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merunoniaさんの雪子の国の長文感想

ユーザー
merunonia
ゲーム
雪子の国
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
100
参照数
87

一言コメント

傑作でした。『過去』は囚われるのではなく弔うもので。 『未来』を選ぶということは、切り捨て傷つく、怖い、覚悟のいる必死なもので。 それでも失う以上に綺麗なものがあるはずだと。幸せを願う物語。 四季を経て『過去から未来』を幸せに生きようとするその物語に心が震えました。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

『いつか、この国で 幸せになりたい──』

※最初からネタバレ全開の備忘録感想です。

〇はじめに
〇各季節ごとの感想(好きだったシーン)
にわけて書きます。


〇はじめ
まさしく、私にとって傑作でした。
今作品の魅力は、私の思いつく言葉では語り尽くせないほどの魅力であふれていました。
好きが大きすぎて、全てを語り尽くせません。
作品の世界観作り込み具合。物語の中を生きる、愛着のわく登場人物達。
最初から最後まで読む手が止まらないほどの展開。
自分の言葉がよりこの作品の魅力を小さく切り取ってしまうのではないかと思うほどです。
それでも忘れたくなくて、おぼえていたくて感想を書きました。


今作は夏、秋、冬、そして春の語られていく国の物語。
その四季の移り変わりの中で語られた物語は、そのどれもが『過去』と『今』を生きる中で心を震わせる情景があり、心情があり、痛みがあり、そして暖かさがありました。

例えば、夏。
出会いのお話。そこは日常とは違う非日常の暖かさがありました。
『過去』に感じた綺麗なものを見つけようとした、少年心をくすぐるワクワクした気持ちがありました。

例えば、秋。
雪子と愛宕の国による『過去』への執着と卒業が描かれました。
それは『過去』ではなく『今』この国で幸せになりたいとする必死の姿がありました。

例えば、冬
猪飼の『意地』の話が描かれました。
それは、『過去』から『今』を自由に生きるための清算。自分が自分であるがために必要な『意地』でした。
同時にハルタの話から『過去』を置き去りにする痛みと怖さが描かれました。
『過去から未来へ歩む』ということは、眩しいだけじゃない、選び切り捨て、痛みを伴うものだと教えてくれました。

例えば、春。
雪子と幸せになるために必要な、ハルタの『自分自身』の『意地』が描かれました。
それは、家族を、他の幸せな未来を切り捨て傷つけるということでした。
未来を選ぶ、幸せになることは、他の未来を捨てる傷つけるということ。
それでも幸せになるための覚悟が描かれました。

これらの四季を通して、同時に過去作品の『みすずの国・キリンの国』を通して、『過去から未来』へ歩み、幸せになりたいと願うことがどういうことなのかを描いたのが、私にとっての『雪子の国』という作品でした。

『過去』は、「あの頃は良かった」といつまでも悲しみに囚われるものではなくて。
『過去』は『今』立っている場所から『あの頃も良かったよね』と弔うことが出来る場所なのだと。
また『未来』を選び続けることは、別の未来(可能性)を失い、痛み傷付けてしまうものかもしれない。怖いものかもしれない。
それでも、『きっと過去と同じくらいに綺麗なものがあるはずだ』と願い、そしてそこにある暖かいもので手を温めていく。隣の人と手を温め合う。

この『過去』のへの郷愁と、『幸せになりたい』と未来を願う姿の切実さと美しさを描き切った、私にとっての傑作でした。


本当にここまで描き切った作品があるのか、と怖いくらいです。
それほどまでに素晴らしいだけでは言い尽くせないほどの作品でした。
本当に面白かった。

以下は、季節ごとの感想です。
好きが詰まりすぎて、膨大になってしまいました。
ただそれでも、この作品の好きを忘れたくなくて、残します。






各四季ごとの感想とシーン備忘録です。
※シーンはどうしても全部が書ききれず、セリフを抜粋してたりするので、一部省略もされていたりします。
ごめんなさい。


〇夏
序章。最初、まさかの美鈴の再登場で喜んだもつかの間、その後はいきなり衝撃でした。
最初のサビたバス停看板。あの幻想的な国に入り込む、人工の工事車両。
黄色い立ち入り禁止テープ。壊されていく故郷。
読み始めた最初から困惑と失った悲しさを突きつけられるのが、「雪子の国」を読み始めた時の最初の感想でした。
みすずの国、キリンの国を読み終えて心に染み入った、季節の情景の美しさ、天狗たちの営みの輝き、繋がり、暖かさ。そのどれもが壊されていくような感覚が悲しくて、驚きで頭が混乱していたのを覚えています。
今だから分かる、雪子が工事現場の目の前で立ち竦むことしかできなかった姿が、とても痛いほどでした。
まるでジブリ作品の「タヌキ合戦ぽんぽこ」の田舎が壊されていくあの感覚を思い出します。

こうした衝撃の未来、雪子とみすずの二人から始まる雪子の国。
その本筋のお話は主人公のハルタが「故郷留学」として東京の都会から本州の最先端(山口県萩市でしょうか)の田舎に移り住み、猪飼、だいだい屋敷の人々、雪子と出会う所までが描かれました。

──────────────────
リュウ「おかえり」
ハルタ「え?」
リュウ「今日からここ、ハルタの家。ハルタが帰ってくる場所。だから、おかえり」
ハルタ「あぁ……ただいまっす」
──────────────────

序盤の衝撃とは裏腹に、移り住んでからのハルタ視点のお話は暖かい夏らしいお話でした。
東京から移り住むことで、いつもの夏と違う景色。新しい柑橘の香り。新しい環境。
移り住む「だいだい屋敷」の人たち暖かさ。ユリやリュウ、雅子さんとの出会い。
そして、何といってもホオズキの再登場。これにはもう嬉しくて仕方ありませんでした。
キリンの国の時から大好きだったホオズキの再登場。喋れない姿であったとしても、愛くるしさはそのまま。むしろ「はーい!」や「お腹が空きました?」の姿は、雪子の国の中でもトップクラスに記憶に残るセリフです。本当に可愛かった。
特に、ホオズキから「けーすけ」という言葉が出た時にはもう、もう。どれだけ時が経ったとしても、キリンの国の物語が確かにあったんだとホオズキの存在が証明となって、とても嬉しかったのを今でも覚えています。

こうした住人たちやユリ、美鈴を交えてのお食事シーンの美味しそうな姿といったらもう……。私自身が海のない暮らしだったため、刺身を美味しそうにほおばるシーンはもう本当にこちらのお腹がすくほどに魅力的でした。美味しい刺身が食べたい。

東京から知らない土地に来たハルタが、二つ目の帰るべき故郷となっていくような暖かさ。特にリュウや雅子さんの、子どもを見守るような家族の暖かさに何度心が染み入ったか。とても心地よく素敵でした。


同時に、序盤らしいミステリーの要素も印象的でした。
山陰の怪談、だいだい屋敷に現れる幽霊が指差す先、先がない扉。
雪子という天狗の力とシロッコの存在。今はなくなった天狗の今。
幽霊の謎こそがハルタがこの町に来た理由でもあり、この幽霊探しを通して今しかないような綺麗な何かを探し求めるハルタの姿は、かつてのキリンの国の冒険を思い起こさせるような姿でした。
こういった意味でも、確かに冒険とした『夏』(も終わりですが)らしいお話であったなと思います。



『なぜ彼女はこの町にやってくるのだろうか』

しかし、『雪子』というヒロインとの出会いもただ暖かい物語だけではないと感じさせられる存在でした。
ゲロから始まる出会い()はなかなかに衝撃で、ハルタと雪子の、ゲロとサンドイッチのやり取りは何度も和み楽しい物でした。
特に、ハルタに反抗して「サンドイッチです(ゲロではありません!)」とする姿や「何て言ったって私は美少女の雪子ちゃんですから」とした姿がもう可愛くて好きでした。
特にお気に入りなのは、屋根の上でシロッコが暴れてしまった後に、罪悪感から
「私は今日からここで一人生きていきます。長らくお世話になりました」
と言い放つシーン。あそこの雪子さんがすごい好きです。

しかし、この可愛げなやり取りがありながらも、どこか必死な、現実に命をかけるような余裕の無さが彼女の最初の印象です。
特に、ハルタの冒険の誘いにも『現実逃避。時間の無駄だ』、『幽霊と現実は違うのですよ』と拒否をする姿。
ハルタの眩しい物を見つけるその誘いも、雪子にとってはただの現実の枷にしかならない無駄な行為だとする対照的な姿がとても対照的です。
秋、冬へと読み進めるからこそ、彼女の心の奥底に眠る必死さ、夢に命を懸ける姿が理解できるようになるのですが、それまでは、ハルタとの対立が余計に彼女の痛烈な姿を印象付けるものでした。それが夏の雪子というヒロインの印象です。

冒険のようなかつての自分が抱いていた想いを見つけに行く時間は無駄な時間なのか。過去を慈しむように探すあの頃の時間を振り返るのは無意味なのか。
それは現実を生きていない、『現実逃避』なのか。
猪飼の言葉を借りるなら、この町で暮らす住人と違い、いずれ東京へ帰る『仮初』だからこその逃避なのか。
この現実への向かい合いの押し問答も、ハルタと雪子の二人の価値観、関係性を良くあらわしたやり取りだと思います。
雪子の国は『過去が過ぎ去り、それでも未来に幸せを求める』在り方を描いた物語だと思っていますが、このそれぞれの考え方のバランスも作品の魅力の一つだと感じます。


また、猪飼との出会いもなかなかに衝撃でした。
癖のある山口弁(?)、闇商売、クラスでのけ者にされる悪友ポジション。
一緒にいるといつか悪いことに巻き込まれてしまいそうな、裏では何を考えているか分からないような存在。

しかし『猪飼』の存在こそが、『東京という都会からかけ離れた町』の景色と強く紐づける存在だったなと実感します。例えば、悪友との、町の北海辺をチャリで語るシーンはまさに特徴的です。
そのどれもが印象的で、作中の言葉を借りるなら「今までのハルタなら絶対に付き合わなかっただろう友人」としての存在がいたからこそ、ハルタの『特別な時間(冒険)』を際立たせてくれるものでした。
彼の台詞そのどれもが、どこか普通の人とは違うような『特別』感が惹きつけられる存在でした。同時に彼の言葉は、どこか鋭利に刺さるセリフばかりでもあったと思います。だからこそ彼の事が憎めない、どこか優しさまでも感じるのが夏での印象でした。

そんな彼が、秋、冬と超えて、まさかここまで魅力的な登場人物になろうとは思いもよらず……。
国シリーズでは、みすずの国の『女×女』、キリンの国の『男×男』という描かれ方がとても上手で特徴的ですが、今作でも雪子の国の『男×男』という同性同士だからこその関係性がここまで惹きつけられるとはと思うくらい魅力的でした。


以上が『晩夏』の章の感想です。
以下、『晩夏』の中でも大好きだったシーンを抜粋します。

・ハルタ、雅子さんへの自己紹介。自分の名前の由来について。
──────────────────
聞いてみなさい。名前は貴方の故郷なのだから。
貴方がどこからきたのか、わからなくなったら名前に訪ねてみなさい。
よく来てくれましたね、ハルタ。待っていましたよ
──────────────────

何気ないシーンです。けれどとても好きなシーンです。
自分がどのような存在なのか。親に名付けられたこの名前にどれだけの想いが込められているのか。
この何気ないシーンが、終盤。
春のハルタと母親との二人の関係へと繋がっていくのが本当に心に沁みます。
上手く表現できないのですが、こうした自分自身を問いかけるような言葉が、とても国シリーズの台詞らしいなと思います。



・猪飼、ハルタと海辺の道を自転車でこぐシーンにて。
──────────────────
ハルタ
「もし人生がもう一つあったら、もっと自由に生きてみると思わないか?
思いついたままに旅にでたり、面白いと思ったものを素直な気持ちでおいかけたり、好きな女の子に好きだってそのままを伝えたりさ。
なんかもっと──自分でいられると思わないかな」

猪飼
「そりゃ何のしがらみも無いような、もう一つの人生いうのがあれば楽しいじゃろうとは思う。
それが自分らしい言うのかどうかは知らんけども、楽しいじゃろうなぁ」
「でもしがらみのない人生なんて無いじゃろ。つながりのない人間なんておらんよ」
「君は東京じゃできんかったことがここではできると思うちょる。
ここで何が起こっても、君はいつか東京に戻る。
ここでのことは全部、仮のこと。だから好きなことができる。
──ずいぶん失礼な奴じゃ、ハルタくんは。
ここが現実の人間もようけおるのに」
──────────────────

もし晩夏で、一番印象的なシーンを挙げるなら、私は猪飼のこのシーンを挙げます。それほどにまるで棘を刺すようなこのシーンが印象的です。
ハルタが眩しい綺麗な物を見つけたいとしたこのはじまった暮らしは、猪飼からみればただの『仮の旅行期間』。
だからどれだけここでの特別な時間や体験があったとしても、それはハルタの『現実』として続くものでは無く、仮初のものでしかないだろう。
そう直球に貫く猪飼の言葉がどれだけ痛烈だったか。
同時に、この言葉があったからこそ、ハルタはこの町の暮らしを「逃げ場所にしたくない」と、『雪子の国』の春の章へと繋がると思うと、胸熱なシーンです。

同時に、私はこのシーンで『キリンの国』の杏の台詞を思い出しました。
『ぼく、ここが嫌いだ』の台詞です。
杏にとってひたすら同じ場所で四季を迎え、出会い別れ見送るしかない彼女の『現実』を現したこのセリフは、まさにこの猪飼の考え方と似た物を感じて仕方がないです。だからこそ、余計にこの猪飼の台詞が心に刺さったのだと思います。


・ユリに、故郷留学にここに来た理由について
──────────────────
一生に一度くらい、幽霊探しに夢中になってもいいかなって。
つまり、あんたが笑うロマンってやつだよ
──────────────────

・晩夏終盤。雪子とハルタ。海場の釣り。幽霊探しについて
──────────────────
雪子
「それでハルタさんは変われるのですか?
幽霊の謎を解いたらハルタさんの人生は解決するのですか?」
「向合いたくない現実の問題から目を背けたくて、幽霊に夢中になろうとしてる」
「逃げているのですよ、ハルタさんは」
ハルタ
「俺さ」 「このままじゃ嫌で」
「大人になって普通にそれなりに生きていくんだろうけど、その前に何かないかなって思って」
「なんかさ……すっごい楽しくて、わくわくして──物語の主人公みたいになれる」
「すごくわくわくしたんだ。幽霊の指した何かのことを考えると、今すぐ飛び出したい気持ちが止まなかった。
そこには俺が体験したことのない何かが待っていて、それは俺が見たこともないもので、なんていうかそのことを考えると──自由だったんだ」
──────────────────
この町で暮らしながら。俺は少しずつ、自由になっていく気持ちがしていた。
本当の自分に戻れていくような気がした。
それは猪飼の言うように、無責任で狡いものなのかもしれない。
それでも。俺はまだここにいたい。
この自由な気持ちを手放したくはない。
──────────────────
ハルタ
「俺と一緒に遊ぼう。
俺は今のあんたと、これから始まることを一緒に遊びたい。夢中になりたい」
──────────────────
ハルタ
「雪子。
あんた色々あるんだろ。めんどくせーこと、色々抱えてんだろ。
全部捨てちまえ。抜け出そう。
自由になるんだ。自由になって、探そうぜ。
キラキラして、胸がふるえて、感動しちまうような──今しかない綺麗なものを、見に行こうぜ」
「あんたはどんなことが好きだった?
どんなものを綺麗だって思った?
「思い出せないか?
だったらこれから思い出せるよ。
本当の自分に戻れたら、何が好きだったのか、きっと思い出せる」
──────────────────


は~~~~~~~ずるい。台詞が本当にずるい。
すごい長文な引用になってしまいましたが、本当にずるいシーンです。
キリンの国という圭介とキリンの熱い物語を読み終えた後、最後のこのハルタの台詞が刺さらないはずがない。そのセリフをもう一度聞くことになるなんて。
確かに、雪子や猪飼が言うように、この自由への冒険は現実逃避かもしれない。仮初なのかもしれない。
それでも、もう一度大人になってしまう前に、子どもの頃にあったはずの気持ちを、綺麗だった景色を、感動を、もう一度探しに行こうとするそのセリフが本当にずるい。
全部読み終えた後だからこそ、この綺麗なものを探しに行くということは、決して美しいだけではない。痛みを伴うものでもあるとも感じます。
また『愛宕を復活させたい』という現実(過去)に執着する雪子にとっては、その言葉はあまりに逃避にしか映らなかったかもしれない。
ただそれでも、子どもの頃にあったはずの綺麗なものを、冒険をしようとするその熱い姿にはやはり惹かれるものがある。圭介やキリンを思い出す言葉でした。

以上が晩夏で好きなシーンでした。





〇秋の目覚め~新秋~晩秋
夏の終わり。冒険から始まる秋。
物語が徐々に動いていく章でした。
神社での、ホオズキや雪子、ユリ、猪飼、ハルタでの泊まり込み。
狐火。幻の光景。過去の雅子と子どもたち。その光景を呆然と見た猪飼の姿。
ユリの師匠との出会い。
狐火探し旅行と虹子との出会い。怒涛の人質事件。雪子の魂の叫び。
雪子とのデート。からのユリの看病。
幽霊騒ぎの、猪飼からのヒント。50年前の神隠し事件。


特に秋では、多くの前作と繋がる情報が出てきたのが嬉しかったです。
ヒマワリとおクワさんが出てきたときには「久しぶり~~~~~!!」ってめっちゃはしゃぎました。
その後美鈴とヒマワリのお話が沢山出てきたのが本当に嬉しくて。
美鈴が幻術の使い手だと雪子から教えられた時は、あの『みすずの国』で語られた姿からどれだけの出来事があってここまでになったんだろうと思ったり。
10年以上も経ったのに、みすずやヒマワリが互いに互いのことを大切に想っている姿だったり。妄想が広がって広がって仕方ありませんでした。
特に虹子が登場した時の「ふぁ~~~~~~~!その怒涛の喋り方にその髪は!!!!!」ってめっちゃ心の中で叫んでしまいました。
キリンの国で見てきた、キリンとヒマワリのあの姿からこんなに可愛らしい子供が生まれて。しかも両親に似て芯を持っていてかっこよくて、でも子どもらしい可愛さがあって。お母さんのことが大好きだからこそ、お母さんの事が心配でたまらない姿まで。
特に、殉国連の人質救出シーン。
虹子が子どもらしくないほどに、凛とした態度で立ち向かった後、彼女が年相応に泣いた姿が本当に愛おしくてたまりません。
親のようなかっこよさと、子どもらしいお母さんが大好きな姿。これらを兼ね備えた虹子が本当に可愛くて可愛くて仕方がありませんでした。

過去シリーズのあの感動な面白さがあったからこそ、次作品でその姿や名残が楽しめるのが本当に今作品の魅力の一つです。


しかし秋のお話の真骨頂は雪子のお話でした。
戦勝国の姫である虹子と国がなくなった敗戦国の雪子にとっての虹子の存在。
そして亡くなった国に夢を見る愛宕の亡霊『殉国連』と、対峙した雪子の魂の叫び。

『目を覚ませ!愛宕はもうなくなったんだ!逃げてないで現実を見ろ!
愛宕はもうないんだ!』

『変わることができたら、貴方は蘇る。
この現実に蘇って、いつか、幸せになれるかもしれない。
いつか、この国で、幸せになれるかもしれないよ』

現実に生きていない殉国連の姿はあまりにも悲痛でした。
あの頃の過去にしか、自分では幸せに生きられない。
今の環境では幸せは見つけられない。
だから過去と全く同じ境遇を取り戻すしかないと。
今(現実)で過去を探すしか方法がない姿は、決して幸せになれないとしたのが雪子の叫びでした。
だからこそ、もし受け入れ現実に蘇れば、変わることが出来れば、この国で幸せになれるかもしれない。

まるでその言葉は、雪子自身に言い聞かせるようでした。
もしかしたら、雪子も殉国連と同じように変わることはできなかったかもしれない。けれど、雪子はだいだい屋敷の人たちに出会い、ホオズキに出会い、虹子に出会い、そしてハルタと出会った。暖かい食事と優しい人たちによって、雪子は『今の生活』で幸せを見出すことができた。好きになることが出来た。
その集大成ともいえる、この魂の叫びが、気持ちがこみあげてくるようなたまらない気持ちになります。

雪子の国は、過去から未来への幸せの在り方が何度も語られている作品だと思います。その在り方の一つが間違いなくこの雪子の姿でした。
雪子のシーンとしてトップクラスに印象的です。


その後の、『自分自身の葬式』とした、雪子の過去の自分との決別は、雪子が『過去ではなく今』の国から幸せを願おうとする姿でした。
このシーンもたまらなく素晴らしかった。

「夢を信じている間は、何も辛いことはありませんでした」
「夢を見て居られた頃、私は幸せでした」

過去との決別。
ただそれでも、過去の自分自身を否定するわけではない。
変わりたくなかった自分が過去にはいたのだと覚えていたいとした雪子さんの姿。
決して過去を忘れることから幸せを願うのではなくて、過去を慈しみつつ、ただしがみつくのではない、今に幸せを願う姿が不器用で、ただそれでも綺麗で純粋だと思います。



と救出作戦が終わったらその後はデート回でしたね!!!!!!!!!
ラブコメかな?
もうその後のやり取り、特に雪子ちゃんの姿がなんて甘酸っぱいものか。
ラインのやり取りなんてもう普段の言動からはあまり見られないほどに素直で可愛くて。一緒にテレビを見ようとする姿から、弁当を作ろうとする姿まで。
も~~~~~~~~~~好き。(直球)

が、しかし。ユリさんの看病へと向かうことになったハルタ。
この時のハルタの決断は、雪子を傷つけることになる決断。
その姿は、先になりますが、3年後のハルタと東京の話にもよく似ていると感じます。
誰かと一緒にいようとすること。その未来を選ぶ事。
それは誰かを傷つけること。その別の未来を切り捨てるという事。
そのお話の一端として、すでにこの時点で繰り広げられていたのかもしれないと感じました。考えすぎかもしれません。

雪子の、ハルタがユリの看病を行く譲歩として、ホオズキを一緒に連れて行かせる姿。『大きな葛籠エンド』を防ぐためにという葛籠の話をここで持ってくるのが何気に好きです。
また、帰ってきたハルタに対してお弁当を食べながら『裏切りものにやる米はねえ』とキレる雪子ちゃんもめちゃくちゃ大好きです。
その後の嫉妬する姿や必死な姿がまた雪子らしくて。
彼女にとって、幸せであろうとすることは、恋とは命がけだと、雪子の姿を見て、とても強く実感したのがこのデート回でもありました。
(その後の背中に寄り添おうとする雪子ちゃんだったり、ホオズキをだしにしてハルタの部屋にいようとする姿からもうもうもうニヤニヤするわーーーー!な回でした)

その後は徐々に猪飼への真実が明かされていくお話。
ユリの師匠と消えた幸子の過去の真実。
そして猪飼の過去。
最後、猪飼から
「自分のその後のお話は、だいだい屋敷のリュウや雅子にハルタ君から聞いて欲しい」
とお願いがされ。
そしてそのお話の結末は冬至へと繋がっていきました。


以下、秋の章より好きなシーンを抜粋。


・ヒマワリとクワさんの会話。紅茶の会話にて。
──────────────────
ヒマワリ
「でも良い匂い」
おクワ
「姫さまの好きなダージリンですから」
ヒマワリ
「私が好きなわけじゃないわ。美鈴が好きだったのよ」
「ここに美鈴がいたら、どんなに楽しいかって、いつも思うの。
私はまだ十七、八の娘で、美鈴もそう」

「それでもやっぱり一番楽しかった──親友がいつも側にいたんだもの」
──────────────────

シンプルに好き!!!!!!!が溢れるシーンです。
みすずの国で見てきた二人の関係性を、未来が描かれた雪子の国だからこそ実感できる台詞。
美鈴の台詞や、ヒマワリの台詞から溢れる、二人が互いに親友として信頼し合っていると分かる随所のシーンがたまらなく好きです。大好きです。

・人質救出作戦 ハルタと雪子の掛け合い
──────────────────
雪子
「ハルタさんは雪子ちゃんに頼ってますね」
「頼ってください」
「私のこと頼ってください。雪子ちゃんは優秀ですから、とても」
「それとあんたではなく雪子と言ってください。
私には名前があるのですから」
ハルタ
「雪子がいてくれて良かったよ。本当に助かった」
雪子
「そうですか。それは良かったですね」

「もう一度言ってください」
ハルタ
「雪子がいてくれて良かった」

雪子
「私には言ってください」
「私には言って欲しいです」
──────────────────

んん~~~~~~~~~~~この頃から、ハルタに対する雪子ちゃんがどんどん可愛くなっていく……。夫婦芸のようになっていく。
必死な姿である雪子だからこそ、彼女のぐいぐいくる姿が本当に好きです。
頼ってください。と伝える、雪子ちゃんの姿がなんて可愛い事か。
この言葉は、後ほど、ハルタがユリを頼ることになっても、『私を頼ってくださいと約束しました』と言うように、どれほど彼女にとって生きるための必要な約束だったかが分かる、とても強い気持ちなのがとても好きです。   


・救出作戦後、雪子とハルタの掛け合い
──────────────────
雪子「月が綺麗ですね……」
ハルタ「秋だからな」
雪子「元より望むべくもないことだったので、失望とさえ言えませんが、失望しましたよ」
──────────────────

もうシンプルにめっちゃニヤニヤしました。
もうこの頃から美少女雪子ちゃんがどんどん可愛くなっていく……(2回目)
早く夫婦になって、と何回思ったことか……。



・ハルタと雪子の会話。虹子と雪子の関係について。
──────────────────
雪子
「優秀なんです、私は。
だから私は、自分のことを自分で決めることができます」
「私は虹子のこと、憎みません。
虹子はあの戦争のこと、何も知りません。経験していないんです。
色々なことがわかるようになる前に戦争が終わってしまったから。
だから、あの子は戦争の後の子なんです。
(それでも)憎もうと思ったら、憎めたと思います」
「でもあんまり惨めに思えて、私はやめました。
虹子はうるさいけれど、可愛いところはあるんです」

「面白いんです、あの子。
虹子のこと手放しで好きだって言えば、残念ながら、嘘になります。
でも好きって気持ちもあります。だから私はそっちをとることに決めました。
私は私を決めることができるのです、才貌両を備えたパーフェクツな雪子ちゃんなのですから」

「人間の国だって私たちを滅ぼした」
「私たちは人間に負けたんです」
──────────────────

・殉国連と対峙した雪子の魂の叫び
──────────────────
雪子
「お前達は馬鹿だっ!」
「愛宕はもうない!もうなくなった!」
「もう何処にもないんだ!」
「馬鹿だ!」
「目を覚ませ!愛宕はもうなくなったんだ!
逃げてないで現実を見ろ!
愛宕はもうないんだ!」

「天狗の国はもうない。お前たちは終った時代の亡霊でしかない。
幽霊にできることは、何もない。幽霊と現実は関係ないのだから」
──────────────────

・雪子 自分自身の葬式(海辺の精霊流しにて)
──────────────────
雪子
「あれは私でした」
「殉国連の男」
「あの人は夢を見てた。いつか愛宕に帰れる、昔のような暮らしに戻れる。そんな夢を信じていた──私もでした」

「夢を信じている間は、何も辛いことはありませんでした」
「夢を見て居られた頃、私は幸せでした」

「私は変わりたくありませんでした
変わりたくなかったんです。絶対に」
「夢が、私の故郷でした。帰ることのできる場所。手放さないように握ってました。」
「ずいぶん時間がかかりましたが、私はようやく理解しました。
愛宕は、もうなくなりました。私があの国へ帰ることが、二度とありません。」

「私、変わってしまいました。
変わった自分は嫌いじゃありません。ハルタさんとホオズキと一緒にいる時とか、まぁ、好きです」
「だけど変わりたくなかった、自分のままでいたかったあの日を、私は嘘にしたくないと思うのです」
「あの日の私は変わりたくなくて、そんな私を私は覚えていたいです」
忘れないから。
──────────────────

シーンの感想は上で書いてあるので割愛。
この国で幸せになりたい雪子の姿がどうしてこんなに眩しいのか。
分かった気がします。


・ハルタ、雪子に相談。猪飼の事情に突っ込むべきかどうか
──────────────────
雪子「ハルタさんは誰かよりさきに幸せになることが出来ない人ですから。
だから皆救わないと気が済まないのです。
大きなお世話でよい迷惑なのですが、ハルタさんはお節介野郎なのでどうしようもありませんね」
ハルタ「貶されんの?俺」
雪子「雪子ちゃんにだけそうであればいいのに。
ハルタさんは悲しい目をしてますから」
「悲しい目をしている人は、誰かを置いて行けない人ですから。
やれやれです。雪子ちゃんは疲れてしまいますよ」
──────────────────

雪子ちゃんが、自分だけを頼って欲しい、自分にだけそういう気持ちでいてくれればこれ以上ハルタが背中に色んな人の想いを背負わなくていいのに としたシーンでとても好きです。
秋の章では、ユリと看病シーンにてハルタを「あんたは悲しい方へ引っ張られるから」と表現していました。ハルタは他の人の気持ちを見逃せない、自分だけのことを考えることができないと描写されたりしていました。
ハルタ自身は自覚がないかもしれないけれど、目に映った人たちの悲しみや不幸の背景を見逃すことが出来ない優しいか不器用かな人間なことが何度も描写されるのが何気に好きです。
これらの姿も描写されるからこその、猪飼へのハルタの台詞「救われてくれよ」であったり、春『過去から未来を選ぶということ』、過去を置き去りにするということを描かれていく一端にも繋がっていくのが好きです。





〇冬至~雪中
様々な話が動いてきた秋から冬。
話としては一番盛り上がった章だったと思います。
前半の猪飼の『意地』。
後半の雪子と天狗の国の今。
方向性は違いながらも、そのどちらの話も魅了され読む手が止まらないほど引き込まれるものでありました。

最初は秋からの続きで猪飼編からでした。
猪飼編のお話の結論から言えば、ここまで猪飼という登場人物が魅力あふれる深いキャラだとは全くの予想外でした。
最初は、ハルタの悪友(親友)ポジだと思っていたら、まさか、ここまで背景の話に引き込まれるとは。どこか憎めない猪飼という人への好感度が一気にうなぎ上りになったお話です。
正直、この猪飼のお話まで読み終えたときには『猪飼の国』ではないかと思ったほどでした。

序盤。
消息が分からず、家にも帰っていない猪飼。
雅子さんの口から明かされていくだいだい屋敷の猪飼。
そのお話は、年相応の少年のように、リュウに徐々に心を開いていく猪飼に、心が暖かくなっていく気持ちでした。

ただ、だからこそ、その後の火事のお話がとても辛かった。
開かずの扉の先。二階建ての別棟。雅子の天狗細工が多くあった場所。
それは猪飼が引っ越しをした3年目の出来事でした。
原因は石油ストーブの消し忘れ。(恐らく幸子が消し忘れたか)
幸子がその消し忘れに気付いた瞬間、顔を真っ青にさせ、火の中に飛び込む猪飼。
泣きながら「ごめんなさい」と謝り続ける猪飼の姿。
その後、二度と屋敷へと訪れなかった猪飼。(祖母も、許しもしなかった)
猪飼が金を稼ぎ出した闇商売の真相は、この火事への償いでした。
それは彼が彼自身を許せないがため、彼が彼であるために必要な『意地』でした。

そしてこのお話は、この『償いのための闇商売』によって、猪飼自身が大きな山をはり失敗することで、危機に瀕していることへと続いていきます。


消息をたってしばらく経った後、車に跳ねられ、ヤクザくずれに追われる猪飼。
冬の海へとたどり着く。それでも追われ続ける。
この極寒の荒波を、道ともいえない道を渡る猪飼の姿が、もう本当に心を掴まされるほどに厳しい描写でした。コンビニのからあげが食べたかったとの、何気ない描写のなんて悲痛なことか。

ただ、猪飼の話の真骨頂はハルタと雪子に救われ、だいだい屋敷に帰ってきた後でした。猪飼にとって、だいだい屋敷にはまだ帰ることが出来ない場所でした。
まだ償いの一千万を貯めてない、過去の火事から自由になっていない、リュウさんにまだ今までの償いができていないにも関わらず、またこの屋敷のみんなに救われることがどれだけ猪飼にとって許せないことか。
それはある意味『猪飼が猪飼』として自分自身でなくなってしまうほどの『意地』の最後の砦。だからこそ、絶対にこの家に『また』救われることはできない。
この猪飼の姿が、もう。本当に。心がぎゅっと掴まされるほどに凄かった。

そしてだからこその、その後のハルタが猪飼の代わりにリュウさんに謝るシーンからがもう……。
本当に。とてつもない矜持の最後でした。
猪飼『なんで君が謝るんなら!』
猪飼にとって、この『リュウさんに謝る』という行為は、絶対に他人にされるべきじゃない行為だった。それは猪飼にとって、自分の人生をかけて命をかけて償うべき行為であったから。だから『他人』であるハルタに簡単にされるのは到底許される行為じゃなかった。
だからこその、あの猪飼の鬼気迫る表情がもう心が本当に。つかまされっぱなしだった。

でも、それでも譲れないものがあるからこそのハルタの言葉がさらに最高でした。
ユリに言われたように、雪子にも言われたように『他人の不幸を見逃すことができない』ハルタだったからこその言葉。
『頼む。救われてくれよ』
それはもちろん猪飼のためでもありながら、自分自身のための言葉でもあったように思います。猪飼が猪飼であるがための意地と同様に、ハルタがハルタであるがための意地の言葉。
まさに『意地と意地』のぶつかり合い。
それが、このハルタと猪飼の話の決着でした。

正直、ここで、何故かめちゃくちゃ泣きました。
猪飼という男の最後の意地。その姿に泣きました。
その後のホオズキが泣きながら、猪飼を抱きしめるシーンでもうもうもうもうもう。

もうここまで読んだときは、『猪飼の国』じゃないかと思うくらいに、この猪飼という登場人物に惹きこまれてしまいました。
また、この猪飼には今までの『みすずの国』や『キリンの国』に通ずるものが一番あったと思う登場人物でもありました。
みすずの国の美鈴は、逃げても良かった道を、自分が自分であるための意地を通すお話でした。
キリンの国は、圭介が『自分が自分じゃなくなるなら死ねば良い』と、自分自身であるがための意地がどれだけ必要な物かを問うシーンがありました。
そして、今回の雪子の国では、意地というものが他人から見てどれだけくだらないものでも、その本人にとってどれだけ重いものであるか。そして相いれない意地と意地がぶつかることでしか、この想いと対話することができないこの在り方に、とても惹かれてしまうのが、この猪飼の物語でした。
難しく言っているかもですが、ただただこの猪飼という男の奥底に眠る、意地の姿に魅了されてしまったのでした。

その後のみんなでうどんを食べるシーン。
猪飼が涙を浮かべながらうどんをすする顔。
暖かく見守るリュウの姿。いつも通りな雪子やユリ、笑うハルタ。
おにぎりに手を伸ばすホオズキ。
この暖かさな描写がもう本当に。好きで溢れてしまいます。

その後、幸子と猪飼二人で、雅子の元に。
雅子「素敵ね。貴方の宝物が、今日から私たちと一緒に暮らすのだもの。
嬉しいわ」
「お帰り、幸子。優。待ってたわ」


〇雪至から雪中へ。
『天狗は自立せよ』(雪中の序盤ニュースより)

これでも濃密な冬でしたが、後半からは天狗の国へと話が移ります。
ここからは打って変わって、天狗の戦争が終わってからの、天狗の国が一体どうなってしまったのかという部分が語られていきます。
ある意味今まで気になっていた部分でもありました
ただ、そこで語られたのは、何とも言えない感情を心に残るような内容でした。

春になると東京に帰ってしまうハルタ。
こうした中、雪子から提案されたのは一泊二日の天狗の国(鞍馬)旅行でした。
みすずの国やキリンの国で見てきたような、あの非日常のような美しい描写が、また垣間見えることができるのか。
読んでいた時ワクワク半分、怖さ半分だったのを覚えています。

また、ここの天狗の国に旅立つときの、駅でホオズキとの別れのシーンがもう本当に可愛くて可愛くて……。最後の最後までハルタの指を離さなかったホオズキが可愛すぎて、もう本当にこのシーンも大好きです。
この時のシーンが、まさかホオズキとの失踪事件に繋がるなんて全く思いもしませんでした。

その後の鞍馬へ入国。様々な天狗の国を見ていくシーン。
もう早速最初の祐太郎登場からびびります。
まさかのみすずの国以来再登場。すっかり髭が生えていて時の流れを感じるとともに、みすずの国を思い出してすごい嬉しかったです。
その後の粕汁で暖まるシーンだったり、町並みの景色だったり。キリンの国で語られた地下牢の話だったり。過去の作品を思い返されるような描写が本当に嬉しかった記憶です。
また改めてこの『国シリーズ』という物語の作り込みの深さに怖くなるほどでした。時代を経た後の、学習カリキュラムの説明部分だったり、もうびびります。本当に作品背景への作り込みがえぐすぎます。

同時に、変わってしまった天狗の国の文化の在り方がまた苦いものを抱きます。
一番印象的なのは『文化学習室』の下り。あそこは辛かった。
女の子『私たちも早く立派な人間になろうと思うのよ』
あの頃にあった天狗の国と、もう変わってしまったもの。
文化が侵略されていく、同化されていくものを目の前に見た時のあの苦い感情。
眩しいだけじゃない、こうした感情を抱くことができる作品も、また国というシリーズならではと改めて思います。

そして鞍馬を出て、次は愛宕へと出向きます。
雪子
「良かったです。以前は怖くて、ここへ降りてくることができませんでした」
そこは、何もかもがなくなった雪原。
──────────────────
雪子の暮らしていた家も、町も、もうない。
焼け跡さえならされて土の下。
ならば願いは何処へ向かうのか。
俺は疑問に思う。
誰しもがもつささやかな願いは。
結局叶わずに終えるにしても、幻の炎として人を温め続ける願いは、どこへ。
果てしない空や。永遠のように思える時が木霊する、あの懐かしい日々へ。
あたたかな場所へ。いつか、帰りたいと願う心は。
望郷の思いは。折々にふれて突きあげてくる郷愁は。
何処へ行けばいい。
どの空を見上げればいい。
どの方角を恋しく思えばいいんだ。
故郷のないお前の心は、どこに帰る。
雪子。どうして、こんな。
──────────────────

その後、ホオズキやリュウ、雅子さんたちの家へと帰る二人。
雪子「申し訳ないです。大変申し訳ない」
「頑張らなければと思っています。強くなる予定です」
「さぼっているつもりは、なかったのですが」
その姿を見て、無関心でいられないのが、このハルタという人間でした。
自分達人間が、天狗の国に何をしているのか。どうしたいのか。
他人の悲しみを他人事と想えないからこそのハルタ君の行動は、いかに雪子を幸せにできるのか。
この決意が、また春のお話へと繋がっていく。そのためのお話の一つとして、この天狗の国が語られていく在り方が、また好きでした。


ただその後の展開は絶句でした。作中で一番ショックでした。
ホオズキの失踪。帰る場所がなくなった雪子にとって、暖かなあの場所が、ホオズキの存在がどれだけ心の拠り所の一つになっていたか。
「早く会いたいな」
雪子がその言葉を発したあとのこの展開がもう本当ににくい。

化けはいつの間にか去っていく存在。
探しても見つからない。環境がみんなが、ホオズキがいない日常へと準備をしていくような描写。受け入れてしまいそうな描写。そのどれもが本当に読んでいて辛かった。

ただその後のホオズキ救出までの流れがまたすごい面白かった。
開かないはずの扉の先。取り込まれた過去の世界。
時間制限ありの命がけの救出。
ここの過去の描写またにくいです。
少年時代のキラキラした笑顔の猪飼の姿。
かつての愛宕の森に出会う雪子。天狗の国同士の戦争。
ここまで読んできて、雪子にとって、猪飼にとって『過去』とはどれだけ眩しくて、綺麗で、もう手に届かないものなのかが理解できるから。
だからこそのここで見せてくる描写なのが本当にえぐかった。

そして迫る制限時間。最後の最後。
雪子を安心させるためのハルタの嘘
『俺に考えがある』
読んでいて心が震えました。また、あの時の虹子と雪子を救うときの台詞がここで出てくるのかと。本当は自分が一番怖いはずなのに。
そして、みんなを扉の先に帰して、自分一人でホオズキを救おうとする。
人一倍怖いのに、ただそれでもホオズキを助けたい思い。
このシーンは、キリンの国の圭介が地下を潜ろうとする決意のシーンを思い出します。どれだけ怖くても、恐ろしくても、それでも進む描写が本当に心に残ります。

そして丘の下。見つかるホオズキ。
このシーンの安堵感と言ったら……。しかしそれだけではありませんでした。
ホオズキに迫る、謎の恐ろしい怪異。もう少しでその怪異につかまりそうになる所で……。まさかの鬼子。キリンの国のウルマの登場でした。
ここまで、あの幽霊の正体が鬼子だと全然気づいていなかったので、登場に「ふぁ~~~~~!!」ってなりました。
ウルマによって救出されるホオズキの「なんで置いていった!」と叫ぶ姿がもう、キリンの国を思い出すもので、懐かしかった。

その後のハルタのあったはずかもしれない妹『夏穂』との再会。
あったかもしれない過去。ハルタと夏穂の二人のふれあいと別れ。
その後の言葉がたまらなく綺麗でした。
──────────────────
過去はもうない。ただ俺は一人、ここにいる
きっとそうなのだ。生きるということは。
過去を置き去りにするということは。
未来に歩いていくということは。
冷たい風のなかでおきる出来事なのだ。
痛みがあって。悲しさがあって。
何かがなくなって。恐ろしくもなって。
そのなかで。手を温めていくということなんだ、きっと。
この小さな星で。たまには誰かの手を握って。
温かな日を願うことなんだ。
ハルタ「なぁ、そうだろ、雪子」
──────────────────

改めて、この雪子の国という物語が、『過去から未来を歩む』ということがどういうことなのかを鮮烈に描いた作品だと実感します。
その象徴ともいえるシーンだと思います。
過去から未来へ歩む。それは眩しいものだけじゃない。
『過去の方が良かった』かもしれない。未来を選び、『あったはずかもしれない過去を切り捨てる』ことは、痛み、悲しみがあって、周りのあった選択がなくなっていく恐ろしさがあって。
それでも、きっと暖かいものがあるのだと、隣の人と手を握ることが、未来を歩むことなのだと。冬の先にも春があるように。
そう願うようなこのシーンのこの言葉がたまらなく美しいです。


そして雪子に救われるハルタ。
──────────────────
雪子「ハルタさん。その、結婚してください」
「色々考えたのですが、悩んだのですが、他に手がないのです」
「ハルタさんがいないと、雪子ちゃんはとても駄目です」
「幸せになれません」
「幸せになりたいです」
「ハルタさんと、一緒に、いたい……!」

幸せになれるだろうか。
この国で。
この時代で。
俺たちは幸せになれるだろうか。
やってみるか。雪子と一緒に。
──────────────────
最後の雪子とホオズキの笑顔がもうたまらなく愛おしい。
この物語を通して、様々な『過去』が語られてきたからこそ、未来へ『幸せを見つけてみよう』とするこの掛け合いが、たまらなく綺麗で美しいです。

この壮大な冒険のような出来事を経て、冬の物語が終わりました。



以下、冬で好きだったシーン。

・失踪中だった猪飼から、ハルタの元への電話
──────────────────
ハルタ「意地をはるなよ猪飼。助けを求めろ」
猪飼
「ハルタくん教えちゃるよ。
意地は張るもんよ。意地が全てよ。
意地がなけりゃの、立っちゃおれんのよ。とても」
「君だってわかるんじゃないんか。
君だって張っちょるんじゃろ。しょうもない意地を。
それを棚に上げて偉そうに言わんでくれや。
僕に正しい説教なんかせんといてくれや。のう」

猪飼
「ええんよ、このままで。僕はこの屋敷には上がれん。
上がったらいけんのよ」
「あがれん……僕はあがらん」

意地ってのは。
どうしてこうも、下らないのだろう。
それさえなければ、ずっと、楽なはずなのに。
温かなはずなのに。
どうして、人を冷たい場所におきつづけるのだろう。 
──────────────────

・冬の海岸。ヤクザくずれから逃げる猪飼の回想。
──────────────────
一千万。
それが猪飼の目標だったのだ。
あの火事で喪失した額がいかほどかは知らない。
無論、保険はおりただろう。
保険会社の調査員が連日やってきたのを覚えている。
しかし保証されたのは、建物の時価くらいだ。
中にあった貯蔵品までは保証されていない。
それにあそこにあった物の価値は、値踏みできるものじゃなかった。
あれは、本物だった。
中でも好きだったのは、欅の器たち。
漆が光りを柔らかに跳ね返し、木目が宝石のように美しかった。
そのコップで飲んだ、夏の日のサイダー。
縁側に並んで、皆でスイカを食べた。
リュウが水をまくと虹ができた。濡れた畑の土が香った。
美しかった。
何もかもがキラキラ輝いて、自分のものであることが信じられないくらい、綺麗で静かな時間──。
戻ることはできない。
けれど、自由になることはできるはずだった。
あの恐ろしい炎から、心臓が冷たくなるような夜から。あの日始まった苦しさから。
この町から。過去から。自由になって、生きていけるはずだった。
──────────────────

・だいだい屋敷に救出された猪飼。
──────────────────
ハルタ
「──リュウさん!」
「猪飼のこと助けてやってください!
あいつのこと、許してやってください!お願いします!
お願い──」

猪飼(ハルタを殴り)
「なんで君が謝るんなら!」
「なんで君が頭下げるんか!なんで君が謝るんなら!
それで僕を救ったつもりなんか?ええ!
僕の人生じゃないか!
面白がって人のもんに首突っ込むのもええ加減にせぇよ!
それで偽善者ぶられちゃ、こっちはたまらんのじゃ!
君のごっこ遊びに慰められちゃ、僕はたまらんのじゃ!
僕のは遊びじゃないんぞ!これが、僕の……
これが僕の人生なんじゃ!ほんもんなんじゃ……!
なんでハルタくんが謝るんか!」

ハルタ
「猪飼」
「ごめんな」
「頼む。救われてくれよ」

(ホオズキが泣きながら救おうと、猪飼にしがみつきながら)
ホオズキ「お腹がすきました?」

猪飼
「あぁ、腹ペコよ」
──────────────────
感想は上記で書いたので割愛。
ただただ、猪飼という男の意地に魅了されました。
ただただ、ここの二人のやり取りに心が掴まされました。
最高でした。
その後のホオズキの「お腹がすきました?」と猪飼にしがみつくシーンで、もうノックアウトです。



・ハルタが帰って来ないだいだい屋敷にて。雅子と雪子の会話
 雅子よりハルタの名前の由来について語られ。
──────────────────
雪子
「無理……頑張れない。ハルタさんが私のこと嫌いだって……!
私とは一緒に居たくないって……!」
「私、もう無理だもん。頑張れない……!頑張れない……!」
雅子
「貴方って、本当にハルタを好きになってしまったのね」
「初恋なのね」

初恋。
雅子の口もとで音になったそれが、雪子の胸の内に微かな温もりをもたらす。
その正体が何であるかもわからぬうちに、雪子はそれにしがみついた。
ひたすらに失いたくない何かだった。
それのなかったかつては、どのように生きてきたのかもわからない。
失ってはならない何かだった。

雅子
「初恋って叶わないっていうけど、叶える方法ってあるわ」
「命をかけることよ」
──────────────────
ハルタから、「雪子のことが好きなのかどうかわからない」と言われ、雪子の心の奥底の不安が一気に表面化したシーン。
雪子にとって、恋という感情がどれだけ命がけで必要な物だったかがわかるシーンです。この時の泣き崩れる雪子にかぶさるホオズキと雅子さんの3人がとても暖かくて。そしてなんて雅子さんがかっこいいことか。
『この国で幸せになりたい』と願う雪子の、縋る、恋の想いは彼女の生死にも関わるほど大きなものなのだと改めて実感するシーンで大好きです。
その後の、雪子を頼るハルタからの電話の流れがね……もう完璧。

・ハルタからの電話にて
──────────────────
ハルタ「そうだよ。助けてくれ。また俺たちを救ってくれ。雪子、頼む!」
名前を呼ばれると。なんで、こんなに嬉しいのだろう。
なんで、こんなに暖かいのだろう。
春だからだろうか。春を夢見る人だからだろうか。
わき上がってくる力があった。堪えきれない温もりを感じる。
これが春なのだ。
冬のなかでも鼓動をうち、いつかの青空を夢見る力。
雪子「合点承知」
──────────────────

どれだけ、雪子にとって、ハルタから頼られることが、必要とされることが、名前を呼ばれることが、彼女の生きる力になっているのだろうか。
彼女が幸せになりたいという願いが、どれだけハルタによって救われているのだろうか。この冬という季節の中で、暖かな春の兆しを感じられるような、ここのハルタと雪子のやり取りが、もうたまらなく好きです。

・ハルタ、雪子との会話にて。天狗の国回想。
──────────────────
「私たちも早く立派な人間になろうと思うの」
俺は恐ろしかった。
何の陰りもなく口して、いっそ誇らしげに笑っていた少女たちが。
彼女たちが胸をはったテキストが。
神通力を使う着物をきた天狗のイラストは、薬物や拳銃のイラストと並び。
禁止と赤いバツが張りついている。
神通力は彼女たちにとって生得的なものである。
生まれながらの姿にバツをつけられて、それを認めている。
自分たちはバツをつけられるものなのだと思い込む。
(略)
言葉でかかれているわけではないが、テキストを通じて描かれる天狗の国の後進性。人間の国の上質であること。
俺たちは彼女たちに何をしようとしているのか。
ハルタ「教えてください。俺は、俺のために、俺たちが何をしているかを知りたいんです」
美鈴「天狗でも人間でもない何かをつくりたいんだよ」
「自分たちを否定して、人間に憧れる『何か』」
「自らの文化を誇れない、見上げた場所から自分達を見下ろす、どこにもいない『何か』」
「そういうものを私たちは作ろうとしてる。君が見たのはその一環」
──────────────────
えぐい。えぐいの一言に尽きます。
生理的な悪寒のような感覚に陥ります。
人間がしようとした天狗の国からの搾取。文化の破壊。侵略。
これらの行いから出た言葉は『天狗の人たちにはもっと頑張ってもらわないと』
改めて言葉にされるこの無情な行い。雪子の反応。
それをこうまでもありのままに描いていくこの作品が本当に末恐ろしい。
何度も言いますが、この作品への作り込みの深さあっての描写なのが本当にすごい。すごいです。



〇早春賦~春満開(シーン備忘録と感想を並走してます)
壮大も壮大な冬を終えて、最後の春。
最初いきなり『~3年後~』に東京の背景が出て来て、!?!?!?ってなりました。
髪型変えたハルタの姿に、可愛い義理の妹『佳純』に大学の新しい友人『トシ』
ここにきてハルタくん大学生編が始まってしまうのか。
正直春を読み始めた時には、ここまで来て今から大学生や東京の話をしてどうするのかと思ったのがありました。
それほどに冬までの物語が綺麗で面白かったのでした。

ただそこで語られた大学生のハルタくんの物語は、雪子と幸せになるために確かに必要な物であったと実感します。
『幸せになること、切り捨てる事、選ぶということ』
ハルタが愛されていたのか。
ただそれでも幸せになるために傷つける覚悟のお話。
過去から未来を歩むことの痛みを知る幸せへの物語でした。


『ニ十歳になったら、東京でるから』
そもそも、ハルタは雪子を置いてなぜハルタが故郷留学の後に東京に戻ってきたのか。
それは、『雪子と幸せになる』ための準備が必要だったからでした。
天狗の国を見て、人間と天狗の二人がこの時代で幸せになるために。
そのためのお金や資格が必要だったがためでした。
また、同時にこの東京でけりをつけることこそがハルタの『意地』でした。
放りだして逃げた先が雪子と一緒にいた結果ではなく、『現実に戻ったうえで雪子と幸せになること選んだ』ことこそがハルタにとって重要なことで。
その意地は、かつての猪飼が猪飼でいるために必要だったものと同じものでした。

・雪子、ハルタに初夜を迫るシーンにて
──────────────────
ハルタ
「正直な、そりゃ、そういう気持ちはある。ないわけじゃない」
「だけど今はできないんだ。今は駄目なんだ。
ここは俺が逃げてきた場所だからだ」
「最初にお前、言ってたよな。俺は逃げてるって。
幽霊なんか探したって、現実は変わらないって。
その通りだ。俺は逃げてここまできた。俺の現実は変わってない。
何故なら俺の現実はここじゃないからだ。全部、放り出して逃げてきた」
「俺はここにいることを逃げてるってことにしたくない。
このままじゃ皆が俺に言うだろう。逃げたって。お前と一緒にいることを逃げた姿だって言われてしまう。
だから俺はやっつけてくる。俺が逃げたって皆が思ってるものを」

「なにより俺が駄目だ。今ここでお前のこと手に入れたら、俺が俺を許せない」
『意地だ』
──────────────────

もし、このまま過去の『現実』をなかったことにしたまま、逃避先で雪子と幸せになったとしても、どこかでこの清算しなかった過去が彼を襲う。
かつて冬の天狗の国にて、祐太郎は「結婚して離婚した、暖かな場所にいたはずなのに、どこかでそれが許せず冷たい場所に戻ってきた」という話がありました。

──────────────────
祐太朗
「いつか君の身体が温かな場所にいったとき、君が眼を背けた何かが遠くで凍えている。それを耐えられるかどうかだ」
──────────────────

今のハルタも同じ状況だったのだと思います。
たとえ、この極寒をなかったことにして、暖かな場所にいたとき、その目を背けた冷たい場所からの声を無視し続けることができるのか。幸せになることができるのか。負い目を感じてしまう。できない。
だから、『この冷たい場所の声』自体をもハルタ自身の現実として背負うこと。
逃げた場所からの春ではない、『冷たい現実の場所の冬を乗り越えてこその春に本当の幸せがあるのだ』とハルタは知っていたからこそ。
ハルタにとって、東京で現実にするという『意地』が必要だったのだと今思います。

この国シリーズでは、『意地』という言葉が何度も語られます。
それは他人から見たらくだらないものかもしれない。
でも、本人にとって、幸せであるために、自分が自分であるために必要な物。
そのハルタにとっての『意地』がこの現実への清算であって、幸せになるための唯一の解決法でした。

そして、この大学生編でもう一人の重要人物が『トシ』であったと思います。
彼は、ハルタと対照的に『天狗の彼女と一緒に幸せになれなかった』存在でした。
だからこそ、『天狗と幸せになること』がどれほどに大変で無謀なことかを知っている唯一の存在でした。

──────────────────
トシ
「天狗と一緒になるなんて浅はかで、考えの足りないことだって。何もわかってないし、想像もできてない。気持ちだけじゃどうにもできないのにって、さ。
でもハルくんは馬鹿じゃないからね」
「たたなかったんだよね」
「堪えてきたものが、急に怖くなってきて。
相手にしなかったまわりの言葉が、耳につくんだよ」

「手をつないだって、キスしたって、頬がバラ色に染まって──俺のことをしんじてくれてた。
だけどあの日、魔法が解けた。俺のこと慰めてくれる彼女の顔をみて、わかった。この子はそういう子じゃないって。
ガールフレンドっていうだけじゃ終らない子なんだ。青春の1ぺージだけを共にするだけじゃないんだって。この子には人生かけなきゃいけないんだってわかった。わかったら、もう駄目だったよ」
「怖くてね。ハルくんみたいに、一緒になるって言えなかった」

「好きだったじゃない。今でも好きだから忘れられないんだ」
──────────────────

雪子にとって、ハルタと一緒にいること、恋することは命がけでした。
それが雪子にとって幸せになるために絶対に必要なことだからと分かっていたからでした。
では求められた相手は? 人間側も命がけの必要がありました。
それは、二人の間の障害、天狗と人間の差別、環境、文化。
子どもが出来たあとの将来。未来。それらの全てに命をかける必要がありました。
なぜなら、この世界は二人だけのものではないから。
その事実に、覚悟ができなかったトシ。そしてそれでも幸せになるためなら何でもしようとするハルタの覚悟。

──────────────────
ハルタ
「家族のことは、傷つけてしまうと思います。
雪子と一緒になろうって決めたから、それはもうしょうがないんです。
無傷で終るなんて無理なんです。迷惑かかるんです、どうしたって。
だから、その覚悟をすることにしました」

「人生ってなんかこう、こんがらがってて。
別に傷つけたいわけじゃないし、迷惑かけたくないって思ってるのに、自分が行きたい方に歩くと、誰かが後ろで悲鳴あげたりして。
それが大抵、自分の近くにいる人で、家族だったり、友達だったり──自分が大切にしたいって思ってる人なんですよね、これが」

「だったら人生って、誰も傷つかないわけにはいかないんですよ、きっと。
自分も含めて、誰かが傷つかなくちゃいけない。
痛みのない人生ってのは、恐らく、ないっす」

「でも雪子と誰かなら、俺は誰かを選ぶ。
それが家族なら、家族を傷つけます」
「お互いが納得できるよな道を探したいって思う。
でも俺は雪子と一緒になることを譲りはしません」

トシ「震えながらいくんだね。でも、それが勇気ってやつなんだろうね」
「あーあ、俺に勇気があればなぁ」
「でも出なかったんだから、しょうがないよね。許してほしいな」
──────────────────

この二人のこの対話が、ハルタが彼女と『本当に幸せになる』ための傷つける覚悟を表すお話として、とても鮮明に覚えています。
春編で一番印象的な掛け合いを挙げるならこのシーンだと思います。
大学生編になって、トシというさらにここまで魅力的な登場人物が描けるのが本当にすごいです。


そして目的のためにニ十歳になったら東京を出るという決断。
それは、傷つける覚悟をトシに語ったハルタの決断でした。
ずっと一緒にいた義理の父親、妹、そして母親に別れを切り出すということ。
それは、これからも4人で幸せになろうとした『家族への裏切り』でもありました。
家族で幸せになろうとするために、これから新しい居場所へ引っ越しそ考えていたタイミングでの裏切りがどれほど大きい物か。
はじまるのは、ただ相手を傷付ける答えしか出せない、家族の話し合いでした。

・家族の話し合いのはじまり。また今度にしようとする母親に。
──────────────────
ハルタ
「座って。まだ話は終わってない。何も大丈夫じゃないんだ。適当に流さないでくれ。」
「いいから座ってくれ。話を聞いて。俺だって必死なんだ。真剣なんだ。何もなかったようにしないでくれ。
俺の言葉や気持ちを、なんでもない風に片づけないでくれ。
母さんが俺を見ないなら、俺は母さんを捨てなきゃいけない。そんなのは嫌なんだ。」
「母さん、俺を見てくれ。目を逸らさないでくれ。もうこんなに大きくなったんだぜ?
でかすぎて、母さんの揺り籠のなかで眠ってるわけにはいかなくなったんだ。あんたの可愛い赤ちゃんじゃなくなったんだよ、俺は」
「母さん俺を見てくれ。俺の気持ちを嘘にしないでくれ、母さん──」
──────────────────

ハルタの覚悟は必死でした。
そこから始まるハルタと義継の話し合い。
なぜ東京からでないといけないのか。
天狗が人間と一緒に暮らすということがどれだけ覚悟がいるのか。
なぜ卒業後ではなくて、今ではないと駄目なのか。
子どもの幸せを考えなくていいのか。
それはハルタの感情論ではなくて、現実的に自分にとっての必要なことを一つ一つ伝える話でした。覚悟を持って準備してきた覚悟の集大成の話し合いでした。
義継もハルタの幸せを思っての言葉だと分かるから、だからこそより『傷つけてしまう』この話し合いは読んでいてとても魅入るものがありました。
話し合いをすればするこそ、ハルタが雪子と一緒に幸せになるための覚悟が鮮明になっていくものでした。
だから、分かっていても、この話し合いの最後の佳純の言葉が辛かった。

──────────────────
佳純
「出て行って。
あんたここの家族じゃないから出て行って。もう帰って来ないで」
「みんな努力してるのに。家族になろうって、頑張ってるのに、一人だけ我儘言ってるじゃん」
「最悪」
──────────────────
今までのハルタと佳純の二人の掛け合いから、素敵な兄妹の関係が分かっているからこそのこの言葉が本当に辛かった。
きっと家族の幸せな未来もあったはず。
けれどハルタが必要で『雪子との幸せ』を選んだというのはこういうことなのだと分かるからこその言葉がとても痛かった。


この話し合い後、どうなるのかと怖かったですが、冷静になって、時には笑い合いながら義継とハルタが話し合いを何度も重ねているのにほっとした記憶があります。
ただそれでもお互いは平行線で解決しないまでも、そのまま丸くなっていくのが、とても人間らしいなと感じたのも記憶にあります。


そして解決しないまま時が流れて2月。引っ越しの時。
トシの部屋から自分の荷物を運びだすときのトシの台詞がまた最高に好きなんですよね。

・トシからハルタへの最後の言葉
──────────────────
トシ
「よくやったよ、ハルくんは。俺には出来なかった」
「頑張れよ、マイリトルブラザー」
──────────────────

本当に国シリーズは、男×男といった同性同士の関係性の魅力がありすぎます。
出来なかった兄から弟に向ける最後の言葉。
門出の言葉。兄弟のような関係性だったからこそ、二人の間にしかない絆が、眩しくて本当に素敵でした。
最高の二人でした。

そしてそれだけでは終わらない。今度は家族との別れでした。
この時の言葉もまた最高に素敵でした。

・佳純からハルタへの別れの言葉
──────────────────
佳純「出来の良い妹で良かったね」
ハルタ「出来の悪い兄貴で悪かったな」
佳純「うん、最悪──お兄さん」
ハルタ「うん?」
佳純「大嫌い」
──────────────────
最後の最後、笑顔で告げる大嫌いの姿が本当に可愛くて。
確かに傷つけてしまったかもしれない。
けれど、それでも覚悟を決めたからこそ見られた笑顔がそこにあって。
この笑顔が見られて本当に嬉しかったです。

そして最後。それは母親である秋穂との別れでした。
もうここが反則でした。

──────────────────
ハルタ
「ねぇ、母さん。俺の名前って、なんでハルタなの?」
秋穂
「私が秋だから、それで」
ハルタ
「でも秋の次は冬なんじゃないの?ま、フユタなんて変だけど」
秋穂
「秋って、すぐにもう冬じゃない?冬って寒くて、辛いじゃない。
私とお父さん、結婚を猛反対されて、駆け落ちみたいに一緒になって。
貴方が生まれた頃って、本当に貧乏だったの。
仕事も上手くいかなくて、辛いこともいっぱいあった。
貴方が生まれてくるのも不安でね、子供なんて育てられるのかしらって」
「でも、生まれてきた貴方を見て、なんて可愛い子なんだろうって。
抱き上げた時、わかったの」
「これで私に春がくるんだって。この子が私の春なんだって──幸せなんだって」

「貴方が生まれて来てくれた時、本当に嬉しかったの」
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はい。めっちゃ泣きました。
こういう家族のお話、何年たっても弱いです。
どれだけハルタのことを大切にしていたか。
名前に込められた愛情の想い。
かつて雅子が言っていた「一度名前の由来を調べてみるといいわ」という言葉が、ここになって最後に描かれるのが本当ににくい。

そして東京からの別れのシーン。
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東京の街が流れていく。その時だった。
ふいに胸から突きあげてくるものがあり、俺は握った拳を口に押しつけた。
しかしそれは堪えようもない大きな物で、肩が震える。
東京の街を見つめればみつめるほどに、突きあげてくるものだった。
(なんで……!)
大都会。山は見えず、海の気配もない。
高層ビルの乱立に息苦しさも覚える、不夜の都。
競い合うことと。比べること。誰かよりマシであること。
そんな空気に、喉のつまりさえ覚える街だった。
声も出せず。大きく吸い込むこともできない。
苦しかった。
なのに、何故。
突きあげて、止まることがない。
その名状し難い感情に、俺は震え続けることしかできなかった。
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読み始めた当初。
最初は東京の街からだいだい屋敷に来て。
故郷留学であるこのだいだい屋敷の町こそが帰るべき場所になるのだと描かれるのだと思い込んでいました。
それだけじゃありませんでした。
このかつて生まれ、母親と暮らしたこの街も彼にとって大切な場所だったのだと。
『ありがとうハルタ。行ってらっしゃい』
母親がいた東京の街との別れ。
その全てが、この東京の街の別れのシーンに詰まっていて。
何回心を震わせてこれば気がすむのかというくらいに、心が震えました。



そして、迎えた再会。クライマックスでした。
最初は見慣れなかったはずが、どこか懐かしくなった駅。
そこで待ちわびた駆ける成長した女性。

・ハルタ、雪子と再会したシーンにて
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ひどく懐かしい。
けれど。彼女は変わった。
その事実が、今更急に、訴えてくる。
あの町でふざけあい、一緒に遊んだ少女はもういない。
あの時の雪子は、あの時のなかにしか居なかったのだ。
それが、目の前にいる雪子にあの日々の面影があるからこそ、胸にせまる。
そんな風にして。
俺たちはいつだって別れてきたものを数えてしまう。
今はもうないものを探す。
懐かしさに慰めを求める。
それでも。
悲しさだけでないのは。
後悔ばかりでないのは、弔えるからだろう。
遠くなった日々を、見送れるからだ。
夢中になった日々だから。心から自由になろうと試みた日々だったから。
手放して歩いてきた日々もまた、受け入れられる。
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雪子
「待ってました、ずっと。それはそれは大変でしたが、信じていましたから」
「ハルタさんがいる」
ハルタ
「ああ。俺がいるぞ、雪子。俺が一緒にいる」
雪子
「有り難いです」
「うれしい」
うれしいと、彼女は繰りかえす。
雪原のなかで、立ちつくしていた。
凍えて。小さかった。
それでも、彼女は夢を見て。
願って、忘れず、信じた。
幾度か見失うことがあったにしても、やめることがなかった。
諦めることがなかった。
その力強さに、きっと俺は恋したのだ。
雪子。冬のなかで、春を夢見た少女。
俺は彼女を幸せにしたい。その風景を見てみたい。
温かな場所に連れて行ってやりたい。
きっとそこは、美しいから。俺はそこで感動していまうだろうから。
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そして時は流れ4月。
春の海。
桜満開の花見。
一番最後のシーンより。
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一つの時と、一つの場所にしか居られない俺たちは、一つより他の多くのものたちと別れ続ける。
可能性を失い続け、永遠で果てのなかった憧憬はわずかな現実に切り取られる。
帰れる場所もなくし。
夢は描くことさえ難しい。
この国で。この時代で。
俺たちは幸せになれるだろうか?
幼い頃に見上げた夏の入道雲や、秋の夕焼けのように、いつかまた綺麗なものをみつけられるだろうか?
雪の香りや、桜が咲く嬉しさを忘れずに、歩いていけるだろうか。
これから失う物より多くのものを再び愛せるだろうか。
未明の時のなかで。
答えは誰の手の中にもない。
生きることの恐怖は尽きることがない。
それでも、努めてみよう。
試みよう。
信じてみよう。
何度も。

冬が来るたび。
また春がめぐるのを。
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『あの頃は良かった』と過去を思い返すことは何度だってあります。
今は失われてしまった、もしかしたらあったかもしれない『過去』に何度もすがってしまう事があります。
それでも過去に囚われるのではなく、その過去を弔って、『今』から『過去』を振り返る、痛みと美しさを。未来に綺麗なものを求める姿を。この作品では何度も教えてくれました。

また私にとって、この『雪子の国』とは、
『過去』は『今』を絶望させるものではなくて、きっとまた同じような綺麗なものがあるはずなのだと、背中を押してくれるはずだと教えてくれた作品でした。
それは、ハルタが見せてくれたように『未来を選ぶ』そのために誰かを傷付けたり、切り取る痛みを伴うかもしれない。また多くの物を失うかもしれない。
ただそれでも、きっと同じように綺麗なものがあるはずなのだと、この作品を通して教えてくれたように感じました。

この作品の魅力は本当に言い尽くせません。
むしろ、自分の言葉によって、もっと大きいはずだった魅力が切り取られてしまっているのではないかと思うくらいです。
それでも、それでもこの素晴らしかった作品を、残したくて、感想を書きました。
忘れたくないという想いもあって書きました。
何度言っても言い尽くせませんが、本当に素晴らしい作品でした。
傑作でした。
そして、ただただ、雪子とハルタの二人がこれからも幸せの春を信じて一緒にいる描写が何よりも幸せな気持ちで満たされました。

最後の最後。不穏な描写は次回作への伏線でしょうか。
また続きの作品も読んでいきたいと思います。
本当に、ありがとうございました。

最後、タイトル画面が変わった後の雪子が本当に素敵です。