Sek8483さんの長文コメントへレスをつけたもの

Sek8483

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77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レス どうも、すっかりお久しぶりでした。音楽感想を細々とでも書いていると、文字にしたい欲がだいぶ発散されてしまい、エロゲ本編の感想が手につかなくて悩ましいです。Sekです。日頃からツイとかやってる方々は、感想を書きあげるモチベーションがよく維持できるものだと感心します。ましてエロゲライターの人とかはすごいお仕事だと思います。なにを食べたらあんな延々とイチャラブテキストを書けるようになるのでしょうか。

(以下、『きみはね』の話はまったくしておりません。大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。)

 前回の話のつづきからいくと、時雨本隊の「#5」にはちょっとニヤリとしちゃいますよね。このバンドも、そうしたナンバリングを再び進めはじめるほどまでに年輪を重ねたわけで、なんだか感慨深いような。
 アニメ界隈での時雨/TKは「腹から声出せ」とか親しまれつつ話題になってましたけど、あの時期にはpeople in the boxやamazarashiといった辺りのバンドが、立て続けにアニメタイアップを組まれていました。最近のアニメとかは全然わかってないのですけど、どれくらい定着したのかな、邦ロック方面にはファンを引き込めたのかな、とちょっと気になります。
 エロゲもポップミュージックも、コンテンツ商売として、似たような時期に似たような斜陽のおもむきを醸してきた印象もございます (少なくともパッケージ販売においては)。もちろん、いっしょくたにそれらの商売を語ってしまうのは間違いですけど、わたしにとってはどちらも単なる趣味だから、となり合わせに捉えてしまうこともあって。たとえばART-SCHOOL「LOST IN THE AIR」なんて聴いていると、唐突に果てるようなブレイクやらリズム感、へたれたボーカルなどに、すっかり錆びついたわたしのエロゲーマー魂がいまだ共鳴してはサビ鳴りしてしまったりする。エロゲと音楽は、そのいずれもがなよなよしくてエモい趣味ではあるわけで、やっぱり普通に相性がよいのかなぁとか思います。なので、その中間地点にあるエロゲソングに向けても、ポップさがどうのと口幅ったく言ってしまったりするのですね。

 かねてから残響さんと音楽性の違い()を感じるところはあり、アニソン/メジャーJPopなどへの親しみかたについては、出発点がまるで違うみたいですよね。わたしの場合、クラスのみんなと話題をそろえるためのMステとかもきちんと観れていたクチでして。ポップミュージックのする音づくりへの抵抗感があったとしても、それはむしろ実家めいた煩わしさだったりします。
 たとえば中学生の頃だったか、はじめて自分で買ったCDとかを考えてみても、たしかGARNET CROW『first kaleidscope』でして、後にはアニメ『名探偵コナン』の主題歌とかも担当しているビーイング系列のアーティストです。「君の家に着くまでずっと走ってゆく」とか今でもなお好きですし、(関西出身でもない) わたしが「拾う」と書くときに「ひらう」と好んで字を開くことがあるのは、「Holding you, and swinging」という曲に書いてあった「やけに今 躰が音をひらうよ」といった歌詞の影響をもろに受けていたりします。
 音楽全般にしても、エロゲソングにかぎっても、ほぼほぼメジャーな上辺のところしか知らないわけでして。偉そうな口ぶりをまじえつつエロゲソング感想を書いているから誤解をさそっている気もしますが、たいそうな知識とかはありません。残響さんのいうギター機材用語とかも、実のところチンプンカンプンなのですよ (これがバレてしまうとハッタリ効かなくなって困るのですけどww)。
 楽器にさわる機会があったのは、幼稚園から小学生までくらいの期間で、ヴァイオリンを習ってました。練習とかいろいろ辛くなって逃げちゃったのですけど、いま思い返せば贅沢をさせてもらっていましたね。こうしていい歳になってエロゲソングへ感想を書いてみると、ヴァイオリンを嫌悪したり敬慕したりの記述が自然と出てきまして、なんだかんだ言いつつ自分にとっていちばん愛着あるのが、この音なのかなと思っております。こちらについてもベタな曲が好きでして、パールマンの弾いたパガニーニの「24のカプリーズ」に感動しては、いまだ聴くたびこらえきれず爆笑していたりします。

 そんなふうにヴァイオリンへのこだわりが出た感想のひとつが「Yes,You can make it!」へのそれだったのですけど、お察しのとおりで、残響さんの感想をきっかけにして書いています。新堂真弓の癖のある「Yes !」が耳にひっかかって記憶に残っていたわけですけど、わりとマイナー曲のたぐいなのではと思います。それが残響さんの口からいきなり出てきたものだから妙に嬉しくなり、寄せて書いたわけでして。「細井聡司その人です。」といかにも知ったふうに仕上げてはいますが、「たぶんぜったいこのコンポーザー聴いたことあるんだけどなー」と曖昧な手ごたえから調べつつ書いていったのが内情でして、わたしの知識の手持ち分などそんなものなのです。グーグル先生ばんざいです。
 そもそも、わたしが口切りとした「0の軌跡」感想にしても、残響さんがCrimdollのKANATAさん (次のM3でもご一緒みたいですね) と駄弁っていたラジオ (なんか妹さんが出ていらした回) をたまたま聴き、そこで話題に上がっていたこの曲をひっぱりだして聴き直したのがきっかけでした。観月あんみボーカルは「Memories are here」での言い回しがどうにも堅いニュアンスに感じてしまい、ちょっと苦手意識が先行してたのですけども。何年かたってみれば自分の聴き方もだいぶ変わっているもので、あらためて「0の軌跡」を聴いてみると綺麗に軸の通った声がすっと入ってきました。彼女の歌は、またいつか聴ける機会があれば嬉しいのですけども。

 残響さんの「空気力学少女と少年の詩」感想は、掛け値なしに素晴らしかったです。わたしにとっては、残響さんが書かれたものの中でもいちばんすんなり入ってきましたし、「音の壁」のお話など基礎的なところもふくめて教わりました。ライターさんがピクシーズからよく引用するということも、「Alec Eiffel」なる楽曲すらも知らなかったので、自身の感想でエッフェルについて触れたときから残ったままだった違和感がようやくあそこで解消されたわけで。ありがとうございます。はたしてイクテュスのくだりは、vostokさんのところで話していたのを拾っていただいたのでしょうか。最後のほうまで来てもなお「だからもっと深く読まなきゃならない、ここまで文を重ねたからには。」とか拘りつづけるのは卓司みたいで、自然とあのお話に重なっていくようなところも好きです。
 そしてあの感想を読んでみたところから、及ばずながらと「恋をしようよ Let it snow」のことを書きはじめたのですけれども。松本文紀の楽曲というのは、どうにも矛盾めいていてよくわからなくて、なかなか次の感想文には取りかかれる気がしません。
 ところで『すば日々』の楽曲については、本編はもちろんのこと、例のトリビュートアルバム『07-20-2012-1999』に愛着があったりします。X2N_「Smile of the End」とか、viewtorino「終わりの七月」とか好きなのですけど、アルバム全体にわたりローファイにねじれて鋭い音が徹底されており素敵です。ギターがはっちゃけ過ぎな曲も多めになっており、松本文紀を聴いてたと思ったらナンバガ聴いてたぜ、俺にも何が起こったか……というたぐいの人にも楽しみどころが多いような気がします。松本文紀の楽曲はこんなふうにも愛されてるものだから、感想書こうにも及び腰となってしまって。それだけに、残響さんが書き上げたものにはいっそう感服しています。
 (為念です。)
 http://jabberwocksounds.tumblr.com/post/27559140714/07-20-2012-1999

 さてさて、岸田教団についてはお察しのとおり…じゃございません。わたしの場合、誰かのファンとして逐一に追いかけることをあまりやらないタチでして、岸田教団のアルバムとかもかなり歯抜けのままになっています。かつて「ただ凛として」とかの頃にはわりと聴いておりましたが、そこからはだいぶブランクが空きまして。つい先頃になって、merunoniaさんが「Alchemy」や「ケモノノダンス」を楽しそうに聴いてらしたのを見かけたのを機に、またいくらか聴くようになった次第なのです。とりわけ「Alchemy」のギターとかはもう最高にアホでして、最近知ったなかでも指折りに爆笑していました。あれほんと好きです。
 余談だけど、以前にここエロスケで、merunoniaさんへレスしたことがあったのですけど、彼の『BackStage』感想を読んでいて、どんな人なのかとツイを見に行ったら「ばっらぁぃくっ ふぇぇぇぇぇぇぇぇいだうぇい!!」。ちょうど当時デモムービーが公開された「Tomorrow Never Comes」を熱唱していらしゃって、え、やだ、この人わたしと同じことしてる……と親近感をおぼえたからだったりします (ひょっとしたらこれは記憶の捏造で、そんな恥ずかしい人間はわたしのみだったかもしれず、その場合は大変申し訳ございません)。

 とまぁ、いろんな方の聴いているものを横目でひらいながら場当たりに書いているわけです。日曜になって陽が落ちてから、とりあえず書いて投げておかねばー、とか言いつつやっております。ただでさえ周回遅れで好きなものの感想だけ書いてるのに、理屈をこねるうちに当該曲からも離れてしまい、別の楽曲のこととかまるで関係がない話へと逸れたままになったりする、あまり行儀がよくないエロゲソング感想です。レスもつかないことだし、読んでる人も少ないだろうからと放言しているきらいがあるので、そこはもうちょっと戒めねばとか思いはじめてます。
 あるいは、入力してる評点がわりと厳しくなっちゃっているのも、ちょっと気にしております。たかが点数の話ではあるのですが、気にする方は気にするものでしょうし。ただ、どうにもエロスケの仕様に則って使うのにも気が引けていまして。たとえば、「櫻ノ詩」がデータ数225でもって99.4というスコアを表示してるのを見たりすると複雑な気持ちになります。すごくいい曲だから評価されるのは喜ばしいのですが、なにもこうやって善意のシステムでもって "この音楽はいいよね" と保証されなくとも、賛否両論の末にでも "この音楽はいいよね" と言われるべき曲だったろうにとぽいずん。


 さて。
 毒をお漏らしかけたので、さりげなく話をあさっての方向へ変えとこうと思います。
>>
ソシャゲを開始されたとのことでしたが、「あいりすミスティリア」だったのですか。楽しまれておられるようで何よりです。腹パンとか焼きそばパンとか、サディスティックなSekさんやで……。
<<
クルちゃんは、焼きそばパンをねじ込まれても「あれ、いま私ってオイシイ?」とか思っちゃう癒し系アイドルだから大丈夫です。たぶん。

 ちなみに、あの感想文では最初タイトルを明記していなかったのですが、秋口からはじめたソシャゲというのは『ぼくらの放課後戦争!』のことでした。ペンギンかわいいよペンギン。どうかいつまでもそこに居て、わたしがクリックするたびに秋刀魚とか栗ごはんとか松茸を、たーんとお食べなさい。きたる冬に向け、おなかにしあわせな油断肉を育てていくのですペンギン。そして体重計にのって、陸上部所属の妹さんとの基礎代謝の差に戦慄するのですペンギン。といったことを昨秋あたりはやっておりました。かわいいよペンギンかわいい (※幼馴染ヒロイン・相川小春のこと)。
 残響さんに全然わからない話ですみません。
 『あいミス』も『ぼく戦』もなのですけど、「素材は最高だったのに…」という怨嗟の声がそこかしこから湧き上がり、ひと昔前の萌えゲーをほうふつとさせる状況となってました。なんやかんやとあって現在、『あいミス』は休業に入ってしまうし、『ぼく戦』においては「運営チーム変更記念ガチャ」とかいう恐ろしい字面をしたシロモノが絶賛実施中でございまして。ソシャゲ事情とかにまったく疎いわたしなどは、え、やだそれまでも記念しちゃうの? ソシャゲまじ怖いってなっております。

 (エロゲーマーとしてはもうシーラカンスの干物みたいなプレイ近況のわたしですけど) エロゲーマー的な感覚からいえば、『あいミス』の主人公の間合いの取り方とかは独特で面白かったです。没入型か観測型か、一人称なのか三人称かみたいな話として、主人公の造形とかゲームでの選択肢の入れ方が、主人公の視点をプレイヤーの視点まで引き上げてしまうように調整されてまして。ヒロイン同士のキャッキャウフフを眺めていく方向に特化されていて、主人公の存在をゲーム内世界からディスプレイの前にまでキックしておくようデザインされてました。AUGUSTさんなりの、パッケージエロゲとはまた違った回答であるのかなとも思います。

 これからエロゲメーカーやそこで活躍していたクリエーターさんと、ソシャゲの関わりがどうなっていくのかというあたりには、他人事ではいれないので興味あったのですけれど。不憫萌えとかをするわたしとしては、むしろ、『天穹ノ彼方の錬星郷 (ソラカナ)』というソシャゲの背景設定なんておもしろかったです。女の子たちの人間エッセンスをごりごり削りながら防衛戦争に向かわせるという (『結城友奈は勇者である』とかと同じたぐいの) ヒロインたちの純粋さや使命感とかが愉悦な世界観でございまして。より強いレベルに育てるにつれ人格が崩れて、普通の可愛さがこぼれ落ちていってしまう女の子グラに、妙にきゅんきゅんさせられました。
 ただ、それとともに『ソラカナ』にはいまひとつ欲求が満たされない感じもありまして。せっかく共時性をもつソシャゲなのだからシステム的にも不可逆的な寿命を組み込んでしまって、古きPS時代の名作『俺の屍を越えてゆけ』のようにしてキャラクターに愛着をつけておいたらば、よりエグいものが仕上がるのにとか思ったり。ソシャゲというのは、わたしなどには馴染み深かった "資産 (宝物)としてのゲーム" から "フィービジネスとしてのゲーム" へと変わっていたみたいでして。時間経過とともにインフレが起こると、ゲーム内の手もと資産は目減りしていくのですけれど、ならばいっそ、そこに上手く適合するヒロインの儚い愛らしさを見せてもらえたらば、また感動が掘り起こされるのやもとか思います。
 そしてこのあたりがちょうど、現行のパッケージで完結したエロゲにおいて、ヒロインがずっとずっと静的に性的に可愛いところとは、衝突をまぬがれなさそうで、どうなっていくのかなぁと興味しんしんでございます (野次馬根性)。


 そんなこんなで、ほぼほぼ狭義のエロゲーマーでなくなっている近況なのですが、エロゲソング感想はしばらくこうして細々と書いていくつもりなので読んでいただければ幸いです。残響さんの音楽感想や、創作活動にも期待しておりますので、何卒。
 ではでは。
Sek84832018年02月12日

76水の星、世界を手に入れる男(非18禁) (A.N.P.(同人))
ちゃんとプロットの手続きを踏んでいるのが良かったと思います。 → 長文感想(1069)(ネタバレ注意)(4)
最新レス 引き続き、よろしくお願いします。
 水平線のところのリアリティにふれつつ、わたしから見たときの本作へのゲーム感覚と、違和感について。

>>
水平線に対する視差からくる地球規模の見通しの話などは、ほぼ関係ありません
<<
 こちらの指摘については、わたしの認識がおかしかったようです。あらためて算定していただきますと、わたしが内心でなんとなく思っていた感覚とは開きがありました。算定するにあたり細かな条件を考慮する余地はあるだろうけど、そこは本題ではありませんね。「水平線に小さな粒がぽつぽつと浮かんでいた。」と作品テキストが口にしている以上は、たとえ夜間・悪天候であっても「ほぼ関係ありません」というわたしの主張のほうが思い違いでしたね。ごめんなさい。

 省みれば、わたしが本作を読んでなんとなく思い浮かべていたのは、実際の海戦ではなくて、RTSのようにして "戦場の霧" がかかったのを俯瞰していく、平面的でゲーム感覚に近い戦場図だったみたいです。味方は青の三角形、敵は赤の三角形で表されて、それを神の視点から眺めながら、あーだこーだと解説する。そんなアングルの取り方。『銀英伝』では科学的なツッコミどころを糊塗する気すらなく、あくまでスペースオペラとしておよそ立体感なく攻防がなされます。あるいはSFライトノベル『星界の紋章』では "平面宇宙" という別の物理法則を設定しておき戦場を持ちこんだりと、読者にわかりやすい平面に描写を落とし込んだ上で艦隊戦 (を指揮するキャラたち) を描こうとする例は多いように思います。これは『コードギアス』における戦術の描きかたも同様で、簡便にして用に足るものだったと思います。そうしたお約束的なノリを、わたし自身が勝手に決めこんでしまっていたような気がします。

 説明されてみれば納得です。またわたしの場合、もしもこれが海洋冒険ものだったならと文脈を換えて考えてみると、あっさり腑に落ちるところがありました。はるか彼方から近づいてくる船が、海賊船かどうか判然とせずに、接触を避けようとするものの徐々に船影は大きくなってきて、何時間も、あるいは何日もまんじりと追いかけっこを続けるうち飲料水が心もとなくなっていって……、というふうな、大海原であるゆえの時間感覚をそなえている物語。
 あるいはちょうど話に出ましたアニメ『無限のリヴァイアス』。そのはじめの頃の人類艦との戦闘シーンなども思い起こされます。火星の軌道を敵味方がそれぞれに周回しつつ、数時間をも隔てながら邂逅したときに一撃だけして、また離れていく。その間にはあーでもないこーでもないと、軌道計算やプログラム最適化に取り組むことになりまして。「前テレビで言ってた。宇宙空間の戦闘って時間がかかるものだし……すっごく無意味な行為だって!」。
 そうしてダラダラと過ぎていく時間経過だから役目のない人間は暇を持て余し、否応なく他人のアラが見えてしまうし、ゆるく続いていくストレスのやり場はなくなり、いつしか学級会やら権力闘争やらをはじめる。そんな作品のプロットにとてもよく沿った、とてもよく時間のかかる戦闘だったと思います。
 見返したらば隅々ツッコミどころも目につくのやもしれませんが、あの時間感覚には、宇宙空間の戦闘というものが創作物なりによく想像されており、わたしをあの場に連れていってくれたように思います。そうしたリアリティ (というよりビリーバビリティでしょうか) は、本作『水の星』が持っていないものでした。そのあたり、dovさんの不満点にもいくらか重なったりするのかなと想像いたしました。


 そんなわけで話は変わり、シュタイン・ヘイガー登場する『無限のリヴァイアス』は好きな作品でございます。「easy living」「nowhere-」といった印象的なBGMとか、まるで無力な主人公への共感だとか、無数の惹かれるものが雑然とつまっております。
 しかし多感な少年時代のわたしにとっては、何にもましてファイナ・S・篠崎との出会いこそ衝撃でした。聡く、敬虔で、聖母のようでもあり、いつでも安心を与えてくれる少女でございます。"自分が頑張っているとき後ろで微笑んでいて欲しいヒロイン世界ランキング" において、『シンフォニック=レイン』のファルとふたりで首位を争い続けているだけのことはあります (※Sek8483調べ)。……ええ、ぜったいに巻き込まれたくない争いですね。タイトル戦の前にふたりして記者会見とか開いたなら、ものすっごい和やかムードなことでしょう。後光とか射します。
 本作のオリヴィアも、いま少し野心をやわらかい笑顔の下に隠しながら、華奢にふるまってくれたのならストライクゾーンだったのですけど。彼女がリスクを取るところやそのタイミングというのが、わたしの好みからはやや外れていたのが無念です。ただそれでも、彼女の開き直りであったり、ノアの口の減らないところや、あのレイラに物怖じせず進言するアレクセイといったキャラクターたち。彼らが腹芸をさっぱりしようとしないところには、オーベルシュタインとかヘイガーとかにはない独自の魅力があったふうに感じました。



 さて。
 わたしはweb小説版しか読み通していないのですけど、そこをあえてエロスケに評点を投げるとしたら74点あたりでつけます。なので、お互いのサマリーの平均値や標準偏差などかんがみれば、実のところ、dovさんのほうが本作を好評しているのではないかと思います。
 以前、新島夕作品について話をしたときもそうでしたが、dovさんとわたしでは、期待の抱き方にわりと差がありそうですよね。dovさんがわりあい作者さんを信頼したり失望したりなされているのと比べると、わたしの場合、はなっからあまり信頼しておらずあきらめが早いほうなのかなとも思います。
 共産主義という用語を見かけたときなどは、「共産主義」という雰囲気ワードとしてふんわりキャッチしておき、カッコ書きをつけながら読んでしまいました。政治にまつわる言葉などは特に、使う人ごと物語ごとに意味が変わりやすいですし、(ときには意図しないまま) パロディのおかしみも付きやすい類のものですから、この作品ではどういった偏りで使われるだろうかという頭がまずありました。
 これはエロスケで感想文を読んでいるときなども似たようなものでして。言葉が不用意にデカイなと感じるときには「(俺の) エロゲ体験とはこうあるべきで」といったふうに勝手に主語を補いつつ読んでいたりするので、当人がぶちまけたいのだろう熱量を聞き流してしまってもいて。そうした不真面目を続けているうち、視野がせまくなって見逃しているものがありそうで、困りものではあるのですけど、つい楽をしてしまいます。

 ちなみに『亡国のアキト』は家でまとめて全部見たのですけど、わたしもあまり肌に合わなかったので、結局のところ流し見になってしまいました。dovさんほど真面目な反応ではないのですけど、「笑っていいところまだー?」な窒息感は全編を通してありました。お話よりは絵面を追っているほうが面白くて、第一話での意味なしカミカゼのとこの目まぐるしさとか、ニ話目以降でジプシーのお婆ちゃんたちと世界名作劇場やってレイラ司令が役立たず可愛いところとか、ロボットでもって中世のお城を攻めるところとか。断片的なイメージが記憶に残っております。


 ところで本作について、dovさんが他に挙げられた引っかかりどころには、わたしも引っかかってたりします。しかし引っかかる理由は人それぞれなのですね。わたしの場合だと、現代の鉄道会社が構築するような命令網を、この時代の海軍の戦場にあえて求めはしません。また「皇帝」の語義に関しても古今東西で幅がありますし、"征服には基盤が必要という" という意は現にdovさんによっても汲まれており、その程度にあいまいに意味が疎通しているのなら、辞書を引くことはする必要ないと考えております。
 しかしながら、わたしはわたしでややこしくなっていまして。通信魔術が描かれたときには「無線がすでに実用化されてる? それで、こんなどうでもいい訓示にだけ使ってるの? え、いや、やっぱり指揮系統もできてるの??」と、だいぶ混乱しておりました。無線を、「魔術」なるまだ若い技術として出しておきながらその効用をかなりスルーしてしまう。登場人物がそれを驚いてみせないところには違和感をもちました。なにせ、無線通信のことなのですから、もうちょっと軍人さんたち興奮して喋ってくれたってばちは当たらないだろうにと。
 また「アレクサンダー皇帝」については、むしろ、いきなり私たちの史実について言及しはじめたことに意表をつかれまして。ならローマ=カトリックの権威にあたるものは在るのだろうかとか、いやそも宗教は登場してこないですねと、わき道に逸れながら気になってしまいました。

 ここで本作には、『異世界見聞録』なる、世界全体の技術・経済・社会制度のレベルを引き上げた謎の書物、というバックボーンが設定されてました。そうして広まった「魔術」という誰にでも使いうる技術は、これから平民の地位を引き上げていくことでしょうし、共産主義などの革新的な概念がひと足とびに『水の星』の世界には広まっていて。私たちの世界から様々な概念を運び込んだようでもあり、特に「魔術」がことごとく大砲レプリカだったり無線通信レプリカだったりといったこちらの技術のエミュレーションになっているから、余計にそうした詮索をして意識がいってしまいます。dovさんがリアリティをやけに気になさる気持ちが、わからなくもないのです。
 しかしわたしの場合、何となくモニョって、文句を言っていいものか怖気づいてしまうのは、最近の異世界転生ものなど、ファンタジー世界に現代の技術を持ちこんでみた物語の、テンプレというかお約束みたいなのがよくわかっていないからでして。時流に追いつけてないので、なろう小説を読んだことがないのですけど、そうしたジャンルが多いということで聞き及んでます。そうしたとき、無線通信のことにあまり触れないのは、物語が異世界の言葉の煩雑さを "翻訳こんにゃく" で無かったことにするような簡便化・物語のお約束とも同質なことであったりはするのかなとか考え込んでしまいます。
 今回レスのはじめに言ったとおり、わたしは実際の海戦ではなくてウォーゲーム的に簡便化した、高度のない視点でお話を読んでしまいました。そしてまた、読者に戦況をわかりやすく語るがために、そうした視点をそなえる軍略ものは多いのではないかなという印象をもっています。それと似たようにして、軍略ものではしばしば奇襲のダイナミズムや敵味方ライバル司令官のデットヒートがために、ことさらレーダーを潰したり、超光速通信をやってのけたりと、物語を記述する必要から情報のスピードが速まったり遅くなったりするように思われます。無線通信というのはそうした、軍略もののお約束、物語の記述に密接に関わっているところな気がして、(異世界転生ものとかをあまり知らない) わたしなどが安易にツッコんでよいものなのかと、妙に戸惑ってしまいました。
 かの有名な "充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない" という言葉については、科学技術の万能性を謳ったものではなく、技術の透明化――魔法を見るかのように原理も知らぬままに技術はやがて使用されていくというほうが主意である、といった解釈もございます。俗にいうなら、SNSが普及して人とつながっているのが当たり前になっているときサーバーのこととか考えないよねということ。そんな話を思い返してしまう具合に、ある種の軍略ものの、ウォーゲーム的に立体感が少ないわかりやすさのなかでは、無線通信がなかば透明化しているように、ときに光速の壁をも破りながらキャラの智謀がせめぎ合うような書き口があるふうに思えます。『水の星』での無線通信の扱いや、私たちの世界にある概念の輸入 (そのぎこちなさ) からは、なにかそうした軍略もののお約束を過度に意識してしまえるようで、ちょっと困惑しておりました。



 自分の困惑がただただ洩れ出してしまったので、お話のほうに立ち返り、デュークのことについて少し話しておいて終わります。
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多分彼はエルバートの敵になるのでしょう(Sek8483さんも『親友デュークの善人っぷりや王族婚姻フラグ』と書いていらっしゃるので、同様の予感を抱いたのかもしれません)。
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 おっしゃる通り、わたしもプロットとしてはそれが美味しいように考えます。マーガレット=ユーフェミア想定での見立てですね (ついでにベアトリス=カレン見立てもその通りです)。このあたり人物関係についてはいくらでもプロットの幅が広がっているのですが、やはりデューク敵対は王道であるからして、わかってても期待してしまいますよね。
 そして彼をスザク役に押し上げるのなら、おっしゃるとおり「神堕とし」なりの、ランスロット(勇者の剣) が必要になるわけです。これについては、デューク独自のものとして航空兵力の運用思想が既出になっていましたよね (二章・第13話)。"ただの偵察機でしかない飛竜" を用いて、エルバートとの友情を急降下爆撃したならば絵的にはバッチリ決まりそうなのです。その解放条件としては "デュークが公爵として実権を握ること" がフラグ設定されていましたので、エルバートがやっちまった父殺しとの相似(or対照) も整えつつキャラを覚醒させる筋道はつけれるなぁと思いつつ彼のことは眺めておりました。三章時点ではだいぶ役者不足ながらも、彼がスザク的なポジションに転んで頭角を現してくる展開はしごく順当なのかなと思います。軍略ものでは基本的にネームドキャラは有能でなければならないのですけれど、なればこそ際立って凡庸なデュークは美味しい位置取りでもあり、舵取りは難しくも動かしがいはありそうです。
 いやしかしまぁ、結局のところスザクはスザク、デュークはデュークなのですから、そうそうわたし (たち) の期待通りに動くことはないのでしょうね。

 それでは。
Sek84832017年07月16日

76水の星、世界を手に入れる男(非18禁) (A.N.P.(同人))
ちゃんとプロットの手続きを踏んでいるのが良かったと思います。 → 長文感想(1069)(ネタバレ注意)(4)
最新レス お久しぶりです。

 せっかくお勧めいただいたので、こちらの作品やってみました。ただ、わたしの横着ゆえ、web小説版のほうのみを手早く読ませてもらいましたので、レスにて失礼します。
 軽く確認しましたところ、ゲーム版のほうには例のラストシーンで「父王は次世代をよく見据えて布石を打っている」ことを回想する演出がつけ加えられていたりと、web小説版とは細かな差異があるようです。その点での行き違いはあるかもしれない旨、ご容赦ください。

 さて、「Sek8483さんがどう感じるか気になった」とのことで、お気にかけていただきましてどうも。いくつか話すポイントはありそうですが、「ライトノベル的」か否かについては、わたしがライトノベルを十年来読んでいないありさまなので何も申せません。というか自分が手もとに持っているラノベを漁ってみたらば『猫の地球儀』とか掘り出されてきまして、面倒くささのプンプンする老害臭がにゃーん。ですので、ジャンル論争になりかねない話についてはフタさせてくださいませ。

 その上で、dovさんが評するところの「平明な記述で、面白さのルールをきちんと守っている」作品の魅力については、おっしゃる通りだと思います。しかしながら、dovさんが感想の前半でなされている個別箇所への批判については、そもそも妥当性が薄いように考えます。


 ひとつめ、敵艦隊の発見について。
 まずは、dovさんよりも前後を広くとって引用しますね。
>>
 日の暮れた海は、どこまでも暗闇が広がっていた。
 時が経つほどに雨は強くなり、甲板を勢い良く叩いている。

「ベリチュコフ艦隊、発見!」
 雨音に負けぬよう見張り台の兵が大声で報告した。

 エルバートは前方を凝視する。
「あれか」
 水平線に小さな粒がぽつぽつと浮かんでいた。まだ距離があるため、雨の中では、言われないと気付かないほどに見辛い。
 敵艦隊は20隻にも満たなかった。他の艦は各地に分散しているのだろう。
<<
このとおり、日没後・悪天候での海戦につき「言われないと気付かないほどに見辛い」状況であったゆえのことで、水平線に対する視差からくる地球規模の見通しの話などは、ほぼ関係ありません。こちらへの指摘につきましては、dovさんの思い違いではないでしょうか。

 ただ、もう少し考えてみると、そうした思い違いを助長してしまう手落ちもまた作品側にはありまして。
 ご覧のとおり、dovさんの引用とわたしの引用では、改行に違いがあるのですけど、わたしの引用はWeb小説版のテキストです。一方でゲーム版においては、この行を空けた箇所ごとにページ切り替えがされております。そして、あくまでわたしが比較した印象ではありますが、ゲーム版のほうが読んでいて、兵が報告してからエルバートが気づくまでの "時間が短い" ような体感がありました。
 ADVにおいてはテキストとテキストの間のSEや立ち絵変化などの、さまざまな演出によってゲーム内の "間" を描くことが可能です。されどフリーゲームの本作ではそのあたりまで手が回っておりませんので、商業フルプライスエロゲばかりやって耳目がブクブク肥えまくってるわたしなどの場合、あえてADVにしておきながら "間"が無くて、テキストが矢継ぎ早に進んでいくような印象もあります。いっそ、web小説版で文章のみを読んでいるときのほうが情報が少ないぶんイメージが脳内補完されますし、(上記引用のように) 行間によって文のかたまりが視覚的に分けられることにより、"見張り台の兵が大声で報告した。" というのと "エルバートは前方を凝視する。「あれか」" がそれぞれ別のアクションであるという、文章の時系列はより明確に印象づけられているよう思います。
 このあたりの間の取り方などで、本作テキストはADVには最適化されておらず、それを補うべき演出もない、ADVとしては文章表現がやや速すぎるような欠点をもっていたように感じます (コスト的に、それを実際に責めるべきかは別としても)。ひょっとするとdovさんが「見張り台から船が見えた時点で甲板にいる主人公から船が見える」ように読み取った一因は、そんなところにもあったかもと憶測いたします。


 ふたつめ、包囲戦について。
 dovさんが引き合いに出されたカンネーの戦いは戦史上名高い包囲戦ですが、なぜに名高いかといえば二倍近い敵を破ったのがやはり衝撃的だからでして、殲滅戦の典型として戦術家の手本になっているのはそれ実現できたらスゴイよねということだからでして。「まずそんな発想すら出てこないはずだ。」という本作は、やや語気が強めだと感じはしますが、特に穿った見方さえしないなら、わたしなどは引っかかることもなく読めました。

 さらにいえば、お話の展開の上で語気を強くしておく必然性もまた認められるように考えます。
 はからずもと言うべきか、本作における戦闘展開は、カンネーの戦いへの評価をよくふまえて書かれているかのようでもあります。こちらはWikipediaからでちょっと恐縮ですが、カンネーの戦いについて。
>>
この戦いから特に包囲戦の有効性が強調されるが、ローマの敗因は包囲されたことによりパニック状態になり、有効な組織的対応が出来なかったことにある点に留意する必要がある。もしローマ歩兵が包囲側の攻撃に耐え、そのまま前進して包囲網を突破し、左右に展開出来たならば、逆に寡少なカルタゴ軍を包囲できたことになり、全く違った結果となっていたと考えられる[1] 。

( https://ja.wikipedia.org/wiki/カンナエの戦い )
<<
 続きまして本作から、このたびあえなく敗軍の将になったアナスタシヤさんの洞察とそれが崩れ去る過程がこちら。彼女はただの無能でないからカンネーの戦訓はしっかりふまえつつ、それでも、どうしようもなく敗れているのです。
>>
 驚愕に値することだった。
 少数の側が多数の側を包囲しようとするとは……。
 普通ならまずそんな発想すら出てこないはずだ。

 恐るべき相手だが、しかし、こちらは彼の意図をすでに見抜いている。
「全艦、被弾に構わず突き進みなさい! 1隻でも敵艦隊を突破すれば、あたしたちの勝ちよ!」
<<
>>
 指揮を続けながらアナスタシヤは中央突破の機を窺った。
 1隻だけで良い。たった1隻で良いから突破を果たせば、それだけでエルバート艦隊の陣形は崩壊し、包囲網も成立しなくなる。
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>>
 通信兵が次々と声を上げる。
「四番艦と十番艦が、全軍の総退却を提案しています!」
「アナスタシヤ様! 八番艦からは通信対話の要求が!」
「転進の準備はすでに整っているとの報告が五番艦から寄せられています!」
 彼らの声色から、撤退に反対している者はひとりも居ないことが読み取れた。

 アナスタシヤは全艦に通信を送った。
「すでに敵艦隊が後方に迫っているわ! 後退は不可能! 逃げ道は正面にしかないのよ! 死にたくなければ前面の艦隊を突破しなさい!」
 これで事態が好転するとは思えなかったが、他にどうすれば良いか分からなかった。

 配下が恐慌に陥ることさえなければ、中央突破を果たして、分断した敵艦隊を壊滅させることができた可能性は、充分にあっただろう。
 だがこうなった以上、勝敗の帰趨は覆りようがない。
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 「配下が恐慌に陥ることさえなければ」と地団駄を踏んだベリチュコフ王家の妹さんなのですが、それこそまさに負けたポイント。ゆえに、妹さんの思いはどうしても詮無きほうへいってしまいます。
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 ここで天位魔法を使えれば、と詮無きことを考えてしまう。
 ベリチュコフ王家に伝わる天位魔法は、人間から恐怖と痛みを奪い、戦闘兵器に仕立て上げることができる。
 その影響下にある艦隊は、『不死艦隊』あるいは『無敵艦隊』と言われ恐れられているが、決して大袈裟な呼称ではない。
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 天位魔法 (Aランク宝具) を継承してるおねーさまであったなら「配下が恐慌に陥ること」なく勝っていたのだろうと血統の無情を歯噛みすることになり、本作の目玉のひとつ・天位魔法すげーなと盛りたてるプロットになっておりました。
 つまり、ここでは軍の士気を焦点にする必要があるから、数においては寡少なエルバート側が包囲戦を敷く (相手の士気を瓦解させる)、まさにカンネーの戦いを再現する必要があったわけで、dovさんの指摘する箇所においてテキストの口ぶりがおおげさであるのも、物語上で必要な強調として認められるようにわたしは考えます。
 そしてまた、以上のようにしてカンネーの戦訓をふまえつつプロットは成り立っているのですから、「正直、作者があまり知的だとは思えない。」までのきわどい表現をなさる根拠とするには不適当かと思います。いかがでしょうか?


 さてさて。
 以上のとおり、dovさんの感想における個別の指摘についてわたしは同意しませんし、誤りではないかと思います。ただ、もっともおっしゃりたかったのだろう、「面白さのルールをきちんと守っている」という評については同意できます (しつこいようですが「ライトノベルらしい」という表現は措いておいて)。
 今回の経緯ゆえにdovさんの感想は先に読んであったのですが、キルヒアイスが誰を指しているのかはすぐに見て取れましたし、あのキャラを殺すのが実に有効なのもその通りです。そうして面白さをわかりやすく伝えている。
 両陣営ともに、上官に向かって直言しかしやがらない冷血参謀たちがなんとも魅力的でして (オリヴィア&ノア&アレクセイ)、あれよあれよと敵にも味方にもオーベルシュタインだらけな感じになっていくし、拷問プッシュもすごいしで。ビジネスライクな人間関係がこざっぱりとした、軽快な物語だったかと思います (ちなみに舞台設定ゆえに『七都市物語』とか思い出しました)。

 そのあたりの明快さもふくめ、わたし自身はTVアニメ『コードギアス』を連想してしまいました。主人公が理屈最強ながらも実地にやってみたらわりと普通に狼狽する、その昼行灯からの自信家ぶりとナイーブさ。てめえの女のために全軍に無茶させておきながら、いったんポッキリ心が折れると王様やーめるという線の細さ (が人間的な主人公像)。なんとも皮肉な巡り合わせと、すべての引き金をひいてしまってから気づく悲劇。戦略をひっくり返すほどの超常能力。親友デュークの善人っぷりや王族婚姻フラグ。唐突すぎて登場人物が困惑するようなギャグの挿れ方、妙にポップな (エロゲハーレム的な) 場面のとり混ぜ具合。
 そうして気楽な見方をしながらお話と付き合ったからこそ、dovさんと受け取り方の異なるところもあったかもとは思います。必要なときに必要なだけキャラを殺して、その感情のピークのためにストーリーラインを逆算しておく、部分最適化がきっちりしておりまして。ただし、その悲劇はあまりにも悲劇的になっていくというか、オーバーアクションな主人公たちのキャラを立てることへ注力しておいて、瑣末で長ったらしい整合性にはこだわらない (この世界の地理・経済っていまひとつ思い浮かばないのですよね)。そうしたぐいぐいと読ませる残酷物語を進めつつも、よっこらセックスと、おちゃらけたシーンも平然としてはさみこむある種のユーモア。そうした作者のやりたいことを穿たずに見ていくのが適した作品だと思ったから、わたしにはあまり細かな点にまで注意が及ばなかったのやもしれません。

 とり急ぎではありますが所感です。お勧め、ありがとうございました。
 それでは。
Sek84832017年07月12日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レス
>フジミ飛龍!
 実のところ、わりと父の薦めにしたがったチョイスでありました。しかしわたしがいざ組みはじめてから「これ思ったより難しいねえ。いやこのシリーズいくつか買ってはいたけど、中身とかあまり満足に見てなかったから知らなかったよHAHAHA」ぬかしおったのが積むだけモデラーの彼です。積むだけエロゲーマーと化しているわたしと、習性が完全に一致してます。最悪です。
 いやまぁ、模型屋において「たもんまるのくうぼがいい」と言い張ったのはわたしなのですけどもww やや自分の手には余ったものの、それだけに手探りする余地もふんだんに楽しめたので結果オーライでございました。説明書を読んでもいまひとつわからない箇所にあたって、資料をひっくり返したりするときなど、まさに "モデル" と触れ合う感覚があったような。ある種のエロゲ感想をつくるときとも同じ脳みそがムキムキしていた気がします。


 さて本題なのですが、門外漢のわたしが百合の本質をこの上とやかく言ったところで、まぐれ当たりはもう見込めなさそうです。
 なので今回、百合へのいざないを受けて、あたまでっかちな初心者なりに感じとった事をしゃべらせてくださいませ。わたしは「カップリング」といった用語にこだわり過ぎて、百合を思考実験として見ていたきらいがあったかも、といった所感になります。

 まずもって、残響さんのレスを読んでいて、妙に納得してしまった箇所がありました。
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百合者は「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識を普通にしているのですが、非百合者からはそれは「?」であるようで。
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ああ、なるほ…ど? わたしが投コメに書いた「カップリングごと別の世界観をもつようなまなざしは……」うんぬんの違和感の源は、まさにコレかもしれません。たしかに、非百合者のわたしからすると「?」であります。混乱して脳みそが左右に割れちゃいそうです。
 もちろんキャラの同一性というのは、百合者だけの問題ではありません。エロゲの複数ルート制も似た問題をはらみますし、エロゲヒロインがアニメやソシャゲへと出稼ぎに行けば、そこではしきたりや法整備が異なるゆえ軋轢も起こり、彼女のアイデンティティが疑わしくなっちゃったりします。ただそれでも、これらについての主/副はわりあい判りやすく、ゆえに同一性もまとまりやすく思えます。
 これに対して、百合においては、同人の土壌で育ってきていたり、カップリング掛け算という形式ができあがっていたりと、「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識がとても説得力をもっていますね。「文×倫」と「倫×文」の場合でキャラが異なるというのは、(わたしには意味が飲み込みにくいものの) 話としては明瞭であります。
 しかしながら残響さんご自身も、スポンティニアスであるか否かという留保をつけているように、たやすく割り切れる話でもないのだろうとは想像します。あるいは、(百合疑獄の案件なのか腐海での話かで仔細は変わるのでしょうけど) メジャー/マイナー、カプ違いやリバ許容における悲劇というのは伝え聞くところです。残響さんも『きみはね』続編が「既存カプを食い散らかす」ことをいくぶん懸念されていたりと、そのあたりはナイーブな問題をはらむようでして。攻か受かのカップリングごと、キャラが (完全相互独立に) 異なっているというわけでもないようです。
 あるところではキャラの同一性をあっけらかんと手放しておきながら、別のところではキャラの同一性に執着しているようでして、わたしが頭をひねり考えてみるなら、ここには矛盾があるように見えます。

 されど、そういったところで嘘をつき、糊塗して、矛盾を許容してしまえるのこそ、物語のありがたいルーズさですよね。あるいはそうした論理のもつれには、しばしばジャンルのお約束がべっとりからみついており、自己矛盾とはわかっていても愛着を抱いてしまうような。文のもつ天使みたいな小悪魔さへとわたしが惹かれてしまうように、あるいは、わたしを含め多くのエロゲユーザーが "没入型" と "観測型" をあっけらかんと切り替えつつプレイしているよう思われるように、物語というものは、そのなかに多くの矛盾めいたものを飲み込んでくれます。
 ここにおいては「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識をごく自然に飲み込んでしまえる残響さんと、それに違和感をぬぐいきれないわたしがいました。その違いこそは、これまで百合からしたたる水をどれだけ飲んで育ってきたかの違いなのでしょうか。わたしからすれば矛盾してごちゃごちゃ入り組んでるよう考えてしまうところにも、残響さんはスポンティニアスな手先の感覚だけでさっと線をひける。なんら自覚もないまま「"これ" は良い百合だ」と口をついて出てくる。それこそきっと、百合者たる経験のなせるところなのでしょう。

 そして、その自然と湧き起こるような感覚・経験の差というのは、言葉の説明ではいかんとも埋めがたく、伝えがたいものですよね。
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百合とは思考実験なのではなくて、スポンティニアスな「萌えの現場」感覚あってのものだ、ということを重点的に言いたかったから、です。
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 このあたり省みると、わたしはちょっと勘違いというか、頭でっかちに考えすぎていたのかもしれません。肩に力のはいった初心者として、音に聞こえし「カップリング」掛け算なるものや、残響さんのステートメントにある「まなざし」なるものを、(規範的な) 型として受け取りすぎていた。よく知らないジャンル世界へと立ち入るゆえに、聞きかじりの用語だけを頼りにして読んでしまい、四角張ったしきたりとして意識しすぎていたような気がします。
 (……や、実のところ、小難しいふうな話を続けているうちに、だんだん脳みそまわらなくなってきまして。より低きへと流れる水のように「あれ? なんかもっとふつーにプレイしていいっぽい?」という気分になってきただけなのですけどww)

 以前より、よそ者として百合界隈を目にしてみると、そこではときになごやかに、ときに刺々しく「倫×陽菜がよい」「いや文×倫こそ至高なり」そんなふうな話がされていました。百合者の方々はそうした「カップリング」掛け算をごく当たり前に使いこなしていらっしゃいまして。一方でわたしは、カップリング文化というものの精神はわからないし、なにやら神秘主義的な言葉にも見えるわけでして。
 そうした百合の国の言葉をたびたび傍目から眺めているうち、わたしはついつい、「カップリング」なるものが実在しているかのように錯覚していたっぽいのです。それはちょうど「シナリオゲー」なるものや「イチャラブゲー」なるものがあたかも実在しているかのように考えるタイプの、ものの見方です。まず理想の「カップリング」という全体像がいくつかあって、しかる後にキャラたちがそこへとハマったり、あるいはあえてハマらないことで逆張りの個性を出していく、みたいな見方。"はじめに神は言った、カップリング在れと"

 ところがこうして残響さんと話してみて、「精神性が高まったキャラの刹那に、永遠をみるから」というお言葉に頭をひねったりしているうちに、見方はくるっと転回しまして。
 どうもわたしが百合の国に入るにあたり頭を使って予習してきたのとは違い、カップリングなるものは予めには決まってはおらず、ひとつひとつ肉付けられる物語のうちから、女の子やシチュから、スポンティニアスに生まれてくるものなのかもと感じるようになりました。カップリングなる "決まった仕組み" というのは実在しておらず、ただそのお話での日常の言葉づかいのみがあり、シチュによって女の子たちがドキドキするとおのずと、そうなるのが自明なものとしてのカップリングが生まれていく。そんなふうに捉えるほうがすんなり『きみはね』もわかるように思えました。
 そしてなればこそ、残響さんのように百合物語を読み続けてきた人は、カップリングが自然かそうでないかを、あまりに当たり前な体感にもとづいて判るわけで。「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」あたりでの矛盾めいたものを、自覚するまでもなく手先の感覚でさばけるのは、それが物語から自然と生まれていればこそですよね。

 ちょろっと百合エロゲをやって、残響さんおひとりとだけ話したのみですから、こうした捉え方もなんとなくの思いつきで口にしてみただけです。ただわたしの場合、カップリングの「キャラA×キャラB」という表記形式を非百合者として目にしているうち、いつの間にやら、それを物語を規範する言葉みたいに捉えていたきらいがありまして。『きみはね』プレイして、残響さんからお話を聞くうちに、カップリングはもっとずっと自然発生的なのだというふうに認識があらたまった、ような気がしております。
 「カップリング」なるものをちょっと知ってみたいくらいの百合ゲープレイだったわけで、それはいうなれば、外国人の物見遊山みたいなものでした。せっかく来日したのだから「ニンジャ」や「ガンダム」の本物を見てみたいくらいの気分だったのです。しかしそこでニンジャもガンダムも実在してないという事実に戸惑ったのち、いや私こそニンジャだった、俺がガンダムだと、ついには理解に至ったわけです。カップリングとはあくまで自分自身でもって手ずから妄想していくものなのですね。
 えらく初歩的なことがらを、もってまわった説明にしてしまいましたが、そうした当たり前のスタート地点からして、わたしには百合への勘違い (もしくは残響さんとの認識差) があったようです。このようなことは、いちいち聞かされても困惑なさるやもですけど、今回のわたしの所感となっております。



 さてさて。時雨についてなども少し。
 わたしは『Still a sigure virgin?』までを好んで聴いているので、どうもその偏食ぶりが色濃く出てしまいましたね。音楽についてはただもう残響さんから教わるのみですが、わたしのモヤッとした感覚を裏打ちしていただいたり、そこにとどまらない時雨/TKの魅力だったり、面白くレスを読ませてもらいました。残響さんも以前に同じような感覚を抱いていたとなると、ひょっとしたら、先々にはその感慨をわたしも後追いしたりするのやもしれません。
 『きみはね』感想において赤い靴のしあわせに注目したわたしなのですが、時雨については、そのシューゲイザー的な遺伝子が琴線にふれたりします。ノイジーな轟音ギターが流れ込んでくると副交感神経あたりから多幸感があふれでて、グダグダになって沈み込んでしまいます。あるいは以前に残響さんが紹介していた Dinosaur Jr.「Alone」あたりも非常に好みで (教えていただきありがとうございます)。轟音ギターが泣いて喚いて辺り一面をなぎ倒していった、そのフラットな静寂感が心地よくてもう浸りきってしまいますね。

 ところで、そんなふうにシューゲイザーなどを好むわたしの場合、エロゲにおけるサウンドスケープ的調和のひとつの例として、夏ゲーの空間にある、永遠にふりそそぐ陽射しの目眩を思い起こしたりします。
 あれです、蝉時雨です。金切り声の爆音をジージーと流し続けているだけで静寂を表現してしまうから、天然もののシューゲイザーみたく感じてしまうのですよね、奴らの狂騒。セミの声のSEというのは、あれのみで "ただひと夏の永遠" をひりつくほど感じさせられる、なんともずるっこいギミックとして物語で働いていると思います。雪がしんしんと音を消す様とは正反対の、音が間断もなく極大化していくうちにかえって意識できなくなってしまうところの浮遊感。あれを風物詩として聞き流すことができる日本人の耳というのは、なかなかどうしてナチュラルにおかしい気がします。
 前回に話したように、エロゲの冗長な音の空間がなんとなく慣れないわたしなのですけど、夏ゲーの雰囲気には没入していたくなる経験がわりかし多いです。そのひとつの理由が、セミの狂騒がもっているシューゲイザー的にドリーミィな平穏さ、それが性に合っているゆえなのかなと想像しております。もう少しいうなら、ただひと夏の恋を地で行くセミたちが、あまりにも当然にひしめき合って轟々たる日本の夏というのは、もとよりどこか仮想現実めいていまして。そのありようが、エロゲの音の過剰さやら、作品としての耐久性やらにはマッチしているように感じます。ジージー鳴り続けていく音の浮遊感のさなかでは、 ひと夏の恋とかいった足もとのしあわせだけを、じぃと見つめやすいのかもしれません。
 ついでに、それまで鳴ってたセミの声がふいに立ち消えることでホラー感まで出せるから、なかなか便利ですよねセミSE。などと昨夏に夏ゲーをやりながら思ってた記憶があったゆえ、音楽話にかこつけて語ってしまいました (残響さんのおっしゃるエロゲの本質たる「感覚」とはやや異なる気もしますが)。

 このようなエロゲに広がっているサウンドスケープについても、人の好みはそれぞれ千差万別ですし、またむりやり言葉にして語ってみれば意味がブレていきがちです。こんなふうに感傷に頼りすぎない批評的な分析もまたあるのでしょうが、それは難しいものですよね。
 けれどわたしなどの場合、残響さんのように音楽に造詣が深くないがゆえ、面の皮も厚いまま、こうしたノイジーな語りをより気軽にやってしまってる気もします。知らないとはおそろしきことでww 妄言多謝です。

 それでは。
Sek84832017年01月20日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レス こんちは。レスが年をまたいでしまいごめんなさい。どうぞ本年もご交誼のほどよろしくお願いします。

 この正月は帰省先で、フジミ模型の空母・飛龍を組んでおりました。
 ところがわたし、ここぞとばかりに不器用さを発揮しまして。しょっちゅうタラップを落として失くしたり、うっかりアンテナをへし折ったりと、軍法会議ものな失態が続きまして (……山口提督に怒られるぅ)。
 おまけにミリタリ知識はなくて模型づくりも二度目ですから、艦船の完成像というものが上手くイメージできず、それでいっそう、ひとつひとつ局所の作業手順がてんやわんやになっちゃいまして。「いやこのパーツを先にくっ付けたら、なんかすごいアクロバティックな隙間から接着剤を流し込むはめになったし!?」わざわざ事を難しくする、初心者まるだしな右往左往です。今しがた手を動かしてるところの細部イメージが、全体像とどうにも接続できずに、いろいろ迷走やらかしていましたww


 さて、『きみはね』の話となるのですが、これまた慣れない百合ゲーでしたので、全体像がつかめないままプレイした初心者でございました。カップリングなるものや、まなざすという距離感については、投票コメントで書いたようにちょっと謎めいています。いったい何が謎なのかすら判っていないので、自分にはきれいに論点をまとめられそうにありません。けれども頂いたレスを読んでみると、なるほど、ダイナミック/スタティックという観点にはしっくりくるものがありました。

 門外漢の雑感なのですけれども、百合ものでは、とりわけに無時間性 (スタティック) を尊ぶような向きがあるみたいです。「あぁ、お姉さま」「怖れないで。私たちの間には永遠があるのよ。そう永遠が」みたいなやつ。下品なわたしの表現でいうと、ちんこぶら下がってないエロゲゆえに、射精によるピリオドやその直後の虚脱という流れがいつまでも来ない感覚があるのですよね。達することがなく、終わりがない。
 そうしたスタティックな「百合のしきたり」のなかだというのに、(ダイナミックな) スイングをなそうとするからちょっと不思議なものです。倫たちにカップリングの前後を入れ替えながらよく動き回ってもらって、物語を生み出していってもらうところの不思議。この自己矛盾めいたものを、例の "天使" という仕掛けによって美しくまとめ上げてみせたのが『きみはね』だったのかもと思います。

 このあたりの、固定されるカップリングとそこでのスイングについては、残響さんの『きみはね』感想がよく見て取っておられましたよね。倫のバレエだったり、陽菜の「あたし王子様になる」だったり、文の誘い受け (もしくはリバ) だったり。
 そこで残響さんのおっしゃるところが、「でも倫は、自分の天使性を、まるで自覚していません。」「(陽菜は) 自分の王子様性を自覚することのあまりないままなんです」。そのとおり、その素晴らしいスイングには、自覚や意図がともなわれてないのですよね。あるいは文も、公式のキャラ紹介が言うとおりに、はじめから「やさしい小悪魔(無自覚)」でありました。あのエロシーンの「覚醒淫靡表情」はすごいのですけれど、倫が「若妻感」と表現したように (わたしも感想に書いたように) 日頃の立ち絵からもその淫靡さは漏れだしています。その小悪魔のサガは、彼女が自覚なしに最初から秘めていたものでした。
 残響さんやわたしがいう "スイング" において、この自覚のなさは大事な要素なのでしょうね。spontaneity (おのずと湧き起こるような自然さ) をもつということ。スイングとはあたまから変化を意図するものではけっしてなく、カップリングの攻め受けをはじめとした枠組みにハマりきらなかった、とてもその人らしい動揺であるということ。

 そんなふうに思ったのは、残響さんがスタン・ゲッツを引き合いに出されたゆえかもしれません。「It Don't Mean A Thing(If It Ain't Got That Swing)」なのですけど、『Diz and Getz』の録音セッションとかわたしも好きです。聴いてみると、猛スピードでせりあっていて、なんだか火花がチリチリしています。
 このセッションについては、村上春樹も『意味がなければスイングはない』において、スタン・ゲッツを語るとき引き合いにしていましたよね。ドラッグでぼろぼろになった生活の暗い側面があったにも関わらず、彼は、とにかくサックスは吹けた。ひとたび楽器を手にすれば、自由に、おのずと湧き起こるような自然さで動きだし、ひとつ箇所には定着しない即興演奏が広がっていく。スタン・ゲッツはいつだって「彼のように」吹けた。そんなふうに記していたように思います。
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僕としては、西も東もわからないまま、一本のテナーサックスだけを頼りに、姿の見えぬ悪魔と闇の中で切りむすび、虹の根本を追い求め続けた若き日のスタン・ゲッツの姿を、あとしばらく見つめていたいような気がする。
(…引用中略…)
彼の当時の音楽には、予期しないときに、とんでもないところから、よその音楽がすっと吹き込んでくるような、枠組みを超えた自由さがあった。彼は軽々と世界の敷居を超えることができた。自己矛盾をさえ、彼は普遍的な美に転換することができた。しかしもちろん、彼はその代償を払わなくてはならなかった。
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 『きみはね』では、ワンワン吠えてみたり、天使の羽根を追っかけて二階から飛び降りたり、まさかのスパンキングだったりと、物語をとんでもなく揺らすイロモノもその中にありました。それぞれのキャラを彩るカラーというのが鮮明でした。
 けれどもそのイロモノを平静に見つめつづける天使が、読み手との間にひそやかに介在していたことで、そのダイナミックな変化を "物語の意図" としては感じさせませんでした。天使は永遠に (スタティックに) 存在していたから、そもそも何かの結末を目論んでのふるまいというものを理解できない。とぼけた傍観をするその地の文は、人間の内心にまではちょっぴり筆が届ききっていない口下手さ (謙虚さ) をもってました。
 なので陽菜たちの自覚とかもまた判然とはなりません。自覚なしにおのずとワンワン言っちゃった風情が出来上がり、彼女たちがリラックスして「彼女たちのように」動くさまを映し出してくれたように感じます。物語をひっくり返すがためにはならず、序盤から織り込んできたキャラ自身が枠組みを軽々とまたいでいってしまう、見事なスイングのあるお話でした。いわゆるリバの局面において "攻め×受け" といった型や敷居を超えることを助ける、そんな文体をこの作品はもっていたのかもしれません。
 いや実のところ、百合のしきたりをまるで知らないので、とぼけたこと口走ってたらすみませんww


 さてさて、「BGMのはなし」についてはお察しのとおり、サティを意識しての言葉選びです。わたしはエロゲのBGMの使用法に好感を覚えることがあまりなく、いつでも流れっ放しループのまま無音の時間帯がないのが苦手です。またキャラボイスというのはおおむね主張が強いので、そこでBGMまでも存在感が強ければ、音同士がぶつかってしまい、しっちゃかめっちゃかになったりもする。常々そんなふうに思うわたしにとって好ましい、鳴っていることを忘れてしまうような『きみはね』の音楽だったように思います。

 話は少し変わって、ひとりよがりな話し方になってしまうのですが、「歌もの」でボーカルの主張が弱い (言葉として明晰じゃない) 音楽には、そのスタティックさを好ましく感じるときどきがあります。
 例えば、「O.F.T」や「illusion is mine」をはじめとした凛として時雨。最初に聴いた頃にはボーカルパートがなんだか頼りなくて、妙に平坦な抑揚をもって単調に繰り返す歌詞であることに戸惑ったものでした。ところが耳が慣れてくると、それを立派な意味のある言葉ではなくて、どちらかといえばスクリームなどに近い音の響きとして認識して、心地よく聞き流すようになりました。歌ものはどうしてもボーカルが主役になりがちなのですけど、そうはならずに、他の楽器と同列にまでボーカルパートが楽曲のなかに埋もれて、溶け込んでいることで全体が平らかに調っていると感じます。
 My Bloody Valentine「Only Shallow」には似たような心地よさを覚えますし、一方では、Toe「Goodbye」のようなボーカルの弱さというのもまた魅力的です ( https://www.youtube.com/watch?v=xqR12BvJYlk )。
 意味内容をはっきり歌い上げる曲というのは、フレーズごと単語ごとに細分化もできるから、ひとつパワーワードにひっかかればその部分の意図に拘泥してしまい、曲の全体像がつかめなくなってくる。ところがボーカルがあやふやに弱いときには、数列の問題を解くときのようにして、あるイメージ(n) から次のイメージ(n+1) への階差のみをたぐっていくことになり、そうして声の響きのもつ自然な流れ (単語でなくメロディ) をよじ登っていった先に、その全体像がぱっと姿を現してくる。静かな眺望だけがひらけている。そんなすべらかさを聴き取りやすい気がしております。

 『きみはね』の話に戻ると、先述していたリバやスイングの一瞬を際立たせるような、地の文のやや無感動な書き方や、単調なシナリオ進行がありました。同じネタを繰り返すコメディとか、引用テキストを掘り下げることなく流していってしまう自由さとか。それら言葉の弱さというものがBGMの性質とよく交じり合わさっていた、その調和を、わたしは心地よく感じたのかもしれません。ひとつひとつの局所にはたいした意味が取れなくて、流れとしてのみ見ることになるから、あるときになってスタティックな全体像がぱっと姿を現してくる。気づいてみると、部屋で彼女たちが髪を結い合ったりする風景だけが脳裏に浮かぶことになって、何かおしゃべりしているのだけど "言葉の内容" とかは耳には聴こえてこなくて、けれど触れてみるとただ楽しそうな声の響きだけが骨伝導でわかって嬉しくなるような。
 とどのつまり、『きみはね』は日常を上手いこと閉じ込めて、それへとプレイヤーを触れさせてくれたよね、という話をパラフレーズしているだけなのですけどww

 『きみはね』は倫や陽菜や文のやり取りをダイナミックに色づけていくお話だったわけですが、その周りのモノクロの部分で、天使の仕掛けやBGMがうまく抑制を効かせていたことがいっそう印象的でした。わたしの場合、ラストであの天使が物語のなかに飛び込んだとき「あ、彼女はアッチ行った。わたしコッチに取り残されたんだ」とすんなり納得しちゃいました (それでね文さんちのワンコになりたくてね)。一見客として百合エロゲをやってみたので、スタティックな側面がもの珍しく、そちらにばかり見とれがちだった気がします。なので、ダイナミック/スタティックの両面でもって遊んでいる残響さんのプレイが、いっそう謎めいて見えたのかもしれません。


 あらためまして、よき百合へと誘ってもらい、ありがとうございます。まだまだ百合エロゲへの距離感はつかみきれずなのですが、上品な甘さをよく詰め込んだ本作は、とにかく楽しんでプレイしました。ちなみに購入した直後に、完全版・続編パッケージなるものが発表されてしまったので「わお」となりました。

 (なおツイのほう現状把握しましたー。)
 ではでは。
Sek84832017年01月05日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス>「きさま!見ているなッ!」
うひぃっ、覗いてまひた。ちゃんと自首しますんで、おねげーですから特車二課だけには突き出さないでくださ「アップルジャーーック!」(青空署)


 さて。
 ときおり、えびさんのエロスケユーザーリストを拝借して眺めつつ、知ってる人のツイートを遡ったりとかやっとります。アカウントは稼働しておらず、フォロワーに潜伏してもおりませんゆえ、お気を揉まれぬよう。
 そういえば覗きの副産物とでもいいましょうか、amagiさんの『艦これ』プレイもちょくちょく眺めていました。ゲーム内容についてはさっぱり知らないので当て推量ですが、「どのように勝利に持ち込むか」よりは「いかにして負ける蓋然性を減らすか」という意識が根っこにあるようにも見え、ゲームへの姿勢には共感めいたものを覚えます。そうして観戦してきたがゆえ、『パンドオラ』感想にて、荒ぶるamaginoboruをいっそう爽快に読めたような気もするのでよかったです。

 眺めるかぎりエロゲツイッター界隈も楽しげですね。たとえばレス返しのスクショでもって、かなたちゃんに「は、破廉恥ですっ! 強姦魔!」と言われてるユーザーさんを見かけると羨ましくなります。あとは、エロスケで感想文に入れられなかった小ネタを垂れ流すのとかにも便利そうなのです。
 しかしながら、クリエイターとの距離感が縮まりかねないのは敬遠したいところでして。またそもそも、わたしがやっても、なんかこう素早さと経験値が低いはぐれメタルみたいになりそうでいけません。頭の回転は遅いほうなので、ゆっくりにしか書けないのです。感想文から洩れてしまったことも、こうした機会に思い出せたぶんだけを相手に話していくのが、『木洩れ陽のノスタルジーカ』ではないけど、お互いのフレームワークを通しての模様ができあがってよいかもとか思います。


 わたしはSNSは使っていないし、2chなどの匿名も含めてWebで発言した経験自体がゼロで、もちろん評論系なりサークル活動にも縁がなくて。そんな完璧なロム専でしたから、エロスケに感想を書きはじめた頃はすごいビクビクしながらでした。たびたび助けられつつもこうしていくらか続いたことに、感慨もつくこの頃だったりします。だから、とても無責任な言いぐさにはなるけど、エロゲ感想を読むのが好きな人とかは自分でもとりあえず書いてみると面白いよとオススメしたくなります。
 はじめた頃は、自分なんかが言葉にすることで作品にある美しさが損なわれるのじゃないかと不安で、それはamagiさんへのかつてのレスでも打ち明けていました。けれども今となっては杞憂だったようにも思っています。それこそ、たぶん言葉でどうこうなるものではなく、それらの美しさへまでは及ぶことないのかな、と。
 感想を書くことへの萎縮について、amagiさんは (便宜上) 理屈的なユーザー向けと感覚的なユーザー向けとの別としてお話されていますけど、実際のところ、どのユーザーもその両方の脳みそを動かしてはいるわけで複雑です。わたしとしましては、論文じみたごっつい言葉を書き連ねたヤツがその作品の美しさを知ってるわけじゃないという、その点さえ確認しておけばよいのかなと考えております。ちょうど『すば日々』も、なんかそんな感じのお話でしたよね。言葉と音の違いほど。論理と美しさの違いほど。

 Sek8483の『すば日々』感想については、どんなに引用を重ねてみたところで、当然ながらあれもひとつの見方でしかありません。例えば、羽咲のことがわりとすっぽり抜け落ちているあたりとかもうギルティですね。
 そのうえ『論考』は正直わたしでは読めない本であり、むしろその解説書である野矢茂樹『「論理哲学論考」を読む』に傾倒しているぶん、やはり偏ったアプローチではあるのです。例えば、無限のモチーフを見出したところは、同じく野矢先生の『無限論の教室』の後書きにあった「本書の精神的な背骨は、一回も名前こそ出さなかったが、ウィトゲンシュタインなのである。」という一文をヒントにしつつ、やはり野矢先生の『語りえぬものを語る』あたりから得てきた発想だったり。あるいは情緒面においても、基4%描くところのざくろの「表情を忘れてる表情」についての文とかはディキンソンの詩 "I like a look of agony (わたしは苦悶の表情が好き)" から思いなしていたり。あの感想文の出来上がりだけを見たらビックリかもですけど、そこにはタネも仕掛けもあって、わたしのオリジナリティというのは少ないです。
 そしてだからこそ感想文の軸としては、『論考』とかも知らなかった初回プレイにこそあった「なんかよくわからんけどすんげぇ」「知ってみたい」「わかったかも」っていう "私の体験" をこそ置きたくて。ゴール地点においてあの感慨をわずかなりと呼び覚ます、そんな読みものになってくれたらと思っておりました。多くの借り物の言葉と、一周まわってきて知る体験、そんなふうにして『すば日々』のモノマネをするような感想です (例えば『駄作』へは口汚く、例えば『かみまほ』へは皮肉げに、作品をマネっこする感想文やりたいのです楽しい)。
 そうして書いた感想文なので、作品をひもとける言葉はいっぱい新しく含みつつも、『すば日々』を好きな人それぞれのプレイ体験にあったろう「なんかよくわからんけどすんげぇ」を邪魔立てすることない感想文であれたらばと。そんな高望みはしております。
 なんといいましょうか、光を分解してみてスペクトルの原理を知ったところで虹の美しさが損なわれることはありえない、とわたしは思います。「なんかよくわからんけどすんげぇ」美しさを知ることは、その原理を知らずともできます。原理を知っていくことは面白いけど、それはとりたてて、虹の美しさを語りきるがためのことではなくて。難解な作品にあった不思議をひもといてみても、その美しさがほどけることはないのだと考えます。……いやほら『木洩れ陽のノスタルジーカ』のしねまもそんな感じのこと言ってましたし(笑)

 とはいえ、偉そうなことまくし立てておいてなんですが、自分の理屈によって他のプレイヤーが語り続けることを邪魔してしまうのは、やはりできるだけ避けたいものです。それで「一つの感想で作品を正しく論じ切る必要もない」といったお言葉にかこつけて、Sek8483の『すば日々』感想の理屈というのも偏っていてうさんくさいですよー、とあたふた説明しちゃったのですけど……かえって釈明させてしまいまして、ごめんなんかごめん (タメ口)
 なんのかんの考えてはみても、自分の顔にマズいところがあるときと同じように、自分の文章スタイルにあるマズさについても、それはもはや引き受けることしかできないのでしょうね。わたしがわたしのマズさを重大視するほどには、他の人は気にしていないものですから、ひとりでおおげさに萎縮しても仕方ないですし。いずれにせよ好きな作品 (嫌いな作品) へと感想文を書くときにはおのおの孤独に、自負やら恥やらをもってやってみるしかないのかなーと思います。
 そんなわけで、ご懸念いただいた点については大丈夫です! amagiさんのあずかり知らぬところですが、前回レスをきっかけに、その日のうちに思い立って『サクラノ詩』感想へは小ネタを追記しておりまして。「0.999……、無限の0.9は、1になるのですよ」という作中セリフを引きつつ、集合論がー、カントールがー、ブルバギがー。そんなうろんげな話を性懲りもなくまたやっていました。ご案じ召されるな、というか反省がぜんぜん見られなくて申し訳ないっ。やっぱり書きたいのですww


 さてさて。
 入れ替わりギミックの可能性については、わたしのほうで言えることはあまりなさそうです。にわか者としては、ひとまずもうちょいプレイしなければです。そもそも本作での入れ替わりギミックの使い方でもって期待がなまじ高まったので、amagiさんの感想にて「入れ替わり系物語では他に類を見ない、非常にハイレベルな設定です。」というのを読んだときには、ちょっと落胆しておりまして。amagiさんがご存じないとあらば、TSFにおいて類似作品を求めてもそれはあまり収穫がなさそうですよねー。
 かといってジャンルSFの話へと完全に踏み入ってしまうのは、わたし自身が次に欲しいものとは何か違うような気もします。『かいわれっ! 』(2006)について話しているわけですが、「心の均一化」系統のギミックについてエロゲを参照してみれば、まさにシナリオ・田中ロミオの『最果てのイマ』(2005) が組み込んでいたりもします。"コミュニケーション" "人のかたち" あたりのテーマとともに、その器用な豪腕でもってよく物語までもしたためていました。わたしが見た可能性とか田中ロミオの影というのは、言われてみればこっちの方向だったのかもしれません。でもあらためて考えてみれば、TSFの入れ替わりギミックとはどうも別腹な気もします。
 むしろ、わたしとしては、やはりキャラ絵やボイスの要素にもうちょっと期待したいところです。『XCA2』の美音とぜんざいカレーについても書いたことなのですけど、体(キャラ絵)・声(声優のキャラ) への執着心が強いわたしにとっては、それをあっさり入れ替えて平然と話を進めるTSエロゲって独特の違和感があるのです。そこのところをえぐっていくシチュエーションや、心の機微を、もうちょっと細かく見てみたい気はするのですよね。
 例えば本作であれば、柴森シナリオにおいて凛(優真) からしばもーへの説教がすんなり通ったりするのですけど、しばもーから凛への複雑に鬱積していた感情からしたらば、「言ってる内容はわかる。でもお前の顔が気に食わない、声も聞きたくない」となるのが人情かと思います。そこにおいて言葉と理屈なんてのは、顔というものの前にもっと無力であるはずなのです。そういったキャラ心情をフックにして、表面的な絵の印象にどうしようもなく引っ張られたり、声優さんの演技から他作品のキャラの顔まで思い浮かべてしまうわたしというユーザーに向けて、"姿見" を突きつけてくる物語だったらば何かしら感動してしまうような気はします。
 だけどもちろん、ここでわたしごときに述べられるものを見るだけでは、やはり満足できないのでしょうけど。理想のエロゲとかについて語っても、ユーザーのわたしが自分自身のニーズを知っているなんてことはまずアリエナイですよね (それを探ることは制作者の職分で、わたしはそれへ対価を支払います)。



 チラシの裏に自分語りばかりやらかした気がしますが、よく考えてみると平常運転でした。
 ときに、amagiさんの感想をちゃんと殴れないのは、むしろわたしがamagiさんの感想から影響を受けて書きはじめることが多いせいだと思います。夜のひつじ『好き好き大好き超管理してあげる』の「女神様」視点とかもパクリましたと、ここに自首するものです。『マイくろ』でも基本的な視点をもらっておき、そこに二階部分を違法増築しているような気分であります。自首します。で、でも、もう返してなんてやりませんわよっ、このツナマヨ! ほーーーーっほっほっほっほっ!!

 そんなわけで、いろいろと頂戴してばかりでございます (巻子が)。お返しできるものといえば、わたしなりの「楽しみ方」を感想文にすることぐらいですけど、お暇つぶしにでも読んでやってください。
 それでは、また。
Sek84832016年11月07日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス 『ポケットに恋をつめて』ですが、奇しくも「大泉舞羽って子、顔かわええ」と思っていたエロゲだったりします。ということはつまり、わたしが虎ばさまったときには、この推しヒロインが介錯しに来てくれるのでしょうか……? プレイは未定ですが、榎津まおCVで「ぬっころすぞぉ☆」と言われる覚悟だけしておきます (どうしようヒロインに変な先入観ついた)。

 わたしなどは絵買い・声優買いの動機がわりあい強いユーザーなのですけれど、このようなキャラへの "あらかじめの" 入れ込みというのは、きっと踏み台問題のひとつ要素になってますよね。
 しばもー激昂シーンは、凛・しばもーのキャラを全否定するそのタイミングで、同時に凛・柴森シナリオを全否定しているのが巧いと思いました。物語の登場人物はどうあがこうとも紙の上の存在ですから、キャラ否定=シナリオ否定となるのはごく自然な話であって、『マイくろ』はこれをきれいにやってのけていた。
 ところがややこしいことに、物語に先駆けて抱き枕やボイスドラマなどが生産されて、そこから価値を生んでいるのがエロゲ市場の実状です。極端なことをいえば、ヒロインはその物語やその性格やその動作に先だって、あらかじめ可愛いことが決定されている。なので、たとえ噴飯もののシナリオが付いたとしても、心に棚を作っておき、その絵・その声などからキャラのみを愛でる余地というのは存在しているのですよね。この心に作った棚と、実際のシナリオのあいだに残る亀裂というのが、踏み台問題 (キャラとシナリオの対立) にまつわる心情をいっそうもつれさせていると考えます。
 しかしここで話を再び『マイくろ』に戻してみれば、キャラ(精神) とその絵・声(身体) の一対一対応をほどいていくのが入れ替わりならではの特徴です。心に棚を作らせません。なにやら入れ替わり物語には、エロゲのキャラ商売との不和があるようですが、外様のわたしとしてはかえってそこに面白みを感じたりします。入れ替わりギミックを突きつめて、それを見事に使えば使うほど必然的にエロゲキャラの個性がほどけていくさまを見せつけたのが『マイくろ』でした。キャラへの愛憎が極まっていくような『かみまほ』等とはまた別の、無感動のおぞましさをもってキャラを踏み台にしていたのが印象的です。なにかしら入れ替わりギミックの持つ可能性の、そのしっぽの毛先が見えたような気もして興味をそそられました。……ただ惜しむらくは越中・百合川についてもっと以下略



 さてさて、わたしの声高な話にamagiさんに応えていただきまして。バランスをとってまとめられた感想文への向き合い方とともに、ご自身の『かみまほ』感想への再考まで聞かせてもらい、いろいろ腑に落ちました。
 amagiさんは作品を的確に紹介して、相応しいプレイヤーへ引き合わせようとする感想がわりあい多いようにも見えるのですが、ときおりすごく荒ぶられますよね(笑) 『幻月のパンドオラ』感想はuni先輩との共鳴で終始しますし、『虹を見つけたら教えて。』感想は大草原になって。そうした我がままにもなりうる極端な話をしてもなお、気負いもなく我が身ひとつのこととして伝えておられるゆえ、わたしなどは読んでいて気持ちよいです。
 『かみまほ』感想もそのような後者のスタンスで書かれたものなのかなと感じました。もちろんわたしがあの文章に肯くことはありませんけれども、amagiさんが怒っている様子には、当時のわたしもまた読後の胸のつかえがいくらか消えたところもありまして。お話をうかがってみれば、そこはしてやられたようでなんだか悔しいですね。『かみまほ』は好きな作品なので、amagiさんの感想へと反感をぶつけれなかったのは寂しくもあり残念でもありなのだけど、やはりあの感想を読めたのはわたしにとってプラスになったのだと思います。

 エロゲは複数ヒロイン制であるがゆえに、どの女の子の顔や性格が好みだったかだけでも見方は分かれて、すんなりそれぞれに感想を書けるのが楽しいですよね。ラブレターというのは丹念に清書されていても、たとい字が汚くても、それぞれのナリで良さをもつ気がして。なればこそ稚拙でつまらない思いであっても、わたしは気兼ねせずに吐き出せるところがあります。エロゲの女の子からゆるしてもらっている気分になる。
 『かみまほ』は逆説的にキャラゲーとして優秀なようにも思えるほどに、プレイヤーごとそれぞれ別の好きなヒロインがいて、きれいに分かれているようです。そしてそれが物語への態度にも結びついて、作品の強みとなっていると思います。物語と殺し合うようなヒロインや、ついに物語から甘やかされきったヒロインや、物語に踊らされることを厭わないヒロインや、物語に打ちのめされても優しいヒロイン。そうしたキャラへの嗜好が、シナリオへの賛否を乱暴なくらいに誘ってきますから、熱の込もった感想が多く出るのもむべなるかなと。


 『かみまほ』や『マイくろ』はなんとも負の感情を誘ってくる作品でしたけど、感想を書くときに、それはとても良質な燃料になるとあらためて思います。例えば、わたしの場合でしたら『すば日々』感想などがそれに当たります。amagiさんやvostokさんとお話ししたことをきっかけにあの作品を再プレイしたわけですが、感想を仕上げるにあたっては、それとはまるで別の負の感情をくべて火を起こしてました。
 かねてから『すば日々』の周りでは「『論考』も読まずに語るなよ」といった言いがかりをしばしば見かけました。そのくせ『論考』をはじめとしたもろもろを実際に紐解くことはなく「語りえぬものについては沈黙せねばならない」とドヤ顔をして、その本のカドで他のユーザーをこづくような光景。本で殴らないでください、本を持ち出したのなら読みくだいてあなたなりに説明してくださいよと、ずっと腹に貯めてきたその怒りこそは、感想を書くにいたった原動力のひとつでした。

 いやしかしまぁ、それで当のわたしが書き上げたのがアレなので、近親憎悪のミイラ取りがミイラになってそうで怖いのですけれどww 「一つの感想で作品を正しく論じ切る必要もない」「理論武装して正当性だけを追求するのは勿体ない」といったお言葉がちょっとばかり耳に痛いのですっ。それでも、高島ざくろにボケてもらいながら、彼女のもとに還っていきながら、がんばって "エロゲ感想" にはしたつもりです。……というか、わたしに理解が足らなくて、安易に書けないことばかりだったというほうが真相なのですけど!
 いざ書きはじめれば怒りもほどけてしまい、普通に楽しくなってきちゃって。「あのリルルちゃんのテケリ・リは、むしろ原典たるポー『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』における何か白いアレを示す言葉であって、つまり由岐の立った透明な白い世界へと接続しているんだぁぁ!!」などなど便所の落書きをよくしたものです。わたしは恰好をつけた感想文を書きたがる人なので、そのあたりのうろんげな話は清書のときに除いちゃったりもするのですけれど、もっと恰好つけないで他の方から気安くツッコミいただけるような隙を残しておいたほうが、より建設的な感想文になるのかなぁとかは悩みます。

 そんな経験もありまして、感想に正しさや善意をもたせる必要性・利益は少ないというamagiさんの見解には、(やや身につまされつつ) わたしも肯くものです。
 そもそもエロゲの "正しさなるもの" 自体が変わっていってますからね。もちろん個々人の意見はいつだって色々ですが、例えば、シリアス・泣き・鬱にたいする受容というのもひと昔前とはまるで違っているわけで。かつて葉鍵の時代には「泣けずばエロゲに非ず」みたいな言葉がお決まりのジョークだったのと同じようにして、今では「シリアスならばエロゲに非ず」といった言葉がそれにとって代わり、私たちのお気に入りの符牒として流行しているふうにも見えます。ともすれば「クソシリアスはクソだ」といった酷くナンセンスな文からすらも、何かしら意味が汲めるような気がしてしまう現在のわたしです。エロスケに十年前に投げられた感想をわたしが今読んだとしたなら、前提とする文脈が違うゆえに、当時の誰かが読んだその感想とはやや別ものになっているわけでして。
 そして、また針が振れることもあるでしょうけど、もちろんかつてと同じようにシリアスが求められる日なんてのは絶対に戻ってこなくて。次はまた異なったかたちへと今現在の萌えゲーが否定されていくのでしょうから、正しさを声高に求めるのはやはり苦しいことで、わたしは怠け者ですからあまりしたくないと思います。


 どうも要領を得ないレスになりましたが、まとめると、「みんなで幸せになろうよ」といったところでしょうか (剃刀つながり)。なんだかお互いに懺悔大会になってしまい、ひと足早くクリスマスでもきたみたいですね。あと『かみまほ』の話を突きつけてごめんなさいです。
 なんにせよ、やいのやいの言っててもエロゲをやらなきゃはじまらないわけで、その点でamagiさんには本当によく背中を押していただいてます。当然ご存じないでしょうが、変なところではねこねこソフト『朱 -Aka-』とかも影響受けてプレイしていまして。
{
amagiさんの改稿なさった『narcissu』感想
 ↓
なつかしや片岡ともの旅情
 ↓
「120円の冬」読みたい
 ↓
(砂漠からの呼び声!!)
 ↓
『朱』
}
そんな紆余曲折から行き着いて、楽しくプレイいたしました。

 ではでは、このお礼はいずれ、精神的に。
Sek84832016年11月03日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス お久しぶりです。ご無沙汰しておりましたこと平に、平にご容赦下さい。
 そしてすかさず、よくもこんな難儀な作品を手に取らせてくれやがりましたねコノヤローと蛙轢死態 (TSモノなので)。

 ……いや失礼しました。いつもながら面白き物語に引き合わせてもらい、ありがとうございます。そしてプレイを終えた身には、amagiさんの「このエロゲを手に取らせてしまった感」がよくよくわかります。うん、これは、すごくオススメできないww
 土台になる凛・柴森シナリオからしてぐらついているから、船酔いのような胸のムカムカが消えません (『紙の上の魔法使い』とかは一度吐いちゃえば楽になるのですけど本作はそれが無理)。真骨頂となる百合川シナリオですら生理的・倫理的にNGとなりやすい。しかも、それで何を得たのかというと答えづらい。全体的にビミョーというしかないのですが、その全体的なビミョーさゆえに核心のところのビターがまた味わい深いという。すごく始末に負えn……もとい噛みごたえある作品でした。

 この作品については、かねてから、いずこかで目にした百合川真冬の柄タイツだけ存じ上げてました。大雑把にトーン貼り付けたような塗りなのですけど、妙にあれが気に入ってしまい覚えていたのです。なのでamagiさんからタイトル名をうかがったときには、あの柄タイツが『マイくろ』なるTSFであることを知り、そこになにか妙なご縁を感じたものでした (柄タイツとの)。
 ところが前途多難。今回プレイにあたってエロスケ確認したらば、お目当ての百合川がサブとか表記されており「えー」ってなりましたし。本編はじめてみるとメインヒロインがご覧の有り様だし、最初のうちは百合川が全然からんでこなくて「えー」ってなりますし。ついに例のしばもー激発シーンにいたっては、百合川がなげ返す微笑みのあまりの邪悪さに「う゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛」ってなりますし。百合川真冬は、まこと名状しがたい何者かでした。これではみるCVがなんぼ可愛らしくたって、もう柄タイツどころじゃないのですよ。わたしがこれまでずっと彼女に向けてきた純情な感情を返して! わたしの柄タイツ返してよっ!?

 しかしながら、amagiさんがすでに詳細に書くところですが、越中・百合川まわりの伏線の張り方はなにげに周到なのですよね。そうして良くも悪くも百合川ゲーとして収束していく作品なので、その点ではわたし喜ばしかったです。あの入れ替わりギミックの用い方にはかなり期待がふくらんで「あ、こういうTSこそをわたし読みたかったのかも」とまで思ったりしました。
 それだけに、なまじ期待してしまったから、描き込みがまるで足りないままに終わってしまったのには、ほぞを噛みました。凛やしばもーを犠牲にしてこれほどのシチュエーションを整えたのだから、そこから越中の性の葛藤なり、百合川の「化け物」なりの、キャラの部分はもっとじっくり掘り下げてみて欲しかった。そんな心残りがだいぶ強いです。

 このあたり『マイくろ』は完全にTSギミックのほうにねらいを向けていた印象ですよね。
 田中ロミオ原作という話とつながるかは不明ですけど、今回のプレイ中には、なんだかジャンルSFっぽいアプローチをとる作品だなぁとか思いながらプレイしておりました。それで越中との関係では、ル・グウィン『闇の左手』(フェミニストSFの代表格) とか思い起こしたり。記憶の改ざんや、心の並列化や、百合川が「これで自分を残せるの」と言ったりのシナリオからは士郎正宗『攻殻機動隊』まで思い起こしたり。
 (設定の緻密さなどはさておき) キャラが従でありギミックが主になってしまっているあたり、根本的にジャンルSFのほうにアプローチ手法が近いようにも感じます。それなのに、なまじキャラゲーの様式には落とし込もうともするから微妙に全体がひずんでいき、キャラを目で追えば追うほどその微妙にひずんだ情景に悪酔いしてしまうという。いっそステレオグラムみたいにして、がんばってキャラから目の焦点をズラしながら見るによい作品なのかもしれません。


 さて。
 『紙の上の魔法使い』の頃を思い出しがてら、「シナリオにキャラが踏み台にされる物語」とライターについてちょっと喋らせてください。

 ちょうど昨年の今頃でございましたか、『駄作』やらQ-X作品やら『かみまほ』やらと、行く先々でamagiさんとプレイ作品がニアミスして楽しかった時期がありました。特にamagiさんの『かみまほ』感想には心を動かされたので、時候の挨拶がてらに殴り込みかけたいなぁと画策したり (蛙轢死態)。なのですが、作品への価値判断はまるで違えども事実認識についてはほぼ一致してるように思えて、有効打となる殴り合いに発展しそうなポイントを見つけることができず。どうにも猫パンチしか繰り出せそうになかったので諦めちゃいました。
 『かみまほ』には、わたしもシナリオ中盤あたりでいったんキレております。「いやそこへのルール追加はいくらなんでも後出しすぎるだろが! 今までわたしが頭ひねったぶんのカロリー消費ぜんぶ返せよ! おい、かなた、焼きそばパン買ってこいや (※とばっちり)」そんな感じに荒ぶってました。結局のところは、かなたちゃんスマイルが最強すぎて笑ってしまったので、すべて良しとしたのですけど。
 あれもまたキャラ個性を殺しにかかってくる物語でしたが、わたしなどは読後に、もう意地でもキャラ別感想の体裁で書いてやるからなこんちきしょうという気分でした。なんとも消化に悪い作品でして、いまだ頭から離れずおります。

 わたしから見たときに、amagiさんの『かみまほ』感想でいちばん感性の違いがあったのが、エロシーンの「稚拙表現」についてや、「杜撰・短絡・ご都合な展開」についての箇所でした。amagiさんが感想文でライターの意図を見出したりもしていたそれらの箇所について、わたしはある意味よりいっそう失礼なことに「そこは単に下手で、失敗しただけなのでは?」と率直に思いました (いずこよりか「お前ナニサマだよ」「ならお前は書けるのかよ」とお叱りが聞こえてきそうで心苦しい)。
 一方では、わたしもわたしで、理央の扱いにはだいぶ感情にまかせて制作者のことをなじって糾弾してたりするのですけど、これもまた別の人の視点からしたらはげしく違和感が出てきそうです。深読みしての言いがかりとして、他の方の目に映るような箇所なのかもと想像します。
 今回の『マイくろ』でしばもーが百合川に掴みかかるシーンについても同じような事はいえます。わたしが気持ち悪さを感じた、イジメの犯人たち(緑髪黄色リボン&茶色ロング) を "実はイイコだった" にするシナリオ構成。これに対しては「イジメ犯人たちを "実はイイコだった" にして嫌悪感をひきだすのがシナリオの意図というけど、イジメ犯人たち&若田部先生の清々しい印象の一枚絵をエンディングムービーでいちいち流していたのとは整合的でないですよね?」とかの反証は想定できるのですよねぇ。凛シナリオや柴森シナリオでエンディングを迎えるたび、イジメの記憶もまだ生々しいのにあんな一枚絵をぽんぽん披露していたことからすると、実は制作側はそんな深いことまで意図してなかったようにも思えてしまう。「本当にそこまで狙っていたのか判断がつかない」。幽霊の正体見たり枯れ尾花です。

 キャラ個性を意図的に踏み台にするような性悪なシナリオを楽しむにあたっては、そこに巧みな意図を見出せば見出すほど、性悪なライターの個性を "見出す" ことになったりもします。このあたりは読み手が好き勝手にふりまわせるぶんだけ、扱いには困る感情ですよね。そこでむやみにライターの意図を見出すことにはやはり罠があって、「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」というハンロンの剃刀をたずさえておかねばと、わたしなどは反省することしきりです (Skyfish談義にひきつづき剃刀もちこんでみましたww)。
 ただ一方でこれは、ライターの個性・作家性を見ることとは表裏一体でもあります。わたしの『マイくろ』感想とかも、わたしが好き勝手に田中ロミオの影を感じたゆえに書けたところはあるのですよね。コミュニケーションへの絶望と愛着のような「内の闇を暴く一面」であったり、「ジャンルSFっぽいアプローチ」であったりという、田中ロミオの個性というものを勝手に "見出す" ことで、いくらかの誤認は含みつつも、『マイくろ』の意味をとれたところがあるのかなとは思うのです。
 まぁ田中ロミオの場合は、こうしてひそかに元プロットに関与していたり、かと思えば名義貸しだらけだったり、いちいち付き合ってもいられないのですけれどっ! 最近になって明かされた "北側寒囲" が襲名制であったという話にも、なんとも言えない困惑と納得がないまぜの感情を引き起こされて胸が悪くなったものですけど、私たちには、良くも悪くも、創作物にたいして個性・作家性を見出したい欲求があるのだなとあらためて思わされます。「お人形さん」しばもーが怒号をあげるシーンは、そういった個性への執着心に掴みかかっていきダイレクトに触れている気がします。気持ち悪かったし、面白かった、印象的なシーンでした。


 声高なことを聞かせてしまったようで、はばかりさまです。
 あらためまして、一点ものな作品を知らせていただき感謝なのです。プレイ速度がつぶれた蛙のごときわたしなのですけども、amagiさんには色々な作品を手に取るきっかけをよくもらっています。あ、『こころナビ』感想は、感覚的なところを言葉に成していただきありがとうございましたー。『さくらにかげつ』とかちょっと気になりますっ。井の中で遊んでるだけのエロゲーマーですが、どうぞまた、いろいろ教えてくださいませ。

 それでは。
Sek84832016年10月29日

76駄作 (CYCLET)
頭のおかしな物語。しかし手もとは的確でした。活け造りのような手さばきでヒロインの個性を削り出してゆき、その薄汚れた血をインクにして、理解しがたい遠い夢を描いていく "駄作"。でもアリスはそのあたり完全に失敗してると思うのです。 → 長文感想(10241)(ネタバレ注意)(2)
最新レス
 お久しぶりです。

 おかげさまで、ぢぬしライフからは抜けだし、いつもどおりの小作人ライフを送っています。実を申しますと、あの感想文そのものは、ひととおり身の回りを落ち着けてから書いたものでした。せわしない日々に追われ、これは条件ばっちりと『相思相愛ロリータ』へ逃避したまでは良かったのです。ところが、せわしなく感想を書き起こしてみると、いちゃもんつけるマシーンSek8483と化してしまいまして。
{
クンデラ「キッチュもねぇ!」
 エズミ「汚辱もねぇ!」
ニーチェ「えーごーかいきも何にもねぇっ!」
}
こんな調子でした。やはり自身の手だけはいつでも綺麗に冷たくしておかないと、心にこみ上げる汚辱を文章にしたためてみても、人様に見せたいものは仕上がらないなぁと思いました。本編にならい、ぐっすり寝かせたあとに書き直したのが今のかたちとなります。

 残響さんも、どうかご自愛くださいませ。


 では、本題。
 『駄作』感想は、読ませていただいておりました。自己表現によく着目しているのが、ちょうど美術テーマのエロゲを終わらせたばかりのわたしにとって、ひときわ考えさせるものでして。さらには、レスにおける「ミキシングビルド」の観点も、残響さんならではの実感をそなえた『駄作』の姿であり、とても興味をそそるお話です。

 なのですが、ミキシングビルドを焦点にしてお互いの評価を見比べるとき、どうも残響さんとはそもそもの前提が別となっているようにも思えます。残響さんの、ミキシングビルドおよび最終ルートについての記述がこちらですね。
>>
いい意味では、それは彼女たちに対する愛情、友愛の精神ですし。
悪い意味では、各ルートで得た「傑作」としての彼女たちの形を、バラしてしまって、短絡的にくっつけた、という意味でもあります。
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それに対して、わたしは由貴のあのミキシングビルドこそが、各個別ルートと最終ルートをつなげて並立させる鍵であると考えています。わたしは感想で、このように最終ルートを評しました。
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 そのような一瞬の輝きを見たあとには、最終ルートで「みんな仲良く」の願いが叶ったありようは、美談にもなりゃしない、なんとも情けない話にも思えるのです。ある意味では、ヒロインたちがひとりひとり理想を彫り出していった、その削りかすをかき集めたようなシロモノです。
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この理想を彫り出したときの削りかすというのが、枢の男根、華愛美の手足、そまりの乳房です。それぞれ、枢が捨てたかった自分の男性 (暴力性) であったり、華愛美が捨てたかった人を傷つけうる能動性だったり、そまりが捨てたかった「奪われるだけの女性」なるものを象徴する部位。
 ですので、それらの "要らなくなったパーツ" を取り外し、集めて、組み合わせた由貴の行いこそが、個別ルートと最終ルートをきれいに両立させる鍵の片方になっている。そのように、わたしには見えております。鍵のもう片方となるのが、個別ルートで明かされた枢たちの理想です。そのプレイ体験を経て、彼女たちの理想に沿った形で「バラして」たのが了解されてはじめて、最終ルートはアンロックされる。私たちの理解などは望まずただ理想を彫刻していた個別ルートと、その彫刻した削りかすの部分をもって成り立ち私たちの共感を欲した最終ルートが両立します。
>>
【枢】「嬉しいなあ!! 今まで生きてきた中で一番嬉しいっ!!」
【枢】「こんな喜び、もう二度と味わえないよっ!! 私の人生、最高だったっ!!」
由貴くんが股間を往復させるたびに、私の脳漿が火花のように舞い散る。
少しずつ、でも確実に失われていく。私の全てが。
全く怖くない。
この歓喜、誰かに理解されてたまるか。
<<
 シナリオ構造としては、(ミキシングビルドを行うにあたり) パーツの過不足は起こっておらず、いずれかの肯定がもう一方の否定になることもないように考えます。むしろ『駄作』全体をひとつの作品として矛盾なく受け取りたいがゆえに、最終ルートを、個別ルートで削った部分の集まりとして、わたしは見なすことにしました。

>>
なんというか、各ルートをそれぞれ「彫刻していった末の美」と捉えれば、それをバラすなんて!というのは、まさに「駄作」に堕ちてしまった、中途半端なもの、としてしか写らないかもしれません。
おそらくSekさんは、このあたりで、由貴くんのミキシングビルドが「つまらない」お見受けされたのでしょうか?
いや、手法にこだわるのは、モデラ見習いとしてのぼくの、悪い見方かもしれません。単純に、由貴くんの作ったミキシングビルドの「アリス空間」が、そもそもつまらないものだった、というところだったのでしょうか?
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よって、こちらへのわたしの回答は、後者寄りとなります。ミキシングビルドの手法をつまらないと感じたというよりも、個別ルートの彼女たちに感動した "その後" では、最終ルートの「アリス空間」のありようが単純に気に食わなかったのです。

 アリスを口汚く罵ったのはレトリックであって、『駄作』感想において「好き」と言葉にするならば、クロエの流儀を真似てみたいと思ってのことでした。しかしながら、枢のちんこの件については、普通にブチ切れていまして。それは枢ルートにおいて、どんなに猛り狂ったとしても、由貴の穴を「普通」に使うことを彼女が断固としてしなかったからこそでした。CV柚木サチの優しく泡立つような声づかいも合わさって、女の子であることを最後まで貫くその姿に感じ入りました。それが最終ルートで「た、たまにはこうやって、メス穴にちんぽ挿れるのもありだよねっ……ふへぇっ!」となるのは、ちょっと勘弁なのです。個別ルートを真逆にしてみて、最終ルートにずっぽし差し込んでしまうような短絡的なくっつけ方は、あまりに乱暴だと感じました。
 そこでいったん反感をもつと、そまりが微妙に人当たり良くされているあたりにも違和感が出てきまして。「みんな仲良く」とかに我慢できる子ではないはずなんです。彼女は、まだまだうんこひれるはずなんですよと、そんなふうに悶々としていたところに、納得できないラストシーンがきてしまったのです。リアリティについて話をはじめた動機、そのもとになったわたしの拒絶反応というのが、この最終ルートのまとめ方に対してのものでした。
>>
【そまり】「普通じゃねーですよ、そまり達は……。きっとこんなところ誰かに見られたら、気持ち悪がられるんでしょうね……」
  【枢】「ふふっ……案外、私達みたいな駄作を愛してくれる人も多いかもしれないよ? こうやってさ、身を寄せあって、慰め合ってる姿に興奮するような人間…………」
だとしたら――
 【由貴】「――そんな人間も、僕達と同じ駄作だね……」
<<
そんな簡単なくくりで、わたしをはじめ、『駄作』プレイヤーの多くを十把一絡げにここに加えてしまって良いものかと思います。あまりにも "化け物" 同士の相互理解に楽天的すぎるから、ちょっとその話には乗れない。わたしはごく平凡な人間ですから、したがって、自分のなかの "化け物" を目にする機会もままあります。なので彼女たちにいくらかの親近感もあって、その幸せはわりと素直に喜べる。ですが、向こう岸にあったその幸せを、いきなりこちら側にまでお裾分けされても、それはノーセンキューでした。


 さて。
 わたしの理屈としては以上のようになります。ただ、残響さんがおっしゃるところの要点は、さきほどのパズルじみた理屈などではないような気もしまして。ミキシングビルドによる見方はなんとも魅力的ですね。

 お話を伺っているうち、ちょっとプレイ当時を思い出すところがございました。
 一周目で猟奇殺人をするときの、そまりのおっぱいを削り取っていくシーン。あそこでわたしは、"アリスの誕生日プレゼント" という物語的意味は飲み込めたものの、いまひとつ腑に落ちきってない感触もあって。そこでふと思ったのは、ヒロインのおっぱいを大きくしたり小さくしたりといったキャラメイク作業にもっと親しんでいたなら、もっと由貴の情念に近づいて、より面白き感情が引き起こされていたかもということ。例えば『Sexyビーチ プレミアムリゾート』とか、『カスタムメイド3D2』とかいったタイトルでなされるような、ヒロインの身体を自由に造形していく行い。そういった実際の経験をくり返して、"手続き記憶" をより蓄えていたなら、あれらのキャラを切り刻むシーンにはいっそう興奮できたのかなぁとか想像しておりました。

 そのようなわたしのプレイ感と、残響さんの言うことを考え合わせたとき、キャラの造形をすることについての経験の違いは分水嶺になったのかもと思うのです。わたしはピグマリオンの神話やヒロインの肉体への「彫刻」について話しながらも、基本的に比喩的なエピソードとして頭でばかり語っていたのですが、残響さんはモデラーとしての手で覚えている感覚でもって「アリス創造」を語っていらして。ひいては、ご自身の感想でも「自己表現」となる小説や音楽や絵へと話を着地させていらっしゃるのが、エロスケ感想のなかでも特有な観点かと思います。そのあたりの残響さんには多くてわたしには少なかった、ものづくりへの愛着とか、実際の経験の差というのが「アリス創造」の見え方を変えて、転じては最終ルートへの読感を分かつことになったのかもしれないと思いました。
 できれば、それぞれの身体の部位にまつわるエピソードとか思い入れが彼女たちの口からもっと語られていたならば、わたしをはじめプレイヤー一般にも由貴のミキシングビルドがより共感しやすかったかもとは思います。しかし、そこで共感を求めたとたん『駄作』のそもそもの骨組みが崩れてしまいそうですし、悩ましいものですね。


 さてさて。
 P.K.ディックの黒髪ヒロインもそうですが、ねじくれ少女・裏切り少女とかは好物だったりします。たしか残響さんは、『恋×シンアイ彼女』も買っていらしたと思いますが、新島夕によるねじくれ少女・裏切り少女の描き方とかは、わたしの気持ちのそそり勃つものがあります。
 アリスなどはもう典型的ですね。『駄作』は、プレイヤーの感情移入をほとんど排しているのが長所でもあり短所でもありますが、アリス・クロエは、残響さんも書いておられるような合わせ鏡となっていて、その間で無限に反射する空間の広がりを錯覚させた。そうしてキャラ内面の薄っぺらさにも関わらず話をよく展開できたゆえ、シナリオとしては頭ひとつ抜けていたように思います。アリスのキャラは、あまり人気なかったようですけどww

 わたしの場合、小宮裕太の「ウソ輪姦マネージャー話」とかも問題なくイケる口でして。なにやら複雑な文脈がファンの中ではあったのでしょうか。なんにしても、やはり「アブナくも、しかし安心」というバランス感覚が絶妙ですよね。小宮ヒロインズには、リアル夜道で出会ったら普通にビビって逃げたくなるオーラをまとっている子が多いですし。なんというか、物語のなかでしか存在しえない儚さと美しさをもっている子が多くて、しかし、その線の細さをガラスの器に充填させた幸せな気体 (アブナい) でもって永久保存しちゃっているような。向こう側にしかない幸せを、堂々と、真剣な顔をして語ってくれる作者さんというか。そういった点では案外と、『駄作』が向こう側の物語に (リアリティのない理想気体みたいな有り様に) 徹したのとは類似するのかもしれません。
 それにしても、怒涛の小宮ラッシュに、すっごい浅い愛好者であるわたしはたじたじですww エロ漫画自体にそれほど詳しくもなくて。エロゲから離れていた二年ほどの間に読んでいた感じなので、完全に心をもっていかれたのは小宮裕太の「沢渡さん」であったり、宮居史伎「ホログラフィ・スカイ」であったりとほんの数点くらい……って! 今しがた、宮居史伎のつづりがあやふやで検索したら、ブログに「活動を休止しておりましたが、この度執筆活動を再開させて頂きました。」とか三年ぶりの更新がされておりまして。以前に残響さんが、小宮裕太の件で狂喜乱舞していた気持ちが今わたしちょっとわかった気がします。良かった。

 宮居史伎「ホログラフィ・スカイ」は、銀の髪、銀の瞳、折れそうな身体の女の子の春を買ったはずが、いつの間にか絵の描き方を教えているといったストーリー。あまりにも綺麗すぎて救いようがなくて騙されたくなる雰囲気のお話でした。
 わたしは、いわゆる不幸萌えをこじらせてるきらいがありまして。例えば鹿島と聞けば、もとみやみつき描く、報われない鹿島しか思い浮かばなかったりします。鹿島さんは人の願望を映す鏡なのでしょうかね。いやそも提督になったことがないので、鹿島にどの程度のアイデンティティが保たれてるのかとかも知らないのですが。
 ともあれ不幸萌え気味のわたしとしては、幸せなイチャラブを志向する残響さんと話が合うのがいつも不思議ではあります。「幸福と不幸とは何が違うのでしょうか?」……というのは、つい先日からわたしが感想を書きはじめた『サクラノ詩』のテーマです。ちなみにここにも、わたしの心の琴線を引っかけていった子がおりまして、ひょっこり裏切っていくやり口が可愛すぎでした。まだ下書きなのですけど、「いったい何様」とか「ざまあみろ」とか、すでに彼女への愛情があふれそうになっております。
 それはさておき、天才と凡人の何が違うのかといったテーマもからまった作品であり、名があがるのもゴッホ、ゴーギャン、中原中也、宮沢賢治などなどの、なんか人間的に大変すぎるお歴々でございまして芸術がつらい。その感想文を書きはじめた折でしたから、残響さんの『駄作』感想とモデラーとしての見方には、なんだか妙にタイムリーに考えさせられるものがありました。


 さてさてさて。
 実は、わたしの父はスケールモデルの人でして。積んどくモデラーです。
 かつて、ご幼少のみぎりにわたしは言ったものです。「まったくお父さんは、中身スカスカでかさばる箱をなんだって部屋いっぱいに積んでおくんだろう? どうせ仕事とかで、買ってもやる暇ないくせに。地震きたらどうすんだよもう。ちょっと考えなしだよなぁ」ご聡明にも正論たてあそばれまして。……黙れコワッパ。たとえ中身がスカスカの箱だろうが、人にはそれを積まねばならぬときがあるのだ。

 そんなふうに、プラモデルの箱の峡谷のなか遊んでいたものですけど、わたしは、まっっったく興味を示さずに育ちました。ただちょっとしたきっかけがあり、今年の正月に帰省したときに、父が積んでるやつをひとつ貰って作ってみまして。姪っ子に連れられてスターウォーズの新しいやつ観てきたところだったので、作中の二足歩行機械AT-STにしました。
 ほぼ初めての経験でしたけど、パーツを切り離してゲートのところを処理しているとき、ナイフを動かしているうち無心になっていくのが何とも心地よいですねぇ、あの作業。普段づかいで酷使している脳みその部位が休まって、そこのしわをベロ~ンといったん伸ばす感じにほぐれまして。手先作業がダメなわたしなので、綺麗に削りきるのはけっこう難しかったのですけど、色々と忘れて没頭できました。あと、ガンプラとかでも多色成形部品とかが近年はすごいのですねー。金型とかもうどんな工程になってんだよという感じ。色々と面白いものですね模型。

 ちなみに実家から帰るとき、駅まで送ってもらう車のなかで父がやにわに口を開きまして。
{
「しかしなんで、急に模型やってみる気になったんだ?」
「あぁ、いや、なんか最近ネットで話した人が模型やってて、なんとなく」
「そうか」
「そう」
「……」
「……」
「……あー、礼を言っといてください」
「え? あ、はい、わかりました」
}
みたいな会話になりまして。そういったわけでして、なんと言いますか、どうもありがとうございました残響さん。

 それでは。また。
Sek84832016年05月30日

79相思相愛ロリータ (夜のひつじ(同人))
絵19+文22+音22+他16癒やされたと言う人も、ガツンと殴られたと言う人も、どちらも羨ましいです。きっと、他にも感想を書こうと思っても、形にならなかった人がいるんじゃないかって思うのです。はい。 → 長文感想(951)(ネタバレ注意)(2)
総プレイ時間 : 2h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レス はじめまして。

 チャプターリスト、面白いですね。わたしの場合、セーブする際にひとつふたつ見たのみでしたから、こうしてリストに揃えていただくと発見があって楽しかった。おかげさまなのです。

 例えば、しょっぱなから「緋色の研究」とか言われてしまうと、おおげさな響きが場違いでおかしい。いやひょっとして緋色というのはアレですか、まこちゃんに初めて月のものが訪れるところをねっとり研究するのでしょうかねぇ。へっへっへ。そんなゲスい方向に頭がいってしまうわたしです。
 しかしふと思い返してみれば、コナン・ドイル『緋色の研究』にも素敵なロリっ娘は登場しておりました。砂漠の真ん中で遭難して、飲み水も尽きはてた状況で、くたびれた男がちっちゃな淑女といっしょに最期を待とうとするシーンがこちら。
>>
「小父さんはなぜ自分でお祈りしないの?」少女は不思議そうにたずねた。
「小父さんは忘れちまった。小父さんは背がこの鉄砲の半分くらいきゃなかった頃から、お祈りというものをしたことがないのだ。だが今からでは遅すぎるということもあるまいから、リウシちゃんがいえば小父さんも聞きながら合唱することにしよう。」
「じゃ小父さんひざまずきなさいよ。私もするわ。」少女はショールをそのために展べて、「小父さん、両手をこういう具合に組み合わせるのよ。そうするとちゃんとした気持になるわ。」
(…引用中略…)
やがて祈りがすむと、ふたりはまたもとのとおり丸石の根がたに腰をおろしたが、少女は保護者の大きな胸によりそって、いつしかすやすやと寝入ってしまった。男もしばらくはそれを見まもっていたが、自然の力にはうち勝つべくもなかった。
<<
やがてこの幼女を養女にしていくわけですが、愛らしくこまっしゃくれた物言いが、まこにもちょっと似ているような。
 「例えるならば砂漠の真ん中で10リットルの水を持っていて、それをどう使うかは自由だという程度の自由だった」といった述懐からはじまり、広漠とした街でのわずかな潤いを幼女と分かち合っていく。そんな本作のプロローグが、よもやドイルから来ていたとは思いも寄りませんでした。


 ところが、こんなふうに他の文学作品をやたら引いたりして、『相思相愛ロリータ』の外枠ばかりをなぞっていると、モヤモヤもまた募ってしまいます。どうにもヒロインまで届かずじまいで。

 わたしは、自分の感想文でさんざん言葉数をならべたものです。けれど、「感想を書こうと思っても、形にならなかった人がいるんじゃないかって思うのです」という、えびさんのお言葉にも思わず頷いてしまいます。まこへの真正面からの意中は、うまく言えずじまいになっていまして。
 例えば、電車のなかでまこに弄ばれたすえ、パンツの中に白いおもらしをしちゃうシーン (ch.やくそく)。いたたまれなさがクリティカルヒットして、ままならぬ下半身に共感して、興奮しちゃいました。このとき、おかくんはいたたまれず電車から逃げ出したのですが、その反応にひどく動転するまこが印象的なのです。
>>
「そ、そんな顔しないで。まこ、怒ってないから」
「え――」

 確かに怒る、怒らないの問題じゃないけど――。

「おもらししても、怒ってないからね。だいじょうぶだよ。ごめんね」
 本当に申し訳なさそうに言われて、ついでになぜか子供扱いされて、僕は余計に恥ずかしくなった。
<<
どうもわたしの目に、まこの様子というのは、彼女の記憶のふたが開いてしまったようにも見えました。まこが必死にあやす姿というのは、かつての彼女自身が欲しかった "親のすること" なのだろうと。怒る/怒らないという話の軸をいずこからか持ってくると、怒ってないことを懸命に伝えるまこ。その様子を見ていると、きっとこの子はおもらしを手酷く怒られた体験があって、それがどこか心のしこりとなったままなのかもと想像してしまいました。小さな子供は、よりにもよってなタイミングで手間を増やすものですし、まこを怒った誰かはきっと当たり前に感情を露わにしたのだろうけれど、彼女はそのことにガツンと殴られて。そのまま、けして怒られることなき人格を備えてゆき、はてしなく優しくなれてしまったのこそ、彼女のさびしさであるように思えます。

 こうして、わたしにとって『相思相愛ロリータ』は、欲望や悪徳にふけるにはちょっとさびしすぎるお話になりました。後半の寝ているまこに悪戯するシーンなどもそうです (ch.おやすみロリータ)。「ゆるしてあげる……。小さい子だったら、ついしちゃうよね」「白いの、いっぱいおもらし……していいよ」「怒らないから。いつでも、だいじょうぶだから……」そんなふうに優しくあやされるたび、むしろ痛ましくて。「だいじょうぶだから」はまこが欲しかった言葉だったろうに、なんで彼女がそれを与えてしまっているのだろうかと混乱して、快楽をむさぼれなくなってしまいました。
 しかも、こういったわたしの想像には、安易な答え合わせがされることも永遠になくて。まこの境遇は明かされずじまいです。ヒロインが自分を隠しとおすことがプレイヤーへと優しいから、モヤモヤが募る。そうやって、夜のひつじ作品はいっつもいっつもモヤモヤを残していくから、なんとも罪つくりなのです……。スミマセン。二作品しかやったことないのに、知ったかぶりをしましたっ! ニワカのうちは語る口も軽いまま在れるのですよね(笑)


 チャプターリストにつられてしゃべり出したものの、いつしか自分勝手なモヤモヤを吐き出しておりました。なにとぞご寛容いただきたいです。レスの有無などは、どうかお気の向くままにしてくださいませ。

 えびさんには感想のみならず、SQLであったり、Twitterのエロスケユーザーリストを使わせてもらったりと、インフラ面でも助けられてまして。こっそり常日頃よりお世話になっておりました。この機会にあらためて、ありがとうございます。

 それでは。
Sek84832016年04月02日

75こころリスタ! (Q-X)
楽しませてもらった。素材(テキスト、絵、音声)の説得力が作品メッセージの説得力を上回っているような気がして戸惑う。気のせいや勘違いかもしれないが。 → 長文感想(8576)(ネタバレ注意)(2)
最新レス どもです。しきりと肯きながら読ませていただきました。マリポ先輩の「防御力の低い立ち絵」というのが言い得て妙だったり、大きな黒い目にまつわるお話に魅惑されたり、星歌がボクっ娘になった由縁という想像の鉱脈のありかを教わったり。

 「全体的にぷっくりしたほっぺを描くのがうまい」という指摘は、なるほどと納得するところです。
 わたしは、本作ヒロインの口もとによく目がいきました。こうもくっきりと上唇にまで紅を引いておく彩色というのが萌えゲーのなかで珍しいような (赤々と血色よいから食べられちゃいそうです)。ときに唇をすぼめて "酸っぱそう" な顔つきになったり "苦々しげ" になったりと、生き物らしい情動をまざまざ見せる口もとだったと思います。わずかに開いた口は、いまにも喋り出しそうでもあり、はたまた子供がテレビに釘付けになってるときみたいにポカンと無防備になったりもして。アルファの最後のCGでの顔つきもまた、唇の表情がポイントなのかなとか思ったりします。
 そういった活発な表情というのが、実は、絶妙にぷっくりしたほっぺがあってこそなのだと気づかされました。それとともに、まつさんも感想でおっしゃってるように、おっぱいの描き方とか最高なのでして美乳ばんざい。ついでに、肋骨と骨盤のあいだの脂肪のつけ方なども魅力あふれます。エロゲの標準的な線からは何ミリかずつ崩すようにしながら、肌合いのたわみをきれいに描いているキャラ絵でございました。

 また、自分では言えずに心残りだった、真理歩役・卯衣さんの声への印象が上手く書きとめられていたのも嬉しかったです。その純度と魔性。わたしとしては、片瀬唯さんによる『家族計画』末莉CVにもまた近しいような印象をもちます。音域や息づかいのコントロール等ではまるで異なるというのに、そのスタイルは似ていると感じます。
 一般に演技というのは現実を模倣するものなのですけれど、これはむしろ現実から外挿しているような。非現実的なトーンの声を宙に発しておき、それを足がかりに空中楼閣を組もうとするかのような発想のお芝居。上ずっていたり "棒" だったりという独特なトーンがまずあって、それにもとづいての感情表現はどう行うべきなのか、あれか、これかと探る。そのうちに、コミュニケーションに汲々とする普段づかいの言葉ではなくなってきて、装飾文字や花押みたいなスタイルの面白みが声からにじんでいる気がします。地に足がつかなくて、もう地上へ帰っても来ない、いずこも指向してないぽつねんとしたキャラボイス。糸の切れた凧みたいでよわっちいのですけど、いったんそれに吊り上げられればそのまま攫われて、はてしなく耳がしあわせです。


 さて。
 『こころナビ』感想では、アイノ・ペコネンがvostokさんをうまいこと一本釣りしてくれたような気がしております (この子の喜びそうな、夏のザリガニにコスケンコルヴァをつけて労ってあげたいところです)。そのあたりにもからむ、メルチェと異国のファンタジーについての話を少し。

 今作における外国人枠がメルチェなのですけど、フルボイスとなり片言日本語がついて回ることもあって、わたしは事前にはさほど期待しておりませんでした。しかし、いざ彼女と顔を見合わせ……もとい顔とおっぱいを合わせてみたらば、意外にも好感触。ぽやよん。はんなりした言葉づかいで場をゆるませると、アルファたち異世界人が当たり前に闊歩しているなか、小回りもよく物語のクッション役をつとめてくれるこの世界の異郷の女の子でした。
 vostokさんも言うように、このシナリオをとおしてみると現実とか仮想がどうでもよくなるところがありますよね。『こころリスタ』においては、ネット (IRIS) への規制が厳しくなってたり、マナーの悪い利用者やサイバー犯罪であったりと、やけに仮想世界のほうは世知辛いです。そうした一方では、メルチェの声とか頭の上のソロモン、あるいは星歌の声とかあのエンディングによって、むしろ現実世界が夢のように仕上げられていって。はじめは主人公が仮想世界への脱出をしきりと言い立てておきながら、ついにはアルファとともに現実世界へ脱出することになるという、構図をあやふやに反転させてしまう流れとなってました。
 ただまぁ、本作ではこのようにプロットを整理しようとしても実りは少なくて、やはりヒロインたちの御心のまま「ああ……二次元女子たちに……癒されたい……」とするのが心地よいですよね。作品メッセージなどは制作者の手からすら離れてしまい、とうに解析不能になっている気がしますし。

 そうしてみると、共通ルートから "憧れの転校生" の役どころで主人公をよく惹きつけていたメルチェは、現実側へと異国のファンタジーを持ち込むことで、現実と仮想のうまい仲立ちとなってくれていたよう思います。まつさんの言うところ「“異国”を意識させて」「独特の言い回しがかえってリアリティの構築に貢献している」不思議な間合いのヒロイン。
 唐突ながら、わたしが昔に、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んだときのこと。いい歳をしたリョーヴィンが結婚にあたり童貞じゃないことを恥じ入って告白するシーンがあり (告白されたキティも動揺する)、その貞操観念にはカルチャーショックを受けました。今にして思えば、そこに描かれたキリスト教的価値観がそこまで異質だったのは、大時代なものだからで、またプロットとしてことさら純真な部分だったからこそなのですけど。ともあれ当時のわたしには衝撃的で、「キリスト教→固い貞操観念」という物語的な記号を、刷り込まれてしまったものです。
 すると、メルチェとの初エッチシーン。処女であるかどうのこうの主人公が言い出したので、よりにもよってカトリックの彼女にそれ訊くのかとちょっと恐々としたりもしました。しかし、そうした時代錯誤なツッコミをいれたりするほうへかかりきりだったおかげで、「はいはいエロゲの処女膜検品OK」みたいなもっと現実的でつまらない思いは抱かずにすみまして。わたしの現実とエロゲの仮想という、倫理観やらがズレてる世界のあいだで、どちらからも異質なキリスト教の記号はクッションとなっていました。
 あるいは小麦色の肌のメルチェだから、白い八重歯がやけに目を惹きます。その八重歯がチャームポイントとして認識されるのは、日本くらいのものではないでしょうか。だからか、この日本びいきのスペイン人がニパッと笑い、小悪魔みたいに可愛いらしい牙をのぞかせるたび、なんだか彼女はこの場所にこそ落ち着いていくように見えてきて。「やー、ここに来てくれてよかったねぇメルチェ」孫を出迎える好々爺みたいな心もちになり、微笑んでしまいます。
 メルチェ自身のたおやかさも、作品のなかでは不思議な立ち位置を占めておりまして。ヒロイン勢では唯一のコミュニケーション強者でありながら、ふっと言語の壁をたてて距離をとったりもする間合いが優しかったです。聞いてもない弱みをしゃべり出すコミュ障ばかりのなか、やにわにスペイン語を取り混ぜては微笑みを浮かべるのがメルチェ。意味が確かでなくともなんとなく伝わってるから問題なくて、そうして彼女との間には心地よい沈黙がおりる時々がある。メルチェのほどよく謎めかせる仕草はゆとりをつくっていました。「「日本にはまだニンジャがいる」と外国人は信じてる」という私たちの夢を壊さないようふるまってくれてそうな懐の深さとでもいうような、現実へのあやふやなバランス感覚。

 外国人ヒロインのエンディングを見てみると、『こころリスタ』ではバレンシアの夜とイルミネーションであり、『こころナビ』ではヘルシンキ(?)の夜とオーロラでありました。これらの作品において、外国というのはやや遠くに夢想する先としてあったように思えます。
 現実と仮想の隔たりがなくなるときを遠望するふうなお話でしたけど、メルチェが現実世界に穴をうがつようにバレンシアの風を吹き込ませていたことが、それらの境目を溶かしていくところには一役買っていた気がしています。

 ではでは。また、よい作品との出会いがありますように。
Sek84832016年01月09日

87BackStage (TJR(THE JOLLY ROGER))
「このバックセットでは、スタッフとキャストの垣根をなくしていきます」芝居を舞台にした、社会人主人公だからのシナリオと萌えゲーとてのバランスが絶妙。こんな素晴らしい作品は埋もれずもっと評価されて欲しい。同時にうもれてる理由もわかる。そんな作品。本当に楽しく、同時に悶えました → 長文感想(12994)(ネタバレ注意)(2)
最新レス はじめまして。

 大好きなこの作品の、楽しみあふれる感想を読ませていただき、ありがとうございます。わたしではズバリ書けなかったキャラの魅力、主人公や京香たちの姿がひとつひとつ記されており嬉しかったです。

 わたしもまた、この主人公には好感をもったクチでございます。はじめの頃なんてもう、ささくれだっていて、ありふれていて、まぶしくて。それゆえに物語への引き込みがすごく強かったのですよね。
 個別ルートに入ると、アリスから「昔のあなたは、もっとギラギラしてた。傲慢なぐらいに」「でも今は、ただの優しいお兄さんね。なんの魅力もない……」とか言われておりまして、ちょっと肯いちゃいます。アリスエンドにおいて、大河ドラマとかで順風満帆やってる主人公の姿には、向こう側へ行ってしまった寂しさすらもやや覚えるほどで。
 でも、それを見ているうちに再び舞台へ飛び込んでしまうカジー視点に寄りそうのが『BackStage』。つける薬がないくらい役者バカで、気持ちのよい物語でした。


 しかし、どうにも地味な作品でして、演出面の弱さなどご指摘のとおりです。ただその一方で、リメイクがもつ可能性のあたり、わたしとしては諸手を上げて歓迎と言えなかったりもします。
 かつて歌舞伎俳優・坂東玉三郎が、『天守物語』をはじめ泉鏡花を舞台化する難しさについて、次のように述べていました (いきなり大袈裟でごめんなさいです)。
>>
困ってしまうのは戯曲の場合卜書が説明になっていない、卜書が文学になっているんです。たとえば『夜叉ヶ池』の白雪の衣裳を「雪なす羅、水色の地に紅の焔を染めたる襲衣、黒漆に銀泥、鱗の帯」とかね、銀の靴とか光り輝く鉄の杖とかが出てくるんです。けれどみんなイメージでしょう。衣裳や小道具を実際に作ることはできない。みんな文学的な美しいイメージなんですね。

『玉三郎・舞台の夢』
http://www.tamasaburo.co.jp/kangae/taidan/sono2.html (追記:リンク切れ)
<<
幻想の美観。そこでHOOKですが、そのようなファンタジーの美しさを描き上げるのを得手とするブランドではないように見受けます。とすると、あれら舞台へと実際に画像をつけ加えられたとき『BackStage』がより魅力を増すものなのか、わたしは危ぶんでしまうのです。
 もとより現実化が難しいそんな演劇題目があえてチョイスされていて、その衣装や小道具はというと、さおりんがチョチョイのチョイと仕上げてくれたらしい (すごいぞ妹様!)。予算や素材点数が限られていればこそ、頭を悩ませたライターさんは朗読劇じみた『天守物語』へとストーリーを運び、そのなかで今のかたちの『BackStage』が生まれたようにも思いなせて。リメイクでのビジュアル強化が、なかなかにやりづらい作品であるよう考えます。

 ただまぁ、このように言い張ることは、やはりめっちゃ保守的であり後ろめたいものですねww
 それに「文学的な美しいイメージ」をなんとか立体化しようと2.1次元くらいのとこで劇を演じるのは、小説とも戯曲とも、実際の舞台とも違った、エロゲなりの面白み。HOOKがキャラづくりに注力してくれたらば、復刻『BackStage』もまた良き作品として生まれ変わるのかもしれません。
 無念なことには、そもそも、リメイクの望みとかないのでしょうけれどもっ。


 話は変わって、京香先輩の「よし、よし。」やっぱりいいですよね。なんというか、理想の上司といった印象すらあったりします。彼女からダメ出しをもらい続ける、あの日々の充実感たるやもう。

 ところで、エロゲに出てくる生徒会などなどの運営組織では、ちんまいマスコット系のトップが多いようにも見えます。例えば、『かにしの』風祭みやびのような子ですね。エロゲのお話には、君臨すれども統治せずがぴったりくるためなのでしょうか。それを有能なみんなが優しく盛り立てていき、そうして日常業務が滞りなく回っていくなか、お茶会したり、デスクの下での色恋沙汰だったりの幸せづくしとなる。
 しかしながら、この "よく分からんけど滞りなく回っている" 時間帯というものには、ふと不安になったりもします。水面下のどこかでは地獄の案件が放置されたまま、今まさに膨らんでいってるのではとか心配してしまう。幸せすぎて怖い。そんな小心者なわたしです。

 ひるがえって、バックセットという組織。ちんまい京香先輩からは「全然ダメです」的確なお叱りが五月雨式に降りそそぎ、M男にとってまさにご褒美。……もとい、きっちりダメ出しされつつ育ててもらえることの、なんとも贅沢な充足がありました。解決してみたくなる問題が次々にかたちを現してゆくときの、ちょっぴりマゾい安定感。
 しかも、気忙しくなりすぎないのがこの作品の優しいところで。社会人ものであることを逆手に取るように、人物背景がバラバラだからこそ競争は熾烈にならない、そんなキャラ配置が居心地よかったです。後輩の沙織はすごくドジっ子であり、先輩の京香はすでに舞台から降りていて、陽当たる才能が後ろから迫ってこないし前を走ってもいない。残りのメンバーはというと、アイドル・声優・ダンサー・化け物 (ミスターシン) とそれぞれカテゴリが違う。なので肩をならべて、ごーふぁいと!
 merunoniaさんのおっしゃるように、社会人なりのシビアさを萌えゲーに織り込んでいくバランスが絶妙でした。

 ところが、そうしてバックセットの屋台骨になっていた京香だから、その完璧さをうまく崩すことはやはり難しくなってしまって。ルートヒロインとして見せた顔にはやや説得力不足があったことにも、また同感です。
 ただ、わたしの場合『BackStage』初プレイから数年がたち、久しぶりに再プレイしたところでございまして。すると意外にも、京香の崩れたさまやため息にこそ親しみを覚えるようになっていたというか、気安く共感してしまいました。ゆったりお風呂エッチとかに心がほぐれ、そこで「気持ちいい」と言わせるのに興奮して、あぁもう、先輩におしっこさせてみたいなぁとかしみじみ思うわたしは……いや、ただ単に心が汚れただけですね、コレ。

 ともあれ、年齢とか追い越しちゃっただろう京香先輩へと、だいぶ感じ方が変わってたのが新鮮でした。基本エロゲはやりっ放しにしてしまうのですけど、ときには長く付き合ってみるものだなぁと。
 そのような感慨も、他の方のプレイ感想なりから作品を思い返せばこそでして。『CANNONBALL』『ドラクリウス』などなどmerunoniaさんの感想は読み応えがあって嬉しく、おりにつけ楽しんでいます。この度も、ありがとうございました。

 それでは。
Sek84832015年12月10日

80朱 -Aka- (ねこねこソフト)
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。 → 長文感想(12223)(ネタバレ注意)(4)
最新レス >vostokさんへ

 こんにちは。
 思い出のある一作とのことで、この感想が、アラミスたちを懐かしむときのただの呼び水としてあれたらよいなと願うばかりです。わたしも素直に好きといえる作品だったので、ここから十年後にはどのように覚えているものか、はたまた忘れ去っているのかが楽しみです。

 予断をもたずにプレイしていた頃の記憶は、やっぱり独特の色合いになりますよね。わたしの場合、体験版を何本かやってから最初に買ったエロゲが『最果てのイマ』という、ちょっと笑い話めいたチョイスでした。それも評判を聞いてというわけでもなく、ほぼ絵買いです。公式ページを見ながらにエロゲに手を出すのか踏みとどまるかと煩悶して、葉子のぼやけた瞳や「自分の大切なものだけ大切にして あとはさくっと切り捨てるタイプ」なる魅惑のキャラ紹介と、どれだけ睨めっこしたことか。
 そうしていざプレイに踏み切ってみれば、案の定のことポカーン。エロゲの文脈には最低限ながら予備知識があったし、田中ロミオらしく精力的にベタ展開も作るしプレイヤーの動線も作られてるシナリオなので、物語の構造はわかります。しかし、自身が手を動かして作品を完成させるような習慣がわたしには無かったので、物語の意図には戸惑うばかり。今もってプレイしきったと言えるのか微妙なところです。
 ただ、「あの田中ロミオ」と気負うことなしにあのストーリーラインを素直に読んで(……ライン?)、それで上手な意味付けができないまま内容が飛び飛びのイメージとなったままなのも、それはそれで幸せなのかもと。なんだか、シャーリーの親しい笑顔が浮かびます。脳裏では、今もって葉子が黙ったまま不可解な微笑みを浮かべてます。変な刷り込みを受けたのか、プレイ中のエロゲのBGMが気に入らないと代わりに「ジムノペディ」を流す癖がついてしまってもいたり。そして、ロミオといえば眼球舐め。最初に『イマ』でそれを見せられたときはその行為の存在すら知らなかったので、ゾッとしました。なのに今となってみれば、アラミスの瞳から砂を舐めのぞくことには懐かしさすら覚えるという。とても深いところに印象を残していった作品で、思い返してみると……うん、言葉になりませんね。

 そうして、あの当時に戻ってもやはり同じように『イマ』を選ぶだろうなと理由のわからない確信を得るのは、ヘプタポッドB言語で思考するのにもちょっとだけ似た経験なような。元ネタはvostokさんもご存知のとおり、テッド・チャン「あなたの人生の物語」。『恋愛ゲーム総合論集』に寄稿なさった「驚きのギズモ:猫撫ディストーションが見せる目的論と因果論」は残念ながら読めずにいるのですが、『朱』感想で(おそらく)似たようなアプローチを考えつつ断念したのがわたしです。
 チラシの裏なことを勝手に喋りますと、アラミスCVの有無について書いた箇所は、音声言語の線状性(話し言葉は時間に沿ってつなげて配列される)から考えを始めたトピックでした。それを「あなたの人生の物語」のように物語と合わせ見れないものかなと。キャラクターボイスのほうがテキストよりも強く持っている言語の線状性ですが、それを序盤からどこかしら絶望的な終着点を匂わせている片道の旅(宿命をなぞるかのようなカダンたちの狂信的な巡礼)、この作品の全体構造と見比べられないかなというアイデアでした。しかし、正確な話をするつもりがないにしても知識不足から形にできなさそうでしたし、実際のキャラクターボイスと合わせて考えるのは無理筋な予感もして。どうも、主人公とヒロインの一体感に話を集中させたほうが『朱』には良さそうだったので、結局のところ、そのアイデアはリサイクルボックスに放り込んでしまいました。
 だから何だよ、としかいえない話になりましたね。このままお蔵入りしかねないので、厚かましくも未練だけ聞いてもらいたかったんです(笑)

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文学史的にはたぶん、砂漠物のジャンルか何かの文法に回収しつつ、ノマドだの逃走線だの、生物の死に絶えた砂漠の無機質で無菌的なイメージがだとのいったようなことも言えるのでしょうが、それよりは「アラミスの褐色の肌はきれいだ」と一言いうほうが説得力があるのかもしれません。
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 この作品では、動物が出てこなかったという印象が強く残りました。ウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」がその名の由来といわれる、タクラマカン砂漠あたりが念頭にあったりするのでしょうか。サボテンに張り付くサソリとか、飲水が尽きたとき頭上を無神経に飛んでゆく鳥だとかが全く登場しなかったのは、むしろ不自然なほど。子供のときファウが"けもの"の首をひねったことがほとんど象徴的にすら感じます。それとともに、食べ物もあまり美味しくはなさそうだったというか、干し肉とか、挽いた粉から作るパンみたいな加工品となってから物語に登場してくる。意図されていたのかはわかりませんが、どこか現代都市じみた、ひたすら人間しかいない茫漠さを『朱』は見せつけている。
 ……という文章を、実は一度は書いていました。結局、そんな論を感想本文からキックしてしまったのは、わたしにもやはり魅力的な見方でなかったためです。最初に砂漠を渡るときBGM「砂の城」が鳴らされると単純に「おおっ!」ってなりましたし、日常的に積もっていく砂を眠る前には拭いとっておく儀式に安らぎ、「お姉ちゃん」との踊りのシーンで感動して。そうして一章のうちに完璧に引き込まれて、するともうアラミスたち以外が重要とは思えなくなっていました。あの無味乾燥な砂漠があればこその物語だけれど、彼女たちの目を通してない光景はあまりに意味が薄くて、そこに視点をやってしまった途端、もっと大事な情景を見逃してしまう気がして。いつにもまして思うがまま感想を書いていったら、上の文章を入れる文脈は失くなってました。この作品では、中世の安宿のソファにちゃんとツッコミ入れるのがもったいなく、そこでのキャラの感性にツッコミを入れるのはまぁアリかなという、そんな自分なりの判断ラインでした。

 そして、アラミスの褐色の肌はきれいですよね。ラテン系の美人さんっぽい、いかにもな色合い(国によっては、おもちゃ売り場のバービー人形たちこんな色合いで染まってるような)。けれども、ねこねこソフトだから、むしろ夏休み中を駆けまわってきた八月三十二日あたりの子供っぽくもあるような。女の子と男の子が同じ色に焼けてたあの頃をちょっと思い出します。年月のうちに大人しくなったアラミスなのだけど、その姿には子供時代にカダンと手をつないでたときの面影を残してるようでもある。ラッテたちや他の多数のエロゲヒロインたちとは異なるからこそ褐色の肌は目立つのだけども、ずっと見ていると、パートナーの男性と同じ彩色がなされているのだからむしろ自然な気もしてきて。かまびすしくない『朱』にはぴったりで、やっぱり、ただアラミスを見つめてたくなりました。

 それでは。



(2015/04/19訂正 最初の砂漠BGMは「砂銀」じゃなくて「砂の城-The Castle of Sand-」でした。十年どころか十日でも記憶が保ててない。)
Sek84832015年04月18日

80朱 -Aka- (ねこねこソフト)
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。 → 長文感想(12223)(ネタバレ注意)(4)
最新レス >残響さんへ

 どうもです。時流からは取り残されつつ、砂に足をとられたカタツムリみたいにして書いてる感想なのですが、楽しんでいただけてるようで嬉しいです。マイペースで殻にこもりがちなエロゲ性活でして、TSものに興味があってやった『X Change Alternative2』では「ヒロインになりたい」願望みたいなものをマイペースにさらけ出してもしまいましたから、ドン引きされてなくてよかったです。マイマイ願望(雌雄同体)。
 わたし自身もプレイの回転はもうちょい速くしたかったりするのですけど、なかなか無理っぽい予感。生活に追われてたりもあるのですが、それはまぁそれ。むしろ主な理由は、エロゲ感想を書き始めてからこちらというもの、いちいち作品に愛着が付いてしまってなかなか剥がせず次に行きがたいという、しあわせな羽目に陥ってたりします。『Strawberry Nauts』とかでは、みかもの鎖骨をペロペロするだけの決意をもって書き始めたのですが、妙にシステムに言及したくなる作品で、結局のところ長めな感想となりまして。さかのぼって『PriministAr』なんて、短文感想だけですまそうとプレイ前から心に決めておいたのですけど、ままなりません。
 あらためまして、読んでいただいてありがとうございます。ねちっこく書いてる感想ですから、ねちっこく(?)読んでいただけるのも本望です。

 残響さんのレビューも、夜のひつじ作品だけ除いて読ませてもらってます。『BackStage』に感想をつけるのはずっとわたしの懸案だったのですけど、やる気になったのは、残響さんの『恋春アドレセンス』感想でやにわに出没した柳田翁がきっかけのひとつでした。なにやら古きうつくしいものを垣間見せていただいたので、それを自分の感想に持ち帰ってマネてみようという経緯もあっての「芸術と俗世の対立」と泉鏡花だったりします。
 そのあたりについては、わたしの場合、完全にただのファンタジー小説好きでして。残響さんのように文学について体系的なトレーニングを受けてないだけに、より素人らしくテキトーに放言してしまえます。……おっかねぇww そして、おっかないだけに、ガチガチに文章を組みきってから人に見せようとする臆病さがわたしにはあり、この点については「スイング」のある残響さんとは好対照になってるような。たまにTwitterを覗かせてもらっては、その「スイング」が自分には足りてないのかもと、よい刺激を受けてます。そんなわけもあって、拙文からも何かの示唆なりを拾っていってもらえるのなら嬉しいかぎりです。

 そんなこんなで、『ユリキラー』に残響さんが惨殺されてるとこもオモロく眺めさせてもらったのですけど、わたしの場合は、特に『きみはね』『その花』感想のほうに得るものが多かったりします。「カプ観測」というのはエロゲへのまだ知らない接し方でして、作品中の「まなざし」の投げかけ合いをそっと見守っていたりと、情のこもった傍観を示してもらえたのが面白かったです。
 最近、TSエロゲへと興味をもっている理由のひとつでもあるのですが、わたしも「少女が消費される」ことへは関心があったりします。ジェンダーを題材にしたSFなど、フィクションに端を発してる関心ではありますけれど。エロゲをやっているとごくまれに思い出すのが、コニー・ウィリス「わが愛しき娘たちよ」。少年少女たちの寄宿舎を舞台に、獣姦によるエロス消費というテーマをあざとい技巧によって書いて、ジェンダー論でもって物議をかもしたSF短編ですね。ディック作品まで含めて、ほの暗くてアンリアルなお話へのわたしのこだわりには、そのねじ曲がり方で、残響さんと似たところもあるかもと共感めいた気持ちになりました。

 ディック作品にはアンドロイドのような不気味なコピー品が溢れかえっているのですけど、時代・作者の背景もふまえ、これは消費社会批判(あるいはメディア批判)という文脈での受容が一般的かとは思います。「私はシステムから騙されてるかも?」という疑念。そして、誰かがアンドロイドなのかもと疑うのなら必然的に「あれ、私もアンドロイドかも?」という疑念に行き着き、今見えている世界がまるごとニセモノかもしれないという、存在論的なメタフィクション文脈でも作品は受容されることとなる。その二つの疑念が寄木細工の出来損ないみたいに入り組んでいき、作者すらもいずれの疑念か判ってなさそうなほどプロットまで混乱するというのが、ディック作品のひとつの姿であると考えます。
 すると、非人間的人物像を「人間がシステム化してしまう」ものと取る残響さんの見方は、肯けるものです。そして、そこでエロゲを例に取ってエロス消費への違和感を見据えるとするなら、「システム化」していってるのは私たちユーザーということにもなりそうで。怖い怖い。自分が自動的なアンドロイドであったことに気づくわけで、これはちょうど『流れよわが涙、と警官は言った』のストーリーですよね。
 けれど、『流れよ涙』を読んでみればディックなりの乾いた希望のムードもまたあったり。あの物語はどんでん返し的に、システム側だったはずの"警官"が涙を流すという血の通った人間味へときれいに収束していました。「ディックディック、ちんこちんこ」としょうもないダジャレを覚えちゃった今のわたしには、そのあたりがほどよい物語のオチとも感じれます。それで後はダウランドに耳を傾けちゃえるなら、まぁそう悪くもないかもですね。……バド・パウエルも良いかも。「Un poco loco」「A night in Tunisia」「Parisian thoroughfare」あたりが気に入りました。

 そろそろ明るい話をしましょう。小宮裕太のエロ漫画です。わたしも好きなのですけど、マッチョイズムへの違和感からもつながりえる嗜好と思ったりします。
 まずなにより、沢渡さんを始めとして、ほんのちょっぴり超然としてる少女が絶妙に愛らしいんですよね。痴女、幽霊、セミ、宇宙人etc。それらの設定が妙にハマっているのは、瞳をぼんやりとさせて、少女マンガっぽいスッキリとした線を引き、顔のパーツをあまり動かさない画風が、表情を読みきらせずにいるためかとも感じます。特に、モノクロイラストのとき瞳の中にはっきりした線を用いず、ほのかに濃淡をつけるだけの表現をしてるのが好きです(あえてエロゲを見るならFavorite『アストラエアの白き永遠』とかは似た印象になる瞳の彩色であったような)。
 その作品を見てみれば、カップルを並べて描く構図が多い。また、なよなよとした優男のほうも「なんでコイツ頬染めてんの?」状態。沢渡さんシリーズの初めにおいて、彼女の持った洗濯物カゴから自分のパンツを慌てて回収してる男の赤面っぷりといったら、もう。お前は乙女かと問いただしたくなるような、もう。
 沢渡さんは無駄口もなく仕事をこなしますし、「この淡いブルー 好きなんです かっちりしていて 着やすいし」そんなことを言う、襟元がいつも綺麗な人。そして前述の通りほんのりミステリアスであり、そんな彼女からキスされた男が目を丸くしていたりと一喜一憂だだもれな感激屋(emotional)だから、どうも生々しい男女関係は生まれてこない。でもその関係性もまた細やかに反転していって、沢渡さんが実のところ可愛いことばかり言う人なのもすぐにバレる。キスとかハグとかのカットでも、それをする役と、されて感動する役が、次々に入れ替わっていってる。そんな風だから、ふたりして頬染めていったところに、どこまでも優しく溶けあう空気が生まれているような。
 字面のストーリーだけを追っていくならチョロイとしか言いようのない展開をしてるのだけど、なるべくしてなった感がついてるのがすごい不思議。わたしにとっても、「クーデレ」やらの一言ではあまりに足りていない多幸感を分けてくれるふたりです。

 『朱』がロードムービーっぽいというのは、わたしの所感のとおりでして、実際の作品のインターフェイスでも上下に黒帯が付いていて(レターボックス)、まさに映画を想起させようとしているものです。その黒地のウインドウへと、話者の名前を表記せずに文章を書いていくのが、わたしとしては心地よいシンプルさのインターフェイスでした。
 Tarte『カタハネ』も同様のデザインを採用していましたよね。キャラが賑やかなこともあって『朱』ほどは地味ではないものの、しばしば「シロハネ編はちょっと退屈」とかもっともな評価をされるあたりでもまた似ており、旅物語をオモロくすることの難しさが思われます。

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ふと思ったのが、多分暇と金を思いっきり海原にぶちこんだら、PITを完璧に使いこなしてくれるんじゃないかと……。Cドラにそんな余裕があるかはさておき……はよあのメーカはディスクレスをだな。
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 海原版PIT! なんとも想像しがたいところが。PIT負けすることのないテキストとなるでしょうけど、テキストを複線にしてしまうとあの魅力は削がれる気もするし。……ボケとツッコミの流れが固定化され読み易くなることで、評価は上がる可能性も?
 同会社・別ブランドの、めろめろキュート『ドラクリウス』(2007)では新品対象にしてディスクレスパッチ配布してましたね。試験的に実施してその方式は結局とりやめた、という話なのでしょうか。
 わたしも配布を受けまして、フォームからゲームアワードコードを送ると、メールでもってパッチの取得方法が返信される方式でした。ところが、わたしの場合、送ってから二ヶ月くらいしてから返信きまして(笑) 買ったタイミングからして発売からすでに一年以上たってたので「まぁ送信ミスでもあったんだろう」と忘却のはるか彼方だったので、海外から船便で送られてきたかのような悠々たる感でした。

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「ディックの非長文タイトルの駄作率の高さ」って本当でしょうかね?
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 どうなのでしょうね。ファンとしては「全体的に駄作率が高いだけのことっ!」と言ってしまいたくなります。パルプ作家の鏡みたいにして多作ですし。ただ、長文タイトルにはプロットがまとまっていて評価の高い有名作が目立ってありますね。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『流れよわが涙、と警官は言った』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』。耳に残る長文タイトルに完成度の高い作品があるための印象論といった面が強いのかもしれません。
 ちなみに去年、ハヤカワのSFマガジンでやってた人気投票の上位はこんな結果。
{
1, ユービック / Ubik
2, アンドロイドは電気羊の夢を見るか? / Do Androids Dream of Electric Sheep?
3, 暗闇のスキャナー / A Scanner Darkly
4, 流れよわが涙、と警官は言った / Flow my Tears, the Policeman Said
5, 高い城の男 / The Man in the High Castle
6, パーマー・エルドリッチの三つの聖痕 / The Three Stigmata of Palmer Eldritch
7, 火星のタイム・スリップ / Martian Time-Slip
8, ヴァリス / VALIS
9, ブレードランナー(映画)
10, 虚空の眼 / Eye in the Sky
}

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縦に積み重なっていくエクリチュール(書き言葉)とは異なり、パロール(話し言葉)とは横の関連性の無限さこそが肝心なのである
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 わたしはポストモダン言説をよくわかってないので、このあたりでは用語の文脈を充分につかめてるのか怪しいことを、ここでゲロっておきます。これまでひとりプレイしてはそれで満足してきたユーザーなので、オタク的に受容されたポスモ言説とかもほとんど知らずで。ただ、そのぶん話を聞くのが面白かったりもしますし、自分がどのあたりで喋っているのかくらいは承知しておいたほうが便利かなという気はしていたり。
 あと、このあたりと関連するかもしれないチラシの裏な話を、vostokさんへのレスで少しだけ書こうと思ってるので、もしよろしければ読んでみてください。

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安易に「駄作」を薦めてしまって、これはひょっとしてSekさんのお嫌いな作品パティーンかしら……とおののいていました。
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 その後、菜々ヶ木アリス役の声優さんが、雪村とあの生き別れの妹さんであることを知って、むしろ心がさらに傾いたりしてました。あの堂々とあざとい声づくり、好きです。枕『サクラノ詩』にもキャスティングされていて、わきあがるわたしの歓喜の声。ぶひぃ。


 なんだか好き勝手なところだけ拾って、まとまりなく書いてしまいましたが、おゆるしを。
 それでは。
Sek84832015年04月18日

73うちの妹のばあい(はぁと) (イージーオー)
「お兄ちゃん……わたし、やっぱりチンポには勝てなかったよ」呆けた笑顔を見せつけてくる優香がエグい。萌えゲーのお約束をことさらプレイヤーの目の前で破り捨てるようなマネをしてるのに、稚気のある……もとい頭のネジのゆるみがちなテキストからは萌えゲーへの愛着もまた感じれてしまうあたり不条理な作品です。 → 長文感想(13618)(ネタバレ注意)(2)
最新レス こんばんは。また良く読んでいただき、ありがとうございます。古い作品で、そのくせ未プレイ者にやさしくない感想になってるかとも思うので、こうしたコメントをもらえると気が晴れやかです。
 ひるがえって最近のお日柄はだめだめなのですが、うす雲かかって空のトーンがひとつ落ち込んでいるとむしろ居心地よかったりと「薄暗がり」も好きなSekです。いやしかし、西の方はだまし討ちみたいな大雪でシャレになってませんよね。

{
>CYCLET「駄作」
}
 公式ページを眺めたのみですが、気になってる作品です。ここのところの天候のため受信感度が良好なのか、枢ちゃんは可憐……枢ちゃんは深切……と直接脳内にゆんゆん届いたものがありまして。先ごろ手にとった『輪舞曲Duo』でフタナリ愛が足りなかったので、その初級者としては補習しておきたかったりもします。
 ただ、視覚表現があまりに赤黒く染まるようだと、そこでかえって冷静になってしまいそうなのが不安材料。『沙耶の唄』などの「実のところ純愛」評がついた作品はいまひとつ楽しめない、というジンクスも抱えておりまして。
 しかしこうして作品との縁もついたことですし、枢に辛抱たまらなくなったらプレイしたいですね。

{
>「闇への憧憬」めいた何かがあるのではないか
}
 『暗闇のスキャナー』というSF小説が好きです。それを書いたフィリップ・K・ディックは、わたしがいちばん作品数を多く読んだろう作家だったりもします。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』等のタイトルが有名ですね。
 ……だしぬけにエロゲから外れたお喋りでスミマセン。エロゲ趣味を始めるにあたっては、人それぞれに経路となったジャンル、きっかけ、衝動みたいなものを持っていることでしょうが、わたしの場合そこにディック的な"現実と虚構"が関わっており、それが残響さんの感じられたものをいくらか説明するのかもと思いまして。

 ディックは"現実と虚構"、"信頼できない語り手"、"幻視者"といったキーワードをもって語られる作家ですが、その作品ではしばしばヒロインが"虚構"に与するかのようにして主人公を裏切ります。もし黒髪ヒロインが出てきたらば、そいつ裏切ります。
 なかでも『あなたをつくります』のヒロインなんてわたしの気に入りでして、この精神を患った黒髪の天才少女は、主人公の友人の娘であり、そのエキセントリックな愛らしさで主人公をもてあそびます。のみならず主人公たちに大きな成功を期待させるような発明品をその手で造ってもくれるのだけど、それが気鋭の実業家へと売り込まれるときに、あっけなく彼女はその情婦となり発明までも持ち去ってしまう。ところがそこには損得勘定などには収まらない彼女だけの飛び石みたいな理路がはびこっていて、「よくわかんないんだけど、あなた本当にこんなことで傷ついたの?」ころころと笑いながら訊いてくるという、恐ろしい女の子(……可愛い!)。
 ディック作品のモチーフのひとつである、非人間的な人間=アンドロイドです。

 さて、わたしはエロゲを始めた頃、ここにいるヒロインはひょっとしたらアンドロイドではないかと目をすがめながらプレイしていました。ちょっとおかしな人ですね。シナリオを読み進めていって、記号的な萌えとか非現実的なキャラクターに当たるたび「ここには人間味が無い」「これもニセモノだ」と手当たりしだい疑ってゆく。そうして削って読み、削って読んでなお、ヒロインのちょっとした言葉や仕草にでも人間らしさを信じれる部分が残ったならすごく安心できるという、チューリングテストでもするかのような読み方。
 もちろんこれは仰々しく語っておりまして、実際のところはごくごく平凡に「やべぇチョー可愛い」「ヨメ度の高い娘!」とか他のユーザーさんと同じように萌え転がりながら、キャラ絵になごんだり体中で笑ったりしてもいました。まして、それなりにプレイを続けて肩の力も抜けた今となっては、いちゃラブの心地よさに脳みそまで浸っちゃってる。ただそれでも、残響さんに感じ取ってもらったあたりについては、わたしの"ディック感覚"への恐怖と嗜好がその一端としてあり、ときおりエロゲヒロインに妙な目線を向けてもいるかと思います。

 もっとも、こんなオナるような自分語りではそれこそ真実味がありませんね(笑) 感想本文でちんこちんこ言ってる流れで、ディックディック言い出したくらいに思っていただければと。ついでなのでもう一度、枢ちゃん枢ちゃん言っときます。
 ちなみに、わたしなりの"エロゲ"へのイメージソングを選ぶなら、なんとも力の抜けたギターにゆるふわ声質のボーカルがあわさって愛くるしい、茶太「イイコ」になります。
{
https://www.youtube.com/watch?v=pl_oKFHJz8U
}

{
>今作の「キャラ造形」なのですが、ふと、前にお話しくださった「みここの華蓮」についての言及と、通低するものがあるかも……となんとなく思いました。
}
 言われてはじめて気づきましたが、確かにその通りで、わたし似たことを書いてますね。それぞれの作品への見方に通底するものがあったのを教えてもらい収穫となりました。情念とギャグの距離感に興味がつきません。
 その上で検めてもおくと、これについてはわたしの感想文が似かよったレトリックを用い過ぎちゃってることから来るもので、作品そのものはやはり違いが大きいように思います。Sekが手もとにハンマーを持ってたので両方ともが釘に見えてしまったのかなと。ハンマーとなるのは"笑い"とか"あるがままのヒロイン"でしょうか。
 というか、正直なところ『みここ』は一体何だったのかもわたしよく解ってないので、まがりなりにもシナリオ構造を見てとれた『うち妹』はとりあえず別ものという判断です。笑ってよいものかわからないところまで話を混雑(対位?)させるとそこを突き抜けたヒロインをあるがまま受け容れる、という類似はあるのですが、そのための書き方については別ものになっている。

 書き方として、ひとつのルートシナリオのなかに無調の感じみたいなナニカが在ったあたり『みここ』はユニークだと思います。しかし『うち妹』の場合では、純愛と凌辱、ポジとネガに振りながらに全部で11ものエンドで優香をばらばらに描き上げており、エロゲでよく見られるルートシナリオの利用法ではあります。『みここ』華蓮については作品内に書かれたキャラ造形ですが、『うち妹』優香は(グランドシナリオをふまえ)わたしが勝手よくまとめて解釈してのキャラ造形でして、そこはやや別となるかと。
 たとえ話をすると、『うち妹』はまず純愛のストーリーラインを見せてから-1でかけ算するようにNTR凌辱へと化けさせて、正負をひっくり返しての落差を味わわせているのですが、この操作そのものは単純だし、個々のイベントについては原因・結果が歴然としてあります。一方で『みここ』については、そのストーリーラインに積分をかまして"一定期間での経過についてのみ意味を有する"ような記述に直してみなければ解らない(少なくとも感想文へは十全に書き出せない)ような予感でして、順々にテキストを拾い上げての原因・結果という視点ではどうにも捉えきれない部分が肝になっているような。何かバカっぽいたとえ方をしましたが、 つまりは、バカゲーの方が感想でその要点を書くのは難しいよね的な話でございます。

 話は変わって、おるごぅるはずいぶん表立って広報に携わってしまうライターさんで、新作のALcotハニカム『キミのとなりで恋してる!』でもメインヒロインに(あげく担当声優さんにまでも)不遇美人なキャラづけをほどこしたり、別のヒロインをオススメ!したりといった広報を展開しており、ユーザーに予断を与えておくような姿勢が見えます(むしろメーカーの方針かもしれませんが)。それに関連するかのように、『うち妹』ではエロゲであることに自覚的だったり、『リア妹』ではメタフィクションにもなってたり(業界ネタ、過去作への自虐ネタ含む)と、プロレスじみた予定調和をもった作品をシナリオ企画しています。
 そのようにして理解をつけやすい作品が多いため、おるごぅるは海原楓太よりも多くのエロゲユーザーから評価を得ています。そして「これなら俺にだって書けるかも」と読者に思わせやすい(もちろん実際には書けない)きれいなプロットを敷くライターさんです。このあたりについても『みここ』と比べたときには差異が目立つところと考えます。
 これは余談ですが、そうして「ウラがあるよウラがあるのよ」と喧伝しつつも作品内容では安心安全なシナリオを製作するのは、したたかにパイを切り取りに行く姿勢となっており、またそれは「地雷ダー! NTRギャー!」とか楽しげに悲鳴を上げる術を身につけてきたユーザーサイドともうぃんうぃんしちゃっているような。「越後屋おぬしもワルよのぉ」はにかみ笑いで馴れ合えば、その堅固なハニカム構造からしたたり落ちるは蜂蜜の味です。なお、ここまで言っておきながら、来週発売の『とな恋』通常版は買っとくつもりのユーザーがこちらとなります。


{
>パティ・スミス
}
 ほとんど名前しか聞いたことなかったのですが「Dancing Barefoot」いいですね。歌詞も好きな肌ざわりですし、『うち妹』なりとの連想をやらかしてしまいそうです。
 適度にキャッチーなところを選んでいただいてるのでしょうか、残響さんに紹介してもらう音源には、わたしいつもすぐ楽しみが見つかります。エロスケでお話させていただいた方のサマリーからエロゲを見つくろったときにも感じたのですが、遠くの隣人に靴を借りるというのは面白いですねー。自分でもエロゲ感想を出すようになってみて、そんなことをつくづく思っております。
 ではでは。
Sek84832014年12月12日

75ひのまるっ (WHEEL)
「肩の力を抜きなよー」と語りかけながら自らも率先して肩の力を抜いてしまう、ゆるいコメディ作品。ブラウン管のなか、調子っ外れの歌を熱唱するルル・セアブルをぼけっと眺めてると、なんかもう全て世は事もなしと思えてきました。 → 長文感想(10511)(ネタバレ注意)(2)
最新レス あらためまして、どうぞよろしく。
 残響さんの真似っ子するわけでもないのですが、カゼをひいて頭痛が酷くわずらわしくなった折、静けさを求めて時雨「mib126」を聴いてみた経験があります。TK吠えて頭ピリピリ。わたしバカよね。sekと申します。

{
>最近のライターはどこか「嫌われないようにしよう、読者から……ああっ、書きすぎた、嫌われないようにしよう……削ろう……」みたいな態度でキャラを書いてるんじゃないか、と思わせるフシがあります。
}
 こうしてレスをいただき考えを広げられてみると、それが優等生キャラにせよ感じ悪いキャラにせよ「書きすぎた」「削ろう」という制作者の態度、プレイヤーの好悪をあらかじめ決め打ちするようなキャラ作りというものが、わたしにとっては気味悪さのキーポイントになっているかもしれません。
 素朴な心情としては、ライターさんがのびのび書いて、プレイヤーが思いっきりキャラを好いたり嫌ったりできる市場環境になったらいいのになぁと思ったり。ただこれは、テンプレの強い売れ筋エロゲを好むわたしには堂々と言いにくいことですので、もそっと素朴じゃない言葉に直してみたいです。
("残念系ヒロイン"はシナリオを予想させるから感動しきれないのだけど、その点で『みここ』朱雀野華蓮は良かったよね!って話になります。)

         
 「嫌われないように」の応用に当たるものなのですが、「嫌われるべきところを決め打ちしといてダメージコントロールしよう」という態度というのは目につきやすくなったような。こっちの部分でヘイトを処理しておいてあっちの部分ではブヒれるようにとデザインされた、あら探しされることが織り込み済みのエロゲヒロインが定着してきた。……いえ実のところ、直近にプレイしたエロゲ体験版に出てきたヒロインことごとくが"残念"だったり"不器用"だったり"駄妹"だったりしたことから出てきた雑感なのですが。おしなべると"残念系ヒロイン"のこと。
 どこかしらの欠点に萌えるというのはどんなエロゲヒロインにも抱きうる感情なのですけど、残念系であると宣伝され「"この"残念な属性を愛でよう!」ってコンセプトが制作者にもユーザーにもよく承知されるようになると、そのあり方はやや変わるようです。

 ここでちょっと試みに、学園ものテンプレ萌えゲーを三幕構成(序破急)で捉えてみると、まず日常を描いて、ヒロインの抱える問題に対処することになって、その解決をしながらエンディングを示すという順序になる。
{
[設定]ヒロインと仲良くなって日々を楽しく過ごしている
[対立]しかしその子がクラスで上手くいかずイジメられてしまい
[解決]なんとか周囲と和解して日常にある幸せを再確認できましせっくす
}
こんなのが一例となるでしょうか。
 もちろんこのプロット整理は雑すぎるものでして、スリルを追求する映画脚本あたりの見方を無理やりにエロゲへ当てはめたせいで妙なことになっており、最初の状況を提示する[設定]にあたる日常描写が延々と続いていく作品というのがエロゲには多い。そして逆に言うなら、「エロゲは日常シーンばかりダラダラ続いて退屈!」みたいな不満とは、「もっと映画のようにスリリングなプロットへと整えろ」に近い意味となるでしょう。
 この退屈な日常という萌えゲーの課題については、コメディを常用したり、(しばしばヒロインに褒め合いをさせつつ)脳みそとろけそうな雰囲気を作ってみたりと、いろんな献策があったわけですが、残念系ヒロインもまたここにメリットを持ちえる。
 例えば、コミュ障みたいな周りと上手くやれない残念さは[対立]の要素を早くからシナリオに持ち込んで展開をスリリングにします。ヒロインが抱える問題が早い段階から顔を出してくる。しかも"残念系"となるとそれこそが萌え要素になるわけだから楽しい日常を邪魔することはなく、彼女のことを仲介したりフォローしたり介護したりすることで、問題解決の達成感、自分が役に立っている充足、誰しも欠点を持つことの安堵なんかをこまめに得ていけるようになっている。そうしてツンデレや暴力ヒロインなどの平地に乱を起こすタイプの萌え属性とも同様に、主人公に解決すべき問題をコンスタントに提供することで退屈な日常を改善できます(シナリオ作りにもやさしいですね)。本来、プレイヤーに緊張をもたらすはずだった女の子の問題点を快楽にしてしまった!というひねりが、残念系がするジャンルの基本型からの「逸脱」となる。

 しかしそのようなひねりには当然ながら無理もあって、立て続けに残念アピールの強いヒロインに出会ったりすると、"アウトレット品専用の製造ライン"でも見るかのよう。あるいはAmazonなり楽天なりで"訳あり品"というフレーズが宣伝材料として活用されていることなど考え合わせたりすると、「ここが残念だよ」とあらかじめダメージを受けてる部分をひとつだけ開示しておく手法によって自動的な好意を私たちから引き出すメカニズムがあるのではないかという、嘘くささを嗅ぎとってしまいます。
 さらには、キャラ設定に波乱を委ねてしまったゆえに、シナリオの先行きに見当がつきやすいです。コミュ障ヒロインについては、主人公コミュニティに受け容れられることが既定路線まるわかり。「このキャラは残念だよ!問題ありだよ!」と謳ったことによってむしろシナリオはきれいに丸くなり、予想しやすいスリリングさに落ち着く。ときにヒロインの残念さはおためごかしとなってしまい、ダメ人間を最後まで描き通した物語に打ちのめされるようなプレイ体験は生まれにくいです。

 ここでふと思い出すのは、海原楓太も参加した『みここ』。朱雀野華蓮が良いエロゲヒロインで、よく心に残ってます。何だか"残念系"と呼んでしまいたくはない、まっこと酷いヒロインで、可愛さのための残念さではないあたり別格。
 『みここ』では、お金にふり回されて、言行不一致で、悪癖だらけで、しょうもない華蓮のキャラをほとんど手当たり次第に描いてくのだけど、ギャグシーンたたみかけによる調性の取れてない感じのシナリオがまたそれとよく足並みを揃えてる。そうして頭で考えたら少しの弁解もできないところまでお話を持って行ってから、心のちんこへと訴えかけつつ「もうしょうがない。だって華蓮だから!」と笑い飛ばしてしまう。もしかしたら、あのギリギリのところで一笑に付すことこそエロゲならでは取り得だといえるかもしれません。お値段バカ高くて、話にまとまりがなくて、旧弊だらけで、しょうもないエロゲならではシナリオ。すっかり財布が寒くなったから思わず腹かかえて笑ってしまい、それでもって懐が温くなるというのは、なんともエロゲに似合いのお話だと思う。

 "残念系"なヒロインを立て続けに見たりするとわたしがモヤモヤしてくるのには、華蓮のような本当にダメな人のお話がそれと混ざってしまいそうなことへの抵抗感もあるかもしれません。
 華蓮は必死に考えながらも、休まずたゆまず見当違いの方向へと突っ走ろうとするバカでしたが、その考えは休むに似たりでして、ずっと同じところで全力疾走の足踏みを続けるようなシナリオになっちゃってる。そのバカっぷりにはどうしようもなく共感してしまった(笑)
 その経験をふまえると、"残念系"ヒロインたちがシナリオ上の問題と残念さと萌えポイントを束ねながら順序よく話を進行させてくれるのにはコレジャナイ感が頭をもたげる時々があって、プレイヤーから「残念だ!」と言われて物語が完成するのではなく、製作者が「ここが残念ですよ」って笑顔で完パケを出してくるのにも違和感がつきまとうような。
 「Aちゃん可愛い」「Bちゃんのがカワイイよぉ」とヒロイン相互に褒めさせないで、わたしに可愛いと言わせてみておくれよ……となる置いてけぼり感がしばしばあるように、「ここが残念ですよ!」というウリ文句でどこが残念かを決められてしまうと訝しんでしまう。プレイヤーの好悪をあらかじめ決め打ちするようなキャラ作りというのは、シナリオを強固にすると同時に、感情移入を妨げるひとつの障害にもなるようです。


 わたし自身が"型"の強いものを好むことが多いためか、なんだか自信ない物言いとなっちゃいました。
 腹を割って話すと(くぱぁ)『みここ』についても熱心になれないルートの方が多かったことですし、残響さんとはエロゲの興味分野がわりあい異なるよう思います。それだけにこのような機会を持てるのは良いものですし、頻に語りたいこともなくES以外には出没してないわたしにはなおさらのこと。『キミへ贈る、ソラの花』感想含め、他のご活動へ差し障りないくらいにでもお相手していただけるならありがたいです。

 さて。
 カルロス・アギーレ。最初に聴いた曲で民族音楽のルーツが強いのかと思ってたらそのうちジャズの匂いがぷんぷんしてきたりと、色とりどりな印象。ラテンにある極彩色を何とか理解しようと努め、それでもついには考えを休めてそのランドスケープを見つめてしまうようなバランス感、謙虚さを感じました。好いですねー。
 そして、あちらで教えていただいたバド・パウエルの録音( https://www.youtube.com/watch?v=PVNtHCnPUZw )。鼻歌うっさぃwww いやまぁ、来歴からすればわたしに悪趣味な草を生やされるような話ではないのでしょうけど。
{
>ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい。
(カート・ヴォネガット『国のない男』)
}
思い出しました。ともあれ、こういう録音にはやはりどこか惹かれてしまうようです。日頃はジャズとか射程外なのですけども、いい感じにひっかかったことですし耳慣らしも兼ねてポチってみました。多謝です。
Sek84832014年11月02日

85キスよりさきに恋よりはやく (SkyFish)
時間モノならではの純愛物語やカタルシスを期待すればガッカリすること間違いなし。作品構成もアクロバティックで、共通・個別のお約束に馴染んだエロゲプレイヤーに酷く不親切ですが、「純愛・浮気両立の正当化」という作品主旨は十二分に書き通せており、濃厚多彩なエロシーンの効果も相まって、本妻と愛人を都合よく入れ替えながらも罪悪感薄く堪能できるエロゲに仕上げられています。スタンダードで良質な萌えゲーをご所望の方は要回避。その作品だから楽しめる、オンリーワンの萌えゲーをお求めの方にこそオススメしたい異端作です。ただ予備知識として、真っ当なタイムリープ・平行世界モノを最低1作品頭に入れておくといいかも。タイムラインの整理が容易になり、よりスムーズになるので。 → 長文感想(5428)(ネタバレ注意)(10)
総プレイ時間 : 12h / 面白くなってきた時間 : 6h
最新レス あとちょっとだけお邪魔します。

 『キス恋』64点は……誤審ですね。いやそも審判でもなんでもない、わたしの偏好ぶりがさらけ出されただけのことですがw 当時は疲れた頭でプレイしていて、短所ばかりに目をやる読み方してたのも点数へ反映されちゃっております。


 ちなみに、タイムリープ要素が脇役として作られているということには同意です。『はるとま』のサトリ病なんて"主役を立てる副次要素"としてすんなり見れているのですが、泣きゲーに慣れていたからこそなのかも。この点についてSkyFish製作陣は意図して抑制していそうです。
 付け加えておくと、SF小説みたいなメディアではSFギミックが主題であるのでそこが読み解こうと試みられやすいですが、エロゲの副次要素となると、主題となるのはあくまで女の子。その結果、「私が知ってるタイムリープと違う!」と片手間でもってなされる、どないせえっちゅう反応がされる側面もまたあるだろうと疑います。

{
>sense off
>すば日々
>どこまで手を引っ張って貰いたいかという話
}
 元長ゲーでひとつだけプレイしたのは『猫撫ディストーション』ですが、「そんな同時に色んな方向へ話ふられても困るー!」といった感じになって、遊べたわりには評点を低くつけてます。物語の意味するところが豊かすぎて、導線がついていない感じ。猫も、木々も、森羅万象が言葉をしゃべり出してこちらの思索を誘うところには、ファンがつくのも納得の広がりでした。ただ、わたしに全体のバランスは見れてないなぁというのが正直なところ。主人公が幼稚というか、プリミティブであろうとしてるところに乗れなかったのも大きい。
 一方で『素晴らしき日々』については、おっそろしくウェルメイドな物語の流れに感心したところがあったりします。ざくろや希実香のことをちょっと宙ぶらりんにしてでも、途中からスタイルを転調させて、わかりやすい感動へ向けてやりくりをつけていった器用さ。田中ロミオ作品なんかもその類ですが、プレイヤーがあぐらをかいていても本質まで運んでいってもらえるカッチリ組まれた作品というのを高く評価するくせが、わたしにはありそうです。
 amagiさん言うところの"温度差"には、そんな風にしてなんとなく同感です。

 「エンターテイメントは型が決まってるから先が読める」「現代文学はなんでもありでおもしろい」と言ったのは『夏めろ』(萌えゲー&抜きゲー)の水上秋でしたけど、わたしは「マジかぁ秋ちゃん、すげーな秋ちゃん」と唸っておりました。
 彼女の場合にはあれくらいの年頃らしい浅はかさを含んでいて、その後の彼女のエゴのふりまわし方を見ていても、現代文学をいったいどんな目線で読んでいたのか想像もつかない。でも自分だけが齢をいくつか進め、以前ほど本も読めなくなり始めると、その青臭さにまぎれた輝きはいっそう増していくよう感じます。

 (通説ではないにせよ)多数意見を拾ったつもりで先のリプライは書いたのですが、読み返してみるとそこにある、したり顔でみずから煙幕を焚いてる感じが、転じて『キス恋』みたいな作品を押し殺すことにつながっているのかなとも、ちょっと悩む。何にせよわたしがタイムリープ要素ありきで見ていたところへ、「ユリイカ!(訳:これは浮気ゲーです)」と叫んでいただいたのは、頭の中のモヤが晴らされるようで痛快でした。


{
>グランドルートでのスミレ先生とまつりちゃんが台無しすぎるw
}
 え゛……? (確認中)
 うわぁ! まつり=瑠伊か! 気づいてなかったww
 いや、ほら、声優非公開だし、声づくり違ってたじゃないですかっ。にしても、聞き取りもできないのに『キミソラ』感想で桃也みなみさん褒めちぎってるわたし、とんだマヌケ野郎ですよw

 では、お後がよろしいようで(訳:SkyFish作品がもっと語られますよーに)。
Sek84832014年09月19日

85キスよりさきに恋よりはやく (SkyFish)
時間モノならではの純愛物語やカタルシスを期待すればガッカリすること間違いなし。作品構成もアクロバティックで、共通・個別のお約束に馴染んだエロゲプレイヤーに酷く不親切ですが、「純愛・浮気両立の正当化」という作品主旨は十二分に書き通せており、濃厚多彩なエロシーンの効果も相まって、本妻と愛人を都合よく入れ替えながらも罪悪感薄く堪能できるエロゲに仕上げられています。スタンダードで良質な萌えゲーをご所望の方は要回避。その作品だから楽しめる、オンリーワンの萌えゲーをお求めの方にこそオススメしたい異端作です。ただ予備知識として、真っ当なタイムリープ・平行世界モノを最低1作品頭に入れておくといいかも。タイムラインの整理が容易になり、よりスムーズになるので。 → 長文感想(5428)(ネタバレ注意)(10)
総プレイ時間 : 12h / 面白くなってきた時間 : 6h
最新レス わたしの休日は『キス恋』に捧げられました。こんばんはSekです。
 確かに、この作品は浮気ゲーとして楽しむのが手筋ですね。だがっ、有海ぃ……。いえ、綺麗な結末なのですけど。本妻つよすぎですっ。

 ひとまず、amagiさんにはひとつお礼参りせなアカン思うとることが。あのー、先日『キミへ贈る、ソラの花』をプレイしたのですが、すみれ先生(cv藍川珪)の声を聞いたとき耳より先に子宮がキュンしちゃったんすけど…………その節は、ありがとうございました。
 『X Change Alternative2』あたり妙に気になってます。件のTSエロゲにおいて、自分が別のものへ変わっていく不安感と喜びがエロと結びついていたところに目覚m……ごくごく若干ながら興味を抱いてしまった。ガチのTS読みになることはないと思いますが、ある程度シナリオの練られた作品をちょっと味わってみたいものです。

 続いて、dovさんの『ドコドナ』の紹介が完全にオレ得でした。実は、同じことdovさんに伺ってみたかったのです。そして、えびさんの感想も読んでにわかに興味が。mixed upの後身だったのかー。彩夏(cv上原あおい)が手堅いシナリオやってるのかー。アニメ塗りに惹かれないので考慮外だったのだけどなー。


 さて、本題。
 『キス恋』を読み解けなかったユーザーのひとりとして発言しておきますと、タイムリープの凝り固まった不文律、萌えゲーグラの外見という二点に加えて、この作品の示すところの"浮気"が、浮気ゲーの要素であった背徳感をまさに消したことで、より馴染みない性癖となっていたという事情もあるように考えます。

 一般にお話のプロットが組まれたとき浮気がその中心に据えられるならば、いつバレるのか、誰にバレるのか、という点に目が向けられることになるでしょう。物語に銃を登場させたならそれは撃たれなければならないし、浮気を登場させたならそれはバレなければいけない。
 そんな浮気だからこそ密かに楽しみたいのであって、悪いコトしている背徳感のない浮気というのはどこか物足りないような。『WHITE ALBUM2』でなされていたように、それをプレイしてから「心が痛い」と言いたいユーザーさんは多いように見えます。浮気については罪悪感・痛みが伴われなければお話をうまく納得できない、そんな固定観念は広くあるでしょう。
 この作品の見せる、背徳感を軽減した"浮気"というのは、わたしの知る浮気とは異なってしまっています。そこから新しい快楽を見い出し得るのは確かなのですが、その"浮気"はおそらく、ひとつのファンタジー性癖とも化している。だからこそフィクションとしては、プレイヤーにより柔軟な想像力を求めるものになっていると感じます。"妹"みたいなファンタジー生物ほど見慣れてもいないですしね。
 昼メロを喜ぶ層におそらくこのプロットが受けないだろうことと同様に、(わたしのような)テンプレ好みのユーザーがこの作品を正しく受け取れなかったのは、「設定を用意して、言い訳して、ここまで妥協した」からこそ、一般的な意味での浮気でなく新境地のファンタジーな性癖になっていたからこそ、より理解し難かったのではないでしょうか?

 好きこのんでプレイしておいて何ですが、SkyFish作品にある性の放縦にはよくびっくりさせられます。あまりに自然体でなされていて、あまりにも無邪気です(その点ではQ-X作品にも似ているような)。そこをうまく受け取れるのかはユーザー次第なのですが、"浮気"や"ハーレム"を正当化する際にとられるSkyFishの手法はさほどユーザーフレンドリーであるようには見えません。(少なくともこの時期の)SkyFishのお家芸であるハーレム全肯定でのキャッキャウフフは、一見するとユーザーの欲望に応じているように見えつつ、かなりの数のユーザーを弾き出すこととなる上級者向け空間になってしまっている。
 また、ギミックが簡明であり目的にとって必要十分なものであるゆえ、そのシチュエーションにはプレイヤーへの接待感が出すぎていて率直には受け取れなかったりもします(面倒くさいユーザーだww)。『はるかぜどりに、とまりぎを。』のサトリ病もまた「設定SUGEEEEE!」言うことの出来ないギミックであり、まさに病弱ものエロゲがためにサトリ病ウイルスがいい仕事してくれたようなギミックに仕上がっている。元より実在するわけでもないタイムリープなどのファンタジー・SF設定を簡明に説明しきってしまうのって、功罪ありかと思います。科学論文じゃないのだから、オッカムの剃刀をあてすぎると物語の余白をも一緒にそぎ落とすことになってしまう。
 そのあたりとも通ずるところとして、SkyFish作品のテキストは簡明に、コンセプトに沿って、疑いようもない状況説明もしてしまう。例えば本作の、乙姫との初夜後のモノローグ。
{
>強く抱きしめたのは、一瞬浮かんだ不安のせい……
>まるで今日のことが、乙姫ちゃんといることが……
>いや、乙姫ちゃん自身が夢なのではないかと思えたから……
}
このあたりのテキストが状況を整理しきってしまうところ、含みの無さは、比喩の持つ(誤解含みの)意味の広がりを楽しみたがるわたしのようなユーザーとしては、もったいないなと感じたりもします。

 そのような饒舌にならない語り口でもって、あるがまま、あっさり性の放縦を描かれてしまうと、心の準備がないところにエロを見せつけられたようで焦ってしまうのです。あれです、家族のお茶の間にTVドラマがお色気シーンをぶっ込んで来たときのそわそわしてしまう感じに近い。乱れたエロは好きだけど、そこにはもっと段取りをつけておいて欲しい。これはわたしがムッツリスケベだからこそでして、ユーザーさんごとの性癖、頭のカタさによって違いの出るところ。
 ただ、SkyFish作品への感想を読んでいくと、自分のエロへの倫理観と照らし合わせて作品について行けないと感じている、そんな風に見受けられるユーザーさんは少なからずいらっしゃいます。SkyFishがひどくハードコアなエロを押しつけてくるわけでもないわりに「何この無節操ハーレム」と辟易されてしまうことがあるのは、萌えグラフィックやキャッチーなSF要素などによる萌えゲーとも抜きゲーともつかない市場でのセグメントの取り方に加えて、テキストが整然としているところにナチュラルに破綻した倫理観が合わさることで不安を覚えるプレイヤーが一定数いるためとも疑っております。
 いっそ、softhouse-sealのように抜くためのものとして完璧におバカなギミックを設定しておくなら「わかり易い」のだけど、SkyFishのする淡々としたギミックの用い方はどこまで本気なのか「わかり難い」ところがある。ハーレム全肯定や罪悪感のない浮気が素直に楽しまれないところには、ユーザーの頑なな性向と、外連味がなく簡明なテキスト、双方での理由があるように考えます。

 それでもSkyFish作品に独自の魅力があるのは確かで、コンセプトのわかり難さとのトレードオフで得られているものもまたあるような気がします。わたし自身も『はるかぜどりに、とまりぎを。(1st)』あたりでは妙な面白みを味わわせてもらったりもしていますが、かなり妙ちきりんな勝負球を投げてくるメーカーです。そのきわどい球筋も、どこまでコントロールされたものなのかはけっこう怪しくて、職人気質に細部が作り込まれているところから、わたしが勝手に読み込んだ部分も多い気はしていますけど。


 好き勝手に話を拡げてしまっておいて何ですが、よくわかっていなかった作品に筋道を示してくださったamagiさんには感謝です。dovさんの合いの手のおかげで色んな作品への期待も高まっております。
 では、失礼を。
Sek84832014年09月16日

76俺が♀で彼女が♂に!? 気弱美少年と完璧美少女がChange! ~出さないで! 自分のカラダで妊娠させられてイっちゃう!~ (Norn)
ただただ有名どころばかりをプレイしてきたぬるぬる萌えゲーマーです。こちらの作品で、TS童貞……というかTS処女を散らしました。 → 長文感想(3957)(ネタバレ注意)(2)
最新レス 先日、数本の萌えゲーを買い足しまして(『ころげて』含む。なぜバレたし)、どれからプレイしようかなとワクドキしてる時、静かに熱量を発するamagiさんの感想が目に入ってしまった。自分がTSエロゲに手を出すことはないと思っていたからこそ未プレイでも読み物のつもりで全文読んだのですが、桜花が「好きだ」と告げるかのような作品へのストレートな愛情表現に濡れかけました。次いでimotaさんの感想に爆笑しつつもamagiさんとの微妙な視座の違いがどうにも気になったりするうち、思わずポチっとな。先週末は雪都さお梨のチュパ音で耳を幸せにする予定だったのですが、気づいたときには自分がフェラさせられるはめに。とてもよい買い物でした。

 「エロ要らね」とか言われてしまうことも多いジャンルのエロゲばかり好んでプレイしているわたしなのですが、抜きゲー、特にニッチ作品のレビューには屈託ないユーモアで魅せる変態紳士の手によるものをよく見かけ、隣の青い芝生として憧れを抱いていたりします。
 本作についても、takanashiさん、tenlyさん、meroronさんの感想も余さず読み、楽しませていただきました。そこでせっかくだからと自分でも書いてみたのですが、どうにもこうにもロジカル。わたしのようにクソ真面目な書き口をとるユーザーが、まるで知りもしないジャンルの作品を言葉で切り刻んでしまうのが申し訳なくてビクビクしていたところだったので、ご好意あるレスをもらって実はかなーり胸を撫で下ろしてたり。
 感想を上げるのは毎度どうにも気後れします。『魔女こい』はなんか考察系らしいので、仮にプレイしたとしても、妄想を手前勝手にひけらかしてしまいそうなのが怖くて他の方のプレイが一段落するまでは感想を上げられそうにもありません。まして『らくえん』は長文感想に書いてしまえば何かを損ねてしまいそうで、無理、無理です。


 さて、TSエロゲについて。
 amagiさんが、どちらの視点で臨むかはプレイヤー次第と言うところをふまえると、「テキストが女性視点の冥利を盛り込んでいるのにもかかわらず、他要素を美少女ゲームとして構成している」というのは欠点でありながらにして、TSの肝要なところなのでしょうね。今回のプレイでは、エロシーンに興奮して頭のネジが外れながら自分がどちらの性に視座を置くべきなのかわからなくなっていく瞬間にその魅力が凝縮されていたように感じたのですが、それを引き起こすには女性視点と男性視点の混在は避けられない。しかし女性視点を強めると本作のようにホモ臭くなってしまう難がある。このあたりには構造的に避けがたいジレンマが見えます。
 ひるがえって、普段はひたすらにご奉仕フェラ音を聞かせて貰うだけのプレイヤーとしては、瑠伊(♀)視点に入ってしまうことで妙な安堵というか、「わたしは女の子のキモチだってわかってますよ。ふふーん」という満足感を得てしまいました。ちょっとした"みそぎ"ですね。理想的な女神ばかりがわたしたちを迎えてくれる美少女ゲームは、それゆえ本当の女の子を描くのが苦手というまたひとつ別のジレンマを持つのですが、TSのギミックはそこについて(解消はしないにせよ)上手く避けてしまえる利点を持つのではないかと考えました。考えました、たったひとつ作品をプレイしただけの人間が(笑)

 知ったふうな口きいて恥の上塗りをするのはもう止しておきますが、いくつかの点で面白い刺激を受けるプレイ体験となり、しかも素直に言ってプレイは楽しかったです。なにぶん食わず嫌いをしがちな者でして、amagiさんの押しつけがましさのないレビューに背中を押していただけたこと、ありがたいです。
 それでは、わたしが気兼ねなく得点つけられるくらいまで本作のデータ数が集まることを願いつつ失礼します。
Sek84832014年06月09日

65羊の方舟(非18禁) (工画堂スタジオ)
何とも後味の悪い鬱ゲーですね。読後は何ともいえない気持ちになりました。傾向としては商用作品よりも、数時間で終わる同人・フリーゲームに近いかも。全年齢ボイスレスな点には要注意です。(2014/3/21小説版の感想を追記。) → 長文感想(2263)(ネタバレ注意)(4)
総プレイ時間 : 6h
最新レス お二方のやりとりを端で見てたことから、ゲーム再開して小説版まで手を伸ばした者です。amaginoboruさん、dovさんに一言お礼申し上げたくこの場をお借りします。ありがとうございました、おかげでエロスケ唯一のgiveupユーザーから脱却したよ!

 話の構成などにはやや難があるよう思いますが、なるほど、メディアミックスの妙味が見て取れる両作品です。
 小説版の結末のつけ方などに関してはamagiさんの的確な評にひたすら肯いてしまうとして、個人的には、キャラクターたちがほんの少しずつ対話をするようになっていたのが嬉しかった。生死の理由ゲームで追加されたテキストである「猫を……そう、飼いたいなって思うんだけどさ」「じゃあ俺は犬を飼いたい」「ふざけないでくださいウォルシュ」の流れとかです。両作品を通してよくコントロールされた書き口が続くので、キャラクターがふざけている姿に一息つけました。それはまた、小説の尺に収まるためにと角のとれた凡人に近づいた印象ではあって、もし小説版のみ読んだなら「デレるの早いなー」と味気なかっただろう描写も、ゲームを踏まえるなら、"あるひとつの物語"に凡人として居られることの有り難さを感じるものとなっていました。

 普段、ノベライズなどはなるだけ避けているもので、良いきっかけをいただけました。感謝です。ではでは。
Sek84832014年05月23日

83向日葵の教会と長い夏休み ()
詠がおりこうだったように、雛桜が大人の事情に聡いように、色んな要素を考慮しつつ必要なところをちゃんと満たした作品。必要に応じておりこうに削られた細部とか、大人の事情もあって後回しにされたエロなんかが、ちょっと惜しいように感じられます。 → 長文感想(21333)(ネタバレ注意)(4)
最新レス お話を伺っていると、わたしのエロゲ感想にはその頃の匂いがいくらかあるのかもしれません。
 まだ十代の頃、Web上で葉鍵の二次創作SSを読んでいたことがあります。初めてエロゲの世界に触れたのがそこからでして、まだひそかに記憶に留まっているお話もあったり。ゲームそのものは全然知らなかったわけで、考察とかまではちょっと読んだ記憶が無いのですけど。これまでこのようにして人に向けた文章を書いた経験は無かったのでエロスケでの感想作りが新鮮なのですが、ぽつぽつと書いている短文感想にやたらと会話文が出てきていたりするのは、葉鍵SSがエロゲへの入り口であったことの名残なのやもしれません。

 わたしの感想を書く動機にも、自分を納得させたり何かを忘れないためのメモ的な感想というvostokさんに似たところがあり、プレイ本数が減っていくなかで、いくつかの好きな作品の不可解なところを文書にして考えたり、形に残しておきたくなったためです。そんな目的のため、こじつけてでも作品を良きものとして解釈しようという傾向はあるかもしれません。客観的な作品評価も考えはしますが、そこは投げうってしまうことも多いです。そして将来的に自分が見返すことがあったときのため、なるだけわかり易いように。
 あと、やっぱり、いっぱい誉められたいだけです(笑) そのうちにはわたしも投票機能とか使ってみます。

 vostokさんのお名前をはっきりと覚えたのは『春萌』感想においてでした。沙緒さんと"密語"の話( http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=7221&uid=vostok )。
 いつの間にやら上の方へと流れていってる感想本文を読み返すと「なんでノドグロ食べてくれなかったの?」と言ってる"わたし"って、なんか幼稚化しているようではあります。同じエロゲーマーのなかでなら誰かが耳を傾けてくれるだろうと期待して、おりこうになれない言葉を発している。そうして微妙に幼稚化してでも、密語コミュニケーションに失敗してでも、飲み込みにくいプライベートな言葉を届けようとあがいたことで、誰かへ言葉が届いたような感触をこうして得られたのかもしれないなと、ちょっとそんな風に思いました。

 それでは。
Sek84832014年05月11日

83向日葵の教会と長い夏休み ()
詠がおりこうだったように、雛桜が大人の事情に聡いように、色んな要素を考慮しつつ必要なところをちゃんと満たした作品。必要に応じておりこうに削られた細部とか、大人の事情もあって後回しにされたエロなんかが、ちょっと惜しいように感じられます。 → 長文感想(21333)(ネタバレ注意)(4)
最新レス ヒロインボイスについては、vostokさんにどのように読んでもらえたのか、いちばん気にかかっていた箇所でした。
 vostokさんの感想が『ひまなつ』へのひと押しだったこともあり、実はあの箇所を書くときには、以前にマルセルさんの『ワンコとリリー』感想でimotaさんも交えてなされていた"ワルツの比喩"その他の話を思い返していました。音楽への素養が足らなくて内容は噛みくだけずにいますが、それでも面白く、単純なテキスト読みとはまた違った言語でエロゲを考えるためのひとつの手引きとさせてもらっていました。もっとも今回のわたしの場合そのまんまに音声を語っているわけで、直接のつながりは無いのですが、セリフと結びついた単線的な解釈から離れる発想はあそこから真似たように思っています。
 さて『すば日々』について、テキストでもって考えうる領域がどこまでなのか、あるいは"ワルツの比喩"のような音楽的な言語をもって考えうる領域がどこまでなのかということの線引をわたしの耳目はまるで捉えられていません。わたしの素養が足りないことに加えて、エンタメ作品としてよく出来てるからもう全部を物語のお約束に落とし込んでしまいたくなって、頭は余計にこんがらがります。そのことはちょっと残念だけど、『シラノ』だけ既読で、哲学書なんて読んだことない人ですから(後日に届いたAmazonの箱には野矢先生のアンチョコも同梱してもらっておきました)、物語を読めればもうそれで満足してしまいました。次のシーンなんて大好き。
{
>【希実香】「さぁ、神様、ここです。この天秤にお乗り下さいませっっ」
> 【卓司】「はははは、どんな組み合わせだよ……なんで奇跡と旋律なんだよ」
>【希実香】「そんな事ありませんよ―。神様は旋律ですって!」
>【希実香】「神様は旋律なんですよー」
>【希実香】「私、今分かりました! 神様は旋律ですよー」
}
 でも、希実香の言葉には完璧に肯けてしまった。『論考』とか読んでいなかったわたしでも。そこから転じて、ひとつの試みとしての"ワルツの比喩"みたいなアプローチにはちょっと興味があって、音楽的な認識というやつにいくらか慣れることができるようになれば、神様の姿とかまではやはり想像できないにせよ、エロゲへのサブチャンネルが開けたりして面白い景色が見えちゃいそうだなくらいの好奇心があります。
 以上のような経緯があって、最初は話の枕にだけしていた雛桜の声の話はひとつのトピックへと膨らんでいきました。というより、ざくろの声が過剰なまでに二次元のキャラクターらしくある存在感を放っていることがずっと気になっていて、そこへ結びつけられる手がかりをたまたま雛桜からは拾い出せました。しかしあらためて読み返してみると、その時に聴いていたKoRn「Twist」のせいで、唐突にぶっ込まれることになったロック歌手の話とか浮いてますね(笑)。声の語り方どころかエロゲの語り方そのものも暗中模索のところ、どれくらい強度のある説明なのかは自分でもまだ疑いつつですが、誉めていただいたことにひとまずホッとしています。

 話は変わり、vostokさんの文章は詩的で好みです。別におだててるわけでもなく、行間が広くとられて意味豊かなところを楽しんでおります。正直なところ、あのような文体へは憧れもあったり。しかしまぁ、自分の手もとに配られたカードで勝負するしかないでしょうから、なるだけ簡易でわずかに豊かな文章を書けるようになれたならと思っております。楽しかったので、また機会を見つけたら長文感想やってみたいです。今回は、危うく忘れてしまいそうなほどおりこうな詠に愛着がついていき、安心できました。
 感想投稿した翌日のことなのですが、vostokさんの感想をふらふら読んでいると、『はつゆきさくら』感想で何かがカチリとはまり、思わず声をあげて笑いました。そう言えば、シロクマはロシアでしたね(すごい納得の仕方だ!)。昨年、エロスケへと来た頃に『はつゆき』感想をひたすら漁っていた時期があったのですが、その時にしっくりきた文章だったのでよく覚えていたのです。あぁ、この文章もこの人の手だったのかと、感慨深かったです。でも実はお名前は覚えてなかったという失礼を。リアルでも、人の言葉は忘れないのに顔や名前は忘れてしまうのでよく叱られてます。もう覚えました。
 つまらない話も添えておくと、「Sekさん」と呼んでいただけたことで妙に喜んでます。「せくはちよんはちさんさん」ベッタリとした響きです。点数だけ入力して消えるつもりで本名短縮+テキトー数字のいかにも匿名なアカウント名とったものの、ご覧の有り様で、なんだか後ろの数字が邪魔にも思えてたり。

 レスをいただけたことで舞い上がり、浮かれ調子にまくし立ててしまいました。ひとりの方へと向けて喋るのは楽なので、ついつい。それでは、よい作品との出会いがありますように。
Sek84832014年05月09日

29はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
素点は79点だが前代未聞の真似をやらかしている。萌えゲーとしてはかなり致命的な欠点で、私はどうしても許せなかったので50点を減点した。これから購入を考えている方はかなり大きな地雷があることを覚悟して欲しい。これ以上はネタバレになるので詳しくは長文感想で。長文感想では先に50点を減点した理由を書き、後に素点を79点とした理由を書いている。 → 長文感想(31451)(ネタバレ注意)(18)
最新レス モイ!
 寒気ことのほか厳しくも、Q-X『こころリスタ!』の足音がかすかに聞こえ始めたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。新作発表にあたり、朗々とまくしたてながら鼻息も荒く小躍りするQ-Xのまわしもn……善良なユーザーの方をお見かけしたことを奇貨として、昨年の暮れは『こころナビ』をさわっておりました。

 わたしとしてはこんな間が空くのは、それはそれで楽です。これまでの発言をいったん忘れちゃって、頭ごちゃごちゃにならずに済むので。
 以前に、自分の感想も出来てないのに『はつゆきさくら』のことをぐだぐだと書きつづったのは反省しております。またやります。申し開きはありませんので、困った人だと思ってください(特に、もしもdovさん以外にこれを読んだ方がいらっしゃるなら)。


 ※第三者の方へ。『神樹の館』『ナツユメナギサ』『キサラギGOLD★STAR』『さくらむすび』のネタバレが含まれます。


 1,『神樹の館』、田中ロミオと『はつゆきさくら』のファンタジー
{
> 神樹の館を「考察」してる方を時々みかけるのですが、ありゃ別に考察するような作品じゃなく、双子ロr……紫織さんに萌えて秋成に燃えるだけの作品だと思うんですけどね。
}
 わたし自身のプレイはdovさんに近いのですが、考察している人もなんだか楽しそうだなー、と思うあたりには温度差もありそう。考察というと普通は物語を俯瞰することになるのですが、この作品では「考察」と「燃える」ことが主人公のなかで混然となっているために、考察しているユーザーさんって実は上手く視野が狭くなって物語に入り込めているのではないかとか考えます。
 ただ、とっつきにくい感じのテキストと道具立てが食わず嫌いにつながってしまっていたので、素直に燃えたい/萌えたいという人をもっと呼びこみたかったのは確か。田中ロミオも、そして希も「何か私の貴重な主張をシナリオに込めたい」というよりは「文字、書きてぇ」という欲の方が強いライターさんに見えますし、特に、田中ロミオについてはアカデミックな香りのする題材を王道エンタメにまとめていくそつのなさこそ彼の真骨頂。もちろん真骨頂とは言っても、伊美の腹部、その白に淡く陰影をつける神秘的な肉の薄みについての筆致を除くならばの話ですけど(マジ顔)。

 わたしは秋成が飲んでいたお酒について"よもつへぐい"とか聖体拝領みたいな意味があるのだろうと決めてかかっていたので、竜胆ねえさんに「紫織はあなたに美味しいって言ってもらいたかったのよ」と教わったとき、目からウロコが落ちました。知識をひけらかす癖のある田中ロミオ、あるいは言葉の味わい深さにひたってしまう希の自省も入っているのかと勘ぐったり。
 物語がこういったミスディレクションを含んでおくと、「俺の頭TUEEE」をする痛いユーザー(わたしです)は良い加減に肩の力が抜けます。あのお酒にあった意味のない好意は、わたしの大事な経験で、物語のすみずみにまで意味を嗅ぎ出そうとすることのみっともなさをやんわり思い知りました。

 田中ロミオの哲学と、『はつゆき』の説教について。
{
> 紫織「この世に迷いこんで、育って、官吏や会社員や、学者、芸術家、労働者、教師に歌手、他にもさまざまな者になるんです」
> 初雪「この世にあるもの、全部から逃げ回ってると、そのうち肉体はこっちにあるのに、肝心の魂は……どこか、別のセカイにいっちまうんだよ」
}
 わたしなりに言いかえるなら、ファンタジーの在り処の違いとすると捉えやすかったです。田中ロミオが描きたいのは"この世のファンタジー"であるのに対して、『はつゆき』の視点からは"あの世がファンタジー"。

 まず、田中ロミオの物語には、社会のメインストリートから外れた人間がどうやって生き抜こうかというテンプレがある。『家族計画』の高屋敷家とか『CROSS†CHANNEL』の群青学院のような、社会の内にぽっかりと生まれちゃったファンタジー空間が舞台で、土地の登記が問題になったり精神科病棟みたいだったりと、その土台となっているのは現実社会。そして登場する人たちを見ると、傷ひとつない履歴書を用意することはすでに叶わなくなっていて、社会の日の当たるところとはルールが異なるその場所でどうにか生活をするストーリーとなる。(『神樹の館』が田中ロミオ作品として典型的かは微妙ですが)真珠邸にしても、秋成のような書痴にとっては確かに手に触れられる異界ですし、最後にも"古い美しいモノ"はひっそり今生に留まります。"この世のファンタジー"。
 ここで『はつゆき』に話を移すと、ランエンドやGhostParade綾エンドはどうにもバッドエンドらしい。そして唯一の正答であるGraduationまで辿り着けば、初雪は学歴にも前科にも傷ひとつなく、なんだかんだで広がった友達の輪、いつしかはFacebookで「殺すぞ」とかやってあずまや希にキャーキャー言われてるかもしれない。妬ましい。そのまま炎上しちゃえよお前もうっ!
 ……とり乱しましら。つまりは、初雪は明るいお天道さまのもとに戻ったのです。『はつゆき』は社会の外にあるファンタジー空間に迷い込んだお利口さん達が、現実世界(それもおそらくはホワイトカラー社会)に復帰するまでがストーリーになっている。つけ加えると、『はつゆき』でゴーストからの卒業が求められているのと同様に、『ナツユメ』では全てのファンタジーが消えることによって歩たちは現実で前に進めるようになる(わたしの解釈より)。dovさんが触れている『ONE』の"えいえんのせかい"もまた近いもの。"あの世がファンタジー"。

 さて、「内田川邊の風土やカスガはこの世のファンタジーでしょ?」という指摘がここで出来るのだけど、逆に、あくまでもあの世がファンタジーであったことが、ドラッグをばらまいても警察と衝突しなかったり、宮棟が人形劇をするだけだったりといった、彼らの薄っぺらい現実味を生んだように思えます。ドラッグ売るのなら暴力団だってもっと真面目にネマワシしたりと仕事しますし、供養をする坊さんの仕事もずっと生臭いもの。卒業した初雪がカスガの仕事(父親や桜の役割)を継ぐことはなさそうで、物語の終わりとともにカスガのことは別の世界のファンタジーとしてフタがされてしまった。もしかしたらランの心の闇にもフタをしちゃったかもしれず、彼女の結末はあまりにもスッキリとしていました。
 これについて、例えば『素晴らしき日々』などにおいても、消えるべきファンタジーをあえて滑稽に描いて見せるのがひとつの手法としてあったけれど、(a)『はつゆき』のファンタジーがどぎつい中二病だったこと (b)カスガと宮棟たちの薄っぺらさ (c)初雪のキャラ造形 これらは同じ手法を狙っていたようにも見える(あくまでもこの話は補助線であって、フツーに書き損じていたり「リソース不足」だったりがいちばんの理由ですけど)。
 何やら、VisualArt'sの様式美にある「ぼくたちはリアルへと還って行くんだ……(まあ還らないんですけどね!)」、あるいは庵野氏がアニメを作りながら言った「現実に帰れ」とは関わりがありそう。あと、どうにも現代社会に不満げな富野氏による『リーンの翼』のファンタジーとかどの辺りに在ったのやら。そこらへんはむつかしくてわたしわかりません。



 2, 『ナツユメナギサ』『はつゆきさくら』に対する『キサラギGOLD★STAR』
{
> 私がシロクマ関連を除けば『はつゆきさくら』を高く評価してる理由は「雰囲気ゲー」「キャラゲー」の部分が大きかったりします(他のサガプラ四部作についても同様)。
> Sek8483さんとはこの辺の見方にも差異が潜んでいる気がしました。
}
 わたしのその辺への感触といっしょです。『はつゆき』への評価ポイントはdovさんと同じくキャラが可愛かったことに尽きるのですが、それでも見方には差異がある。
 サガプラ三作(『Coming×Humming!!』未プレイです)のうちdovさんとわたしの評価の差がとりわけ大きいのが和気藹々とした雰囲気の『キサラギ』であるあたりには、その見方の違いが端的に現れているのかもしれないと考えました。『キサラギ』には『秋色恋華』により近い印象、けれん味の足りなさを感じたりもしたので。けれん味にあたるのは、泣き要素。

 わたしの場合、amaginoboruさんの『キサラギ』感想を読むと、納得するとともにやや反省します( http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=13423&uid=amaginoboru )。『ナツユメ』で評判を得たサガプラですが、そこから入ったわたしのようなファンは『キサラギ』を色眼鏡で見てしまったという指摘が正しいと思うのです。
 付け加えておくと、『キサラギ』には『ナツユメ』との共通点も多く、また、個々シナリオの品質管理という点ではぼろぼろだった『ナツユメ』から確実に改善されていたからこそ、「前作まぐれかよ、このクソブランドwww」というところまでの反動はなく、渚や桜がシナリオの人柱になって"泣かせて"くれなかった物足りなさが際立つこととなったように思います。

 サガプラ三作を並べてみると、『ナツユメ』や『はつゆき』はナツユメとかゴーストみたいな消えるべきファンタジーとそこに居た人々をあっさり消してしまったのに対して、『キサラギ』はそれに当たる下町長屋をどんな不格好なことをしてでも守ってみせた。そこは雰囲気の違いにかなり影響してそうです。(なお、わたし自身はナツユメについて違う感覚がありますが、たぶん一般化できないので置いておきます。)

 下町長屋(および商店街)は牧歌的に懐かしくて、あたかも発展から残されて時間が止まっているようでもあり、ナツユメ=下町長屋と置くと、サナトリウム=大型店舗みたいにはこじつけられる。そのこじつけの上で『ナツユメ』のシナリオがやらかしたこととの違いを見ると、『キサラギ』は誰ひとり取りこぼすことなく下町長屋とそこに暮らす人たちを保全したように見えます。
 『キサラギ』では幼なじみたちが協力して宇宙事業のことを隠すことで、いつまでも懐かしい日々が続いていくような下町長屋を維持してくれていたのですが、最終ルートで"月に手を伸ばす"選択をすると、二見はあの下町長屋を後にすることを決め、時間は前に進み出します。あのスタート地点の下町長屋にはもう戻れないのかもしれないという思いがよぎったりもするのですが、それでも下町長屋の人々はナツユメのように消えてはいません。
 二見はなんだかやけにあっさり月まで行ってしまったので、そこまでの距離感を「たかだかこんなもんですよ」と言いきられてしまったようでした。そして最後の最後にシナリオが月(地面からの見方)をお星様(宇宙での見方)と呼んだ瞬間、わたしはあの懐かしい下町長屋への距離もまた縮まったように感じました。こんなにも宇宙まで手が届くのなら、あの懐かしい町にも手は届くよね、と。これは空間の長さと時間の長さをごちゃ混ぜにしてしまっていますが、宇宙へとスケールを広げたなら、あるいはSFの文脈なら、そこの区別というのは案外につけにくいものです。
 前後作の『ナツユメ』『はつゆき』を考えるなら、かぐや姫などファンタジー文脈を意識するのが自然だけれど、これは別にどちらだってよくて、要はわたしたちにおなじみのスケールと違うスケールではどんな不思議なことも起こるかもしれないというわくわく感があれば良いのだと思う。エロゲも大好きな量子論(こちらは小さなスケールですね)を物語で扱うときくらいのSF観で、イーガン『宇宙消失(原題:Quarantine)』みたいな大仕掛けは楽しいし、『ドラえもん』みたいならなおさら良い。
 類例をあげるとLiar-Softの某作品(dovさんプレイ済)のラストがあり、こっちがポカーンとなる唐突なタイミングで視点が宇宙へと飛び出したことについても、そしてループ的な物語本体を宇宙スケールで包み込んで保全してしまおうという目的についても、同じ手法が試みられたのではないでしょうか。いずれの作品についてもわたしが勝手に思っていることですし、飛び道具すぎてちゃんと成功したようには見えませんが。

 そんなかなり強引な形でシナリオはプロローグ「流れ星になって~懐かしい彼らのもとへ」とつながり、下町長屋を守りきろうとしました。他にも、例えばいちかシナリオが、にちかも三剣士も使い捨てせずに物語に戻したやり方はどこか不格好でやはり強引なものでした。それほどに、この作品はキャラクターを消してしまうことをしたくなかったのだと思う。
 『ナツユメ』『はつゆき』と違い、『キサラギ』はサブキャラクターまで含めて誰ひとりシナリオによって決定的には損なわれませんでした。
 わたしは沙弥ルートがこの作品のメインルートだと勝手に思っているのですが、それは月がどうのこうのというよりは、選ばれなかった他のルートヒロインたちを物語へと丁寧に着地させていたことが理由です。『キサラギ』で好きなキャラをひとりだけ挙げるなら翼なのですが、沙弥ルートの彼女が恋に敗れても「ピアノに生きてやるわよぉっ!!(泥酔)」と二見やプレイヤーの前ではしゃぎきって観せてくれた姿が、作品を通していちばんキャラが光っていたようにわたしの目には映りました。いちかは女性であるより妹であるほうが彼女らしいですし、命は裏方を引き受けて友人関係を締めたり緩めたりしてくれているのが、とても彼女らしい。

 より違いが明らかなのはサブキャラクター。
 商店街の大人たちはお隣さんに向ける顔が明るく、思わず笑い返したくなるような稚気があって(「たいだるうぇーーーぶ」)、実際のエロゲ制作現場とかは知ったこっちゃないけれど、書く人も楽しそうだなプレイ中に思わせてくれるキャラ造形をしている。これは『はつゆき』でカスガや宮棟がどうにもぎこちなくて、書く人が楽しそうにはとても見えないのと対照的。
 『ナツユメ』ではシナリオを最後まで行ってしまうと、あの島の人々のほとんどが人間のニセモノであったことがわかる。Twitterのbotに本気で話しかけちゃってた的な不気味さであり、エロゲという、絵の女の子にオナるところでこれをやられるとなかなか怖い。でもそうとわかってみると納得もできる人々のそらぞらしさをサガプラはちゃんと作っていました。
 ここで試みに、あの『キサラギ』の商店街の人々がナツユメもろとも消えるというシナリオを思い浮かべてみるとそれにはかなり無理がある、というより想像するだに胸くそ悪いです。逆に言えば、両作品のシナリオの姿勢の違い、あっさりとキャラクターを手放すか意地でも拾おうとするかの違いが、『キサラギ』のキャラクターたちには体温を生んでくれていた。そしてこのキャラクターの体温こそが『ナツユメ』『はつゆき』とは違う和気藹々とした雰囲気のもとになっているのだろうなと思います。

 dovさんは『ナツユメ』の渚を完璧すぎるとも言っていて、わたしにもシナリオの全体像が見えるにつれて渚が聖人すぎて興味の持てないキャラクターになっていった印象があります。同じ感覚は『はつゆき』の玉樹桜にもあり、すごい良い子とは思うのですけれど、どこかの時点からわたしには好きとか嫌いとかが言えなくなってしまったというか。
 泣き要素になるキャラクターというのは、どこかシナリオが約束したポジションゆえに近づきがたいところがあります。消えるべきファンタジーの一部だった、カスガや宮棟(それに多分、ラン)、ナツユメの住人たち(ヒロインすら含まれうる)にもそれと似たことが言えるなら、『キサラギ』が下町長屋と商店街ごと、すべてのキャラクターを物語へとちゃんと着地させたことには、作品の雰囲気を決定づけたところがあるのかもしれません。

 こうして考えてみると、『ナツユメ』オールクリアでのほとんどが洗い流されきったような雰囲気が好きなわたしは、『キサラギ』を楽しみきれていなかったのだろうとあらためて思います。というか、これだけ喋っていながら「ぱぱら~」がまったく出てこないあたりの、わたしの四角ばった見方がなんとも無念。『銀河英雄伝説』ではムライさんとオーベルシュタインが好きです。何の話だ。



 3, 『さくらむすび』、桐山桜

 作品にあふれる善意と不気味におののきつつ、血縁関係とかに昼ドラ的な勘ぐりしてみたりした後、「無垢な好意って怖えぇ、そしてスゲェェェ」ということ以外はぜんぶまるっと忘れることにした作品なので、人とお話させてもらうにはちょっと理解が偏りすぎてるかもしれません。その上で喋ります。

{
> 桜の幼さもシロクマの「バカさ」同様、シナリオの都合から押し付けられたもの
}
 わたしは桜の幼さについて「シナリオの都合から与えられたもの」と考えます。ですのでdovさんとはシロクマについてと同様、決定的な一部分だけが合意できないという構図になるのかもしれません。
 dovさんが書いたものを読むと、例の作品にも出てきた"ルビンの杯"みたいに、ちゃんと同じ形を見ながらにして違うイメージを得ているようでありました。
{
dov「こんなシナリオじゃ、とても"ルビンの杯"には見えないよ!!」
Sek「その通りっす。これむしろ"ルビンの杯"に見えますよね」
}
噛み合ってない。なんか噛み合ってないっ。
 わたしとしては、シロクマは"子供"にあらず、桜はとても"子供"なので、桜の幼さがシナリオから与えられること自体には問題はない。また、ともすると桜の幼さからシナリオを作ったようにも見えていて、この作品のシナリオはときおり不格好にぶつ切れて、終盤には特にその傾向が見られるのですけど、それはキャラのためにシナリオが欠けているようでもある。そして、シロクマの成長が無かったことにされたような、明白なシナリオの身勝手は見あたらず、dovさんから指摘されてわたしが飛びついたVAの様式美のような"犯人像"も見えていないので、共通理解の材料に乏しい。
 ところが、それでもトノイケ氏が描いた桐山桜の幼さについて、何かよくわからないけどぎこちない、そしてどこか不快なものをわたしも感じます。「化け物」がいる。

 そもそも基本的事実がたいして分量の無い作品のため、かえって他のユーザーさんと解釈に折り合いをつけるのは難しい。
{
> (主人公の『妹』はプレイヤーからみたら赤の他人ですからねw)
}
という風にdovさんの言葉からここだけ恣意的に切り出すと、ひょっとして作品内のいずれかの『妹』のことを言ってるのかもしれない、とか勘ぐってしまえます。
 この作品はついにストーリーの核心を語ることはせずにおき、しかもそれこそが作品のテーマと結びついて核心になっている。「空気読め」とか言って可視化してしまわないほうが空気って強力ですし、だからこそ『さくらむすび』の不条理とか「化け物」は怖かった。
 そして語られない結果として、素直に萌える人とか、昼ドラ的な考察屋とか、シンボルとして解釈する人とかにプレイヤーは分かれて、そのどれも妥当なように見える。

 結局のところ、桐山桜について何か言いたいことはあったのだけど、言葉になりませんでした。むつかしくてわたしわかりません。何か言う前には、dovさんの書いたことを何度か忘れて思い出しておきたい気がするし、あるいはdovさんの『さくらむすび』感想の全体像の方に糸口があるかも。
 なのでわたしの笑いの発作への補足として、キモウトについてだけ。

{
> 桐山桜のとかすような笑顔に引き込まれて彼女に同じ人間とは思えないほどの子供らしさを感じた瞬間、笑いの発作に襲われました
}
 少なからぬプレイヤーが桜をヤンデレやキモウトとして捉えるのはごく自然なことで、dovさんの考えを支持するようにも思います。
 というのも、わたしは大人ですが(……だといいなぁ)、差別や偏見はちゃんとするし、物事の上辺をとても大切にしていて、そうであればこそ人づきあいも何とかなる。「差別や偏見にまみれていない、純粋でニュートラルな存在」「子供らしい直観で物事の本質を捉えることができる」というのは怖いです。ヤンデレやキモウトというラベルを貼り付けてしまいたい気持ちもよくわかる。前々回にコメントした"同じ人間とは思えないほどの子供らしさ"というのはこのあたりの気持ちも折り込んでいて、わたしとしては、かつて自分もそうだった子供という存在とすっかり断絶したように感じるのが、とても興味深いです。
 しかも、パーソナルスペースを"とかすような笑顔"の桜には思わず笑い返したくなるところがすごく不思議。桜には、圭吾を自身の延長として認識しながら所有や利害の関係を捉えているようなところがありましたが、わたしにはそれが嫌でなかったというか、この子を「私」の一部として含めてもいいかなぁ、なんて圭吾と似たようなことを思わされてしまいました。そこに物語に満ちてる不条理や、桐山桜=金村世津子=魔性の女という認識が加わり、何よりもキャラ絵の凄さがあり(この作品については、キャラ絵の引きずり込む力が本当に格別でした)、自分がロリを見ているのか子供を見ているのか、もうわけわかんなくなってきて爆笑した。
 これはなかなかに衝撃的で、例えば、ここに上書きしながらバージョンを上げてきてVer8.483くらいにある「私」というシステムがあったとして、ある時、突然にVer0.222あたりの埋もれた古い階層が外部のシステムとファイル共有を始めてしまってガクガクブルブルするしかない。そんな、感情のセキュリティホールを突かれたみたいな違和感があります。そのあたり「私」と「外」の線引について敏感な人にとっては、とりあえずヤンデレやキモウトというラベルを付けてしまうのもまた然るべき対応なのかな、という納得をしています。

 おそらくシナリオでもっとも見あたらないのは、わたしが上で挙げなかった「ただしちゃんと物事を考えることができ、良識は備えている」という中継ぎ部分です。そして、そこについてのdovさんの「こうした要素をきちんと掬い上げる」態度は、わたしが美浜羊に向ける態度と似たところもあるのかもしれない、とは疑いました。
 それと上でふれたシナリオの身勝手な"犯人像"についてですが、これがまさしくロリコンの話であって、ロリを見る男性(作者、プレイヤー)の視線が強く、作品内での禁忌を見る社会の視線の強さとも絡みあっていたように感じたあたりには何かあるのかもとか思います。
{
> 大人の都合をロリに押し付けるな!!!
}
というdovさんの戯れまじりのシャウトに、やけに悩み込みました。



 4, 雑談

 ちなみにシロクマ、伊美ときて、瀬良可憐が好みです(聞かれてねーよ)。そして竜胆ねえさんや桐山桜にどうしても目を奪われてしまう。

 『ナツユメ』感想を書いて以来、わたしの頭の中ではサガプラ作品の虚像がめきめき怪物じみてきています。喋ることって、とても乱暴ですね。いまさらに(笑)

 話がくどいこと反省してます。文章は簡単なほうが上等。

{
> がさつな香澄お嬢様プッツン。もう主人公を襲って妊娠してやるもんね!
}
 このあたりの香澄には妙に感心してた。父親との関係や、家の経済力、エロゲ主人公のことを考えると、このめっちゃアホな行動には最適解を出した直観があるようにも見えてきて、そう見えたのはそこまでに彼女のキャラに閃きを感じられた数箇所のシーンによるのだろう。確かに、シロクマ似てるなー。
 『秋色恋華』はつまらないエロゲだと思うけど、いっしょくたに記憶の底に埋もれさせてしまっていたヒロインを思い出させてもらえたのは、シロクマや桐山桜のことよりも、なお嬉しいような。

{
> 人々が今よりも少しだけ不便を甘受できれば、今よりもずっと労働時間が少なくなりそうな気がするんですが。
}
 トルコに行ってたとき目にした景色で、働き盛りの男どもが昼間から喫茶につどってチャイをすすっていたり、金角湾にかかる橋から釣り糸を垂らしていたのには魂を惹かれた。……あー!あー!!失業率とか移民流出だとかきーこーえーなーいー!
 日本でも接客・アフターサービスなんかの部分は、よりチープな要求水準へと下がっていかなければ無理がたたるとも考えます。というか好みの話として「お客様は神様です」とかされるのが苦手。神様じゃなく人間扱いしておくれよ。

{
> 紫織「迷いこみ、迷い続けて一生を終えるんです」
}
 わたしは、どうにもエロゲに手がつかなくなってきたことからErogameScapeへ迷いこんで来た者でして、ここから居なくなった時は、お天道さまのもと干からびてるか、奥の方でエロゲを黙々と楽しむ本来の姿に戻れたかです。でもdovさんがまた『さくらむすび』について書かれた時には、よしんば三年たって動かぬヒトガタになっていたとしても喋り出す、やもしれません。


 もし何かしら喋りたいことが湧いてきたなら、お時間と気力を作れた時にでも書いていただければまた喜んで、楽しんで読みますので、今後レスなどはどうかご都合のよろしいよう。わたしも無理を押してまではレスしませんので、そんな次第でお願いしましモイモイ。
Sek84832014年01月19日

89はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
新島牧場では11匹の牛を飼っています。このたび牧場主夕が死亡したため遺言に従い牛をほんたにちゃんが1/2、とらのすけが1/4、ちまろが1/6で分け合うことになりました。喧嘩をせずに分けられますか? → 長文感想(8920)(ネタバレ注意)(26)
最新レス その視床ギャグに声あげて笑った。わたしの本音に近い考え方で、なんともエグい言い方だなと思いつつ読んでいたら、最後の最後に煮え切らないこと言い残しやがりまして。『はつゆきさくら』と構成が似ていて思わずラストシーンを引きました。この作品の優しげな、煮え切らないとこ好きです。
 玉樹のバニーも基本すべり芸。基本うざいけど、やり通されてしまうとなんだか笑わせてくれる。例の心霊写真をあらためて見ると、初雪が学んだのってバニることくらいで、もしそれくらいだとしても脳裏に人が住むことは、良いなぁ。
Sek84832013年12月10日

89はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
新島牧場では11匹の牛を飼っています。このたび牧場主夕が死亡したため遺言に従い牛をほんたにちゃんが1/2、とらのすけが1/4、ちまろが1/6で分け合うことになりました。喧嘩をせずに分けられますか? → 長文感想(8920)(ネタバレ注意)(26)
最新レス> ところで視床ってうさぎの耳に似ていて、視床下部に居座ると視床でバニれます。

>【初雪】「まったく」
>【初雪】「どんだけ、がっついた心霊写真だよ」
>【初雪】「桜」
Sek84832013年12月08日

89はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
新島牧場では11匹の牛を飼っています。このたび牧場主夕が死亡したため遺言に従い牛をほんたにちゃんが1/2、とらのすけが1/4、ちまろが1/6で分け合うことになりました。喧嘩をせずに分けられますか? → 長文感想(8920)(ネタバレ注意)(26)
最新レス まとわりつくゴーストのように未練がましくレス。もしよろしければ読み流してください。うざければ、ご近所にも聞こえる元気な声で「バニッシュだ!!」と叫んでください。

> ラン
 もしも作品をより"完成度"の高いものにしたいなら、ぜったい肉付けしなければならなかったヒロインですよね。わたしは、好きなキャラである美浜羊(本体)や羽音々翼(すっぴん)を思い起こしたりしていて、今作でならあずま夜との絡みとかも見たかった。桜をとても慕っていたあずまは、一方で、ランのことはちょっと同族嫌悪しそう。シロクマには初雪の境遇を重ねて「妹がいたらこんなことやってみたかったの(綺麗な肌だな……)」とか言いながらドレスを着付けしてあげるラン。希のことはきっと縁側から目を細めて見ている。読んでみたかった絡みのなんと多いこと。

> 個人的には綾とランと桜とサクヤだけがヒロイン (I_dreamed_a_dreamさん)
> 父親の愛情:綾 (vicinityofobscenityさん)
 色々と気づかされました。そういえば男装して執事やったりと中性的なキャラでしたね。
 わたしの場合、ヒロインというよりむしろ自身をたくす主人公みたいにして感情移入していました。大勢のエロゲユーザーの中にいるわたし、ということを意識すると、主人公初雪は“みんなのおんねん”の受け皿として理解できるところがあったように、綾は“みんなの無関心”として理解できた。

 ここから本題。ヒロインの配置と役割について。
 綾の忘却を理由として綾ルート後に“揺らぎがなくなる前の状態”へと物語がリセットされるのは、『ナツユメ』や『キサラギ』で主人公の忘却を足がかりにして物語がスタートするのと似たやり方です(いかにもエロゲらしくもある)。そうして人工島とか、下町長屋とか、人形カフェとか、あのいつまでも続いていくまったり空間に居られる。
 『はつゆき』はメインヒロインが先に逝ってしまい残される物語であり、お二方がすでに述べているように、メインヒロインを後に残す物語である『ナツユメ』とは主人公・ヒロインの関係が逆転していました。
{
(残す / 残される)
玉樹桜 / 河野初雪 = 郡山渚 / 七瀬歩
}
この図式において桜の代わりに、綾を入れてみます。すべてを忘却したかつての恋人を目の当たりにさせられながら次の物語へ、未来へと進んでいった(再び物語の揺らぎがなくなっていった)点では、初雪と七瀬ふーりん歩の立場が似ていて、その観点からは次のようになります。
{
(忘れる / 忘れられる)
小坂井綾 / 河野初雪 = 郡山渚 / 七瀬歩
}
わたしには「桜と綾が並び立つヒロイン」という視点は魅力的です。そして、たとえ恋人に気づかれずともあの夏を終わらせたくはない歩の葛藤をなぞるみたいにして、桜には行き着かないようにさまよい続け、卒業せずゴーストと戯れていたくなったりします。

 でもこの話をさらに進めて、「やっぱり桜だけがメインヒロイン」という視点を復活させてしまうこともできそうです。
 『ナツユメ』でメインヒロイン歩に行き着くためには、他のヒロインを先にみんな卒業させてしまい渚がひとり残される必要があるので、メインヒロインとそれ以外のヒロインで反転している、次の構図があります。
{
(残す / 残される)and(忘れる / 忘れられる)
郡山渚 / 七瀬歩
非メイン三人+老樹真樹? / 郡山渚
}
それに応じるように『はつゆき』には主人公・ヒロインを逆転させつつ同様の構図がある。
{
(残す / 残される)
玉樹桜 / 河野初雪
河野初雪 / 非メイン三人+小坂井綾?
}
ここに付け加えるのが上述した、忘却してしまった綾。
{
(忘れる / 忘れられる)
小坂井綾 / 河野初雪
}
『ナツユメ』でやや別格の立ち位置にいた老樹真樹がこの簡便な構図には収まりきらないように、小坂井綾もまた別格のセカンダリヒロインであって、桜が『ナツユメ』に返答して「死者が生者の夢を見ることだってあるんだよ」とする下ごしらえとして、まず綾ルートが『ナツユメ』的な忘れる/忘れられるをやったようにも捉えられます。
 いずれにしても非メイン三人は物語の揺らぎ担当となり、確かにシナリオ的な自由度が(ひどく)大きいですね。そしてI_dreamed_a_dreamさんが仰る通りに、『はつゆき』への視点はランを組み込まないことにはややバランスが悪いかな、とかは思います。どなたかが根拠を付け、まとまった形で書いてくれているやも。

 もういいかげんバニーします。度々くどくど失礼しました。
Sek84832013年12月07日

89はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
新島牧場では11匹の牛を飼っています。このたび牧場主夕が死亡したため遺言に従い牛をほんたにちゃんが1/2、とらのすけが1/4、ちまろが1/6で分け合うことになりました。喧嘩をせずに分けられますか? → 長文感想(8920)(ネタバレ注意)(26)
最新レス (_゚∀゚)o彡ふーりん!ふーりん!

 発作が出ました。ふーりん足りない。モットオクレ。
 わたしにとってはいつまでも聞いていたくなる中毒性のある声です。ある意味では木村拓哉のようなところもあって、彼がTVドラマで総理、美容師、アンドロイドと何を演じても「キムタクが~役をやってる」でしかないように、ふーりんはどんな役柄でだってふーりん。佐本二厘がどんな役を演技できるかはおかまいなしに、ファンはふーりんを求めてしまっているし、メーカーだってそれに応えたキャスティングをすることでしょう。そんなエロゲへの出演歴のなかで声優佐本二厘にひも付いたイメージとは、別れ・総括・訣別とは逆の、すべてとろかしてしまうようなものです(※個人の感想です 用法用量を守り正しくお使い下さい)。
 さて、綾はルートシナリオがifでなく、終盤ではオルタナティブなエンドがあり、裏メインヒロイン的な立場ではありますよね。彼女はその名前からも印象を受けるようなモザイク的でつかみどころない人格、行動をしているキャラで、求められれば優等生にだってなれますし、初雪やシロクマに付き合えばボケもツッコミもこなせる。彼女は危ういほど寛容で、正しい悪いの区別もつけません。玉樹桜には、作品内での幼い頃の婚約、作品外でのナツユメナギサFD的な相補関係(上述)という“約束されたポジション”が有りましたが、もしそれさえ無かったなら、ゴースト付きの初雪をもっとも受け容れられるのはむしろ綾であるように見えます。アダムの最初の妻リリスみたいな“約束されなかった”恋人というか。
 初雪は桜とくっついて卒業する“べき”で、『はつゆきさくら』は『ナツユメナギサ』に応える“べき”なのですけど、何が正答かなんて気にならなくなるほど居心地良いという点で、佐本二厘のイメージと綾のキャラクターはよく馴染んでいて、もしキャスティングにその意図が含まれているならば、桜に対するアンチヒロインとして、ゴースト付きのアンチヒーロー(笑)初雪のそばにいつまでも寄り添ってくれる人となっています。vicinityofobscenityさんの感想本文を踏まえるなら、卒業のダブルミーニングにも綾と桜はそれぞれ対応するかもしれません。

 話は変わり、綾が一度すべてを忘れることでランが用意した非現実側の避難所である人形カフェに留まることができたのは、『ナツユメナギサ』の渚がすべて忘れてあの人工島に流れ着いたことを思わせます。
 ちなみに『心臓』でなら、マイケルたちの母親のことをわたしは連想してしまいます。マイケルを守り、嘘をつき、ゴーストからの卒業を後押ししながら、彼が卒業すると取り残されてしまう。そんな矛盾をはらんだ女性。

 以上から、わたしの綾への印象もまたvicinityofobscenityさんのそれにやや近いものを含むかもしれません。でもオルタナティブとか言ってるあたりゼロサムゲーム的な視点ですよね。
 思いがけず書いてしまい、ひとつのサンプルというだけのつもりなので、レスとかはもういかようにでも。文章だと、わたしがゴミを入れてもゴミが出てくるとは限らないのが気楽です。
Sek84832013年12月05日

89はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
新島牧場では11匹の牛を飼っています。このたび牧場主夕が死亡したため遺言に従い牛をほんたにちゃんが1/2、とらのすけが1/4、ちまろが1/6で分け合うことになりました。喧嘩をせずに分けられますか? → 長文感想(8920)(ネタバレ注意)(26)
最新レス> 登場人物兼作者マイケルはちょうどはつゆきさくらの宮棟さん的立ち位置
 なるほど、宮棟さんの役どころとしても適当ですね。
 宮棟やカスガは組織としては描写が拙く、正体つかめない不気味さも弱かったので、わたしはプレイ途中から物語の遠景として見るようにしてしまいました。だというのによく喋る背景ではあり、宮棟に「それが大人というものです。社会に生きるということです」とか言われると、心の中でそっとCtrlキーを押すことに。彼女の言動は混乱していて、その派閥のカスガも十年前からの期間をどうも真面目に暗躍していたようには見えません。
 次に、『心臓』でマイケルの書き口はぐるぐる同じところをさ迷い続けるようであり、そもそも、十数年たってから被害者遺族がいる事件についてフィクションなのかノンフィクションなのかあいまいな作品を出版したあたりは、何がしたいんだコイツという感がまるで無いではありません(自ら進んで『心臓』を訳した村上の視線も加わっていて複雑ですが)。
 そこに宮棟を重ねてみると、初雪や桜のようなどうあれ被害者ではある人たちへの視点とか、組織としての目的を達成しようとする動機とかは欠けている、爆破事件への個人的清算にこだわっていた登場人物と見ることがしっくりときました。
>【宮棟】「私は私で、役目を果たして、晴れ晴れとした気持ちです」
卒業式でのセリフですが、晴れ晴れとされても、こちらとしてはやや戸惑いもします。

> 年賀ハガキの下の方についてる数字
 わたしの場合、つきつめるとライターの自己主張はおまけとして価値が大きいのかも。
 月末ごとに「今度やったエロゲはどうよ?」と訊かれる時、女の子を素直に褒めることのみで前のエロゲとの違いを上手く説明するのは簡単ではないのですが、それは自分自身が作品をどのように受け取るのかという場合にもほぼ同様でしょう。年賀ハガキにあたるエロゲの本体とは女の子の可愛さで過不足ないのですけど、それを次々とやり続けるスケベ心として「もっと別のいいものが来るかも」と射幸心をくすぐるには、当たるかもわからない懸賞みたいなものであるライターの自己主張が助けとなることもありました(そしてときに地雷に当たる)。もっとも、その自己主張が人生論である必然性となると微妙ですが、手もとにあり利用しやすいだろうとは思います。
 別の面も確認しておくと、美少女がおっさんマインド全開で喋りだしたらひくわー、という単純な話ではありますよね。フィクションをあくまでもフィクションにしておくことは、心がまえとしてはごく妥当なものです。

 そんなこんなで、「ポルノライターの人生論を聞きたいか?」と言われると、わたしも結構聞きたい派です。しかし宮棟がその主張を担うところは読み流してしまったように、どのような姿で物語に落とし込むのかというテクニカルなことは気になります。手放しに自己主張を歓迎しますとは言えないので、vicinityofobscenityさんの『はつゆきさくら』への評価には共感するところが多かった。良い感想をありがとうございました。
(“自信がないところ”とかにツッコミもできず、ごめんなさいです。)
Sek84832013年12月03日

89はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
新島牧場では11匹の牛を飼っています。このたび牧場主夕が死亡したため遺言に従い牛をほんたにちゃんが1/2、とらのすけが1/4、ちまろが1/6で分け合うことになりました。喧嘩をせずに分けられますか? → 長文感想(8920)(ネタバレ注意)(26)
最新レス (_゚∀゚)o彡ふーりん!ふーりん!

 間違えました。はじめまして。横から失礼いたします。

 冒頭のクイズ、作品と妙に合いますね。確かに、この手の数学要素によるクイズは、しばしば出題文の意味するところが争点になってしまいます(ex,「ほんたにちゃんは本当に牛をキルしないの?」)。『はつゆきさくら』も、仮定をつけないと答えが定まらない、あるいは『ナツユメナギサ』の体験まで持ち込まないと答えが定まらないあたり、煮え切らなさがありました。
 わたしは、『はつゆきさくら』について「たかがエロゲ」という視線を捨てきるまでには悟れていませんが、村上春樹についても「たかがセックス&パスタ」と馬鹿にされることには納得できます。読んだ人それぞれが勝手な深読みをして、「そんなたいそうな意味ねーよ」と真っ当なツッコミを受けながらでなければ物語が意味を成さないという点では似ているように感じます(あと、ところどころセンスが香ばしいのも)。

 引用されるのを見ていて、村上春樹の翻訳による、マイケル・ギルモア『心臓を貫かれて』を思い出しました。プロローグに付されたエピグラフは“死んだ人々を呼び戻す何かがある”。村上本人の作品は多くがファンタジーでもあるのですが、こちらは終始ゴーストが登場していながらファンタジーではない作品。そのゴーストに追いたてられて殺人を犯した社会不適合者ゲイリー・ギルモアについてのノンフィクションです。
 作者は殺人犯の弟なので説教臭い主張はやりようもないのですが、ゲイリーのキャラクターと家族の物語を描くなかで、作者のスタンスのようなものは伝わってきます。村上春樹『アンダーグラウンド』や、チェーホフ『サハリン島』といったノンフィクションでも、自己主張を抑えてフェアに書こうとすればするほど作家らしさがにじみ出ていて、登場する人々は声を与えられ、物語が出来上がっていました。
 他方、やや現実離れしたお約束を持つフィクションであるエロゲにおいては、シナリオの主張のために女の子の"命が失われた"としても被害者は実在しません。やり得です。それだけにかえって、キャラクターに埋め込まないままに作者の自己主張が走ってしまうことは、一定の反感を買う、あまり筋の良くない書き方となるのかとも考えました。
Sek84832013年11月26日

29はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
素点は79点だが前代未聞の真似をやらかしている。萌えゲーとしてはかなり致命的な欠点で、私はどうしても許せなかったので50点を減点した。これから購入を考えている方はかなり大きな地雷があることを覚悟して欲しい。これ以上はネタバレになるので詳しくは長文感想で。長文感想では先に50点を減点した理由を書き、後に素点を79点とした理由を書いている。 → 長文感想(31451)(ネタバレ注意)(18)
最新レス 補足など、もう少しだけお邪魔します。

> 『秋色恋華』の世良香澄
 わたしにとって、けれん味が足りなく読み進めづらい作品でした。世良香澄が幼くなかったことは理由として大きく、キャラの持つ伸びしろをあまり読み取れなかった。記憶違いでなければ“デザインがチープだけど形状が合理的な安いティーポッドと、高い茶葉を選んで買う”というイベントがありました。その金持ちらしい実用主義など、むしろ彼女が既に持ち合わせていた部分に好感を抱いた覚えがあります。

> Sek8483さんのような"酒の入った"楽しみ方はそう特殊なものではないようです。
 そう思います。今回は議論のために、dovさんとわたしを、批評する読み手と享楽的な読み手として(手前勝手に)対置させたところがあります。しかし実際には、いずれのスタンスも一般的にエロゲユーザーが混在させて持つものと同じ類であると認識しております。
 resolvedさんの感想とレスは先だって拝見していました。ある種の諦観にとても共感でき、あくまでわたしの印象ではありますが、作品への評価こそ同軸上の対極にあるものの、それは紙一重のものとも感じます。
 話はズレますが、初雪のスイーツ性は面白いキャラ造形ですよね。“美人投票”みたいな話として、四季シリーズの主人公を並べておいてユーザーにアンケートを採り、(a)「あなたが感情移入したのは誰?」と質問した集計結果と (b)「多くのエロゲーマーが感情移入したと思うのは誰?」と質問した集計結果では、初雪の得票は(b)が(a)に水をあけそうに思えます。

> エロゲは恋愛や青春などのマンネリズムを表現する必要性から「話をダラダラさせる」ことが求められている
 同感です。加えて言うと、わたしはもう少し積極的に、シナリオが冗長であることはエロゲの武器ではないかと思うこともあります。平易な文章がユーザー自身の経験へのノスタルジィを引き出し、また、分量の多さはカタルシスを生むとともに、「多くの時間を費やした。であるから、これは価値ある作品だ」という錯覚を起こさせる効用があるのではないかと。その冗長なシナリオを、キャラ絵、声優の(演技というより)声色、そしてポルノであることが担保しているあたりがエロゲというメディアの特長であると見ています。

> ななななんてことを言うんだ!
> 源氏物語も枕草子も少女の可愛さを絶賛しておりますぞ!!
 ご、ごめん! なんかごめんなさい!!
 確かにその通りで、わたしの想像が及んでいたのはとても狭い範囲でしかありません。それは押しなべて言うなら、ハリウッド映画で男の獲得すべき“トロフィー”となっているブロンド巨乳のイメージです。あるいは峰不二子だとか。色々と間違っているけどギリシャのアルテミス像とか思い浮かべたりもしていて、ここまで見事に視覚によるものばかり。テンプレイメージの核は「男はおっぱいが好き」でしかなくて、その感性を視覚的に表現しようとすると自然と「でっかく」なるのやも。
 若紫ぺろぺろ。『葵』以降って、どうも彼女のキャラがシナリオに負けてしまった感が。あれはキャラゲーのはずなのに。

 以上となります。ありがとうございました。
Sek84832013年09月18日

29はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
素点は79点だが前代未聞の真似をやらかしている。萌えゲーとしてはかなり致命的な欠点で、私はどうしても許せなかったので50点を減点した。これから購入を考えている方はかなり大きな地雷があることを覚悟して欲しい。これ以上はネタバレになるので詳しくは長文感想で。長文感想では先に50点を減点した理由を書き、後に素点を79点とした理由を書いている。 → 長文感想(31451)(ネタバレ注意)(18)
最新レス お返事、ありがとうございます。dovさんとは話が通じこそすれ、話が一致することはないだろうなと思っていました(イヤイヤコワイヨ!)。感想の本数も、『はつゆきさくら』感想すらも書いていないため、わたしの姿形がそちらからは見えにくいことだろうと思うと恐縮です。文章を書きつけてないため、冗長になってしまいました。興味の湧きそうなところの流し読みだけでもしていただければ幸いという心境です。

 わたしの『ナツユメナギサ』感想に追記したように、そこに付いたdovさんのコメントを「物語に対してフェアな見方だな」と感じていましたため、dovさんが最初に投稿した時点での『はつゆきさくら』感想ではシロクマの扱いへの腹の立てかたが平静を欠いている、というよりも平静を欠いて見せているのが印象的で、わたしにはやや不可解でした。今回わざわざ再整理をしていただいて、dovさんのシロクマシナリオへの問題意識の所在がようやくいくらか飲み込めました。そうしてみると、新島氏の裁量がとりわけ大きいこの作品に対してディレクターだプロデューサーだとわたしが言い出したことはやはり生産的でありませんでした。
 ごめんなさい。

 また別の点に触れておくと、このような形でユーザーが怒りを声にすることの正しさは分かりかねますが、わたしは賛成し共感もします。わたしにも似たような(と勝手に思っている)怒りの覚えはありまして、例えばageの『マブラヴ オルタネイティヴ』はよく出来ている作品なのですが、とても嫌いです。シナリオ後半でのキャラクターの動かし方を見ていて製作者のことがほとんど憎くもなりました。そのような場合には「レイプしようが殺そうが構わんけど、あんただけはそいつを愛してなければダメだろが」と作者に向け思うのですが、どうにもケースバイケースで扱うことしかできない、帰納させることのできない感情です。後述しますが、シロクマHシーンにあたってもdovさんと似たタイミングで怒りではないもののある種の感動をしており、コメントにレスした動機の一つでもあります。

 前置きが長くなりました。初めに各項目に対するわたしの態度をまとめておきます。
まず、わたしが提示した販売戦略における「ネタ」とストーリーの関係について誤りを認めます。
シロクマの問題と新島氏の責任に関する点では、
a.発売前の販促での扱いが他ヒロインに比べて明らかに悪かった [反対]
b.『はつゆきさくら』という作品全体の中で、他ヒロインに比べて彼女だけ出番が少なく、扱いも軽かった [賛成]
c.シロクマシナリオ前半における完成度の低さ [賛成]
d.シロクマシナリオ後半で「陵辱」シナリオを展開したこと [賛成]
以上のようになります。cおよびdの問題に関しては新しい項目を追加して、そこでわたし自身のシロクマシナリオへの解釈にdovさんの指摘を組み込むことで理解をつけていき、総合するとdovさんにおおむね賛成するものとなります。
最後に『ナツユメナギサ』や『はつゆきさくら』の構造について触れました。

(なお、このコメントは『はつゆきさくら』の他に『ナツユメナギサ』のネタバレを含んでいます。『ナツユメナギサ』を未プレイの方は以下の文章を読まないことを強くおすすめいたします。ご迷惑をおかけします。)



-販売戦略における「ネタ」とストーリーの関係について-
>……が、申し訳ないことに、この点についてもSek8483さんの意見について「そうですね」と素直な肯定の返事をすることができません(罪滅ぼしになってねー)。
「そうですね」と素直な肯定をいただいても途方に暮れたと思いますので、ありがたいです。dovさんのまとめられた意見に納得しました。わたしの意見は充分な根拠がつけられないもので間違っていたようです。全般の流れに、わたしが漠然とイメージしていただけのものを落とし込んだ上で反論していただき、理解し易く助かりました。萎縮するではなく言うのですが、どうも自分で期待していたほどには、わたしが業界の動向にまで話を及ぼしても益体なさそうです。もし次に自分からこのような方向へと話を投げるようなことがあるならば、もう少し広い視野を備えてからとしたいです(すべての瑠璃ファンの方々がトノイケ氏を許す日までには備えておく自信がございます)。
 その上で、何点かについて。

>2005年発売の『さくらむすび』は逆に全ヒロインがロリ……貧乳であるという逆の特徴を持っていました。
トノイケ氏(CUFFS)に結びつくロリやおしっこといったものと、Clochetteの乳袋、ASaprojectの芸人といったものでは、それがどの程度に反社会的であるかという点で"エロゲユーザーの"意識に差異があるよう思われます。「エロゲーマーはロリが好き」「日本人はロリが好き」などに比べて「男はでっかいおっぱいが好き」というテンプレイメージはより普遍的で歴史あるものであり、「みんなが好きであることをそれぞれみんなが知っている」という性質がより強い情報ではないかと考えます。これはお笑い芸人についても同様です。ただし、たぬきそふとのロリ、脳内彼女の男の娘に見られるように近年のブランディング戦略にもニッチを狙って反社会的なものは多いため、これはわたしの意見を支持するものとはなりません。

>ディレクターが決めた販売戦略という鋼鉄の檻に閉じ込められた状態で、ライターは自らのオリジナリティを発揮できず、粛々と指示に従い物語を紡ぎ上げる。昨今のエロゲがこのように制作されているという言説が近年強くなっている
dovさんが否定的に紹介したこの言説についてはお察しの通りわたしの関心の在る所で、また同調できないところがあります。わたしにはむしろ、作品に対するディレクターとプロデューサーの関わりが足りないエロゲ制作体制のなかで商業作品の経験を積むうち、プロデューサー的な思考を身につけてオリジナリティを自ら抑えるようになったライターが増えてきたのではというイメージがあります。ライターが自分の個性を製品へと通すためにちゃんとケンカをする相手というのが不在で、それによってライターがその職分を負わせざるを得なかったことが商業エロゲを「保守的」にする一因としてあるのではないかと。

>余談ですが、『DRACU-RIOT!』や『プリズムリコレクション!』のシナリオが、少なくとも批評空間の尺度において失敗気味と評価された点につき、姫ノ木あく氏は直接的に責任を負うと思っています。
『カミカゼエクスプローラー!』での担当ルートは、終えてから言いたいことも訊きたいことも別に見当たらないというあたり良いシナリオだったと思っています。わたしに脳内補完させる余地を残さないくらいに完結していたとも。『プリズムリコレクション!』は体験版だけやっていますが、その部分に姫ノ木あく氏は関係されてないようですね。さして問題のない感触だったので、製品版が批評空間でコケていたのはやや意外でした。何やら、ダルい?らしいですね。体験版については、これは小説の作法でしかありませんが、"どのセンテンスにも、人物を説明させるか、アクションを進めさせること"というあたり難があったかなという印象くらいでした。立ち絵を眺めてニヤニヤしたくなったら買うかもしれません。

>彼は元々、細かい理屈をあまり気にしないテンプレ展開の中での幸せないちゃらぶを武器としていたのに、なぜ武器を殺すようなシナリオを書くようになったのか、少し首を傾げるところがあります。
エロゲをやっている時には可愛い女の子がわたしに向かって言ってくれる「スゴイ!」や「カッコイイ!!」がスイッチとなって、ライターさんはどんな晩飯食いながらどんな真面目な顔してこのテキスト書いたんだろ、と想像することがしばしばあります。彼の武器とはいえ、幸せないちゃらぶを書き続けるというのはどこか疲れる難しい作業なのかもしれません。



-a.発売前の販促での扱いが他ヒロインに比べて明らかに悪かった-
>私は後述するeの問題から逆算して、新島氏は少なからずこの問題についても積極的に荷担していたのではないかと睨んでおります。
先に述べておくと、eの問題であるところのVisualArt'sの「悪い癖」と新島氏のシナリオ傾向からシロクマの不遇が生まれたというdovさんの推測にわたしは説得力を感じました。しかしそこから逆算した上でも、販促での扱いについては「イジメ」と表現するまでの製作者サイドの作為を感じることはなく、商売上の必要として各ヒロインに優先順位をつけただけという印象に留まります。

>体験版では彼女だけ極端に出番が少なかった。
>バレンタインイベントでは、きちんと彩色された他のヒロインの絵が掲載される中、彼女だけはラフ画が掲載された(現在は修正済み)。
>カウントダウンボイスでは、他のヒロインが自分の個性を発揮する中で、彼女だけは販促メッセージを担当させられた。
>Sek8483さんはこれらをも「ネタキャラ扱い」と捉えているようにも読めるのですが(そうでなかったらすみません)、これは「ネタキャラ扱い」ですらない、単なるイジメだと私は感じます。
それぞれについて答えます。体験版については珍しいほど極端とは感じませんし、その出番の少なさも製品版で他キャラとのからみが無いことから自動的に連動したのであって、(販促の意味を持つ)体験版からあえてシロクマを排除したとは言えないのでないでしょうか。ラフ画に関してはエロゲ業界の悲惨な日常を考慮すると単にスケジュール的に間に合わなかったと見ることが自然と思えます。ただしメーカーがシロクマの優先度を最後としたことには人気のさほどない「ネタキャラ」ゆえという疑いの余地が残ります。カウントダウンボイスについてはヒロイン中でトップバッターに配置されたことからくる販促メッセージと時間切れネタでしたが、助けてあげたくなる子を演出する意味ではシロクマの狙いどころとは合致するため、わたしとしてはオイシイとも思います(芸人イジメをしている先輩芸人のような言い草です)。個別に述べましたが、dovさんの指摘の主眼はこれらがあまりにも重なったところにあるので反論とはならないかもしれません。



-b.『はつゆきさくら』という作品全体の中で、他ヒロインに比べて彼女だけ出番が少なく、扱いも軽かった-
 同意いたします。シロクマの扱いの軽さは明白です。後述するようにわたしはシナリオライターとしての新島氏はシロクマのキャラクターをうまく扱えていないと判断しており、そこからライターとディレクターが兼任されたことの弊害が派生したとも考えられます。なお留保を付けておくと、エロゲにおける複数ヒロインでの抱き合わせ販売などを考え合わせると、やはりわたしは個々の作品に対してヒロインの扱いのバランスについて責任を問うことにある種の限界は意識してしまいます。その限界の線引きは難しいのですが、シロクマの問題点を分別したとき「陵辱的なシナリオ」「バカ扱い」には怒りを表せるものの、「扱いの軽さ」については怒りを感じてもあきらめへと転換されてしまうというわたしの感情に反映されています。



-c.シロクマシナリオ前半における完成度の低さ-
 販売戦略における「ネタ」とストーリーの関係についてdovさんの指摘を受け、わたしが提示した「企画からシナリオに与えられる条件が悪かった」とする理由づけには無理があると判明しました。また新島氏のシナリオ傾向について説明を受けたことなどからわたしは"シナリオライターである新島氏"の責任をより重く判断するようになっており、dovさんにほぼ同調するものかとも思います。

 以下はdovさんの歩ストーリーへの言及についての反論となりますが、わたしの「シナリオに与えられる条件が悪かった」という主張にそもそも説得力が無いため不要のものともなります。
>私は歩ストーリーもシロクマシナリオに劣らず酷かったと感じているのですが、歩は『ナツユメナギサ』におけるセンターヒロインであり、シナリオもまさに作品の核心そのものでした。つまり、歩ストーリーには「シナリオに与えられた条件が悪かったからシナリオも酷くならざるを得なかった」という言い訳が入る余地がなかったわけで
歩はむしろナツユメ世界の礎となるセンターヒロインであるからこそ「シナリオに与えられた条件が悪かった」と言えるのではないでしょうか。歩ストーリーは全体のシナリオ構成のために分割されてロックされました。そしてプレイヤーごとに異なる攻略順で羊、つかさ、はるか、真樹ノーマル(真樹が世界への疑念を記した置き手紙を残して消えるエンド)の各ルートシナリオが並べられた合間にCHAPTER-01、02、03が挿入されることになります。これは強制でなくルートシナリオ全てを終えた後にまとめて歩ストーリーを見ることもできるのですが、製作者の意図は歩ストーリーが合間々々に入るというものでしょうし、実際にその意図に沿ったユーザーは多かったはずです。ErogameScapeでも"推奨クリア順あるゲーム"のPOVが比較的多くついていることから、この順序というのはシナリオの読感に少なからず影響するものと認められます。そこで例えば真樹ノーマルが最初になるケースと、最後になるケースの両方に備えて歩ストーリーを組み立てて分割することは、単純な線形のシナリオを書くことよりは難しいものとなります。
>脈絡がなく、時に強引なストーリー展開。 (dovさんの『ナツユメナギサ』感想より)
特にこちらの原因とはなりそうで、シロクマとは別の原因ながら歩シナリオに与えられた条件はシナリオの質の低下に影響していたと思います。よって、歩ストーリーに「シナリオに与えられた条件が悪かったからシナリオも酷くならざるを得なかった」という言い訳が入る余地はまだあると考えられます。ちなみに『ナツユメナギサ』の構造を肯定するわたしの視点からすると、ルートヒロインのひとりとして歩はいちばん割を食っていると感じます。

>地の文がなく、延々と続く「」の台詞。 (dovさんの『ナツユメナギサ』感想より)
問題になっている点からは外れますが、シロクマに「グルグルシロ」があることと類似していて、歩にも「ひくわー」という同じようなやり取りのパターンで繰り返し使用されるフレーズがあったことは、シーンごとのキャラクターの内面と対応づけられていない空虚な台詞を量産してしまったことで、dovさんを辟易とさせたかもしれないとも臆測します。



-d.シロクマシナリオ後半で「陵辱」シナリオを展開したこと-
 わたしにとってシロクマシナリオ前半と後半に関するcおよびdの問題は不可分であるため、新島氏のシナリオ傾向とVisualArt'sの「悪い癖」へのdovさんの指摘から触発された考えをも組み込んだ上、わたしなりの解釈を新たな項目として示させていただきます。



-Sek8483の考えるシロクマシナリオの問題点-
 ここでは論点をVisualArt'sの様式美に置いてシナリオの解釈をすることで、dovさんの指摘に対してもまがりなりの理解をつけていきます。やっていることは完全にシロクマへの自己語りなのでこの場に書き込むことがはばかられるのですが、dovさんとのやり取りの一環として書き上がったものとしてご容赦いただけたならと思います。

>こういうVisualArt'sの「悪い癖」(だと私は思っています。Sek8483さんはこれをむしろ『素晴らしい癖』だとお感じになるかもしれません)
この指摘を出発点として考えてみると、dovさんが想定するところとなる"VisualArt'sの様式美からシロクマが辛い経験をするキャラクターとなることに価値を見出したユーザー"になるほどわたしは該当するのではないかと思えます。サーカスの見世物として白熊が踊らされているときに、わたしは指さして爆笑していて、その横ではdovさんが顔をしかめているという図です。わたしは前回のコメントで酷い出来のシナリオだが惹きつけられたと書きましたが、その矛盾めいたところをひも解くのにもdovさんの指摘が助けとなりました。

 話を進める前に、dovさんはVisualArt'sの様式美について述べているのですが、ここではそれをゲームブランドKey作品(および関連過去作『MOON.』『ONE』)に代表されているようなものとして理解をしました。わたしはエロゲをやり始めた頃に、当時Key最新作だった『CLANNAD』をやってみたものの作品世界の温かい空気にどうしても息が詰まってしまいギブアップ。それからKeyには苦手意識があり、その後にわたしがプレイしたのは順に『Rewrite』『ONE』であり真っ当な理解があるとはいえません。それでもSAGA PLANETS作品にKeyらしさを感じることはあり、わたしが『ナツユメナギサ』感想で大樹の奇跡をとりあげた文脈にもその意識は影響しています。実のところシロクマについてもそれが色濃くあると漠然と感じたことは以前にありまして、その時にはアホっぽい口癖のためくらいにしか思わなかったのですが、それだけではなかったようです。

 シロクマシナリオの話に入ります。シナリオの骨格は前後編によってシロクマの成長する物語であり、そのため新島氏はテキスト上で何度も彼女を"子供"としています。が、わたしとしてはいまひとつそのような印象を受けません。彼女は以前の学校でのけ者にされたこと、その原因は自分が変なことやわがままなことを言っていたからであることを初雪たちに説明してくれます。また、入試に落ちた後に再受験に乗り気でないシロクマは初雪たちに自分の心理を説明します。
{
>【シロクマ】「でも落ちたら、傷つくもん」
>【シロクマ】「あんな思い、もう嫌だもん」
}
とても簡潔なロジックですが、よくてらいもなく明かせるものだと思います。こんなに物分かりが良くて理屈による対話が出来るのは"子供"ではありません。また、初雪は他のヒロインにするのと同様にシロクマへも横暴に振る舞うのですが、彼女にはグルグルシロとかやらされながらも普通に嫌がったり、反論したりするシーンが数多くあります。二箇所だけ抜粋します。
{
>【シロクマ】「ぼがらぁぁぁぁ!!!」 (引用注:初雪からのお題で必死に「グルグルシロ」とかやっている。dovさんの感想本文にある引用部の続き)
>【初雪】  「……」
>【シロクマ】「って、どこ行ってるの!?」
>【初雪】  「飽きた。なんかうるさいから」
>【シロクマ】「ひどすぎる!」
>【初雪】  「緊張がとけたんじゃないか」
>【シロクマ】「何、それが狙いだったぜみたいな顔してるのっ」

>【初雪】  「てめぇ、何遅れてんだ。まさかよゆうしゃくしゃくで、寝坊してたわけじゃないだろうな。何様だ」
>【シロクマ】「違うし。緊張して一睡もしてないし。ぐるる」
>【初雪】  「はぁ? ここまで来て、なにうじうじしてんだ」
>【初雪】  「いくら心配しようが結果なんてかわらねぇんだから、どんと構えろや」
>【シロクマ】「さっき何様だとか言ってたよね。余裕持てばいいの?? 心配すればいいの??」
}
すべてを許してしまう玉樹、口では嫌よと言いながら嬉しげなあずま、歪んだ達観のある綾、ボケ倒してしまう希といった他ヒロインのような回避手段が素直なシロクマには無かったのですが、これもまたシロクマが人と向きあって対話していることを印象づけるものです。世間知らずながらも実のところ彼女のメンタリティはヒロインの中でいちばんマトモだと思います。それだけに初雪に適当にバカとか言われ叩かれているといちばん痛々しいですし、彼に恋をする必然性を作中から拾い出そうとするといちばん大変です。シロクマはあり得ないほどバカな行いを何度かしますが、それは社会常識がないためでしかなく、おかしいと気づくと自分で反省点を見つけてくる。わたしは台詞のイントネーションもあいまって、子供というよりは外国人を想像しました。初めにグルグルシロとか変なコミュニケーションを教えられてしまった外国人。「はじめまして」や「ありがとう」をちゃんと言えて気持ちいいですし、前向きであり、そして他人のために何かをすることで自分の居場所を作りたいという意識の強い子です。この手で育ててペロペロするよりは、訊かれたことだけ教えて応援してあげたくなります。このように新島氏が"子供"としつつも実際にはそうでないという齟齬は問題の核心にも関わります。

 シナリオ後半の彼女は背が伸び、後輩から頼られるようになっていました。男子生徒から告白されたりテニス部内にいざこざもあったりとそれなりの経験をしたことで、他人の心理を慮り、状況を判断できる人間へと成長しました。わたしはやや落ち着いたトーンで話す"望月宝"がとりわけ好きです。他の生徒からの噂で河野初雪の名前を不意に出されたとき、動揺を隠して話を聞いてから「うーん。でも、噂の調査なんて、私達の手には余りますよ」と返事したあたり萌えました。ところが初雪が姿を現した途端、彼女からは状況を判断する意思がすっぽりと抜け落ちてしまい、サクヤの忠告の"言葉"も聞かずにふらふらと廃ホテルに向かい始めました。わたしはその変容にほとんど不気味さすら感じました。dovさんの意見を踏まえれば、わたしの受けた印象とはシナリオライターの人形めいた感ともいえます。成長物語だったはずのシナリオで何故か望月宝が成長した部分はあっさりと無かったことにされてしまって、このあたりからわたしの脳内ではメイリスとスターレディがちらつき始めます。

>ところでこのシナリオを『スターレディ』に準えるとするなら、シロクマは誰に当たるとお考えでしょうか? シロクマはスターレディというよりも、メイリスのようだと私は思います。彼女が、自分の身体をクロウニーに差し出されるまで、ケチなジェイニーへの憧れを捨てきれず尽くし続けたからです。ジェイニーが内心焦がれ続けたスターレディは、むしろ玉樹桜に近いと思いますがいかがでしょう?
(こちらのdovさんの質問中、二箇所の「ジェイニー」は文脈からしてポン引き「ハル」の誤記と見なさせていただきます。)整理しておくと、ここでわたしが準えている『スターレディ』には"落ちぶれたポン引きのハル"とともに"過去の彼にこだわり盲目的な献身をやめない古馴染みの娼婦メイリス"と"不運にも娼婦となったがその現状を見据えて前向きな意志を持つスターレディ(ジェイニーの愛称)"という相反するメンタリティを持つ二人の娼婦が登場します。dovさんのシロクマ=メイリス、玉樹桜=スターレディというのはおそらく最も当てはまる準えです。しかし実際のプレイ中に思い起こしたときには『スターレディ』の内容がうろ覚えであったこともあり、わたしがしたのは急に変容したシロクマのキャラクターにメイリスとスターレディの二面性を見るというものでした。

 思い返したとき、前半のシロクマが必死に世間を観察して理解しようとしている態度は、小説前半のスターレディが異国でパスポートを奪われて娼婦にさせられた後の態度にも重なります。その試行錯誤を二年間続けて成長した望月宝=スターレディが無かったことにされてそれどころか以前よりも盲目的なシロクマ=メイリスになってしまうはずなどなく、再び姿を見せることを待ちわびてわたしはマウスをクリックしていきました。初雪=ハルは彼女を裏切り、大切なものを奪い、それからヒモ男のメンタリティで当然のごとく元の鞘に収まることを望みます。彼にたいして望月宝=スターレディは微笑んでこう言いました「それはシロクマ=メイリスが望んだことよ。わたしはただ素晴らしいものが欲しいだけ。まだ汚れてなくて、親切なものが。わたしはそれが好き」……願望が見せた幻でした。『スターレディ』のようにはいかず、彼女はずっとシロクマ=メイリスとして盲信したまま落ちぶれた初雪の傍を離れようとはしません。そしてついに彼女がドレスアップして廃ホテルに行きそこでHシーンへ突入したとき、趣味の悪いことですがわたしは思わず爆笑していました。シナリオの滑稽さとか、失望、あきらめからの笑いだったのですが、またそれだけでもありませんでした。

 わたしは『さくらむすび』においても、桐山桜のとかすような笑顔に引き込まれて彼女に同じ人間とは思えないほどの子供らしさを感じた瞬間、笑いの発作に襲われました。「ここにはとてもまだ理解できないものが在る」という恐怖と混乱で、笑う他にしようもなかったのです。『シンフォニック=レイン』、『素晴らしき日々 ~不連続存在~』などの個人的に印象深いいくつかの作品でもそれぞれ違った"まだ理解できないもの"に直面しては爆笑しており、わたしにとってはひとつの感動のやり方です。今まさに処女膜を破られているシロクマへの笑いには、この恐慌からの笑いがありました。わたしはこの爆笑が出た時点で自分がこのシナリオを好きではあると判断したのですが、その"まだ理解できないもの"が何であったかの落とし所はわかっていませんでした。今回のdovさんの指摘を受けたことで考え至ったのは、VisualArt'sの特色を取り込んだことでこのシナリオが醜悪なものになってしまったあたりがその落とし所となるのではないかということです。


 さて、やや奇妙なかたちでこのシナリオを好きになったわたしの頭に浮かんでいた読み筋というのは、彼女は盲目的に愛情を初雪に向けていてシロクマ=メイリスのようには見えるものの、実のところずっと望月宝=スターレディであったというものでした。これはわたしが望月宝を好きなことから出た願望であり、作品内から読み取るには無理もある想像です。唯一その補助線となるのはわたしが『ナツユメナギサ』感想で行ったのと同じアプローチとなります(このあたりはdovさんとわたしSek8483の『ナツユメナギサ』感想において詳しいです)。

 まず、こちらは噂で初雪のことを耳にした後の彼女の胸中の独白からの抜粋です。
{
> あの冬から、2年がたった。
> 店長のイメージは、ぼんやりと夢か幻のように残っている。
> 本当に、自分が、店長が……あややが、あそこにいたのか、自信が無くなることがある。
> あれは一時見た、不思議な夢だったんじゃないかって。
> でも、今でも自信を持って言えることもある。
> 今でも私は店長を忘れられない。
> きっと今でも……
}
そしてdovさんも触れているエピローグでの彼女の独白がこちら。
{
>【シロクマ】「あややも、玉樹さんも、どこか行っちゃったったし」(原文ママ)
>【シロクマ】「お店には、もう誰もいないよ」
>【シロクマ】「結局全部、嘘で……幻みたいな時間だったけど。変なの。あの時の思い出ばかり、今でもはっきりと私の中には残ってる」
>【シロクマ】「それでね、私。ロシアに行けば……」
>【シロクマ】「嘘が本当になるような気がして。変なの」
}
ほとんどキャラクターの内面が確定的に語られないこの作品で、彼女がひとりでいる時の心情の吐露が"初雪"、"綾"、"店"といった『はつゆきさくら』のシロクマシナリオそのものとも言えるものを"不思議な夢"としておき「忘れない。私の中には残ってる」と自分に言い聞かせているのは特筆すべきものです。そして望月宝がシロクマという童話の登場人物のような偽名で『はつゆきさくら』に参加していたことは示唆的です。家出から始まった冒険で、『はつゆきさくら』の世界になじめない異国人であった彼女は辛いこともあったけどかけがえのない体験をして、ただ思い出だけを胸にロシアへと帰っていく。イイハナシダナー???

 もちろんそうは思えないわけで、わたしには『ナツユメナギサ』にしたように愛着をもってこの解釈を人に示すことはできません。ただ、この"シロクマシナリオ=望月宝の読む物語"という視点を採ることにより望月宝を無かったことにはせずに済みます。これはわたしにとって救いでした。望月宝はシナリオライターの手で無かったことにされてシロクマになってしまったように見えますが、もしそうではなく、彼女が"不思議な夢"にもう一度入っていくために自らを自らの手で消してシロクマとなりあの陵辱的なシナリオを経験しに行ったのだと考えるならば、わたしは彼女の笑顔にある種の凄みのようなものが感じられました。自分についた嘘をそれと知りつつ彼女自身の真実としてしまっていることのグロテスクさというか。おそらくそれが"まだ理解できないもの"となって例の爆笑を引き起こしたものでした。

 では、なぜ"不思議な夢"を再び見るためには望月宝は自分を消してシロクマになる必要があったのか。ここにVisualArt'sの様式美が導入されたことの問題があります。ダーク初雪の帰還後の物語は辛いものです。シロクマが信じた初雪はやはり彼女の祖父を殺そうとしており、彼女は女として愛されていないとわかっていながら処女を捧げた後に「おつむが成長してない」と嘲られ、結局すべては燃えて彼女を外へと帰すと初雪もいなくなってしまいます。ここにdovさんの指摘するところを照らし合わせてみます。
>VisualArt'sというのは昔から「ユーザーを突き放す」様式美を持っておりまして、これはSAGA PLANETSに限られないんですけれども、昔っからユーザーに「青春とはほろ苦いものなんだ。ぼくたちは作られた嘘くさい物語を超えた、本物の物語を今目にしているんだ。この苦しみを抱えてぼくたちはリアルへと還って行くんだ……(まあ還らないんですけどね!)」的なプレイ体験を強いるところがあります。
このシナリオで苦しくも本物の物語を抱えてリアルに還っていったのはユーザーだけではなく、物語の中でシロクマと名乗って辛い経験をした望月宝もまたそうであり、この重なり合いの関係はわたしが『ナツユメナギサ』に見たものと同様となります。
 ところでKey作品には、アホっぽい口癖があったり無知だったりするのだけど純粋で愚直なことによってひたすら献身的な行動を貫く、悪い言い方をすれば白痴的なキャラクターがしばしば登場しますが、彼女たちは物語において辛い経験に直面しても小賢しい私たちとは別種の知恵をもってそれを受け入れていくように見えます。そして望月宝が消えてしまった後のシロクマにはこの私たちの理屈が及ばないキャラクター性が見受けられます。つまりここではVisualArt'sの様式美だけでなくそれに見合ったキャラクターもまた挿入されているのです。成長前のシロクマに萌芽としてあり、望月宝に結実していた対話可能でマトモなメンタリティでは、現在のダーク初雪のことは好きであり続けられないでしょうし破滅に進んで行くのにも小賢しすぎました。であるからこそ、"シロクマシナリオ=望月宝の読む物語"という視点では望月宝は自ら消えて初雪をただただ信じるだけのシロクマになる必要があったのです。

 さて、わたしは新島氏には"シロクマシナリオ=望月宝の読む物語"という視点をシナリオに組み込む意図はあったと推測します。しかし実際に書かれたテキストの読感にはこれを充分に支持するだけの材料はなく、これは無理もある読み筋です。そのためここで"シロクマシナリオ=望月宝の読む物語"という視点を外してみるとこのシナリオは次のようになります。私たちの言葉と理屈が通じるキャラクターであるシロクマ/望月宝が努力を積み重ねて成長するところをユーザーに描いて見せてから、同じシナリオライターの手によって彼女が得た社会性や判断能力を無かったことにしてしまい、「現実は苦しい。だからホンモノの価値がわかるぼくたちが感動すべきは苦しい物語だ」という美意識のために悲惨な経験を与える。これはもう醜悪と言えます。
 ここでVisualArt'sの様式美と拒絶反応を起こした要素として彼女がマトモなメンタリティの持ち主であったことがあります。Keyのキャラクターには純粋すぎて私たちの理屈が通じないような"子供"にも似たところがありますが、あるいは新島氏がテキストには記したように彼女を実際に"子供"として描いていたなら、懐いた相手から必要とされてさえいるならそれだけで全てを差し出せる純粋さとしてその行動にも納得できたかもしれません(倫理的なことはまた別ですが)。簡便に言い換えるなら、シロクマ/望月宝はバカと呼ばれつつも実際にはバカでなかったので陳腐な悲劇へ落とされると痛々し過ぎたのです。


 まとめると、わたしがここで特筆したシロクマシナリオの問題は二点。
 一点目は成長物語でありながら、その成長を全否定するようなシナリオであったこと。わたしが最も我慢ならないのは、陵辱じみた扱いを受けたことよりも、彼女の成長がそれを描いたのと同じ新島氏の手であっさりと無かったことにされてしまったことです。成長物語としてみるならば、初雪と同じ境遇にありながら社会性の獲得に成功した望月宝は望月宝のままで、それに失敗した初雪に何らかの救いの手を、少なくとも盲目的にならないままでの理解を示すべきでした。
 二点目はヒロインのキャラクターに合わないのにVisualArt'sの様式美を導入してしまったこと。そのまま"苦しくも本物の物語"に投げ込んでしまうには言葉と理屈を通じて私たちに共感を抱かせるような彼女のキャラクター性には問題がありましたし、その様式美の用い方も粗雑でした。SFに準えたように異星での出来事なら、あるいはわたしがKeyのヒロインに抱く異星人のようなイメージがシロクマにもあれば、もしくは実際にシロクマが"子供"であればシナリオが持ってしまったほどの醜悪さ(わたしの場合はグロテスクさ)は生まれなかったのかもしれません。

 dovさんの疑惑としてある"VisualArt'sの様式美によってシロクマを故意的に悲惨な目に合わせるシナリオ"は、わたしの解釈においては"望月宝が(泣きを求めるKeyユーザーのように)自ら悲惨な物語を読みにいったシナリオ"に重なります。dovさんがそこに直に"醜悪さ"を見た時、わたしは同じところに自分の解釈を通して"グロテスクさ"を見たのではないでしょうか。このように対応づけ、"シロクマシナリオ=望月宝の読む物語"という視点の有無を踏まえて、シナリオの問題点についてわたしなりの理解をしました。その上で言うと、わたしにも新島氏のシロクマへの愛は感じられず、この点はdovさんと同調できるものと思っております。



-e. a~dを総合して、シロクマの扱いの悪さが「意図的」だったのではないかという疑惑-
 以上のシナリオ解釈の上で、dovさんの「新島氏は本当にシロクマというキャラを愛していたんだろうか? かなり冷淡だったんじゃないだろうか?」という強い疑念について、わたしは同意しそのような事実はあったものと考えます。同様にVisualArt'sの「悪い癖」がシロクマシナリオでの彼女の扱いに悪影響を及ぼしたという推測にも同意いたします(わたしにとっては「素晴らしい悪癖」かもしれません。認めるにやや葛藤も残りますが)。ただし新島氏やSAGA PLANETSの、シロクマを「不遇キャラ」として祭り上げる意図まではわたしには読み取ることは出来ませんでした。



-『ナツユメナギサ』や『はつゆきさくら』の構造について-
 ご意見に同意します。わたしは新島氏のライターとしての癖に注意を払うことはしてこなかったので、dovさんの指摘にはなるほどと思うところが多かったです。わたしのように後付け解釈を積極的に肯定するような態度をとっていると、必然的に「作者に対して不誠実なことをしているな」という罪悪感は付きまとうこととなります。『ナツユメナギサ』『はつゆきさくら』についてはその罪悪感があまりなくて気が楽なのがずっと不思議だったのですが、問題の解決をつけず、恋愛には留保を付け、作品を通してキャラクターが何を得たかも描写しない傾向がその原因となっていたようです。

 さて、dovさんは『ナツユメナギサ』感想の追記においてわたしの感想を引き合いに、以下のように表現されています。
>「物語に陶酔を否定されてもなお酔い続けることができるような」「夢から覚めろと言われてもなおまどろみ続けられるような」才能の持ち主だけが、この作品を最後までプレイしてもなお楽しめるような気がする。
わたしがとりわけ居心地の良いエロゲ『神樹の館』の主人公である工月秋成を思い出しました。わたしの中二病をくすぐり、「俺TUEEE」をするにあたっては最良の造形をした主人公です。工月が薬酒を呑んで真珠邸の奥へ入り込んでいったこととは関係ない話となりますが、エロゲを始めるときのわたしには物語に酔うための"酒瓶"を傍らに用意しておくような心構えがあります。わたしは小説であればたいてい物語に入り込んでしまうタイプであり、そしてデフォルト設定としてその姿勢をエロゲにも適用しようとはします。しかしエロゲの物語はしばしばわたしを引き込んでくれないことがあり、そうするとオプションである酒をとって物語に酔うべく脳内補完を始めるといったような自覚があります。わたしはまず『ナツユメナギサ』羊シナリオの物語に入り込んで、羊の言動に一喜一憂しました。そして歩ストーリーで作品が自ら物語を虚構だとしたことにびっくりすると「なるほど、こういう裏切り方もあるのか」と感心して、可笑しくなって、この時点から"物語に酔うことにしよう"と決めたように思います。シロクマルートならHシーンに爆笑したあたりです。
 もちろんdovさんが物語に入り込むことと、わたしが物語に入り込むことには決定的な差があります。手もとに酒瓶を用意している奴が真面目な顔しているわけで、たとえ酒に口をつけていなくてもその感受性はすでにスポイルされているものなのだと思うのです。これがdovさんを物語に対してフェアな見方をする人とわたしが見ていた理由でもあります。

 今回、dovさんからお返事をいただいた後に、シロクマシナリオの二回目のプレイをしました。出来るだけ、酒瓶を用意せずに。
>もしこのシナリオに絵と音楽がなかったとして、つまりこのシナリオのテキストがそのまま本になって出版されたとして、あなたはそれにお金を出す気になれるだろうか?
このdovさんの仮定を読みながら、わたしは率直なところ「言っていることはわかるけど、この人はエロゲに対してなにズレたこと言ってんだろ」としか思っていなかったのですが、ここでdovさんのしていた問題の切り分けについて、シナリオを実際に再読することでようやく諒解しました。文章を評価しようする視点を持つとこのような読感のテキストなのだということを認識して、dovさんが見ていたものが少しだけはわたしにも見えるようになりました。その上で個人的に思うのは、新島氏のシナリオを最も"低リスクで"楽しむための読み筋というのはわたしくらいに酒をいれて目と耳と脳みその感受性をぼかしてからプレイすることであり、そしてそれは新島氏の想定する用法であるのかもしれないということです。もし次に新島氏の作品をプレイする機会があれば、やはりわたしは以前と同じようにプレイするものと思います。わたしのようなタイプのユーザーがdovさんのようなタイプのユーザーと作品について話をすることの難しさというものを肌で感じることとなり、初めてエロゲについて語ってみた人間として楽しい体験を頂きました。



 繰り返しとなりますが、エロゲの販売戦略に関するところ、新島氏に関するところ、dovさんのご指摘はわたしにとって大いに有用なものとなりました。
 以上です。長々と失礼をしました。
Sek84832013年08月31日

29はつゆきさくら (SAGA PLANETS)
素点は79点だが前代未聞の真似をやらかしている。萌えゲーとしてはかなり致命的な欠点で、私はどうしても許せなかったので50点を減点した。これから購入を考えている方はかなり大きな地雷があることを覚悟して欲しい。これ以上はネタバレになるので詳しくは長文感想で。長文感想では先に50点を減点した理由を書き、後に素点を79点とした理由を書いている。 → 長文感想(31451)(ネタバレ注意)(18)
最新レス 先頃に『ナツユメナギサ』の感想へ反応をいただいた者です。dovさんの『ナツユメナギサ』および『はつゆきさくら』の感想は得るところ多く読ませていただきました。『ナツユメナギサ』においてdovさんは羊シナリオをあえて「最悪のシナリオ」とも表現されていて、おそらく同じ意味合いでわたしには「最高のシナリオ」と言えます。そして面白いことに、わたしが『はつゆきさくら』でもっとも惹きつけられたのがプレイ前にはノーマークだったシロクマ、それもエンディング曲が流れた後のシロクマシナリオなのです。……こちらは羊シナリオと異なり、お世辞にも褒められる出来のシナリオではありませんが。もしかしたらdovさんの「物語がやってはいけないこと」と、わたしの「物語にやってもらいたいこと」とはずいぶん重なるのかもしれません。

 わたしはシロクマシナリオを進めるうちに、J・R・R・マーティンの『スターレディ』を思い起こしていました。ケチなポン引きと若い娼婦が登場するノワール風のSF小説です。途中で純愛ゲームの文脈からは頭を切り替えてしまっていたと言えます。そんな邪道な読み方をしつつですが、シロクマとそのシナリオは好きです。おそらくは"無償の愛"あたりを着地点としつつ失敗したストーリーであるのでしょう。あ、ちなみにわたしはロリコンです。


 さて話は変わりまして、dovさんはシロクマの扱われ方に強い調子で失望を表されていますが、どこまで共感するのかはともかくも納得できます。あれは酷い出来のシナリオでした。しかしシナリオライターの問題なのか、そしてシロクマだけの問題なのかというあたり、わたしには引っ掛かりが残ります。
> そして、もしもメーカーがその希有な事態を無自覚に引き起こしたのだとしても、無自覚であったこと自体、つまるところシロクマというヒロインにそれだけ無関心だったということだ。
こちらのdovさんの記述に関連するあたりともなり、dovさんの失望からはポイントがズレてしまうのですが、考えるきっかけを得たこの場を借りてひとつの見方を記します。

(なお、以下の長文はまとめてしまえば「ユーザーに媚びたキャラデザが悪かった。これもうシナリオライターのせいじゃなくね?」ともなります。)

 わたしにはどうも問題を"シナリオライターである新島氏"の職分において捉えるのは適当でないよう思えます。むしろ"ディレクターである新島氏"に責任のある、のみならず企画や広報も関わってプロデューサーの職分にまでおよぶ問題が背景にあって、そちらが本丸なのではないかと。そして不遇が重なったにせよシロクマだけの問題とも思えません。

 いつだったかTwitterで、ユーザーの方(?)に涼屋スイさんがリプライして「#新作が発表され喜ぶシロクマ」「なんかうれしいグルグルシロ!」のようなやり取りをされていました。エロゲの話題を扱う個人ブログや掲示板においても「グルグルシロ」と書き込めばインパクトがあり、合いの手も入れやすく、しかもたったそれだけでシロクマをほぼ過不足なく表現できます。なにしろシロクマにまつわる物語では地の文をはじめ、文のつながりの存在が薄いです。"文脈にしばられない固有のセリフ"と"パターン化されたやり取り"があってしかもそれと一体化しているキャラクターというのは、容易で楽しいプロセスが繰り返されていくようなソーシャルメディア(例えば短文が単位のTwitter)では活躍がしやすく、作品およびブランドにユーザーや潜在的ユーザーを引き合わせる機会を増やします。

 企画書でTwitterやらが明示的に想定されていたとは思いませんが、シロクマに話題になりやすいような、ソーシャルメディアでも容易に再現できるようなキャラクター性がつけられたとして、それがエロゲの"物語の部分"とはそぐわないものであったなら、それは物語がダメになった言い訳とはなりませんが物語がダメになる一因とはなったかもしれません。例えばわたしが妄想する状況というのは、"新島氏がディレクションなど他の作業をこなす合間々々にシロクマシナリオを書くとき、その手もとに「初雪とグルグルシロのやりとり。献身的、無邪気な楽観。テンポよく、くりかえし印象づけ」とコンセプトを記したメモがあった"というようなものです。そんな経緯のうちにコマ切れにシロクマが奇行を繰り返すようなシナリオとなり、いつしか『はつゆきさくら』のゲーム内の物語はシロクマの最も活躍できる場ではなくなったのかもしれません。

 さて、シロクマはあまり人気がないヒロインです。宣伝素材や抱き枕等グッズから見て、少なくともSAGA PLANETSにはそう判断する材料があったようです。多くのエロゲと同じく『はつゆきさくら』は複数ヒロインでの抱き合わせ販売なので、ひとつの"アイドルユニット"になぞらえることも妥当と考えますが、そのユニットの中で玉樹桜がセンターを張るとすれば、シロクマにはイロモノとして「グルグルシロ」と叫んで衆目を集めるポジションが割りふられました。これもまた必要あるポジションです。その役割分担の上でシロクマの"出来高"が少なかった場合に、魅力的な「グルグルシロ」を教えられなかったシロクマ担当のボイストレーナーの責任を問うことにはやや道理がなく、そこはアイドルユニットのプロデューサーがまとめて責任を引き受けるべきところです。

 もちろんdovさんも仰るとおり、上からねじ込まれた仕事だろうと仕上げきれなかったプロは責めを負います。また財務的にも人的にもリソースの足りないエロゲ業界ではどうしてもシナリオライターが負わざるを得ない仕事であり、奇抜なキャラクターを要求されてもそれをうまく物語に落とし込んで仕上げているシナリオの例も実際にいくらだってあります。シロクマシナリオについては、致命的にストーリー作りに失敗しています。ですが、これはまた本来としてシナリオライターに仕事を投げる人間の職分における問題でもあり、シナリオライターが仕事を放棄したと言い切ることまでは苦しいように思われます。

 ここで他の萌えゲーのメーカーに目を向けると、なにやらClochetteが乳袋を膨らませています。妙な例えとなりますが、胸の大きさだとかカノジョに対して求めやしませんけれど、それとは別に、野郎どもと「あの女優おっぱいデケェなおい!」と騒ぐのは場を盛り上げます。ALcotハニカムは駄妹というフレーズを二代目へ襲名させ、ASa projectは芸人ヒロインの新ネタに余念がありません。このあたり、成熟化する(そして市場が縮小した)エロゲ業界においてゲーム内の物語にも優先されるものとして、話のタネとなりやすい、ソーシャルメディアとも相性の良いキャラクター性というのが企画からすでに強く意識されているようにも見えます。四季シリーズ以降のSAGA PLANETSは(主題歌のような宣伝素材まで含めて)広報にも力を入れているメーカーだと存じますが、前述のようにシロクマにも似たような企画意図はついていたのかもしれません。とするならば、シナリオライターの頑張りが足りずダメな物語が出来上がってしまったかには関わらず、このあたりにはシロクマにもSAGA PLANETSにも限られない問題が地続きで存在しているのでは。ヒヤリ・ハット。

 エロゲに隣接したコンテンツにふれるなら、ニコニコ動画などの"コメント"をあらかじめ織り込んだようなアニメ脚本(ex,『生徒会の一存』)、Steamクライアントで整備されていく実績/ゲーマースコアを意識したPCゲームのシステム(ex, 実績とゲーム内アイテムを結びつけた『Team Fortress 2』)あたりも、ソーシャルメディアを念頭に置いたことでコンテンツの中身が変質しています。エロゲであれば物語にも相当するものが変質しているのかと。

 わたしはエロゲをまず"読み物"として扱っているのですが、あるエロゲの物語がダメになったとして、それをシナリオライターの職分での問題として捉えることにますます無理がきているように感じております。素直なところ、シナリオライターのパフォーマンスと物語のパフォーマンスが対応している状況というのはわかりやすく好みなのですが。

 長文失礼しました(それも一年以上ものタイムラグで)。dovさんがサッカーをやっているところに、野球のグローブとホームベースを投げ込んだ心持ちです。キャッチボールすら出来ていない。ご容赦をください。
Sek84832013年08月18日