短いですね。ですが素晴らしい作品だと思います。
何が素晴らしいかと言いますとおおまかには、HシーンのCGに対するこだわりがスゴイ、愛歌のキャラ設定がとてもよい、この2点です。愛歌についての賞賛はゲームの楽しみを損なってしまうかもしれないので割愛します。ですがもしこのゲームをプレイしたことのない方がご覧になっていたら私は声を大にして言いたい。最初のほうで罵倒されてしまうのを少し我慢して、最後まで是非プレイしてください。きっと愛歌が好きで好きでしょうがなくなってしまうハズです。
CGについて。2DエロゲのCGというのは基本アニメ調で、絵師さんの実力次第なのですが塗りこみや構図などある程度適当なモノも多く見受けられます。作品全体の雰囲気に合致するものであれば違和感なくそれは受け入れられるので、さして問題にするような事でもないとも思っております。しかし中にはそれを否定するような驚くべきエロスを放出する1枚絵が存在し、それは「幼なじみはベッドヤクザ」のつぐみ強制挿入シーンであり、私が満点をつけている「新妻×義母」の亜美デレ後パイズリごっくんシーン、或いは親子ルート教育フェラシーンであると言えましょう。
そういった特筆すべき1枚絵なのですが、この作品では昨今のエロゲでは珍しいほどに沢山ありました。例えば愛歌の処女喪失シーン。凛とした彼女が女を散らす事を決意し、自ら主人公のそれを自分の局部に当て込み、一瞬の逡巡のあと一気に深く腰を落としこみ挿入、「おお、おおぉ」と動物の鳴き声にも似た歓喜と苦痛の入り混じった声で喘ぐ散華のシーンです。そのまさに挿入せんとする瞬間のみを背後から大写しにした1枚絵の存在に私は本当に驚き、また射精を禁じえませんでした。なんということか。なんというエロス。なんという尻。この一瞬のためだけの1枚絵があるなんて、と。
たとえば写真家の方は一瞬を見逃さず写真1枚にすべての意味を込めて物事を表現しようとします。それ故に写真は芸術という側面を持ち、また職業という形でカメラマンは存在しうるものだと私は思っております。そんな中でこの瞬間の1枚絵にかけた絵師さんはまさにアーティストであると思いました。このシーンの1枚絵からは女が女たる最も美しい瞬間を表現せしめんというあくなき欲求を感じずにはいられなかったのです。
全体的にCGのレベルは非常に高く、随所で渾身の1枚が輝きを放っておりますが、そんな中で私があえて言及したいのが愛歌保健室最終Hでの脱ぎ捨てられたぱんつとブルマの存在についてです。お互いの気持ちが高まり、高みに昇りきってしまい勢いにまかせて行為に及んでしまうというシーンなのですが、二人の気持ちが完全に繋がり最高潮に達してしまい、お互いをむさぼり合う局面において体の部位のどこが必要なのか、それを如実かつ的確に表現しているのがこのぱんつとブルマだと思うのです。勢い余った二人にうなじや背中と云った中途半端な性感帯が必要でしょうか。必要なのは胸、口、そして局部以外ありえません。そしてそんな互いが互いを激しく求め合う中で、今まで若く美しい肢体を燦然と引き立てて主人公を含む学園の男たちを魅了し、また秘密のベールにつつまれたその部分を頑なに守ってきたぱんつとブルマは、一匹の女と化した愛歌の前で完全に打ち捨てられているのです。
私にはそれらが、霧の中に佇み、二人を静かに見つめる紅白一対の山椿にすら見えました。なんという哀しいぱんつとブルマなのでしょうか。体操着で保健室に来てしまった愛歌にとって、それはそこを去る時にも必要なものであり存在しなければならない。にもかかわらず、激しく揺れるベッドの上、動物と見まがう程に狂おしく快楽に身を委ねる愛歌から20cmの距離で様々な汁気に脅かされながら鎮座し、果て行く彼女を見届け、そして最後には元の場所へ再び戻る運命なのです。椿に在らずは娘の門出を思う母でしょうか。「あなたは家の娘です、いつでも戻って来て良いのですよ。」そんな慈愛の言葉がこの赤ブルマから聞こえてならないのです。温もりと愛情で包み、時に奔放な娘に翻弄される。座られ、洗われ、年月に消耗されてもその赤は凛として美しく。強く。女子の衣服は母であり父であるという考えに至らされ、私はこの作品の偉大なCGに敬意を払わずにはいられません。
Hシーンの尺は非常に長くCGには汁気がほとばしる。快感に酔いしれ我を忘れて主人公を求め、女の色香をこれでもかと放つヒロイン二人。これらの表現はゲーム自体の短さを完全にかき消し、私を何度夢中にさせた事か。学園エロ特化作品の最高峰であると確信しており満点をつけました。これだけ抜けるのも珍しいと思います、ホント。