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まつさんの放課後の不適格者の長文感想

ユーザー
まつ
ゲーム
放課後の不適格者
ブランド
Nostalgic Chord
得点
73
参照数
1683

一言コメント

ゆっ、ゆるすもんかぁっ、こんなっ、こんなせかいっ!!こわしてやるぅっ、何もかも全部ぅっ、ぶち壊してやるぅぅぅぅっ!!

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 放課後の不適格者とは。
 待ち遠しかった放課後が悪夢に塗り替わり、無慈悲な現実に絶望し、慟哭し、「どうして どうして」と無力感に打ちのめされながらも、「ゆるして ゆるして」と罪過に苛まれようとも、その先に待つ明るい未来を信じて足掻き続ける、そんな深い哀しみを背負った男の物語。女の子を殴るのは日本男児の美学に反するけど、突如として幾何学マークが顕現し、あらゆるコントロールを受け付けなくなり、特撮番組の悪役みたいな怪人の姿に変身しちゃうヒロインを、涙を流しながらも拳を振るっていく主人公の姿に涙する物語。人生とは有限だからこそ価値があり、残り少ない“生”を有意義に謳歌する彼らの姿を通して、人が支え合うことの意味、そして掛け替えのない日常の尊さを教えてくれる物語。平凡な毎日とは何も与えられるものでなく自分で掴み取るものだという宇宙的真理を説いている大傑作のはず……。

 しかしながら、駄作との烙印を押されてしまっている本作。

 ゆっ、ゆるすもんかぁっ、こんなっ、こんなせかいっ!!こわしてやるぅっ、何もかも全部ぅっ、ぶち壊してやるぅぅぅぅっ!!

「放課後の不適格者」は最高なんです。


 というわけで、結構楽しませてもらいました。粗を列挙していけばそれこそ枚挙に暇がないのだけど、描きたいテーマ――不条理を否定し、平穏な日常を取り戻す――という骨格だけはしっかりしていたように思えます。いやまぁ、あまりにも肉付きが良くないため、模型の素体みたいですけど、私はそのシンプルさがなかなかどうして気に入ってしまったようです。決して“完成品”とは言えないからこそ、こちらで好き勝手に肉付けしたり彩色したり装飾したりしてゆける。私が本作を手に取ってみたきっかけってTwitter上で(ネタとして)話題になってたからだったりするんですけど、そのネタとしての扱いやすさも、想像や解釈の拡張性が本作に存在していたからなのかもしれません。そんな、何も言わない(メッセージ性が無いとも言う)本作は、プレイヤー側で捻ったり味付けしたりしてゆくことであるいは輝くのかもしれません。
 本編では、友人や愛する人の死を乗り越えていくといったような能動的な変化は一切なく、外部から与えられた不条理に対しての受動的な変質が描かれています。ですが、プレイヤーも彼同様に受動的な態度では不適格なんですな。イツカ君に殺されてください。能動的に楽しもうとする姿勢が望まれます。

 それと、忘れてはならないのがボーカル曲も含めた粒ぞろいのBGM。感傷をくすぐってくるような曲が多いのですけど、どれも掛け値無しに素晴らしいと言えます。なかでも『鵺の森』は、心を揺さぶるような哀愁漂う曲調が私の琴線に触れまして。「これは夢かもしれない 悪い夢なんだ」ひどく後ろ向きなフレーズから始まって、「死にたくなってしまう」と、更に闇は深くなってくる。「どうして どうして」のサビ部分では福山さんの裏声が絶妙にミックスされて、嘆きの色が強まっていく。そして、曲の進行と共にその嘆きは力強さを増していき、ついには怒涛の感情の奔流が重力となって襲い掛かってくるようなイメージ。押しつぶされてしまいそうになります。
 他に印象的だったBGMは、「スノードーム」「秘密の伝言」「ラストダンスはわたしに」「心なき輪廻」「悲痛の刃」「赤い洗礼」「世界を探して」「I'm home」「陽だまりのesquisse」あたりでしょうか。正直に言って、これだけお気に入りの曲が挙がるってそうそうないことです。私が感傷的な曲にめっぽう弱いというのもありますが、ちくちく涙腺に刺さってくるのですよね……。



▼プロローグ ――夕顔日記――

 のっけからしてよく分からないですね。「いつも通りの一日が、どれだけ大切なのか。」という語り部(夕顔)の書き出しから始まり、なんとなく悲劇性の予感だけを与えてきますが、それ以上は読み取れない。ほら、本当にあった怖い話とかを切り出す時のアレに似てます。それに習うように、舞弦姉妹の会話に緊張感は感じられず、何気ない一日から幕が開きます。取り立てて平穏そのもの。かたや、イツカ君の部屋は空き巣にでも入られたような惨状であり、とっ散らかっているを通り越して、荒れに荒れている。こんもり盛り上がっている掛け布団を払いのければ、そこに一人分の死体が姿を現すんじゃないかとか変にビクビクしてしまうくらいには軽く怖い話してます。それゆえ、イツカ君の返事があったことに、ただのしかばねになってなくて妙に安堵してしまう。なんだよ驚かせやがって……と先を進めていくと、朝顔ちゃんが「起きて、イツカ。もう朝よ」極めて幼馴染力の強い台詞を放ってくださいまして、まるで二日酔いの夫に対する世話焼き女房みたいで妙に様になっています。夕顔の語りもまた第三者的な目線という立場で二人の特別性を観察している。というか、夕顔がなんか微笑ましい二人を見守るようで母性的、いや、もっと言うならば草葉の陰から二人を見守る幽霊的な…ってくらい背景と同化してるというか死相が出てる(後々、マークが出てくるんですけど)。自分は身を引いて、姉とイツカ君にくっついてもらおうとする善意が、生者を遺してゆく死者みたいで(それで合ってるんですけど、その時の私には知る由もなく)。
 さておき、朝の登校風景なんかも取り立てて平穏そのもので、冷やかされて照れ隠ししながらも決してイツカ君の手を引くのをやめない朝顔がとてもいじらしい。背筋をピンと張っておいて、肩に力が入り、緊張を感じ取れる部分も素晴らしい。そういう姿勢のため、胸のなだらかさが一層際立つのにも私は幸せになります。そんなふうに、どういう気構えで読んでいけばいいのか兎に角わからんちんなので、いっそ分かりやすいくらい単純に、朝顔ちゃんの健気で一途な様を可愛い♥可愛い♥萌え転がりながら追ってました(それはそれで満足)。可愛い。
 
 教室に入った時のクラスメイトとのやり取り「来たんだね、イツカ」「心配ない。大丈夫だ」も、彼らの間に横たわるただならぬ事態を感じ取れます。けれども、まだよく分からない。そんなふうに和気藹々やってる教室に異分子が2人(桑島と豊島)現れると、ようやくこの仲良し小好しな空気が空恐ろしく思えてくる。ですが、意味ありげな視線を寄越してくる転校生ちゃんもちんぷんかんぷんなれば、“何か”に触れないよう必死に取り繕ってる空気もちんぷんかんぷんです。そんな居心地の悪さを引っ張ったまま、ついにアレが来ます。「夕顔さんっ、マークがっ!額にマークがっ!!」。ところで、マークが浮かび上がるときの音って妙に余韻がありますね。気の抜けた炭酸水みたいな、「やる気あんの?」って感じの締まらない音。それもあってか、この迫真ながらもシュールな光景は、読み手との位相のズレから引き起こされたものでしょう。こちらの感情を作品内にきちんと定位させきれていないから、絶望でも悲哀でもなく、ただただ困惑でしかない。それもそのはず、日記調で語られるから、輪をかけて他人事意識が強いのです。朝顔が「だって夕顔っ、額にマークが、マークがっ!!あんたがっ!!あんたがっ、どうしてぇ!」泣き崩れていても「どうして」ってそんなの私が訊きたい。
 そもそも“マーク”とかいう言い方が滑稽でよろしくない。“マーク”という響きから喚起されるものが、悲劇性とはあまりにも似つかわしくないのです。それよか「痣」だとか「徴」だとか相応しそうなのがありますでしょう。ところがです。そうやってシュールな光景を先立って描いておいてくれるから、この世界に入り込めたという部分も否定出来ないのです。だってこれ、舞台設定からして相当にシュールじゃないですか。誰とも知れずに、異世界から来訪してきた連中に改造を施された挙句、異形へと変質させられて、最期には跡形もなく消滅してしまう。脳みそを回転させればさせるほど混迷を極めてくる、キャトルミューティレーションも目じゃないくらいの怪事件です。具体的な真相が明かされないからこその荒唐無稽さです。だとするならば、その状況をどう楽しむか。こまけぇこたぁいいんだよ!!繰り返しますが能動的に楽しもうとする姿勢が望まれます。それに伴い、その“マーク”って単語は、何かと非現実的な本作とは妙に符号していたために、意図せず姿勢制御のためのよい取っ掛かりになってくれたりしました(無理やり感)。 
 
 夕顔が、死地に赴く一兵卒のように別れを告げて回る姿を見ると、鈍感な私でも嫌でも気付きます。ただ、このくらいの段になると、夕顔の語りが煩わしくなってくるというか、またもやシュールと形容してみたくなります。“日記”という体のはずなのだけど、その時の情景と同時並行で進行がなされているから、事細かな実況シーンみたいになってしまって美しくない。
 しかしながら、死に瀕している夕顔を見るに、序盤をこうして日記、それもボイス付きで彼女の口から読ませる形式を取ったのは、全てあのシーンの喪失感を増幅させるためだったのではと、はっとさせられます。確かに、イツカ君たちとは違って、プレイヤーと夕顔が過ごした時間というのは極めて短く、リアル時間に換算すれば2時間にも満たないものと思われます。そこで、彼女の存在感をきちんとプレイヤーへと落としこんでおく手段として日記が挙げられました。彼らの過ごした時間、そして彼女が見ていた世界をプレイヤーに体感してもらう。日記本編がフルボイスなのも、彼女の声音にプレイヤーを馴染ませておくものとして適当でした。そうした下準備(っていうと野暮ですが)がなされていたがゆえ、その想い出ごと粉砕していくイツカ君の一発一発には胸の痛む思いでしたし、ヒーローを信奉する無邪気な幼子の「イツカ君は強い、イツカ君は正しい」とうわ言を繰り返す彼女の姿もまた切実なものとして印象付けられるのです。無心にクリックを続けていく私は、知らず知らずのうちに、鵺の森へと迷い込んでしまってたようで。重力とも磁力ともつかぬ掴みは、彼の慟哭だけを胸に残響させてゆきました。



▼シュールレアバトル

 そもそもの話、結局変身が解かれれば人間の姿へ戻ってしまうのなら、バトル展開に雪崩れ込む前に一息に送り出してあげたほうが互いに要らぬ痛みを被らなくて済むし幸せなのでは…とか思っちゃうのですけど、彼なりに自分に課したルールというか儀式的なケジメなようです。戦闘を通した対話がおそらく彼にとって覚悟を決めることへと繋がっていく。誰も罰してくれないのであれば、戦闘を通した痛みがきっと罪悪感を和らげていた。独善的かもしれないけれど。ヒーローの変身中に颯爽と攻撃を仕掛けてくる掟破りの悪役がいないように、その方が盛り上がるから(結局、多くのユーザーさんに飽きられてるみたいだけど)とか決して言っちゃ駄目です。

 そして、もうひとつ特色として、例えば朝顔との戦闘シーン。

朝顔「イツカっ、さっきと同じ流れよ!半分で攻撃、半分でカウンター狙い!でも今回は攻めていくつもりみたいっ!」
朝顔「右、左、もう一回左っ!キックはハッタリっ!!本命は体当たりっ!!」
朝顔「イツカぁっ!!くうぅぅぅっ!!右手で放電攻撃っ、次は接近戦よっ!!」

 実況者としてやけにこなれています。身体が乗っ取られているがために、かえって冷静に状況分析できるのかもしれませんが、その動作予告が驚くほど具体的なのがシュールな笑いを生んでしまってるようです(今に始まったことではないけれど)。ですが、それがいわゆる“テンプレ”として浸透していくと、特撮にしても決まった型があるように、ある種の様式美として楽しめるようになりまs……なる、かも? 繰り返しますが、能動的に楽しもうとする姿勢が望まれます。基本ワンパターンで何やってるのかイマイチよく伝わってこない戦闘シーンなれども、健速節で送る言葉のリズムは癖になる味わいがありました。
 戦闘を終えると、彼らは一様に死にゆくことを覚悟した末期患者のように安らかな表情を浮かべるのだけど、そこから感じるのは、イツカ君だけでなく去り逝く彼らにとっても戦闘の意義があったということ。人としての矜持を最期まで忘れなかった気高さがそこに見出だせます。ついでに、変身が解けた後の女の子は漏れ無く全裸になっちゃうので、そんなあられもない姿にチンコおっ勃てちゃう私もなんかシュールでした。極限状態でセックスしたくなる気持ち、1ミリくらい分かった気になれました。

 ラストバトルも、悲劇が喜劇に反転するというか、なんというか、なんというかなのですよね。『時間を超え、因果を覆す、万物の敵対者!あらゆるもののコントロールを受け付けない、真の不適格者だ!』とか堂々と言い切られてしまうと、「お、おぅ…」何言ってんのかわかんなくても有無を言わせぬ説得力がある。健速節に身を委ねていればそのまま絶頂まで導いてくれそうな筆のノッたテキストは、「考えるんじゃない、感じるんだ」とでも言いたげです。しかしながら、仰々しく啖呵を切ったのも束の間、即座に窮地へ陥っていく黒幕は、本作を象徴するような張子の虎でございました。

 

▼命短し 恋せよ乙女

 本作ではサブキャラカップルが目立ちました。まず大きく目を引くのが康介と理香の既成カップル。この二人、だいたい登場してくるときにはいつも一緒にいるのが印象的で、片時も離れないラブラブっぷりがある意味では目に毒です。わけても、目の前で食事風景の定番「あーん」をおっ始めた時には、見てて非常にモヤモヤするほど幸せそう。というか、月野きいろボイスの演じ分けが素晴らしい。恋人への接し方とクラスメイトへのそれに、きちんとした温度差があって、「康ちゃん」って呼び方一つとっても、そっと絡むようなトーンの甘さを耳に残してゆく。めちゃめちゃ甘えきってるんだけど、その何割かくらいは不安の裏返しみたいなとこがとても上手く感じる。二人が並ぶと、理香の立ち絵ポーズのせいで腕組みしてるように見えるのが、狙ってるのかいないのか何ともほっこりするところです。当初は啀み合っていた桑島と豊島にしても、境遇が似通っていたのもあるのでしょう。吊り橋効果的に仲睦まじくなっていたのが印象的です。
 日常生活の中ではみんなそのことを頭の隅に追いやってるけど、本来の死ぬために生きるってことを思い出させてくれます。

 総じてクラスメイトが皆きちんと秩序を保っているのには高潔な精神性が伺えます。もっと自暴自棄になってしまってもいいはずのに、そうならないのは、一重に愛する人の存在が踏み留まらせていたのか。高潔すぎて胡散臭げに見えるのは、健速氏の作品ということで相変わらずです。私情を挟むと、『こなたよりかなたまで』『そして明日の世界より――』などの過去作では、解脱した仙人みたいな語り口が蕁麻疹など出てしまうレベルで肌に合わなかった人間なのですが、本作では主義主張を極端に押し付けてこないから、世界線を超えてこっちへ語りかけてくる氏の顔を幻視することもありませんでした。彼らの中だけで完結していて、そういう話だけで終わる。イツカ君はただ子供のように目の前の現実を否定するだけ。たぶん、イツカ君の存在により、それらが中和されているのが良かったのかもしれません。
 本作では、何がしらを訴えかけることはしないのです。仮に健速氏が、友人の大切さとか日々の尊さとかドヤ顔で書いていたとして、平穏な日常なんて砂上の楼閣なんだぜとかほくそ笑んでいたとして、そういうメッセージはこちらには届ききらなかった。文芸性を犠牲に単なる娯楽作品として楽しめてしまったのは、なんとも皮肉なものですが。

 もっとも、エピソードを強引にテキストのみで説明しきろうとするきらいがあるし、輪をかけて先へと急ぎ足な早漏気味のシナリオのため、あまり彼らに入れ込む余地が残されていないのは残念なところで。ヒロインと過ごす絶対的な時間の短さはこれはもうどうしようもない。であればこそ、たとい刹那的な関係であろうとも、読み手の体感時間くらいは引き伸ばして欲しかった。余命の短さをいいことに、彼らの最期の時間が割りを食ってしまっている。いちゃらぶやる暇もない。いや、台詞や言動の断片から好き勝手に物語を脳内で組み上げていっちゃう私にはこれくらい窮屈でない方がよろしかったのかもしれない……?



▼朝顔について

 彼女は、イツカ君に無くてはならない栄養素のように精神的支柱を担っていました。

イツカ「俺にはもう……以前のままの自分である自信がないよ」
朝顔 「馬鹿ね。イツカはイツカだから苦しむのよ。自分じゃないって思いたいのもそう」
イツカ「朝顔……」
朝顔 「だからあんたはイツカなの。悩んでいるうちは、間違いなくあたしの幼馴染みよ」

 夕顔の命日、あの朝のやり取りと変わらぬ、厳しくもあり、それゆえ優しく包み込んでしまえる女の子が朝顔です。もう誰も殺したくないと自室に閉じこもるイツカ君を叱咤するのも彼女の役目。悲劇的な状況下であるからこそ、献身的な側面や包容力などが光ってくる。かつての関係とすれば、イツカ君が彼女の世話を焼くような構図として回想されていますが、その時とはまさに逆転的。何もかも放り捨てて逃げ込みたくなる居心地の良さって、やっぱり幼馴染特有のものだと思います。あっけらかんとした顔で肯定してくれます。そしてまた彼女もイツカ君が側にいてくれることで自分を保っていられる。3人が2人になったことで、余計に二人の空間がクローズアップされてくる。彼女の笑った顔とか困った顔とか照れた顔とか見てるだけで、ハイライト消されてどんよりした目にも再び光が宿って来るような気がします。
 
 妹が妹なら姉も姉で、やっぱり彼女は夕顔を気にかけてしまうから、イイコイイコしてやりたい。朝顔と夕顔のどちらも選べずに停滞を続けてきたイツカ君にしたって、夕顔の死から幼馴染の関係を進展させていく。朝顔はしきりに引け目を感じていたけれど、それが、99%の絶望の中で1%くらいは福音になっていたと信じたいです。彼女は吹っ切れると、元来のお転婆気性が少し顔を覗かせてきて、からかってむくれ面になったのを宥めるために「今度、どこかへ遊びに行こうか」と提案してみれば、「そんな言葉では騙されませんからね」と一度はチョロくない女をアピールしておきながら最終的には「……行く」と首を縦に振ってくれる。この間合いがよく取れているのがやっぱり朝顔なのです。決して後を引きません。悄然とした朝顔は似合わないです。
 あの通学路の会話を引いて、秋の変化を実感してみれば、日々変わり続ける日常は行く河の流れのごとく流動的であるからこそ、およそ不変的なものって自分の中にしかないよねって言ってるふうにも見えます。



▼イツカ君の一回性

 本作においてイツカ君の人生は一回きりです。メタレベルでみたときに、あるヒロインを攻略し終わったら、今度は別のヒロインへと愛を囁きに行く浮気主人公とは違います。イツカ君はヒロインと結ばれて一度EDを見ると死にます。ループ構造が取られていますが、主体に連続性はありません。次のイツカ君は別人であり、“浮気”を合理的に否定します。ゆえに、イツカ君は誠実です。ことエロゲの世界においては、生涯童貞を貫いて死ぬのと比肩するくらい偉業かと思われます。放課後の不適格者は純愛ゲームです。



▼本作の拡散性
 
 異世界イツカの言う「平行世界」とは、この作品をプレイしているユーザーそれぞれにとっての世界とも考えてみることが出来そうです。「無限に存在する常盤イツカ」とは、ユーザーの視点そのもの。なれば、本作の黒幕とは健速氏本人となるのではないか。思えば、マークの出現の順番やタイミングなどは出来すぎていて、書き手の都合のいいようにお話作りとして利用されていたとしか思えないのです。そして、真の不適格者たるイツカ君が“黒幕”の筋書きを塗り替えうる希望なのです。

 ところで、本作を手にとってみたきっかけというのがTwitter上でネタとして拡散されていたからというのは既に述べたとおりです。まぁ、この内輪の賑わいというのは、その界隈に身を置いている方でないと実感は持てないと思いますが、sakuratouru氏の感想(http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=19791&uid=sakuratouru)を読んでみると少しだけ雰囲気が掴めるかもしれません。

>>異世界イツカが登場した際には思わず立ち上がって「きたー!」と叫ぶぐらい興奮しました。理由は凄く見慣れた顔だったからです。ツイッターのフォロワーさん達に“真の不適格者”が多い事もあり、異世界イツカの紡ぐ言葉のキャプはプレイしてないのにほぼ見た事がある…といった不思議な感覚に見舞われました。『そのマーク!君は不適格者か!』は勿論、お馴染みの『時間を超え、因果を覆す、万物の敵対者!あらゆるもののコントロールを受け付けない、真の不適格者だ!』という台詞が出てきても大喜びしました。勿論即スクショ撮りました。

 そう、「見慣れた顔」なんですよ。よく出回っているネタ表現に対して、元ネタに触れてみた時のような一種の感慨。あれです。もはやお馴染みと言っていいくらいに浸透してしまっている。とりわけ視覚的なインパクトも抜群で、ソーシャルメディアとは好相性と言えるでしょう。それがもう一種のお遊戯空間として成立してしまっている。放課後の不適格者ごっこだ。そういうヘンテコな空間が他のTwitterユーザーの目に止まれば、やはり興味をそそられるもので、ネタの共有欲がそのままプレイ意欲になってくる。本作はなにぶん名言(迷言)の多さというのが話のタネにしやすいのです。意味ワカンナイけど、なぜか印象に残ってしまう。
 それに、ネタと成り得る台詞の一つ一つが文脈において独立している。これは結構大事で、拡散するネタを見たとして、そこから本作の内容を推し量るのはなかなか難しい。じじつ、私もインパクトのある画像とか台詞は脳内に刷り込まれてきましたけど、どういう内容なのかは皆目見当がつかなかった。ネタとするにはそこまで神経質にならずに済むし、そう扱うことに対して目くじらを立てる人間もそう居ないという実証にもなるんじゃないかと。まぁ馬鹿騒ぎしすぎると、今度は色眼鏡でしか作品を見れなくなってくるので加減は必要です。
 
 そうやって、プレイした方が今度はネタを振る側へと回り、新たなユーザーを生み出していく。sakuratouru氏は格好良く「不適格者は連鎖する」と仰っておりますが、まさにそういうお祭り騒ぎの中で光ってくる作品があってもいいんじゃないかと。とすれば、各々の「放課後の不適格者」という世界が、こういうTwitterのようなソーシャルメディアを通して連結していくのは、ある種のロマンを感じてしまうのです。世界観とその拡散性が見事に融合を果たしている。再三に渡って述べてきた「能動的に楽しもうとする姿勢」とは、結局のところ、ここへと帰結するのかもしれません。



▼Nostalgic Chord
 直訳すれば「懐かしい感情」っていう大層なブランド名が付いてますが、その懐かしい感情は放課後に根差すものらしいです。放課後とは学園生活において友と語らう時間であり、あるいは、部活動に精を出す輝かしい時間帯。そうでなくとも、日々勉学に勤しむ学生にとっては、ようやく開放される待ちに待ったとき。しかし、放課を告げる鐘の音は希望から絶望へと塗り替わってしまった。そうして物語のラスト、無人になった教室は物哀しくもあり……けれど、やがては本来の活気を取り戻していくことになるのでしょう。結局この作品が何だったのかは今でも良くわからないのだけど、妙に清々しい読後感を味わったのを覚えています。それはちょっとだけ、目一杯泣き叫んだ後のスッキリした気持ちに似てるのかも。錯覚かもしれません。






……………すいません、発売日当日に新品で買ってもいない、安いのか高いのかよく分かんないけど中古1,280円くらいで買った若造の戯れ言ということでひとつ。