素直に受け入れられる終わり方ではないとしても、これはこれで面白いなと思いました。FDとして見ればすごく好きです。長文は3人組の関係について。
例の3人組(央路、理亜、シルヴィ)の関係を見ながらFDの最後の演出について考えてみます。
本編ではゴールデンタイムで理亜の死を確認してから、シルヴィ√に少しだけシナリオが追加されます。
わざわざゴールデンタイムを迎えるまで追加を待つことで、理亜の生まれ変わりという部分が強調されているように見えます。
これはシルヴィが明らかに理亜っぽい子供を産み落として2人で育てるという終わり方なので、少なくともシルヴィが3人での関係を意識していることが読み取れます。
「理亜が生まれ変わって別の形で改めて3人で幸せに暮らす」というシナリオに捉えられなくもないですが、
理亜似以外の子供を産んでいれば央路と2人の関係を強固なものにできたこと、わざわざ理亜のような存在をシルヴィが自分で生み出したと考えると、
「シルヴィは央路と2人の関係よりも理亜を含めた3人の方が重視している」と捉えることができます。
基本的にシルヴィはみんなで遊ぶことを重視してるイメージがあるので、2人で結ばれるよりかは3人組でいたいという考えが強いと思います。
央路は理亜と結ばれている中シルヴィが陰で2人のことを支えていて、結果的にシルヴィ√の追加シナリオで理亜がいた嫁の立ち位置を引き継ぎ(メタ的にですが)、
理亜は新しい立ち位置で、事実上これからも3人組としての関係が続いていくことになります。
理亜もマリアの夢よりかは余生をどう過ごすかを考えていて、FDでマリアの夢を追い続ける結果奇跡的に生き続けるパターンとは真逆を生きていることになります。
FDでは理亜がマリアの道を志す過程で奇跡的に生き延びる道を手に入れ、子供にも恵まれて央路も含めて3人でこれから幸せに暮らしていくような姿が描かれます。
これが正史みたいに描かれるのは本編の終わり方が好きな身からすると違和感しかないのですが、作中理亜と2人で映画を見るパートで、
「これはこれで割り切って見ればいい」的なことを央路が言っているので、FDとして本編と切り離して見る分には好きだし受け入れられます。
しかしこの場面で理亜が央路に同調しているわけではないので、これを正史とする考え方もありなのだと思います。
こういうメタ的なネタで解釈の多様性を認めてくれるのはFDとしてすごく良いですね。
ここからが本編との対比なのですが、FDでは理亜と央路が結ばれ、その間にできた子供が完全に理亜のものであるため、シルヴィの居場所がなくなってしまいます。
理亜が3人組の関係を解消したいと望んだからこうなってわけではなくて、あくまでも自然な流れの中でシルヴィがフェードアウトしてしまう。
勿論理亜とシルヴィの関係が完全に切れてしまうわけではありませんが、今までよりかは関わりが薄くなってしまうことは想像ができます。
これに至る原因のひとつとして、理亜がマリアであることを望んだからというのもあります。
3人組の関係とマリアとしての活動(及びこれから先生きること)を天秤にかけ、余生を綺麗に過ごすことを選んだのが本編だとするなら、
マリアとしての道、央路との子供など、助かるかもわからない僅かな可能性に賭けてちゃんと成功してきたのがFDだと言えます。
つまり、理亜が幸せになった分シルヴィは2人との繋がりが少し薄れ、今までいた3人目の場所が2人の子供と入れ替わってしまい、結果的に少し損をしています。
物語の裏側の話は誰にも分かりませんが、少なくとも本編追加シナリオの央路と結ばれて理亜(みたいな子)を迎えている状況よりかは心の距離が離れてしまいます。
こういう状況を踏まえた上で最後の演出の少し変わっている部分(シルヴィの台詞が入るところ)を見た時、これをシルヴィに言わせているのがとても皮肉な演出に思えました。
「涙なんていらなかったでしょ?」的なセリフをシルヴィに言わせておきながら、実は一番立ち位置的に涙が必要に見えてきてしまいます。
if√で誰も悲しまない幸せな終わり方になったと思いきや、実はシルヴィに結構なしわ寄せが来てるように感じます。
更に皮肉っぽく言えば、最後の台詞を「オタクはこういう終わり方が好きなんでしょ?笑」という意味の捉え方もできてしまい、より裏寄りの解釈が加速します。
もしかしたらシルヴィ的には2人の幸せは自分の幸せでもあり、これについてまったく気にしてないのかもしれません。
それでも自分は心の底ではちょっと悲しんでいるような気がしてならないです。
ちなみに、OP前くらいの「最後まで笑顔でいられる」みたいなメッセージも同様に考えられますが、これについてはその時点では全く裏読みはしてませんでした。
素直にこれから先の幸せを表現しているようにも見えるのですが、今思うと少し難しいです。
「本編の余韻が忘れられないので、FDで2人が幸せになっていくのを真っすぐには捉えることができない」
という感情がひとつとしてあり、それとは別に、
「ポジション的に損をしているはずのシルヴィに、幸せを問いかけるようなこと(あたかもこれが最善だと皮肉するようなこと)を言わせる皮肉な演出が逆に素晴らしい」
という感情もあります。
そもそも前者についてはFDを本編とは切り離して完全なる別物として考えて既に解決はされているので問題なく、
後者についてはこれを狙ってやっているのか、ただの都合の良い自分の妄想なのかは分かりませんが、
どちらにしろ萌えゲーに垣間見えたゾクゾクするようなメッセージ性に包まれているような気がして大好きなので、
結果として図らずも大好きな作品になってしまいました。
本編で一番好きだった玲奈も相変わらず素晴らしい距離感を見せてくれてくれたし大満足です。