砂を噛むような焦燥感、絆の美しさと脆さ、不信と信頼、家族の闇と光、人の強さと弱さ..人として生きていく上での重要な示唆と、様々なリアルが刻み付けられた、暖かい人間ドラマの傑作。
これが傑作でなくて、何が傑作なのか。
明らかに典型的なエロゲーという枠の中の企画ではない。
エロは「るみ」のみ。
無駄なシーンは必要ないから、無理な展開は必要ない、という真っ当な結論。
妥協がないと、こうまでスッキリするのかと感心。
有葉×るーすぼーいの作品は何作かプレイしているが、
ここまで完成度が高い作品は無い。決定版と言っていいだろう。
有葉氏の画力にまず驚愕。
長門を筆頭に、素晴らしく描かれた人間の表情に感動した。
そして、るーすぼーいのテキスト、シナリオ。
「車輪」では荒唐無稽だった設定と展開は、鋭利な刃物のように緻密なシナリオ構成へと変化し、
「A Profile」で描かれていた人懐っこい人間関係は、さらにリアルな人間像に変貌を遂げた。
登場人物たちは、変人やぶっこーすぞとかのエロゲーキャラではなく、
地に足のついた人間として、しっかりと性格付けされている。
正直ここまで凄かったっけ、と驚嘆しました。
特に、独特の泥臭さのある、徹底した人間像の描写には引き付けられた。
完璧な人間など居ない、でも、リアルさを損なわない程度に、読後感には配慮が成されている。
メッセージは色々込められていると思うが、
やはり「家族の重さ」という点は外せないと思う。
両親の本当の姿、永治への複雑な想い、るみの家族へ向けていた感情の本当の正体、
どれも読み応えがあった。
家族が大切、という単純さは無く、自分をとりまく人間関係の基盤となり
他者や世界に投影する世界観となっているからこそ、「向き合わざるを得ないもの」なのだ、
という観点だと感じた。
このライターの書く物語には聖女のようなヒロインが登場することが多いが、
今作のるみについては、いじめられていた過去と、あの家族を与えることで、
だからこういう人間なんだ、という地に足のついたリアルさを出すことに成功している。
また、その過去に沙代を絡ませ、彼女の人間性を描写させた点が、構成の位置的にも巧い。
長門の台詞にはさすがに考えさせられることが多かった。
自称・仙人であり、孤独を過信した憎しみの権化。
「白黒のタクシー」は良い意味で苦笑。
この作品を引き締めている、大した役者だと思う。
また、人間関係の変化・成長というテーマについては暖かい眼差しが注がれていた。
根暗でメンヘラな元彼女、という印象だった結花が
勇気を出して心を開いて歩み寄り、あそこまで活躍する人物に変貌するとは。
工藤ちゃんはどれほど辛くても、素直に人に協力を求めることが出来ず
誰にも支えられたことがない。退職に追い込まれるほどに空回りしていた優しさ。
それが兄の死の真実を探り当てた蓮司に支えられることで、救われる。
『会』については、登場人物の、
蓮司に対する深層心理のペルソナが表面化することが興味深かった。
徹は蓮司を兄貴と呼び、工藤ちゃんは自称お姉ちゃん。
現実では一番優しいるみが、『会』では一番積極的に蓮司を守る。
『会は他人や自分に対して変われと思ったり、自分を蔑んだり
将来に不安を覚えたりすることで幕を開ける』
るみの家族へ向けていた感情に気付き、関係を変えるために行動したこと
永治と再会し、謝罪し、蓮司自身と永治自身を認めたこと
これらが瀕死のるみを救い、絶望の淵に立たされた蓮司を救ったことが興味深い。
つまり、他人の願望を叶えることが、結果的に自分の願望を叶えることにつながる
ということを示している。
『会』に身を委ねて利用され、友人と断絶してしまうのか
自ら行動して他者の願望を叶えることで、関係性を良い形に変えるのか
こう考えていくと、『会』の正体が見えてくる。
言葉にすれば恨み、憎悪、自暴自棄、自己破壊といったところだろうか。
当初、敵が永治の姿をしていたのは憎悪の対象だったからだろう。
仲間と共に乗り越えれば、セーフ。
逆に仲間が死に、離別することでも晴れる。
仲間に自己嫌悪を押し付け、王はすっきりするわけだ。
だから、現実に戻った時に断絶と共に恨まれる。
王が死ぬと憎悪に呑まれ、現実においてネガティヴな人間になってしまう。
ひとつ面白かったのは、『会』を利用して看板を制作するところ。
自分の中のネガティヴな物を創作に利用する、というのはアーティストに共通する業だ。
それを閃く蓮司は、アーティストとしてやって行けるのではないかと思った。
自分のことばかりを考え、何もしない言い訳として自分を憐れんではいけない
優しさを与え過ぎて疲れたなら、仲間にその辛さを告白して頼れ、と
今を大切にし、人を救うために自分本位になれ、と
この作品にはそう言われている気がしてならない。