AIRを超える作品に未だかつて出会ったことがありません
初めてAIRをクリアしたときの感触は未だに覚えてます。
絶望感、達成感、虚無感に襲われ、枯れるほど涙を流してしまいました。
私がkeyファンになったきっかけの作品。
これほど私に衝撃を与えた作品は他にありません。
この物語の結末を「BADENDである」と捉える方も多いようです。
往人は人の姿・記憶を捨て、転生しました。
観鈴は翼人の呪を解いたものの命を絶ちました。
確かに「BADENDである」と言ってもおかしくは無い。むしろ自然なのかもしれない。
ですが、私はそうは思いません。いえ、正確には"そう思いたくない"のです。
観鈴という少女は翼人の呪という忌々しいものを背負い、生きてきました
果たしてその辛さ・重みが理解できるでしょうか
人と触れ合おうとすれば、発症してしまう癇癪
これがどれだけ観鈴の人生を蝕んでいたのか、考えるだけでもおぞましい…。
それでも、観鈴は逃げ出さずに人生を歩んできました。
彼と出会うまで、たった独りで・・・。
往人もまた、特殊な環境で人生を送ってきました
幼少の頃から母親と共に旅をしながらの生活。
ですが、ある事をキッカケに母は居なくなってしまいます。
これは必然であり必要な事。柳也と裏葉からの代から伝わる一族の意思。
こうして記憶と共に母は目の前から消え、彼はまた人生を歩み始めます。
彼女と出会うまで、たった独りで・・・。
二人は「他人との関わり」というものに疎かった為か
出会った当初は全然噛み合いませんでした
それでも自然と二人の距離は縮まっていきます
互いに孤独でありながら、温もりを求め合ったのでしょう。
ある意味、似たような境遇に立っていたわけですから…。
こうして、その後往人は自らを犠牲にし観鈴に力を分け与えました。
「二人が出会うキッカケ」を作ったのが観鈴であるなら
「終わらせるキッカケ」を作ったのは往人であると言えます
どちらにも選択肢は用意されていましたが
逃げる選択肢を選ばなかった二人の強さ。そしてその結末。
その結末を「BADEND」の一言で片付けていいのでしょうか…?
神奈という少女を救うために
1000年という長い長い歳月を掛け、受け継がれてきた願い・想い。
それを叶えた二人に対しその言葉はあまりに軽率で残酷では無いでしょうか
以上、私が"そう思いたくない"理由です。
AIRには他にも高く評価している点があります
それは「家族愛」です。これを題材としたkeyのCLANNADもまた素晴らしい作品なのですが
私はAIRのほうが「家族愛」がより深く描かれているのではないかと考えています
母から子への想いが往人、観鈴、佳乃、美凪・みちる、神奈
全員に描かれてるのはお気付きになられたでしょうか?
特に往人の母が往人に対し「全てを忘れて、違う道を歩んでも良い」という台詞は
柳也が裏葉に対して言った台詞と同じであり、これもまた1000年間
人形と共に子へと受け継がれてきたんですよね。
そんな重大な責務を放り投げても、可愛い我が子を第一に思う母の優しさ
子を愛さない母なんていないんです…