いままで百数十作品プレイしたが、最高の作品。
感想はセカイ+ヒカリの感想です。
まず、この作品における伏線回収が見事だと言っている人がいるが、それは違う。ヒカリにおける設定の大半は明らかに後付けであり、後付け設定は伏線回収とは言わない。ハクとレンの設定も、本物の悠馬=レンの父親の設定も明らかな後付け。セカイにおいて主人公の前世に関する言及はあったが、どうとでも取れるあいまいなものであった。他のさまざまな「伏線回収」も、セカイでほったらかしだった要素に追加設定を加えているにすぎない。
しかし、この作品の魅力は伏線回収ではない。伏線回収が好きなら、そこらへんの刑事ドラマや推理小説のほうがよっぽど上、エロゲに限ってみても、『G線上の魔王』『車輪の国』等もある。だが、それらの作品よりもこの作品にはるかに高い得点をつけた理由は、この作品が「きれいごと」だからだ。
「きれいごと」は「ご都合主義」と似ているが、違う。たとえば、「セカイ」の設定では主人公と真紅の縁は、主人公がたまたま藍に目をつけて、そこから真紅につながることで生じている。つまり、主人公と真紅が出会ったのは偶然であり、その後主人公が真紅の為に奔走するのもすべて本当に真紅のためであり、その過程にさまざまな「奇跡的なこと」が起こる。過程が奇跡的なのが「きれいごと」である。「ご都合主義」とは、たとえば主人公とヒロインの結びつきを血統に求めたり、問題解決の際に血統や生まれつきの能力といった、天賦のものが持ちだされることである。つまり、根本が奇跡的なのが「ご都合主義」だと思う。(「ヒカリ」の設定では主人公は真紅の前世とあったことがあることになっているが、ここは少し「ご都合主義」的である。)
ハクとレンの設定は、白と蓮を本編に関連付けるための後付け設定であり、また、前世を持ちだす明らかな「ご都合主義」だが、これは青空と藍を関連付けるためには仕方がなかったのだろう。だが、絵本の最後の言葉を書き換える作業が、ハクによってではなく真紅と青空によって行われるという展開に、この作品が他作品と一線を画す理由の一端が垣間見られる。つまり、ハクとレンはあくまで過去の話でしかなく、主人公の性格を説明するための背景設定にすぎない。本作品では過去が出しゃばらないのである。「祖先がああだったからこうした」だの「うまれたときにこうだったからああすべき」といったシナリオがあふれるエロゲ業界において、現在と未来に視線が向いているシナリオとなっているこの作品が高い評価を受けるのは当然である。
本作品は「きれいごと」であふれている。『素晴らしき日々』のような哲学的考察シナリオや、『車輪の国』のような叙述トリック系シナリオが好きな方は、本作品をプレイしないほうがいい。だいたい、ヒカリのラストで世界を一つにする魔法を使って他ルートの世界と真紅ルートの世界を統合することからして、論理的に考えれば矛盾だらけである。プレイヤーが選んだ選択肢によって分岐した「世界」と、最果ての古書店で本に収められる「世界」を同一視するのは明らかな矛盾ではないか?探せばこの手の矛盾は山のようにあるが、この作品をたのしむうえではすべてどうでもいいのである。哲学議論をしたいのならばカントでも読めばいい、叙述トリックが好きならば推理小説でいい。しかし、この作品の持ち味は、ノベルゲームでなければ出せない。「きれいごと」には綺麗なCGや音楽が欠かせないのだ。
私は、エロゲに求められるのは非現実性であるとおもう。非現実性といっても、魔法の世界とか宇宙大戦争等ではなく、現実世界から理想的でないものをそぎ落とした結果得られる非現実性である。現実的なものは現実世界だけで充分、エロゲでまで現実に向き合いたくはない。ところで、哲学というのは現実に対する観察から生まれた学問であるから、哲学そのものも現実性があるのである。エロゲにありがちな「死生観」ものや、『すばひび』のような衒学ものはここを衝いてくるために不快である。それに対してこの作品は、設定上死んだら古書店行きなため厳密な意味での「死生観」はなく、衒学的要素も皆無である。批評空間ではどうも衒学的作品が好まれる傾向があるようだが、不思議なことだ。
以上長々と書いてきたが、なんだかんだ言ってもこの作品は真紅ゲー。この作品をたのしむコツは、ひたすら真紅を愛でることである。この作品のシナリオは素晴らしいが、結局のところ真紅の魅力を引き出すスパイスであり、主役はシナリオではなく真紅である。つまり、
結論:真紅を愛でればいい。