寝取られノベルとありますが実際は浮気純愛モノ。ともすればギャグと取られかねない凶烈なアヘ顔は、エロ用途よりシナリオ側で作用していたように思います。
自身の不勉強かもわかりませんが、私は「寝取られ」というジャンルは寝取られる
男性視点から見るものという認識を持っています。主人公へ憑依し一体感を持つことで、
最愛の人を奪われる悔しさや捨てられる惨めさを体験し興奮するもの、といったところ
でしょうか。
しかし本作は女性視点がメインです。後半には寝取られ男視点も用意されているものの
描写はわずか。連作ということもあり舞台背景に縛られている部分も多く、寝取られと
いう言葉を鵜呑みにすると痛い目を見そう。ヒロイックサーガの困難を綴った一幕的な
趣の強い「物語」で、抜きゲー特化ではありません。アヘ顔を売りにしているのに、です。
むしろ本題は三角関係。責務に忙しい男が女を見ず、別の男に取られてしまう流れ
までは寝取られモノと同じ。ですが登場人物と一体化し特定視点からのみの感情を味わう
作品ではありません。三者三様の思惑と感情を読み取り、思いを寄せるのが作品主旨かと
考えます。なので商業エロゲですと『WHITE ALBUM2』などと趣向が似ていますね。
そんな本作に独自性を見出すとしたら、やはりアヘ顔でしょう。快楽に堕ちた雌を
示すエロ表現技法の1つですが、『終わりの日』のそれは一般的な視点からすれば
やりすぎです。てか顔の形は変形してるし舌先はベロンベロンに伸びまくってるしで
ぶっちゃけ人間やめてるようにしか見えないw
プレイヤー視点からすれば寝取る女性には綺麗であってほしいもの。それはエロゲに
限らずとも必定の感情とすらいえます。それがわかっているからこそ女性も美しさに
磨きをかけるわけで。
リアルな性行為においても、みっともない表情や汚物を撒き散らすことはあります。
にしたってエロゲにおいてリアル以上の表現が望まれることは極稀です。女性に理想を
抱くプレイヤーは綺麗であってほしいし、臨場感を求める読み手は現実以上でも以下
でもない描写を望むからです。唯一の例外は悪役が無様に落ちぶれる様を書くとき
ぐらいでしょうか。
なのにエリゼもカーネリアスも化け物のように描かれており、表情から直接興奮を
呼び起こそうとはしていません。むしろ萎えさせるのが目的じゃないかとすら思えます。
いやだって、ねぇ。プレイすればわかるけどギャグの領域入ってますよコレ。外見
だけ見たらバカゲーとして評されること必定です。
ではなぜそのような表現を取り入れたのか。それはストーリー、ひいてはエリゼと
カーネリアスというキャラクターを表現するのに必須だったからでしょう。
エロゲに限らず、あらゆる創作物にはデフォルメという表現が多分に用いられます。
現実世界では驚いたからといって人間は飛び上がりませんし、辛い食べ物を口に
しても火は吹きません。オナラは黄色くありませんし、寝ているときにZの文字が
浮かび上がることもありません。
かようにリアルと異なる方法で表現するのは、感情や動作を読み手に印象付ける
ためです。本当に驚いたんだな、辛いんだな、臭いんだな、寝ているんだなと
読み手に意識してもらうためです。そして作者は理屈ではなく直感的に理解して
もらえるよう、シンプルかつ明確にデフォルメを施すものです。
『終わりの日』は先に述べたとおり三角関係を綴った物語です。仕事に忙しい恋人を
持った女性が、自分をしっかり見つめてくれる男性に浮気する物語。浮気されたミオ
には何が足りなかったのか。エリゼは何を求めたのか。カーネリアスは何を与えたのか。
その答えがあの極限に描かれたアヘ顔なのだと思います。
アヘ顔とは堕ちきった雌が見せる快楽享受の表情です。望まない快楽にせよ恋人との
中睦まじい性行為にせよ、その快楽を体が受け止めさえすれば生物的反応として自然と
曝け出される代物です。それをエロゲ内において「この娘は気持ちいいんだな」と
わかりやすく見せるため、表情にデフォルメがなされています。
しかしそれだけを見せるのであれば、一般的なレベルのアヘ顔で十分こと足ります。
あんな化け物みたいに描く理由はないし、むしろ使い手からすれば息子が萎えるだけの
マイナスにしかならない行為です。ではどうして極端に描いたのか。
快楽享受だけの喜びではないから、それ以上喜んでいるように描く必要があったから。
つまり体の充足感だけではなく、さらに上積みされた何かが2人にはあった。となれば
答えは1つ。あのアヘ顔は体の充足感の上に、心の充足感を積んだ代物なのでしょう。
やや乱暴な物言いですが、エリゼの願いは自身を見てもらうことです。そんな彼女が
支えて貰っているという自らの充足感のみで満足するミオと、エリゼ自身を求める
カーネリアスのどちらに傾くかは自明の理です。
加えてカーネリアスは、性行為中にみっともない顔を曝け出します。求める女性の
体に夢中になりみっともない表情を曝け出す彼は、容姿端麗かつ素行を崩さないミオに
比べると原始的で非理性的です。しかし本能に基づいた表情だからこそ、その喜びが
伝わってくる。エリゼそのものを求めているのが痛烈に伝わってきます。
行為中に大鏡を見る場面がまさにそれ。立派な大義と生きる姿勢を持ち、みんなに
好かれるミオはしかし、エリゼに向かってそのようなアホ面を見せたりはしませんし、
プライドが邪魔をして好意も伝えません。みっともなく自身を求めるカーネリアスの
姿勢こそ、エリゼが男性に求めるものだったわけで。
アホ面に応えるようにエリぜも表情をより醜悪に変じさせます。よりみっともなく、
より醜く、よりストレートに快楽を求め、そして相手を求めます。それは肉体的な
快楽を享受しているだけでなく、お互いがお互いの汚いところまで全て受け止める
心の快楽をも享受しているからこそ。
卑猥な言葉を並べ続け、純粋に相手の性器だけを求め、チンポと叫べばマンコと答え、
剛毛豚鼻ボテ腹白目ヨダレを曝け出し、望んで受け入れ、相手を求め、求められる。
お互いを必須とする心の繋がりと充足感が、肉体の快楽に上乗せされる。だから
ただのアヘ顔がより醜悪な、しかし幸せを享受した表情へと変じるのでしょう。
ギャグにしか見えない極限のアヘ顔。それは読み手のチンポを勃たせるために用意
されたのではなく、エリゼの望む理想の関係を書くために用意されたもの。そして
本作は寝取りゲーではなく、カーネリアスが断罪を兼ねてミオへエリゼの求めるものを
伝える物語。浮気を経た純愛物語なのだと解釈します。
以上を踏まえて個人的な要求を述べると、あとがきにて様々なフォロー説明がなされて
いたのは勿体なく感じました。せっかくカーネリアスルートのラスト1枚グラで様々な
想像ができたところを、タイトルの意味やミオ&エリゼの後日談を語ってしまったことは
余韻を潰してしまったような。
これは私の「ノベルゲーはその中のみで完結してほしい」という希望があるからでは
ありますが、物語に空白を残す行為は読み手の中に作品を長く生かすことにも繋がり
ます。せっかく濃いキャラクター達を描かれたのですから、その後を色々想えるよう
配慮いただけたらより嬉しかったです。
それとデフォルメはやはり、直感できることが最も重要です。しかしながらアヘ顔の
コンセプトが読み手に対しわかりやすい手法だったとは(寝取られゲーと謳ってしまった
こともあって)いいづらいかなと。極限アヘの理由をよりわかりやすく伝えられていた
なら、より多くの読み手に真意が伝わったのではないでしょうか。
このように男性に決して都合のよくない、男女を比較的同価値に眺めたエロゲでは
ありますが、その上で男として興奮できたのはアナルからの精液逆噴射ですね。
どうしようもなく汚くみっともないヒロインですが(特殊性癖を有していないかぎり)
女性がそんな醜態を見せたいと思うわけはないので。
求められたから応えてあげたい、みっともない自分を受け止めてくれる、そんな信頼が
なければ到底曝け出せるものではありません。腹パンはやりすぎな気もしましたが、
そこまで尽くしてくれるエリゼを最も求めたくなるシーンでした。って寝取られゲー
なのに寝取り男に入れ込んでますね私。けどミオ君は同情の余地ないので仕方なし。
みっともないエロゲや汚いエロゲに対し、私はその行為自体に興奮はできません。
しかし美しくあろう綺麗であろうと常日頃努力する女性が、自分のために見せて
くれる醜悪さには息子がおっきします。そんな喜ぶ自分を見て相手も喜んでくれた
ならモアベター。お互い曝け出して快楽にズブ浸かりするエロゲは大好きです。
だから逆にミオは好きになれません。苦難の人生でエリゼに散々救われたのは
わかるのですが、だったら大切にせーよと。責務で手が回らないならいっそエリゼを
開放してやれよって思っちゃう。様々なメディアで彼を掘り下げた作品が用意されて
いるみたいですが、いちエロゲとしてみた彼は決して心象よろしくないですね。
そんな彼に対し不義理を働いた懺悔と同時に、2人の関係修復に努めたカーネリアスは
逆に好印象です。最初のレイプはそこだけ切り取ればギルティですが、結果として
2人を取り成したわけですから。(後日談次第では子を成してなお関係が冷え切ってるの
かもですが、本作内でそこまで悪く想像する必要はないでしょう。)
以上「凶烈なアヘ顔を用いて見せる純愛浮気ゲー」というのが本作への評です。
どちらかというとシナリオ重視のノベルゲーを好まれる方に受けそうな気が。絵から
ダイレクトに受ける興奮ではなく、絵を見てテキストを解釈して初めて反応できる
エロだからでしょうね。十把の抜きゲーにはないオンリーワンがある作品だと
思います。