前作までとはやや毛色が違う巨乳ファンタジー
まがりなりにも巨乳ファンタジーと言う事で、面白い事は間違いないです。
ただ、おや?っと思う人は確実に出る仕上がり。
まず、私が最重要視している“主人公”ですが、これが今までと随分違う色を出してきています(今回の方が私は好きです)。
前作までの主人公は、特殊な力を持ってこそいれども一貫して事なかれ主義・昼行燈と言った言葉がしっくりくる、どこかボンヤリとした性格でした。楽天的に考えている姿勢や行動が運や偶然に助けられて雪だるま式に大きくなっていくという方式で、言ってしまえば主人公は特に何もしなかったけれども周囲が勝手に主人公を連れて行ってくれたという様な形式。ある意味究極のヒモ野郎といった所。
しかし今回の主人公は、特殊な力こそないものの、きちんと自分で意見して自分で動き、偶然に頼らず自分の力と“こうしよう”という明確な目的をもってその結果を取りに行きます。
なんだかよく分からないけど周りが騒いでるからその場に行ってみたら偶然問題を解決しちゃって英雄に祭り上げられる……というのが前作まで。
問題が起っているようだからAという結果で解決する為に、Bという手段を取って解決しに行った結果、問題が発生したのでBの手段は使えなくなったが咄嗟の機転でCの手段を使い、思惑通りAの結果を得る……というのが今作。
今まで胸中に燻っていた、なんだコイツはっきりしねーなぁ!……という感情はだいぶ軽減されたと言えます。
逆に、こういった“主人公が自分の力で格好良くキメる”のを主人公アゲだとか俺TUEEEだとか捉える人達には前作までのボンヤリ君の方が良かったのかもしれないですが。
しかし、そういった主人公の変化とシナリオが噛み合っていない上に、ちょっと方向を間違えたんじゃないかと思わずにいられません。
主人公達人間ではミノタウルス族に手も足も出ないという種族間で余りにも格差が開いてしまった事で、状況を打破する為の手は全てミノタウルス族頼りという事になってしまい、何をするにもミノタウルスミノタウルスでミノタウルス。そのミノタウルスが主人公サイドに与する理由として主人公との親交もちょっとしつこい位に描かれる。
これは今までのボンヤリ主人公であれば、自分は平々凡々と癒しを振り撒いていたら周囲が勝手に主人公を慮って物事解決してくれたっていう事になるのでそれでよかったんですが、今作の主人公はまがりなりにもちゃんとヒーローしているので、ミノタウロスと仲良くするのはミノタウロスを味方につける為という打算の元な訳です。もちろんその友情は本物なのですが、主人公を通してミノタウロスに頼るという周囲の状況のせいで、主人公はミノタウロスを動かす為の折衝手段として終始利用され続ける形に。これのせいで、折角主体性のある主人公を用意したのにそれが全活かされていない。だったら今まで通りのボンヤリ君を用意して、周囲が勝手に神輿を担いでくれる形にした方が“主人公は実際無力”という事実を浮き彫りにしないで済んだ。
要するに、話のキーマンが主人公じゃなくてミノタウルスになってしまっているんです。そののミノタウルスを動かすのが主人公のカリスマ性という事ではあるんですが……。
総じて今作の主人公は“坂本龍馬”であると言えるでしょう。
確かに彼の活躍なくして世の中は動かなかったけれど、でも実際世の中動かしたのは西郷隆盛と木戸孝允であって坂本龍馬じゃない訳です。
この辺がカタルシスに欠ける原因となってしまっており、その最大の敵となるミノタウルスも黒幕に操られているだけなので倒しても巨悪を打ち倒した快感が得られない。かと言って、その黒幕達は全然キャラ立ちしていない(存在感が全然ない)ので、じゃあ最後に彼等を倒した所で何も得られないという実に味気ない仕上がりに。
これならば普通にラスボスはミノタウロスの大族長であって、人間との共存に理解を示すミノタウルス族と人間が一丸になって本来人間だけでは敵わなかった相手を打倒する……というので良かった気がします。
もっとも、あの辺のキャラはどうせ出るであろう完全版ことifにて補完される予定なのでしょうが。
それならつまり、今作は未完成品であるという事になる訳で、それはちょっとなぁ~と思う訳です。
ifを前提にしたシナリオ構成で、足りない部分が顕著に出ていると言いますか。すこ~しガッカリしたというのがユーザーの本音じゃないでしょうか。