今の時代はそうならざるを得ないと。
 そんな風に達観していた所で、本物の仁義を李と雲に見たという事でしょうね。人道を暴力で守る原初のヤクザですよ。義の為に当然に死ねる。もし東儀の親父が李剣栄で、キチンと親子になれていたなら、組を抜けて単身駆けつけてくれますよ。戦況はなんも変わらないし、死体が一つ増えるだけでしょうけど、駆けつけてくれますよ。東儀が取り戻したかった原初の姿は正しく彼らのような男なのかもしれませんね。まだこんな化石が居たんだなと笑いながら、狂おしいほど憧れている、だけど今更どうやったって自分は成れないヤクザですね。
 まあ総括すると、東儀もまた時代の被害者なのかも知れません。この時代遅れのヤクザ親子が本物であるのは疑いようがないけれど、彼らにしても産まれ持った資質だけで、ああなったわけでもないでしょう。時代に育てられた部分もあったはずです。そんな余裕がある時代だったんですね。東儀が同じ時代に産まれていたら……一体どんなヤクザになっていたんでしょうね。仁礼あたりからは「その時代なら景気も良いんだから、真面目に働けカス」みたいなツッコミが入りそうですが。

 ・「どんなに装ったって、誰も自分以外の何物にもなれやしないんだ」
 と、ここまで書いたことを翻すようで申し訳ないけど、東儀衛の夢は、実は彼の本質には相応しいものではなかったんだと思います。時計の針を巻き戻したところで、彼の生来の猜疑心と臆病な理詰めが、結局彼を孤独にしたハズです。さっき時代が本物を育てた側面もあると言いましたが、その時代を生きながらも、彼の親父や御舟のように骨の髄まで本物になれなかった半端者も居るワケですよ。環境と資質、両方が揃って初めて本物が生まれ、その確立された気骨が時計の針が進んでも変わらなかった姿と言うのが、李や雲です。すんげえ矮小な言い方をすると、キョロ充でもバブル期くらい勢いがあればウェーイできるけど、真のネアカにはなれない、みたいな。本物の絆を結ぶには自分を他人に預ける覚悟が無いと。それは時代とは関係の無い才能だと思います。
 東儀もAルートの最後、圧倒的な暴力に捻じ伏せられて、ようやく理解します。自分は村木武夫(曾黒星)だったのだと。地位を固め、どえらいマンションに住んで、高級なスーツに身を包んだ、哀れな子羊だったのだと。そして真の安寧は、誰にも殺されない、誰も疑わずに済む安寧は、死によってのみ齎されると。ババアが紫煙のついでみたいに吐いた金言は、実際の所、体や魂で理解する類のものなんでしょうね。東儀がバカだとも思わないし、彼の場合は血の海に沈んで全部の虚飾が剥がれて、ようやっと自分の本質というものに芯から向き合う羽目になったが為に気付けた、というそれだけの話。
 流石にそろそろ主人公とあざみの話もしましょうか。あんまりヤクザの話ばっか書いてても頭が暴力団になってしまいますからね。
 村木は、東儀とは違って、最初から自分の本質を理解して、そのように生きてきました。じゃあやっぱり東儀が阿呆で、村木が賢かったのでは? と思われる人も居るかも知れませんが、そうとも一概には言えないでしょうね。村木の本質には、自分でも知らなかったオプションを付ける余白があったんですから。もちろん、それはあざみの事ですね。Aルートの最後、村木は南国の無人島で、理性に時限爆弾がついた狼と一緒に暮らします。まさしく檻の中に放り込まれた羊肉となった生活です。だというのに眠れる。愛故とか生っちょろいアレじゃないんだろうと思う。正確な所は分からないけど、東儀や歌舞伎町からの解放というのも少なからず影響しているんだろうけど、「死」を近くに感じ続ける事で、一歩踏み込んで受け入れられるようになったのかなと推測してます。「一瞬先の死と隣り合わせでも、一日一日を生きのびること自体に、地球上にあるどんな娯楽よりも愉悦を感じる」と村木は自己分析していますね。死は相変わらず怖いのでしょう。だけど死を濃厚に意識することで生きることが楽しい。そういう境地に至った。あざみの自由な生き様と、彼女の幼少期のレイプ体験(魂の殺人とも呼ばれるレイプと、そこからの尊厳回復としての殺人というハッピーセット)から尾を引く、生と死の疑似体験を通して培った「慣れ」が村木の本質にも影響を与えたという形でしょうね。まあこんな様相なのでね、ババアの言う事は結構真理ではあると僕も思うんだけど、実際、その何物でもない自分ってのを正確に把握するのは本人ですら非常に困難を極めるという、頭の痛いイシューも同時に内包してるんだよね。環境や時代によって変わる部分、生来の気質として残る部分、それは何パーセント? 一生変わらない? と自問していって答えられる人間は皆無でしょうからね。
 だからこそ、「セックス気持ちいい」とか「たけちゃん大好き」とか「殺せるなら殺せばいいじゃん」とか、動物みたいなことしか言わない、考えない彼女が一番賢くて、一番「何物でもない自分」のまま生きているという結論になるんよね。「人はもっと自由に生きて良い」とは恩田の言で、認めたくないけど、そういう憧憬はきっと誰にもあるんだろうなと思います。

 ・万人の万人による闘争
 ただ、当たり前だけど、あざみも完全に自由を生きているワケではないんですよね。登場人物中、一番それに近いというだけで。家族(しがらみ)が追ってくるし、極力「悪い人」を見定めてから殺すというルールに抑圧されているし、たけちゃんへの思慕もまた様々な制約を彼女に強います。情・義・愛。まあ呼び方は何でも良いんですが、とにかくそういうものから逃げられない。それが人の間で生きるという意味ですね。
 じゃあ……人じゃなくなったら? というのが、本作で書きたかった核心でしょうね。一番自由に近いというだけで終わらず、本物の自由を与えたら。自分とその他(彼女の場合は「獲物」)しか居ない世界が完成します。村木の表現では「透明な世界」。情や義や愛で他人を定義せず、ただの動く肉の塊と認識する。ここまで来れば、本当に混じり気なし、まさに透明なまでの自由でしょう。
 で、そんな世界に旅立とうとするあざみに村木も付き合います。まあ、色々な因果が紡いだ奇縁だからね。それ以外の選択肢もハナから無いでしょう。そして決着は三種類。
 一つは、自身の死で以って無理矢理あざみを人の世界に連れ戻す決着。これは義による帰結ですね。作中で言えば李や雲が同じ立場なら取る選択でしょうね。春彦との約束「妹のために、生きて死ね」という言葉の解釈を、ほぼ額面通り遂行した形でもあります。だからというワケでもないでしょうが、保護者みたいな言葉を掛けて逝きましたね。或いは、もしかしたら、孟がやってみたかったという「正しさ」、春彦が寄る辺とした「正しさ」というものを、最後の最後に村木もしてみたくなったのかも知れません。
 もう一つの決着は、相殺での終わり。まあ仲良しで結構なことだと思います。けものフレンズですね(笑)。個人的には一番しっくりくる(好きとは言ってない)決着な気がします。最期の一枚絵も一番多くの血が流れていますから、彼等らしいのかなと思います。インスタ映えしそうです。
 そして最後。これが僕は一番好きですね。「妹のために、生きて死ね」の解釈を愛でやった感じです。あざみは生前こう言っていました。「愛する人を殺してしまうよりも、愛する人に殺してもらったほうがずっと幸せだもんね」と。つまり村木は彼女の愛を貫かせるために、彼女を殺した。そしてその十字架を背負って、ろくでなしに生きて、独りで死ぬのでしょう。そんな彼に向けた彼女の最後の愛が「おやすみ」だった。凄く綺麗にまとまっていて、読後すこしの間、放心してしまった。
 ありがとうビッチさん! ゆっくり眠れるようになったよ! じゃあ俺、美玲ちゃん貰って帰るから! となるワケはないわなー。こういう所が我ながら、やっぱゲスイなと思ってしまうわけで、あんまりヤクザ屋さんを鬼だ悪魔だと公然と罵れない所以ではある。別世界の男女が、一瞬、一夜、交わったという儚さが美玲ちゃん自身の物語上の魅力でもあるのだし、これで良いんだけどね勿論。
 
 ・現実的な観点から見て、良くなかった点
 あんま書きたくないけど一応ね。とはいえ、感情的に不快だった欠点は無かったから、アレだけど。
 まず一つ目は、Bルート突入の際に、東儀が主人公を見逃したこと。「断る」「そうか」だけで帰すのはどう考えてもおかしいですね。逆らうはずのない現状維持の殺し屋に何か変調があったと見る(Aルートで処分を決めた動機)のが道理でしょう。また、その後、主人公にしても不用意に単独行動を取った結果、仁礼に捕まりチン毛を燃やされてしまいます。もはや自分の面が割れているのに、男女二人連れじゃなければバレないという謎の理論で、あざみをホテルに残してしまったんですよね。うーん……変装させたら? 胸もそんな無いし、サラシで巻いて、スカートじゃなくてジーンズでも履かせて、黒っぽいダウンコートでも着せてフードを目深に被せれば、雑踏の中で見分けられるとも思わないけど。街歩いてても、最近はユニセックスというか、女の子みたいな男の子(又はその逆)いたりするし。あれだけ慎重な主人公に最強のジョーカーを残す選択を取らせるには弱い気がする。
 そして最終ルート。流石に無理があるね。上でも書いたように、基本的にはヤクザ共には理不尽に死んで欲しかったが為に第三勢力を捻り出したんだろうけど、やりすぎ。ブルーフィルムよりも国家揺るがしかねんよ。というのも、このゲーム、リアリティを標榜しながら、SNSの存在を無視してんのよね。今や、一億総ジャーナリストだからね。翌日の新聞には載らんだろうと御舟は言ったけど、普通に世界中に発信されるよ、こんな大規模テロクラスの大惨事。実際、恩田2号が更迭を伝えに来たけど、その前に、こんな兵装、上は何を考えてゴーを出したんよ。恩田1号に全軍委任したの? 有り得ないでしょ。仮に有り得たとして、1号解任が遅すぎでしょ。ちょっと無理筋じゃねえかなぁ。それこそバブル期なら、この役割は他の組との抗争で書けたんだろうけど。
 青池会にしろ、あざみにしろ、強大すぎる勢力を出したら、(物語進行上)それらをどう抑えるかに苦心するのは必定だろうけど、あまりスマートではなかったかな。 

 ・総評
 めちゃ面白かった。暴力・殺人哲学についてはメチャクチャ深く書き込んであって、無縁の僕でも色々と頷かされたり共感させられたりする場面が沢山あった。男と女の様々な関係も全部凄くよく書けていた。ぶっちゃけキャラごとに分けて感想書こうかとも迷ったくらいだし。孟とダルマ女、紗雪と御舟、雲と美玲など、恋愛感情ではない繋がりも多く描写した事で、対比的に東儀とダルマ女、村木とあざみの恋愛の顛末にも深みを与えていたように思う。
 それにしてもまぁ、読み手の世代によって感想がガラリと変わりそうな作品でもありましたね。あと「男らしさ」や「女らしさ」について、どんな思想を持って読むかによっても、点数が変わりそうです。だからまあ僕に刺さったのは偶然かも知れませんが、出会いに感謝したい会心作でした。


エロ(18/20)
 シーン数は29。前後半で分かれて登録されるタイプなので、プレイ中はそこまで多くは感じませんでした。凌辱・輪姦は少なめで、あざみとの和姦が多くを占めます。美玲ちゃん、紗雪、ダルマ女にもシーン有り。尺に関しては、和姦が短めで、輪姦は結構長めにネットリやります。もしかすると凌辱の内のいくつかは勝山さんが書いているのかも知れません。スレイブニールのゲームなど、容赦ない凌辱描写に定評がある人ですからね。
 また和姦でも結構抜けたのが個人的には嬉しい誤算です。村木さんがキチンとおっぱい吸ってくれる人だったので、そこが大きかったのかな。それが人の道だよね、やっぱり。美玲ちゃんのおっぱい俺も吸いたい。


音楽(8/10)
 OP一強で何点つけれるか、って感じ。BGMも全く耳に残らないってワケでもなかったけど、残念ながら鑑賞モードが無いっぽい。つーわけで、そのOPだけど、まあムービー含めて強いよね。歌詞もキッチリ本編に沿う内容で、メロディもイケイケで歌声も力強い。しばらくはヘビロテできそうですね。


合計(86/100)