後世のエロゲー批評家たちをして、“冬茜トム氏の出世への足掛かり”として見解が統一されるであろう“選外”佳作。和の題材を絡み合わせ、希少な和風デスゲームとして仕立て上げたセンスと手際の良さは、今となっては認めざるを得ない。後発の二作品よりも荒削りで、細部はそこそこに勢いに任せて書き上げている印象がある分、才気煥発な作家として、その青年期を匂わせる新進気鋭な一作に仕上がっている。
何からの“選外”なのかは推して知るべし。だが、後世の批評家は間違いなく疑問を呈するだろう。
「この年の選者は、一体どこに目がついていたのか」と。
※ 本レビューは『アメイジング・グレイス』、『さくらの雲*スカアレットの恋』について触れています(ネタバレ無し)
さて、千年の都でデスゲームとは何とも野暮ったいストーリーだが、洛中という京都でも限られた地域には、
われわれ日本人が抱いてきたある種の憧憬と不思議な魅力を漂わせている。化野・鳥辺野・蓮台野といった
古代風葬の地と呼ばれし土地、西院之河原(高山寺)といった地名から、死や厭世的なイメージを連想するのは、
そう難しいことではない。
そんな場所で繰り広げられる“バトルロイヤル風ボードゲーム”(正しくは双六+人狼風双六+オセロ風双六)を
描いた本作だが……。双六では、永沈マスに止まったが最後、一瞬にして無間地獄行き。
人狼でも一筋縄ではいかない登場人物が策をぶつけ合い、プレイヤーが息をつく暇もなし。
平和そうなオセロも多人数の陣取りゲーム仕様なので、そのゲームでも似たような出し抜き合いが続く。
余程の超展開がなければ、面白くなる要素は事前に存分に詰め込まれていた。しかも“ループもの”である。
そして、実際に面白い作品に仕上がっているから素晴らしい。
私のようなロートルなレビュアーならではの感覚かもしれないが、本作に近い作品をプレイしたことがある。
『キラークイーン』(FLAT作。2006年発売の同人ゲーム)である。もちろん作中の“ゲーム”がファンタジーかリアルか、
異能があるかないかなど、大小さまざまな違いはある。シチュエーションとしても似つかないことは承知の上で、
更にずいぶん昔のゲームであることも差し引いても、直感的にそう感じたのだ。
この感覚を言語化するのは難しいが、おそらく登場人物の事情をあまり深く掘り下げず、まずは駒としての存在感を
際立たせていることが本作の成功要因となっているように思われる。「この男は一体何なんだ……」、
「彼女はなんでこんな行動を起こしたんだ!?」などと、物語が進むうちにキャラクターに、
そしてキャラクターから物語に興味を抱かされていたことに気づいたのだ。詳細な立場が分かるのは後半で良い。
そして、死線を越えたヒロインと結ばれる展開……そこに至る期待感が、過去の名作をプレイしていた時の感覚へと
誘ってくれたのだろう。
この手の内容で失敗する作品は、文章力が低いか、著しい回収不足か、もしくは時の氏神に起因する解決方法に
頼る傾向にあるが、それらの轍を踏まなかったのも大きい。場所、題材、季節、物語がうまい具合に組み合わさっている。
ただし、欠点もいくつかある。
まず、賽子を振る場面は心躍るような演出ではないし、コンフィグ画面にも利便性の悪さを感じた。
また、面白いストーリーではあるものの、全ての伏線や登場人物の魅力的な背景までは描写できておらず、
後日談も分量が足りていない。決して満点ではないのだ……。それでも、この作品を秀作以上へと引き上げる魅力は
至るところに秘められている。
その一つは、後続の作品よりもシナリオ全体に勢いと若さがある点だ。
後続の『アメイジング・グレイス』、『さくらの雲*スカアレットの恋』よりも、作品が良い意味で若いのである。
アメグレは大量の伏線を盤面にばら撒き、計算され尽くしたタイミングで一気にひっくり返した。
さくレットは随所に伏線を含ませながら年号・事件・言動を丁寧に回収し、盤面を少しずつ完成させていった。
ところが、この作品は文字通り盤面を取り替えながら物語が進み、最後に伏線を一気に、半ば強引に掻っ攫った。
伏線回収の傾向としては、本作はアメグレ寄りではあるが、盤面そのものが適当なところで変わるため、
伏線張りまくりでキャラクター性を後回しにした“アメグレ”よりも、道中は退屈せずに済む。
ただし、その分ラストの衝撃力が弱い(本作は駒の悪役が強敵すぎて、ラスボスが中ボス程度に見えてしまうが……)。
また、“さくレット”ほど歴史的背景や雑学を説明しない分、物語本体に集中できるというメリットはあるものの、
キャラクターが駒役とヒロイン役の両立というジレンマに陥っている節もある。
「駒」という単語が物語全体に波及している以上、仕方のないことではあるが、
“さくレット”よりも登場人物に人間味を感じにくいのが難点ではある。
このように、どちらかというと応用力があり硬軟自在な後続作に対し、本作はメインストーリーの解決に
より軸足を置いているように思える。「必死」という表現は適切ではないかもしれないが、“あがり”を目指す双六と
物語の“おわり”を目指す性質とが重なって、勢いのある“直線的な作品”へと仕上がっているように見える。
と同時に、本筋とかかわりのない場面の描写で“遊び”が少ないため、余裕の無さと思しき“場違いな空気”が
要所で顔を覗かせ、作家としての“若さ”を感じさせてしまう。
作品によって一長一短はあるし、緻密な計算と回収の元に成り立っているのは言うまでもないが、
本作に関しては、書き手としていい意味での“若さと勢い”を認識せずにはいられない。
そしてシナリオ以上に、読ませるテキスト・センテンスが効果的だったと付記したい。
これに関しては敢えて、「やればわかる」と言っておこう。
さて、今後も冬茜トム氏の作品は発表されるだろうし、その時々で新たな知見が広まるかもしれないが、
氏のセンスが明るみになった嚆矢としての役割は、現段階でも存分に果たせていると思う。
ADVで双六と人狼とオセロを同一のゲームに収め、なおかつこれをエロゲーでやってのける手腕は
点数以上のセンスを感じたし、他のライターにはない才能の一端を垣間見ることができた。
こう言ってはなんだが、“京都と秋とファンタジーと遊戯”という漠然とした題材だけで角砂糖が制作したなら、
“どノーマルな萌えゲー”で終わっていた。
なればこそ、惜しむらくは現在の評価とはうらはらに、初動の伸びがあまり良くない印象があったことだろうか。
もっとも、当時は小売店の現場でも、
「あれ……角砂糖さんが何か新ブランドで作品出すらしいよ」
「え、そうなんか……お、ななろば先生だから絵はいいね。みんな買うかな?」
「いやー、流石にノラとと(2)待ちっしょー?」
「「ですよねー」」
……それくらいの会話が交わされるのみだった。恥ずかしながら、ライターの“ラ”の字も出ていなかった。
正直、角砂糖系列から“読める”作品が出てくるなど、私も想像していなかったのだ……。
だが、時が経ち普及版が出たことを考えれば、確かにこの作品はもっと普及してもいい内容ではある。
本当に今更ではあるが、レビューを書きながら心からそう思った。
エロゲーなのでエロ方面も少し語っておくと、ライターさんの意表を衝くエロさ加減は、希少なプラス要素だと思う。
琥珀のそれは特に新鮮だった。最近になって、“メスガキ”や“ワカラセ”がASMR音声を中心に台頭してきた感があるが、
残念なことにエロゲーではまだまだ開拓者が少ない。メスガキにヤラれても、最終的にヤリかえす“選択肢”があったり、
主人公側がドМなままに終わる“選択肢”があったり、描きようによってはこの嗜好性だけで喜ぶユーザーもいるはずだ。
だから、おとなしい琥珀が豹変した時に新風を感じた。今はまだ頬を撫でる程度だが、この文章力の持ち主である。
このままシナリオともども洗練されてくれば、この御仁にしか吹かせられないシチュエーションが
出来上がるのではないかという淡い期待を抱いている。是非エロ方面も極めてほしい。
最後に。作家が菅家の一首をはなむけとして贈ったように、私も生と死の狭間を越えて
振り出しに戻り続けた主人公たちに一種贈って手向けとしたい。
生き死にの 境はなれて住む身にも さらぬ別れの あるぞかなしき(貞心尼)
【雑記】
「彩ころ&京都」から、往年のシューティングメーカーを連想しました。