相変わらずブッ飛んだ内容で面白く読めたが、もう少し開発期間を延ばして丁寧に作って欲しいとも思わされた。
『極限痴漢特異点 3』に関して、まずはテキストがいつものごとく頭のおかしいパロディや用語をちりばめた大変勢いのあるものであったことは評価したい。1,2で参加したすまっしゅぱんだ氏不在でありつつも痴漢が幅をきかせる作品内のノリとそれが生み出すシュールさはしっかり出ていた。「同ブランド」のアトリエかぐやの『最終痴漢電車 3』のスタイリッシュを追求する路線を一定継承しつつ、しかしバカゲーとしての笑いも取り込む極限痴漢特異点シリーズの一本筋の通った姿勢は、今後続編が出るときも大事にしてほしい。
一方で、今回はシチュエーションが多様化したこともあってか、主人公の心情がややブレていると思わずにはいられなかった。蘭世の処女喪失H時、シチュエーション的にも蘭世の反応的にも、彼のやっていることはレイプだった。それは「痴漢狩り」をする蘭世にお灸を据えるという目的あってのことではあるのだが、しかし喜壱はそのような振る舞いをするだろうか、という疑問は残る。勿論彼からすれば「痴漢願望」が見えるわけで真にいやがっているわけではないことは自明なのだろう。だが、拒絶されてもイかせればオールオッケーというのであれば、それでは彼が退けてきたゴールドフィンガーや三下の竿役との本質的な違いは殆ど無いのでなかろうか。喜壱はもう少し痴漢としての矜持に固執していたのでは、と考えてしまう。
草壁喜壱という男は痴漢そのものに対する果てしない執着はあるものの、大前提として女性は女性として敬意をもって遇するという態度を持っている。なので根本には女性を気持ち良くさせることも自らの痴漢欲とほぼ同等のプライオリティを持つ。そして超然としていながら人間臭くもあり、薄ら寒い文体でラーメンのレビューを書く。それらの点において、『最終痴漢電車 3』の鷹取迅のような人間とはやや趣きを異にするキャラクターであり、スタイリッシュな痴漢のみを追い求めているわけではないことはわかる。それゆえ快楽があることを前提とすれば、迅よりはやる事の射程は広い。しかし今作は、その規定された範囲を逸脱する振る舞いが目に付き、一貫性を欠いているように思えた。
CGは、近年のM&M氏(二人でやっている名義だがひとまず一人のように扱う)の顔を大きめに、頭身を低めに描く流れから大きな変化は見られない。もっとも、この絵柄に関して個人的には好みではないし、質も段々下がっていると感じた。彩色は好みこそあれクオリティの高さを感じる一方、少なくとも原画に関しては最盛期より見劣りしてしまうと言わざるを得ないものであった(それでも凄まじくエロいのだからすごいのだが)。無論、キャリアの長い原画家として新たな絵柄を模索していることは理解出来る。今はその過渡期なのだろう。
上記のような絵柄の問題は、クリエイターとしてある意味ではどうしようもないことで引き起こされたことであろうから、問題がないというわけではないが心情的にも厳しいことは言えない、という気持ちになる。しかし本作のCGはどうしようもないこと以外の問題もある。
それは差分である。差分はイベントの時間的変遷を示すとともに、ヒロインの反応の変化を表現する要素でもある。かつて元長柾木はエロゲ―はクリックで女の子の表情が変わることを報酬とするアクションゲームであると述べた(東浩紀『批評の精神分析』7章より)が、このことは日常シーンだけで無くエロシーンにも当然に見いだせる要素だ。そう言われると、アクションゲームだなんて大層なことは求めていない、と言う人は多いかも知れないが、しかし表情も姿勢も一切変化しない女の子との会話、セックスで本当にあなたは満足するかと問われればどうであろうか。おおげさなようで大事なことではないか。
その点において、本作は差分表現を過剰にオミットしている、悪く言えばサボっているように思われ、シーンのいくつかではかなりやる気を削がれてしまった。前述の喜壱の一貫性についての項でも言及した蘭世の処女喪失シーンなどはまさにその極みである。
このシーンでは学校内で一度痴漢をしたあとトイレに連れこみレイプまがいに事におよんでいる。そこでは破瓜の前に挿入が少し中断される(先っちょだけ、ということだ)。破瓜していないのだから、通常、もしくはエロゲの「お約束」を鑑みれば流血はしないはずである。しかし本作では挿入を始めた段階ですでに流血差分に切り替わっている。これでは手抜きを疑ってしまわざるをえない。
勿論、女性の下腹部からの出血には色々と原因はあるだろう。もしかしたらそういうことを表現したかったのかもしれない。しかし、見たところ他のヒロインではそのようなことはないし、このゲームでは生理の話も性病の話も全く出てこない。そうであるとするならば、これは破瓜の血ということになり、差分とテキストは不整合である、ということになるのではないか。
また、差分ではないが、パイズリシチュで胸に陰茎を挟む前からすでにそのCGが表示されているシーンもある。構図的に差分として表現することが困難であったとも考えられるが、それならば、事前の擦り合わせが欲しかったところだろう。
これらの差分表現の問題は原画からの関連で言及したものの、M&M氏にのみ帰責されるわけでは当然ない。そもそもシナリオに対して何の意見もしていないのであれば、氏は求められたものを描くだけであろうから絵とテキストとの整合性を強く意識することもない。また、テキストも同様だろう。したがって、これはどちらかと言えば全体を統括するマネジメントの問題であるといえる。
総じて、本作は一定のクオリティは担保しつつもやや粗の目立つ内容であった。とは言え求められたレベルの出力はあるとも思える。2ではVtuber餅月ひまり氏もPRするなど時流にのったマーケティングも展開しているようでありそれは一定の成功を収めているように見受けられる。それは結構で会社が生き残ることも嬉しいのだが、まずは何よりも丁寧に時間を掛けて作品を作って欲しいと感じた。中小企業において、それは最も難しいことであるとも承知しているが。