プレイしてる途中に窓からセミ入ってきてむっちゃビビった。
強烈なイメージを植え付けられる?ような作品でした。
常に幼なじみが隣にいる主人公の日常が転校生の黒髪美少女から渡された注射器によって一変するお話、その事の顛末、その先を描いた作品。
思ったことをずらずらと..
健気な幼なじみと甘い日常を送っているとは裏腹に前に進むことが出来ずその"役割"を押し付けられ、自身の存在意義、自身について実感がもてない主人公の訴えともいえるような台詞には胸が締め付けられるような感覚にさせられました。沙希に怒りぶつけたいくらい(笑)
しかし彼女自身も夏月のそれが分かっていて一歩が踏み出せない、お互い自分の中で抱え込んで二人の間に"幼なじみ"という見えない壁ができている....プレイ後、彼女がぬいぐるみの店で恋人のテディベアを選んだ直後の夏月の台詞が「彼女がほしいのは"俺"ではなく"幼なじみ"」的な事をのべていたシーンを思い出して、単に互いの気持ちのズレを表したのではなく彼女の好意を皮肉ぶってるかのように感じて結果的に沙希にも同情の念を抱いてしまいます(笑) 彼がクスリに手を出してしまう原因はどこにあったのか→どちらが悪いわけじゃない、作中にある「幼なじみという"呪い"」にある。 幼なじみという関係、その名称=呪いという例え方に疑問を抱くはずなんですがこの作品はそれががっちりはまっていて、可愛いはずなのに胸糞悪さが半端無かったですw
夏月がクスリを使いすば日々じゃありませんが救世主になってモルタリスを駆逐するシーンでは人がここまで変わってしまうということよりも単語の強さ、今回では"救世主"という言葉の強さを恐怖と錯覚するくらい感じました。それこそヒーロー、主人公という単語にも言えるのですが、これをポンと出すことによって何でも通ってしまう、許されてしまう。しかしやっていることはというような....この作品ではその言葉に逃げ場を求めていて本来とは違う意味で使っているように見えてなりません。それこそ夏月がクスリに救いを求めているように。
次に羊おじさんについて。
羊おじさんは某作家の作品に度々出てくる羊男が一緒に浮かんでしょうがありません← 対して物語のメインキャラ(羊男が出る作品にもよりますが)でもないのに意味深な言葉を残すあたりなど特に、ただ羊男と違う点は主人公のもう一つの自分であるということ。憶測ではありますがクスリを使った際に救世主じゃない現実の夏月なのではなないかと思っています。もしくはこの行為がどういうことか分かっている自分。故に力を持って調子乗ってる夏月の出鼻をくじくシーンはなんとも愉快で皮肉が加わってますが、本当はもうひとりの自分の警告、止めに入っただけなんじゃないかなとか思ったり。
水夜について
こいつずるい
沙希の失恋、夏月は自分の存在意義を見つけられたがそれは現実でなく結局誰も満たされずに終わってしまう。そんな事の顛末を見てふと思い出したのが最初に出てきた引用文。フランツ・カフカが書いた"皇帝の使者"の最後の一文(訳)。 皇帝の使者の内容がまさにこの作品の顛末をものがたっており、ぶっちゃけいきなりネタバレ喰らってるようなもん(笑) しかしこの一文があるとないとではだいぶ違うし、終わってからこの事を考えるととても感慨深いです。
そしてここでいう"皇帝"は誰になるのか、
先ほども述べたとおり沙希も夏月、誰もがもあてはまると思いました。
皇帝 →→→→ 使者 ←←←← 君
沙希 →→→→ 幼なじみという関係 ←←←← 夏月
夏月 →→→→ クスリ ←←←← 自分の存在意義(現実)
こんな感じ
使者のように強靭な強さがあってもたどり着かない、届かない。 そんなメッセージ、悲しい結果が待ち受けているのに必死になってあがく様がこの作品で描かれています。 忘れない作品のひとつになりました。