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nezumoさんのサクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-の長文感想

ユーザー
nezumo
ゲーム
サクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-
ブランド
得点
95
参照数
984

一言コメント

サクラノ詩の過去編の補完として優秀でありながら、続編としても完成度が高く度肝を抜かれました。素晴らしき芸術家たちに感謝を。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

この作品をプレイして本当に良かったなと思ったのは、とにかく面白かった!と感じられたことでした。
サクラノ詩の発売から7年近く待ち、そもそも続編が発売されるのかどうかすら分かりませんでしたが、
蓋を開けてみればそれを待っただけの価値が十二分にあり、心の底から自分を満足させてくれたように思えます。

今作の素晴らしい点はいくつもあり、語りたいことが多くてきりがないのですが、
ここでは自分が特に良いと感じた、サクラノ刻におけるキャラクターの掘り下げについて話していきます。


①鳥谷静流について

サクラノ刻1章で語られるのは、鳥谷静流の過去編であり、草薙健一郎との関わりが分かる重要な部分です。
陶芸家という少し異なるジャンルではありますが、弓張特有の珍しい材料を使っている点では草薙家と共通し、
なおかつ、「完璧な贋作を作りながらも、自分の作品と(作品の中で)主張する」という点においては、
まるでサクラノ詩で草薙直哉が作った六相図や、他者の生成物に自分の世界観を乗せるサクラノ詩6章のブルバキとの合作を思い出させます。
そして、この絶妙なオリジナル性があるからこそ、贋作が贋作にとどまらず、中村麗華や草薙健一郎に認めてもらえる程の完成度になっているのも鳥肌が立ちます。

友人を騙すために本気で陶芸に取り組んでいるのも大きなポイントで、これが最終的に5章の内容にも繋がってくるのが素晴らしい。
中村麗華に感じていた小物感も、鳥谷静流の花瓶に対する一貫した美意識を確認することで、芸術に対して見る目を持ち、
それをサポートできる立場としての彼女の可能性を知った時には衝撃モノでした。
序盤は特に、なんやいつ屋敷に行ってもとりあえず文句つけてくる見た目が若いおばさんって感じでしたからね。


②恩田寧と本間心鈴について

この2人には家柄的な因縁がありながら、芸術面では圧倒的な差があるという、生まれの違いを見せつけたような対比になっています。
簡単に表現すると、恩田寧は「技術に溺れる才人」に近く、本間心鈴は「自分の中でひたすら芸術と向き合う天才」であるように思います。
本間心鈴の考え方の根源がどこにあるのか、プレイしている時点ではかなり疑問が多く微妙でしたが、
この内容が4章で補完されることで、5章からの展開に大きな意味をもたらすことになります。

恩田寧に必要だったものは、自分と向き合い、技術を使おうと思って使わないこと(=技術は道具のひとつでしかない)であり、
それが本間心鈴とのバトルに負け、本間心鈴を師匠として持つことによって得られる要素になります。
寝不足でただ目の前の絵と向き合うことだけしかできないような状況を意図的に作り出すことは難しく、
今後の恩田寧の人生であれほどの体験をできるかは果てしなく微妙ですが、それでも自分があれほどのものを生み出せると知れることには価値があり、
恩田寧が芸術家として大きく成長する一コマになっています。

恩田寧という人物は、見ている側からすると長山香奈に結構近いんですよね。
いわば「天才と戦いたい、天才に追いつこうとしている凡人(才人)」の域にいる芸術家です。
両方とも天才には一歩及ばない世界で生きているが、恩田寧は自己の技術に心酔し、長山香奈は技術で賄えない第三の部分で戦おうとしている。
2人の考え方が組み合わされば十分天才の土俵で戦えるとは思うレベルにはなると思いますが、そうはならないから2人は才人止まりです。
けれども本編で語られていたように、我々ユーザーも作中で出てくる絵だけでなく、それが出来上がるまでの過程でバイアスがかかります。
その点で言えば、この2人が作品を完成させるまでの過程は非常に共感度が高く、天才芸術家たちよりも理解に足る内容であるように思えます。

本間心鈴に関しては、個別ルートでの内面補完とも相まって、今作からのヒロインでは一番のお気に入りキャラクターです。
とにかく思考が一貫していて、自分の信念を貫き通していること。このあたりは母親譲りな部分が大きそうです。
そして物事の全てを見通せるような眼に関しては父親譲りな部分が大きく、これが母親と違って芸術家としての才能を開花させる要因のひとつになっています。

局所的に見ると、恩田寧の師匠としての一貫した姿勢と、心鈴√で最後に母親に渇を入れるシーンが特に好きです。
勿論、夏目圭という偉大な師匠を持った弟子として戦う5章での一幕も大好きなのですが、
あのシーンはどちらかというと本間心鈴という人間の生き方の到達点のようなもので、先に挙げたシーンはそれに至るまでの大切な過程であるように思えます。
特に恩田寧とのバトルは、恩田寧が凝らした技巧に対して、ただその空間を絵画の中に閉じ込めるという単純かつ無駄のない表現で完封しており、
このような方向性に辿り着いたことさえも、本間心鈴の芸術に対して真っすぐ向き合っている姿勢が無意識のうちに表れているようにすら思えます。

正直な話、サクラノ詩における御桜稟、夏目圭といういわゆる天才枠は、サクラノ詩時点では凡人が理解し得ない領域で戦っているという偏見がありました。
この作品での天才枠の1人である本間心鈴は、才能だけに溺れずある程度分かりやすい生き方を貫いていて、なおかつ御桜稟のように絶対的な立ち位置ではありません。
天才も1人の人間であると感じられるシーンが多く、負ける時は負ける。個別ルートの存在がそれをより引き立てているように感じられました。
なんというか、作品全体で生き方にこんなにも心揺さぶられる天才ポジションのキャラクターを描けるすかぢの手腕が本当に凄いなと思うところです。


③サクラノ詩のキャラクターたちについて

4章~5章にかけて特にサクラノ詩で活躍したキャラクターたちの内面が補完されていくので、これが本当に見ていて気持ちが良いです。
草薙健一郎もそうなのですが、特に御桜稟と夏目圭に関しては、サクラノ詩5章の内容だけで理解できるほど小さな存在ではなく、
かといって今作をプレイし終えると、思っていたよりも理解に足る存在で人間に近かったという印象を受けたほどで、
この得たの知れない天才たちを理解の範疇に持ってこれたこと自体が素晴らしいと思います。
特に夏目圭は、サクラノ詩で既に死んでいるのにこの作品の4章で更に補完され、なんなら草薙直哉のラストシーンも夏目圭を中心に回っているレベルで、
あまりの存在の大きさに感服するレベルでしたね……。これに関しては草薙健一郎も似たようなことが言えますが。

結局御桜稟もきっかけありきで絵を描くタイプの芸術家で、
才能ひとつにありったけの技術を添えて愚直に突き進む本間心鈴のようなタイプではないんじゃないかと思わされてしまいました。
多少のファンタジー要素はあるものの、御桜稟が草薙直哉と戦える土俵まで降りてきてくれたことは非常に大きく、
お互いの美意識をぶつけ合うきっかけにもなっているし、直哉が再び筆を取り、あの「今見ているものにしか味わえない絵」を完成させる材料にもなっている。
サクラノ詩の歌詞的に言うなら、あれは最後の一筆を入れた瞬間に見える七色の景色が、まるで永遠のように感じられる絵画という解釈ですが、
それもあの絵に対する強固なバックグラウンドの存在があり、夏目圭の存在があるからこそなので、絵画に物語が必要であることをより強く感じさせてくれます。

また、氷川里奈があれほどのレベルに到達していることについても驚きました。
CVも仕方なし変わっていましたが、これに関しては以前よりも落ち着いて何か悟りを開いたかのような印象まで受けたので自分としては全然アリです。
最終的には踏み台のような役割には終わってしまいますが、そこに至るまでの積み重ねと、川内野優美との関係性が美しいキャラクターです。
2人の関係は確かに百合なのですが、草薙直哉の存在が少なからず絡むことによって、それだけではない雰囲気を醸し出しているのが良いですね……。


④夏目藍について

夏目藍というキャラクターは草薙直哉の心の拠り所であり、全てを肯定してくれる存在です。
これはサクラノ詩の時から変わらず、かといってサクラノ刻で大きく掘り下げが変化する要素でもありません。

ただひたすらに、2人の時間の積み重ねだけが増え、その結果として6章のラストシーンへと繋がる。
2人の間にあるのは愛というよりかは情に近いものだと思っていて、恋愛ではなく結婚するべきだと思っていたので解釈一致でとても助かりました。

藍を押し倒すシーンで凄く好きな台詞があって、

直哉「俺が強い酒で倒れている時には、だいたい藍がいた」
直哉「その時は、いつだって俺の愚痴を聞いてくれた」
直哉「俺のくだらないおしゃべりを聞きながら、優しく介抱してくれた」

夏目藍の存在はこの台詞の内容に行きつくと思っていて、要するに大事なときに傍にいたのはいつも夏目藍だったということなんですよね。
これが家族以外の何であるのかという話です。本当に家庭を作ってくれて良かった。
夏目家の子供がまた絵画で世界を取るレベルになったら面白いですが、この時点で既に後味も良く完結しているので、続編はあってもなくてもとりあえずは良いですかね。


⑤長山香奈について

サクラノ詩の時点でだいぶ株が高かったのに、今作をプレイし終えるとその株が限界突破してしまったキャラクターです。
正直こんなに生き方に心揺さぶられるキャラクターは自分の中では他におらず、本間心鈴や恩田寧はいい勝負ができていると思いますが、
サクラノ詩の積み重ねまで考えると、あまりにも自分に与えてくれたものが大きすぎる、本当に素晴らしい芸術家でした。

自分はかつてサクラノ詩をプレイした時にこのキャラクターを追いかけて考えたことがあったのですが、
→nezumoさんの「サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-」の感想https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=4529&uid=nezumo

今回サクラノ刻をプレイして、より長山香奈にスポットが当たっていると感じた箇所が沢山ありました。
というか、5章での見せ場も含めて明らかにヒロイン級に優遇されている感がありますね。
サクラノ詩では6章でようやく見せ場がくるストーカー気質な凡人という印象を最初に受けるキャラクターでしたが、
サクラノ刻では、その生き方が報われて肯定される場面も増えてきて、より見どころのあるキャラクターに仕上がっています。

この作品をプレイしていて、最初に長山香奈への救いを感じたのが、2章で柊ノノ未に自身の絵を褒められるシーンです。
それ以前にもちょこちょこ出てきてはいましたが、正直サブキャラレベルの登場頻度で、「ちょっと性格丸くなったかな?」くらいにしか思いませんでした。
まあ実際性格は丸くなるどころか更に磨きをかけて自分の信念を貫く方向へ進化しているのですが、それについては後述します。

このシーンの素晴らしいところは、長山香奈自身もかつて「私の心が、美を感じたならば、それが絶対です」と言っている点です。
本人はこのシーンで柊ノノ未に対して色々言いますが、考え方を殆ど同じくする者から、自分の絵を本当に好きだと言われているのです。これが嬉しくないわけがありません。
サクラノ詩6章で、草薙直哉の世界と自分(ブルバキ)の世界が組み合わさることで、ようやく天才を超える可能性を手に入れた彼女ですが、
それがきっかけでこのように自分を認めてくれる人まで現れたというのは、長山香奈の積み重ねを見てきた1ユーザーとしては本当に感慨深いものがあります。
感性というものは個々が持っているものですが、他者に流されず、自分の価値観だけで美醜を判断することは意外と難しいです。
周りに比較にもならない天才芸術家がいて、それでも私は好き!と言える、その勇気と感性を持っている柊ノノ未自身も素晴らしいと思わされる一コマになっていました。

ここからしばらく長山香奈の存在は身を潜めているのですが、5章の中盤に怒涛の見せ場がやってきます。
これはおそらく、サクラノ詩で長山香奈に何も感じなかった人も、何なら嫌いだった人ですらも目を見張ったのではないでしょうか。

「凡人の筆が故に、私の筆は大衆の心を打つ事が出来る」

氷川里奈とのバトルは、これを最も体現したような内容であったように思います。
氷川里奈がやったことは、自分自身の世界に入り込んで自身と向き合い、最高の絵画を完成させること。
それに対して長山香奈がやったことは、その最高の世界を自分の世界とリンクさせて、食い物にしてしまうこと。

これはサクラノ詩6章でブルバキが草薙直哉との合作の中でやっていたことと同じです。
相手の芸術の中に自分の芸術を混ぜ込み、自分の表現の限界を超えた世界に入り込むようなことです。
自身を凡人だと理解し、氷川里奈にまともな勝負では遠く及ばないことを分かっていて、
しかしながら、それでも自分がこのような手段で追いつけるかもしれないことを良く分かっています。
大事なライブペイントの場でこの演出ができたことは、サクラノ詩6章での体験の恩恵そのものであると言えます。

しかもこの戦いでは、草薙直哉 vs 宮崎みすゞの内容を生かした、大衆に訴えかける技まで使用しており、
長山香奈という芸術家は、どれだけ他人を利用して自分のものにするのが上手いのかと感嘆せざるを得ませんでした。

しかしその後、更なる進化を遂げるとは自分も考えていませんでした。
草薙直哉の芸術に乗っかる形で何かを仕掛けてくると思いましたが、今度は逆に「草薙直哉という天才と戦える喜び」が彼女に力を与えてくれます。
サクラノ詩6章では草薙直哉を食い物に、ある意味では食い物にされた形ではありましたが、今回は正面から勝負を仕掛ける形となっているのです。
これは単に、長山香奈がこの日のために積み重ねてきたものが爆発したこと、天才を前に全力で戦うという目標が成就したことも相まって、
長山香奈に一生で一度かもしれないレベルの芸術の神が降りてきていることを感じさせる素晴らしいシーンです。

このシーンで更に素晴らしいと感じた点は、長山香奈が全力を出し切れるだけに留まらず、草薙直哉も全力で芸術家長山香奈に向かっていっていること、
そして肉体勝負になった時、自分が限界を超えても描き続けることで、描く行為そのものに物語性を付与してしまっている点です。
長山香奈が過去編で草薙直哉に一瞬救われていること、一連のストーカー行為にも絶対的な美意識の他にもちゃんと女としての感情があったこと、
そしてとにかく草薙直哉に本気で絵を描いてほしくて、自身もそれと本気で戦いたかったことが見えてきて、本当に涙なしでは語れません。
サクラノ詩の時点では6章で相当報われたキャラクターで、これ以上のものはあるのかと考えたりもしましたが、
サクラノ刻5章での圧倒的な活躍と、その裏側にあった積み重ねの一幕を見てしまうと、
もはや続編としてのこの作品すらも長山香奈のために作られたのではないかとさえ思ってしまいますね……。

終わった後病院で長山香奈を褒めちぎるシーンもありますが、ここからはこのバトルでどれだけ彼女をリスペクトしていたかが伺えてとても好きです。
芸術家でありながら、どこかメスの顔をしている長山香奈が見られたことも美味しかったですね。
この話で言えば、草薙直哉も長山香奈とのライブペイントバトル中に一度だけ「香奈」と呼んでいるシーンがあります。
これは草薙直哉が長山香奈を最高の芸術家と認めた上で、これから本気を出すぞと意気込むためのけじめのようなものだと推測します。
ひょっとするとサクラノ詩に引き続き、サクラノ刻でも長山香奈がメインヒロインだったのかもしれません。
凡人として天才の世界で戦うのがあまりにも上手すぎて、1ユーザーでしかない自分は大衆として彼女に訴えかけられてしまいます。