Sek8483さんの音楽コメント(新着順)

Sek8483

2006年よりプレイ。

コメント(新着順)

語りきれないままのお話と音楽。

 『朱』はどことなく音楽的です。音楽というのは、あるモチーフの繰り返しとそれを変化させていくところの単純さ/複雑さに本質があると、わたしは思っております。そうした音楽的手法を、ごくごく素朴なやり方でエロゲテキストへ落とし込んでみたところ、出来上がったのが『朱』の広漠とした日常だったように感じるのです。もっとも、そのやり方はあまりに素朴すぎたから、基底音たるテーマを聴かされつづけた人の眠気をさそうきらいもあって (クラシックの演奏会で舟を漕ぐようなまどろみ)。フェアに判断するならば失敗作だったと思います。フェアな判断をしなければ、とても好きな作品です。

 そんな音楽じみた単純さ/複雑さをもつ『朱』だから、ついにストーリーを言い表しきれないまま、木訥な語りかけになってしまったのだけど。そうして口ごもったままの本編であるゆえ (アラミスが無声であるゆえに)、むしろ劇伴のほうが自然と雄弁になっていくふうでした。物語は同じモチーフを繰り返すばかりで何も語りきらなかった。なので、同じくモチーフを繰り返すのみで語りきってしまうことのない、音楽という表現手法へ実によくなじんでいったようで。『朱』には「この箇所がこうである!」といった感想を返すことのできない雰囲気があってわたしなどは口ごもってしまうのだけど、それはちょうど、音楽を語ろうとするときにぶつかる原理的なむずかしさにも似ています。あの作品においては、テキストが音楽により近しいパターンで書き込まれていたと感じるのです。

 さて、いずれの曲も良かったけど、ひとつだけあげるなら「砂の城 -The Castle of Sand-」が気に入りました。自然と雄弁になっていくピアノ、ギター、ベース、ストリングス、パーカッションといった音の幅から、広漠とした砂の城が立ち上がっていくふうなサウンドスケープをもつ曲です。ただ個人的には、歌詞の言葉運びはぎこちないと思うし、その歌いかたにしても少しだけ真面目に読み上げすぎるよう感じまして。異邦人ならではの、子供っぽくもある、たどたどしさが残っているふうに聴こえるのです。そうした、壮大なサウンドスケープのなかへ埋もれゆくたどたどしい言葉づかいが、『朱』の物語にはよく似ついてるから、あの寄るべない砂の城のすがたをも思い出させてくれて。「The Castle of sand...」「The Castle of sand...」どうしようもなく繰り返しつづける歌声には、あの砂嵐のなかの時間が閉じ込められているような気がします。
75satirize (螺旋回廊2のOP )
女の子が壊れていく愉しみがきちんと詰められた一曲。

 開幕のピチカートからして奇妙な執拗さによって繰り返され、こちらの不安感をふくらませていきます。小節の三音目へのアクセントがかかり過ぎていて、音が異様なしぐさで跳ね上がっており情緒不安定になってしまい、絶妙に気持ち悪くなっていくのが巧いです。不吉です。

 宮崎麻芽によるボーカルラインがこれまた強迫症的に進められていきます。いったいどこで息継ぎしているのだろうという、まくし立てて、問い詰めて、壁に向かってつぶやき続けるようなテンポ。そこへとさらに、音程のアップダウンまでも激しく投げやりになされてしまいます。蛇淫の性さながらの、地を這っていくときの低音の艶やかさがとりわけ印象的なのだけど、そこから高音へとコロコロ切り替えてしまう二面性というのが、あまりに女性すぎて怖くもなります。確かに彼女はこっちへ向かって歌っているのだけど、目の焦点はあっていなくて、声の焦点もあっていなくて。

 そうしたみだらに壊れていくようなさまが魅力的な歌なのだけど、妙に深みのあるシンセをはじめとした情感ある音によってかっちり仕上げられています。それだから狂いかけたテンポとか、彼女だとかも、うまく楽曲のなかに収まっては沈み込んでいくようで。すべて終わってみれば、結局のところ哀しげな雰囲気ばかりを残していく、複雑なテイストをもったI've Soundでした。
夜の高速に乗ったときに聴いたりするのが好きです。

 わたしにとっては、夜のイメージがまつわる歌です。歌詞にそうと明記されてるわけでなく、途中からぐぐっと盛り上がっていく曲調でもあるのだけど。ただ、イントロから繰り返されていくハープの響きかたが、まどろむみたいに単調で、あれは日の光のもとでは鳴らすことのできない音だと思うのです。夢うつつで、もの寂しげなリフレインは、夜のとばりを降ろしていくふうに感じます。

 一方で、それとは好対照になっているのがベースで、途中で加わってくると、前へ前へとせり出してきて曲を駆動させていきます。下っ腹にくる薄暗い低音を響かせるのだけど、サビではすばやく弦をはたきつけて、アクセントをひねり込んでいくのが巧いです。そうしてベースの腰がすわってないから、曲の足どりも自然と軽いものとなって、そのノリのまま立ち止まることない躍動感がかもしだされています。

 そんなふうにして、夜のせまさと旅の足どりが混ざりあった音です。優雅に幻想的なハープと、躍動する肉厚なベースでもって、上下に弦が張りめぐらされたものだから、そのあいだには空間がひらけていって。本来そこを埋めるべきはボーカルのはずだけど、榊原ゆいの声は、なりからして気ままで、人の足を止めさせて考え込ませてしまう感動とかいったものは無さそうで。「なにも持たなくていい 旅に出よう」という曲にぴったりとあわさる、身ごなしの軽い歌声が入るものだから、ハープとベースの弦でもって張られた空間は塞がらないままで、音は詰まることなく抜けていって。日が昇ったらもう残っていないだろう、ひとときの旅の涼しさがとても心地よいです。
スキを見せたり見せてもらえたりのしあわせ。

 ちょっぴり洒脱で、ゆるやかに晴れた日とかにぴったりな歌ですね。エロゲソングには似つかない陽気があるのだけども、fish toneならではの耳をするりと抜けていくメロディが功を奏してます。ひとりでにやってきてはひとりでに流れていくから、いっしょにいて疲れない雰囲気なのです。開けた窓からたまたま入ってきた音楽みたいな、何気ないそぶりが心地よい曲です。

 具体的にいうと、シンセの音がよい加減にくたびれていてアナログ風味が強かったり、ところどころ曲に厚みをつけるブラス・セクションもほんわか和らげておいたり、タム回しのもったりした手さばきがかえって魅力に映ったり。急かすところがなくて、眩しすぎるところもない、余裕をもたせた音づくりになっておりまして。ぐうたらのわたしなどにはちょうどよい、のんびり空気感をキープしてくれます。

 そこへと混ざるMOMOボーカルにも気張ったところがなくて、親しみやすい調子でもって声をかけてくれる。晴れ晴れと明るいトーンをしたこの曲のなかへ、「おかしな顔」「歪な言葉」「ちょっと不機嫌そうな顔」「ねじれた愛」「ちょっと老けた君の顔」といったプチ・ネガティブな歌詞をあっけらかんと投げ込むのです。取り繕おうという気がさらさらなくて可笑しくなっちゃいます。この人となら、小憎らしいセリフをぽんぽん投げあっても関係がねじれたりはしないんだろうなぁという、甘えとか、余裕とか、"あそび" が、ここにはたっぷり在りまして。そうした "スキ" を交換しあえる時間がなんだかもう嬉しすぎて頬がゆるんじゃうゴメン!っていう、たったそれだけしか歌っちゃいないのだけど。それゆえに曲はもう気を許しきった、甘い生活のモノトーンへと染まっていきます。あばたもえくぼな、恋のしあわせを味わい尽くしちゃう、とってもぜいたくな歌なのです。
75Silent Snow (SentinelのOP )
オサレ感ある色合いのエロゲOPとか好物です。

 青髪だのピンク髪だのと、およそ現実離れしたキャラクターカラーの女の子を愛でることも珍しくないエロゲですが、そこで開き直ったかのようにカラフルにしたのが『Sentinel』OPムービーでした (製作元はポイント・ピクチャーズ)。
 パステルへと寄せていった『Cure Girl』OPあたりの系統ともまた違った、あくまでエロゲ塗りのデジタル発色に忠実な雰囲気となっております。お手頃価格帯のインテリア家具・雑貨なんかでもよく見かける、マカロンカラーに近しい色味ですね。
 明るい単色でもってシーンごとにはっきり塗り分けていく色彩感覚はあどけなくも優しげです。そしてまた、冬ゲーらしいライトブルーの丸とか四角をワンポイントに用いるものの、その背景へはオレンジを置いてみたり(0:23)、踏み切りのカットでは優衣の子供っぽいピンク色のジャージ姿へかぶせたりと(1:06)、補色を好んで合わせるから目に鮮やかに飛びこんできます。あるいは黒地やモノクロ地にのせて色を浮き立たせることもしばしばで、色の対比をはっきりと見せます。
 そうした視覚的な楽しさをふまえると、主題歌「Silent Snow」もまた、キリッと寒色のデジタルサウンドの下地から、暖かみのあるボーカルが浮き立ってくる、鮮やかな曲だと感じます。正確な4つ打ちや、シャリシャリと刻んでいくライド、すべらかなシンセの音などが曲をきれいに均しているゆえに、Ritaボーカルの声色がもつあたたかみはいっそう染みわたります。あるいは表情豊かなギターも、ワウワウうねっていたかと思えば、素直に透きとおった音を鳴らしたりして。デジタルサウンドの中にあるからこそ、人の声などにふくまれた雑味の、そのあたたかみが映えていく、コントラストが楽しいです。

 ところで、『Sentinel』OPにあったコンセプトをよりいっそう推し進めていき、好評を博したのが『PARA-SOL』OPムービーでございました。あまねくところへ幾何模様を散りばめつつライトブルーの基調を作ると、そこへとオレンジの傘をワンポイントにして映えさせたり(0:40)、鮮やかなイエローの窓をのぞかせたり(1:24)。やはり補色の効果へとこだわっています。黒スーツや黒手袋といったアイテムでもって、ヒロインの鮮やかさのみをこちら側へと浮き立たせる仕組みもあって。限られた色へとトーンをそろえて、鮮やかな世界を伝えようとする美観が響いてきます。そもそも作品そのものの色指定を見てみても、青系統と黄系統のコントラストでそろえられており、トータルデザインがばっちり整っています。
 こうしたデザインへと実によくハマっているのが、ave;new・佐倉紗織「Octabe Rain」から一面に広がったピュアサウンドなわけで。キックやベースなどを濁らせて重くひずませた低音を這わせておくと、その上空を電子の矢みたいに一直線ですっ飛んでいくボーカルラインの愛らしさがくっきり際立ってきます。もろもろの電子音などを土台にしながらも、アニメ声の極北みたいなボーカルによって、視界はさわやかなブルーへと塗り上げられていく。大胆な色づかいの曲になっているように感じます。

 さらに別の作品だけど、より小ワザを盛りだくさんに作られていたのが『聖剣のフェアリース』OPムービーでした。青色シルエットと、そこへ補色のオレンジを差し込んでいく鮮やかさや、黒地へと赤い折り鶴を映えさせるところなど、色彩感覚には通うものがあります。ところが発色はいくぶん上品であるし、タイポグラフィ (装飾的な文字) がより存在感を増していたりと、より多彩な趣向をふくんでいるふう。あるいは幾何模様の入れかたにしても、異様に芸が細かいです。たとえばイントロにおいては、あられもない姿のヒロインたちを "格子越し" に見るという背徳感を刷り込みつつ(0:05)、その格子をシフトさせるうちほんの一瞬だけスカートのチェック柄みたいに見せたかと思えば(0:12)、そのまますぐブラウスの真っ白な繊維へとまぎらせてしまう (0:15)。なんでもなさそうな図柄の遷移が、ひそやかに色香を残していくからすごいです。
 より多彩な色合いを取り混ぜて小ワザも盛りだくさんなムービーなのは、主題歌に合わせたゆえやもしれません。「mirage tears」は同じくave;newプロジェクトによる楽曲ではあるけれど、その音色はより多岐にわたっています。白沢理恵ボーカルは、まともな音域のなかでアップダウンしていくので感情表現がわかりやすく、ラップを取り混ぜたりといった小ワザも披露します。「Octabe Rain」のようにボーカルの魅力が突き抜けることにはならず、曲は慎重にバランスを取りつつ進んで、ウインドウチャイムじみた波打つ金属音や、やけに素朴な笛の音といったギミックもそれぞれ個性を発揮しているふう。なので、ぐりぐり動き回る映像にもその都度に音がよくからみ、ひとつのムービー作品として見たとき、いずれが突出するでもなく完成度を高めているように感じます。

 エロゲはおよそ現実離れした色合いでもって作られる世界です。だから単色をいっぱいまで塗り広げたり、補色を鮮やかに挿してみたりと、大胆な色づかいをしてみせるこれらのムービーが、しあわせに馴染んでいるふうに感じます。
 その上で、めいめいのエロゲソングに目をやれば、音色の幅広さとか編曲のとんがり具合など十人十色ではある。なので、それにあわせて映像に工夫がこらされてみると、オープニングのわくわく感とか増していって。純粋な音楽的感性やらに欠けたわたしにとって、そうして目にも楽しい歌であってくれるのは嬉しいものです。
恋の話じゃなくて、雨の歌みたいだと思うのです。

 Duca・黒須克彦による名曲ですね。これが発表された頃というのは、わたしがエロゲソングをよく聴くようになり、新しい歌でも昔の歌でも、とにかく次なる歌へと、渇きを満たさんとばかりあさっていた時期でした。『12 Stories』に飛びつき予約して、発売日を指折りかぞえて、届いたダンボールをおごそかに開封すると「特典ディスクの梱包がショボすぎる!」って笑ったことなども、つい昨日のように思い出されます。エロゲソングに今よりもずっと飢えていて、みずみずしい体験であった頃に出会った歌だから、いまなおも記憶は鮮やかなまま。

 そうした思い出補正ゆえかもだけど、わたしの耳にはものすごく熱っぽく響く歌なんです。この曲でのDucaボーカルからは、器用さとか技巧とかいったものがすべて引っ込んで、ただもう熱量のみが満ちてくふうに聴こえてしまいます。とってもハングリー。ふりしぼられる歌声が、渇ききったところから響く叫びが、「アマオト」の魅力をかたちづくっていると感じるのです。
 雨の匂いがしないサウンドだと思います。ギターの響きはカラリとした空気を伝わってきて、シンバルだって水切れよく、ピアノも湿った情緒をつけたりしません。ボーカルも楽器も、初夏の大気みたいにさばけており、声が渇くほどまで熱中して、じりじりボルテージを上げていく。ぜんぶの音が気持ちよく渇いてます。それだから、雨がくる予感へと武者震いしてる歌詞が、すぅっとからだに沁み込んでくるのですよね。

 この歌のなかでは雨が恋を象徴しているのだけど、湿気らないサウンドによって雨は遠ざけられるゆえ、恋の話のジメジメしたところはきれいに脱水されることに。乾いた地面に立つと、たっぷり水分を抱えた夏の積雲がやってくるのを、仰ぎ見るような風情になっておりまして。視線が上を向いてます。恋をつらつら語ってしまうことなしに、空に浮かべたものへ思いきり叫んで、憧れを送ってゆくから快いです。

 ところで、わたしなどは恋愛のゲームとかやるのが苦手だし下手くそなほうでした。あれは本当に素晴らしいものではあるけど、ときどきは痛痒く、しんどくもあって……まぁリターン相応には難儀なものだと思うのです。
 だからエロゲみたいにして "恋愛そのもの" が存在しない世界を眺めているときに、ちょっとホッとして人心地ついたりするわけで。ここで待つのはあくまでエロゲヒロインであって、女の子じゃないから、彼女たちのことを大好きになってしまいます。いっしょに食事したい、デートしたい。愛を交わしてみたいし、なるだけ親切にしたくなります。
 エロゲに限らず恋物語というのは、当たり前だけど "恋愛そのもの" でないからこそ存在意義をもっているわけで。恋が雨によって象徴されながら、サウンドからはきれいに水気を飛ばしきった「アマオト」が胸の奥にまで響くのは、そうした在りかたに素直だからかもしれません。喉をカラカラに震わせながら、恋のみずみずしさを歌うと、夏の雲みたいにくっきりと、その美しさをなぞってみせた一曲です。

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雨は慈悲を象徴し、日光は慈善を象徴しますが、雨と日光は、慈悲や慈善よりも優ります。さもないと、それらは象徴する対象を引き下げることとなります。
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みとせボーカルの背景にあらわれゆく民族調ぬくもりてぃ。

 ヴァイオリンからはじまって、アコーディオン・ギター・ベース・マリンバなどなど、音の豊かさと混ぜこみかたが上手い、フォークロア調の楽曲ですね。

 幻想的にやわらかい音質のみとせのりこボーカルなのだけど、本作ではかなりハッキリ緩急をつけ、決然として歌い上げています。フレーズごとに真っ直ぐ声を伸ばしていくと、終いにちょこっとビブラートをかけてから、スパッと言い切る。ボーカルの音の処理ひとつひとつが丁寧だと思います。むやみに声高に響かせることがないゆえ、すばやく他の音へと場をゆずれており、ボーカルと楽器が、べちゃっと馴れ合うことなく歯切れ良いです。

 かように本作のみとせのりこボーカルは力強くて、ソロで前に出てくることの多いヴァイオリンもまた高らかに哀愁をかき鳴らして、曲は主導されていくのだけど。そうしたなか、他の楽器たちがそれぞれ曲の細部をよく彫り込んでおり、素朴な深みをつけていることがいっそう好ましく思えます。
 たとえばアコーディオンから吹き出てくる音には、どこかしら子供時代を思わせるコミカルな愛嬌があり、どんなに悲しいメロディを表現しても郷愁がまとわりついてしまうようで、ぬくもりてぃ。アコーディオンの蛇腹のなかあったかいなりー。あるいはマリンバの音色にしても、派手なメロディをもつことなく曲へそっと添えられるだけゆえ、かえって木が響くときのぬくもりてぃがにじみ出るように在ります。決然とひきしぼったボーカルや、悲嘆にくれるヴァイオリンを、ただの悲劇にしてしまうことがない、きれいなコントラストを曲のうちに生んでくれてます。
 わたしなどは民族調というその一点だけで、ひと足とびに異国風情を思ってしまい、安易に物語を感じてしまったりもするけれど。こうしてアコーディオンやマリンバが、素朴に鳴ってみせることで音楽の細部をどんどん彫り込んでいくのを目の当たりにしたらば、壮大な物語の影になった部分にあらわれる、豊かな音へも耳をすましてみたくなります。
「なんど繰り返しても、悲劇だとしても」ってのが沁みる。

 『スマガ』が発売された頃の作品までしか知らないのだけど、NitroPlusはどうにも相性の悪いブランドでした。『”Hello, world.”』のSFに則ったところがわからなくて、『沙耶の唄』が「(ホラーなのに……) 純愛!」と好評されてるのがわからなくて、『Phantom』のなぞるハードボイルドさがよくわからずに積みっぱなしにしてしまい。妙にジャンルを意識してしまえるのがおっくうです。
 NitroPlusには骨太な作品が多い印象です。しばしばそれはテレビ映えもして、メディアミックスに向けたプレゼンテーションの場にも耐えうるもの。まるで言いがかりになっちゃうのだけど、批評性が高いとでもいうべきか、プレイしていて誰に恥じることもない立派なエロゲなところがあって。エロゲにしかできない作品づくりでもって広く世の中へと訴求していく、そのバランス感覚がたぶん嫌いでした。もっとこう、世間様に向かってこれが好きとかは言えたものじゃない、こっ恥ずかしいエロゲをこそ好きなのだと思います。

 そうした屈折が自分にあったから、本作「(a)SLOW STAR」をエロゲ主題歌にして用いたことも、なんだか歌の力を借りながら "ポップカルチャーの一部としてのエロゲ" の可能性をアピールしてるふうに見えてしまって。だから、どうしても素直には受け取れないままに聴いてたのです。

 けれども、こうして時間がたってから振り返ってみると、そんな思いも知らず知らずのうちに遠くなってまして。実のところは、もっとつまらない、ただの趣味の話だったのかもしれません。
 というのも、Swinging Popsicleの曲では、ゆったり流れゆくものを好みに感じることが多くて。たとえば「雨音 I Wish You Were Here」の、雨だれのテンポで弾かれるギターリフみたいなやつです。庭先の葉っぱとかに、水滴がぽつぽつと溜まってふくらんでゆき、やがて自重でこぼれてすべり落ちて、残された葉っぱは跳ね上がってまた雨を溜めはじめて……とループしていく。そんな片すみの風景があって、それを眺めてる時間感覚をそのままに切り取ったようなリフが甘露なんです。そうした雨の日にあわせて、藤島さんのボーカルがしっとり、伸びやかに響いては消えていくのだからしあわせです。

 今しがた聴いてみれば「(a)SLOW STAR」のいかにもパワーポップな足音も、むしろ懐かしさをもって響いてきます。まっすぐなリズムも、歪むことのないギターの音色も、いつしか耳へとなじむようになっていました。そうしたまっすぐな音があるところへ、独特なハスキーさのボーカルが引っかかってくる。甘くルーズに、いとしげに歌ってくれるのが心地よいです。声はどこまでも伸びていって、「ちっぽけな臆病風」とか「未曾有の星空」とかいったものをひっくるめていって。こんなにも勇ましく歌い切られてしまうと、かつて確かにあった屈折した思いとかはきれいに吹き散らされていって。
 最近では、とても上手な距離感でもってポップスに寄せていったエロゲソングがいっぱい出てきてるように思います (たとえば「Girls' Carnival」なんて、完ぺきにキュートに自立しています!)。そうしたさなか、昔のエロゲソングへ向かって繰り言を書いていると、ぼくには本当に許せないものとかはひとつも持てなかったのかもしれないなぁと、からっぽに優しい気持ちになってしまい。そんなふうに時代とともにたくさんの人がループさせてきた感情までもひっくるめて鳥瞰するふうな、すがすがしいポップナンバーだと感じます。
今日もまた、つっかえつっかえ願う声。

 曲を通してギターリフが単調に印象的につづいていき、とめどない日常感を生んでいます。このあたりのギターを常に押し出しておいて耳をひっかけるやりかたは、後の名曲「ハルハナノイロ」とかとも似た発想になっているふう。
 キックとかベースがはっきりとリズムをとっていくから、ノリやすくて聴きやすい、親しみやすい曲となっているのだけど。そこへと加えられるギターリフが、ちょっとだけ毛色の違うリズム感を混ぜ込んでは個性をつくっており、"腕を残す" ようにして弾かれるので耳をひっかけていきます。リズムパートからはほんの少しだけズレていて、曲進行はどこ吹く風とばかりにリフレインしていく。そうやって日常の感覚を――毎日少しずつ違っていくのだけど気づいたときにはどこで変わったのかわからないものを、曲の全体へと通していきます。
 そんなちいさな変化のなかを縫うように、実にすんなり声を通してみせたのがRitaボーカル (『monologue』収録版「ねがいの魔法」)。「時間だけ」「時間だけ」「毎日が」「毎日が」言葉のしっぽのところをスパッと切ったかと思えば、ぼやかして息を抜いていったり、曲になじませ溶け込ませています。「あなただけ あなただけ みつめてる・の・にー (2:45)」自分自身もリズムを変えつつ曲にぴったりおさまっていき、なだらかに日常を回していく。休日の午後みたいに平穏なトーンが仕上げられていました。

 で、本題となるのが、こちらの楠鈴音ver「ねがいの魔法」。歯切れ良い発音でもって歌詞を述べているのだけど、歌としては滑らかさがちょっとばかり足りないから、ところどころ、つかえつかえになっております。Ritaボーカルのほうが上手いです。
 ただそれでもわたしの場合、はじめて聴いたのがこちらということもあり、楠鈴音verには愛着がずっと残ってしまって。ところどころひっかかる歌声だからか、また聴かせて欲しくなるときが無性にあって。こちらの、少しぎこちなさも残していくバージョンが好きなんです。
 そもそも、この曲の女の子からして、手慣れた受け答えとかをできる子ではなくて、すべらかに日常を回していけるタイプとかじゃないんですよね。「おはヨウッ…とか よく眠れタッ?…とか そんな ささいなひと声さえ …うつむきながら」……ガチガチなんですっ! ほんのささいな変化を起こすにも目を白黒させて、いちいち気合をいれないと楽しいおしゃべりなんてやれなくて、この一曲が終わってもまだなんの進展もみえてこないんです。そんな日常 (…よく知ってます)。
 このさぐりさぐりなボーカルと、毎日毎日を塗り替えていく例のギターリフのからみというのが、見ていて飽きません。リフに置いてかれそうになったり、あわてて追いすがっては鼻からぶつかっていたり、日々はちっとも落ち着けません。朝起きて、PCをつけて、電子レンジにつっこんだものを食べて、歯を磨いて……。とりあえず家を出ておいて携帯を見てみれば2、3分ほど早かったり遅かったりするから、わずかに足を早めたり遅めたりしながらいつもの電車に追いついて。そんな自分のつかえつかえの足どりにもなじむような、たどたどしい日常の音がここにはあります。楠鈴音の歌った「ねがいの魔法」は、慣れ親しんだ日々のリズムを聴かせてくれるから安心しちゃうのです。
かさぶたを掻くときのようなスクラッチ音。きもちいい。

 たぶん個人的な感じ方とは思うけど、聴いているうちアルコールがまわるようにして、気分が落ち着いていく曲調になっております。ただ、アルコールなので実際の疲労回復効果とかではありません。聴いてるあいだだけ疲労を認識する神経に被膜がはっていき、ささくれだったものとか鈍麻していく感じ。かわって副交感神経がきゅんきゅんしてくると、だらだら何時間もこれだけ永久ループで聴き続けちゃって。やがてヘッドホンを外したときにドッと疲れがおしよせて後悔するんです。クセになりますっ。

 まるで銅板を叩きつけるようなドラムの抑揚がない音 (こいつが疲れる原因かも)。昼さがりの刑事ドラマみたいにして、やる気なく悲鳴を上げるギター (こいつも地味にダメージ蓄積させていくふう)。そのなかで、気怠げというか投げやりに口ずさむような歌。それら全てがうるさいのに、薄ぼんやりと膜がかかったような音づくりで焦点がぼやけているから、いつしか包み込まれているみたいで。ベースが長く伸ばすときのくぐもった音と、そこで弦から弦へと渡るときの音色模様などには惹かれます。羊羹色・蝋色・羊羹色・蝋色・羊羹色・濡羽色とでもいうふうに、ほとんどモノトーンだけで移り変わっていく音づかいです。そんなベースに支えられてるからボーカルラインにも盛り上がりや聴きどころを作ろうとするような緩急はなく、いつだってダウナー。ザラザラしたささやき声で語りつづける。そこへギターのだすスクラッチ音がからんでくるから気持ちいいのです。ザラザラしたものをひっかく音は、かさぶたを掻くときみたいに快感でして、健康にはならずとも今だけは気分がおさまってゆきます。

 ややネガティブな表現ばかりを並べたのだけど、別に当てこすりたいわけじゃなくて。ちょうどわたしが安心できるくらいに、おどろおどろしい色合いをしているという話なのです。小さな頃に、『スヌーピー』のアニメで、ライナスがハロウィンの夜にかぼちゃ大王を延々と待ちつづけるお話を見てた記憶があるのだけど。そうした、不気味なものと隣あわせになっていてもぜったいに物語の登場人物たちは傷ひとつ付かないとわかってた頃の感覚というか。
 「ベラドンナ」のおどろおどろしくあやふやな音のなかに、ヘッドホンにこもりたくなるのは、あの毛布にくるまれた安心感が恋しくなるからだと思うのです。あれです、アロちゃんみたいなんです (蜜音がもってたアホロートルのぬいぐるみ)。ギュッと抱きしめたまま連れ歩きたくなる触り心地をしてるんです。お気に入りの毛布とか、ぬいぐるみとかは、なんかカワイソウだから洗濯できないまま、どんどん薄汚れていって愛着とか染みついてゆくものじゃないですか。そんなふうにくたびれるほど聴いて耳になじんだ、お気に入りのエロゲソングのひとつです。
キラキラ光るシンセの音を浴びて、笑顔のままの悲鳴はきれい。

 yuikoボーカルは力強くありません。しっかりコンプをかけて運用されることも多いけど、声量で厚みをもたせるわけじゃないから歌には力がこもらず。さらっとあるがままに抜けてく、自然体の息づかいが魅力だと思います。そんな呼吸で歌っているから、アコースティックな楽器を効かせた森林浴の雰囲気などなど、やさしい世界観にバッキングされてるときがいちばんしあわせそうに聴こえるんです。
 だから本作「残光ルミネセンス」で、のっぺりとしたシンセの音とか背負わされながら歌う姿というのは、どこか息苦しそう。「ピロロロ ピロロロ ピロロロ ピロロロ」って薄っぺらい電子音がしつこく鳴りつづけ、耐えがたいほど軽いのだけど。その下じきにされているのが、コンプでつぶしてから増幅された彼女の声。生々しい息つぎがクローズアップされるたびに居たたまれなくなっていく。そうやって歌の物語をうまいこと造るキャスティング、音の配置になっていたよう思います。

 ただ、yuikoボーカルは強くないけれど、弱さをひけらかすこともしないのです。「Primary world」を歌っていたときの姿勢とか特に印象に残っているのだけど、力がこもらないだけに決定的に折れてしまうこともなく。居たたまれない感情へ引きずり込んだり、さらけ出したりはしない、人を不安にさせない音につとめたボーカルだと感じます。
 そうして感情表現が安定してるから、この歌は、か弱いヒロインのお涙ちょうだい物語には落ちてゆけません。いっそ折れたり病んだり、嘘でも誰かのために歌えれば楽になれたかもしれないのに、そのまま笑顔を造りつづけてしまえたふうで。笑顔を貼りつけて、ひとりぼっちを責めて、歌いきった姿はしたたかとなり、いっそう悲壮です。

 yuikoボーカルにとって、この曲のなかでいちばんの味方は、ピアノの音色だったと感じます。イントロから彼女へと静かに寄りそい、それからもずっと曲を支えつづけて、アウトロを幕引きしていく。耳鳴りみたいにまとわりついていた電子音が凪いだとき、ピアノがひとり鳴りはじめたりするとようやく少し気が休まって、ボーカルのささやき声も自然と澄んでいきます (1:51~)。
 だけど、このピアノは凛とはしていても、ちょっとばかり素直すぎるから、このキラキラ汚い世界のなかでは儚すぎて。すぐにまた電子音がキラキラと被さってくると押しつぶされてしまう。「でも 本当に求めていたもの どこを見渡しても……な・か・ぁっ・た」ひとりで納得しちゃったつぶやきに、ぞっとさせられます。
 いやまだ諦めきれません。もっと探し回れば、どこかに綺麗なものはあるはずなんです。そうやって1番、2番までが終わると、間奏のギターはくぐもった声を上げて、出口を求めてのたうち回ります (3:09~)。すると、そこを抜けていった先で、ふっとギターの音抜けが良くなるところがくる。曲をのっぺり覆っていた音の数も減って、風通しがよくなると「世界をふりきるほどの――」ボーカルもふたたび上を見上げて、何かもっと綺麗なものをつかもうとする余裕を取りもどせます。足どりを確かめながら、再出発しようとするように。

 でもね……「空に瞬くパールさ!」結局さ、また同じこと歌い出すんだ! うん知ってた! いかにもポップスらしい単調なサビのメロディ繰り返しでさぁ、硬直したテンプレ構成の曲なんだよww そうだよ!! またこれさっwwwわかっwwてんじゃねーかwwwwww 俺とかはさ、このループ感が好きなんだよ。こんくらいの単調さしか好きになれなかったんだよごめんね、しょうがない、ほらもっともっと俺がすでに知ってて楽ちんに聴ける曲を作ってさ、やさしい声でいっぱい歌ってちょーだいよ、じゃなきゃ金にはなんねーぞ。バイトで食いつなぎながらアイドルとかやんのも辛いだろが。レトルトカレーばっか食うはめにはなりたくないだろ? あなたたちの賞味期限ってそれよりもっと短いんだぜ? 「ピロロロ ピロロロ ピロロロ ピロロロ」って、どぎつい電子音もいつのまにかすっかり耳に馴染んでいたみたいで……素敵な歌なんです。馬鹿なお話だとは知ってたけど、キラキラしてたんです。

 "一般論として" アイドルはプロデューサーとヤッていて欲しいし、ストレスにまみれて喫煙とか睡眠薬とかへ逃げ込んで欲しいし、借金にもまみれていって欲しいみたいな願望がございます (もちろん、それは "特定の誰か" へと向けてそうそう抱けるたぐいのものではないのだけど)。
 そうした欲望にしても人それぞれ、ねじ曲がっているものではありまして。無垢なものが別の色に染まっていくのを眺めたいのか、自分の手ずからに汚してみたいのか、彼女と自分の道が決定的に交わらないことにただ呆然としていたいのか、すべてが最初から汚れていたことにして自分がかつて汚してしまった何かを許して欲しいのか。大混乱です。そんな物語をはらむ曲だった気がします。
「天使の歌声」をつくる気負いもなく、素直な良曲。

 やさしい声が歌いはじめると、それを上下からストリングスが包み込んでいく、しっとりめのイントロから始まります。音楽テーマの学園ものエロゲで「あなたにも、聞こえますか? 天使の歌声が…」とキャッチコピーを打ったのが『Skyprythem』。そんな作品のための歌だけど、「天使の歌声」といった大仰さからは自由でいるふう。茶太ボーカルは高らかに羽ばたいて響かせようとはせずに。自分の手が届くところまで、まっすぐに伸ばすと、ごく身近なスコープにだけ聞こえるような音をしてます。

 茶太はエロゲソングを歌う方々のなかでも、とりわけキャラクター性のついたボーカルを扱っているふうに思います。女らしいフェロモン成分とかを発散することない、なんとも気がねない声づかいが魅力でして。ゆるキャラみたいにして中性的な愛嬌があるのです。あどけなく子供っぽい、ちょっと調子っぱずれな言葉づかいでふところに入ってきたり、さらに一歩すすめると、歌ごと動物になって胸へ飛び込んできちゃったりする (ぺーじゅん作曲にかぎっても「駿太」など、動物ものには事欠きません)。
 もちろん優しく声音をふるわせてみれば、それはそれで、ややハスキー方向へと伸びた声が心地よくなります。たとえば「入道雲とわらべ唄」(『命短したたかえ!乙女』ED曲)。たおやかで女性らしい情の深さでメインパートを響かせつつ、童になって「かーえりゃんせ かえりゃんせ」と囃してもいく、茶太の声づかいの幅をとても楽しめる曲になっておりました。
 ところが、それらいずれの茶太ボーカルらしい癖というのも、本作「あしたの天使」では目立ってこないようでして。ごく素直な音だけを出すと、そのまま、まっすぐ息を伸ばしていくふうに感じます。天使のような響きにも、あどけなさにもこだわりがなくて、どこまでも自然体の息つぎをしては、ひとつひとつ重ねていく。すごく良い声で歌っていると思うのです。

 あるいは、ぺーじゅんの作るメロディにしても、ずいぶん癖のないものに感じます。
 ぺーじゅん曲はストリングスアレンジに定評がありまして、この曲もまた、なめらかな弦の音色によってやさしい雰囲気が調えられております。
 ただ、わたしなどは、ぺーじゅんストリングスといわれると、もう少しアクセントを利かせたものがパッと思い浮かぶのです。羽のように軽いストリングスが助走をつけると、そのまま上昇気流に巻き上げられ音階をのぼってゆく「sings clover ~many clover version~」があったり。ピチカートを取り混ぜながら、神出鬼没に弓をさし挿れていく進行をとった「Programming for non-fiction」があったりします。そうした目まぐるしく現れたり消えたり、羽のように駆けめぐる弓の使いかたが、ぺーじゅんストリングスのひとつ特徴なのかなとも思うのだけど。
 本作の音色というのはどこまでも穏やかなのです。彼が手癖みたいに使っていた、左右に振りわけたストリングスで追いかけっこするフレーズも本作には出没してこなくて。耳を引こうとするけれん味がなく、地面に足をつけて奏でられます。そうした率直な音をひとつひとつ集めたゆえにか、どこそこが印象に焼き付くというわけでないのに、なおも良い曲として記憶に残りつづけている。てらいもなく、性根のやさしい音だなぁと感じます。大好き。
きれいに調ったボーカルは、ギターの雑音から人間味を引き出してくれる。

 KIYOボーカルの響かせかたには、ややポップスらしからぬ癖を感じます。喉の奥をひらいて歌うことで共鳴を深く取ってゆく、いわば声楽に近しい音質をふくんでおりまして。かつて音楽の授業で習ったような、あるいは、"うたのおねえさん" がするような喉のふるわしかた。これを真正面からふるって聴かせたらば「snowdrop」みたいな歌になるわけですね。巧い。

 ただ私個人の好みをいうと、そんな声素材をあどけないポップスへとぜいたくに使い、しっとり品よく飾ってくれた「Flyable Heart」などの曲づくりに、いっそう面白みを感じるんです。
 声楽っぽく深く響かせて良く飛ぶ声なものだから、"うたのおねえさん"っぽい穏やかに澄ました雰囲気をまとっています。おまけにエコーまで多用するので、歌ははるか頭の上にまでも響き、それから曲のぜんぶへと雲のようにかかってきて包み込んでいくみたい。
 すると、シンセがちんまり鳴ってみた音とか、なんとなく踊ってみたベースとかの、あどけない音色というのが映えてくる。ここで素直な暖かみをもって動いてるのがわかるのです。そうした素朴でくっきりした音たちを、きっちり響きながら見守っていくボーカルの顔つきは優しくて、ほんわかメルヘンを語り聞かせる歌ができあがってました。

 本作「残影の夜が明ける時」でもまた、KIYOボーカルのつける残響が曲のアウトラインをきっちり縁取っておくからこそ、そのなかで動く音は活き活きとしていくよう思えます。
 声楽寄りな発声を良くしてるということは、すなわち雑音が響きのなかにまるめられ、優美に収束されているわけでして。それだから、たとえば好対照なギターはとても際立ちます。粗野にわめきちらすギターどもの生命力、ギザギザした音の成分へとむき出しになった個性というのがくっきり描かれてくるのです。がむしゃらに前へ進もうとするリフワークの荒削りなところが、きれいに調律されたコーラスのさなかに浮き上がってきて、魅力的なすがたをさらけ出してくれます。
 あるいは、JOHボーカルのすらりとブレない単刀直入さも引き出されてきます。よく音程をととのえて馴染みあわせたボーカル同士ではあるのだけど、余裕をみせて震わせていくKIYOボーカルとともにあると、JOHボーカルの硬くマイクを握りしめたふうな強さがなんとも魅力的にのぞけてきて。そうした意固地さが「逃げ出さないで」「うつむかないで」不屈にねがっていく曲の強さになっています。ひとつに声が重なったかと思えば、いつの間にやら背中合わせに歌っている、昼と夜みたいにつかず離れずのありかたをなすツインボーカルでした。

 水月陵は、曲のパーツとして自身の声(KIYOボーカル) を取り扱うのがうまいと思います。自身の喉にコントロールを利かせつつ、エフェクトも用いて自由に造形していくのは、曲を提供されて歌う専業ボーカリストの人にはなかなかできない強みと感じるところ。
 専業の人はそれが唯一の寄って立つところになるから、あたりまえだけど全身全霊で、そうそう個性を引っこめれるわけもないのだけど。まずコンポーザーとして全体への視点をたもちつつ、自身の曲へと提供されるKIYOボーカルというのは、ときには自然と一歩さがりつつ、曲のため響いてくれるふうに感じるのです。
うらぶれた情感と、その暴発がなじみよい。

 エロゲソングらしからぬ毛色をしております。それもそのはず、もともとは全く別の映画のために書かれたものの、その話がポシャってタイアップ使用が浮くこととなり。それが極東の島国で、陵辱エロゲのテーマソングになってしまったとかいう数奇な運命の楽曲。(ちなみに後から経緯を知った制作者さんも、「ひぎぃらめぇ」とは洩らすことなく“Very cool!!” とおっしゃってらして、よかったです。)

 攻撃的なサウンドをしきつめて重たい影を落とす曲調ではあるけど、一方ではネオンサインみたいに明滅する電子音がまきちらされ、音抜けよいスネアがからりと空虚に響きもします。重さはあるのだけど、重苦しいところまで迫ってはこない、エレクトロニカ風味なアレンジでの音圧の調節がよく効いていると思います。そのなかでボーカルが感情をわめくことで、閉塞感や、孤独にさいなまれる人のすがたを歌っていくタイプのポスト・ハードコアです。
 最初のほうでは「目を塞いで」だの「砂時計は尽きはてて」だのと、くたびれた語りをぐるぐるさせる。「いつもはタフでハードな俺だけど、今夜は少しだけやりきれないよ」と言いたげなうらぶれたダークヒーロー像が思い浮かぶのだけど。そうした弱音というのは、日曜の夕陽が薄れていく時間帯にさしかかり気がふさぐサラリーマン (わたしです) なんかにもわかりやすくて、卑近な感情となっています。
 しかし、その鬱屈したものを軋ませるようにサビ前のタメをとると、いっきに激発させてしまうのだから気持ちいい。「ばっらぁぃくっ ふぇぇぇぇぇぇぇぇいだうぇい!!」野獣じみた剥き出しの声がわきだしてきます。辛いことがあっても「ふぇぇぇ…」女々しく右往左往するばかりのわたしからすれば、なよなよ繰り言してたボーカルがこうしてすべて投げやって音で爆発させてしまう瞬間には、心地よくなって何か預けてしまいたくなって。ひとたび噴き出したらば後戻りもきかず、引きづられて共に叫びたくなります。男の存在感がゴリゴリ強いエロゲは、こうした感情をすんなり乗せやすい楽曲を引っ張ってこられて、ちょっとうらやましく思います。
75Tragicomedy (ReversibleのOP )
低く流れてゆく愉しみ。

 きっちりボーカルものとしてバランスがとられた曲です。歌を邪魔しないようにと管楽や鍵盤はおしなべて控えめに声を揃えておくので、わたしなどにも聴きどころのわかりやすい曲になってます。
 一方では、なかば投げやりなほど気ままに、愉しげにステップを踏んでみせるのがベースライン。おどけるようにアップダウンしては曲を主導していきます。この低いところで表情を変えていく音が、柳麻美ボーカルの粘り腰とはからみあっていき、とてもよい相方になっておりまして。近作の「Dance of Wolf」でもいかんなく発揮された、地植えの伸びやかさをもっている歌唱力ですね。きれいに整形された歌ではないから、かんたんに揺らいだりふらついたりしちゃうのだけど、そうした音のたわみ具合そのものが面白い姿かたちとなっている。踏みつけられてもすぐ起き上がる、野菊のたぐいのしなやかです。それが、放蕩のままに進んでいくベースラインとはうまくからみあっていくふう。彼女たちは綺麗なものを高らかに歌ったりしないけど、低いところに愉しみを覚えると、ままよとリズムをとってみせる。トレンディドラマっぽく悲しげな歌詞のはずなのだけど、声には湿気ったところがなく、それどころか、乾いた笑いの発作を抑えるようなそぶりすら見せます。
 仕上げにそれを取り囲むのが、ただただ時を刻んでいくクラップ音とか、からりと鳴らしていく管楽器。歌詞が訴えかけるものとかには全然関心なさそうな、淡々とした音づかいなわけで。そのあげくに調えられたのは悲喜劇のムードで、譲れない想いやら存在の重みやらはもう失くしてるから、耳にスッと入ってきてスッと抜けていきます。そうして一曲が終わってみると跡地にはなんも残ってない、抜けのよい音が魅力的でした。

 ちなみにフルバージョン(MP3形式256kbps) が、関連ブランドCaitsith跡地にていまだ配布中 (2018/02/04現在)。
 http://caitsith.biz/
猫になっちゃった歌で、猫なでボーカル。

 ボカロ曲へもカバーされた作品ですけど、初出のこちらはバンドサウンドで仕上げられております。ギターがきゅっきゅと軽快にひっかいて、目まぐるしく駆けまわって耳が楽しいです。洗練された音づくりというわけではなく、ボーカル・榊原ゆいも甘ったるい猫なで声でひと癖つけるのだけど。それはまぁ路地裏猫の歌なのだからそういうものでして、表題どおり、身のこなしの軽い音楽です。猫はシンプルな見解しか持たないから、いつだって床が水であるかのようにからだを投げ出すし、さらりと慎重に着地する。まるでウェイトが無いかのような早いレスポンスのシンバルだったり、動きのあやふやなベースがあったりと、足腰のさだまらない曲だけど、そうやってシンプルに身を投げ出していくさまにはちょっと憧れてしまいます。

 歌詞を追ってみたらば、気ままにアッチコッチへ跳びまわってて、しっぽをつかめない印象です。「この世界に君がいる」という歌い出しなのに「君が消えたあの日に」とか語り出した。人じゃなくなり、猫になったくせして「ポケットにしまい 零れないように歩いた」とか言い出すからイマイチ正体はつかめない。「なんかもう それだけで構わないんだー」が「なんかもう それだけじゃつまらないんだー」にふらりと変わったのに、隣にいさせて欲しいって想いは結局そのまんま。脈絡がないふうなのに、そのスタンスはまるで変わってなくて。女よりもしなやかでボーイッシュにまっしぐらな、猫っぽい足どりです。
 もうちょっというと、人から見た猫の世界のすがたと、猫から見た人の世界のすがたが混線していくような風景の見え方があって好きです。猫は、人とは長いこと近所づきあいしてきてくれた間柄だから、ときどき、わたしたちの似姿になっているよう思えることがあって。たとえば旅先の路地裏で出会う猫がとろくて、うかつに身を寄せてきたり、音を立てて逃げたりすると、(田舎町だろうが大都市だろうが) そこの文化とか財政には猫がうかつでいれるくらいのゆとりが在るのかなと、根拠レスに安心してしまうことがあるんです。路地裏猫にはしあわせであって欲しい。
 そうした、猫に人の似姿を映してみては願いをかけるようなそぶりを『路地裏猫の正体』もとります。なにしろ榊原ゆいならではの、甘えや甘やかしをふくんだ猫なでボーカルなのでして。人じゃなくなった猫の目線に寄りそった歌詞なのだけど、それを歌っているのは猫かわいっがりをする人の声音。だから、猫の見え方と人の見え方が混じりあったような風景がひらけてきて、そこにあいた隙間へ、そっと入っていけるような居心地よさを感じます。

 猫の死生観というやつがあります (※直接お伺いしたわけじゃないので、実際どう考えてるかはちょっとわからないけど)。たとえば "死期がくると独りでに家をはなれ、いずこかへ身を隠してしまう" といったモチーフなんて人気がありますよね。そのときが訪れると「隠れる」というのだからミステリアスで、半神じみており、猫らしい逸話なのですけれど。介護やら年金の制度設計やら、死にゆくことひとつでも話が複雑になって、迷惑かけてしまいそうで独りになりがたい人間さんからしてみると、猫のそぶりからイメージされるそうした死生観は、なんとも自在であって魅力です。
 人間さんはしばしば、"おとぎ話には残酷さや性的なものや死が潜んでいる" ことを暴くような物語へと、ワイドショー的な楽しみを覚えて、無邪気な言葉づかいで晒したりするのだけど。そこのところ猫は隠しちゃうし、あるいは音楽もまた隠しちゃったりするみたいです。猫は「にゃー」としか言わなくて、ゆいにゃんは「今はまだちょっとわからないけどー」とか歌って、ギターが軽快なリフで鳴きつづけて。そうして大事なものを隠しておくのを、なるだけながく聴いてたいにゃあと思います。
強い音が鳴ったあとの儚さがつく。

 薄暗がりを割って、いきなり連打されるピアノイントロにびっくりした。ピアノというのは他には真似できない優美さを誇り、いろんな音楽で中心へ鎮座ましましてきた、楽器のなかで押しも押されぬスターなのだけども。それがこのイントロみたいに無骨な叩きかたをされてしまうと、原理的には打楽器ともいえるピアノが、いきなり先祖返りでも起こしたふうになってギョッとします。(バルトークとか、あるいはカプースチンにあるような感覚というか) ピアノの音にびっくりさせられる、小気味よい始まりかたになってます。
 そうやってドラムやベースといっしょに動いていたかと思えば、するっと潜って、メロディにまぎれてしまったりするから捉えどころなくて。ピアノ本来の情感豊かさを押し出すのとはまた違っていて。無表情ヒロインのくちびるの端が上がっているのを見ちゃったときのような、すこし不思議な気分が尾をひいていきます。OP曲「イノセンス」もそうなのだけど、鍵盤楽器パートが、わりと生々しい質感をもった音からふわふわした電子音までをもつなげるように変転させてまして。それだからいっそう仮想現実的な空間の幅でもって音は広がっていき、中二バトル作品へもよくなじむ、軽くて薄いさわり心地を作ってくれるふうに感じます。

 そこへ合わさってきたのが青葉りんごボーカル。はじめて「希望のウタ」を聴いたときは、あのアホなロリ声 (失礼) が出ているのと同じ声帯から、あんなにもカッコいい歌が飛び出してくるとか、何かしらの詐欺ではないかと思ったものでした。
 けれども考えてみればロリボイスというのは、実在する子供の声とはもちろん別もので、耳もとでつんざいたりすることなく、息がふとく成熟しておりコントロールされているもの。堂々とした歌唱力と、愛嬌のアクセントを、うまいこと取り混ぜているボーカルというのは、そうしたロリボイスと同じところから出てきて、同じように架空の魅力をそなえていくものに感じます。
 本作「Humanity」でも歌唱力はいかんなく発揮されるわけなのだけど、そうやって声がよく張られるからこそ、かえって、ふっと弱くなりあどけなくなるところが際立っているようで。たとえば「人をなぞって、 紡ぐ言葉に、 価値などあるのだろうか。」のところで妙に優しい声音をのぞかせていたり。
 やけに力強いピアノがあったり、やけに力強い歌声であったり。そうした印象的なものを強く押し出しておきながら、ふっとかき消してしまう満ち引きがあるから、勢いよく音が抜けていったあとへ儚さが残って。仮初めのもの、ほんの一瞬のものによく懸けてみせる歌となっていました。
水も滴る色っぽさで、妖しく均されたリズム感。

 ちりちり耳にひりつくハイハット。小揺るぎもしないベース。そこへと痩身でダーティでねっとりしたボーカルがからみついていく、BLゲー主題歌です。おしなべてみて「Touch me. Fuck me. Try to hack me」「Don't stop. Don't stop, run.」など、規則正しいリズムを重ねていく曲だからノリやすくて、かぶいた雰囲気のボーカルのわりに親しみやすい。「It came over, crawls up ~」のあたりとかは酒とタバコで枯れたような暗いしゃがれ声で這ってみせたりするけど、それにすらも烏の濡羽色じみたラメが薄すらと差し、色気をおびた歌声になっています。

 なにぶん自分からしてみると完全に射程外なところの作品なのですが、たまたま知ったのは、松根マサト(アリスフロムジャパン) 制作のムービーを気に入り、それを辿っていったゆえでした。
 『大帝国』などのムービーを手がけていた方だけど、文字をスライドさせたり延べたり曲げたりしながら、単なる装飾のように散りばめていく過剰さがひとつ特徴となってまして。『天使のたまご』デモムービーの頃からつづく、ミルフィーユ生地みたいな映像づくりは楽しい。『echo.』OPムービーではやたら遠大な情景をひらいてく曲とともに α, β, γ, δ, ε, ζ, η―― 綴りをぼんやり追っていくのとか謎めいて心地よかった。
 後年になるとTVアニメ『機巧少女は傷つかない』EDムービーにも参加してるのですけど、アノ「回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ」みたいに、節回しへと工夫してるうちに意味とか遠心分離機しちゃった音楽とは、特に相性がよい作風であるよう思います。

 そうした意味では本作「LUCKY DOG」もまた、言い回しにちょっと面白い癖をふくんだ歌です。ビジュアル系といおうか、いちいち大仰なニュアンスで発声していて、たとえば "lightly" が「らいちゅありぃ」と湿ってしまうほど舌の上でなまめかしく弄ぶ。かと思えば、どこかしら読経を思わせるようなリズム感がまぎれこんできたりもします (1拍へと漢字1文字を対応させてしまう読経の、のっぺりと規則正しいにもかかわらず1拍ごとリズムが変則的に揺れるあの感じ)。
 かてて加えて、ところどころ女形みたいに喘ぎ声まで混ぜ込んでみたりすると行き過ぎの色っぽさをまとってきて、ここまでくると、もう男性からはおよそ隔絶したイケメンが爆誕しておりまして。宝塚にある耽美ともまたちょっと違うのだけど、いずれにせよ、うらやむ気すら起こらない方向へと突き抜けてしまっててカッコいい。
 ところでエロゲヒロインは、ごく普通に男性目線でもって可愛くあってくれるもので。わたしとも最終的にわかりあえる理由からケンカとか仲直りをしてくれるゆえ、物語は成り立つ。だからこそ、彼女たちはいちばん根っこのところに男性の思考回路をのっけてるふうに見えるときどきがあり、そこにホモ臭さを感じてしまうような個人的経験があったりもします。ひょっとすれば、それと鏡映しなのやもだけど、OPムービーで入れ替わり立ち替わりするヒーローたちの華奢な線とか間合いの近さからはレズっぽさが匂ってくるみたいで、そこへと思わず親近感を覚えてしまったりもするのです。
ギターがふざけていやがる。

 岸田教団の曲はやんちゃな印象のコード進行がわりあい独特で、その一連の音楽にわかりやすい色をつけているよう思います (「夏色ストレート!」と「秋空」をつなげると違和感がどこいった、みたいな小ネタもかつて話題にされたりしました)。
 またボーカルは力強い滑舌でもって、ストレートに音と詩を伝えてくる。まっすぐにメッセージをつむいでくれるから、聴きやすさはばっちり担保されており。わりと真面目にポップしてくれてる印象があります。
 ところが堅実な曲づくりになっていたはずのところ、完全にふざけてやがるのがギター。ところどころ狙いすましたように奇声をあげると曲をひっかきまわしていきます。たぶんコイツが犯人です。

 たとえば、エロゲからはひとつ離れたところの曲だけど「84」。ボーカルは真摯に言葉を伝えようとしているというのに、「見えない 空間 触る 哲学」あたりでからんでくるギターとか、ちりちりと電波を撒き散らしていって群青色なのです (0:57~)。切実なものが歌いかけられるなか、おどけて雑音じみたチューニングが混線してきたことで、残った16%分でなんとかつながろうとした希望をより掻き立てられてしまいます。

 あるいは、エロゲからふたつくらい離れたところの曲だけれど「Alchemy」。歌詞はおどけた風情なものの、その内容はといえばわりかし穏当で、わたしなどでも理解が追いつきそう (現実の仕手戦プレイヤーや経営者のほうがよほど度し難く、イカれた名言を垂れ流しつつ生きたり爆死したりするものだから、経済や軍事について物語をするときは現実のほうからリアリティが失せやすい気がする)。またそれにともなう全体の曲構成にしても外さないもので、期待を裏切らないポートフォリオが組まれています。
 しかしながら、やっぱりギターはひっどい。ボーカルが「君にはまだこの街のルールを~」わりかし真面目に教訓を述べているというのに、ギターは酔っぱらった逆張りで、もういっそ「ピーヒャララ ピピーヒャラ」としか聞こえない囃し立てをはじめる (0:37~)。くっそwwwおいギターてめぇもっと真面目やれよwwwwww 聴くたびたび爆笑をさそわれるイカれっぷりで、すげぇ好きなんです!

 そして、どんぴしゃエロゲソングである本作「夏色ストレート!」。『夏色ストレート!』の第一印象になるよう、いちだんと明快に仕上げられているのだけど、またしても変節漢なギターは暑っくるしいノイズをつっこんできて、さぁ楽しい。
 さぁ今年いちばんの夏空のもとレースは始まり各車いっせいにアクセル吹かした! とばかりイントロから疾走感をつけていき、ボーカルはひたすらまっすぐな声で踏み込んでいくのだけど、そこへギターのやつが蛇行してブレーキ擦り切れそうなくらいギュンギュン異音を投げ込みやがるのです。だからかえって、それでもなお止まることない女の子のまっすぐストレート感だけが浮き上がって、曲のはじめから終わりまで、ひたすら突き抜けていって。たとえば間奏(1:40~)のギターが好き放題に暴れまわった後だって、「僕の 昨日は 嘘じゃないから」ぴんと先まで細くなって、それでもなお擦り切れることない声がとおる。ただまっすぐに、進みつづけていくさまに喝采をあげたくなります。
 騒々しいギターの響きを踏みきった反動でもって、夏空の向こうめがけて打ち上がっていくような、爽快な歌です。
「あいしーてるー」がエコーしていって、それからまた戻ってくるだけ。

 「いとしーの すくーぼーい わたし さむらいがーる めーったに か・た・なは ぬかーなーいー」そんな可愛らしいフレーズが、延々と繰りかえされてゆく。最初はいったい何を言ってるのか意味不明だった。
 でも、小倉結衣ボイスがめっぽう可愛い。やわらかいエコーをかけたりした声のトーンが耳に心地よすぎるから、何度も聴きかえしてしまって。そのうちに歌詞が分かってくると……やっぱり何を言ってるのかは意味不明だった。分かるかいっ、こんなもん。どうして、あそこから「あいしーてるー」に繋がっていくのだろう。

 もとより原曲からして、武士っ娘を愛でるキャラゲーのED曲なものだから、カワイイ全振りでもって、特に意味もなく愛を注いでくれる歌になってるわけでして。
 そこにきて、こちらの「Reprise」バージョンでは、ややオサレ方向へとマイナーチェンジがなされた。ピアノの和音が厚くなったりすると、曲に格好がついてまとまりよくなった。小倉結衣のあざとかわいい甘さもやや控えめになり、キャラソング的なボーカルごり押し感は弱まって、彼女の声をも素材のひとつとして曲になじませている。
 だからよけいに歌詞の意味内容とかは、千々にまかれて散乱して「あいしーてるー」がエコーしていって。それからまた戻ってくるだけ。彼女が何を言ってるのか全然わからないまま、ただもう声のトーンの心地よさのみにひたってしまう。


 さて、以下すべて余談。
 レイ・カーヴァーの短編小説に『使い走り』というのがあり、死にゆくチェーホフのもとにトルストイが訪ねてくる一節があって。チェーホフの劇作について、こんなふうに書かれている。
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トルストイは彼の劇はスタティックであり、モラルの展望に欠けていると思っていた。「君の劇の登場人物は君を何処に連れていくんだい?」とあるとき彼はチェーホフに尋ねた。「ソファーからがらくたを詰めた部屋に移って、それからまた戻ってくるだけじゃないか」
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この評というのが、なんだか自分にとってのエロゲにもぴったりくるように思えて、好きなのだ。
 ループものと相性がよいエロゲ。他のプレイヤーと語り合おうとすると、わたしが好きなヒロインがいちばん可愛い、あなたの好きなヒロインもいちばん可愛い、みたいな化かし合いになりがちなエロゲ。話題のタネは変わっていっても、特に進展とかは見あたらないから、ときどきふっと怖くなる。「君の劇の登場人物は君を何処に連れていくんだい?」

 そういうところが憎らしくて愛おしくて、エロゲをこじらせてるわけなのだけど、「サムライガール~Reprise」みたいなエロゲソングからは、それと似たような響きを感じる。「あいしーてるー」がエコーして、それからまた戻ってくるだけの在りかたが、魅力的だと思う。
80ひかり (君に燈る灯のOP )
小さな場所のための賛美歌。

 イントロのメロディからきれい。耳がぽんこつだからよく判らないけど、ヴィブラフォンなのでしょうか、冬空に溶けていくような音色は素朴できれい。ただし作品舞台であった北海道の広大さとかは感じられなくて、音の振動(ヴィブラート) を雪が吸いとってしまったような、広く響くことなく消える音。あとに残らず、大仰にふるわず、そのまま忘れられてしまいそうなポップスで、よけい愛おしみたくなってしまう。

 ところで最近、出勤の時間がずれたとき、乗り換えのため朝7:00の四ツ谷駅にいると、すぐとなりにある聖イグナチオ教会の鐘が駅構内まで大きく鳴り響いてきてちょっとびっくりした。
 そういえば昔、イスラーム圏ではじめてエザンを聞いたときにも驚かされたものだった (災害サイレンかとびびった)。けれど、早朝の町外れをとぼとぼ歩くはめになって方角が不安なときなどは、ありがたいことにエザンが響いてくると、スマホのGPSよりも安堵する肌感覚でもって「あっちがこの町のセンターか」と声のする方へと向かって行けたりもして。そのうちには特に意識することもない、生活にまぎれる音になっていた。
 東京のど真ん中にも、自分の日常からちょっと外れたところへ行くだけで、そうした音が当たり前に響いている場所が在るのだとわかると不思議な気分になる。

 2005年当時も今も、エロゲはしばしば教会とか天使のイメージを好むのだけど、そこからは生活感がぽっかり抜けているふうで、しあわせな事だと思う。暮らしの一部として教会があるわけではなく、貞淑なイメージカラーを女の子につけるだけだったり、お話に神秘性を残しておくためだったり。祈りとか奇跡をかんたんに用いると、そのなかへと女の子の気持ちを隠すことで、お話のエンディングをまるめてくれたりする。エロゲはポルノだから、あまり大手をふった教訓話とかは本来やりきれるはずもなくて。やっぱり最後にはなんとなく微笑んで口ごもってヒロインが祈っている姿が、かくあれかしなのだと思う。そうやって世間での生活から隠れる、なよなよしさを居心地よく感じてしまう。

 すっかり話がそれたけど、そうした優しげな感じを、わたしによく思わせてくれるエロゲソングが本作「ひかり」。高らかに響くことなく、音数もやや寂しいくらいに限られていて。けれども、悲しげなところまでは落ちることなく、消えていってしまうふう。「もぅ、少し、触れて感じたかった」「ねぇ、すべて、伝えられずにいたよ」「ねぇ、もっと――」未完になった思いを、今はただもう穏やかな場所で、のべつ話しているボーカルが心地よい。おおげさにヴィブラートをふるわせたりしなくて、素っ気ないほど気持ちは凪いでいる。
 ありきたりのポップスらしく、間奏のギターソロとかは感傷的に鳴り響くのだけれど、またボーカルが戻ってくれば、すっと自然に途切れてしまうところとかも清々しい。ありきたりのポップスらしく、ラストには盛り上げの転調がくるのだけど、ここで、やっとボーカルの頬に赤みが戻るように温度感がついてきて、すごく嬉しい。「希望のひかり、やっと――」少したどたどしい口ぶりが心に響く。
ストレートに熱をおびた歌が気持ちよい。

 個人的な所感だけど、Kiccoボーカルにはややエロゲソングらしさが薄いふうに感じております。ここでわたしが勝手にきめつけた "エロゲソングらしさ"なるものとは、KOTOKOや佐倉紗織に代表されるような、在りえないほど安定した音による、のっぺり平面的な快感みたいなやつです。声優さんが造り出している、現実には存在しえないロリ声やお姉さんボイスの、すべらかな耳ざわりとも同じたぐいのなにかしら。異様に摩擦のないどこかで鳴るきれいな音。
 そうした傾向が、Kiccoボーカルにおいては薄くて、もっと世ずれした魅力 (あるいはJ-POPにも近い感じ) の歌声をよくもちいているふうに聴こえます。具体的には、滑舌のハキハキした、少女ちっくになりすぎない発声であったり。本作でいうなら、「輝いて」「情熱の」「一秒」こなれたミックスボイスをつかって、飾り気のない地声から、心を震わせる裏声へのギアチェンジがなされる。すると、そこでの感情のたかぶりは立体的な、ごく身近なかたちへ引き下ろされてきます。きちんと熱量をともなって鳴るきれいな音。

 本作のけれん味のない作曲は、そうしたボーカルの感情の発露をほとんど完璧なくらい活かしており、気持ちよく張り上がる声へは、やすやすと同調させられちゃいます。サビの入りで「ラァジオから!」ボーカルをがっつり聴かせて、耳をさらっていくところの吸引力とかもうすごい。さらには、そうした力強さで魅せるのみならず、曲のてっぺんあたりでうっすら鳴るシンセの高音は、ボーカルラインが裏声を混ぜてふっと跳び上がった瞬間をやわらかく受けとめて曲へなじませたりもする。細やかな手入れまでゆき届いており、とても聴きよいボーカルものになっていました。

 他方では、けれん味ある曲へあわせてみるのも、それはそれで一興でして。新作の「アカリノアリカ」(『縁りて此の葉は紅に』主題歌) とかは、いきなりトップギアから入ってきてゴリ押しする曲調。Lump of Sugarのテーマ曲はときどきやけに好戦的になってるときがあって、これを聴かせながら「わたしは―――ご主人のペットだよっ♪」とか言い出すのだから、なんともすごい。かつて『タユタマ』の共存の物語においても、可愛い顔してポジショントークを引っ込めないヒロインたちによる鞘当てが印象的だったけど、なにかしらブランドの伝統であったりするのでしょうか。
 「アカリノアリカ」では、やかましく先駆けするギター1号とか、つんと澄ましたストリングスとか、やたら弱キックで牽制してくるドラムとか、異様にうねうねして存在感を放ちはじめるギター2号。みんなみんなが前に出ようと殺到してきて、おさまりつかない競演が白熱してゆきます。お前ら、ゆずりあいと共存はどうした (とりあえず、ひとり真面目にお仕事してるベースさんにあやまって!)。
 ところが、そうしたせめぎ合いにも物怖じせず、いいから全員ついてこいと言わんばかりにセンターポジションをゆずらないボーカルというのがまた力強い。曲がらず、たゆたうことなく、力強い歌声です。一字一句、言い聞かせては説き伏せようとするのだけど、はたして、あの高飛車なストリングスとか、性根の曲がってそうなギター2号が唯々諾々としているとも思えず―――。そんなふうに波乱ぶくみで、面白いなりをした一曲となっているよう感じます。
 ストレートな響きかたが魅力のボーカルですが、それゆえに、そのときどきの曲のかたちをよく見せるところがあるやもしれません。
グラフィカルな音づくりが気持ちよくて、電車の中じゃ聴けない。

 MANYO楽曲はどれも好きなのだけど、明るくリズミカルなものなどは、聴いてるうちにウキウキしてきます。とりわけ本作や「Primary」などはストリングスアレンジがわかりやすく楽しい曲でして、わたしなど耳にタコができるほど聴き、からだによく染み込んでおりまして。
 だからもう電車の中とかの人前では、うっかり聴けたものじゃありません。聴いているうち、われ知らずにエアヴァイオリンをやらかしてしまい、すごく恥ずかしい人になりかねないからです。「タラララ リーラ ラーリラー♪」って、もうどこへ出しても恥ずかしくない立派な不審者なのです。恥ずかしい。
 良いポップソング (売れる歌) には二種類しかなくて、しんみりくるバラードか、観客がかんたんに声を揃えられるところを用意した曲である。そんな話を聞いたことがあるけど、そうした尺度からしても、この曲のストリングスは素晴らしい出来映えなんです。そのせいで、わたしなどは右手がなぐさみに動き出して、めちゃくちゃで下手っぴいに、できもしないボウイングとかやっちゃうのぉぉぉ (びくんびくんっ)

 MANYO曲はおしなべて楽器の種類を多めに用意して、そのわりに、ある場面ごとでしか音を押し出さないようにしておくのでメリハリがついてます。バリエーション豊かながらも音の詰まってる感じがせず、ある楽器が鳴っているところから別の楽器への間取りについて、よく気を配ってくださる。それだからひとつひとつの音は濁りあわず、見て取りやすく、すっきりリズミカルに配列されるのですね。
 参加されていた『Clover Day's OST』の「Clover Day's suite 1~6」とかは、徐々に音を増やしていく趣向ながら、ひとつ前のsuiteでは主役を張っていた楽器が、ごく自然に身を引いていたりする楽曲群でした。ちょうどそんな感じに楽器を出したり引っこめたり、おのおのに見せ場をしっかり整えるスタンスがMANYOにはあるようで。
 たとえば、ボーカル曲「Clover Day's」においても演奏の表情がよく見えてきます。ステージの幕を切って落とすピアノのすばやいグリッサンドが、鍵盤をしたりと滑ってゆくひらめきであったり (0:11)。ラスト前のタメを任されたギターのカッティングが、想いをグッとこらえて弦を押さえこんだ指のかたくなさであったり (3:11)。それらのもつ豊かな表情は、わたしみたいな楽器をやらない人にだって想像できて、その生き生きとした活躍を見ていくのが楽しくなっちゃうのです。グラフィカルな音の動きです。

 さて本作「TIME」などはストリングスをよく利かせた曲で、ボーカルラインに並立したりしながらよく動きます。なのだけど、彼らは出ずっぱりで曲を支えているわけでなく、歌声からはいくぶん距離をとりつつ、さらに華のあるポジションを任されているのですよね。
 片霧烈火は、それこそ燃え上がるような歌をつけることだって出来るボーカリストなのだけど、本作では波立つことなく安心して聴いていられるような、よくよく耳になじむ声を提供してくださってます。そうした穏やかな声がメロディにそって平常運転をつづけてくれるから、ストリングスのほうは存分に遊びをもって動き出せるのです。
 イントロ、アウトロなどで曲の雰囲気を決定づけてるのは彼らだし、サビ始めではもったいつけた二音を予告しておいてから加わるという緩やかさ。おしなべて長めの音符をしきつめた楽曲だから、たまにストリングスが短く切り返したりすると、その動きはものすごく鮮やかに映ります。ちょこまか利発に動くストリングスが目を引いたらば、そのベースとなっていた、まったりボーカルのぬくもりもいっそう沁み入るものになりまして。
 そんなしあわせな距離感が成立してるから、悠々としたスペースのなかに合いの手を入れていくストリングスは、見るからに気持ちよさそうに動きまわって好いのです。そこへ思わずも、かんたんに手を伸ばしてみたくなっちゃって。恥ずかしいわたしなんかもう、右手が空想の弓をもってデタラメに動きはじめちゃうにょぉぉぉぉぉ (びくんびくんっ)

 "曲に思いを込める" ふうの勘違いとかはなく、"曲で思いを表す" ことにつとめた、良く見せる音楽です。
踊りかたはおぼつかなく純水。

 高音域にはシャリシャリ感あるシンバルとかやせっぽちなストリングスがついてまわり、音数も少なめなので、耳あたりはひんやり軽くなります。そこへ浮遊感のあるエコーがかかってくるゆえ、ドライミストみたいな、耳に触れたそばから消えていく小粒な音楽という印象。残らないから、さわやかです。

 『虹を見つけたら教えて。 』はエロゲをはじめたての頃に体験版だけやって、これはスルースキルが足らないと読むのがむずかしいやつだマジコワイ、となり避けてしまった作品でした。『SWAN SONG』みたいな風貌をした美少女ゲームならまだしも危なげないのだけど、こちらの作品の風貌でもってスイの存在とかあると、さわるのから怖かったです。
 そうして偏見ぶくみのイメージを抱いていた作品だったから、そのイメージソングとして聞いたこの曲にも、妙な印象がついていきまして。アップテンポと単純な4つ打ちをもった、さわやかダンスナンバーなのだけど、聞いているうちに意味もなく不安をかき立てられてしまい面白いのです。

 ひとつには、そっけなくて薄い電子音のとりまぜかたなどから、薄氷の上で踊っているみたいな儚さがあります。さらにいえば構成のほうも、ところどころ余裕がなくて。たとえば「優しい気持ち 撒き散らせ sheet of spray」から「水溜り dancing jump」にかけてなど、サビを重ねるところは急ぎすぎてるふう。わたしの感覚するとワンテンポだけ曲が走りすぎているから、その突拍子もなさにとまどって、水面下で違和感はふくらんでいきます。
 そうしたリズムに翻弄されるかのように、踊り手であるところのボーカルの足どりも、いいぐあいにおぼつかないです。歌い出しから人形めかせた棒読みではじめますし、「見慣れた町並みぃつもの」や「見慣れた海辺にょみがえる」のあたりでは、歌詞のほうが焦ってもつれて (音符が足りておらず) ちょっと吃音みたくなっている。そうしたつかえつかえの言葉づかいで、とても晴れやかな内容を晴れやかに歌ってゆくものだから、その笑顔はいっそう危なっかしくて。聞いてるだけのこちらがハラハラしてしまいます。
 けれど、それはわたしが小賢しい理屈をいろいろ考えているからで、歌のなかの女の子はそれはそれで、どこまでもしあわせな世界に生きているもので。いかにも世ずれしない歌声に気をもんでいるうち、ついには惹かれちゃいました。"純粋なもの" というのはたいがい劇物なのだけど、それに触れたときの晴れやかさやおそろしさを漂わせた曲として覚えております。
薄気味の悪いパラレルがよく耳に残っている。

 ややも無感動なウィスパーボイス、無骨に二度鳴っては立ち消えるシンバル、冷たくも温かくもないシンセのメロディ。そんなふうに流れゆくイントロがなかなか印象的。

 茶太ボーカルは熱のこもらない声づかいで心地よいです。たとえば心がささくれだっているときにも、そこへ触れてくることをしない、癒やしたり病ませたりをしないスタンスを好ましく思います。そうしたボーカルの、おっとりナチュラル闇属性が本作ではにじみ出ており、気力がなくて投げやりな歌でもって世界はうすく延ばされていくみたい。サビ前の「さぁ行くよー」とかを聞くと、いや結局どこへも行きつけないのだろーなという思いをさそわれまして。ポジティブな言葉にもかかわらず諦観のトーンが残っていって、そのズレた感じとか面白いです。

 どうにも曲を通して、つねに和声が薄気味悪いよう感じます。たとえばサビ終わりの「離さないでー」のところでは、ボーカルの投げやりな声の伸ばしかたと、ストリングスの無機質な弓の運びかたが、絶妙にからまないまま平行線をたどっているような (本編物語をかんがみるなら「夜の世界」がうっすら日常とパラレルするような)。
 あるいは、立ち消えてしまったクラッシュシンバルにせよ、あまりに無機質なストリングスにせよ、音を減衰させるのが不自然に早いです。だから、ボーカルの声音に人恋しい夢を見ていたところだったのに、それがプツリと途切れてしまったような気分となって。どうやって聞いたものか割り切れないまま、奇妙な温度感をもって印象に残っているエロゲソングのひとつでございます。この薄気味悪さを眺めているのが、なんかちょっと好き、なのだと思う。
ふんわり着飾ってキラキラしていてくれるエロゲソング。

 出会いがしら、身だしなみのよい音を見せてくれる。すべすべのストリングスを添えて、キュートで力の抜けた「ララ・ララ・ランララ」のイントロは、いかにも涼しげなオシャレさん。はじめて聴いたとき Round Table feat. Nino あたりとか脳裏をよぎっていった。
 けれど、いざ歌い出してみたらば Clochette feat. Yuno とばかりの低めにおさえたボーカルが、いたずらっ気をふくませて甘くささやくAメロがくる。かと思えば、音割れ一歩手前までぐわぁっとボルテージを上げていき、夏空いっぱいの高さまで届くサビとなって。そうして響きわたらせると、またしとやかに「ララ・ララ・ランララ」。いつでも楽しげなトーンのなか、ちょくちょく変わってく歌の表情でひきつけると、心地よいこの場所へと根づかせていく。そんな進行がブランド色にもよく似合っている。
 全体としては優等生な曲構成めがけて着地していくのもまたClochetteっぽい。ときどきのぞくボーカルの野趣を、ストリングスの伴奏がなめして落ち着けたりと、熱気の走り過ぎることないよう上手にコントロールされている。さらには、こっそりいい仕事してるファンシーなギターとか、水切れ良い響きのライドやハイハットが支えていって。ほどよいだけ空気を温めると、スッキリ収まりよく仕上げられている。

 ところでClochetteのムービーは、足とか靴とか首筋といったパーツでもって色気を見せてくれることが多くて好き。乳袋で有名なブランドだけど、基本のところで保守的なメーカーさんだと思うし、エロゲの王道たる "塗り" を重ねに重ねて布のシワとか陰影とか追求していったら、乳袋がけしからんことになっちゃった感。『スズノネ』発売当時には、ヒロインの瞳が夕陽をキラッキラに照り返すエフェクトとか、ちょっとばかり驚かされた。
 本作のOPでもヒロインたちの靴をキラッと磨き込んでおり、そうやってエロさに如才なく着飾らせておく、猫のかぶりっぷりは素敵。わたしのムッツリスケベ心を直撃してくる。そうしてみるとこの曲にもまた、ボーカルの本気の声へと、オシャレ小物をいっぱい散りばめ、しゃらしゃら軽くしておいた風情があって。がっつりエロいCGが売りの作品本編に先がけて、ふんわり澄ましたイメージをまぶしたみたいで、とても綺麗に仕事してるエロゲソングだと思う。
ローファイな歌声で素敵。

 テンションのかかってないギターとか、曇ったシンバルとか、どこもかしこも音像は結ばれておらず、やみくもに雑踏のなかをかき分けていくような曲。
 ところが、そこで雑踏をかき分けていく役どころのボーカルが、いちだんと締まりないありさま。楽器隊よりもさらにいっそうローファイな音づくりになっており、ひずんでにじんで、解像度がわちゃわちゃに低い。歌ってる女の子との間には真鍮のシャッターが降りてて、それをはさんだ向こう側からわめき散らすみたいに、こもって響いてくる。
 そこにきて歌詞がノリと勢いだけで内容はもたず、「木霊する!」「かき鳴らせ!」と、今まさに演ってるこの曲そのものをエコーさせていく。ここにはただただ、音を出す! という動きだけがあって、せまいハコでやる演奏だからそのローファイな音は充填されてゆき、出口を求めてやみくもにエコーし続ける。「トビラを叩け! トビラを叩け!!」引き戸をひたすら前に押してるような、愚直で後先考えず、勢いまかせな繰り返しがカッコいい。

 エロゲのお話というやつは惚れた時点で負けというか、こまけぇこたぁいいんだよヒロイン可愛い!となった時点で勝ち。つまるところ勝ちとか負けとか考えないアホになって、攻略順やらコスパやらも度外視してるときがいちばんしあわせで。そうした下半身直結の夢と希望に、うまいこと重なってエコーするような、内容のない歌になっているよう感じる。
 そして低解像度でローファイな歌声をぶんまわしてトビラを破ろうとしてるのだから、その先にあるのは、どこか遠いアチラの世界とかじゃなくて。よもやコッチ側に突き抜けてきちゃうのではないかという夢がいまだ残ってて。それが素敵だと思う。
子守唄みたいになじってくれる歌。

 raiL-soft作品にはどうにも食わず嫌いな苦手意識をもっています。ブランド処女作『霞外籠逗留記』において、文体とCVのリズムがぶつかってるように感じたり、文字表示の組み方だったり、読むときの感覚に違和感があって入り込めなかったのです。中学・高校へはTRPGのルールブックが入った鞄をもって登校して、大学生になると登校せずに泉鏡花を枕に昼寝してた (だって言葉むずかしいんだもん!)、そんな趣味であったから、希シナリオは好きでなくちゃいけないみたいな、こじれた義務感をかつては抱いておりまして。けれど結局、手は伸びなかったので、どうも縁が結ばれてないようです。
 だいたい、OPをほぼ担当なさってる松本慎一郎がいけません。「濛々たる黒煙は咲き」にせよ「厭穢欣浄」にせよ「Melancholia」にせよ、どれもこれも "量産されていくエロゲソングらしさ" を欠いており、きっちりそれぞれのジャンルのオマージュがなされていて、エロゲの判子っぽさが、あの工業製品らしさが欠けている。すると、ここではまことに物語がなされる予感がしてきて。わたしのように萌え絵でシコりたい人などは、それでついつい二の足を踏んでしまうのです。すべて松本慎一郎が悪いのだ (嘘です、すみません)。

 さて、こんな人間に言われてもさぞや困るでしょうが、本作「apoptosis」のことは好きなのです。いやこんなモノの判らない人間に好かれたって迷惑ですねそうですよね存じ上げております。嘘ですごめんね、ごめんくださいね。
 廃屋から、とり残されたピアノの音が漏れ聞こえてくる。そんな印象の冒頭からはじまる曲です。そこへ寄せられた歌はというと、かすかに喘ぎつつ息をしぼって、ツツジの蜜をこすりつけるみたいに甘くささやく。
 ところが、リズムセクションはとても甲斐甲斐しく楽曲を支えていきますし、管楽器やストリングスまでもニ音、三音と彩りをそえておりバラエティ豊かです。ほろびゆくものを歌っているはずなのに潤沢で。冒頭で提示された、廃屋ピアノにそれを爪弾く細い指といった情景を、空恐ろしくなるほど綺麗に飾り立てては、ポップソングへ仕上げていると思います。食わず嫌いなわたしでも飲み込みやすいようにと、甘いオブラートがかけられてて。「嘘吐き」「綺麗な顔で」「嘘吐き」「まがい物の」そうなじる声が、よく薄められた毒みたいに響き、甘美です。
 この曲が鳴っている場所は、けして、美しくほろびたギリシャの廃墟とかではなくて、ショッピングモールをきちんと量産した町はずれの、採算が合わないから取り壊されなかっただけの日本家屋で (美しくなんてほろべるつもりだったの? 甘い甘い)。そこにかつて美しくあったまことの物語とかは、真綿で首を締められながら、ゆっくりゆっくり、窒息していって。仕舞いに掠れた喘ぎ声だけが残って、このボーカルの息づかいとなっている。そんなイメージを抱いております。「卑しく、皮肉めいて」「嘘吐き」「嘘吐き」「…やめて」すべて知ったふうになじる声が甘く、耳のやわらかいところを撫ぜつづけてくれる。おそろしく居心地のよい歌です。
めちゃくちゃで個人的な印象だけど、新島シナリオをうち負かしてくれる歌。

 SAGA PLANETSの四季シリーズからはいくつもの名曲や迷曲が輩出されていて、物語と結びつきながら当たったり外れたり、なにかと印象に残っています。『はつゆきさくら』でいうなら「Presto」から想い出される、屋台で玉樹とおしゃべりしてたロスタイムとかの、卒業前にぽっかりひらけた空白をアルバムへはさみ込もうとする時間感覚であったり。その反面として、物語にあどけなきものを散りばめる手つきが稚拙すぎて、読んでていたたまれない場面ごと、聴いた記憶をバニッシュしてしまった「メリーゴーランドをぶっ壊せ」があったり。なにかにつけ印象的ではあり、好悪のふれる歌が多かったです。

 話は飛ぶのだけど、四季シリーズの頃の新島シナリオには萌えゲーを踏みにじりにきてるフシがありました (最近のは知らない)。ほんたにかなえが描いた最高にしあわせな女の子に、新島夕が悲しい物語をべっとり塗り重ねるさまが奇妙に感動を呼んだり。姫ノ木あくが書き上げた最高に可愛い女の子を、新島夕が紙の上の存在に変えてしまうさまがグロテスクであったり。そうして生まれてくるキャラクターが独特な質感をもっています。萌えゲーに寄生するシナリオライターさんという印象がありますし、また、そうした生命力にこそ魅力の源泉をもつよう感じます。ほんたにかなえや姫ノ木あくが筆で命を吹き込んだ可愛い女の子を、新島夕が愛情きわまって筆で死なせてしまうコンビネーションに、どうもわたしは惹かれてしまうみたいでして。
 そうした所感をふまえると、枕『サクラノ刻』に彼が参加するという話とかも、とりわけ面白みがあります。創作や贋作・オリジナリティの在りどころ(自分or環境?) といった話をきっと含むことになるだろう『サクラノ刻』。たとえばそこで新島夕の生み出す新キャラへと、我らがアイドル長山香奈が「あなたのしてることは最低です」とか罵り出して、お、おまっ…おまいう! って絶句させられたりとか。そういうの面白いと思うんです。そうやって、みんなみんな地べたで争いながら、お月さまへと去っていって欲しい。WWKD (What Would Kana Do? / 長山香奈ならどうする?) ってまた唱えたくなるんです。

 わたしはエロゲにそれなりの愛着をもっているから、"新島シナリオが描くもの" には、ついには負けて欲しいというような思いもいくらかあります。"新島作品" と通称されるエロゲにおいて、グランドシナリオとかぶっちぎって個別ヒロインのお話が輝いてるところへ残る、なにかしらの美しいもの。わたしは、新島夕がそれを書き続けて、ほんたにかなえや姫ノ木あくに負け続ける姿をこそ見ていたいのやもしれません。

 新島シナリオをうち負かすものというのは、(これは新島夕自身のアプローチでもあるけれど) 星とか月にまつわるおとぎ話なのだと思うし、もっといえば言葉でなく歌であり音なのかなとか思う。「ねぇママ、かぐや姫のご本、読んで」「またこれー? あなたもう出てくる字はぜんぶ読めるし、とっくに結末まで知っているのに、どうしてママがまた読まなきゃいけないのかしら?」「だって……聞いてたいんだもの!」そんな小さな頃に、枕もとにあった音。
 それだから、わたしは「Rolling Star☆彡」のことを好ましく思います。シンセの弱くぼやけて穏やかな基底音は、屋根の下のにぎやかな夜の音になっていて、ベッドから一歩もでない冒険の、ワクワクする感じをうまく楽曲全体にまぶしています。器用にプランニングされたボーカルユニットだとも思うけど、それでもみなさん精いっぱい夢をあふれさせ、自由に歌っていてよいなぁと思う。わたしがいちばん下のパートボーカルを気に入って、耳を傾けるところがちょっと下にズレていたためかもしれないけど、全体に中低音が気持ちよく通っていて、たいらかに穏やかなトーンができており夢心地へ落ちてゆけます。
 エレクトロニカルな音というのは、ふたつの鍵盤の遠さとか、自分のどうしようもなく短い指とかに、拘わらないところから鳴っていて。その響きはつかみどころなく続いていくから、先が見えずともどこまでも転がってゆけて、小さくてちっとも怖くない夜の曲ができあがっております。小さな頃に枕もとにあった音がふくまれてると感じるんです。
「su・ku・mi・zu☆ (イエイ!)」

 甘くてお馬鹿なボーカルへと声をあわせ、スク水愛を高らかに叫びたくなってしまう、紺色の魔力をもっている楽曲です。きわめて先進的かつ洗脳的な歌詞でございますから、たとえば親を乗せて運転しているときになんの間違いかカーステから流れてきたりすると、お通夜のしめやかさとなった車内に「su・ku・mi・zu!!」「ふにゃぁ~」「こんいろ♪ Doki☆Doki!! (イエイ!)」という甘~いNAOボーカルが充満することとなります。ねぇねぇ今日はいっしょに声を出してくれないのぉ? 歌声はとても甘くおねだりしてくるのですがゆるしてムリデス今日ばかりは脂汗しか出てきません。(※筆者の実体験ではございません)

 おどけた歌でもって耳をさらったところに、すかさずたたみかけてくる麻薬的リズムがまたよい仕事をしています。ちょっぴりおつむの残念な歌を甘く甘くマイペースに繰り返され、わたしの頭もかなり残念になったところへ、一瞬だけ本気出した高速ドラムが叩きこまれてくるからハッピー脳震盪なのです。がっくんがっくん揺さぶられ、なけなしの理性が口からこぼれ落ちてしまえば、後はもう「し・ん・す・く?」「きゅ・う・す・く?」ただただ愛のつぶやきしか出てきません。
 そうして脳みそ足らない子になってノリノリになっていると、うっかりあの麻薬的な高速ドラムまでも身体がリズムを取りにいってしまうからさぁ大変。床を踏まないように気をつけつつ (※マンション住まいです) あのズドドドドドをキックしてみようと無理な態勢で足バタバタさせて。なんか変なとこをこむら返りさせて、そういえば小学校のプールで溺れかけたときとかもこんな激痛だったなぁとか思い出してる余裕もなく、のたうち回ることになっちゃいまして。脂汗しか出てきません。いろいろ愉快な記憶の秘められた一曲となっております。(※けして筆者の実体験ではございません) (※つい2ヶ月ほど前のことです)
女性の情が深くてズルリとなりかける。

 メロスピといってしまってよいのでしょうか、豪華に盛ったサウンドと疾走感をたもちつつの進行。メタル系統があまり得意でないわたしなどにも聴きやすい曲となっています。ただそのぶん、ボーカルラインがすっきり通りすぎているがため、執拗なるキック連打の心地よさとかへはイマイチひたりにくいかも。観念的な詩と、感覚的な言いまわしでつきつけられた女性の情というのがズブズブ深すぎて、そちらへとハマり込んでしまいます。カッコいい曲をカッコよく、しかしながら女性らしい "しな" はぞんぶんに残して歌うYURIAボーカルが、よくハマっている楽曲だと思う。

 話がすっ飛ぶのですけど、最近、人生初のソシャゲに手を染めておりまして『ぼくらの放課後戦争!』。ペンギン呼んでタライを落とすお仕事をひたすらに繰り返しております。これが、やっているとわりかし脳死状態を堪能できるゲームデザインでございまして、死体にムチ打ってイベントを走るために、メタルとかメタルっぽいのとか流しておくのですよ。レイドボスが流れてきたら殴って、Burzum「Vanvidd」が流れてきたらわめき散らして、ぺーじゅん/茶太「りんごメタル」が流れてきたらによぃによぃによぃによぃによぃによぃによぃ突然鳴き出して。クリックぽちぽち。ペンギン呼んでタライ落として休日が暮れておりました。

 で、そうしたラインナップのなかに本作もいれてみたのですけど、いまひとつ似つかないのでして。どうしても声のしたたかさのほうに引っぱられてしまって、うまく作業が脳死できないのです。「あなたの 甘い声に ズルリとなりかける」といった声に込められた情念というのは重すぎて、聞き流すこととかできなくて。『天ツ風』本編でいうなれば、玉梓の情の深さとかあきらめの悪さみたいな、こわばった想いをやがてみっともないほど垂れ流しにするさまが魅惑もの。暗くきらびやかな曲調のなか、ボーカルの声質がよく形づくっている、むき出しになった女性の執念にズルリとなりかけます。
耳をそばだてなくても良いほどちっぽけ。

 ひとりごとみたいな速さで身近なことごとを話している、小さくてやさしい歌。アコースティックな音を彩りにそえた穏やかなポップソングだけど、木琴やらギロやら鳴らしていく手つきはわりかし賑やか。2番の「よおし気合いをいれようぉ」のとこで鳴ってるパーカッションとか、あれって、なんの音なんだろう。木目調の遊具をところどころへ散らかした風情となっていて、ちょっと楽しい。

 とりたてて "人に優しく" あろうとする歌ではないから、聴く人をいたわるわけでもなく、癒やしの旋律になろうというわけでもなくて。「届きますように」といいながら、たいしたメッセージ性があるわけでなく、包容力とかもぜんぜんないのだけど。
 けれど世知辛いことをいうと、優しい歌とかメッセージに癒やしてもらうときにだって、いくぶんかの感受性やらヒットポイントやらは必要なのでして。たまたま手持ちぶんの余裕がなかったりすると、優しいものすらきちんと受け取れなくなっちゃってぽいずん。
 そこへくると、心持ちぶんの楽しそうな顔をどっかに向けて、たまたま "ease me" な音をいつまでも流しているこんな曲とかはいい感じです。別にそのとき受け取れなくたって構わないくらいちっぽけだから、そばに持ちえることさえ知っておけば胸のつかえとか下りていく――ようなことがあったりなかったり。

 ぼんやりとビル街のなかに緑を探しているうち、日射しでクタクタになってたり。よおしと気合いをいれて髪を切りに行ったり。そんなことをつらつらしながら、頭のすみっこで、あの人から着信こないかなと気にかけてる子の歌。でもたぶん、返信とかなくても「あー、お仕事忙しいんだな」くらいにしか考えないタイプ。そんな人の目線でもって、足もとを流れる時間をひらっていく、小さな音楽となっている。気合いとかぜんぜんはいってないし、たぶん愛とか夢とかもかくべつには込められてない歌でして。そんなとこが大好きです。
"catch me!" って言われる前にこっちの耳が捕まってた。

 ものすごくキャッチーで、このごろでは呼び込むパワーが最強だった印象。ボーカルは曲のノリを追い風に、それをからだいっぱいに受けながらまくし立ててくる。勢いがつきすぎて、ややも聞きとれないくらいすっ飛んでいってステキ。たとえば「飽きる暇ないね day by day」のところとか、わたしのポンコツ耳だと聞き違えてしまって「アピール決まんないね day by day」ってなる。そんなふうに意味が二重にブレて見えちゃうほど、歌がキレッキレの大振りモーションで動きまわるから楽しくなっちゃう。

 曲づくりも最初からアクセル全開。ベースが単純にかっこよくて、ドラムなんかもズンドコドコドコと迫ってきて、耳にねじ込んできやがる。「へいだーりん きゃっちみー!」ってボーカルが叫ぶころには、もうすでにこっちが捕まってる。それはつまるところ、砂浜を走りながら「つかまえてごらんなさーい」っていうノリだから、聴いてる人を「はははこいつ~」気分にさせるにはそれなりの下ごしらえが必須なのだけど、それをサラッとこなして引き込んじゃうサウンドは強い。
 堀江晶太をはじめて聴いた「マリンブルーに沿って」でも歌い出しのところの、ソーダ水みたいに透明感あるギターで惚れたものだけど、むずかしい出し惜しみをやらない楽曲はやっぱり聴きやすい。
 この方のする、ギターが爽やかにはじけるときの音づくりは好み。たとえば本作でならBメロ「もう一歩 もう半歩~」のところ。いったんスネアとか引っ込ませると、歌のワガママ疾走感もちょっぴり引っ込むのだけれど、心地よいハイハットと軽妙なギターが耳の後ろをくすぐり続けて、曲の勢いはタメつつも耳をいっそう引き込んでしまう。しおらしくなるタイミングが巧妙な女の子というのはやっぱりかわいい。それとわかっていようが惹かれていっちゃう。

 (Meis Clausonにも似た印象があるのだけど) 聴くときの初期コストが低いというか、曲の可読性によく気をくだいてくれていまして。誰にでも第一印象からなんとなくノレるよう組まれたリズムワークとか、飽きる暇ない構成が巧いと思う。その他方では、歌詞などから見えてくるエロゲソングゆえのまるっこさが、優れて女性的というか、はばかることもなく感情的になってうち明けてくれて。
 そうしたわかりよいリズムと感情が合わさってみると、なんだかエモさ(?)を感じてしまう。この感動は言葉でなんか表せない!っていう合意がすでにふくまれていて、言葉の弱さ&コミュニケーションの強さにひたってしまえるようなエモさ (あるいは、並べるのは変な話だけどもJ-POPっぽさというか)。
 I'veをはじめとした脳みそピコピコする電波曲のリズム狂気とか。Keyの音楽なんかにあったピュアさへの狂気とか。そうしたもろもろにごく個人的に信じていたものとか、妄想していたもの、憑きものが、かつてはあったのだけど。堀江晶太から生まれてくるエロゲソングを聴いてると、そうしたもろもろの憑きものを忘れていくような感覚があって、なんだかいっそ清々しい。
歌声はときおり調子っぱずれになってほのぼの。

 茶太さんですね。その声帯から「もげー もげー」っていう肩こりほぐす超音波かなにかを出していらっしゃって、このお方はたぶんなんかこう、もうアレだ、かわいい。人類にあらんかぎり喉頭部の骨格とかが愛くるしい生き物なんですきっと。このかわゆい曲がナチュラルボーンに板につきすぎてて、なにげなく耳にはいってきては骨抜きにされちゃいますかわいい。特別天然記念物・ウサギキノコ。かわいい。

 でもって特別天然記念物なのだから飼いならされてはおらず、ウサギとゆうても "rabbit" でなく "hare" のたぐい。ちいさな子供と同じようにして野生のものであり、ひたむき無表情のままに驚き、突拍子もないところで笑うような純粋さをもちます。
 本作でいえば、イントロで繰り返される「そー すぃ (x4)」からして妙にダウナーな無表情っぷりです。気張らないつぶやきとなっており、キラキラ甘々なアッパーチューンへと逆張りしておくみたい。四声 (中国語) とかを連想してしまうふうな、ちょっと耳慣れぬ調子でもって変化していくのだけど、みっつめの「そー すぃ」のニュアンスとかすごく好き。カナリヤを飲み込んでしまった猫みたいに、ひとりでに満ち足り、そっけない表情をしています。どうにも言葉にしがたい天然ものの可愛らしさだからこそ、愛玩にむすびつくことない間合いがとれていて心地よいです。

 もちろん全体的には優しく癒やされる声音なのだけど、こちらをダイレクトに見やりながら歌う距離にはあらずで。天井をはすかいに見上げるみたいにして、ちょっと目線とか独特にずれてる。なに考えてんだがさっぱりわからん声をときおりもらします。そうやって、かわいいふるまいから作意をゆるーく抜いておき、聞く人のほほまでゆるませてしまうから上手いです。エロゲでいうなれば、アホ声のもつ効用ですね。
 たとえば、1番サビ終わりの「すこし溶けたバ二ラが スカートにこぼれた」のところとか。「こぼー れたー」口ぶりはほとんど投げやりなくらいに、自然体の調子っぱずれでなされる。その無邪気さにクスリと笑ってみぞおちとかゆるんじゃってるすきに、直後の「誰も見てないよ?」ナイショ話がふところに入りこんでいて、人なつこく優しくなっちゃうのです。
 とにもかくにも調子っぱずれな声のまぜこみ具合が巧くて、いましがた優しい歌を送ってきていた人が、そっぽ向いてつぶやいたり、声をひそめたり、ぼやいたりするから耳がいちいち楽しいです。そうやって歌のなかへとナチュラルに意表つく声音をおりこむのに長けているから、例えば「null」みたいなトリッキーに攻めている楽曲であっても、茶太ボーカルの用法としては真っ当で、わりあい普通に出来が良くなるのですね。

 ところでわたしは、ボーカルの声をバラバラの断面にしておいてから再構成して、そこへ意味らしきものを錯覚させていくようなアプローチがわりと好みでして。Artful Dodger「Outrageous」だとか、DE DE MOUSE「baby's star jam」みたいなやつ。
 茶太ボーカルのする自若とした声のとりまぜようは、そういった趣向へと妙にマッチしながらもあたたかみを残すようで、いくつかの歌が印象深いです。たとえば「Weekend Clock」でなされる壊れかけの時計みたいな言い回しとか面白いです。あるいは「風が流れる刹那」において、どこまでもどこまでもリフレインされてゆく「どん、ハー、あ…、あっちちー、アッ」の息づかいを聴いているだけで、自分の呼吸までなだらかになっていくしあわせは、なんの効果なのやら。メトロノームの役をふると楽しく演ってくれる歌声ですね。
 歌うというのは普段づかいの言葉とは断絶したところにあるから、誰もいないと思ってたときの鼻歌を聞かれたりするとポエミーで恥ずかしいのだけど、逆もまた然り、メロディをともなう歌のなかへ日頃の声づかいが入りこめば浮いてくるもので。なのにそれを自然と織りまぜてしまうのが茶太ボーカル。真綿みたいにやさしい歌と、ひとりごとめいた素の声のとりまぜが、ひとつ魅力であるボーカリストだと思います。大好き。
今なおも古びゆきつつある一曲。

 伸びやかに先導するヴァイオリンと、ゆったり支えていくチェロ。そのあいだに広がった音程差が穏やかな空間をつくりだすと、そこへボーカルの語るものをすっぽり包み込んでいくふう。サイバーパンクSFな未来像をひらきつつも、過去の蒐集物へのなつかしさにより支えることで、そのあいだに物語の広がりをつくりだした『木洩れ陽のノスタルジーカ』。そうしてヒロインたちの声をすっぽり包み込んでいったお話を、よく映し込んだテーマ曲です。
 全体的に音のコントラストはくっきりつけられており、セピア色の美しさを歌いながらも、ボーカルは勢いある息づかいをします。あるいは、それと気づかぬうちに時を刻んでいたパーカッションだけど、やがてスネアがきっぱり歩みを進めだすと、なかば勇ましいほどの曲調に。たたえて雄大に仕上がっておりました。

 さて『ノスタルジーカ』本編では、BGMやパートボイスなど音の並べかたにやや大味なところがあり、わたしは耳がいまいちしっくりきませんでした。
 あるいはシナリオ内容について象徴的にいえば、「語学音楽にも堪能で、六人の中ではもっとも国際派。」としたキャラ設定があったはずのカヤがそれを組み込めずいるあたり、"音" に奥ゆきはなかったと感じもします。嵩夜あやの "言葉" というのは基本的に活字ベースになっており、ルビをふった専門用語の格好良さなどまじえつつ、表意文字の使いかたにこだわるよう見受けます。「云う」といった表記を好んで用いたりするのだけど、それは「言う」とも「いう」とも違うわけで。個別担当のライターさんなどにしてみれば、そうした基礎的な言葉づかいを (心地よくも硬い) 独特なニュアンスへと寄せながら、ヒロインの恋愛感情を書き下さねばならず、いささか靴のサイズが合わないままのシナリオ作業であったやもと憶測してしまいます。
 本作「Eternal Wish」のする音づくりもまた、実のところ第一印象ではしっくりきませんでした。サウンドや歌詞はいくぶん大仰ともいえるし、パッヘルベルの「カノン」を本歌取りするのもこれ見よがしだから、わたしの好みではなくて。やがては個別ルートに入っていって、ちっぱいもとい小さい個別の恋愛感情へと着地していくことになるエロゲに、これほど風呂敷を広げた音楽というのは似つかないと思ってしまったのです。あの入学式の日のフロゥではないけど、新しい服のサイズが自分より大きすぎて、着られてしまってるみたいな。

 そんな気後れを覚えたものの、これは時が解決してくれるものでした。TVアニメ形式でもって一話ごとにOPムービーを眺めていき、『ノスタルジーカ』の世界とともに聴いているうち、いつとはなしに耳がなじんでおりまして。聴くときのフレームワークができあがっていく。すると、広大なバックグラウンドをことさら意識したりせず、そこから切りとった小さくて大事なものだけに、耳を傾ければよいと思いきれるようなりました。
 『ノスタルジーカ』はメインヒロイン攻略不可なエロゲです (※おっぱいは揉ましてくれる)。そんな彼女がライブラリアンとして、物語全体をひっくるめて後見してくれる立場にいつまでもいつまでも待機していてくれるのがわかったからこそ、このエロゲソングにも安心して耳を傾けられるようになったというか。おおよそエロゲソングは漠としたイメージを歌って作品を象徴するものだから、ヒロインのほうが物語のなかから一歩身を引いてそれを象徴してくれたりすると、歌と物語にしあわせな橋渡しがなされる気がします。はるかな近未来を、懐古調でもって描くような物語だったけど、それと結びつくことで曲への思い入れが深まりました―― 深まりつつあります。

 一身上のことだけれど、自分がユーザーとして老けていくなかで、かつて思慕したお姉さんキャラとかが歳下になっていたりすると、あまりにも不変でアンドロイドじみた初々しさのその人を前にして、生身のわたしはへこんだりする。
 そう考えてみると、はなっからアンドロイドそのものなヒロインとはすごいもので。
「どうやらこのからだの規格にはもう互換性がなくなって、完全な皮膚再生はどこへ行っても困難らしい。換装前提の生体パーツを、私が無理をいってずっと使ってきたのだから仕方もないのだけどな。……翔太、やっぱりその、恋人としては若い肌のほうが良いの、だよな?」いやそんなこともないよフロゥ、その古いパーツがやっぱり好きなんでしょう? ならもう可愛らしく老いてこうよフロゥペロペロペロペロという、倒錯して所帯じみた願望。彼女は、古びようとするからずっとロリっていう! すごいなぁアンドロイドもといちっぱい。

 年々、エロゲの絵柄は新しくすばらしく改善されていき、制作者さんもキャッチアップしたり脱落したりとせわしないです。それはまぁ「その場にとどまりたければ全力で走り続けるしかない」という、どんな仕事でも多かれ少なかれの事情なのだけど、ペロペロ愛好するだけの身のわたしなどは、ときおり懐かしくさみしくなることもあって。『ノスタルジーカ』なんてすでに公式が消え去っており、情報が逸失してゆく儚さをみずからの身をもって示してしまっている。
 そうしたさなか、この物語のメインヒロインみたいな、けっして手に入ることのない人がいつまでも物語のなかにいて、古びた映画をサルベージしてくれるのはありがたいもので。そんなふうにおとぎ話へ結びつくと、プレイ後の時間経過とともにわずかずつ思い入れが深まってゆき、これからも自分のなかで古びていくのが怖くない曲となっています。
 (Solve metus; feret haec aliquam tibi fama salutem.)
どことなく切羽詰まった語りかけが印象的。

 すっきりした目鼻立ちのメロディ、わかりよいリズムセクションによる、流れるような感触をもった曲。そうして各楽器のいいとこ取りをした彩り豊かさに囲われているなか、焦がれるように想いをつづっていく強くタイトな声がとりわけ耳に焼きついた。
 イントロから登場して、弓をいっぱいに使いながら弾かれるヴァイオリンなどは切なくも、メロディラインを悠々と引っぱっていく。けれどこの曲のいちばんの見どころは、そうした優美なメロディを下地にするなかで浮かび上がってくる、ボーカルからにじむ焦燥感とか歯切れよさだと思う。

 ボーカルは滑舌がよくて、歌詞をきっぱり伝えていくタイプ。Aメロではしっとり儚げに歌いはじめたものの、ぜんぜん我慢とかきかなくて、Bメロに入るとおのずと駆け足になり、堰を切ったように言葉をあふれさせてしまう。ひとつづりの終わりにくるたびたびにアクセントを執拗につけており「閉じる "なかれ"」「もう "いちど"」「この足で指で "わたし"」「追い続ける "あなた"」自分の心がゆらがぬよう、念押しするかのような語勢となる。
 サビになるとこうした節まわしはさらにくっきり浮かび上がってきて「こん "なにも"」「気配は "とおい"」「離れたくない "のだと"」「なぜ言えなかった "のだろ"」。今この瞬間を逃せばなにもかも伝えられなくなってしまうとばかり気が急いて、強いアクセントでもって執拗に想いを刻みつけるみたい。余裕とかぜんぜんない。美メロとかきれいなハーモニーとかに支えられつつも、ボーカルが無調法にたたみかける言葉づかいは楽曲を痩せぎすにひきしぼっていき、それゆえ切望はこちらの胸を締めつける。

 本作の「冷えたベッドを埋めた恋のヒトガタ」といった歌詞には、ちょっとドキッとした覚えがある。もういくぶんパワフルな曲調をもつ「新世界-whole new world-」でも、「ベッドを捨てて動き出す身体は」とか歌われていた。どことなく不自由げな、切羽詰まったような、線の細さがencounter+の世界観にはあって、そこでなされるのは "病弱少女がベッドから紡ぎ――たかった物語" みたいな遠い語りかけにも聴こえる。それだから繊細に糸をたぐっていくメロディラインのなか、ひたむきな語りかけは届かないことへの焦燥感すらはらんで。ロウソクが燃え尽きるまえ、ひときわ強くかがやくような息づかいに切なくなった。
トゥーンレンダリングみたいに点から面に、空間へと広がっていき、夜を想うボーカルもの。

 ベースの律動がめっぽう強いので、相対的にメロディがやや希薄に感じられる。実際のところ、まとまったメロディを担当してる楽器もこれといって見当たらない。ギターは節目をつなぐように用いられるのみで、ヴァイオリンなんてスネアへかぶせるふうな間欠的でパーカッシブな鳴らし方をする。もろもろの電子音もリズミカルな装飾であり、やはり点々として曲に添えられるだけ。音の有機的なつながりというやつが弱くて、そのなかでボーカルのハモリのみが和声をぽつねんと通していく。だから喧騒とかはまるでなく、真夜中の公園とか遊園地でただひとり歌ってるみたいな、ひっそりとした高揚感がにじみ出てきて。スイカみたいにひんやりシャリシャリ、かすかに甘さをもった音楽となる。
 音の有機的なつながりというやつが弱くて、まんべんなく空白を含んでいるので、噛めば口の中でほどけそうな質感となっていて好い。音は飽和することなく点々としてるのだけど、それぞれの位置をはっきりと知らせるし、またボーカルへのエコーのかかりかたもやや強めなので、つくられる空間はだだっ広くなる。データサイズそのものは小さいのだけど外観はすべすべ平滑に見える、良質なポリゴンメッシュみたいな印象というか。少ない要素でなめらかなメロディを正しく錯覚させて、実際には鳴ってなくとも、耳の中で補完させてしまうような音の配置がクール。おとなしい曲というわけではないのだけど夜の雰囲気をまとっており、外気がしずまり、日中の雑音は遠のいて、体のほてりをさます。スイカみたいに。

 で、そういった曲調だから全編トゥーンレンダリングのエロゲにもしっくり収まって、とても良いイメージソングになっていた。OPムービーが好きで何度も見返したものだけど、まだまだ隙間の多いポリゴン3Dでもって2次元美少女を動かすところの、お人形さんめいて青白い色気は、夜のひんやり感とあいまって魅惑的。ブーツと裸足と子供用フォーマルが並んだ足もとを映してフェチ心をくすぐったかと思えば、いきなりバトルがはじまったりして、そうした断片をつないで見せていくのにぴったりな曲だと感じる。そうして眺めていると本編についての記憶の断片もまたよみがえってきて、奈々美さんがメロンパンはむってるところとか想われる。それとスイカ。夜とスイカが想われる曲である。
へにょよと鼻から出てくる歌が、だらしなくて素敵。

 薬師るりの節まわしはちょっとばかりユニーク。「spider」の湿っぽく退廃的なバンドサウンドへと、けだるい歌声をのせていたのとか印象によく残っております。
 あるいは記憶に新しいところで「アペイリア」。壮大にカッコいい曲調で書いておきながらも、鼻から音が抜けてくような声をからめると曲の勢いを軽くいなします。すると四角ばったまじめさにはならず、いくぶん余裕が生まれまして。しどけなくて気負わないボーカルでもって、どこか愛嬌のある音楽へと仕上げてくれます。なればこそ、まじめな話とかわいい女の子を妙ちきりんに混在させてるエロゲへも、ちょうど良いあんばいで寄りそっているような。

 本作「ラブ・エレクション」などは特に、おしなべて鼻に抜けていく発声をする。ゆえに歌はどこをとっても自然とふやけていき、たとえば濁音からも角が取れてやわらかい響きになっていくわけです (いわゆる鼻濁音化が極端になされている)。
 これがもし「重なる祈りガッ 重なる願いガッ」「重なる想いガッ 重なる声ガッ」世界を変えていくのだとハキハキ語られようものなら、だらしない性格のわたしなど鼻白んでしまうところ。
 けれども、こうしてふんわりと鼻で歌ってもらえるから打ち解けやすくて、自然にまるめこまれちゃいます。「あれが」「これが」という語りかけだけど、目標をきっぱり定めたシナリオゲー的な発声でなされることなく、鼻から言葉がふぁ~っと抜けてってキャラゲーっぽいおしゃべりがつづく。気安い歌なのがありがたいです。

 さて、こちらはWhirlpool十周年記念作のエンディング曲でございます。キャラゲーを作りつつも「あれが」「これが」と世界規模に背景を広げたがるブランドらしいタイトルであり、歌詞内容とかも読んでるかぎりそれっぽい。
 ところが、それもこの歌声にかかると、てんまそ絵みたいにやわっこく変わるんです。へにょよっと重力に引かれるがまま形を変える、素敵にだらしないおっぱいや腰つきや表情筋してる女の子たち。彼女たちの柔軟さで彩られてきたWhirlpoolのブランドカラーによく似合う、とてもだらしない曲へと仕上がったふうに思います。今や看板となったまみず絵はといえば、よりシェイプアップされたおっぱいや乳首でぱっつんぱっつんなんだけど、それはそれで、ときおりのぞける油断肉とか不用心なほっぺたとか、だらしなくおいしそうです。
 エロゲは嗜好品だから、だらしのない贅肉がお見事だったりするとしあわせで。それだから薬師るりの声が、へにょよとやわらかい女の子のイメージを崩さずに――もとい崩れるがままに、しどけなく鼻で歌い上げるのって素晴らしくエロゲソングであって。気安いしぐさのままに魅せてくれる歌がとても素敵なんです。
ファルセットが伸びなくて、アイドルっぽくて悲痛。

 サビの高音とか、声がぎりっぎり届いておらず「ずっと… ずうっと…」もどかしげに苦しそうなぶつ切れとなってしまう。ラスト前で盛り上がるところの「君は おぼえているかな」なんて、つま先立ちになって声帯を震わしても、ぜんぜん伸びきらなくて。それだから感動してしまった。
 ミスひとつせず、絶対音感とかなんとかで、天上にまで届くような声を聴きたいのなら、往年のオペラ歌手を追いかければよい。亡くなっている人ならば特によろしい。死者の録音というのは、ずっとずっと美しいから。
 こちらの歌は、('80s '90sの?) アイドル歌手っぽく仕上げられているように思う。声量が追いつかなくて、伸びしろがあって、最後の最後のところでファンを裏切ってみせる。つまり、期待をわずかに上回ってみせるライブ感とぐらつき。つま先立ちになって何かを届けようとする、まだ完成されきってない声のかたちが魅力的に映る。こうした歌は、才能よりも美しくて、美よりも偉大なあるものを思わせて感情をゆさぶる。その本質は若さだ。それとは知らずにリスクをとって、いまだ変わっていけること。たとえばTOKIOが土木作業をこなしていったのだって、それはまさしくアイドルの在りかたなのかもしれない。
 高校球児が無謀なプレーをしているのを見て、気持ちが若返ってハッスルするオッサンみたいな感情。「俺には無理だったが、あの小僧ならあるいは……」ってうっさいわアンタの心残り押しつけてんじゃねーよ、というものすごく下卑た感情なのだけど。それでもアイドルに求められるものとは、そうした伸びしろとか経験可能性なのかなと思う。若さという商品価値。「推す」ことでどこかへ、まだ進めそうな余地が見えること。次の瞬間にはずっとずっと良くなったものを見せてくれるかもしれないという期待感こそが、現在株価をひっぱって上げたり下げたりしてる。

 青春っぽくて、古めかしい哀愁をただよわせて、今の音で演奏された懐メロみたいな曲調は、こちらのブランドの毛色にもうまく合わさっていると思う。ふりかえり思うときの女子高生感をそなえた色彩――標準エロゲ塗りにくらべると色味がひとつ抜け落ちており、(校則でまだ化粧は禁止されてるざます的な) 素地のよさと野暮ったさをいちどきに謳歌しているふうな色合い。そうした、美しさにはいまだひとつ満たないトーンでもって歌われた曲で、ファルセットに足りていない声量がそれをまざまざ体現するかのよう。わかってて外したごとき若々しさは楽曲制作上のねらい通りだったかもしれないけど、ボーカルのがんばりがそれすら上回ってみせ、きわめて鮮烈な一曲となって届けられたように聴こえた。
清爽な旋律がリフレインして気持ちいい。

 『白銀のソレイユ』移植版での追加曲。ソレイユシリーズといえばMANYO曲なのだけど、こちらはsumiisan作曲です。冒頭を清らかなコーラスで飾ってみせたり、ストリングスを高らかに鳴らしてメロディを並走させたりと、原作(の主題歌だった「Asgardh-アスガルド-」) に上手いことイメージを寄せていました。しかしながら、リズム変化で積極的に耳をつかまえにいくMANYO曲にくらべると、よりシンプルな発想から書かれている印象です。

 とても率直で、すらりとしたメロディです。寄せては返すようなリフレインがどこまでも健やか。「呼んでる 呼んでる 呼んでいるよ」の三度繰り返しワンセットがあって、さらにそれを三セット繰り返すという、ひたむきに続けられていくサビはひたすらに快音。臆することなく呼びかけ続けるボーカルラインを、その背中に寄りそって軽快に流れるピアノ伴奏がよく助けます。ややもつく単調さについては、ストリングスが歌とは反対側の岸から呼応してみせることで軽減させておきます。
 それらいずれの音色にも湿ったところなく、よくよく軽量化されていまして。和音よりも単音をよくもちいて進行するパートで紡がれるゆえ、それぞれの音色は混じり合わずに見やすく、厚みもつかぬまま、気のままに在ってくれて心地よいです。で、単音ラインがそれぞれ伸びていくさまの気持ちよさにわたしの耳がひたりきった頃合いを見計らうように「See... See... Got a dream」コーラスが帰ってくる。それだから織り重ねた音はいっそう清新に響きわたり、曲のイメージをちょっとの登場だけでまとめ上げて。わかりやすい旋律があつまってシンプルに未来を望み続ける。あどけなくも勇ましい歌です。
大仰なほどオカルティック。そのアホっぽさに、みとせのりこが乗っかり妙味。

 Taishi作曲は仕上がりがおしなべて鮮やか。どのような方向性でもそつなく書き上げて、「AIRI-愛離-」のようなしっとり艶やかに聴かせるナンバーも巧いのだけど、根っこにあるエレクトロニカの土台がしっかりしているゆえ。みとせのりこの幻想的な語りかけを乗せるとなれば、「Rainscall」のごとく、低温沸騰していくピュアサウンドの印象がやはり強いです。

 ところが本作では、いくぶん趣向が変わって、遊びが多めの一曲だったような。お嬢様ヴァイオリンでまず雰囲気を醸し出しつつも、ピコピコしながらロックとの混じりものになっていく、ジャンクな味わいに面白みがありました。もろに目につくリズム変化や、サビから間奏へのスローダウンなど、曲展開になんともいえずクサくてチャラいところがあって癖になってしまう。(Attack Attack!「Stick Stickly」みたいなアホっぽさが感じられ好きです。)
 オカルティックに壮大な曲調なのだけど、ちっとも腰がすわっておらず、腰がすわってないからダンサブルで耳が楽しくなってしまう。幻想的楽曲を充分に歌いこなせるみとせのりこボーカルを、このオカルティックな曲調に用いるとやり過ぎな感が出てきて、そうしたやり過ぎ感というのが心地よいのです。痴漢を信念をもって描ききってみたり、オナニーをカッコよく描ききってみたり、オカルトを真剣に受け取り描ききってみたり。そうしたB級感を追求していくと、創作ならではのデフォルメでもって変節して、嘘から何か別のものが生まれ落ちてしまうような面白みがあったりするもの。そんなエロゲがしばしばもつ退廃的な楽しみを「嘘つき」「蠢く」「美しい」なじるように勢いよく、華やかに歌いきってくれる一曲でした。
きっぱりボーカルなのに、不思議とぼやけた印象で、なんかいい。

 Rin'caはとても安定感があって揺らぐことない、骨太な歌い方をこなします。管楽器っぽい声づかいというか、曲のど真ん中にしっかりと音量を通すボーカル。これを「Pleasure garden」ではじめて聴いたときには苦手な印象でした。(CIRCUSらしく?) 音のキャラ数もキャラ立ちも豪華な曲でして、管楽器っぽいボーカルに押し負けぬようにとヴァイオリンを数本たばねて鳴らしていくあたり、オケ編成でのライブ映えとかもしそうな曲だと思う。なので、そうした大がかりな編成が苦手なわたしなどは音の厚みと伸びに気後れしてしまい、サビ後の曲が凪ぐところが来るたびホッとしておりました。

 ところが本作「ワールドスタート」。ミニマルなつくりの楽曲に乗せていただいたことで、このボーカルの良さをひとつ味わえたよう思います。生の感情とかは押し寄せてこないくらいテンションが安定しており、曲を通して中域に歌声が張りっぱなしだから、ドラマティックに盛り上がらないまま安心して聴いていられるのです。これだけ歌詞をきっぱり発話していてもなお、音楽が物語と化してしまったりはせず、耳に引っかかって邪魔にならないようボーカルがのっぺり流線型で、音がするりっと楽しい。弱点が見えなくてつまらない歌声とか思っていて正直スミマセンでしたというか、こうした用い方だとこういうハマり方をするのかと、実に面白かったです。
 Snail's House/Moe Shop「Pastel」( https://soundcloud.com/ujico/pastel-w-moe-shop ) あたり直近のお気に入りなのですけど、不思議と、その手の曲と同じくらい邪魔にならないから、いっしょにローテーションさせてまして。ボーカルラインをのっぺりハッキリと通すことで、"その中へと曲を" かえって自然に埋め込んでしまったふうな、逆説的な印象をいだいてます。「君のパートに 長い長い休符を置いておくから大丈夫」とか、一体なにが大丈夫なんだかよくわからん言葉だけでもう大丈夫な感じになる、つかみどころなくシンプルにきらめく音楽で。好いです。
梅雨空に制汗スプレーの匂いがしていた曲。

 ねっとりした情欲と、ふんわり覚束ない空気感。それがよく混ぜられた『夏めろ』にぴったりの主題歌だと思う。

 ベース&ドラムスが存在感を発揮しつづけており、リズム主導であるからややも南国的な肉感がついてくる。イコライザの存在を知りたての中高生がバスブーストかけるような、下っ腹にまとわりつく音で敷きつめられた海岸線。その一方で、伴奏はほとんどの場所で覚束ないほどふわふわしていて、らいたーざんえあー。ギターは思いついたように鳴ってサビ(?)に来るとフェードアウトしてるし、キーボードが薄ぼんやりとした音を鳴らしつづけるさまが夢のよう。夢といっても、元カノが出てきて笑ってカレンダーの日付を指さすみたいな、意味とか無いことまるわかりの夢であり、とてもとても薄っぺらくて軽い。
 そうしたとぼけたメロディのなかへ、さらに気怠くてちょっと色っぽく全体的にねっちょりんこなボーカルが入るものだから、独特の情感をかもしていく。歌詞は遠く夏の日を想っていて爽やかなのだけど、節まわしがあけすけに媚びてて、あけすけ過ぎるから途中でついつい噴き出しちゃって笑い合えるくらい、誘惑は安々となされてしまう。秋波が送られては納涼、けれどいまだ夕にも汗ばむ夏祭りとばかり、ふんわり茹だった空気だけが残ってって。
 「せーの、」

 エロゲヒロインってみんなみんなルート物語をもっているから、あの頃の自分にはここまでの物語とか起こりえなかったなぁとしみじみさせられたりもする。そんな思いを抱くこと自体、あほうだとわかってはいるのだけど。
 その点で、『夏めろ』のヒロインたちはすごく薄っぺらいから馴染みすくて懐かしい。なんだか彼女たちには、セックスの汗と、制汗スプレーだけで出来上がっているみたいな、あの独特の匂いがあって。日差しのそそぐ海岸線で男の子になりたかったヒロインの立ちションをひっ被っているシーンが好きなのだけど (ひっ被ってはなかったかもしれない。記憶と郷愁がすでに曖昧です)、そんな光景を見ているうち、別の小説で血友病患者が出血したまま夏の海岸線に置き去りにされるシーンを連想してしまった。日差しのなかで命がとくりとくりと漏れてくシーン。血液やおしっこや汗といった何かしらが体からしたたり落ちるときの、舐めたら潮と鉄のあったかい味がしみそうな、生きてる匂いがむんとして、鼻の奥へこびりついてゆくエロゲだった。
 でもって、そこへと制汗スプレーを吹きつけるみたいな、爽やかっぽいテーマ曲がこれなのでして。キーボードがぼんやり鳴って、ボーカルが気安く歌うことで、あの女の子の匂いを隠そうとしては逆にむんと漂わせており、あの雨上がりの空が綺麗だったときの匂いとか思い起こさせる懐メロになってる。っぽい。
解放感あるハモリが美しい。

 ウェットな情感のバラード曲。出だしのギターのメロディは、きらびやかにならず、ひと晩泣き明かした跡くらいのかすかな哀愁を漂わせていて好い。ところがそこから進んでいくと、ドラムスがここぞと鳴らすシンバルが曇っていたり、ギターのバッキングでついた厚みがもっさりしていたりと、演奏はじっとり耳にからみついてくるふうで。母方の祖母あたりから伝わった演歌の遺伝子がそこはかとなく表れている、平たい目鼻立ちをしたポップスだと思う。
 しかしそうして演奏がじっとり地固めをしていればこそ、歌声だけがきれいに正面に押し出されてきており、そのメロディにのった言葉にじっと耳を傾けられる。わたしなどの耳にもわかりやすい曲で、なじみの湿潤な空気のなかに音が響いてくるから、思わずホッとしてしまう。

 また、その歌にかかってくるハーモニーが美しい。「降りつづく冷たい 雨に打たれ」サビで男声ハモリが入ってくると重なり合って恋愛慕情がつづられる。ところがやがて「空の涙 それは 銀の祈り」この銀色を合図にして、女声ハモリに入れ替わることで、曲のトーンはひと息に変転する。ここで歌声が細く美しく締まると、銀の浄化作用によって、恋愛のゴテゴテした温情からは解き放たれていくみたいで。この時ばかりはボーカルラインが、濡れそぼった情感の伴奏からも浮き上がっていくみたい。悲しみだけではない別れを、よくよく歌うバラードとなっている。

 女声ハモリを巧く使ったポップスであることや、この曲のエロゲソングのなかでの立ち位置から、昼ドラ主題歌になっていたLes.R「赤い糸」あたりと印象が似る、地味な良曲として覚えてる。
松本文紀なのでDucaまでもゆきこいめると。

 松本文紀の作曲ではしばしば、ボーカルへのやや強いディレイのかけ方でもって浮遊感がついている。言葉の筋ばった部位をやわらかく煮詰めたすえ、曲へなじませ溶け込ませてしまう趣向があるように思う。
 例えばケロQ/枕での仕事において、ピクセルビー組とくらべると歌声の表れが好対照になっている。ピクセルビーの「在りし日のために」などでmonetの語りかけはきっぱり通りよいし、「鏡の世界には私しかいない」の雑然としたギターのなかでも「遍在転生 意味ト様相」と難しげに唱える言葉そのものはクリアに響いてる。その一方で、松本楽曲のほうとなると、はなの歌声はぼやけて、雑然としたギターになかば溶け込んでしまっており意味がつかめないというか、より自然なことば――規範をもたないその場のかけ合いになっていくふう。花の造形みたいな (あるいは和音みたいな) 母なる偶然の産物のやわらかさをなんとか表現しようと、不自然なまでのエフェクトによって声をにじませてみるところの面白みというかなんというか、ぶらーぶらーぶらー。
 他にも、「天球の下の奇蹟」をはじめエレクトロニカ系楽曲で、フックのメロディへと歌声のエコーが同期したと思ったら思ったときにはもう分離してる、心地よく秘密めいたからみあいだったり。遊女「Distorted」リミックスを担当したときの、まずは曇り空たちこめるようなボーカルではじまり、途中で「――ないのだと "笑う"」パァッと声を晴らしてみせ、遊女の生々しい語りかけを演出する仕方であったり。それらのぼかした趣向が好き。

 さて、本作「恋をしようよ Let it snow」でも、こうやってDucaの声をにじませて用いるのかとちょっと驚いた。朗々とした曲を歌唱力で聴かせ、真正面から言葉を伝えるのが魅力なボーカリストというイメージが強かったから、ふんわりぼやけた響かせ方は新鮮で、意外な調理法を教わった気分になる。冬の澄んだ空を通ってすこーんと反響するごときディレイがかかると、生真面目なボーカルなのにどうあっても焦点は結びきれず、溶けてにじんでいって。解すべきメッセージとして伝わってこないまま途中で雪解けてしまったから、あたたかそうな響きがよく残っていく。本編のほうも、たるひや嘩音といった根のマジメな子たちがどうあっても甘くイチャラブという、頭に粉砂糖をギュッとつめてとろかすしあわせな作品だったけど、この甘くマスクのかかったDucaボーカルはそれにぴったり似ついて溶けちゃいそう。
 冬空にあたたかく反響してきたチャイム・鉄琴からはじまって、やわっこく歪ませ広がっていくディレイギター、やわっこく広がっていくぼんやりDuca。それだからいっそう、ブレイクがスパッと印象的になる (0:53)。はじめて聴いたとき、このブレイクで「あ、この曲、好き」身体のほうが反応してしまったのだけど、音をにじませていってもそれに耽溺するでもなくて、溶けたものをよくよく冷えた手つきで組み上げようとする矛盾めいたところ。わたしに到底理解できない作曲がされているふうで、なんかよくわかんないっ。
癖の強いボーカルと、なめらかなヴァイオリンは混じり合わずとも―― Yes !

 作編曲・ホスプラグでクレジットされていて誰やねんだけど、エロゲソングではおなじみ、細井聡司その人です。手堅い作曲がなされており、流暢なストリングスアレンジをばっちり鳴かせるあたりお手のもの。
 萌えゲーはその性格からエモーショナルな(≒女々しい) お話が多いゆえ、主題歌もまた感動ヴァイオリンを好んで取り入れている。それでMANYOやぺーじゅんなどなど、ストリングスアレンジで名をはせた作曲家も多くいらっしゃる。
 そうしたなかでも細井サウンドは、対位法的な(ボーカルとヴァイオリンそれぞれに音を進行させる) アプローチがとりわけ強くて、ヴァイオリンがはっきり前に出てきて歌うふうに感じる。例えば、「砂の城」では中低音Vo.のはるか頭上とか足もとを、Vn.が音程を上げ下げしつつ並走してみせるのが印象的。また近作の「星々の刻をこの掌に」でも、悠々と伸びゆくVo.のわきをVn.がこと細かに飾りつけていくようなコンビネーションが好い。

 さて、本作「Yes,You can make it !」。こちらでも、ボーカルが「連れていって あげるよぉ~」「その小さな背中ぁ~」「せまい鳥かごからぁ~」音を伸ばすところの裏には、ヴァイオリンが細かく動くメロディが配置されている。新堂真弓は悪友ヒロインの演技などでよく映える、癖がありつつも気の置けない声質が魅力なのだけど、その反面、ベタな歌い方で聴かせすぎると、どうしてもちょおっとだけ野暮ったくなっちゃう感じ。そこで歌がベターっと伸びるところへは、弦楽がこしょこしょ繊細な変化を散りばめておく。すると野暮ったさを消しながら、声質の魅力はいっそう立てるようで好い。
 一方で、新堂真弓のスピッカート(飛ばし弓) はといえばさらに素敵でして。「Yes !」の跳ねっかえりな声づかいだ。これほんと耳に残っちゃう。そして、その裏ではヴァイオリンがのっぺりと長音を聴かせており、ここでもまた互いがよく際立たせ合うようになってる。Vo.が伸びるときは、Vn.がすばやく駆け上がるみたいにして。Vn.のボウイングが長いときには、Vo.が独特なアクセントで跳ねて。けしてタイミングが重ならないからよく噛み合う。ひと癖もったVo.の気安さと、癖を消したVn.の優雅さを、いいとこ取りしてみせたようなポップスにはさらりとした温か味がついてる。

 (余談だけど、「THE ANNUNCIATiON」フルバージョン音源の発売はまだでしょうかC:drive. / onomatope*さん。これまた癖のあるツインボーカルだけど、新堂真弓がカッコよく歌ってきたところへ乱入しやがる雪村とあが、あまりにも暴力的にかわゆい。笑ってしまったので、全体の展開を聴いてみたいです。)
75primal (PRIMAL×HEARTSのOP )
最初の美しいピアノの旋律にあたかもすべてがあるようで、とってもエモい。

 わりかしロックテイストのある作曲・橋咲透なのだけど、イントロで手を変え品を変えて耳を引くのが巧い。近作の「magic drive!」でも、いきなりギターに突拍子もない鳴き声をあげさせておき、その裏へと小気味よいトンポクポクポクって音まで転がしておくもんだから、開始5秒で耳をすっかり持ってかれちゃって。これは強い。まず宣材として求められるエロゲソングにおいて、かわゆくてエモーショナルな曲調は崩さないまま最初の5秒でキャッチーな面白みを見せるのは、すごく重要なことだと思う。

 本作でも、00年代ピアノエモを思わせるなつかしさの、ひたすら綺麗なイントロが素晴らしくキャッチー。「Roses And Butterflies」だとか「I Woke Up In A Car」みたいな爽やかさで、開始5秒、わたしのなよなよしいハートをぐっと掴んでいく。ポップスにおけるピアノイントロの、それが鳴ったら感動する準備だ!という空気が客にさっと広がる慣習というのはとても強力で。約束された勝利の音みたいで、そうした約束されきったキャッチーさが、エロゲにはとてもぴったり似合っていてしあわせになれる。
 『プライマルハーツ』のように、キービジュアルを見るだけで「……勝ったな」となる作品ではことさら。OPムービー0:30頃からの、線画からレイヤーを重ねて色を手厚く塗っていき、ヒロインがちらりとこちらに目線をくれる演出でもって、制作者の売りたいものはきっちりビジュアライズされている (そこへさらに1:03~、1:16~、アニメーションをつけて記憶へ二度、三度と焼き付けて)。
 「あなたの答えはいつもはっきりしないままなの」「色づく世界は誰のため?」。あなただけのため。カワイイ以外は何ひとついらない、ニンジンいらないよ、というエロゲ塗り一色の世界観を、不純物ゼロでまったくロックさのないCeuiの歌声が繊細に色づけていって言いふくめてくれる。エロゲソングは、なよなよしい男の想いを女性ボーカルがあたまっから綺麗に歌い上げてくれるものだから、とんでもなくエモい音楽であるよう感じたりする。
あの夏に行ったプールの塩素に体臭と、しなびた本の甘い匂い。

 歌唱・遊女、作詞・一石楠耳という、闇;灯コンビの世界観が色濃く出ている楽曲。サークル・闇;灯については「虚言」を聴いて、この作詞もう天才すぎるっ!と叫んだところ、普通に天才だったというオチで出会った (※太宰の「駈込み訴え」を元にした歌です)。されど「ユキミチ」などで一石楠耳の書いた詩の、どこにも寄る辺なく途絶えていたうつくしさも、やはり一点ものでして。「切符は二枚ある。ただ、雪が。雪が――あぁ」 名曲だ。

 ちなみに全体的になんか昭和臭い。Innocent Grey作品あたりなら霜月はるか・MANYOを起用しつつ巧いこと脱臭してみせるような昭和だけを、わざわざ拾いあつめてこっそりしまい込んだ面持ちをしてらっしゃる。
 本作「アナベル・リーに憧れて」もまた、哀愁を大音量でふりまくギターとか、これ見よがしな感傷に浸ってるストリングスとか。そこにのるボーカルは若干しゃがれたハスキーで、しんどそうにため息つくみたいで、それでも振りしぼるように歌って。なにか全体的によれてくたびれきった楽曲だと思う。
 ところがこれ、さらに古くも古く、ポーの詩をモチーフにした青春ソングなのでして。なにやら、2007年のエロゲソングからぷんぷんと臭ってくる昭和の情感が、さらに憧れに焦がれていた百代の夢といった風情で、あの夏、あの夏のプールの塩素の匂いと、古びた詩の甘い匂いが混ざって、もう年代ジャンプしすぎでよくわからない。そうして時間の見当識を失ったところに「あなたを思い出してね」強迫症じみたフレーズを繰り返すかと思えば、「プールではしゃいで。海いこうね、とか」ほんの小さな心残りをふっと洩らしてみたりする。いまだ幼すぎて何者にもなれず、アナベル・リーの美しい悲劇に自分を重ねてカワイソウカワイソウしたがる、文学の慰みにすがっては貶めてしまう心情だけはすごく卑近なもので。わかる。そうした青臭くてサマにならない弱さを、J-Popのごとく全米が号泣しすぎなストリングスやら、遊女のなよなよ愛おしそうな呟きがナチュラルにえぐってくる。浴衣とか神社とかはおろか、蚊取り線香にすらなりきれない風俗、日本のすみっこで湿ったまま消えた夏の空気がなつかしくて。いくつかの懐古趣味と、自身の十代のなけなしの記憶が入り混じってしまい、心をさらわれた。
やわらかい響きの歌はミュージカルみたいで、小っ恥ずかしいほど夢をくれる。

 歌い出しのところで「オーロラ揺れる」と出てくるのだけど、vostokさんの『こころナビ』感想で文字起こしされたのを読むまでの十年来ずっと、これを「おーろらんでぶー」だと勘違いしてた。オーロラ・ランデブー! ……とんだお花畑な、小っ恥ずかしい空耳をしていたものです。同じように「ほらクリックして」という歌詞なんかも、その音だけから「ほらquick tick step」とか好き勝手なイメージをひらって聴いておりました。いやまさか、「世界中にキスを」から「ほらクリックして」指先の動きひとつへと、歌詞をリンクさせる着想がわたしにはなかった。どんだけ夢にあふれてたんだ、いんたーねっつ。

 空耳の言い訳をすると、ボーカルが独特のやわらかさをにじませ、なおかつ三拍子をよく意識した節回しのために、言葉の流れがところどころジャンプしては雲をつかむようなのです。端々の意味だけつまびらかにしていっても仕方ないほど、おおらかな流れが全体についていまして。
 歌詞そのものは子供に言い聞かせるときみたいに、かんたんな言葉づかいなのだけど生真面目さがにじみ出てもいて。ふいに語調がおおげさになったり、「誰に」「あなたに」「神様に」とかいちいち対象を定めた文だったりと、ちょっと地頭の固い感じがします。けれども、それがこうして牧歌的な音楽となれば、発声法のためかミュージカルの空間がひらけて、此処でなら小っ恥ずかしいセリフだって勇ましく言ってしまえるふう。オーロラ・ランデブーの場面がくると、きっと、ほのぼのとした手作りの感じの幕がかけられて。なるだけ素朴に上演されるのでしょう。
 そうやって、ミュージカルじみた曲のなかに引き込まれているときには「ドキドキ」とか「ありがとね」といった素直なセリフを、素直に受け取ることができてちょっと驚く。だんだん大人になっていくのだけど、まだ子供に戻れるような、お話のなかへ残る言葉づかい。特に、「ありがとね」のひとりでにふんわり跳ね上がった歌い方は、ほんとに素敵です。
じっとり濡れて、かつ疾走感をもった曲調。そのなかに雑居するいくつもの奇怪な声。

 はじめて聴いたとき、いつにない嫌悪感をさそわれたエロゲソングです。ちなみに「gemini」とかにも同じような苦々しさを覚えました。
 雰囲気や音づくりは好みなのですよ。なのに気分も上がってきたサビのところで、男のアンクリーンボーカルが台無しだからムカつく。……いや、何もごもご言ってんの? そんなんじゃ音声バランスのくそでかいクリーンしか聴こえねーじゃん。もっとがなれよ、壊しにいけよ、見かけだおしかよ。お利口さんの怨霊かよ。いいから手当たり次第わめけよアンクリーン。お前もうアレだよ、アナルにかかったモザイク並みに覚悟きまってねぇよ。誰に配慮してんだ。
 そんなふうに自分の趣味全開で嫌っていた曲。ぶつくさしてるアンクリーンが致命的に苦手だったのです。

 ところが "自分の嫌い" を確認するためなのか、ときおり無性に聴きたくなりまして。そうしてひとりでイライラしつつ何度も耳を通しているうち、このアンクリーンはこういうものと水に流し、ぜんぶひっくるめ楽しめるようになってしまった。知らず知らずに適切な間合いを取っていたというか、 "自分の嫌い" はへし折れてしまった。アナルモザイク並みに覚悟きまってねぇのは、わたしでした。

 雨に濡れた夜道とかで聴くと、草葉の陰から何か襲ってきそうでウキウキしちゃう音楽なのです。アタック感、重量をともなった曲調にはやはり心を揺らされちゃいます。いかにもなキック連打が気持ちいい。
 ただ、ドラミングそのものは音圧をやや抑え気味にして、クリーンボーカルをきっちり立ててもいるふう。えげつないキック連打やアンクリーン絶叫で脳汁をしぼり取ろうとしないあたり、ある意味ではとても禁欲的な音づくりだと思います。イントロや間奏など部分部分はしかるべく重たいのだけど、あくまでも曲の全容には疾走感を保っており、きゃぴっとくつろいだクリーンボーカルが奇妙に軽やかに仕上げてくれるキャッチーさは巧い。バランスが取れています。
 そもそもはクリーンに対してアンクリーンの勢いが弱すぎてムカついてたのですけど、その対置にのみ囚われてたわたしがいけなかった。そこに賛美歌じみたコーラスも合わせて認識をあらためれば、三者がつりあいよく配置されてるのですよね。種付けおじさんじみてモジモジ蠢動するだけのアンクリーン、愛らしく愛らしく女のしなをふりまくクリーン、プラス、清らかに天上から降りそそいだコーラス。邪・女・聖という三身合体。そんなかけ離れた猥雑さをぎゅっと一曲に詰め込みつつ、あくまでも軽やかに愉しませようとするから素敵です。エロゲソングとして一本筋を通したすえの魅力があると感じるようなりました。
楚々とした歌声をフックにして、きれいな閉塞感を編み上げる曲。

 2分28秒、シンプルな構成、ややテクノな香りがするボーカルもの。ダンスフロア由来の音楽らしい密室のせまさがあり、ワンフレーズが耳のなかで反響してゆく快感がすごい。
 これが『MARIONETTE -糸使い-』の厨二病な閉塞感にまみれた物語にはよくマッチしており、学校というせまい舞台で能力バトルやらかす物語へのわくわく感を高めたものだった。OPムービーがカッコよくて繰りかえし見ているうち、葵がピアノの前で背筋をぴんと伸ばし、ものすごいドヤ顔で糸を操るワンシーンに射止められちゃって。そのまま本編にまで引き寄せられることとなった。
 フックとなるメロディを歌うWHITE-LIPSのウィスパーボイスは、耳にとめどなく残留して、酔い心地にひたらせてくれる。「Where am I going to?」と歌うときなど「ごーいんとぅうぅぅ」とかすかに唸るような、よどんだ空気につまるような息づかいになっており、どこか窮屈そうで不機嫌らしくてよい。アクリルめいた透明感のある声質ながら、こもらせた歌い方によって、世界から見捨てられたと思い込むほどにピュアな人間の、その厨二病気質をよくなぞってくれたふう。「どこへも行けやしないわ……」という、真理ともイジケともつかない嘆息まで聴こえてきそう。遠く、そぞろ鳴くヴァイオリンも、薄暗く湿ってしっとり。耳に潤いをくれた。

 フックのメロディがとても魅力的なればこそ、数多くのアレンジがあったりもする。『Scratch (Carrière Sound Collection 4)』収録の細江慎治アレンジ「decayed soil」とかは特に好き。印象的な本編BGM「理論的な直感」からカットインされてくるアレンジだけど、インダストリアル風のキンコンカン打音とも相まって、歌のサンプリング・再構成が巧い。四肢をばらしてから糸でつなげるように、声を切り貼りしつつボリューム上げ下げして抑揚を断ってみせれば、ボーカル特有の透明感はマリオネットの硬くツルツルした美しさを帯びてくる。いかにもエロゲソングな真正面からのボーカル曲となった原曲とは、また違った魅力を切り出してくれる良いアレンジ。

参照{
   http://www.nicovideo.jp/watch/nm7144827
}
歌がぐいっぐい先走ってゆくリズミカル・エレクトロ・ポップ・ロック。

 なによりかにより、リズム隊に遊びが多くて素敵。一手だけ多く叩き込んでくるドラムロールとか、ちょっとしたひらめきを見せるベースの進行とか、アクセントがよく利いている。けれども驚かせたり奇抜さへと走ったりはせず、余裕をもったまま曲の流れを完成させてもいて。ほどよく意表をついて、飽かせることない展開が耳に快適。

 一方では、野放図なリズムで耳をぐいと引っぱったのがボーカル。
 樋口秀樹の楽曲は、なんと言ったものか、しばしば言葉が過剰になっている。(「凪」などによく見られるように) そこで歌われる節回しを尊重して、放任すらしてしまう気風をもっていると感じる。本作においては、言葉がひとつ余分にはみ出てるゆえ、歌だけが音楽から浮き上がってゆくような感覚があって、これが面白いんだ。
 「刻む・鼓動・終の・リズム」歌い出しのところでは曲の流れに乗って、すべらかにエンジンを回して上昇していったボーカルラインなのだけど、次の瞬間、エアポケットにでも入ったかのように呼吸を変える。「君の翼 "わぁぁ"  向かい風の中で "こそっ"」声を振りしぼって、メロディの制動は振りきり、リズムを崩してでも前に出ようとする。歌詞の音の数が曲に合わせてなくて、ドラムが拍をとる位置との呼吸も合わせなくて、無理やり言いきってやった感がすごい。それだけに、伝えたい言葉をフリースタイルで押し入れようとする意思が鮮やか。「たまあひのうた」では "回文" を歌にしていたものだけど、本作では楽曲におとなしく収まりきらぬ "字余り" をもって、一風変わった奔放さとかあどけなさを歌わせてしまう。

 そしてサビがくる。はじめは英語の節回しがバキバキにつんのめってるふうで気になって仕方なかったのだけど、不思議と、その無骨な言葉の響きには惹かれもした。何度か聴くうち耳がなじんでいけば、このバランスを欠いたなりも乙なように思う。Co!! コールフォーミー! 前のめりで食い気味になったボーカルが、なりふり構わずに呼びかける姿がいっそ爽快だ。
 リズム隊とは対照的に余裕を欠いていればこそ、満足できずに欲する叫びが、未完成のなりの魅力が放たれていた。小さな頃に楽器を習いはじめたとき、音を外そうが弦が切れようがぜったいに手を止めたりせず、その一曲をまずは終いまで弾ききれと教わったことがあったけど、そんな心得をふと思い出してしまう。「手足が折れても 這いつくばっても」空へと飛びかかる勢いに惹きつけられる。
75Girls Life (Like LifeのOP )
ひたむきに恋を歌い上げたガールズロックで可愛らしい。ところがベースは可愛くねぇ!

 あせらずせかさずにミドルテンポ、わかりやすいリズムの、ちんまりとして人懐っこい曲。ボーカルも嫌味がなくてポップな、すらりとした目鼻立ちの声音。そうやって恋する女の子のワガママを、まっすぐ歌い上げてくれる。『Like Life』ヒロインたちの姿かたちにもぴったりおさまる、ごく素直に可愛らしい曲……のはずだったのですよ。

 ところがボーカルの人がひたむきに恋心を歌ってても、まわりの "モノ" たちが――楽器たちが気の向くままにドタバタ騒ぎをはじめてしまう!
 まずもって、ベースが可愛げない。開幕やぶからぼうにスラッピングきめやがって、べしべしっと迫力ふりまいて「あんたなにガンつけてんのよ?」、椿がすごんでくるようなド低音。やめたげて、アンプさんが吐血しちゃう! ベースの律動がわくわく感を持ち上げていく、最高の出だしだ。
 こうなるとギターもお仕着せになんか鳴っていられない。歪みまくったり、しゃしゃり出てきたり、得意顔ではっちゃけてみたり。姫子に着メロやらせるなら「ぎゅーん! ぃよいよーん! ぎゃわわわーん」って感じで。やかましいわ! べしって、はたきたくなる。この子たち、もうどうにかしてww

 ボーカルをきっちり立てた、あくまでポップソングの聴きやすさながらも、ところどころでベースやギターが好き勝手に動きまくって。おもちゃ箱ひっくり返すような賑やかしさに、ついつい笑ってしまう。ウザさ一歩手前のとこから二歩先へと進んだような『Like Life』の雰囲気が、そのまま響きになったオープニングナンバー。楽器たち、それぞれに楽しそうでなによりですっ!
80淡雪 (ましろぼたんのOP )
佐倉紗織の歌は、どこを切り出してみても佐倉紗織のトーンになっていてすごい。

 歌がフラクタル幾何模様になっているとでもいうか、どの部分へ注目しても "佐倉紗織という音" しか見あたらなくて、それ一色に染められてる。ハイトーンでもって高止まりしたまま、ほとんど平板なまでに安定した声づかいになっている。普通ならここ一番でしぼり出すファルセットを常に出しっぱなしにしておくような、曲芸飛行を平常運転にしてしまったボーカルライン。感情表現はまるでゆらぐことなく、心の琴線を震わせっぱなし。可愛さをけっして崩さない一本調子でもって、ひとつ感情だけを見せていく。これはもう普通の話し言葉からはほど遠くなって、鈴虫のリィィィンっていう愛の歌とかを思わせる (それはオスの求愛行動のピュアさ・アホっぽさだから親しみやすい)。

 なので歌詞内容もはっきりとは伝わりきらず、「きしめん」とかいって、意味合いではなく音の羅列のみでよくよく楽しめる。この歌声は物語をはらんだりすることが無くて、ただ純粋にその音色だけで完結している気がする。つまりただ純粋なエロスになって、シナリオやら泣ける話やらの余分のものへ結びつかぬまま、シンプルに可愛らしさだけを見せてくれる。含むところはなく、さびしくてゆるぎない、無敵の歌声だと思う。たとい曲進行のほうがサビで盛り上がってきても、歌声そのものはべつだん張り上がったりせず、サビであろうがなかろうが、ゆるがぬ恋心はいつだってハイトーン。一から十まで、すべてを愛らしくふるまうからおそろしい。「あなたがどんなふうに思おうとも、あたしはあなた大好き!」という恋の機械っぽさ。こっちの反応なんてどうとも思っちゃいない対話不能感があって尊い。ひとりぼっちに恋の快感がある。

 そうした可愛さ一本立ちの印象ゆえか、「GIRLS」「Iris」あたりの恋の貪欲さをただよわすつくりの楽曲が、とりわけ好きでして。こちらの「淡雪」もまた、焦燥感でたたみかける曲調のなか、ボーカルの音だけはずっとフラットに愛らしく続いていく。すると、ピアノリフの儚さ・キックの切迫感・時を刻むキンキンに冷えた金属パーカッションまでもがいっそう際立ってきて、「この雪が消えてしまえば何が残るの?」という盲目感あふれる恋の音ばかりがつもって息苦しいほどになってしまう。そうした雪道の焦燥感のなかを、佐倉紗織のハイトーンがまっすぐ通っていこうとするから強く儚くて。曲全体にわたって可愛さが均一に続いていく佐倉紗織ボーカルなので、エロゲのどこへも行かないせまい恋愛にしっくり合っているのかもしれない。
90Inliyor (SEVEN-BRIDGEのED )
涙も微笑みも混ぜ合わせ、物語をくしゃくしゃに整えるエンディング曲だった。

 「Inliyor」はトルコ語で「泣くこと」みたいな意味だったはず。cryではなく、mournに近いような、やや文語的表現となるのでしょうか。オカンに叱られた子供がワンワン声をあげるというよりは、バンシーが嗚咽するようなニュアンスで、夜ごと朝ごとに漏れつづける、生きとし生けるものの「泣く」なのかなと思う。
 フォークロアをはじめ種々の要素をなめらかに混ぜ合わせ、ポップスを仕上げるのを得意とする Blueberry&Yogurt なのだけど、その「Yogurt」もまた、古いトルコ語の「撹拌する」に由来する言葉である (ちなみにトルコの町のスーパーでは無造作にバケツ入り2kgが250円くらいで売られてて嬉しかったり閑話休題)。
 この曲でも、音を張らないギターや素朴なパーカッションによってアコースティックな雰囲気はまとわせつつも、ベースの下支えが思いきり分厚くて、ノリがしっかり作られているから聴きやすい。民族やその土地の音楽がもつ肉体性みたいなものを、ほどよく "泥抜き" できているのだと思う。あるいは近作の「Life goes on.」なんて旅情へひたった口ぶりからはじめつつも、2stepとかがちょっと懐かしくなるオサレ感あるノリを組み合わせるので、たたんと枕木を踏んで越えていける。そうした軽快なキャッチーさがありがたい。

 ところで『SEVEN-BRIDGE』本編のほうはといえば、東西がせめぎ合うトルコでの山場を特急列車ですっ飛ばして行ってしまっている。前半後半ではテキストの色合いもひどく剥離したままとなって、どうにも混じり合わぬままの、がっかりヘレニズム。「Inliyor」というタイトルが泣いていよる。わたしとか途中でキレて、泣いてわめいていったんは読むのを止めてしまった。
 物語の後半にあったのは、制作者の資金や時間が足りなかったのかと憶測をさそうたぐいの、失速と路線変更だった。これはもともと望まれてた目的地でなかった、と思う。それ自体は単にディレクションが下手というだけの話でよいのだけど、それはそれとして、故郷喪失者が汽車にしがみついて家に帰りたいと叫んでいた物語が、旅なかばで力尽きた印象になってしまったからとりわけもの悲しい。エピローグがやってきて、あくせくとお話をたたみはじめるのを眺めるうち、帰りつけなかった心残りばかりが募っていた。
 ところが、そうやってエンディングに到着したとき。この曲が歌い出して「マゼンタとシアン」を混ぜ合わせると、ぞくっとするほどの、本当にきれいな風景を見せてくれた。泣いていた。

 これだけ朗々としたRitaはやや珍しい。というのも彼女は、楽曲への調和をつねに念頭において声を提供するタイプのボーカルに思えるからだ。しっとり添えたり、こぶしを効かせたりと、声づかいはやわっこく如何様にでも曲がって、言葉づかいの抑揚より、メロディラインの抑揚を優先させてくれてる。一歩引いて曲全体を見渡しながら、そこにすっと歌声を溶け込ませる。そんな包容力をもつボーカルだと感じる。例えばそれは「dorchadas」において、はじめのメロを歌ったあと、転調して楽器に場をすっと譲れるようなボーカルの引き際の良さ。Ritaは、このアコーディオンならではの響きや、このヴァイオリンならではの音色をよく見やりながら歌っており、それらは同ぜずとも混じり合わさっていき、お互いに支え合うふうになる。
 そうした印象のまつわるボーカリストだから、「マゼンタとシアン」の歌い出しにありありと見える、真正面からの包容力を聴かされてしまうと、思わずどぎまぎしてしまう。ホームランドを失った者たちも、さんざ迷走してきた物語もガバッと抱きしめると、「バカねぇ、子供を家に入れない母親がいるもんですか」涙ぐみながらくしゃくしゃにして、ひとまとめに混ぜ合わせてしまう。そんな哀れみと強さをむき出しにした歌だ。
 中国のことば。日本のことば。トルコや、ヨーロッパの諸言語。民族の帰郷を望んではじまった旅は、ただ、ぼんやりとした愛だけを望んで終わってしまったけれど。そのあいだにあった違いは、このエンディングテーマを聴くうちによく判らなくなってしまった。民族音楽のエッセンスを耳触りよく溶かし込んでみせる、曲のやさしさに感じ入ったからだと思う。そうして涙でにじませた「マゼンタとシアン」はとてもきれいだったから、心残りも消えて、もうここが帰る場所になっていたのかもしれない。
Meis Clausonの楽曲は、リズムを非常にわかりやすく提示している。

 技巧には走らずもっと原始的というか、歩き出すようにリズムを取りたくなる率直さが美点だと思う。「Knowing」においても、スネア(小太鼓) などは退屈なほどまっすぐな音をタン、タンと鳴らしていくのだけど、その単純なリズムを、こんなにも彩りよく仕上げて聴かせてくれるのだから嬉しい。単調でありふれた日々の生活がこんなにも嬉しくなるという、曲のテーマをしっかりと息づかせている。

 そしてまた曲がはっきり脈を打っていればこそ、真里歌ボーカルはまるで波立つことなく自然体のまま流れ、しあわせな呼吸になれる。ちょっと善いこと尽くしでまぶしすぎるような歌詞だって、声を張らずに届けてくれるから、受け取ってみたくなる。
 2番の歌い出しの「おいしいごはん あなたと 思い出した」っていう口ぶりが、わたし大好きなんだ。みそ汁の大根を切ってるときとかにこの曲が流れてくると、包丁をトン、トンと鳴らすのが楽しくなってしまう。ほんのつまらない生活の一部からも、小気味よいリズムを身体がひらうようになる。かしこまった技巧を押し出すことのない曲だからか、普段づかいで手にもなじみ、日々の糧になるだけくらいの、ほんの少しずつの良いリズムをいただいてる。誰にでもわかる素敵なリズムだ。
優等生的にこなれた旋律のなか、ボーカルのもつ独特なゆらぎが映えている。

 「Re:TrymenT」はピアノや弦楽器の美メロでもって耳をバッチリつかむ、華のある曲調だったけれど、そんな中にボーカルラインだけ柳腰でわびており、かえって映えばえとしていた。
 一方でこちらのバージョンになると、その声の特徴がありありと出てきている。弦楽器的なゆらぎ・かすれを多く含んだ歌声で、それもヴィオラなどよりも二胡とかに近いイメージ。二胡には指板が存在しないので音のブレこそがおのずと風情になり、泣き涸れたふうに音をかき鳴らしたりと、わびた雰囲気を生むものだけど、それに近しい歌い方のように感じる。
 曲調はゆっくり歩き出すかのようだけど、歌声には伸びやかさがあまり見えなくて、歌詞をひとつひとつ指さし確認するみたいにして綴っていく。熱意が先走ることはなく、出る杭をきちんと打ちつつ制作された、三年目の社会人的に収まりがよい歌。でも、まだ声は震えている。奔放に想いをふりしぼったりはもう柄じゃないけど、それでも切々と語りかけようとし、噛みしめすぎて言葉をゆらしてしまう。だから、誰かに伝えなきゃいけない気持ちがあったハズなのにというタイムアップ感 (青春やら悔悟やら) が伝わってきた。

 時が過ぎてこの曲のことを忘れはて、エロゲソングとかも卒業()した頃に、もし聴き返す機会があったなら、また沁み入りそうな予感もする。たとえば終電を逃したタイミングとかに、かつて受験勉強やレポート書くときにドリンクバーだけで居座っていた24時間営業のファミレスにふと立ち寄って、そこで音楽プレーヤーから偶然流れてきてさ、好きだったこと思い出したりしたら深夜テンションにつられて泣き出しちゃったりでお前、はいはいオッサン年甲斐もなく恥ずかしいなお前もう、もう一度、ってなる。名残惜しくて、ゆらぐ曲だと思う。
850の軌跡 (Volume7の挿入歌 )
 旅程、郷愁、喪失者。日々の浮き沈みのなか、大切だったものをなお見続けようとする楽曲。声高になることはなく、しかし豊かである、巧妙な構成をもちます。
 イントロの愁いげなピアノ・フレーズを鳴らすと、ボーカルもどこか不安げな高低差をもって歌いはじめる。サビ「行き先をなくした~」からは2度ほど上げた曲調となって希望が灯るものの、その暖かみはささやか過ぎて。歌詞もまだ諦観ばかりだから、わだかまりが残ります。そんなサビを終えると冒頭のピアノ・フレーズを繰り返すのだけど、4小節終わった途中のところで調をふっと元に戻してしまう手つきが職人芸です。たとえば代わり映えない日々に光明が見えたはずなのに、寝て起きればあやふやになってたときみたいな。あるいは旅先の駅や空港で、友人に別れを告げた直後の虚脱感みたいな。水が低きに流れるように自然に下りてゆく感情表現が巧すぎです。そうして先ほどと同じメロディをまた繰り返すこととなり、「消えてゆく」「狭間へと散る」「落ちてゆく」「押し寄せてくる」流れてゆく時間や場景をなすすべもなく見送ってしまう。
 ところがです。またサビに入るのかと思ったところで、意外にも新しいメロディへ展開していくのです。「たとえばすべて、失ったとしても」淡々と眺めやるのみだった歌詞がここにきてはじめて意志をのぞかせ、寂しげな曲調に抗うそぶりを見せる。それに応答する間奏によって、ついに希望のトーンが整えられていって、今度こそはとサビを迎えます。前回のサビと同じ調ではあるのに、心もとなさは不思議と拭われている。「私の名前を呼び続けて」ただひたむきに唱え続けるその姿勢へと静かに感動してしまう。アウトロでは冒頭の愁いげピアノ・フレーズが再び示されるものの、ひそやかに2度ほど上がったそれに、歌い上げられた意志が打ち消されてしまうことはもうなくて。余韻をもって終わりゆく。
 このように寂寥感であったり束の間の希望であったりと、曲調とともに感情の温度は所在なさげに浮き沈みする。しかしそのなかに観月あんみの体軸からしっかりした歌声が通っているゆえ、芯の強い印象となります。悲しみを誰かれなく触れ回ったりはしない歌。いろんなことがあって、すごく頑張ったけれど、最後に残ったのはたったこれくらい。そんな軌跡を受け入れた音楽。わたしは聴き終えると「それでも、残ったんだ」と付け足したくなりました。