ロケット製作を軸に青春時代を活写し、冷めた心に熱い何かを呼び起こさせてくれる、「心的滋養力」の強いオッサン向けの力作。インテリな単語が所狭しと飛び交う中、つとめて衒学的な説明を避けたのが吉と出た。ヒロインをナビゲート役に配し、一般人の知識レベルまで落とし込む狙いも正解。青春ものお約束の挫折と、それに抗う真っ直ぐな情熱と、そして学ぶことの楽しさを詰め込んだ青春科学ADVだ。
これは、紛れもなく、いい年こいたオッサンをターゲットにした物語だ。なぜなら、青春時代の有意性を誰よりも痛感しているのは、大人をおいて他にいないからだ。青春真っ只中にある若人でも、年端も行かぬ赤子でもない。その時代を生き抜いて久しい人間が、その時代の苦楽も貴重さも知り抜いている。ゆえに、彼らは「あの頃はよかった」と嘯き、殊更に青春を賛美する。ティーンエイジャーに対する羨望は、そこを過ぎ去ったものにしか味わえないある種の特権であるようだ。
それならば、なおさら大人が作品に食いつくように仕向けねばならぬ。失敗から成功へ。挫折から栄光へ。そして、廃部の危機から大会優勝へ。ストーリーの展開からは様式美さえ感じ取れる。この作品はロケットを青春時代の象徴として描き、結果的に当の「大人」から一定の評価を勝ち得たように見える。
「もっと勉強しておけばよかった」
話は変わるが、こんな後悔は、時間に余裕があった学生時代を思い返し、ほぼ全ての大人が実感する言葉だ。だが、その大多数が「なぜ勉強した方がいいのか」という問いに対し、具体的な説明ができずにいる。将来役に立つからとか、いい大学やいい会社に入れるからとか、そういった抽象的な表現に終始する。過ぎ去りし青春の日々に対する憧れも、いまとなっては疎遠になった勉強に対する後悔も、大人から見た一方的な郷愁に過ぎない。だからこそ、馬鹿騒ぎする日常や勉強している姿、はたまた部活動に真剣に取り組む様子を見せられてしまうと、大人は思わずその輪の中に入りたくなってしまう。それが叶わない夢と分かっていても、青春が何にも変えがたいことを経験から知っていれば、実に羨ましい光景に映るのだ。それゆえ、この作品をプレイすると大小さまざまな後悔と羨望が胸中に渦巻く。「もっと勉強をしておけばよかった」と自分に嘆息したり、わが子に「もっと勉強しなさい」と叱ったりするのは、昔の自分といまの自分を照らし合わせて、何かしら思うところがあるからだろう。
そろそろ自分も耳が痛くなってきた。作品に戻ろう。
たしかに巷で言われているように、作中からは妙なアマチュア感が漂う。有佐の声しかり、グラフィックしかり、場面転換しかり、残念ながらどれも「洗練」とは縁遠い。ストーリーの展開にも欠陥がある。この際、メインヒロインが奇人変人揃いなのは置いとくとしても、壁を打ち破る際の機転の利かせ方は看過できないほどに恣意的だ。濡れ場や下ネタがロケット製作のヒントになるシーンの数々は、通例ならば噴飯ものであろう。だが、振り返る者からすれば、「青春はいいものだぞ」と主張することは簡単なようで難しい。勉強の話と同様に、抽象的にはその良さを語れても具体的にとなると、一気にハードルが上がるからだ。理想的な談話は夢をかなえた体現者だけが語ることができるもの。知っての通りそんな人はごくごく僅かだ。けれどこの作品をして、「こんな青春っていいよね」と軽く同調を求められた場合、プレイした多くの人が「なんとなくいいよね」と思うのではないか。
要するに、この作品は、「理想的な青春を投影した映写機のひとつ」なのだ。青春を描く上で、いくらグラフィックが粗かろうが、展開があざとかろうが、そんなことは青春を描くという一点において些細な問題に過ぎない。軸がぶれる方が問題なのである。そして、この作品はそれが最後までぶれない。ロケットを「勉強」することで、青春時代のかけがえなさ、楽しさ、辛さを改めて擬似的に味わった。胸に暖かなものが広がると同時に、冷めた心を奮い立たせてくれたし、ちくりと心の奥を刺してもきた。それでも、あえてこう言おう……「いいものはいい」。
ところで、この作品について、私が「よくできている」と心服させられたことが二つある。
▼ロケットまわりの「知識」について▼
一見するとその「量と質」に目を向けがちだが、私はストーリーに即した「教え方」に感服した。知識をひけらかすだけではなく、主人公のバカ (ヒロインから言わせれば我々のこと) でも理解できるよう、ちゃんと図解つきで懇切丁寧にナビゲートしてくれた。かなり前に「生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ?」と、とある芸人が言ったとか言ってないとかいう話があった。まあ、今はそんなことは重要ではないが、専門知識がまったくない人に「ロケットはこうやって飛ぶんだ」ということを面白く説明するのがどれだけ難しいことか。
たとえば科学技術館の展示に、一般人が理解できない数字や仕組みをそのまま展示している場所などどこにもない。『サイエンスZERO』や『ふしぎでいっぱい』といった科学番組にしても、視聴者の好奇心を養うものである。あれやこれやと難解な数式を並べることはしない。視聴者が離れてしまうからだ。本当は大層な名前のある薬品も、分かりやすく言い換えるか「特殊な薬品」として片付けてしまうことがある。だからこそ、視聴者も興味を失わずに番組を楽しめるのだ。
また、一般に「いい先生」とは知識をたくさん持っている人ではない。必ずと言っていいほど教え方が上手い人のことを指す。そんな人の講演や授業は聞いていて心地よい。それとよく似た感覚で導入から興味を持てたし、「次はどんな話になるのか」と中盤以降も中だるみせずに読破できた。誰がこの「仕組み」を考えたのかはクレジットでは詳らかにされないが、ライターをはじめ、技術考証やメカニカルアートには賛を送りたい。はじめて勉学の扉を叩いた時の感触にも似た、初歩ゆえの楽しみがそこにはある。エロゲーでこれをやるとは恐れ入る。
▼「Lift off !!」の存在について▼
大団円とはお約束ではある。だがしかし、青春を隅から隅まで描ききるには、過去にしがみつく大人たちを廃し、彼ら自身の手で途方もない挫折を乗り越える必要があった。ボートの件やそれに起因する有佐の一件、フォーセクションズ完全制覇の既定路線などは多少の手際の悪さが伺える。ただし、内容自体は作品として決して欠けてはならないパーツであったように思う。マックスファイブやフォーセクションズのような、あらかじめ大人が用意した土俵で戦うのとはわけが違う。青春は常に若人の檜舞台であって、本来ならば大人の出る幕などないのだ。彼らのような奔放な学生たちは、大人の鎖を引きちぎった勢いと若々しさに満ち満ちている。青春に恋焦がれるオッサンは、突飛な行動に出た彼らをも応援したくなり、願わくばその一員になりたいとさえ心の底で願ってしまう。その思いを十把ひとからげにして「感動」と言うには、いささか表現が安易すぎる気もする。だが、若者のまっすぐな行動に同調できるよう、つまりはそういう風に心を衝き動かされるところに、この作品の最終的な狙いが垣間見える。
青春へと至る扉を開くと、そこには情熱的なロケット制作活動が待っていた。知識を磨きつつ物語に浸るもよし。青春の炎をロケットの炎に掛け合わせて郷愁に浸るもよし。これは徹頭徹尾、オッサン仕様の物語だと言わざるを得ない。でも、もし若いうちにプレイできた人がいれば、それはひょっとしたら幸運なのかもしれない。何年かの後にこの作品をプレイすれば、また違ったものが見えてくるはず。それはそれで貴重な体験だと思う。振り返らなくてもいいように勉学に勤しむか、振り返って後悔するかは、無論その人次第ではあるが。
「青春時代が 夢なんて あとからほのぼの 想うもの」
「青春時代の 真ん中は 胸に刺さす ことばかり」
「青春時代の 真ん中は 道に迷って いるばかり」
(森田公一とトップギャラン『青春時代』)
昔の歌手はこう歌った。大なり小なりぶつかり合って、枝分かれした道を迷いながら、そして大人になったあと、笑い種としてこの時代を振り返る。
情熱を燃やしていたあの頃、挫折を味わったあの頃。
今では考えられないような失敗をしてしまったあの頃。
大人になったプレイヤーにとっては、ごくごく当たり前の経験かもしれない。しかしながら、作品に描かれた風景は問答無用に心を打ってくる。この高ぶりを形容するのは難しいけれど、否応にも心を掻き乱してくる。その心地よい感触を、何かに夢中になれる貴重な体験を、そしてあくなき青春の素晴らしさを、この作品から味わってほしい。
最後に。私は何かを始めるのに「遅い」はないと思う。
【雑談】
ポスト『この大空に翼をひろげて』の一番手ではないでしょうか。
“ころげて”にしても、この作品にしても、「青春」が大きなテーマになっています。
作品の出来や魅せ方はともかくとして、根っこの方は同じです。手法に好き嫌いはあると思います。
ただ、こうして両作品が評価される背景を考えますと、非常に穿った見方ではありますが、一因として、ユーザーの高年齢化も一翼を担っていると考えています。
こういう作品が出てきて評価されるということは、「若いユーザーさんは相対的に減っているんだろうな」と半ば感じずにはいられません。
それはそうと、やっぱりロケットいいですね。ロマンがあります。