Je suis ne de mon sucre.
勘のいい人はタイトルに使ったフランス語がある有名セリフをちょいと変えて直訳したものだと気づくだろう。読み方はジュ・スィ・ネー・ドゥ・モン・シュク(レ)で、元ネタと比べるとやたらと柔らかく感じるものである。ちなみに、英語でいう(広義の、つまり日本語の概念としては「刀剣」全体の)swordはフランス語だとeppe(エペ・狭義ではフェンシングでも使われるアレ)になるそうだ。また、このタイトルは作中のtipsにある、なんで甘いもん食って目ぇ覚めんねん(意訳)に対する解答というかひとつしかない七不思議からとったもの。実際、こうでもなければ(tipsにもあるとおり)低血糖状態に陥って眠くなるはずなのだが…。閑話休題。
ともかく、トータルとして、お菓子作りのように細かく計算され尽くしたrecette(recipe)を基準に作られた高級菓子店のお菓子のような作品だった。また、公式サイトの謳い文句に「シリアスシーンを徹底的に削ぎ落とした」とあるが、主人公の春馬やヒロイン達は頑張れば乗り越えられる程度の壁を乗り越えることで精神的にしっかりと成長しており、下手に物語的な障害(本作コンセプトでいう「シリアスシーン」)を置かずとも成長物語は描けるのだと示しており、とかく(特に1ルート分が)中編の長さに収まりがちな18禁ADVゲームの作り方としても一石を投じるものになっていることは強調しておきたい。
また、これもコンセプトにもあるが、衣装に応じて髪型が変化するのも見所の一つ。勿論、調理時に帽子をかぶらないのは不自然だが、髪型を強調することを思えばやむを得ない措置だろう。
ということで、人物やルートについての感想はヒロインからではなく、主人公の春馬から行う。
共通ルートをみても、率直に言って彼はモテるなと思わされた。最初こそ(悪い意味で)オタクだったものの、製菓に真剣に向き合って成長していく姿はとても凛々しいもので、本人の真剣さが成長を早めているとくれば、それを間近に見たヒロインが心惹かれていくのも無理はない。その意味において、かりん先生が見学の際に述べた一言(それが製菓コースの人数を減らした大きな要因でもあるのだが)はとても意味があるものといえるだろう。これはあくまで私見だが、彼は本編開始後あたりからクラスの女子の人気が出てきたのではないだろうか?確かに目を見張るようなイケメンではないかもしれないが、幼少期のスチルを見る限り目鼻立ちはそれなりに整っているし、ヒロイン達との交流で異性の扱いにも程好く慣れたことで人当たりも良い加減を覚えただろうことがその理由だ。ひょっとすると、製菓に打ち込む姿が格好良いと評判になったかもしれない。
また、共通ルートで特筆すべきは(本作プロデューサーの杉村れおまも述べているが)シャルールで4人といるシーンで、フレーバーティーに添えられている花や果実、香辛料が、そのキャラクターに沿ったものとして配置されている(例えば、欲張りで面倒くさがりな美絵瑠は全て入れている等)のが実に見事である。このシーンだけでヒロイン達の基本的な性質がよく分かるというものはそうそう生み出せるものではないのだから。
それとは別に、登場するお菓子は簡単な作り方も示されており、作って美味しい見て美味しい、そしてヒロインと一緒にその瞬間を味わえるとなればもう言うこと無しだろう。先述の通り、本作は細かく計算されて作られたものだが、見せ方・押し出し方にもこだわりをもって作られているといっていい。この正確かつ着実なプロデュースは賞賛するより他ない。
あと、細かいところではあるが、Hシーンでヒロインは主人公の名前を呼ばず「あなた」「大好きな人」等との呼び方に徹しているのは結構なファインプレイで制作側の気遣いが本当に嬉しい。自分が主人公として物語に没入しているのに、そこで主人公の名前を呼ばれるのはかなり萎えてしまうポイントなのである。ここだけでも全然違ってくるので、18禁ゲームの制作者は是が非でも真似をして欲しい。それか、主人公の名前を自由にリネーム(rename)出来るようにするか。
ののか
ケーキは魔法。
お父さんのダメ出しの仕方が好み。
言葉の使い方がとても上手く、例えばののかがふとこちらに気づいて笑顔を向けてくれる瞬間を切り取って「その瞬間、胸の中で、よく熟れたブドウを噛んだときみたいに、甘い気持ちが弾ける。」といった地の文にはいたく感じ入った。
また、このルートは主人公とヒロインの好きなもののきっかけが幼少期の両者の出会いにあるといった幼馴染ものの定番を抑えつつ、その子とは一度疎遠になってしまったという手法で他ヒロインとのアドバンテージを作らない、もしくは控えめにしている演出が印象的。また、シャルールの洸との絡みはこのルートが一番多い。
Hシーンとシナリオのムダが少なく、18禁ADVゲームとして最もバランスが取れている、本来あるべき姿のように感じる。
ちなみに、彼女の自宅でもある「Patisserie Petit bonheur」は『小さな幸せの洋菓子店』、犬の「シュクレ(sucre)」は『砂糖』を意味する。この世界の人間はお砂糖で出来ているとはよくいったものだ。
柚姫
みどころはなんといっても留学が乗り越えるべき壁になって「いない」こと。むしろ、二人の仲を応援するアクセントですらある。そして、EDも主人公のもとへ帰ってきた柚姫ではなく、春馬との会話を喜びつつも留学で学んでいることを楽しんでいる姿を見せたのは興味深い。実際、そこまで依存するよりはリアリティがあり、彼女も人格・自我を持った人間なのだなと改めて感じることができた。
また、彼女は自身に家柄がついて回ることを忌避とまではいかないが疎ましく思っている節があり、慣れない場所にそれこそ裸一貫で臨むのだからと虚栄心のようなものもない。物語の障害となりうるものを排するというのは、それだけ登場人物を悪く書かないことなのだと改めて思い知らされる限りである。
他には、障害になりそうな家柄についてもあっさりと潰してきたのが好印象。思えば、その手のネタは(主として前世紀や今世紀の初め頃までに)飽きるほど繰り返されてきたではないか。当時に編まれてきた多くの物語で生まれたハッピーエンドの結果・積み重ねが感じられた。あの時の登場人物たちの文字通り体を張った頑張りやユーザー・読者に与えた感動は次の世代の支えにもなっていたのだ。
楓花
このシナリオで特筆すべきはなんといっても彼女の祖父の源蔵だが、それは後述する。
それを抜きにすれば、ふわっふわの最中をかじったような甘さが広がったシナリオだった。
彼女の家は近江八幡市に拠点を置く某有名和菓子店をモチーフとしており、菓子職人としてもサラブレッドである。
そのため、彼女のシナリオは彼女の自宅からほど近いかぎや本店への通いがメインとなる。
そこでの彼女の家族や家族同然の職人たちとの交流がこのルートの見所で、最初から歓迎ムードではあるものの、(作中で彼らも言っているように)主人公の真摯さあってこそその次の段階に行くことができたことは、「家族(やそれに近しい人)に認められた達成感を強く出せたといえるだろう。反面、Hシーンは春馬がやや強引に迫るものが多く、はっきり言ってしまえば削っても問題ないものにしかならなかったことが残念でならない。
美絵瑠
面倒くさがりだが、それは何もかも出来てしまうことの裏返しといったある種典型的なキャラクター。mielはフランス語で蜂蜜を意味するようで、そこからの当て字と考えるとなかなか興味深い。この世界の人間はお砂糖で出来とるんや。
見た目通りの甘えん坊な一面の他に面倒見はとても良く、困っている人を見過ごせなかったり、自分に人として好意を向けてくる人間を邪険にすることは出来なかったりと、見た目とは裏腹に姐御肌の一面も持つこと、彼女のルートでは(彼女があまり能動的ではないこともあって)他のヒロインや(立ち絵つきの)サブキャラの動きが目立つのが特徴か。
楓花のルートでもあった「家族に認められる」点で言えば、このルートはその対象が両親ということもあり、もっとも強く現れている。また、彼女の父の久典の美絵瑠の才能はベストパートナーがいてこそ輝くといったセリフにはなるほどと頷いた。理解者であり、自らの力を引き出す人物がいてこその人間なのだとも。このルートは二人の進路がかなり予想外のもので、本編も他の3人とは少し違った雰囲気であったが、EDもまた独自性を発揮して面白いものである。
あと、アレを指して「美味しい」というのは、この作品の登場人物がお砂糖で出来ているからなのだろう、多分。この世界には糖尿病なんてないんや。
かりん先生
プロデューサーの杉村氏によれば、かりん先生はかりん先生と決めており、本名は特に設定していないとのこと。個人的には「加藤倫太郎(かとう・りんたろう)」あたりで「か・りん」だと想像しているのだが。
かりん先生は作中の有名洋菓子のパティシエールとして働いていたものの、自身の性(描写を見る限りはクロスドレッサーでゲイを想定していると思われるが、作中では「男の娘」としてそれ以上立ち入っていない。)を侮蔑する人物らの圧力によって店を追われた過去がある。本人はぼかしているが、おそらくパティシエールとしての能力に嫉妬した人物(多分男性)の妨害の理由付けとしてそこを攻撃されたと考えられる。慰留する人物も少なからずいたようだが、結果としてかりん先生は店を去った。さらっと流されているが、性的マイノリティの問題に踏み込んだのはなかなかできることではなかろう。
パティシエールとしてもそうだが、教育者としても優秀な人物として描かれており、かりん先生の指導を抜きにして考えれば物語が崩壊しかねないほどの突出した貢献度を誇っている。自らの性自認が正確にはどうなっているかは厳密には測りかねるが、少なくとも教育者としては男性の肉体を持っていることを重視しているようで、身体的に女性のスペースに割って入ろうという動きはない。社会人としてはある種当然とも言えるが自制心の強いこの人物を怒らせたのだから、前職で受けた嫌がらせは相当なものであったとも想像できる。
洸&聖
cafe chaleur(直訳すれば「カフェ・情熱」だが、chaleurには温かみといった意味合いもあるので、この場合は「実家に帰った時のような温かみと落ち着き」といった雰囲気を指したいのだろう、多分。ちなみに、chaleurという名前はそう珍しいものではなく、日本でも店舗や商店街等でちょくちょく目にすることができる) を切り盛りしている兄妹。兄の洸(こう)がパティシエで妹の聖(せい)が接客・経理担当なんだそうな。特に兄の洸は巨匠・ぺろの趣味がこれでもかというほど詰め込まれており、巨匠のモチベーション維持にはとても重要だったのだろうなあと思わされるのである。そんな彼らだが、洸はののかルートで、聖は美絵瑠ルートでの出番が多い。特に先述のとおり、ののかルートでは洸は結構重要な役回りを担うので、共通ルートに引き続いて登場する彼はかなり印象深いのではなかろうか。
源蔵
楓花ルートは彼と弟子の職人たちの存在が極めて大きい。おじいちゃんだけでも立ち絵が欲しかったよ…。
このシナリオはかりん先生以上に職人たちの人間として持つべき優しさや他者を思いやる心と職人として持つべき厳しさを同居させなければならないこともあり、彼らの描写にはかなり気が使われていたことだろう。その妙となっているのが源蔵の心構えと孫や孫の彼氏にみせた謙虚さだろうか。彼は全国的に有名な和菓子店の一番の職人という偉大な人物でありながら決して偉ぶらない人格者であり、その姿勢だけで作中のかぎやの伝統及び鍵由家代々の家訓や孫であり鍵由家の末裔でもある楓花の人格を形作ったことを如実に伝えてくれる、極めて優れた描写である。同時に、楓花からも、見知らぬ男性から連絡先を教えてくれと迫られても素っ気ない対応をするといった描写は、祖父の和菓子職人としての厳しい顔を想像する補完の役割を果たしており、計算された人物描写に唸ってしまうのである。モチーフにした有名和菓子店(単体としてはグループの洋菓子店のバームクーヘンの方が知名度はあると思うが)のお菓子にも恥じることのない出来で、この祖父と孫娘、そして祖父の弟子の職人たちの描写だけでも傑作の名に相応しい作品だといって過言ではないだろう。
TIPS
この作品を買おうと思った直接のきっかけがこれ。とにかく豪華なのである。
疲れて意識が朦朧としている時に書いたのだろうなといった雰囲気が強く出ているため、読んでいてとにかく楽しいのだ。メインはお菓子に関する(その多くがかなり実用的な)豆知識から作品の登場人物といった世界観に関わるもの、果てはダークマターの本来的な意味といったお菓子や本編には全く関係のないもの、どや顔についての解説まであるという豪華な仕様になっている。これを読むだけでもかなり楽しいのではないだろうか。特に「甘いものを食べるを目が覚める」は色々とぶっ飛んでおり、この物語の特徴を色々と考えさせられたものである。冒頭及び後述の某有名セリフ(というか呪文)をモチーフに改変してフランス語(風)にしたものもこのTIPSから思いついた。
トータルとして、EDでは数年後に独立して店を構えるというものが多かったが、正直なところ、主人公と選択したヒロインとの成長の物語をもっと見ていたいと感じた。恋愛ルセットファンディスクを是非とも作ってほしかったところである。
また、本作はこと製菓に関しては誰ひとりとして他者を甘やかしている人間が主人公の春馬やモブキャラクターを含めて一人もいない。春馬を含めて全員が日常的な課題に真剣に取り組み、その結果として成長する過程も描いているから甘いシーンの密度がより濃密に感じられるのだ。
曲もとても良いものばかりで、特にメインテーマのbonbon sucre Songはかなり中毒性が高い。
というより、元々はこの曲を先に聴いていて、どこで使われているのだろうなと思ったら本作だったという経緯がある。
難点はいくつかのシーンでルビが振ってあるところとないところの基準がわかりにくいこと。例えば、Le Premier de la Patisserie(作中での架空の製菓大会)には振っているところとそうでないところが見られた。他には「薄力粉」と書いた方がいいところで「小麦粉」としてあるところなどもマイナス。
また、背景はどこに移動しても同じ甲子園八番町交差点やつつじが印象的なマンション前の通りをモチーフにしたものの二点だけで、別の場所に移動したという感覚がなかったのは(細かいが)物語への感情移入を妨げるものとなりかねないことか。
他には(これは好みということもあるかもしれないが)パティシエ服で乳袋をつくってしまうのはどうかと思った。あれは相当サイズが大きくても(具体的には作中きっての巨乳を持つ楓花より大きくても)膨らみが殆ど分からないものなのだ。
舞台は最寄駅(阪神電鉄・甲子園駅)からも分かるように兵庫県西宮市南東部及び大阪市(梅田)を含めたその近辺。
特に信号のある大通り(先述の甲子園八番町交差点)は阪神甲子園球場のレフトスタンドの裏であり、振り返れば球場が見えたことだろう。
公式サイトにある「la recette de mon amor pour toi」は本作タイトルである「あなたに恋する恋愛ルセット」をフランス語訳したもの。
おまけ
Je suis ne de mon sucre.
---体は砂糖で出来ている
La genoise est mon corps et la creme est mon sang.
血潮は生クリームで 体はスポンジケーキ
J'ai cree plus de mille bonbons.
幾度のお菓子作りを越えて
Inconnu a Epice.
ただの一度も辛さを知らず
Ni connu pour Amer.
ただの一度の苦さも知らない
Fait un effort pour faire de nombreux bonbons.
多くのお菓子を作るために 努力を惜しまず
Par consequent, ces mains tiennent n'importe quoi.
従って、その手にはあるのは求めたもの
Alors que je prie, MONDE DE SUCRE ILLIMITE.
その体には、きっとお菓子の世界が広がっていた。