王道故に浅い。せめて、男の脇役に活躍の場があればと思うと残念な話。物語にどこまで「物語性」≒「ご都合主義」を求めるか。それと知識のないプレーヤーにどこまで説得力を持たせるか。
テーマが青春部活もの、素材がグライダーでの飛行ということで、前者はエロゲでありふれたもので、後者はある程度説明が要求されるものだ。
よって、ありふれているが故に物語の終着点が見えていて、あとはどう素材を説明・調理して出来事のプロットを配置していくかに依って面白さが決まる。
仲間の形成、努力、挫折、失敗からでも諦めず努力し、最後に成功を収める。
そういうジャ〇プ的なノリが予想されるのは必然なのだ。
無論、サブヒロインのルートはそれから逸れることは許容範囲だとしても、メインヒロインはそうならなければ読後感としていいものにならないだろう。いや、そうであることが強制されていると言って過言ではない。
そしてそれを読み進む過程は、良く言えば「安心」、悪ければ「退屈」或いは「予想済み」になる。
だから、それを踏まえても尚感動や感激を呼ぶ作品が、この手のテーマでは良い作品となる。
(18禁なので、それを通過したうえでのヒロインとのHシーンを求める方が多いはず。また、ヒロインと物語の過程を通じて恋愛に発展することが必須だ)
ところで、そうなると、どこまでのハプニング・偶然・・場合によっては奇跡が受け入れられるものとなるのだろう。
この作品だと、モーニンググローリーは20数年前にしか起きていなかったわけで、天音先輩の引退間際にそれが起きるのは、物語性の発露、悪く言えばご都合主義になる。
それと関連して、テーマの素材的に、我々の中でグライダーについて既有知識のあるものなどほぼ皆無ななか、どこまでそれを説明するか。その問題がある。
分かりやすい基本的な知識は物語中に語られる。だが、主人公の腕でどうにかできる部分と、自然現象で左右される部分の事象の生起確率は定かでないし、説明されない(突発的な上昇気流の発生や平均的に可能な飛行時間など)。このゲームのためだけに調べる人もいないだろう。だから、その部分はベールで覆われる訳だが、それが気になる人と無視できる人は分かれると思う。
つまり言いたいのは、この手のゲームにどこまで「現実性」を求めるかなのだ。
そして、その「現実性」とやらは時に、「物語性」と調和するどころか相反するものだ。
プレイ当初から終着点と過程が見え透いたものをどう料理するか、少し楽しみだったのだが、同時にそういうものに既に飽きている部分もあった。
そして、読み終えてみれば、爽やかで王道ゆえの安心感もあったが、グライダー・身体障害者ヒロイン以外に特別なものは何もなかった。
内面の描写も浅く、群像劇というほど濃密な人間関係もない。逆に一部のプレーヤーをにやけさせるほどのハーレムでもない。
それならば、せめてもう少し、良い脇役がいるのだから、彼らを活躍させても良かった。
結局、企業の方針的にそうなのだろうが、良い意味でも悪い意味でも初心者向きなのだろう。
(個人的な事情で言えば、もう王道は飽きたのかもしれない。)