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soulfeeler316さんの腐り姫 ~euthanasia~の長文感想

ユーザー
soulfeeler316
ゲーム
腐り姫 ~euthanasia~
ブランド
Liar-soft(ビジネスパートナー)
得点
100
参照数
713

一言コメント

【発売日20周年記念『腐り姫~euthanasia~』徹底解釈】愛は時の威力を破り、未来と過去を、永遠に結び合わせる。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

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この事件から私たちみなはつぎのことが分かったのである。
いかなる苦痛を引き起こすものであっても、人は耐えて自分を犠牲にしてまで、それを愛することがあるということである。
ならば、次なる問いが問われよう。
もっとも苦痛を引き起こすものを私たちは最も愛さざるか、と。

小泉八雲「死生に関するいくつかの断想」
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【第一殻~再会編~】

「『腐り姫~euthanasia~』は完全無欠な究極の妹ゲーにして、アンチ妹ゲー。彩られしは非純愛にして、その果ては至高の素晴らしき純愛。そしてエロを重視した作風でありながら、芯の構造は正にアンチエロゲーである」

 僕がこのエロゲーを短く語るとするなら、それはきっとこんな文言になる。対極と対極がぶつかり合って見事な相乗効果を生む事の素晴らしき妙を、初めて伝えてくれたのが本作だった。

 そしてその境地に、この作品以外で到達出来たエロゲーは無い。

 『腐り姫~euthanasia~』は、様々な二律背反に支配されながらも中途半端な形で無様に体現する事なく。素晴らしき共存で以って上手くこの世へ顕現していた。それはドシリアスに進む本編の裏側で行われし盲点や、和風ホラーの陰で渦巻くSFのような賛否両論点を含みながらも、決して一辺倒に陥らない構成で以って、製作者の挑戦に満ちた気概を、見事見せ付けてくれた次第。
 今回の批評では、その実に精妙な本作の構造について詳しく話そうと思っている。短文形式に纏めた個々の対立が齎す意味……究極の妹ゲーにしてアンチ妹ゲー。非純愛にして素晴らしき純愛。エロゲーでありながらアンチエロゲー。それらが「果たしてどういう事なのか?」完璧な二項対立の齎した物語構成を独自解釈しつつ語っていこう。気になった人は是非とも読んで欲しい。


 ただしかしその前に、これはあくまで本作を素晴らしいと思う「後続理由の1つ」に過ぎない事も、此処ではっきり述べておく。
 正直な所、僕はこの作品が和製ホラーだろうがSFだろうがどうでもいいんだ。色々そこら辺についても触れておくし、SFへ至る布石は鏤めていたと考えている「消極的肯定派」な僕だけど「二項対立が齎した賛否両論なんて、流れに乗れたかどうかの話だろ。知った事か」と思う気持ちだって、確かにある。そういう表面的にジャンル分けする事でしか語れない一面的愚かさを自省する為に、この文章を書いている節もあるのかもしれない。
 その点について述べるなら、本作の盲点もそうである。見かけは馬鹿みたいなパロディギャグに支配されており、素晴らしい爆笑をユーザーに提供させながらも、理解と判断を拒ませる豹変を作中で強く遂げてきた。しかし、この部分が実に良質なヒントパートでもある事に触れている批評は存外少ない。盲点は、馬鹿と阿呆と巫山戯の裏に隠された真面目解説パートでもある。「残渣の守人」なんてあれが無ければ、どういう事だか分からなかったろう。


 本作がそんな『表面的作風』のみに囚われてはいけない傑作である事を、改めて強く確かめなければいけないと思う。
 そしてだからこそ、今此処で述べたい。僕が何故そこまでこの作品を愛しているのか。その理由について、最初の最後で触れておきたい。
 僕が『腐り姫~euthanasia~』を愛している最大の理由。それは、この作品が「日本人的感性を以って仕上げられた、最上級の『美しき愛』の物語」だからだ。
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決してきれいではない。
時に人の生活区は、ざっくりと自然に食い込んでさえいる。
ただ、そういった清濁併せのむような美しさが、確かにこの町にはあると思う。

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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 奇しくもそれは、本作の舞台であるとうかんもりのように。決して余す所なく、いみじく無慈悲に輝いていた。
 きれいではない。清廉潔白ではない。真っ白でもない。不純も混じった作品だ。しかしその根っこにあったのは、紛う事なき自然の形。時が流れて、全てが移ろい、変化しようとも、決して変わる事のなかった想いだけが遺されていた。

 人の想いほど、はかなく。また切なく。けれど、こんなにも美しきものを。みな、忘れてしまう。

 イノセンスだけがそこにある。どぶねずみみたいに美しい。汚い綺麗がそこにある。
 だから僕はこの作品が好きだ。大好きだ。世界で1番愛していると言っても過言じゃない。僕の人生に最も大きな影響を植えつけた作品の1つであり。だからこそ今も尚、時が流れ過ぎ去った今も尚、こうして想い求め続けているんだろう。


 発売から今日で20年が経過した。だからこそ再度また、殻が覆い隠した秘密の奥まで、追い求めてみようと思う。
 彼女と過ごした、あの日々を。彼女と生きた、あの時を。彼女を追い求めた、あの道を。切に追いかけ、求めてみようと強く思う。
 過程に自分だけの価値を与えたくて、そのままにしていた節が有る。意図的に詳しく語るのを避けてきた部分がある。それはきっと、言葉にする事で齎されし価値が消失してしまうのを恐れてしまう……僕の弱さが招いた「忌避」という名の感情に他ならない。
 でも、ずっとそうしてはいられない。逃げてばかりじゃいられない。今この瞬間こそが、向き合わなければいけない時だ。美と愛について考えなければいけない。その時が、終にやってきたんだ。

 今日がきっと、その時だ。

 これはそんなウダウダとした過程を伝えるだけの、深みも無く過ぎ去りしありきたりな内容に過ぎないかもしれないけれど。
 そんな文章でも。少なからず何処ぞの誰かに、意義を与えられたらいいなと思う。強く思う。


 血を分けた、たったひとりのきみを、追い求める。
 再会の狼煙を上げよう。始まりだ。















「もしも、わたしが死んじゃったら……」
「だから、もしも……もしも、樹里が死んじゃったら……それでも、樹里に会いにきてくれるよね?」
「樹里がどんな遠いところに行っても、おにいちゃんはきっと樹里を見つけてくれるよね?」















「それでも……」
「それでも……僕は樹里を追い求める」
「血を分けた、たったひとりのきみを、ぼくは追い求める」















【第二殻~深層編~】
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「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

ヘルマン・ヘッセ『デミアン』
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 何事もその作品を語る際、本質を見誤らないと言うのは得てして重要な事である。しかし、十人十色千差万別の解釈を併せ持つ人間である限り完璧な正答というのは不可能に近い。それは物語と言うものが、1つの視点に全て集約される程、単一的で脆弱なもの足り得ない事の証明だった。
 本作においても、同じような事が言える。『腐り姫~euthanasia~』ってどんな御話なの?」と言う質問が飛んだ時、あまり長々と答えるのもみっともないので、短く簡潔に述べるその返答は。僕の中では時と場合により、様々な色を齎すだろう。
 「美の物語」「愛の物語」「人の記憶が紡ぐ切なさの物語」「諦め切れない夢のお話」「家族は大事だねストーリーズ」「近親相姦万歳挿話」
 本当に色々な事を伝えている。しかしながら、上記全てに共通する大切なテーマがこの作品には存在している事に、まずは強く触れておきたい。

 『腐り姫~euthanasia~』の根底に顕れしテーマ……それは「自己を追い求める中に芽生えし自我の目覚め」だ。

 記憶喪失の状態でとうかんもりに流れ着いた主人公、簸川五樹は蔵女との邂逅によって「傷」をつけられる事で、自分の身に起きた様々な過去と直面していく。それは白紙となった世界に色が付け加えられる証明でありながら、知らなかったもう1つの世界を作り上げる事に繋がっていく次第。
 本作の章分けは全て「殻」と言う単位で執り行われている。それは他者に覆われている分厚い何重もの「殻」を破る事で、自分の「殻」をも破壊した認識の形を露わにしていき、拭い去った真実の世界を見せてくる構造も示唆していた。
 即ち、この世界は誰もが覆い隠し「殻」によって保たれながらも「殻」を破壊する事によって新たな世界を見せている。秩序崩壊によって同時に行われし「創造と破壊」これこそが、本作で紡がれし物語における大部分の根幹を成していた訳で。

 そこの視点に辿り着いた時、僕はある海外名作文学を想起してしまった。「愛のハリケーンミキサー」の元ネタの1つ『少女革命ウテナ』が参考にしていた小説だ。
 そう、あの物語においても、人間は2つの世界を持っている事が冒頭から随時述べられている。「善の世界と悪の世界」「自己と他者」「光と闇」「希望と絶望」「秩序と混沌」「創造と破壊」と言った二元論要素を知っていく中で、その2つが同時に成立しない現状を知っていく。けれども、その不可能を可能にする存在こそ、アプラクサス(※)と称されし神だった。


(※)アプラクサス……グノーシス主義における異端の神。「神的要素と悪魔的要素を結合する象徴的な使命を持つ、1つの神の名前」であり、明るい世界と暗い世界を内包させた存在。予知能力と用心深さを併せ持った雄鶏の頭、ヌース(霊)とロゴス(理性)を所持した両足の蛇、右手に知恵の盾、左手に力の鞭を持っている。


 簸川五樹にとって、記憶喪失と言うタブラ・ラーサで彩られた其処は、間違いなく「善の世界」だったろう。最初にきりこが語っていたように、知らなかった頃の方が彼は幾分幸せだったかもしれない(決して逃れられはしないんだけど)
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思い出していく記憶のそれぞれが、僕を傷つけていくのなら。
この記憶の中で周りの人を傷つけていくのなら。
僕の取り戻そうとしていた記憶に、どれほどの価値があるのだろう。
これで、いったい、誰が何を得ると言うのだろう。

ひとつ、またひとつ、なにかひとつ。
過去を取り戻すたびに、辛い記憶が甦る。
その時、その時、どうにか耐えられたのだからこそ、今も僕はこうしている。
でも……今、再び、その記憶に切り刻まれるのは、耐え難い苦痛だ。
痛みをともなう記憶は、ずっと忘れずにいれば、少しづつ、その切っ先を鈍らせていく。
だけど、ひとたび、埋めてしまえば……
それは、忘却という自分の中の弱い肉の中で研ぎ澄まされ、やがて突き破って出てくるのだろう。
ひどい痛みを伴って、よりいっそうに、心の中を引き裂いてまわりながら。


『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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情死の相手が生命を救われた場合、愛と名誉のもっとも厳粛な義務から、できるだけ早い機会に命を捨てなければならない。
もちろん、二人とも救われた場合、問題はない。
しかし、娘と死を誓ったあと、相手だけをひとり冥土へ旅立たせた男として知られるくらいなら、いっそ重罪を犯して半生を牢獄におくるほうがまだしもましであろう。

小泉八雲「赤い婚礼」
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 「心中によって生き残った者が男であるなら、その末路に聳え立つは辛苦しかない」と語ったのは、小泉八雲その人である。簸川五樹は自分が生き残ってしまった(と誤解している)事への「罰」を「記憶再生」と言う形で見せ付けられた。それはあまりに耐え難い苦痛であり、そんな彼の苦しみは紛れもなく、本作が古き日本の価値観を継承している証明とも言えた次第。
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僕は――僕の中の何かが、狂おしいほどに過去を求めている。
その根元を見つけなければ。
きっと、僕に心休まるときはない。
それが……あるいは伊勢の言うように、痛みや苦しみを伴うものだとしても。
僕は……僕の記憶を…………
きっと…………

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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 しかし、それでも彼は追い求める。その証が、自分の中で最も大切な「核」だからこそ。ただ只管に、彼は世界の中心を目指して……遡る。
 そして、そんな過去を取り戻していく過程で、五樹は自分の周囲に満ちていた、隠されしもう1つの世界を知っていくんだ。
 「殻」で覆われた世界から、記憶と言う突破口を生かして、世界の垣根を飛び越えていく。
 「善の世界と悪の世界」「希望と絶望」「秩序と混沌」「創造と破壊」を同時に齎すアプラクサスの元へと向かって。



 こうして俯瞰してみると、この『腐り姫~euthanasia~』と言う作品は、実にデミアン的だなあと思える。自分が居た世界。自分が知っていた世界。自分が居なかった世界。自分が知らなかった世界。全ての要素が集合の如く、密接に関わり合って繋がり合いながら、確かな関係を育んでいる。簸川五樹と言う人物が少年から青年となり、やがて死亡するまでの「心の記録」を「記憶喪失→記憶再生に奔走する死者」と言った、ある種独特な観点から、解析していった作品とも言える訳で。

 居たから知っていた。居たけれど知らなかった。居なくても知っていた。居ないから知らなかった。

 そうした全ての過去を「取り戻す」事が、本作の大きな主軸である。
 そんな「想い出の全て」こそが、新たな自分の誕生となり、新たな世界の誕生となり、新たな物語の誕生となるんだ。


 ここまで読めば分かるだろう。鳥とは即ち簸川五樹。アプラクサスは蔵女(朱音)でありながら、同種の能力を併せ持った五樹の事でもある。ある意味見方によっては、樹里も此処に含まれるかもしれない(蔵女や五樹の方が意味合いとしては近いだろうけど)
 成す事が出来ない事を成そうとする鳥が、自らの存在の意味を知るには、アプラクサスの元へ飛ぶしかないが、彼女は決して答えない。只々その長い「爪」で彼を、周囲を傷つけるのみ。「創造=破壊」を齎していく。
 そしてそんな彼自身も、自らの記憶が開花しない限り、能力は知らぬ存ぜぬ暴走を続け、胸中の問いには答えてくれない。そこにあるのは確かな魂の苦悩。だからこそ彼は、最愛なる少女への一途な感情を胸に、能力を礎として真実を掴み取ろうと、苦しみもがき続けていく他なかった訳で。
 その過程は「人間が次の段階へ進む為には、自己追求の内に潜む大切な想い出が必要だ」と言う事を示唆した、ある種の『成長物語』とも解釈出来る。常に他者の眼差しを意識しながらペルソナを演じてきた社会化された「自分」から、内面の奥と繋がった本質的な<自分>に結びつける事への困難を伝えつつ、新たなステージへ向かう【自分】の姿を描いた作品であるとも見て取れるんだ。
 だからこそ、その困難に真っ向から立ち向かい、受け止めて、受け容れて、彼女の元へ必死に歩み続けた青年の事を、僕が嫌いになる訳がない。世間的常識、一般的振る舞い、兄としての威厳……それは<自分>を追求するにおいて最も必要のない概念だ。そんな戯言を、彼に対して偉そうに述べる常識人など、軒並み金魚の糞と言って良い。

 彼女の全てを携えて。一緒に暗黒へ消えていった君の事を、僕は本当に誇りに思う。

 下記からは、そんな可憐の少女を追い求める過程において、愛情深い彼が直面した真実の1つ1つを、少しずつ語っていくとしよう。










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「なーんだ。ようするに、あんたが生まれてこなければ良かったんだね」

『腐り姫~euthanasia~』盲点
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①伊勢きりこ
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「五樹さん……貴方のご家族はもう、生き帰りはしないんですよ!? この町のどこに、五樹さんの幸せがあるっていうんですか!」

「この町はもう、五樹さんにとっては廃墟でしかありません。医者の言葉や、周囲の人の親切に惑わされているだけです。五樹さん自身が、そう願っているわけじゃないでしょう?」


『腐り姫~euthanasia~』伊勢きりこ
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 端的に申せば、実に複雑な女だと思う。独り善がりな思い遣りである事を自覚したまま、自分の我だけを貫き通す内面の先……五樹が過去から脱却する事を願い、積極的に働きかける行動の果てに、何を見据えていたのかを……しっかり観察しなければ、伊勢きりこと言う女性は簡単に誤解してしまいそうになる。

 伊勢きりこは、ただ只管に「五樹が過去と向き合う事」を否定する。それは偏に、彼女自身の彼へ向けた優しき愛情でありながら、彼を受け容れてあげなかった過去に対する「贖罪行為」とも見て取れた。
 きりこと五樹が生きている間に交わした交流の内には「彼が彼女に対して向けた好意」と「彼女が彼に対してすげなく振舞った過失」しか存在しない。簸川五樹に向き合おうとしなかったのは、自らの障害レッテルに対する濃密な自己嫌悪と、そこに対する反骨精神で彼女が満ち満ちていたからと言うのが妥当な所で。
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「五樹さんは――――他人がこうあってほしい、自分の知っている過去の五樹さんであって欲しい……そういった考えを鏡みたいに反射しているだけです」

「他人のことでも、我が身のように感じられるから……だから誰もが、五樹さんに、自分を映していたんだってこと」

「まっすぐに鏡を見ることが出来なかったのは……他でもないあたしだったんだ……」


『腐り姫~euthanasia~』伊勢きりこ
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我々各個人は、他人の裡に自己を映す鏡を持っている。

アルトゥール・ショーペンハウアー
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 本作において重要な台詞の1つ。特に某町役場職員にはまんまと適用されるだろう強い言葉。そして『デミアン』を著したヘルマン・ヘッセに、多大なる影響を与えた哲学者の言葉も同じく付記。
 五樹はこの「他人の感情に自己を映す鏡」に縛られて、相手の思うように振舞ったり逆に相手に影響されやすかったりした訳だけど、きりこにもその影響が現れていた事は想像に難くない。だからこそ、自身の甘えを許さない彼女は彼をずっと拒否しつつ。しかし彼自身の事を知って、受け容れたい感情も芽生え始めてきた。記憶を失って、変わり果てた青年に対して「恋人」と嘘をつくまでになってでも。

 自分の心に蓋をして、真摯に向き合おうとしなかった伊勢きりこ。過去の簸川五樹を信じようとしなかった伊勢きりこ。

 そんな自身しか見えない「過去」に、誰が価値を見出せると言うのか。簸川夏生とは違い「現在」のみへ視点を強制的に向けようとするのも、簸川芳野とは違い余裕のない固執した「現在」しか与えようとしないのも、至極当然の話であり。
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五樹が過去を取り戻すことはいいのだ。
彼女が許せないのは、過去にとらわれることだった。
五樹の過去をほんの少しでも知れば、そこに大きな痛みが横たわっていることは容易に想像できる。
だからこそ。
それを思い出したとき、その痛みに耐えられるようないまを。
なにより、求めて欲しいのに!

『腐り姫~euthanasia~』伊勢きりこ
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 ここら辺なんて、中々に詭弁を弄するのが上手。自分で自分の事が1番良くわかっていない、立派な浅ましさの証明とも言えようか?
 「過去を取り戻す事は良いが、過去に囚われるのは許さない」と言うのが、伊勢きりこ独自のスタンスだった。しかし、必死に彼の過去を否定するその姿が、逆に彼女が過去へ固執している証左とも取れるのは、随分と皮肉な話である。
 「記憶喪失」と言うのは、ある意味彼女にとって名誉挽回のチャンスでもあった。「恋人」なんて嘘をつき、他者からはそんな虚偽を述べた事による迫害を受けながらも、自分勝手に手放して失った時間を再度取り戻す。その時の彼女が抱いた恍惚は、過去と負け犬を乗り越えて掴み取った自立的高揚は、正しく筆舌に尽くし難い快感だったろうなあとも思う訳で。
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「あたしっ、五樹さんのものですっ、五樹さんを、いつでも気持ちよくさせてあげますッ」

その動きに浮かされて、きりこは必死に言葉をつなぐ。
「あたし、何でもします、五樹さんの道具ですから、乱暴に使ってくださいっ」
絶望の果てに求めた、すがりつくしかない存在への従属の言葉を。


『腐り姫~euthanasia~』伊勢きりこ
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 しかし、そんな「カップルごっこ」を通した先に見えてくるマヤカシと言う名で彩られた事実は、最早拭い去りようもなくて。記憶を失う前の五樹にあった好意へ縋っている、彼の過去に依拠した現状を無視した自立も透かして見えて。どうにもこうにも素直でないその振る舞いが、実に虚しく思えてしょうがない。

 そして、青磁との関係について。「無理に記憶を取り戻す事はない」と言う穏健派閥で固まった2人だったが、果たしてそれだけの関係だったかというと、激しく其処には疑問が残る。第一殻で「きりこと青磁が同日に帰っている?」事を疑問視した上で、その後の青磁ときりこが一緒に居る場面での違和感を鑑みるなら……仮にそういう関係になっていたとしても「まあ、不思議じゃないよな……」と思う他ない。「簸川五樹」という同種の苦悩を抱いた者同士が男女関係に陥る……共感に溺れると言うのは、得てしてよくある事だろうとも思う。

 自らの言葉で彼へ説得しているきりこの心の裏側は。鏡は。簸川五樹が見せていた「伊勢きりこ」は。果たしてどのような表情で控えていたのか。
 そこには彼女の中で覆い切れない罪悪しかなかった――愛情の根底に罰を与えてくれる事も、考えていたかもしれない――と、想像が繰り広げられると……真摯に彼女を好きだった五樹が、兎角可哀想に見えて仕方ない。
五樹は別にきりこの中で、必ずしも必要不可欠な存在ではなかった。愛していても、愛してくれているだけだった。「現在を見る」と言う打算で自分の愛が上手く運ばれる事を見越して、彼が変わってない事を。その普遍性を信じて、縋って、待って、待ち続けて……愛してくれていただけだった。
 きりこも別に五樹の中で、必ずしも必要不可欠な存在ではなかった。山鹿青磁と交わした「残渣の守人」を見る限り、例え決意したとしても何回もとうかんもりへ足を踏み入れてしまうんじゃないか?と言う疑念は尽きない(あの世界はあそこで終わったけれども)
 彼に過去というものが横たわる限り、彼女は感謝こそ身に受けたとしても、決して愛を得られはしないだろう。

 その絶望的なすれ違いが、実に歯痒く。そして、馬鹿らしい程に切ない2人だった。





②簸川夏生
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「ねえセイ、あたしがキスしてあげよっか?」
「いらないよ」
――ああ、そうか。
「またあ、無理しないでいいよ?」
「アホ」
きっと、あの頃から夏生は……

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹・簸川夏生・山鹿青磁
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 簸川夏生と言う女性は実に単純な女であるが、単純過ぎる存在程、この世で1番恐ろしいものはない。容易に人を狂気の淵へ落とし込むのは、その「単純性」こそが概ね全て。凶悪な事件の背後には意外とシンプルな動機があるように。人間と言う存在を突き詰めて生じる狂気的回答はその単純性と表裏一体の理を表すと思う。理解出来るからこそ厄介な面を併せ持つ……そんな「圧倒的現実」の中で無理なく絡む要素だからこそ、それは最も脅威を孕んでいた訳で。
 その点について語るなら、彼女の行動原理は作中で最も分かりやすい。惚れた男を手に入れんが為、簸川五樹を利用した、実に哀れで惨めな女。人間的であると言うのが必ずしも美点になりはしない事を痛切に述べた存在であり、そこには理解出来ない狂気と理解出来る単純……二律背反を孕んだ恐怖が共にあったと言えるだろう。
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身体は快感の泉を舐め続けていたけれど、頭はどこか冷めたまま、現実感だけが薄い。

うっとりと、細められたまぶたの奥から、気だるげな瞳が覗く。
からかうような……
哀しいような……
いたたまれなくなって、僕は行為に集中した。

掠れたような情欲の残り滓が声に混じって。
夏生さんのその部分は、虚ろに開いたまま僕の放出したものを、垂らす。
見ていられず、目をそらした。


『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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 今にして思えば、夏生が齎した最初の性交は、彼に対する1つの贖罪の形でもあったのかもしれない。馬鹿な彼女なりに上手く考え、無理して誤魔化して振舞ったつもりかもしれないが、やっている事自体はどうしようもない外道に思う。
 そんなお情けでしてもらう行為に喜びを感じる人間がいるかどうか。仮に居たとして、彼女を好ましく思っていた五樹は、そのカテゴリーに見事当てはまるのかどうか。そこん所もまるで視野に入れていない、反吐が出る自己中心的考えには変わりなく。
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たとえここで、彼女が過去の『なにか』と『謝罪』をすべてしたとして……僕は、どう思うだろう。
おそらく、なにも感じない。
それが、記憶を失う前の僕にとってどれほど重大な問題であったとしても。
いまの僕には、他人事にしか聞こえまい。
そうか……理解した。
夏生さんは、僕に謝りたいことがあると言った。
でも、それは僕に、じゃない。
記憶を失っていない僕に、なんだ。

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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「何も言わなくって良いよ」
「えーっ。言わなきゃ謝れないじゃんかっ。謝らしてよ、バカーッ!」

『腐り姫~euthanasia~』盲点
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 そんな彼女でも、彼は許す。許し続けていくだろう。けれど、彼女の満足からは程遠い。満たされぬ葛藤、果たされぬ欲求がそこにはあり。
 そしてやっぱり彼自身が必要とはされていない事実に、僕はまたしても胸が痛む。
 記憶とはただそれだけで、人の全てを肯定させる「人格保証」の1つだった。簸川五樹が記憶を取り戻さない限り、簸川夏生の謝罪が実を結ぶ事はなく。簸川夏生の謝罪が実を結ばない限り、簸川五樹自身が肯定される事もない。
 悪循環な負の連鎖。ただそれだけが、彼女と彼の関係にはあった。彼女と彼の関係には、ただ、それだけしかなかった。
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「そんな顔して……興味あるんでしょ、女の子のからだ」

「あたしの胸、ちらちら見てるもんね?」

「しゃがむ時、スカートに眼がいってるもんね?」

「あたしとセックスしたいんでしょ?」


『腐り姫~euthanasia~』簸川夏生
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「体全部で、五樹を汚してやったのよ。この体全体に、五樹の汚れがこびりついているの」

「五樹、中で出したわよ。何もつけずに……泣きながら」

「セイ、こんなにも五樹がこびついているあたしを、あなた、そのままにしておけるの?」


『腐り姫~euthanasia~』簸川夏生
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 青磁を呼び出す口実でしかなかった五樹、青磁を呼び出す口実に五樹を利用した夏生、五樹を汚した口実から夏生を犯した青磁。
 そしてそれら全ての口実に気付いた結果、瓦解する3人の繋がり。切なく、哀しく、遣る瀬無くしかなくなってしまった関係性の隔絶が、過去には内在していた訳で。
 決して理性的じゃない。後悔すれども、反省せず。何も考えず、ただ本能のままに行動して、その結果、大切なものを取り溢す。
 そんな姿に怒りよりも哀れみのほうが先に出たのは、幼い頃のままではいられない「大人」になってしまった事への郷愁を肌身に強く感じたからだろう。傍から見ると「馬鹿だなあ、コイツ」としか思えない行為であっても、その行動には真面目なひたむきさが隠されている。確かな真摯さが其処にある。その自分勝手な単純さが狂気を生み、自分勝手な狂気と化して軋轢を産んだのは、幼き頃より続く彼女の「初恋」と称されし純粋な想いだった。それが目を覆いたくなる程、実に淋しく、映えていたんだ。


 はっきり申せば、幼馴染同士の強固な繋がりをぶち壊した夏生は「馬鹿女」としか言いようのない奴だと思う。
 でも、彼女――樹里――の想いを切に捉える自分が、同種の彼女に何かをご高説垂れられる訳がないとも思う。

 だから、そんな上記を踏まえた上で、ただ1つだけ言える事があるとするなら……

 死んだ人に対して犯した罪は、どんなに償いたいと思ったって、絶対に償えない。例えゾンビでも何でも、本人が目の前に現れて罵ったり、罰を与えてくれたりする方がどれだけ楽かと強く思う。
 でも、生きている人間同士なら、互いに許し合う事が出来る。例え彼が生きている死者に過ぎないとしても、その末路へ至れたのなら、やっぱり素晴らしい事だったんじゃないかと思う。
 どんな形であれ。彼女は確かに……罪を犯しながらも、許されたのだから。

 簸川夏生は、同じ失敗を何度も何度も繰り返す、実にどうしようもない女だし、正直気持ち悪く感じたけれども。
 その贖罪が果たされた散り際は、切なく、哀しく、遣る瀬無く……そして少し、嬉しかった。





③山鹿青磁
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五樹が、なにかせっぱ詰まった状況にあるのはわかった。
だが、そんな五樹に俺が何ができる……?
もし、なんの力にもなれなかったら、いたずらにあいつを苦しめるだけじゃないのか?
そう考えると、五樹の声に答えることはできなくなった。
幾度も、幾度も繰り返してきた後悔だった。
翌日、夏生から連絡が入り、五樹の事件を知った。
後悔など、いつでも幾度でもできるものではないことを知った……

『腐り姫~euthanasia~』山鹿青磁
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 在りたいように在る、と言うのはとても難しい。優しき男はあまりに優しすぎた故に、彼の苦悩へ向き合えなかった。その後悔が時を経て尚、蟠りの中に埋もれていると言うなら……彼が彼を助けようと動き、彼が彼の想いに応えたその時、彼がそれで満足してしまったのは、実に当然の事なんだろう。
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「夏生の歪んだ求めに、俺は従った。五樹のために怒りながら、最後は夏生の身体に夢中になっていたんだ」

『腐り姫~euthanasia~』山鹿青磁
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 五樹を、自分が助けてあげられなかった罪悪感から。夏生の身体を通して裏切った背徳感から。後ろめたい彼の事実に眼を逸らし続けた山鹿青磁。それは確かな優しさを秘めていながら、紛う事なき弱さでもある。理性的であり過ぎると言うのは、行動しない事への免罪符にはならない。優しさとは伝わらない限り、決して優しさ足り得ない。実に残酷な真実だけが、その世界においては介在していた。
 しかしだからこそ、青磁には共感出来た部分が多い。彼が普通に良い奴で、優しい男だからこそ、他の女とは遥かに違った、五樹に対する穏やかな愛情が見て取れて。個人的経験としても「当たって砕けられない弱さ」「安楽死に対する反抗」については、実に痛み感じ入る所があった次第。
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「自分が何を言ってるのかわかってるのか!?」
別に、父を愛していたわけではなかった。
母を疎んでいたわけでも。
ただ、命を奪い、その死に名前を与えてあきらめようとしていることが許せなかった。

『腐り姫~euthanasia~』山鹿青磁
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 「もっと生かせてあげかった自分の父が他者の手により死んでしまった……同じ過ちを五樹に繰り返してはいけない」
 山鹿青磁の根底にあったのは「安楽死」と言う現実の果てに抱いた後悔である。作中で赴く行動の1つ1つはそれから至りし彼なりの罪滅ぼしだった。そこで僕は、伊勢きりこの影を想起する。彼女と違うのは、決して誤魔化そうとしなかった所だ。その性格は、実直な山鹿青磁と言う男の長所と断言出来るだろう。
 しかし原初の思想が実父の安楽死にある以上、簸川五樹だけを見ていると言えないのが実に哀しく。彼女と同じく、彼の中には覆い切れない罪悪しかなかった。そしてだからこそ、最も憔悴し切った五樹と真摯に向き合った最期の時で救われた部分もあったのだろう。そう考えると、難しくも切ない因果を感じる他ない。一抹の淋しさを感じてしまうのも、致し方ない。


 そして「残渣の守人」である。これがもう本当に、何とも実に上手いタイトルだよなあ。
 「溶解・濾過した後に残った不溶物の残り滓を守り続ける男」の情景。赤い雪の齎した残滓を偏に見続ける者の景色。
 その題名には複数の意味がある事に、切ない感動を覚えたのはきっと僕だけじゃないだろう。

 全てが赤い雪に包まれ、誰もが忘れ去ろうとも、彼の想いは確かにあった。それだけは覚えていようと思う。

 人間が人間と向き合う際には、恐怖と向き合う為の「覚悟」が少なからず必要だ。
 怖れに押し潰されそうになっても、必死に世界と向き合おう。泣いても、喚いても、叫んでも。真実を……確かに。この手の中へ。
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五樹は、この旅から帰ってくると、必ず、深い悲しみにとらわれ、傷を負って帰ってくる。
何度となく、この旅行を止めるように言ったが……聞き入れることはなかった。
そして、帰ってくると必ず、赤い雪に埋まった無人の町の光景を俺に話して聞かせる。

五樹は話し終えると、俺の顔を見る。
そして、自分のベッドへと潜り込んでいく。
そして、できる限り泣こうとしているのも、俺は知っている。
おそらく、五樹しか知らない故郷の町を思いながらなのだろう。


『腐り姫~euthanasia~』山鹿青磁
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 もっとも苦痛を引き起こすものを、人は愛さずにはいられないのだから。





④簸川芳野
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ただ、あなたは朱音さんを愛していただけ。
樹里を愛しているだけ。
わたしを愛していないだけ。

こんな時でも、あなたにわたしが必要だという幻想さえ、抱かせてくれない。
わたしは……あなたにとって……そういうものなのね……健昭さん……


『腐り姫~euthanasia~』簸川芳野
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「愛してもいないのにね……むしろ鬱陶しくすら思っているのに」
「ただいつまでも優しいままだなんて……残酷なのは父さんと同じね」

『腐り姫 帰省~jamais vu~』簸川樹里
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 「薄幸美人」と言う言葉程、簸川芳野に相応しい単語はない。簸川五樹と簸川健昭がある種の同一人物であった事から始まった悲劇。盲目とは即ち、自身の愛着を暗黒に求めている事の隠喩であるか? 過ぎ去りし時の向こう、在りし日の面影を求め彷徨う女性の影に……実妹を追い求める青年の姿も想起してしまうのは、決して偶然の産物なんかではないだろう。
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「泣きなさい……」

『腐り姫~euthanasia~』簸川芳野
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 互いに大切な存在が死んでしまった抜け殻同士。この時の芳野は、五樹の心情に上手く深く寄り添えていた。同位置に隣する境遇の中、2度と満たされなくなった互いの想いを分かち合いつつ、優しさの抱擁で涙を温かく包んでいた次第。
 彼女が抱いていたのは、言葉通りの「同情」だったろう。同じ心で、混じり気のない青を。気持ちとして強く表し合う。頭が淋しさと悲しさと切なさと遣る瀬無さでどうにかなってしまいそうな時程、優しさは心奥に沁み渡る。虚しさの中に慰みあり。それは確かに、隙間から零れし救済の、せめてもの形の1つだったと言えた訳で。

 しかし今にして思う。想起してしまう事はあれど、決して彼と彼女は同等じゃなかったと……芳野と五樹には異なっている箇所がある。その事を無慈悲でも、此処に書いておかなければならない。
 それは「愛されていたかどうかの有無」だ。簸川五樹は、自分を見てくれていない(ように感じた)周囲に対する孤独の心が樹里(+クロ)への愛情に直結していき。彼女もまた、そんな彼の他者に対する孤独な想いへ応え続けた結果の普遍があった。愛されないから互いに愛する、2人(+1匹)の世界の生存戦略。その時、彼と彼女は確かに、救われていた。
 そんな2人の持続性に、盲目の瞳はどんな感情を灯していた事だろう。変わる事なきその愛情が、芳野はどれだけ欲しかった事だろう。簸川健昭は決して自分を見ず。「いつまでも優しいまま」であり続ける。涙を流す事は在っても、彼女の為に泣いてくれる事はない。彼は別の少女を愛し。少女はそんな彼と言う障害を狙い続ける。少女を憎むのも、実に致し方ない事だった。
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「私の……大切な人を……玩具のように……弄び……奪った……」
「あなただけは……絶対に…………ッ……」

「あなただけは……決して許さない……!」
「樹里……ッ!」

「どうして、いつもあなただけが――なにもかもっ!?」


『腐り姫~euthanasia~』簸川芳野
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 簸川樹里と言う存在に最も感情を抱いていた簸川芳野。彼女を殺す幻覚を見るまでに、憧れと憎しみで満ち溢れていた盲女の心は。どちらも自身で消化出来る事なく、暗闇の荒野に彷徨す。そしてだからこそ、満たされぬ愛は「義理の息子」と言うオアシスへ差し向けられ、果たされぬ欲望は「健昭の偽者」と言う死者の姿を通して、天空高く艶やかに昇天した。
 自身に嘘をついていると言う点において、芳野も完璧な悪女である。誰しも1人の少女であり、1人の女であった中に、母親と言う役割は最も理性的な大人の象徴であったが、彼女はそうは成り得ない。健昭の事しか見えていない。健昭から変化する五樹は、求めていない。

 その姿だって、奥底にはあった筈なのに。幼少期の五樹との間に、その心底は確かにあったのに……簸川五樹自身を、彼女はきちんと見る事が出来ず。他者を誤魔化し、自分を騙し、エゴの想いに蓋を閉じようとするも、性根はやはり溢れ出ていた。
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「あなたが死ねば……みんなうまくいくのよっ、樹里っ!」

『腐り姫~euthanasia~』簸川芳野
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 果たして本当にそうだろうか。樹里がいなかった所で、健昭の愛は朱音へと向かう。ベクトルは決して自分に向かない事すら理解出来ない程、彼女は盲目だったのだろうか?
 五樹の気持ちはどうなる。健昭を導く撒餌として、彼の代用として看做されし彼の気持ちを。考えているが故の死ねばいい発言なのだろうか? それともそこまで考えてはいないのだろうか?
 そして何より樹里は……五樹の『居場所』だ。故郷だ。帰るべき場所だ。たったひとつの、帰ってくるべき居場所だった。その価値を分かりもしない人間が、勝手に彼女を不要とすれば上手くいくなんて、そう語る資格なんてあるのだろうか?

 此処が正に、樹里が追撃の手を緩めなかった理由を十二分に理解出来た瞬間である。愛しのあの人に愛する存在がある限り。愛しのあの人と義理の息子を重ねしエゴがある限り。たらればの先にある希望の道なんて絶対存在しないのに。芳野と称されし人形の独り相撲。実に馬鹿らしくて、虚しい。
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「んふ……ずっと…………想像してたわ……」
「……なにを?」
「あなたが、こんな風に私を…………犯してくれること……」

「……最低の…母親だね……」
僕は言った。
「ああああっ!!」
母さんはそうしてほしいんだと思った。


『腐り姫~euthanasia~』簸川芳野
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「ねえ、五樹……ふたりで暮らすなら、どんなところがいいかしらね……?」

『腐り姫~euthanasia~』簸川芳野
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 母と女。家族愛と男女愛。二律背反の要素は行き着く所まで行き着くと、最早共存成し得ない。そして彼女は、自分を愛していた存在すら裏切る。夏生の時と同様、吐き気がした。

 芳野が恐ろしいのは、愛する者を選んでしまった人間が容易に自分の子供を手放す残虐性を発揮した所にある。自身のエゴを誤魔化す心に、樹里が追撃の手を緩めなかったように、蔵女も決して容赦しなかった。仕向けたその末路が、こんな醜悪で奔放な少女の無垢さを体現させたのである。大人と言う存在へ至る過程に生じた不条理の摂理を、この身に強く感じた始末で。
 「どんな理由があったとしても、子供を裏切ってはいけない。誰も、子供を利用したり、騙したりしちゃいけない」と言うポリシーを持つ身としては、芳野の行動は取り分け腹立たしく思う。五樹と潤……双方の辛く苦しい気持ちが感じられるようで、兎角僕の胸に迫りつつ。特に今回は実子でありながら邪魔者扱いされている……五樹お兄ちゃんと芳野ママ大好き潤が本当に不憫で、この後の展開を通して偏に彼女へ愛着を持つ結果ともなるのは、また別の話である(彼女はある意味「NTR」と「ママNTR」を同時に味わった訳だが、そういうのって、本作の時期ではかなり衝撃的だったんじゃないだろうか。当時の性事情は分からないので言及のみに留める)
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「すこし……怖いわ……こんなに……幸せで……」
歓喜の涙を流しながら、幸福をかみしめるような声が聞こえる。
「そうだね……僕らは……幸せだよ……」
僕の頬にも、とめどなく涙がこぼれていく。

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹・簸川芳野
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 しかし、芳野自身はずっとこんな風に――樹里のように――なりたかった事を望んで、最期にはその願望を叶えて往生を果たした。きたないはきれいと称されるように、その死に様へ「良かった」と安堵してしまう気持ちも、僕の中には確かにあった。

 決して果たされる事の無い景色が、例え夢幻に過ぎないとしても体現したのであれば、それは確かな「幸福」となる。
 かつで母であった情景を胸に、互いに愛しながら消えていけた1人の女。「これで良かったのかもしれない」と思う気持ちと共に、涙は止め処なく溢れ出てくる。
 母子草の花言葉は「いつも思う」「無償の愛」「優しい人」「忘れない」
 簸川五樹と言う子供を通して行われた愛の看取り。送りし彼と送られし彼女、見届ける者達が最期に見た純粋な世界は、至極美しい母と子の確かな残影の欠片だった…………その事実を絶対に忘れない。
 それで良い。芳野を想う大切な人は確かに居たのだ。例え思い描いた理想と違っても、確かにあった現実があるなら。死に損ないの彼女にとっては、それで充分良かったのかもしれない…………そう思おう。





⑤簸川潤
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「……あたしも樹里とおんなじだ……」

『腐り姫~euthanasia~』簸川潤
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 簸川潤。義妹でありながら、誰よりも実妹らしくあろうとした優しい少女。守られし者として描かれてきた変遷は、樹里との邂逅によって真っ当な昇華を果たしつつ。家族の中で最も『家族の絆』と言うのを、子供ながらに信じ続けた象徴である。
 蔵女に対する余裕の無さは、樹里に対する恐怖の裏返し。抵抗し続けるか弱い自分を振り返った時、心に覚えし感情は何か? 女童の登場によって、彼女は図らずもまた、自身の抱く過去からの恐怖……世界へと立ち向かっていく事になる。そして明かされたのは、彼女にとって実に残酷で、至極嬉しい真実だった。第二殻、最終パート。早速語っていくとしよう。

 簸川芳野が「母」と「女」の交錯に悩まされていたとしたら。簸川潤は「妹」と「女」の変位に困惑していたと言えるだろう。
 昔の幼馴染であり、しっかりした後輩として再会し、終には血の繋がらない義妹の形で対面を果たした1人の少女。そんな彼女の過去から未来へ続く道筋は、大人の都合で随分と振り回されたからこそ、敷設されしレイルロオドだった。だからこその新しい関係性に彼女は至極葛藤し、距離を測りかねていた訳で。そこに樹里の影響もあった事は、最早言うまでもないだろう。
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樹里が来る。
久しく忘れていた恐怖が、あたしの心臓をぎゅうぎゅうと締めつける。
どうして忘れていたんだろう。
こんな単純なこと。
あたしは五樹に近づいちゃいけない。

『腐り姫~euthanasia~』簸川潤
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 簸川潤と言う少女は、極論を申せば何も知らなかった女の子である。芳野が五樹に対して抱いていた劣情を知らず、健昭が樹里に対して犯し続けた過ちも知らず、芳野と健昭の関係がどうしようもない事も知らなかった。ただ1つ知っていたのは、簸川樹里と言う兄想いの少女の事だけ。自分と母を狙い続ける恋敵の事しか、彼女は何も知らなかった。
 そんな潤は『家族の絆』を掲げて、樹里と水面下で対立する。劣勢の様相。恐怖に支配された感情の中、真っ当な精神は悩み続ける。自分は一体、何なのか。「妹」にはなれない。「女」にもなれない。では自分とは。自分は一体、彼にとっての何なのか。家族にとっての何なのか。果たしてどうならなければいけないのか。
 樹里の死によって、その思考は一旦終結を迎えるも、彼女の中で疑問は終始蟠り続けて。新しくやり直す事で、その回答に中身を見出さんとしたのである。新しい『家族』の一員として、五樹を迎え入れる事で。
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「……もうあたし……あの家にいてもいいんだよなっ……?」
「離れた場所で……居場所が無いふりなんて、しなくていいんだろ……?」
「五樹……っ……あんたの……世話を焼いたり……焼かれ……たりっ……冗談を言ったり……喧嘩したり……っ!」
「どこにでもいる、ふつうの……兄妹になっても……いいんだろっ……!?」
「イヤだよ……もうっ……独りでいるのは……ッ……イヤだよう……っ……」

『腐り姫~euthanasia~』簸川潤
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 潤に対する裏切りの全てが、彼女の心を締め付けて、強行へと陥らせた。それだけで僕の心は、悲哀の愛情に満ちてしまう。
 蔵女を殺すと言う行為は、そんな確かにあった世界の過去に対するふんぎりをつける為、彼女が自らに課した通過儀礼だったんだろう。蔵女と言う異分子を排除する事で、新しい『家族』の一員として、五樹に迎え入れられる未来を獲得する為に、彼女を鉈で殺したんだ。


 ……五樹にキスをされるまでは。彼女自身も、そう思おうとしていた。
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「あたしは……五樹の妹になりたかっただけなのに……けっきょく、五樹を独占しちゃうんだ」

「でも……変なの」
涙が頬を伝い続ける。
「悲しいのに……こんなに悲しいのに、やっぱりうれしいの……」


『腐り姫~euthanasia~』簸川潤
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 やっぱり芳野の娘なんだなあ。その時僕が感じたのは、血の繋がりと言う確かな親子の証である。
 潤もまた自身が「女」であると言う欲望に耐えられなかった。元々片想いしていた存在と、どんな形であれ結ばれたのだ。その嬉しい気持ちに、彼女が嘘をつく事は出来ない。最も家族(だと思えていたような)存在であっても、甘美な愛欲には抗えない。
 しかしこの娘は芳野程、情欲に狂っていなかった。確かな理性との葛藤があり、それでも尚、感情に従えない人間存在としての苦闘が内在していた。


 「優しくしないで」


 潤が性交の際に放ったその一言が。僕の中で彼女の価値を決定付けた瞬間と言えるだろう。
 自分を樹里と同化して、復讐させる事を望む姿の陰には。自分が義兄との愛欲に溺れる事への自罰的意味も、含まれていたんだと考える。
 密かな愛情を内に秘めて、切ない反発を繰り返していた1人の少女の確固たる想いが、報われんとしている時。「……あ~あ…」と放ったその言葉。
 それがどれだけ心中に淋しく、そして切なく聞こえてきた事か。
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「潤は僕のこと、嫌ってたんじゃないのか?」
「べつに、そういうわけじゃないけど」
「いいから、僕にかまわないでくれ。僕とはたまたま一緒に住んでるけど、結局は他人なんだから」
他人、という言葉に、潤の顔がこわばる。
「ちょっと……あんたそれ、本気で言ってるの?」
「当たり前だ。だいたい、ずっと前から潤の事は疎ましかったんだ。潤さえいなければ、僕は樹里と……」

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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「……他人だよ。誰だって。どんなにしてもひとつにはなれない」

「……かわいそうね、潤ちゃん」
「愛してもいないのにね……むしろ鬱陶しくすら思っているのに」
「ただいつまでも優しいままだなんて……残酷なのは父さんと同じね」


『腐り姫 帰省~jamais vu~』簸川五樹・簸川樹里
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 簸川潤は何も知らなかった。しかし、無知と言うのは、それだけ純粋だった事の証明でもある。子供ながらも確かな愛を信じ続けるその姿に気持ち悪さより愛しさを。遣る瀬無さより愛おしさを。五樹と潤の性交は、肌身に強く教えてくれた(因みに潤だけが五樹の樹里へと至る道を阻止出来る、ただ1人の「いもうと」である。制作陣からも愛されていたんじゃないかなあ)
 樹里の姿に怯える母親想いの不器用少女。過去の自分が抱いた想いも取っ払い、元々の形態を何とか持続させようとしてきた自己犠牲少女。そんな彼女に与えられるモノがあるとするなら、それはきっと「優しさから生じる暖かさ」と「温もりから生じる気持ち良さ」だけだろう。
 例え「優しさ」から生じる感情しか与えられていなかったとしても、その過去が何も愛されていなかったとしても、彼女が信じた『家族』の価値は、何ら変わる事がない。「あのまま、死んじまえば良かったのに……」「死んじゃえよ」「頼むから……死んでくれよ」と語る言葉の意味も。家族の一員として、彼に与えられし唯一の優しき願望だった。

 その言葉に優しさを感じた初めての日。彼女に対する印象が変貌を遂げた瞬間の日。「安楽死」と言う言葉が、僕の脳裏にスパークする。

 「優しくしないで」と語る少女は、とても優しい女の子だ。「潤は優しいな」と言う台詞を、僕等は何度も何度も聞いてきたじゃないか。
 これはただ、其処を改めて身に沁みて理解するだけのお話である。なんて健気な娘なんだろう。それは決して嘘偽りなんかじゃなかった。例えその想い報われずとも。そんな美しき想いがあった事は、年月が経過した今も忘れていない。


 僕はこの娘が好きだ。簸川潤と言う少女が好きだ。不憫でありながら、他の面子と違って真っ正直に未来を生きる。夢を見るのは若者の特権と言う言説に真っ向から従い、苦しくも切ない未来の中を懸命に強く生きている。そんな彼女が大好きだ。
 此処で僕は物語冒頭で語られていた『池塘春草の夢』を想起する。芳野と称されし母親と同様、その娘である潤もまた、五樹と共に居られて報われる日は、未来永劫来ないだろう。それは淋しくも切ない現実だ。
 しかし、彼女にとっては彼に縛られない『夢』がある。自分だけの抱きし想いがある。「どうなるかわからないから面白い」希望と絶望の間に満ちた決意の視線。それを否定する事は、決して誰にも出来やしない。
 そして、彼女にとっては彼に縛られない『未来』がある。周囲の大人によって支配されたレイルロオドではない。過去だけを求めし他の者達とは違う、未来永劫来ない運命を飛び越えた先に聳えし未来を求め続けて、彼女は自転車を飛ばし続けるんだ。

 今日でそんな決意の世界から20年の月日が過ぎた。潤は今、立派に音楽の仕事へ就けただろうか。就けているといいなあ。本当に。
 心から彼女の幸福を。夢へと向かいし純粋な、満たされし未来の幸福を。願う他無い僕だった。















【第三殻~愛愁編~】
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ショーペンハウエルが驚くべき理論を展開している、あの世界とともに古い悲哀に苦しめられるとき、人びとの「冥土」におもむく道もまたさまざまである。
彼ら自身の理論はもっと単純なものである。
日本人ほど、生を愛する者はいない。
死を恐れぬ者はいない。
来世について、彼らはなにも恐れない。
彼らはこの世を、美と幸福の世界であると思うがゆえに、去るのを悲しむのである。
しかし、西欧人の心を長く圧迫しつづけている、来世への不可解に対しては、彼らはあまり関心がない。
(中略)
仏教の教えによれば、何兆年ものあいだ魂は無限の転生を重ね、無限の達識、無限の記憶を得て、白雲が夏の蒼天に溶けるように、涅槃の至福にはいる。
しかし、これらの苦しんでいる人たちは涅槃のことを決して考えない。
彼らの至上の願望である愛の結合は、ただ一度の死の苦痛をとおして達成される、と彼らは空想する。
なるほど、彼らの空想は――あわれな手紙が示すように――必ずしも同一ではない。
ある者は、阿弥陀の光明にみちた極楽浄土に入るつもりでいる。
また、幻想的な希望のもとに、愛する者たちがいきいきした新しい青春の歓喜のうちに再会する先の世、未来の再生を見ている者もある。
多くの者、実際、大多数の者の考えは、もっと漠然としている――はかない夢の幸福のように、おぼろげな静寂の中を共に影のように漂って行くにすぎないのである。

小泉八雲「心中」
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 さて、第二殻では少し本筋からズレた部分も併せ持っていたので、此処で改めて修正するとしよう。ただその前に、今回の「愛愁」について語るよりも先に大事な事を、此処で述べておかなければならない。「SF問題」についての話。これは今までの過程を連綿辿ってきたからこそ、初めて語る事の出来る内容だから、もう少しだけ脱線させて欲しい。

 この『腐り姫~euthanasia~』と言うエロゲは「世界」の折り重なった作品であり、その「殻」を「破壊」していく中で「創造」が生まれる……新しい記憶が新しい世界を作り上げていく事を、掻い摘んで語った作品だと前述した次第。
 その際に利用した著作『デミアン』は、幼少期より東洋思想・神秘主義に強い影響を受けていたヘルマン・ヘッセのルーツが浮き彫りになったものと言える。「魂の救済は信仰ではなく、知覚と認識の変革によって行われる」事を唱えたグノーシス主義。物理的な宇宙を超える超越的存在と、人間の本来持つ自己の本質的同一化による「認識」を通した救済。そんな思想が根底にあるあの作品もまた、そういうものに触れてきた彼の過去が齎した副産物とも言えた訳。


 誰もが疑問に思った事と思う。何故、本批評で態々「ヘルマン・ヘッセ」について取り上げたか。
 1つは前述した『デミアン』における「卵とアプラクサス」に関する例えを上手く使いたかったから。
 そしてもう1つは、この『腐り姫~euthanasia~』と言う作品自体が、日本の仏教的観点から見ると、中々に興味深い所が映えてくるからだ(グノーシス主義と仏教の間には類似性があり、前者の一派であったマニ教もまた、仏教の影響を直接受けている事が分かっている)
 しかし、勘違いしないで貰いたいのは『夏の終わりのニルヴァーナ』の如き「仏教エロゲ」ではないって事。其処は勘違いしないで貰いたい所。

 まず、繰り返されし4日間と言うのは、生と死の循環を与えし『輪廻』を指している。生まれては死に、生まれては死にを繰り返す無常の中に居る限り、究極の安心、安らぎ、心の落ち着きと言うのは見出せない。だから仏教においては、それを超えた次元へと心を高めるって事が重要であり。悟りって言うのは、そういう境地に到達した状態を指す訳。
 その際に必要なのが煩悩。「煩悩即菩提」とも称されるように、悟り(菩提)と迷い(煩悩)は共に人間の本性の働きだと。煩悩が、やがては悟りへと至る縁になると語った次第。
 で、蔵女の爪。あれは自身の本能を呼び起こす媚薬・麻薬のような物で、煩悩を想起させる効果を持つ。ヒロイン達は罪の意識だったり、性の対象だったりと言った五樹に対する迷いを抱いていた。そんな彼に対する執着を解きほぐす(=満足させる)事で、彼女等はヒロインの座から降ろしていく。
 そして五樹は「記憶喪失した過去に囚われし心」を持つ状態から傷をつけられた事により、周囲との関係、家族との記憶、そして、樹里との想い出を想起していく。迷いに囚われし心のまま、彼は世界を駆け巡るが、他者の煩悩は消滅されていく。

 しかし、仏教において「煩悩を無くす」と言うのは「煩悩を制御する(=悟り)」って意味であって。無くす事は、滅する事と同義ではない。その点において、蔵女の爪が齎す赤い輝きは「煩悩を滅する」行為。そしてこの「煩悩が滅した」場合、人間はどうなるか…………人間じゃなくなる。

 人間らしい本能へ導きながら、魂に最高潮の満足を味わわせて昇天させる。それは肉体を持つ生者である間の本性である利己的人間性の消失に過ぎない。薄いヴェールのように言葉を覆っていた心の陰りが失せてしまったマネキン。つまり「抜け殻になる」って事を、通して語られている訳だ。
 「一切皆苦」の世界の中、記憶を想起していく中で、次第に迷いが消え失せていく五樹。潤が襲われた事によって、彼の過去・現在・未来に至る全ての記憶が一緒くたに遡ってきて、抱いていた煩悩が滅せられていく。で、その時にグノーシス主義の「物理的な宇宙を超える超越的存在と、人間の本来持つ自己の本質的同一化」が起こったって言うのが、これまでの粗筋となるだろう。
 まあ要するに「自分を追い求めていた五樹の魂が、仮初の肉体をぶっ壊して、蔵女と同一の存在になって、世界を赤い雪に変えた」って事を、超長ったらしく語っただけの話である。
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「昔の人が言う『あの世』っていうのは、異世界、異次元のことなんだ」
「この発明『冥府刀』は、次元の境目に切り込みを入れて、その異次元への道を作るんだ」

『キテレツ大百科』キテレツ
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 彼は元々自分が生者ではない事を知覚して、別次元存在として世界に潜り込む。端的に申せば、魂の昇華した高次元存在(実像可能な幽霊・神様のようなもの)になった。
 そんな上記から分かるように、この作品は「SF」と言うより「オカルト」である。超自然的概念と神秘主義的思想に彩られている本作の根底を鑑みると、サイエンス・フィクションと語るのは、聊か不適当に思うんだ(まあ、蔵女の正体が宇宙人で、別の星からやってきたって部分からそう判断するのも分かるけど)
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「はいはい。五樹がSF作家になりたがっていたとは知らなかったわ」

『腐り姫~euthanasia~』簸川夏生
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「案外、外国人とかだったかもしれんぞ。異人が鬼に間違えられた、なんてケースと同じで」

『腐り姫~euthanasia~』紅涙先生
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 また、一応伏線も幾つかある。外国人は英語で「alien(エイリアン)」って書く。そもそも「ループもの」って時点でSFの可能性も、充分考慮出来るだろう。
 ただそんな指摘を突いた所で、人間の感性を納得させるのは不可能に近い事は、僕にも充分分かっている。正直、本作のジャンル分けなんて言うのは、最初に述べた通りどうでもいいので……この話は此処でお開きにしよう(実は当初は、本批評で頻出していたショーペンハウアーの事も併せて本作を語ろうかと思っていた。しかし、それは本筋から大脱線をかましそうだったのでやめた次第。興味のある人は意志と表象、愛と共苦、Euthanasieについて調べてみよう!)





 さあ、お待たせ。やっと本筋へと戻ってきた。何だかとても疲れたけど、休んではいられない。蔵女と樹里の愛について……「この世で五樹だけを本当に必要としていた2人のヒロイン」について、下記から思う存分語るとしよう。
 非人間は愛によって人間らしく。人間は愛によって更に人間らしくなっていくのが『腐り姫~euthanasia~』って作品の特徴である。そしてその効果を最も受けし存在こそ「非人間」の蔵女。そして「人間」の簸川樹里だった。
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ひとを……しらない。
人々の営みも、笑うことも、嘆き悲しむことも、生まれ、死ぬことすらも……知らない。
全てを司りながら、何も、その心の中に、持ってはいない。
そう命じられた一つの機械として、使命を果たすだけなんだ。

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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「こんなっ……まるで……ひとのように……感じるこころなどっ……要らない……っ……」

『腐り姫~euthanasia~』蔵女
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 「男子、三日会わざれば刮目して見よ」なんて慣用句もあるが、男子ではない蔵女がここまでの変貌を遂げるには、どれだけの時間を必要としたのだろう。他人を腐らせなければ生きていけないからこそ、心を持ち合わせないようにしたと語る思想に、いつから限界は来たのだろう。
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「この蔵女を殺められる者は、この世にただひとり……おまえしかおらぬのだ」

『腐り姫~euthanasia~』蔵女
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 五樹が蔵女を創りあげし時、自分を殺してくれるかもしれない可能性に、彼女の心は賭けられた。その「死を思う中に生じた希望」を糧に、彼女は時を巡っていたと分かる。「自分から蔵へ入れて貰うよう頼んだ」辺りから、徐々に自分の存在自体が不幸を齎す事に気付き始めて、良心の呵責を覚えるまでになったのも分かる。ただ、その過程をしっかりと描いてないので、突然の蔵女の性格急変に苦言を呈したくなる人の気持ちも分からなくはない。

 しかし実を言うと、其処の部分についてはあまり重要じゃないと感じている。この終章で大切なのは、死んで抜け殻になった「五樹」と樹里になれなかった「蔵女」の両名が、人間の枠組みを超えた神的存在として、再会を果たしたと言う事実だけだ。
 「孤独は愛へと至る標になる」と、前に何かの本で読んだ記憶がある。「互いに満たされぬ同種の存在」として同じステージに立てなければ分かり合えなかった「共有」が其処にはあった。
 少女は五樹に影響を受けて、樹里に影響を受けて、永久に続いた時間遡行の果てに「愛」を獲得する。蔵女との最後のセックス。本作で最も愛らしい内容のシーンだけど、あれが異次元存在となった彼と彼女の、最後の『人間性』を示していたんだと思う。2人が人間で居られたのは、互いに媾う暖かさの瞬間だけ。互いの心は読めず、ただ温もりの感情だけで会話する……最期のシーンだったと思えた次第。
 五樹ではない五樹と、樹里ではない蔵女が結ばれる。この作品はその構造を作る為だけに「第四殻~未来~」となっていたように思う。その視点から物事を見ていくと、本作が実に面白い着地点を醸し出していると感じた訳で。


 さて、第三殻最後に語りしはそんな「着地点」についてである。『腐り姫~euthanasia~』には、2つの終わりと2つの始まりがあった。此処では「2つの終わり」について、下記より語っていくとしよう。





①落果
「蔵女と共に、生き続けよう」
 醜くも苦しい「生」を選んだ終幕。蔵女が蔵女として、五樹と歩み始めた結末。樹里にはならない道を、彼女が選び取った末路でもあった。
 赤い雪で全てを腐らせて、潤や芳野、大切な人、全世界、全宇宙、全銀河全てを散らしてでも。共に居られるのなら、何を犠牲にしてでも、生きてやる事を望んだ彼と彼女の終幕は、実に儚い希望で満ちている。
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「我々がこうして、かりそめの生を続けていくかぎり、何者かを腐らせていかねばならない」
「他人を腐らせ、その精髄を得て、存在しつづけていかねばならない……」
「それが……逃れられない宿命だ」
「一つの星を腐らせれば、また次の、命ある星を求めて旅立つ……」
「心を持つ身には、耐えられない……」

『腐り姫~euthanasia~』蔵女
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 「安楽死」と言うサブタイトルにはそぐわない、貪欲な生を何処かへ向かい続ける為だけに使われるエネルギー。果たしていつまで持つのだろう。人にも、街にも、都市にも、星にも、限界数と言うのがある。これもまた時間凌ぎにしかならない事だって、2人も充分分かっている筈。優柔不断を繰り返して、仮初の生を歩む他なかった彼等の選択が兎角切ない。
 どうせ結論は1つしかない以上、この後彼らが歩む道もまた「死」に過ぎない。「俺たちの戦いはこれからだ!」ならぬ「俺達の死はこれからだ!」と言っても良い。彼等の故郷は既にない。次に滅ぼす場所を求めて、永遠の生の苦しみを彷徨する2人の冒険だけが其処にある。成熟し過ぎて腐り行く前にその場を離れた2人の愛が、いずれ自分等を救うと信じて! そんな希望を託す以外に、僕らの道も既に無いだろう。





②腐爛
「お開きにしよう」
 儚くも切ない「死」を選んだ終幕。蔵女が蔵女として、五樹と腐り始めた結末。そして樹里と同じ道を、彼女が選び取った末路とも言えよう。
 五樹ではない五樹と、樹里ではない蔵女。果たされなかった五樹の抜け殻が、樹里に良く似た蔵女と言う存在を作り上げた。樹里と共に死ぬ事の出来なかった部分、無くしていなかった未練を、蔵女が代わりに付き合い解消する。其処に、日本古来の思想「身代わり」に通ずるような温かさと寂しさを感じてしまうのも、実に致し方ない事である。
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僕らは二人並んで、蒼空を見つめている。
「さっぱりと……美しいものだな…………」
「……うん。綺麗だ」

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹・蔵女
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「こころも……なかなかよい……」
「……ただ……なんだ……?」
「……これは……なんだ……これは……寂しさか……」
「……寂しい……のは……そうか……」
「独りではない……ということなのか……」

『腐り姫~euthanasia~』蔵女
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 世界と言うものを最後には愛し、人間の心について深く理解した蔵女。迷いの晴れたこの時の2人は「悟り」を得たとも見て取れる。
 生まれては死に、死んでは生まれを繰り返す無常の中に居る限り、究極の安心、安らぎ、心の落ち着きと言うのは見出せない。悟りとは、それを超えた次元へと心を高める事。蔵女は「こころ」を手に入れた。悟る事が出来た訳だ。
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「……な、何か言い残すことが……ある……だろう?」
「……あったっけ、かな……」
「……あるはずだ……」
「…………ありがとう……かな?」

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹・蔵女
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「蔵女は……?」
「えっ……あ……う……うん…………」
「ふふっ……」
「私は……私……は……その…………あ……あり……ありが……とう…………」
夏の風が吹き付ける……
僕らは、いつまでも同じ空を見つめながら……
存在に、別れを告げた。

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹・蔵女
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 そしてそんな彼等が最後に至った、その根本は互いを通して互いに感謝する事、互いを通して世界の美しさに気付く事。そして互いを通して「世界に感謝する」と言う事だ。
 強烈な憎しみが、そのまま激しい愛しさへと変わるように。これまで至った苦しさ、哀しさ、淋しさ、遣る瀬無さ、惨たらしさ全てを含めた上で。精一杯の愛を込められたからこその感動が、この結末にはあるんだと思う。

 無限の転生を重ね、無限の達識、無限の記憶を得た魂が、白雲が夏の蒼天に溶けるように、涅槃の至福へ入っていく。
 永遠のリフレーンを繰り返した所で、最後に向かうのは「死」あるのみの世界で。五樹と蔵女は共に救われていく。
 だからこそ、彼等の末路が救われた事に対するしみじみとした涙を……僕は今でも、ずっと零せるんだろう。

 やがて2人の至る道。儚い夢の幸福のように、朧気な静寂の中を、共に影のように漂って行く。
 そんな揺蕩っていく2人に、僕からも感謝の気持ちを伝えたい。

 「ありがとう」

 うん、良い言葉だ。















【第四殻~樹里編~】
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こうした悲劇に終わる恋は、もっとも無邪気な、自然な幼なじみの関係から突然発生したもので、因をたずねれば、子どもの頃にかえるものがある。
しかし、そんな場合でも、西欧の心中と日本の情死とのあいだに、たいへん奇妙な相違がある。
東洋の自殺は、苦痛からくる、一時の盲目な逆上の結果ではない。
それは冷静で、筋を通しているばかりではない。
神聖でさえある。
死を証とする一種の結婚を意味するのである。

小泉八雲「赤い婚礼」
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 簸川樹里。朱音の五樹に対する愛を一身に受け継いだ「人間」の女の子。彼女について最後に語らなければ、この批評は決して終われない。

「『腐り姫~euthanasia~』は完全無欠な究極の妹ゲーにして、アンチ妹ゲー。彩られしは非純愛にして、その果ては至高の素晴らしき純愛。そしてエロを重視した作風でありながら、芯の構造は正にアンチエロゲーである」

 最初にこのように語った限り、上記の意味について――樹里の事を――記さなければ、この雑多な文章が終幕を迎える事はなく。本作の主題に対する結論を加える事は出来ないだろう(とは言え、少なからず察している人も居ると思うけど)


 五樹と樹里。彼等は切っても切り離せない関係だ。「いつき」と文字変換すれば、候補に樹里が出るように。蔵女の姿に幼少期の樹里の面影があるように。2人の愛は、離れ難き関係性のまま、腐り行く世界の上でも見事に保ち続けている。
 記憶喪失となった簸川五樹が、記憶を取り戻す決意を固めた、そのきっかけ。それは偏に樹里との想い出に触れた事で、彼女を大切に思っていた感情が想起されたからに相違ない。
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もし、樹里が父によって死を強要されたんだとしたら……
僕は、絶対に、父を許さない。

ただ本当に恐ろしいのは……
僕の思いこみではなく……父に迫られた無理心中だったりしたのではなくて……
樹里自身も望んだ死、だったのだとしたら……
それが真に、心の通い合った心中だったのだとしたら……
だったら、僕は、僕だけが、一人取り残されて……


『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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 芳野によって隠蔽されし事実の中、五樹は自身の疎外感と終始向き合い続けていた。自分にだけ過去の記憶が無い事。血の繋がった(と思っている)家族は全員この世に居ない事。世界に対する自分と言う存在が、何たる脆弱なものである事かをまざまざと痛感していく過程の果て。認知していない昔日の衝動に孤独な身を寂しく抱えながら、惑わされ続けた中で1つだけあった心の拠り所こそ、家族に対する……樹里に対する彼の切実な想いに他ならなかった訳で。
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「樹里は……考えていたの……」
「五樹おにいちゃんが死んじゃったら……どうしたらいいのかなあって……」
「樹里がどんな遠いところに行っても、おにいちゃんはきっと、樹里を見つけてくれるよね?」
「だから……泣かないで……」
「樹里はここにいるから……」
「樹里はいつでも、おにいちゃんのそばにいるから……」

『腐り姫~euthanasia~』簸川樹里
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 死んでも彼は追い続けた。何度も何度も遡り続け、破壊と創造を繰り返し続けた先に待つ景色を求めて。死者の魂は、彷徨いながら追い求め続けた。
 そして世界を渡り歩いて巡る時間の中、樹里はいつも彼の中に居た。兄が妹を想う限り、彼女はいつも其処に居てくれた。残影でも幻覚でも記憶でも心の裏側でも。確かに彼女は、彼の傍に居たのだ。


 『蔵女の物語』が根底に流れていた中、本筋の中心に存在していたのは『簸川五樹と簸川樹里の物語』だ。
 五樹だけを必要とし続け、彼と共に生きる一瞬のみを求め続け、彼を想う心と終始向き合い、彼の為に世界を破壊していった樹里。
 樹里の愛情に囚われ続け、彼女と共に死ぬまでの過程を感じ続け、彼女を想う心と終始向き合い、彼女の為に世界を創造した五樹。
 樹里は死に、五樹は抜け殻だけ戻り。2人の生死を越えた(越えたのは兄だけだが)関係性が、新たな世界を紡ぎあげる。その事に切なさの滂沱を零したのは、決して僕だけじゃないだろう。
 彼は記憶を失いながらも、彼女への愛を明確にするだけの過程を踏んでいった。その気持ちが家族としての……もしくは家族以上の繋がりとして強く昇華したのである。
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「お前がなにを見せようと関係ない。僕は樹里を愛していたし、樹里も僕を愛していた」

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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 そう語る彼の鼓舞は紛れもなく、彼女に抱いた様々な感情を通して、獲得した自信の表れだった。「優しさ」だけじゃない全てを、彼女は彼に与えてくれていた。
 樹里が五樹へ与えたモノ。それは、人間の抱く様々な感情。純粋無垢な想いの形である。困惑。怒り。悲しみ。憎しみ。嫌悪。愛しさ。愛おしさ……その全てを彼女は彼にぶつけ、だからこそ五樹もまた「優しさだけじゃない」感情で彼女に応え続けた次第。少女とは「優しさだけを示す」存在よりも、遥かに深い繋がりを交わす。剥き出しの「心」を与えし彼女に、剥き出しの「心」で返したんだ。


「彩られしは非純愛にして、その果ては至高の素晴らしき純愛」


 それが偏に「愛する」と言う事なんだと僕は思う。愛する事に必要なのは理解ではない。理解してない事を踏まえながらも、それでも与えたいと願う確かな心。行動出来てない事を踏まえながらも、追い続けたいと誓う確かな焦がれ。それこそが「愛」へと至る、切なる欲求である。
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「人は心に、ともしびを燃やしていなければ、生きてはゆけぬのだな」
「その色は例えようもなく美しい。が……じりじりと身を焦がしていく炎もある」

『腐り姫~euthanasia~』蔵女
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 五樹と樹里は共に「愛して」いた。
 五樹の周囲に対する孤独の心が樹里への愛情に直結していき。樹里もまた、そんな五樹の孤独な想いへ応え続けた結果の普遍があった。
 そしてだからこそ、そんな「五樹の抜け殻」を樹里が受け容れなかったのは「五樹のような姿をした存在」であれば、誰でも良い訳じゃないと言う事を示していたのだと考えられる。「他人の感情に自己を映す鏡」に縛られて、相手の思うように振舞ったり、逆に相手に影響されやすかったりした彼だったけど、その特性を持っているなら、誰でも良い訳ではない事を、樹里はあの時に魅せていたんだ。
 樹里が望んでいたのは間違いなく、自分と共に同じ時を過ごした、ただ1人の「兄さん(お兄ちゃん)」だけだった。他のキャラとは違う、間違いなく違う。同じような存在だった五樹を彼等は問題なく受け容れ、樹里は受け容れなかった。そこに確かな愛の深さがある。鏡だとか、記憶だとか、立ち位置だとか関係なしに、自分の世界に存在する五樹だけを彼女は強く愛したのだ。実に素晴らしき妹の鑑だと思わないか?(偉そうに言っているが、初見時は抜け殻の五樹と同じようにショックを受けた僕である)

 「この世で五樹を本当に必要としていたのは、樹里と蔵女だけ」と、星空めてお氏は『腐り姫読本~赤雪腐爛草紙~』で語っていた。
 そしてこの「本質を見極める力」こそ、人間の簸川樹里が人間の簸川五樹を必要としていた……唯一にして最大の証明である。
 蔵女が人間の五樹には何も求めなかったように。樹里が非人間の五樹には何も求めなかったように。対極の関係だけがそこにあり。しかし2人は共に「五樹」だけを見て。「五樹」だけを求め、愛したんだ。

 さて、ではそんな樹里の五樹に対する想いとは、如何様なものであったのか。
 『腐り姫~euthanasia~』における2つの始まりの内の1つ目となる「出発点」から、詳しく紐解いていくとしよう。





③赤い婚礼
「あったかい……ね……」
 終わりにして始まりの日。終わりの心中。始まりの婚礼。この世では結ばれない二人が、死んで一緒になる瞬間の場面である。
 小泉八雲の「『赤い』婚礼」を冠したタイトルをつけた事により、此処から全てが幕を開けたのを察せられる(マフラーだけじゃなく……ね)
 そして、この時の為だけに、簸川樹里はずっと待っていた。簸川五樹の事だけを……彼女はずっと待っていた。
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「また……樹里のところへ……かえってきてくれたもの……」

『腐り姫~euthanasia~』簸川樹里
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 本批評を読んでいる方で手元に本作があるならどうか「赤い婚礼」のこの台詞を良く聞いて欲しい。此処だけ「幼少期の樹里の声」になっている事がよく分かると思う。
 僕はこの部分を初めて聞いた時、その意味に深く気付いた時、感動で心が打ち震えてしまった。未だに強く覚えている……エロゲプレイ時に生じた、忘れられない想い出の1つと断言出来るだろう。

 そう、簸川樹里と言う女の子は全く変わっていないのである。樹里とは即ち、純粋性の象徴だ。そのイノセンスを内に秘めたまま、健やかなる成長を続け、兄への想いが変わる事の無かった結果の果てに、彼女の体現が存在している。随所に在った想いが高じて、段々と洗練されていっても、本質は何も変わっていない。幼い頃からのお兄ちゃんのみを追い求めた「不変のまなざし」だけが、其処には確かにあった次第。
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「……でね、クラスの子が言うの」
「あたしと兄さん、仲が良すぎて怪しいんだって」
「仲がいいのなんて、当たり前だよね。兄妹なんだもん」
「それに、兄さんのこと大好きだけど……でも、男の人じゃなくて、兄さんだもんね」
僕らは……
「あのね、兄さん」
「あたしと兄さんと……兄妹ふたり、ずーっと一緒に居られたら……いいね」
僕らは……兄妹だった。

『腐り姫~euthanasia~』簸川樹里
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ありふれていることや、なんでもない日々の繰り返しだって大切に思える時がある。
誰も……ただ一瞬のためだけに、生きているんじゃない。

……どうでもいいわ。そんなこと。


『腐り姫 帰省~jamais vu~』簸川五樹・簸川樹里
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 心中は自殺そのものであるが、そこには甘美な愛があり、名誉の意識があり、ある種の社会的抑圧に対する反抗のようなモノがある。樹里においても、それは例外じゃないだろう。
 この娘は偏に「兄さんとずっと一緒に居られる時間」だけを求め続けていた。それが一瞬の情景、刹那の景色だったとしても、彼女は求め待っていた。「2人だけのずっと」こそが、彼女の世界の全てだったんだ。
 これは「兄妹関係」のままで。昔のままで。ずっと居られる新しい世界へと、足を踏み入れたく望んだ1人の少女の切なる願いである。「男の人」よりも遥かに大事な「兄さん」を純粋に愛し続けた、簸川樹里の望みである。
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「これからずっと、あたしたち一緒にいられるんだね……?」
僕は頷いた。
「五樹兄さんのなかに、あたしだけが、いて……いいんだよね……? ずっと、ずっと一緒に……」
僕は、もう一度、頷いた。

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹・簸川樹里
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 一瞬の中に生死を越えた永遠のもの。一瞬の中の無常を超えたもの。その境地だけに、只管自らの心を向けていた少女。
 その願望は、今、この瞬間で以って叶えられる。永久不変の絶対真理として。絶対普遍の唯一真理として。過去も未来も永劫に変わらない「一瞬」だけが叶えられる。

 その一瞬があれば、人は生きていける。そして、未練を持たず、安らかに死んでいけるだろう。

 簸川五樹と簸川樹里は、繰り返す時の中で何度も何度も、共に愛を誓って死に続ける。肉体関係を持たないイノセンスを抱えて、変わらぬ愛を誓い続ける。
 樹里と五樹にはエロシーン……セックスが無い。あれだけ近親相姦で入り乱れているのに、肝心の五樹と樹里は蔵女の幻想の中でしか性行為をしていない。
 そして、それ故だからこそ、肉体的結束に頼ろうとせず、精神的結束のみで形を成した「究極の純愛(=プラトニック・ラブ)」だと偏に思える。何でも性器同士の結束で結び付けようとするエロゲーの中にて、光るアンチエロゲー。性行為入り乱れる中に生じた純粋無垢な想いだけが其処には確かにあったんだ。


「完全無欠な究極の妹ゲーにして、アンチ妹ゲー」

「エロを重視した作風でありながら、芯の構造は正にアンチエロゲー」


 『腐り姫~euthanasia~』は「兄妹」と言う関係を崩さないながらも、2人が紡いだ過程のみで、強靭な関係性を醸し出している。「これは『究極の純愛(=プラトニック・ラブ)』足り得る」と、自身を納得させる道に昇華させていた。
 それが果たして恋愛なのか兄妹愛なのか、気になる人も確かに居るだろう。けれど個人的にはどうでもいい。それを突く行為自体が、ある種無粋な愚考だと思えてしまう。
 互いに相手の為に死ぬ事が出来るだけの『愛』があった。相手の為に死ぬ事が出来た……それだけでもう、充分だろう。


 そして、その想いはもう1つの始まり、2つ目の「出発点」へと受け継がれていく。





④リフレーン
「……終わりじゃない」
 五樹と蔵女が交わした運命の道。それは本作の中で彼が唯一、自分の意志で見つけ抜いて、選ぶ事の出来た選択肢だ。
 新たに創られしもう1つの歴史。其処には一体何があろう。「不変」と諦めるか「変化」を信じるか。それは狐坂と共に成り行きを見守った……僕らの想いだけで判断するしかない事だと思える(因みにクリア後は「朱音」の表記が「蔵女」に変わっている)
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「五樹、五樹……わたしは、お前に、出会えたか?」

『腐り姫~euthanasia~』蔵女
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 決して変わる事のなかった想いだけが、新たな世界でも遺される。そこへ宿る確かな『愛』に、感涙出来た終幕だった。


 そして何より、この終わり方は「日本人の約束観」と言う情念に基づいた運命の全てにおいても、僕の心を震えさせてくれた。
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大切な約束。
忘れてしまった何か。
そうだ……僕は……僕は、約束を守ったのだろうか?

『腐り姫~euthanasia~』簸川五樹
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 全てを真っ白に返して、やり直しても、残っているもの。死んでも、転生しても、解放されない1つの約束。命どころか、魂までも賭けた約束が、其処にはあった。


「樹里がどんな遠いところに行っても、おにいちゃんはきっと樹里を見つけてくれるよね?」


 斯様に放った彼女の願いを、父となって叶えた、兄の約束。
 例え覚えてなかろうと、自覚してなかろうと、全てが無に帰そうと。
 この先、苦しみに打ちひしがれようと。哀しみに押し潰されようと。
 兄を妹の下へ引き合わせた事実は、何ら変わる事はない。想いは確かに生き続ける。


 約束は条理を越えるのだ。例え、全てを忘れたとしても。





 『腐り姫~euthanasia~』は、変わろうと動いた簸川五樹の物語であり、変わっていった蔵女の物語であり、変わらなかった簸川樹里の物語である。
 彼の記憶の変遷、魂の軌跡を、赤い雪による刺激と共に描いて。記憶を取り戻す先に見える新たな世界を求めて。五樹は遡り続けていった。
 それは、過去を喪失した「人間」が歩んでいた過程、過去を取り戻した『神』が歩んでいく結末を、見事最期まで描き切ったとも言えよう。
 そしてだからこそ、最後にこの質問をぶつける事が出来る。


「最も苦痛を引き起こすものを、私達は最も愛さざるか?」


 数多の記憶。
 懐かしき想い出。
 とうかんもり。
 他者の本性。
 自分を苦しめてきた腐り姫……蔵女。
 そして、自分だけを見つめ続けてくれた実妹……樹里。
 良い事ばかりじゃなかった世界の中で、彼の気持ちは、図らずも愛おしさへと変わっていく。

 いかなる苦痛を引き起こすものであっても、人は耐えて自分を犠牲にしてまで、それを愛する事がある。
 それは偏に、その苦痛こそが自分を愛してくれた証明となっていたからだ。
 それこそが、自分が愛する事の出来る証明と成り得るからだ。

 愛は時の威力を破り、未来と過去を、永遠に結び合わせる。

 だから、これは『五樹と蔵女の物語』であり『簸川五樹と簸川樹里の物語』である。
 そして、とうかんもりのように清濁併せ呑む美しさを秘めた『愛と滅びの物語』だ。















【帰省】
 今回は、僕が『腐り姫~euthanasia~』を通して追い求めてきた軌跡の一端を認める事と相成った。正直どれだけ言葉を紡いでも、本作については語り尽くせてない感がある。それは、僕の雑多な表現力と考察の浅さが招いた事実ってのが最も大きいだろうが、この「とうかんもり」と言う田舎の奥深さが齎した境地に囚われているからってのも孕んでいると思う。
 この町は本当に不思議である。ノスタルジーなんて微塵も感じない、行きたいか行きたくないか問われたら熟考してしまうような所なのに、僕はこの町の魅力から抜け出せなくなっている。怖い魔性の世界は、すぐ近くにあるのかもしれない……まざまざ魅せ付けられた気分だった。


 しかし、そんな「魔性」を生み出した本作の魅力は、前述したように、幾ら語っても尽きる事がない。
 繰り返されし4日間。その中で光り輝く眩い美と確かな愛の結晶を、シナリオやCG、音楽にシステムを駆使に駆使して、神の領域にまで到達している。そんなエロゲは僕の中だと『腐り姫~euthanasia~』が最高峰。今でも切に思っている始末であり。
 そして、その根幹を成しているのが『腐り姫~euthanasia~』の最重要要素「妹」だろう。
 僕だってこれまで数多くの妹ゲーに触れてきたし、男たるもの、その中で「素晴らしい」と思える妹キャラだって勿論少なからず存在した。それは紛う事なき素直に述べし、僕の確固たる事実である。


・『鬼哭街』の孔瑞麗(『腐り姫~euthanasia~』フォロワーの虚淵玄氏が生み出した後作。簸川樹里好きの影響が光る)

・『Natural Another One 2nd-Belladonna-』の硯碧葉(世界で1番幸せになるべきメイド妹ナンバーワン。純愛ゲーでもある本作は、この娘を救う為にあるゲーム)

・『イヌミミバーサク』の錘木ゆうろ(大切だと思っているのなら、その為に戦おうとしない感情は等しく欺瞞の塊となる。だからこそ「それが全てだ」と自覚もしているからこそ、戦おうとし続けるか弱い彼女の姿は、作中で最も美しい)

・『Sentinel』の広瀬優衣(妹キャラに定評のある青葉りんご氏のヤンデレ代表。しかし正直この娘には情状酌量の余地があると思う。初心者向け)

・『何処へ行くの、あの日』の国見絵麻(妹ゲーは必ずしも兄ゲーになる訳ではないんだと言う事を初めて教えてくれた作品。正直僕は絵麻より千尋の方が好きだけど、記憶に残ったと言う一点においては、他の妹キャラに決して負けていない)

・『ひだまりバスケット』の仲神かすが(最強のふーりんボイスが編み出す、どの道でも変わることなき普遍の愛情。陽気なメンヘラが兄と情を注ぎ合いながら、日本の世間体的価値観へ共に立ち向かう揺らがなさこそ、この作品で最も尊ぶべき姿だ)

・『たいせつなきみのために、ぼくにできるいちばんのこと』の八坂すず(主人公の彼女に対する直向きな愛が兎に角光り、彼女もまた主人公に対する想いへ幻想と現実で応え続けた。だからこそ、その優しさはあまりに痛ましく、その死はあまりに物悲しく、その姿はあまりに愛おしい)

・『仄暗き時の果てより』の御城由乃(「今更ながら『腐り姫~euthanasia~』に影響を受けたんじゃないか?」と思われる程、何だか親近感を感じた作品。当然僕の中で1番のお気に入りはこの娘。全く最高に美味しい妹だぜ)


 全てが印象に残っている。兄への愛に生きた妹達。その誰もが等しく愛らしく、可愛さが生み出す行動の極致に全てが光輝いていた。僕が「妹」って存在を好きになった所以の中に、彼女等の真価も間違いなくあるだろう。
 しかしながら、やはりどうしても「妹」と言う対象を愛らしく思うようになった最大のきっかけ……確実に他の追随を許さない至高の頂点である『腐り姫~euthanasia~』の簸川樹里には、遥か遠く及ばない。
 本作が生み出した最大の功績、最も素晴らしき愛らしさと狂おしさを兼ね備えた、最狂にして最愛、純粋にして無垢の体現者である故人少女『簸川樹里』
 そんな彼女に影響を受けて生み出された『蔵女』の魅力は、ほぼこの娘の存在で賄われているのではないか? 今でも正直思っている次第で。でも、それは何度プレイしても分からない。僕の心はそこら辺の客観性を最早消失してしまった。語るのも詮無き事だろう。


 蔵女と樹里はきっとこの先もずっと、僕の心を強くこの世に捕らえ続けて、離さない存在であり続けると思う。そう思えた事が偏に嬉しい。これこそが、ノベルゲームをプレイする事で生じる、確かな価値の醍醐味だった。
 一生忘れられない感情……これこそ確かな『愛の証明』である。そんな愛情の流出を本作から感じられた事、今でも嬉しく誇らしく思う。


 生者と生者、生者と死者、死者と死者が相見える再会の時節。8月11日~8月14日に、僕は必ずとうかんもりへと帰っていく。
 邂逅の切望に駆られ、追い求めたくなる気持ちが止められない。その衝動はずっとずっと、死ぬまでずっと、僕の中で続いていくリフレーンとなっている。
 そしてこれもまた、1つの永遠に続く愛の形なのだと思う。この切なさはずっとそのまま、とうかんもりの中で確かに在り続ける。
 樹里を、蔵女を、追い求める限り、変わる事無く…………変わらぬ姿形のままで、あり続ける筈だ。


 書き上げる事の出来た、今日この日に感謝を。『愛』を忘れる事なく、普遍で居られた事への感謝を。
 『腐り姫~euthanasia~』は、これまでもこれからも、絶えず僕の「こころ」の中に。枯尾沼における愛と共に。永遠に…………










「また、逢うたな」










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……樹里……
樹里……
僕らも……変わっていくんだ。
もう……一緒には、いられないんだ……

いられるわ、ずっと。
兄さんはいつだって……かえってきてくれるもの……


『腐り姫 帰省~jamais vu~』簸川五樹・簸川樹里
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