オウムの事件は“物語”という天災がひき起こした変事であったが、本作もそれに近く、非人道的な物語がイデオロギーとして人々に根づいてしまうさまが描かれる。
一意的な価値が成立しない場において、あらゆる価値が相対化されてしまうさまを緻密に描いた、いわゆる状況小説(a novel conditional)である。絶対的な価値が存在しえない世の中において、世の慣習や常識に潜む偽善を次々とあばきだし、並行線をたどる議論を延々と煎じつめる。また柚香の抱える心の病は、現在と主体的に不断の関わりをもてないがために、他者ないし他者と関わる自分自身をいきいきと感じることができないという、関係の病に根差したものであった。すばらしい作品である一方、もう二度と読みたくないし、誰にもすすめたいとは思わない(笑)。しかし本作が稀代の傑作である事実は少しもゆるがない。