ゲームの中で出てくるカウンセリングが目から鱗の事例ばかりで、実践してみたら精神のコントロールがしやすくなったし、それだけでやってよかったと思えた。内容も素晴らしく、後半は感動して画面がよく見えなかった。これは自己を肯定することの大切さを説く物語。
橘真琴は自殺した。
自殺は市郷さんが言った通りやってはいけないことだし、馬鹿野郎だろう。
死は真琴の回想にもあるように、人間が本能的に忌避するものである。
ただ、それすらも観念だったんじゃないかと僕は思う。
「自殺してはいけない」→「自殺してもいい」ということ。
真琴が自殺したからこそ姫沙希もnakoも海も救われた。
真琴は自殺を実行してしまう程追い込まれた経験をしたからこそ、完全に相手を肯定したカウンセリングが出来るのである。
そして、そういったカウンセリングをしてきたからこそ、最後にはカウンセリングをしてきた人達が全員かけつけてくれて、感謝してくれる。
最期に消える瞬間、真琴は幸せであった。
これは自殺したからこそ得たものだったのではないだろうか。
勿論、自殺を選ばなかった真琴が、29歳で死ぬまでの期間に幸せになれないとまで言うつもりはない。
ただ、自殺を選択した真琴も「間違ってはいない」ということなのだ。
だから、「自殺してもいい」のである。
自殺した真琴に幸せな結末を与えたのはこの観念を捨てさせるためではないか?
つまりどんな選択であっても、自分で選ぶことは魂レベルで間違いではない、自己を肯定するべきだということを、この作品はオカルトにまで持って行って教えてくれたのである。
さあ、観念を捨てよう!
今なら何でも出来そうな気がする。
僕はこの作品をプレイして少しだけ生きやすくなった。
まこちゃんに、そしてお亡くなりになられたという作者に、僕からも「ありがとう」を贈ります。