粗削りながらやりたいことははっきりしていたように思う。菜乃花のために全てを捧げる作品。長文は主にメインの2人について
完全に菜乃花とこのみのための作品だった。
特に菜乃花(=彩菜)は作品全体を総動員した巧みな舞台装置によって描かれており、
1人のキャラとの恋愛を全力で描くという時点で相当に好きな作品となった。
作品の光の部分としての菜乃花は勿論、菜乃花の裏側を担当するこのみの存在が非常に重要なものとなっている。
これを踏まえて、2人の話を中心としてこの作品をプレイして感じたことについて掘り下げてみる。
菜乃花(彩菜):何度生まれ変わっても主人公の傍にいる存在
菜乃花という存在の特徴は、なんといっても過去に晴真が失った彼女である彩菜が中身であるということ。
これについては結局彩菜が未来を変えて代わりに自分が犠牲になったという話がはじまりの日で明かされるが、
この2つに関しての共通している部分を考えてみると、
・お互いにもう片方を失った場合同じような状態に陥る(=生きる希望が見出せず死に急ごうとする)
・お互いに相手には幸せになってほしいので相手を庇って死のうとする(火事のシーン)
不器用だけど彩菜への愛は本物だった晴真と、その彼と長い間一緒に過ごすことで信頼関係(恋愛関係)を築いてきた彩菜。
一見不釣り合いに見えながらも、結局は2人とも恋人として本当に大切にしあっていて、その愛はまさに運命で約束されたようなものになっている。
たまたま火事に首を突っ込んだがためにこのような形で別れることになってしまったのがとても悲しい。
しかしながら2人はちゃんと2人で一緒に過ごすという運命を辿っていくことができる。
具体的には、
・菜乃花√では2度生まれ変わって主人公の傍にいるという未来を掴み取る
・はじまりの日の分岐以降では、このみと幸せに過ごす人生を終えた後、死後の世界で永遠に寄り添って生きることを誓う
2人が積み重ねてきた日常の素晴らしさは本編やはじまりの日で部分的に描かれるが、
それ以上に菜乃花として積み重ねてきた2人の日常は本編の始まりから終わりまでを通してずっと描かれ続けるわけで。
結局晴真は最初からずっと菜乃花と一緒に過ごしていて、菜乃花が彩菜だと分からなかった時から彼女を助けるために動いていくことになる。
都合のいい話だけれども、つまりこれって運命的な出会いなわけで。主人公と菜乃花はこうなるべくしてこうなるっていう。
ささやかな結婚式の真似事、出産、指輪の話、2人の想い……これだけ2人の関係を見せられたら絶対に彩菜と結ばれてほしいと思ってしまうのは仕方ない。
これを考えた時に、(このみは置いといて)他の個別√が正史じゃなくなってしまうのも当然である。
仮に永遠を誓い合ったとしても、その最後の最後まで描かれることは殆どないように思える。
しかしこの作品は、彩菜の生まれ変わりである菜乃花と子供を作り、その子供にまで彩菜の魂が受け継がれているところを描き切る。
もしくは、このみに譲ってもらう形ではあるが死後の世界で彩菜と幸せに過ごす未来を描く。
死生観やらが混ざった題材としてはよく分からないところもあるし、そもそもそこまで言及する気もないが、
それでもこうして「2人が最後まで一緒に過ごす」という、誰も介入しようがない恋人関係を描き切ったという事実は本当に素晴らしい。
ちなみに、はじまりの日の最後にちらっと出てくる「子供は7人欲しい」という彩菜の言葉が本当に好き。
そもそもこの台詞は、生前のこのみが6人の子供を作ったということに無意識のうちに対抗心を燃やして言った言葉である。
このみは彩菜に勝てないと絶対分かっていながらも、彩菜自身はこのみの存在を非常に大きなものとして捉えてることを感じさせてくれる。
彩菜と添い遂げることだけを描くなら、わざわざ対抗意識を持たせる必要はなかったはず。
このみをリスペクトしているから、このみには負けたくないと感じているからこういう言葉が出てくると考えることができる。
そうとすれば、今まで晴真のために尽くしてきたこのみの人生がこの瞬間、部分的ではありながら彩菜の言葉によって報われたことになる。
2番手を自覚しながらも、晴真に対する好きをぶつけてきたこのみの存在は決して無駄ではなかったのだということを実感させられて、
特になんでもないはずのシーンだったのになんだかしんみりした気持ちになってしまった。
このみ:彩菜の代わりとして主人公を支え続ける存在
彩菜をメインとして捉えた時に、やはりこのみは彩菜の影の部分を担当する存在になってしまう。
この作品がはじまりの日エンドか菜乃花エンドが正史だと仮定すると、このみに一番スポットライトが当たるのは主に彩菜の存在が晴真の近くにない時。
具体的には彩菜の死後記憶喪失から目覚めるまで、そして結婚して子供を迎え、最後に彩菜に迎えに来てもらうまで。
現実に即して考えると、むしろこのみの方が晴真に好かれてもいいように思える。
しかし運命は残酷であり、このみは引き立て役に過ぎない。それを自分でもよく理解していながら、晴真のことは間違いなく好きだと感じている。
自分は絶対に一番にはなれないと分かっていながらも、それでも晴真に尽くそうとする姿勢は見てて不憫だとは思うが、それでもやっぱり凄い。
その愛情が本物であることは理解できるし、最後に身体を許した後壊れてしまうまでどうにかして晴真を現実に引き戻そうとする努力からそれが伺える。
(記憶喪失になると同時に彩菜の記憶を封印して二度と同じ悲劇を繰り返さないようにと考えた?)
またこのみ√では、姉よりも晴真に対する恋心は強いと自信を持っている一方で、やはり姉に譲ってあげたいという後ろ向きの気持ちが感じられる。
ずっと姉の方を追い続けてきたことを知っていて、なおかつ姉よりも自分が幸せになることに対して後ろめたさを感じるからだろう。
個別√なので当然ここでは結ばれるわけだが、このような行動からはこのみが彩菜(菜乃花)と比較してどういう存在なのかを読み取ることができる。
このみの存在を引き立てる大好きなシーンが2つある。
・彩菜と同じ存在になるために髪を短くするシーン
・菜乃花と結ばれている主人公の会話を扉越しに聞きながら涙を流すシーン
前者はまさに「晴真のためなら彩菜と同一視されても構わない」という決意の表現になっている。
言い換えれば、自分は彩菜を出し抜くことができないと認めた上で、それでも晴真の未来を案じて協力してくれるということである。
このシーンがなぜ病的に好きなのかは上手く説明できないが、大切な人のために自分を捨てるだけの決意をした、と考えると分かりやすい。
そうでありながら結局自分にスポットライトは当たることはない。勿論このみ自身はそれを分かっていながら髪を切り落としている。
負けポジションのキャラが美しいというわけでもないが、このみのこういうところが妙に好きで、彩菜や菜乃花と同じくらい輝いていると感じる。
後者はCGそのものが素晴らしいし、この展開を容赦なくぶち込んできたことにも敬意を表したい。
失恋描写としてこのように扉越しに聞いてしまうことはあるかもしれないが、このみの場合はおそらく意図的にやっていたものであり、
果たして姉と晴真がどの程度愛し合っているのか、それを確認したいがために会話を聞いていたのだろう。
そうだとしてもあの涙を流す姿は大変破壊力が高いけど。
想像以上に2人は愛し合っていて、まるで菜乃花が彩菜であるかのような2人の会話が聞こえてくる。
自分が今までやってきたことはなんだったのか、菜乃花を失った晴真はまたあの時のようになってしまうのかもしれない……
そういう諦めやどうしようもなさみたいな感情が、涙を流させて家を去る決意をさせてしまったのだと思う。
パッケージイラストについて
彩菜の服を着た菜乃花が傘を差していて、その後ろにこのみがいるというイラスト。
このみの表情は見えず、試しにパッケージを裏返してみたが全く別のイラストが広がっているだけだった。
傘を差しているのは菜乃花だけで、このみは傘を差していないどころか菜乃花の傘にも入っていない。
これを2人が同じ土俵にいないことだと解釈してみる。
その上で2人の対比について妄想してみると、
菜乃花:雨が止むのを待っている。雨が止めば(=様々な問題が解決すれば)2人は結ばれる
このみ:そもそも雨が降っていない。晴れていながらもこのみは脇役であり、本当の意味で結ばれることはない
終わった今だからこそこんなことが言えるわけだが、菜乃花が作品の表の部分であり、このみはあくまでも脇役に過ぎないことが伺える。
ルートロックされているのはこのみの方。しかし更に言えばはじまりの日が最後なので結局は彩菜に立ち返る。
菜の花の花言葉について
菜乃花√で他の花だけれども花言葉が出てきたので、せっかくなので菜の花について当てはまりそうなやつを抜粋してみる。
花言葉の意味はネットの情報を鵜呑みにしているので本当にこれであっているかどうかは不明。
「快活な愛」
親友同士、気を許した幼馴染のような関係としての愛。
どちらかというとこのみに当てはまりそうだが、長い間一緒に過ごしてきた2人の関係にも当てはまる。
「小さな幸せ」
2人で過ごすささやかな幸せってやつだろうか。
そう考えるとあの火事でこれが失われてしまったのはとても辛い。見方を変えれば再びこれを求めて色々する話だとも言える。
「豊かさ」
自分の心を豊かにしてくれる存在という意味。
そもそも菜の花の花言葉は希望や明るさと言ったニュアンスらしく、そう考えると……暗めの作風にはあんまり当てはまらない気がする。
火事が起こる前の2人の関係、もしくは最後に辿り着いた先での2人の関係には当てはまりそうかも。