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andworldさんのキラ☆キラの長文感想

ユーザー
andworld
ゲーム
キラ☆キラ
ブランド
OVERDRIVE
得点
90
参照数
2314

一言コメント

この作品を始点に、他の瀬戸口作品→唐辺庸介(小説)を巡回した結果、二回目のプレイ。やはり、この人ほど同じテーマを突き詰めようとしている人はいない。そのテーマは。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

理解しないとダメなんてそんなの寂しいよ!(byきらり

そう、理解とは逆説的に、「断絶」への諦めの手段である。断絶への「抵抗」の放棄である。

この人はどの作品でも本質的に「断絶」と「抵抗」を描いている。
断絶・・それは「世界」とであり「社会」とであり「他者」とである。更に、それらの存続の基盤となる「時間」や様々な形での「別離」とについても人間は一種の断絶を覚える。
そして、主人公は例外なくそれに何かしらの形で抵抗している。
だが、抵抗は本質的に成功は収めない。ご都合主義のハッピーエンドなどそこにはなく、ただ、抵抗を継続する形で終わるのである。

本当に極端なことを冒頭のきらりの言葉に引きつけて言うと、理解、ということほど非人間的なものはないとも言えるのかもしれない。理解した(ふりをした)途端に失われるものがあるのだ。
きらりのいう「カレーライス」の例のように。。

大体、世に溢れる作品(楽曲も)では、違いを違いとして認めましょうね、「理解」しましょうねとか、そういう安易な結論には至ってしまう。
だが、氏はそうは終わらせない。しかし、誰も分かってくれないよね、的な自己憐憫・耽美的な終わらせ方もしない。

この作中では、
世の中ってむつかしい。
とか
このクソったれな世界に精いっぱいの愛を込めて・・・
とかあって、その上で、
(社会への適合はどうあれ)今しかないこのキラキラした瞬間を追いかけていこうぜ。
的なメッセージ性を読み取る人は多い、というか自分がそうであった。
それも間違いではないのだろう。

だが、音楽は、ノーフューチャーの精神のパンクロックは、「社会」への「抵抗」の「手段」なのであり、それが「目的」ではない。広く瀬戸口氏の作品を俯瞰した時にこの作品を見るならば。
ただ、今作では、「上手くいかない」ものの代表として、きらりルートときらりではない2ルートとも「家族」があって、それを包含する「社会」があって、その基底次元には、「他者」との断絶がある。家族だって他者の延長なのだから、断絶していて当然だ。
故に、音楽活動をするかしないかに関わらず、この作品でのパンクロックは抵抗を支える精神性なのだ。

本作の場合、鹿之助は、どこか小賢しい・理解という名の諦めを持った主人公として描かれる。
その辿り着く先として、きらりバッドの最後を通じて、「大丈夫になった」主人公の「抵抗」の形-バンドを続けていくという形が出来上あがる。(後述するように他の2ルートでは、別のものに別の形で抵抗する。)
つまり、鹿之助は、断絶への諦めとしての理解という精神性から「退化」してパンクロックの精神で抵抗を続けることを選ぶ。
ただ、氏からしてもそれは「抵抗」の「選択肢」の一つとして、今作のテーマに沿って仕立てただけだけだが、ある意味では鹿之助の(俗世間的には)退化という名の鹿乃助にとっての成長物語とも言えるのかもしれない。(ついでに言うと、ヒロインの成長-これは世間的な意味合いで-も見られる。)

今作のテーマに仕立て上げてと書いたが、そもそも、SWAN SONG(司のピアノ)然り、紙媒体の他の作品の主人公然り、抵抗の形を「表現」に求めているのは面白い。(別の紙媒体の作品では絵が出てくるし、バンドだって十分な表現活動だ。)
ライター自身が表現活動で飯を食べているので、二重性という観点からも面白いのかもしれない。

(「断絶」は表現されなくてはいけないのであり、逆に言うと、表現されてこそ初めて明確な「断絶」になりうるのかもしれない。)

また、「断絶」への「抵抗」には行動が伴わねばならない。というメッセージも読み取れる。
しかも、抵抗は継続されるべきものだとして。(多くは行動の型として、表現活動に求めているが、今作ではそうとも限らない。)
そういったメッセージ性がたいていの作品(ルート)にはあるのだと思う。
そのために、
千絵姉ルートでは「勇気」
紗理奈ルートでは「忍耐」
を描く。

だが、そのどちらのエンドでも先は見えない。終わりではない。
継続されねばならない類のものだからだ。
氏の他の作品と同じように、物語を物語で終わらせない。それは、非エロゲ的文法であり、人間らしい。
多くのエロゲ的文法に則ったエロゲーそこに我々は非人間的な理想の形を追体験する-とは一線を画するものだ。(ただ、「アンチ」エロゲ的文法という形を明確に取らないのも氏らしい。)

そういう「理解」したふりは氏の望むところではないだろう、と最後に自戒の念を込めて・・・



追記
色々と批判もあるきらりグッドですが、元からきらりにあった「聖性」(ギフト)が深化して、「鹿之助」のためにも「抵抗」する-世界の悲しい人に歌で届ける職業を選ぶ、という解釈も出来なくもない。そして、社会不適格疑惑のあった鹿之助はそれを乗り越え(普通の会社員になる)、きらりを支える。。
実はこのエンド、カーテンコールやd2b vs DEARDROPS を楽しむためには必須です。
この作品を制作した当時に製作者はそこまで考えてはいなかったと思うので、これはこれで有りですね。

・・・7年越しにやった感想でした。
やはり、今でもTOPの作品です。