ErogameScape -エロゲー批評空間-

andworldさんのMUSICUS!の長文感想

ユーザー
andworld
ゲーム
MUSICUS!
ブランド
OVERDRIVE
得点
78
参照数
751

一言コメント

この作品は、瀬戸口廉也(エロゲライター)が唐辺葉介(小説家)の時代を経てつけた「落としどころ」。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

基本的なメインテーマは、music+us=音楽+我々=「音楽は一人で奏でるものではない」。
これは劇中歌の「はじまりの歌」の「ハーモニー。それがミュージック」というフレーズからも確認できる。
ハーモニーは一人では奏でられないということ。音楽を始め、芸術は一人で成り立つものではないということ。
更に言えば、芸術は聴衆(広く言えば鑑賞者)も含めて成り立つということ。
(とりあえず、軽音楽は芸術なのかという話は置いておく。)

このテーマはBad(澄)ルートで特徴的である。主人公は「花井の呪い」から逃れられず、普遍的なものを追求するあまり、芸術に大事なものを失ってしまう。それは聴き手の存在。結果、作る曲は独りよがりになり、形式的な芸術性だけを追求して自滅する。

弥子ルートはBADとは対極に位置し、冒頭のテーマにより沿うものになっている。多様なバックグラウンドを持つ夜間の生徒たちが一緒に舞台:作品を作り上げる。それは、およそ一般的に芸術とはみなされないが、テーマ的には音楽であり芸術なのである。

三日月ルートでは、主人公と三日月の二人が主な話の焦点となるが、花井の呪いを乗り越えるべく、二人で音楽に向き合っていく。出来たものそのものが芸術というより、過程が音楽なのだろう。



大雑把にめぐるルート以外のルートを俯瞰してみた。どのルートもそれなりに説得力はあった。
しかし、ここで、あの「瀬戸口廉也」の「復帰作」という「物語」ー氏がエロゲから離れて、戻ってくるまでーを乗せないで作品、特にメインルートに没入できた人はどれだけいるのだろうか。
私は没入できなかった。




このゲーム自体(特に三日月ルート)が、作者の唐辺庸介が時勢に乗れなかった物語を反映している。
そう思ってしまったこと、それが没入を阻害したのだと思う。


[小説(ラノベ風味含む)は全部読んだのだが、そこら辺の小説家(ラノベ作家)と比べて遜色ないものもあったと思う。それでも世間的にヒットとはいかなかった。主人公たちの行き詰まりにおける「ベストは尽くしている。しかも、良いもののはずなのになんで売れないんだ」という怨念めいた叫びは唐辺庸介から発せられているのではないかと思えた。結局、ある程度の実力があっても、売れ行きというのは時代の趨勢に左右され、個人の努力や才能に帰するところは実はあまりないのでしょう。]

三日月ルートでも、「ある人」が目をかけてくれたことで、一気にスターダムに乗る。
メインヒロインルートなら格別にどこか「落としどころ」を探らねばならない。
「実力もないのに売れる」
「実力を認めさせて売れる」
みたいなのではただのご都合主義になってしまう。
そこで、氏の怨嗟の「落としどころ」としてこういう物語になったのだろう。


そして、商業活動を伴う創作活動がこの「落としどころのような」もの『なら』、そして、どなたかの感想でみたように作者自身が
「少しでも楽しんでもらえる人がいるの『なら』」
エロゲライターに戻るという結論に至ったのでしょう。
そこには受け手の存在、特にエロゲ界隈では人気だったということを踏まえて、読み手を前より意識した氏がいて、この作品もエロゲ過去三作に比べて肩の力が抜けたものになった。
(過去三作も十分に受け手は意識していたが、表面上はどれも作者の真意は伏せられていたように思う。)

私は以上のようにこの作品に至るまでの瀬戸口廉也の物語を勝手に作ってしまった。そして、それを物語に投影してしまった。

現実は得てしてこの落としどころのようなものであるのだろうが、この物語の落としどころに私は魅力をあまり感じなかった。何故だろう、芸術論としてもエンタメとしてもこの作品は「現実味」はあるものの、エロゲにそれを求めていないからか。このルートに過去三作のメインヒロインルートで見た「切れ味」がないからか。

しかし、この作品への高い評価を見ると、今この衰退する業界におけるユーザーはやはりエロゲ製作者「瀬戸口廉也」を求めてるのかな。とも思いつつ。

以下小言。
・金田が前面に出てきすぎてて他のヒロインや登場人物の個性を消している。これは弥子ルートでは中和されている。ある意味、ご都合主義の塊みたいな人物だから、そうなるのかな。
・澄ルートでのハッピーエンドが欲しかった。「あの場面」で主人公が人の心を取り戻そうとするのだから。バッドがあってもいいから、澄ルートにも反省した主人公が切り替えるルートが欲しかった。
これじゃ、犠牲者、ヒモ、として消費されただけじゃないか。彼女の存在が。
いや、芸術は消費されるものでないということで敢えて、彼女は消費される存在にしたのだろう。
そもそも、彼女は典型的な「薄幸そうなバンドマンを支える悲劇のヒロイン」というものの象徴なのだから。。