単にロリでエロそうなゲームだなぁと思って初めてみたんだ…それで驚いた、恐ろしい作品だった…
ロリとイチャラブ3Pするだけの気楽な作品だと思ってプレイ。蓋を開けてみるとなんというか…倒錯的、退廃的、厭世的、人間の汚い面を感じさせる描写が絶妙で開いた口がふさがらなかった。
過去作とか調べずにやっていたので確認してみたら「さようなら、縁交娘さん。」と同じライターさん、パッケージから退廃的なムードが想像できる作品ならそれも納得だが、本作はポップなジャケットからこれだったので驚いた。
可愛くて、エロくて、お話も楽しめる。
特に登場人物の心の闇をうまくエロスに落とし込んでいるのは見事、ロリータシリーズ全般こんな感じなんだろうか、期待大。
以下、ネタバレ感想。
〇「求めているものは必然と役割」
自分がそうするのか、できるのかは棚に上げて言うが、人との付き合い方は一つのロールプレイで、大概は相手に合わせた表情を演出するものだと私は考えている。
例えばエロゲーのヒロインが「生きる意味が分からない」と吐露したとしよう。これに対するよくある回答は「僕が教えてあげる」だろう、主人公が道を示すヒロイズム的な役割がそこにはある。
前向きな成長を描くのならばそうなるのは道理で、無理に斜に構えた態度をとらせることもない。二人が光差す方向へ向かうシナリオ上、そういう風に描かれているということ。
そこまで前向きでないにしても、なにがしらの回答を提示するものだ。
しかし本作の登場人物らはこの演出をしない、もしくはできないように描かれているように感じた。
思い出してほしい、かざりの「生きてて良かったなんて、思ったことない」の発言に対して主人公は何と返しただろうか。何も言っていない。心で飲み込んだ言葉は「ーぼくといっしょにいて、今こうしてる時間も、肯定的に思えないの?」である。
クサイクサイ、しかも利己的で卑屈な言い回しである。そしてそれすらも言い出せない、挙句の果てには家出されフォローもできず失敗したと悔いる。
彼の対人的な言は大概よろしくない。ではその後に探して、見つけて、関係性を修復してめでたしなのか、ノーだ。世間的に見て、まったくめでたくない。
言ってしまえばあそこでかざりを見捨てることができれば、実家に送り返してしまえば、まだ心をすり減らす社会的な奴隷に戻れたのである。社会的に見れば、そちらのほうが真っ当だろう。あの一幕をもって主人公は完全に真っ当な道を踏み外した、作中の言葉を借りるのなら「壊れた」のである。
さて、社会的な役割を一部放棄した彼らの傷の舐め合いというか相互扶助であるが、3人であることに大きな意味と利点がある。
「人はいつでも大事に扱われたいわけじゃない」
「いつも向き合ってほしい分けじゃない」
片方の欲求を満たせない、普通の人間なら我慢するところでも、かざりがダメならみはとがそれを受け止めてくれる。一対一でお互いの気持ちを満たせるならそれに越したことは無いのだけれども、それは普通の人にも難しく、彼らには特に厳しい。傷は舐め合わなければひび割れてしまうし、世界もひび割れる。そこに現実は侵食するからだ。
壊れても、壊れたまま生き続けなければいけないのなら、3人であることが「必然」なのである。
「愛し始めたものは愛し続けなければならない」のである。
また「道具と役割」に注目すると、アンティークショップでのやり取りも面白い。
「ここにあるものって、みんな、ただ大事にされただけって感じがする」
自分のためにただただそのモノを大事にして、行く末がアンティークショップの商品なら、朽ちて使い物にならなくなるまで使われたほうが本来の「役割」に合致しているように思える。
初体験に怯えるみはとに「かざりがこういう態度をとったら酷に感じたと思う」と独白するシーンがあった。結論、みはとに対するセックスは幾分手荒に行われるのだが、これは何も優劣ではない、言ってしまえば「使い方」が違うのである。
〇おわりに
彼らなりの歪なコミュニティは価値あるものだが、社会的に見れば異端であり、ひとたび明るみになれば糾弾されるはずだ。隠しおおせたとしても、社会は彼らに「正しい」役割を無意識に浸透させてくる。
だから「毎日キスして」なのだ。毎日のキスが、強大で残酷な現実に立ち向かうための神聖な儀式なのだろうと、私は思う。