ノベルゲームという媒体で行える表現を楽しんでいることがわかる作りで好き。親の顔より古河渚を見てきたオレが好きだったノベルゲームが現代でも発売されるというのは、とても嬉しいことなのだと思う。
以下はネタバレでも作品感想でもなく、作品感想を見た感想。見る価値は多分ない。
キャラクターの心情描写の少なさに置いていかれたユーザーを想像力不足とは言いたくない。伝奇やキャラクターたちを深堀りするための数々のエピソードを作者があえて削っているのはDESIGNWORKSを見れば明らかである。
例えば缶コーヒーを見たことがない人でも缶とコーヒーを見たことがあれば、缶コーヒーがどんなものかなんとなく想像はつくだろう。だがコーヒーすらも見たことがない人に缶コーヒーを想像しろというのはあまりにも無茶苦茶だ。
テキストを削ることはそういうことで、人びとの想像と共感のモトを削ぐ行為であるのは論を俟たないだろう。
無論、ノベルゲームという媒体である以上、缶コーヒーの無茶振りと違って補えるだけの情報は点在している。
だが、その連想の得手不得手や、連関に相似(なんなら妄想上の類似でもいい)といった準ずる体験、物語の読み方等といった素質面(下地と言ってもいい)をユーザーに丸投げしている作りなのだ。
そりゃ賛否あるな〜、なんて批評空間の感想を適当に眺めながら思ったものだが、大半の人間は(当然自分を含めて)そんなに深く考えて物語を読んでいないから、伝えたいメッセージを伝えられる、書きたいことが書けると作者が感じたまま書けばいいと思ってる。少なくとも同人ではそれでもいい。昔はきっと、ノベルゲーム全体がもっと排他的で人を選ぶ傾向が強かったんだろうなと思う。今は比較的1から10まで書く作品が増えたんじゃなかろうか。オレにはそんな違いが本当にあるのか分からないが、周りの博識そうにメガネを掛けたオタクたちはそう言ってる気がする。だから、まぁ何となくそう感じる(根拠はないけど。)くらいの気持ちでいる。
言ってしまえば、テンポの良いテキストで作者が感じる無駄を削りつつ、万人受けにはならない物語を書いて、補完は各々の想像力に任せる。なんていう作りなのだ本作は。ユーザーファーストとは程遠いが、果たして俺達は俺達をお客様扱いしてほしいのだろうか。俺達はお客様ではなく作者の宇宙を用いて、自分の体験や感情を発掘して楽しむ(それが必ずしも楽しいわけではないが)トレジャーハンターであるべきではないだろうか。あるいは自分の体験や感情、他の物語や情報から宇宙を紐解き、その美しさに感動する科学者であるべきではないだろうか。俺達はなぜ物語を読むのか。
物語を読む姿勢は、物語によっても、読み手によっても異なるとは思う。それは大前提として…個人的には書かれたことが全てじゃないと思ってるし、見えないものや足りないものは自分から足していいと思っている。そもそも人は自分の感情をキレイに整理して言語化できるだろうか?今俺が何を考えてこんなテキストを打ってるのか、正しく言語化するのは難しい。何となく興が乗ったとか、前々から漠然と感じてたことを言葉におこす良い機会だなとか、センスのねぇ奴らの目を覚まさせてやるかとか、そんな気持ちがあるのかも。自覚的には別にそんな深く考えてないつもりだし、本当はないかも知れないけれど、理屈付けようとしてみたらそんなことが、それらしく思い浮かぶ。現実はそうじゃあないだろうか?俺は100%自分の感情や行動を言語化できると豪語する方はもしもいるならば、それは素晴らしいが、ぜひとも落ち着いて周りを見てもらいたい。できない人が沢山いるだろうと思う。
じゃあ、作中キャラだって、人らしさを残すのであれば自分の感情を正しく言語化し続けることができるはずがないじゃないか。そんな考えから、キャラクターのセリフも、モノローグすらも時には嘘をついていたって良いと思う。足りないなら補えばいいと思う。書き手も読み手も自由で良い。だが現実問題、すべての作品のすべての違和感に想像力を働かせて納得の行く筋道を用意するのは莫大な労力が必要で難しい。現代人は忙しいのだ。ゆえに手軽で、不足なく説明された物語が好まれるのかもしれない。
楽しみたい作品、楽しめそうな作品、もっと言えば想像力が働く作品こそが楽しめる作品、そんなスタンスでもいいとは思うが、少しでも感じいる所があれば、よければ作者の怠慢として片付けずに自由に物語を解釈して想像して補ってほしい。つまりは、ここがよく分かんなかった、これが説明不足だと感じた。そんな感想よりも、よく分かんなかったけどこういうことかなと思った。説明不足は否めないがこういう描写からこういうことだと推測した。みたいな感想が読みたい。まぁこの作品では俺は書かないけれど…。
…何だったんだろうなこの時間。誰か説明してくれないだろうか?