OYOYOさんの長文コメントへレスをつけたもの

OYOYO

できるだけその作品の可能性の最大値を考慮する努力は忘れないようにと言い聞かせつつ、最後は好みで点数つけています。細かい配点は心の中に。
大好き(95以上)、好き(94~85)、満足した(84~75)、元はとった(74~65)、ぎりぎり(64~55)、赤点(55未満)くらいの感じです。

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74ハルキス (戯画)
男前なヒロインたちが主人公を巡って争う話……かな?たぶん。 → 長文感想(4646)(8)
総プレイ時間 : 16h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスkoiwai さん江

再コメントをありがとうございます。

盗用の件については、koiwaiさんが騒動のことを知らないと書いておられたので、まとめた程度のつもりでした。申し上げたかったのは、当事者間で決着がついているので実態がどうであれ盗用・盗作にはならないということです。

この件について私がずっと繰り返してきて、おそらくkoiwaiさんに伝わっていないのではないかと思うのは、【法的に盗作とされること】と【社会的に盗作とされること】と【実際に盗用したこと】の3つは分けて考えるべきだということです。

今回の場合、ご本人が盗用・盗作の意図を否定していますので実際に盗用したかどうかは解りません。法的には盗用ではないという話になると思います。しかし、社会的には盗用と思われても仕方ないレベルではないか。そういう意味で「疑惑」と申し上げています。「疑惑」とカギカッコをつけたのも、そういう意図です。ですから擁護ではないつもりです。

延々繰り返していることなのでお解りいただいていたかもしれませんが、どうもそのあたり誤解があるように思われました。コメント最後の「それはそうとOYOYOさん」の部分へのお答えもこれで足りるかと思います。

レストランを巡る創作性の話については、失礼ながら問題にしていることが違う、という話を申し上げたつもりです。koiwaiさんがおっしゃっている創造性の問題というのはたしかに成立するし、それは私が問題にしていることとは重ならないはずです。

「盗用がいかなるものかってところで食い違ってる」とkoiwaiさんはおっしゃっていますが、それ以上に、作品と作者、作者の意図と読者が受け取る効果の分け方が私とkoiwaiさんでは違うのかなと思います。

贋作云々のお話については理解しました。ただ、それならば私は一応贋作であるということを踏まえて、「私にとってはこの箇所が盗用だろうがそうでなかろうが大した影響はないと思う」というかたちで評価をしています。感想本文にもそう書きました。他の部分については盗作・盗用であるかそもそもわからないので考慮していません。面白いお話だと思ったのですが、「いちゃもんの為になんでもいいからとりあえず書き込んでた」というのは残念です。ただ、議論のしがいはあるところだと思ったので返答いたしました。

最後に、koiwaiさんは「よい審査の仕方」について引っかかっておられたということなのでしょうか(別にお返事はいただかなくても結構です)。作品を批判したいわけでもなく、盗作について批判したいわけでもない。そうなるとターゲットは論者である私ということになります。

たしかにkoiwaiさんは私の考え方、私の態度のようなものを批判しておられたように見えました。私の考え方そのものに矛盾を感じておられるのかなと思ったので、前回の返答では私の中では一貫した意見である、ということを説明したつもりだったのですが、そういう話ではなく、要するに私はkoiwaiさんの考える「よい審査員」ではないということだったのでしょうか。

だとすれば、おそらくその通りだと思います。そしてその立場は今後変わることはあるかもしれませんが、今のところ動かすつもりはありません、ということでお返事とさせていただきます。
OYOYO2015年02月13日

74ハルキス (戯画)
男前なヒロインたちが主人公を巡って争う話……かな?たぶん。 → 長文感想(4646)(8)
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最新レスManOuterMan さん江

議論に対してのコメント頂きありがとうございます。誠実な姿勢や態度を重視した、良識ある内容に頭が下がります。

ただ、icorlさんご自身の本作に対する「一言感想」などを拝見した限り何がしかプレイされて思うところがおありになったようですし、それがどうして私へのコメントになったのかは今ひとつ判りかねますが、お話する余地もあるのかなと思い上のような返信をしております。

作品や評価に関する議論で盛り上がるなら私も楽しく読む方にとっても有意義だと思うのですが、そこから外れてしまうと不毛な話になりやすいので、お怒りはいったん鎮めて見守って頂けると幸いです。もちろん、作品に関するお話なら大歓迎ですので是非。

ともあれ、お気持ちありがたく頂戴いたしました。
OYOYO2015年02月12日

74ハルキス (戯画)
男前なヒロインたちが主人公を巡って争う話……かな?たぶん。 → 長文感想(4646)(8)
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最新レスkoiwai 様江

コメントをありがとうございます。ご意見興味深く拝読しましたが、幾つか誤解もあると思ったので適宜補足しながら返答して参ります。

今回の件は、原作者と思われる方と森崎氏の間で既に「模倣と思われるシーン、設定が存在」しているが、「盗用しようとした」わけではない、というかたちで和解が成立しています。なので、現状社会的に明らかな犯罪がなされた、という話ではなくなっている(私は正直、あまり納得できていませんが)。剽窃、盗用に関してはあくまで「疑惑」の域をでないという前提で話を進めます。

まずレストランのたとえですが、私は「盗んできた肉であっても味には影響しない」という立場です。肉を盗んだら問答無用で犯罪なのでもう少し実情に即したたとえを試みれば、Aレストランの秘伝の味を真似したものを自分の店Bで出した、みたいな感じでしょうか。それがその店(B)のオリジナルだと思っていた人にとっては嘘をつかれたことになりますが、美味しいか美味しくないかはオリジナルかどうかとは別に判断可能でしょう。

ただ、それはあくまで私の立場であり、koiwaiさんがおっしゃっているのは、トータルの満足度として影響があるということなのかなと思いますが、いかがでしょうか。Aの店がオリジナルならAの店で食べたかったし、知っていればわざわざBで食べたりしなかった。そもそも騙されたみたいで気分が悪い、と。そういうお話なら同意できる部分もあります。

その後の、腐った肉云々のお話は、いつの間にか盗んだ肉が腐った肉になっていて違う話になっていたので省略しますが、別のところの評価を加える場合もあるというところは同意頂けたのかなと思います。

次に、グラフィックや演出を批判しているのに作品を評価しているのはおかしいという件は、「若干」であり「致命的」なのも1部のみなので、特に矛盾はしてないつもりです。ただ、シナリオを中心に評価しているという点についてはご指摘の通りです。

ただ、私が「ライター擁護」をしているという件について。私の感想はそもそも森崎氏がコメントを出す前に書いたもので、事実関係が確定していないので擁護も何もありません。ただ、本文にも書いたとおり森崎氏に管理、倫理上の責任があると言っているし、こちらはコメントに書きましたが道義的責任は重たいと思っています。これを読んでライター擁護だと受け取られたなら心外です。

作品として良いところがあったというのと、ライターに責任があるかどうかは別というのが私の立場で、それは上のこととも関わってきますが、私は「味とシェフの人格は別」と考えているということをご納得いただければ幸いです。

もしかすると「断罪」してはならない、みたいなところでライター擁護と受け取られたのかもしれませんが、私が言わんとしたのは、氏を罪人と見なすことで氏を批判することが正義、そうしないことは悪だと単純に考え、他の立場に不寛容になることです。氏を批判してはならないという意味ではありません。

その後の、私が書いた「絵画」のたとえへのご批判ですが、これは別に芸術特有の話をしているつもりはありません。創作物、あるいは表現一般の問題を書いたつもりですし、コメントの中でも「創作物」というかたちで一般化しています。逆に質問になりますが、私のたとえで芸術特有の問題が発生していて、そのことでたとえが成立していないと思われたのでしょうか。私には自分の書いたことだけにその辺が見えていないので、具体的にどの点がそうか是非お教えください。

最後に、「このサイトでするべき評価」について。

このサイトに「するべき」評価の方法があったというのは寡聞にして存じませんでしたが、koiwaiさんがシナリオに剽窃疑惑があればシナリオの点数をマイナスにつけておられることは理解しました。また、それを否定するつもりはまったくありません。作品としての、あるいは商品としての価値が落ちるのはその通りでしょう。

ただ、私はそれとは違う立場であり、結果としてできあがったものを作者やブランドといった背景とある程度切り離して評価する方法を今回は採った、というだけです。ライターの森崎氏を擁護するとかそういう話ではなく、方法論の話を一貫してしているつもりでした。

その辺が伝わっていないのは、やはり私の説明に至らないところが多かったせいなのでしょう。気づかせてくださったことにお礼を申し上げるとともに、今回の説明やりなおしで少しは伝わればいいなと(やたら長くなってしまいましたが)願うばかりです。

なお、私はシナリオを中心に評価をして感想を書きましたが、それ「だけ」ではなく他の要素もある程度評価しているつもりです。その点koiwaiさんは、シナリオに盗用があれば「他の部分を評価するのも無意味だよね」と、かなりシナリオに重きをおいておられる。盗用疑惑が絵や音楽でも同じことをおっしゃるのかもしれませんが、ひとまず「シナリオライター批評空間」で活動するのは私よりkoiwaiさんのほうが相応しいと思うので、謹んでお譲りいたします。

以上長くなりましたがご返信いたします。乱文で意味が分かりにくいですよね。申し訳ないです。また、koiwaiさんのお話の意図を汲みきれておらず不快に感じられる点があるかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。
OYOYO2015年02月10日

74ハルキス (戯画)
男前なヒロインたちが主人公を巡って争う話……かな?たぶん。 → 長文感想(4646)(8)
総プレイ時間 : 16h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスicorl 様江

タコでございます。こんばんは。

コメントありがとうございました。間違っているかもと思いつつご指摘を以下の3点であると解釈いたしました。

1)森崎氏の「盗作」問題の是非
2)剽窃が疑われる作品に高評価をつける私の態度の是非
3)剽窃の結果できたかもしれない作品内容自体の評価

まず1について。ご覧になったかわかりませんが、森崎氏は今回の件についてコメントをだしておられます。個人的には森崎氏の謝ってるのか何なのかよくわからないコメントに納得はしておらず、残念に思っています。これをもって「二度と森崎作品は買わない」とするのは自由ですが、当事者間で話の決着がついたことですので、第三者の私たちができるのはそうした個人的嫌悪感の表明までであり、是非をめぐる「断罪」をしてはならないと考えています。

次2について。私に「消えろ」というあたりから、こういう作品に一定の評価を与える態度は許せないという意図を汲んだつもりです。

私としては、全シナリオが「盗作」だったわけではないので、作品全体をそのように扱うのは拡大解釈しすぎかなと思います。盗作していない部分はそのまま評価しても良いのではないか、と。

但し、剽窃行為を是とするつもりはなく、また私のような態度をとることで、同じような行為をしても許される空気というか土壌がエロゲー業界全体にできあがり、それが業界全体にマイナスの影響をあたえている、みたいな批判ならば甘んじて受けいれます。

最後3について。これはicorlさんが明確に言われてはいませんが、「パクリ」だから「意味なんてない」という発言をうけて、「盗作」という道義上の問題とは別にクオリティ面でも影響があると言っておられるのだと読んで回答します。

icorlさんにはicorlさんなりのお考えがあってのご発言だとは思うのですが、私としては簡単にそうは言えないかなと思っています。

まず、道義上の問題と能力の問題は一致しません。人間のクズがつくっても素晴らしいと思える創作物はあるし、善良な人がつくってもつまらなく感じる創作物はある。詐欺師が書いた小説や贋作画家の描く絵が凄くいいことはありえるし、真似されたものより真似した側のほうが必ずしも劣るとは限らない。今回の場合は特に、原作者が検討したうえで外した展開(このみの初Hにいたるまでの展開)をあえて導入しているし、文章もまったく一緒ではありません。同じ展開であっても伝わる印象や意味は変わってくるでしょう。

だから内容を評価するなら、このみルートは「パクっていたからつまらない」ではなく、「物語のなかでこの部分はこういう効果しか発揮していないからつまらない」みたいな話にすべきなのかなと思います。実際、他の方の感想などを拝読すると、あの展開の唐突感や脈絡のなさがマイナスだとして否定的に捉える意見があります。

私は「心が伴わず外的状況にひっぱられて付き合い始める」という展開は修司の情けなさ(状況がうごかないと態度を決められない人って多いじゃないですか)や孤独の深さを表す象徴的なできごととして成り立っているようにも思うし、またこのみがなぜアレをゆるしたのかを考えることで、このみという女の子のパーソナリティーに迫ることもできると思っています。

私の考えが妥当かどうかはともかく、そういう議論ならば参加できます。私の考えは概ね感想で書いたとおりですので、icorlさんが「盗作」のあった箇所が作品中でどのように働いていて、それがなぜダメと考えるのかをお教え頂ければ嬉しいです。もちろんそれはどちらが正しいという話にはならないでしょうが。

以上、お答えになったでしょうか。論点がずれていたら申し訳ありません。
OYOYO2015年02月09日

66エッチから恋を引いても、友達にさえなれない。 (WendyBell)
人間誰だって、他人からどう思われているかは気にかかる。まして相手が、想い人なら尚更だ。 → 長文感想(2600)(2)
総プレイ時間 : 10h
最新レスdovさん

コメントありがとうございます! お久しぶりです。というか、コメント頂いていたのにお返事遅れてしまって申し訳ありません。

さて、興味深い見解をありがとうございます。「恋を引く」というのを、「恋を打ち明けない」ととるのですね。なるほど……。私の二番目の考え(恋心はとても大事だよ)に近いのでしょうか。違いがあるとしたら、登場人物の気持ちとして読むという点と、そこに「打ち明ける」という要素を読むか読まないか、ですね。

私の意見としては、作品を見る限り、この二人は「恋」をしていない状態でエッチをしているので、必ずしも「打ち明ける」ようなことは想定されていないのかな、と思いました。ただ、主人公のほうは綾辻さんに憧れみたいな気持ちを抱いていたので、彼の気持ちとして読む、というのはなるほどと思います。

そうなると、「エッチしたけど恋してない(恋人ではない)と、友達ですらない」という悩みなのかもしれません。

大変参考になりました。ありがとうございます。これプレイされた方はどう考えたのか、地味に聞いてみたいとこではありますねぇ……。
OYOYO2013年07月19日

76幼馴染と十年、夏 (夜のひつじ(同人))
私だけかね……?まだ幼馴染に出会えると思っているのは……。あきらめたらそこで試合終了ですよ? → 長文感想(4200)(2)
総プレイ時間 : 5h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レス引っかかっちゃった!

というわけでここでの皆さんのお薦めがなければプレイしていなかったと思われる良い作品でした。この場をお借りしてではございますが、興味深い感想を投稿されておられた皆さまに感謝を。


私自身はわりと感情を重視して読んでいるつもりなのですが、それは作品となったときには表現に宿るので、それを何とか捉えたいし、私自身もきちんと「形」にしたいなとは常々思っています。すべてを表現することはできなくても、逆にできた部分とできなかった部分がハッキリすることで見えてくるものがある、そんな感じで。

『幼馴染と十年、夏』という作品は、ある意味でそういう形(たとえば感情語)に嵌めづらい感情をうまくとりだそうとした作品だったと私は思うのですが、それはただナマの形で表現したというより、枠に収まらなかった余剰として表現されているように見えました。主にHシーンとか(笑)。

だからこそ、「嵌めようとした枠」をきちんと提示できていればもっと良かったのかな。そんな風に思って上のようなことを書きました。「この物語は、読み解く類のものではない」と仰っておられたえびさんにはどう受け取られたか少々不安ですが、作品を読み解くというより、楽しむための土台のお話だと思って頂ければ。


えびさんご指摘の通り、エピローグからこの物語が「回想」であることはその通りだと思います。実は私も、序盤第一部の枝梨の日記の話と、シーンの名前(「夏休み何日目」のような)から、「日記」なのだろうとか邪推してました。視点人物は葉人に固定されていますし。

ただ、逆にエピローグのところで、葉人が目覚めた後の地の文でも「葉人が少しでも眠そうなそぶりを……」と、一人称の「僕」ではない言い方をしていまして、ああ、語り手と葉人(視点人物)は別でいいのか、と思いました。書き手の方の意図はわかりませんが、作品としてはそちらのほうが通りやすいのかな、と。

異なるご意見があればまた、ご指摘頂けると嬉しいです。私も、いろいろな意見を読めるのが楽しいので。


あと、私の上記の路線でいくと、やっぱりタイトルが秀逸だなぁと思います。

「最後は幼馴染という形式を突き抜けて」と私は書いたんですが、枝梨をなんと呼ぶかというと、まあ「幼馴染」でしょう。付き合い長いし。でも、じゃあ「幼馴染」というのは枝梨のような相手を言うかというと、それは違うというか、枝梨は枝梨なわけじゃないですか。だから、「枝梨と十年」でも良かったと思うんですよね。

でも、そうしないであえて「幼馴染」という抽象的枠組みを先にあてはめることで、それとのズレとして具体的な枝梨ちゃんを写しとってる感じがする。たぶん作中一度も、「幼馴染」っていうことばは出てこなかったですよね……? 「幼馴染」ということばは、作品の外部の、つまり私たちに与えられたことばなのだと思います。(勘違いの可能性あり)

私たちが「幼馴染」ということばから連想するイメージを梃子にして、「夜のひつじにしか描けないたったひとりの幼馴染」(枝梨ちゃん)を描いているのかなぁ、と。それはもう、「幼馴染」という一般的な枠にはあてはめられないキャラになってると思います。その意味で『うちの妹のばあい』と似た空気を感じるというか(NTRに行けという話ではないですよ)。

ちょっと話がズレかけましたが、じっくり読んで味わい深い作品でしたし、こうしてコメントでお話しする機会にもなったことを嬉しく思います。ありがとうございました。
OYOYO2013年01月19日

35欲情トマランナーズ ~エルメロスは絶頂した~ (softhouse-seal)
いつも通りのsealといえばいつも通りですが、いつにもましてチープな作りが光る怪作。とにかくツッコミどころ満載。まさしくギャグの玉手箱。sealブランドに多くを期待せず、しかし時々飛んでくる地雷をも楽しくプレイできるsealゲーマー的にはなかなかオイシイのですけど、その辺見誤ったらブチ切れ間違いなし。阿鼻叫喚の地獄絵図が待ち受けています。 → 長文感想(7000)(2)
総プレイ時間 : 4h / 面白くなってきた時間 : 3h
最新レスjihadさん江

コメントありがとうございます! 少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。最近、sealさんの作品は感想を書くまでが楽しみという感じがしてきました……。
OYOYO2012年11月29日

88古色迷宮輪舞曲 ~HISTOIRE DE DESTIN~ (Yatagarasu(八咫鴉))
中盤以降、バラバラだった幾つもの断片が繋がって行く。点と点の間の「伏線」(文字通りの見えない線)を繋ぐことで星図を描くシステムが、まるでできごとを連関させて物語を組み立てる作業のよう。こういうアイディア性と遊び心のある工夫を凝らした作品にはなかなかお目にかかれないだけに、もしも見逃していたら、私としてはとても悔いが残ったと思う。これからプレイする方にアドバイスするなら、「絶対ネタバレは見ないほうが良い」ということ。公式をはじめ多くの人が同じことを言っている事実が、本作の魅力の説明でもある。つまりこの作品のウリは「さきの見えない面白さ」。ネタバレしてしまうと面白さ半減なので、コンプリート要素は攻略等のお世話になるのは仕方ないとしても、一周目は自力をお薦めしたい。なお長文感想はネタバレ全開なので、プレイ予定の方はお読みにならないよう、くれぐれもお気を付けください。 → 長文感想(9148)(ネタバレ注意)(14)
総プレイ時間 : 36h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レス再び返信が遅くなって申し訳ありません……。

◆s0meok様
再度丁寧なお返事ありがとうございました。

「サキと行人にとって救いになっているものが、サキと咲、美星と美月に関しては、邪魔になっていると説明していたつもり」という部分である程度理解・納得いたしました。ありがとうございます!

また、「やっぱり重なることは出来ないから」であるとか、星と月がうまくいくには「もう1プロセス必要になる」というのは腑に落ちるし(たとえば夜空が必要だ、みたいなことなのだと理解しています)、それをうかがうとやはりそれほど私の考えていることとも遠くないのかな、と思いました。

◆dov様
いつも丁寧なコメントありがとうございます。「申し訳ない」だなんてとんでもない! 三度どころかサンドバッグでもご褒美な人間ですので、ガンガンつっこみを入れて頂ければ恐悦至極。非常に鋭い(というと何やら偉そうですが)ご指摘で、「おお、ここをきちんと説明できれば言いたいことがハッキリするな……」というポイントを的確に突いてくださるので、随分内容も鍛えられ、本当に嬉しい。そもそもこんなに丁寧に読んで頂けるだけでも光栄ですし。

1.「運命」について
およそdov様のお考え通りです。登場人物(行人)たちがベタで使う「運命」という語よりは広い意味のつもりでした。ただ、作中に完全に出てこない新概念というつもりではなく、メタの視点(舞のように)に立つキャラからは把握できていると考えています。最後まで詰めて考えてはいませんが、最終盤の行人やサキの使う「運命」という語はだから、もしかすると私が使っている意味と重なるかもしれません。

もう少し踏み込んで言えば、キャラクターたちが使う「運命」という語の意味は常に一義的ではなく、進行によってずれていると見た方が自然かと思います。「運命」の語義が一定でないことは、用語のブレと考えればこの作品の瑕疵となるかもしれませんが、意味をずらすことで行人たち内部で生きているキャラの、世界に対する認識の深まりを表現していると考えてみることはできるかな、という立場のつもりです。

2.「説明が難しいシーン」
▼『シーン1』
「なぜサキはそれ(行人の自殺)を止めたのか?」というdov様の疑問に対する回答は、上のように「キャラも世界理解が段階的に深まっている」ということを踏まえ、「このときの」サキには「死」の意味がよくわかっていない、ということになります。ご指摘の通り物理的な死であっても行人は「運命を遡」っています。そして、運命の輪の中で死ぬというのは、たとえ運命量の枯渇ではなくても、単に来たるべき死のさだめに絡め取られているだけだ、というような説明が序盤にされていました。その説明に沿うなら、運命量の枯渇と事故死(やトラブルに巻き込まれて死ぬ)のは質的に差がない。どちらも運命のせいだということでしょう。

結果的にはこの説明がある程度正しくて、ここでの「死」は「消滅」ではなかった。ただ、この時のサキはそれを理解していなかった、という感じだと考えています。このことは後述される『シーン2』のサキの死に関しても言え、事象を越えることが可能なサキの場合、この物語の中では一回性を失わない可能性があるのではないか。そして実際、サキはその存在が一繋がりであるかのように描かれていると思います。

▼『シーン2』
この点に関しては、説明がうまくいかないのではないかというご懸念の部分も含め、dov様のご指摘こそが私の言いたかったことをほぼなぞってくださっています。ただサキに関しては、「この」運命の範囲外にいるのではなく、行人と同様に一回性の中にいる、と考えます。もうちょっと詳しく書いていきます。

「三月ウサギ 死」の場面の後、パラドックスに巻き込まれた行人は時空の狭間(?)でサキに向かってこう言っていました。

「サキがいなくなる? それは誰が決めた? 誰がそれを観測し、経験をした? サキの意見も、美月さんの言葉も――全部、空論に過ぎない。それを確かめるのは、これからだ。だから。「サキ、俺はお前を見つける」」

この「サキ」はそれまで行人と一緒にいたサキ(サキA)ではなく、それまで隠れていたサキ(サキB)です。その彼女を、行人は「見つける」と言っている。この物語の本当の意味での出発は、行人が「お前」であるサキ(これまでの言い方を継承すれば、これはまさに「この」サキだと思います)を見つける、というところにあったわけです。では果たして、彼女は見つかったのでしょうか。

木箱の工作の後、サキは行人に箱のトリックを説明しますが、その中で「最初の事象、美月による一度目のパラドックスの後、私は行人の言葉を二度目のマーカーとして戻る必要がある」と言っていました。ここでサキはサキBとして、一旦パラドックスから行人を救い出し、その後行人の言葉をもとに箱の中に戻ってくる(そして記憶を失う)ということになっています。つまり、(細かい疑問点に目をつぶれば)あの時一緒にいたサキAは記憶を失ったサキBであった、ということでしょう。そしてサキは事象を移動できているということを考慮すると、おそらくですが、行人同様「主観」は同じ事象へとブーメランで巻戻っているはずです。それなら、この物語でのサキは行人と同様「この」サキだと言える。この連続性が一葉たちとの違いです(サキは行人と同様存在が連続していると考えられる)。

私の書き方が拙いせいで分かりにくくなってしまったかもしれませんが、dovさんのご質問への直接的なお答えは、以上から2つ。まず、「運命量枯渇ではなさそうな死」=「消滅」ではなく、途中で死ぬのも運命量枯渇と同じである。次に、描かれているサキは存在がぐるっと一周しているだけで同じサキであり、だから「この」サキは「この」行人を喪わない。そのように言えるのではないか。

一応これで答えることができたつもりではいるのですが、dov様が仰っている「ゲーム内でマリオが死にまくってるのと何の違いがあるんだ」というのは、私の感想の一番核心をえぐるツッコミであると思いますので、もう少しだけ追記させてください。実はある意味でいえば、私の感想は「ゲーム外で無数のマリオの死が発生しているものの、一応「この」プレイではマリオが1人も死なないTAS動画みたいなもの」という解釈で概ね間違いないつもりでした。

私は感想本文の、「▼ 現実と運命」のところでこう書きました。「私たちは、一つの疑問と向き合わざるを得ない。それは、自分の「主観」をありえたであろう多くの可能性の一つにすぎないと見なす本作のありようは、自分の生の運命を軽視する(所詮可能性の一つだという形で)ことにならないか、という疑問である。」云々。

私達が見ているのは、「行人A」の運命ですが、その外側では途中で再起不能になって消えている「行人B」やら、一葉とひっつく「行人C」やら、和奏とひっつく「行人D」というのも当然いるはずです。それは並行世界を認めるということの必然です。

通常、いわゆるループもの作品というのはループからの脱出(ループしない状態)を目指します。それによって唯一絶対の世界は正常に戻るわけです。ただその場合、最終的にループしなくなった時点から振り返ってみると、ループを脱出できなかったルートというのは「失敗」ですから、そこで結ばれた関係というのは否定されることになります。『Hyper→Highspeed→Genius』(ういんどみる)で、ループを繰り返していた主人公の久司朗は物語の終盤、「そうか。俺は今までの世界を捨ててきたことになるんだな」と言うのですが、これはとても重要な一言でしょう。もしも「正しい解」が一つであり、そこに至ることこそが良いという立場をとるならば、「捨ててしまった関係」(たとえば、ループ時には結ばれるがループ解消時には結ばれないような関係)をどう扱うかが難問として立ちはだかることになります。

本作はその問題に、一つの解決を与え得る(実際与えているかどうかはともかく)、というのが一応の私の主張です。『HHG』のような問題が発生するのは、「世界が唯一」だからです。ところが本作は、そもそも世界は並行だと言っている。つまり、行人がループ(狂った運命)を脱出して一葉や和奏と結ばれる世界もあれば、脱出できないでロストする世界もある。それぞれの世界にはそれぞれの行人がいて、生きたり死んだりしている。私達が見ることができるのは、その中のいくつか(サキと一緒に消えた「この」行人と、「この」行人が消えた後の世界で見る別の行人の生)にすぎません。

s0meok様への返信で私は「マリオみたいに次から次に新しい配管工が出てきて、トータルとしてゲームをクリアーすれば良い、という発想」ではないと言いましたが、「トータルとしてゲームをクリアーすれば良い」というのが今述べた「唯一の世界」のために、個別の行人を手段として使うこと、という意味のつもりです。でも本作はそうではない。この作品の「可能性」の1つ目というのは、途中で力尽きた行人(マリオ)がいたとすれば、その行人にとっての生はそこで終了しているのであって、決して他の行人AやBやCと替えられるものではない、というところにある。そしてその一つ一つは、無数にありえる可能性のうちの唯一の存在という形で替えのきかない価値を持つ、という感じです。

行人Aは運命からの脱出を目指したけれど、そうでない行人も居たかもしれず、それぞれがかけがえのない意味を持つ。作品に直接書いていることではないけれど、内部のロジックを突き詰めればそれに近いことが言えるのではないか、と。

でもそれを言うだけなら、途中で行人が消滅して終わり、という作品でも良かった。「この」サキとの交流という形が描かれたのは何故か。その意味というのが「主観の断絶」でした。

この作品の構造を更に徹底するなら、世界は行人の数だけあるのではなく、登場する全ての人物の数だけあるはずです。まさにdov様が仰っておられる通り、「この」サキや「この」一葉、「この」和奏がいる。行人と同時に他の登場人物たちも一回性を持っており、それぞれのサキや和奏や一葉が、それぞれの世界を持っているはずです(別の言い方をするなら、サキや和奏や一葉の視点に立った物語もありえる)。でもそれなら、それぞれの「主観」の世界は重なることがあるのか。人は自分の「主観」の世界に永遠に独りぼっちかもしれません(行人Aが「消滅」すると、彼にとってのサキや一葉は消えてしまうと考えれば、行人Aの世界にはサキや一葉はいなかったと言えるかもしれない)。「主観」が重なるかという問いは、《並行的な世界像を立てることで「唯一の」存在性を獲得した行人たちは、実は同時に独りぼっちになってしまうのではないか(「他者」と交流可能なのか)》という、避けて通ることができない問題であるように思います。

そして本作の物語は、それはきっと可能なハズだと言っている(その方法は、「一途に相手を想い続けること」なのでしょう)。「この」行人と、彼と同じように事象を旅していた「この」サキとが最後に出会うことができたのですから。「この」サキと「この」行人が、主観が消滅した先へ進んでいるのにはそのような意味があるのかなと思っていました。ただもちろん、「なぜ」それが可能なのかということは解き明かされない。そこはもう、信じ、祈るしかないのだと思います。そして、その祈りを捨てた世界がどれだけ悲惨なものであるかというのは、サキと行人の行く末とまったく逆の方向に進んだ、リエーブルマンの世界(美月が辿り着いた世界)が示していたのではないでしょうか。

と、少々脱線気味になりつつこんな感じですがお答えになったでしょうか。

dov様やs0meok様からご質問頂いたことによって私なりにはっきりした形になってきた部分がたくさん出てきて、なんだか私はもの凄く得をしているなぁ、と感謝の気持ちでいっぱいです。改めましてありがとうございました。
OYOYO2012年08月21日

88古色迷宮輪舞曲 ~HISTOIRE DE DESTIN~ (Yatagarasu(八咫鴉))
中盤以降、バラバラだった幾つもの断片が繋がって行く。点と点の間の「伏線」(文字通りの見えない線)を繋ぐことで星図を描くシステムが、まるでできごとを連関させて物語を組み立てる作業のよう。こういうアイディア性と遊び心のある工夫を凝らした作品にはなかなかお目にかかれないだけに、もしも見逃していたら、私としてはとても悔いが残ったと思う。これからプレイする方にアドバイスするなら、「絶対ネタバレは見ないほうが良い」ということ。公式をはじめ多くの人が同じことを言っている事実が、本作の魅力の説明でもある。つまりこの作品のウリは「さきの見えない面白さ」。ネタバレしてしまうと面白さ半減なので、コンプリート要素は攻略等のお世話になるのは仕方ないとしても、一周目は自力をお薦めしたい。なお長文感想はネタバレ全開なので、プレイ予定の方はお読みにならないよう、くれぐれもお気を付けください。 → 長文感想(9148)(ネタバレ注意)(14)
総プレイ時間 : 36h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レス◆s0meok様
お返事ありがとうございます。そして、気合いの入ったご感想の投稿お疲れさまでした。早速拝読いたしました。引用に関しては引いていただけることはむしろ光栄くらいに思っておりますのでどうぞ遠慮無く。丁寧にご報告くださりありがとうございました。

コメントをどう付けるべきか(s0meok様のご感想につけるべきなのか、このまま自分の感想にコメントを引き継ぐほうが良いのか)悩んだのですが、今回は自分のコメント欄の議論が継続している部分もあったので、こちらに記載いたします。適宜s0meok様のご感想にも触れる部分があるかと思いますが、御無礼ひらにご容赦ください。

舞のポジションについてですが、「舞さんは画面の向こう側を観測できる」というのはどのくらいのレベルか、難しいところだと思います。たとえば「スキップモード」を選択したままトイレに行ったとしたら、舞は誰もいない画面の向こう側に向かって呼びかけを続けているでしょう。その意味で舞は画面の向こう側から自分たちの世界を観測している存在がいるということは理解しているけれど、見ることはできない。そのように考えたほうが良いのかもしれません。

なぜこんなことを言うかというと、もしかするとつっこんで考えると面白いかもしれないと思ったからです。というのは、舞とユーザーは声のやりとりはできることになっている。しかし本編では、触れたり見たりすることはできない。でも、「舞プラス」では触れたり(キス)、姿を見たりができるようになっている。舞の存在する空間が変質しているのか、あるいは舞の存在が変質している(舞A、舞Bではなくて「絶対値舞」みたいになってる)のか。その辺をとっかかりに考察すると、もしかするとユーザーと舞と行人たちという三者関係の見取り図がとりやすくなるのかな、と。思いつきのレベルですがお話をうかがっていてそんな風に考えました。

パラドックスの発生に関しては、舞やユーザーの能力の問題ではなく、世界の内部にいる人間同士はそれぞれの主観でものを見ているから矛盾に気付かない=矛盾(パラドックス)が発生するには世界の外側の視点が必要になる、という程度の意味であるように思います。

s0meok様がご指摘されているように、「この場に舞さんがいないが」云々と行人が言っているのに舞の声が聞こえるというのは、言われてみると確かに妙です。ただ、「舞さんが観測していないものをプレーヤーだけが観測するっていうこと自体がありえるのか」というのは明確に「ありえる」と言って良いはずです。というのは、サキが木箱から主観を移動させるトリック。あれは舞が目と耳を塞いでそのトリックを知らないことによってサキが幽霊状態になる、ということでした。一応額面通りにあの説明をとるなら、ユーザーは舞の知らないトリックを聞いている(トリックのプロセスは確認できないにしても)。つまり、ユーザーの観測は舞の観測に従属してはいない、と言えると思います。

クオリアの強弱については、私はいまだにあんまりよく分かりません。ただ、s0meok様のご説明では②のほうに説得力を感じます。「矛盾が起きているかもしれない」という推論の状態より、現実に発生しているものを見ることによって認識が強化される。認識の強度の問題、と考えると私としてはスッキリする感じがします。

最後にs0meok様のご感想を拝読した感想などを少し。

[1]の[b]、「①能力者が移動先をイメージできているか」という問題は上記の内容とも関わって重要なところだと思っていました。美月にしろ行人にしろ、事象移動の範囲は限られているんですよね。私達はタイムリープものに馴れているのであまり違和感を感じませんし、作中でもそんな風に説明されていたから騙されそうになるのですが、実は「タイムパラドックス」だと思っていたものがただの「パラドックス」であり、行人が飛んでいるのは「過去」ではなく「異なる事象」のように(行人自身によって)説明が訂正される部分が幾つかあったように記憶しています。もちろん同じ事象内で時間を移動することもできるのですが、あくまで主観の経験の中を飛んでいる。タイムシフト(時渡り)の能力ではない、というところはつつけば何か出てくるかもしれません。

たぶん主観にとっての未来へは飛べないということは、事象と時間が別ものであるのと同時に、舞の主観にとって未来は定まっていない(舞自身の運命はクローズなものではなく、常に現在進行形である。だから運命量が表示されない)……のようなことが言えるのかもしれない。そこから、舞と世界の関係について踏み込んで考えられないか……などと考えてみたのですがちょっと私にはハードルが高かったです。

最後に私の感想への「主観の断絶」に対するご批判ですが、s0meok様とあんまり違うことを言っていない気もしますが……。うーん、s0meok様は二人が直接的に理解した、ということなのかな? でも「わかった」「理解できた」と軽々しく口にしない、と言っておられるし……。

もし二人の主観が溝を跳び越えて重なった、という話として美星と美月のラストシーンを考えるなら、私にはそうは受け取りづらいです。私自身はそういうロマン主義的な「人と人とはどこかでわかりあえるんだ」という主張が結構好きなのですが、それだとやはり、この物語が奇跡に彩られたおとぎ話の世界を抜けだしていく物語である、という部分が薄まってしまうと思うからです。

私としてはこの物語の「理解」というのはサキと咲がそうであったように、相手と自分が違う存在であるということをきちんと踏まえたうえでこそ成り立つものではないかと思います。美月の失敗は美星のことを本当の意味で考えていなかったからだ、というのは恐らく多くの人が認めるところだと思いますが、それは美月が美星になりきれなかったという意味ではなく、美月が自分の良いとおもうことを美星に押しつけていた(美月と美星が違う存在だということをきちんと理解していなかった)、というのが私の解釈です。s0meok様が二人の会話を引用して仰っておられるように、二人の主観は「近づけた」。

けれど、もし美月が本当に完全に「美星になって」しまったら、最後に「私の声、届いているかな」と訊ねる必要はない(なぜなら、美月と美星は同一なのだから)はずです。「届いているかな」というこの問いかけこそが、それでも残らざるを得ない二人の距離であって、私達が生きていたら当たり前に感じる他の人との距離じゃないでしょうか。それを無にするのではなく、残したままで、それでも「届いた」と言えたことが(美星ではない美月が美星になれた、と言えたことが)この二人の素晴らしい救いだ、と私は言いたいところがあり……まあこの辺りは好みの要素が大きいとも思うのであまりつっこまないようにします。ただ、単に二人の間に残ってる距離を「残っちゃってる」と私が取っているのに対してs0meok様は「理解し合えた」のほうに力点を置いているだけなのかなと。内容を取り違えていたら申し訳ございません。

s0meok様のご解釈がどの程度の整合性と妥当性を持っているのかというトータルの部分の判断は到底私の手には余るにしても、複雑怪奇なこの物語を今後解きほぐしていく手掛かりとなる可能性を秘めた内容だし、作品への想いが伝わって参りました。私自身は創作的・詩的な心得がサッパリなのでその部分については偉そうに評価的なコメントをすることは控えさせていただきますが、理詰めで考える部分とエモーショナルに表現する部分を腑分けすることで世界像と登場人物の心理の両方を語ろうとしておられる部分は受け取れたつもりです。なかなか双方を織り交ぜて語る方は少ないのでとても興味深く拝見しました。

それでは、駆け足になってしまいましたがこれにて。
OYOYO2012年08月16日

88古色迷宮輪舞曲 ~HISTOIRE DE DESTIN~ (Yatagarasu(八咫鴉))
中盤以降、バラバラだった幾つもの断片が繋がって行く。点と点の間の「伏線」(文字通りの見えない線)を繋ぐことで星図を描くシステムが、まるでできごとを連関させて物語を組み立てる作業のよう。こういうアイディア性と遊び心のある工夫を凝らした作品にはなかなかお目にかかれないだけに、もしも見逃していたら、私としてはとても悔いが残ったと思う。これからプレイする方にアドバイスするなら、「絶対ネタバレは見ないほうが良い」ということ。公式をはじめ多くの人が同じことを言っている事実が、本作の魅力の説明でもある。つまりこの作品のウリは「さきの見えない面白さ」。ネタバレしてしまうと面白さ半減なので、コンプリート要素は攻略等のお世話になるのは仕方ないとしても、一周目は自力をお薦めしたい。なお長文感想はネタバレ全開なので、プレイ予定の方はお読みにならないよう、くれぐれもお気を付けください。 → 長文感想(9148)(ネタバレ注意)(14)
総プレイ時間 : 36h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レス◆s0meok様
お疲れさまです。長文感想楽しみにしています……!

ご質問のシーンですが、「鍵を入れれば回すだけ」の右上のポイント「運命の輪が狂った時」で、美月が舞にパラドックスを見せる、と言っていたシーンの回想が入り、その後です。

「今、この場所に舞さんはいない。いや、最初に狂った時、舞さんがここにいたのかもしれない。だが、今はいない。それでも、見えているものが違う者がここにはいることに、俺は気付いていた。あの時と同じように事象が観測されてしまうのだ。俺は事象を越えてきた。何者かの手によって、事象を越えることが出来たんだ。そして、その何者かは今もこの事象を観測している。」

これが、舞が不在でもユーザー(「何者か」)の観測によってパラドックスが生じたという内容と解釈した部分です。

なお、(※1) はすみません。私が引用もとの指定を間違えていました。「舞さんとは違った別の視点が俺を観測することにより、俺は事象を越える方法を身につけることが出来た。」という文言は、同じシーンではなくて「運命の輪1」(「狂った運命の改変へ」の上)でした。

以上でよろしかったでしょうか。お力になれたら幸いです。
OYOYO2012年08月15日

88古色迷宮輪舞曲 ~HISTOIRE DE DESTIN~ (Yatagarasu(八咫鴉))
中盤以降、バラバラだった幾つもの断片が繋がって行く。点と点の間の「伏線」(文字通りの見えない線)を繋ぐことで星図を描くシステムが、まるでできごとを連関させて物語を組み立てる作業のよう。こういうアイディア性と遊び心のある工夫を凝らした作品にはなかなかお目にかかれないだけに、もしも見逃していたら、私としてはとても悔いが残ったと思う。これからプレイする方にアドバイスするなら、「絶対ネタバレは見ないほうが良い」ということ。公式をはじめ多くの人が同じことを言っている事実が、本作の魅力の説明でもある。つまりこの作品のウリは「さきの見えない面白さ」。ネタバレしてしまうと面白さ半減なので、コンプリート要素は攻略等のお世話になるのは仕方ないとしても、一周目は自力をお薦めしたい。なお長文感想はネタバレ全開なので、プレイ予定の方はお読みにならないよう、くれぐれもお気を付けください。 → 長文感想(9148)(ネタバレ注意)(14)
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最新レス◆dov様(2)
再度のご返信ありがとうございます。長らくお待たせしてしまったというのに、直接返信した以外の内容もお読み頂き、それを踏まえてお話をしてくださる誠意に頭がさがります。

dov様のご質問の内容は単に「一回性」の定義をせよ、というのではなく、「OYOYOは一回性の重要性がこの作品で描かれていると言っているが、その読み筋でいけば行人を殺しまくるこの作品は、逆に一回性をないがしろにしているのではないか。この問題は解決できるのか?」ということだと解釈いたしました。つまり、一回性を重視すると言いながら軽視しているように見えるが、これをきちんと解消しないと主張が成り立たないだろうと。このご意見は私の議論にとってきわめてクリティカルなので、順を追って説明させてください。

アクロバティックに行くなら、完全にdov様の解釈通りだけど意味づけが違う――たとえば、実はこの作品のEDは感動的な終わりではなくこれ以上なく悲惨な結末として描かれていて、マリオ的な発想をするとこういう悲惨な結末になるんだよというのがメッセージだ――と言うことも可能ではありそうです。つまり、この作品は悲惨さを通して一回性の価値を逆説的に語っているのだ、と。しかしこれは余りにも実感から離れすぎているので拒否したい。素直に参りましょう。

まず、dov様が問題としておられる、ユーザーによってもたらされる行人たちの死について確認します。ある運命の中で行人の運命量が枯渇して死ぬ場合、行人は事象を遡ることになります。これは、リエーブルマンのニュース速報で「ある一定の事象まで遡ったところで、彼の姿が目撃されている」などと言われていることから一応明らかと言って良いでしょう。突発的な事故死なども、結局運命に巻き取られてしまった云々と言われることから、作中で主にユーザーの手によって引き起こされる「誤爆死」はだいたいこの類と考えます。

ところで、例の「詭弁を言うなっ!」のシーンでサキはこういうセリフを言っていました。

「私に貴様を殺す選択をしろと!? 何のためにここまで事象やり直してきた!? それならば、私もここで終わりにするっ!」(原文ママ)

作品の用語が曖昧なのですがそこに目をつぶれば、発言の内容から察するにここでサキの言う「殺す」というのは単純な死ではなく、《事象をやり直すことができなくなる》ような死のことを意味しているように思います。少なくとも、サキが事象をやり直すことと死ぬ(殺す)こととの間に質差を見ていることは確実です。

これまでユーザーが普通に目撃してきた行人たちの死は事象を遡る(やりなおす)ほうに入りますから、行人の主観は(サキに言わせれば)「死」なない、ということになるのではないでしょうか。この質差を拾うために、サキの言うところの「死」を、便宜的に主観の「消滅」と呼びます。つまり運命量の枯渇というのは主観が事象をやり直す=単なる死(≠サキが言うところの「死」)。サキと行人がここで問題にしているのは主観の消滅だということです。そして、単なる死によっては一回性は失われない。

dov様への前のお返事で「一回性を喪失するきっかけ」として私は4つの項目を挙げましたが、その中に「作中で行人が不慮の死を遂げる」とか「運命量の枯渇」を入れなかったのはそういう理由によります。

そうなると、じゃあ主観が「消滅」するってどういう条件なの、というのが当然疑問として出てくると思います。これが実はよくわかりません。とはいっても一応、現象としての違いは描かれているのでまずそれを確認させてください。

主観を切り離し「俺には事象を越える力はもう無い」という状態になった行人はユーザーの助けを借りて別の自分がいる事象へとジャンプするわけですが、「そうか、この移動は俺の存在を事象に作り出す。……もう一人の自分がいる事象へ着地する――これがその反動か」と身体的(脳でしたか)にダメージを負っていきます。たぶんこれが、「消滅」のトリガーです。サキが「詭弁を言うなっ!」といって行人を止めたのは、彼がもう一度事象を移動することでした。そんなことをしては身体がもたない、的な反対をしています。つまり、運命量の枯渇によって事象をやりなおすのではなく、「もう一人の自分がいる事象」に連続して着地しすぎたせいでダメージが振り切れると「消滅」するのかな、と思います。そしてこの「消滅」はユーザーが関与できるものとしては描かれていないということです。

で、「よくわからない」と申し上げたのは行人がどういうダメージを負ったら「消滅」するのかという条件・原理の部分なのですが……これはそもそも「自分がいる場所に事象移動すると反動でダメージを受ける」ということそのものが全く説明される気配も手掛かりも無い、突然でてきた設定なので、考えても無駄かなと半ばあきらめています。主観という言葉に沿うなら、脳がダメージをうけすぎて破壊される(笑)と主観が維持できなくなるとかそういう感じでしょうか。

というか、そもそも本当に事象移動のやりすぎで「消滅」が起こるのかどうかもわかりません。この作品、登場人物が「たぶんこうだ」と言っていることが後で間違っていると判明した、とか時々あるので、ひょっとするとここでサキは不要な危機感を抱いているだけかもしれない。言えるのは、サキが行人の主観の「消滅」を嫌がっているところまで、というのが正確でしょう。ただ、その危惧は実現するというか、実際に主観が「消滅」していると思われる場合はあって、世界そのものを消してしまう(ユーザーによるセーブデータの消去)、ロスト3経由での世界の再構築(舞の介入によるリセット)、ゲームクリアー(行人とサキが消える)と考えました。

と、ここまで書いて気づいたのですが、前のお返事で申し上げた一回性喪失の4項目、「1.セーブデータのスロットを変更する」は要りませんね……。一回性を喪失するわけではなくて別の運命が生まれている、くらいでよさそうです。こうやってつっこんで頂いたことで色々見えてくるものがあるなあと、今更ながらありがたさを実感しています!

長くなったので最後にまとめ。
・ ユーザーがもたらす行人の死は、基本的に事象の移動である。
・ 例のシーン、サキは事象移動ではない死を問題にしている。(消滅)
・ つまり、登場人物にとって「一回性」が問題になっていることは言えるはず。
・ 本当に事象移動の「反動」でサキが危惧する通りの「消滅」が起きるかは不明。
・ ただ、作中「消滅」があると解釈しうる要素は存在すると思われる。(ロスト3、ゲームクリアー、セーブデリート)
以上から、dov様のご質問に対しては、作中では《事象を遡る死》と《不可逆な死》(=「消滅」)とが区別されており、「一回性」というのは後者に関わるものとして描かれている、というかたちで回答と致します。いかがでしょうか。

白状しますとこの辺の区別というのは、最初に感想を書いた時には割と漠然としたイメージだったのが、こうしてやりとりさせて頂いている間に輪郭がはっきりしてきた感があります。dov様への最初のお返事で「事象を移動できなくなって消滅しても」と書いた時には割と固まっていたのですが、今回改めてしっかりご指摘頂いて自分の中ではだいぶ整理されてきた。何より、あのままだとめんどくさくなって放置していたであろう部分をこうやって考えをまとめ・書くきっかけとなったのがありがたいです。いやまあ、最初からもっと整理して書けと言われそうですが、それができたら苦労は無いわけで……。

整理したことで却ってどこかで不一致が生じたり新たな問題が出てくる可能性もあるかと思います。けれど、それは作品解釈にとってはむしろ望ましいこと。そういう貴重な機会を現在進行形で頂いていることに、改めて感謝申し上げます。ありがとうございます!

◆s0meok様(2)
再度のコメントありがとうございます。私はどちらかというと好きな作品について色々話を拡げたいし、そういうのを期待して感想を書く場合が多いので、こうしてくり返しお話して頂けて嬉しく思っています! 自分の作品解釈にとっても幅がでるし、ありがたいことです。以下、ご意見に対して個別にコメントして参ります。

ユーザーが投げるキーワードが認識とは関係ない、というのはそうかもしれません。どちらとでも解釈できる、難しいところというか決定打は無い気がします……。「舞さんとは違った別の視点が俺を観測することにより」云々の部分は、行人が自分たち(世界の中の住人)だけでは「クオリア」の違いを観測できないからパラドックスは起こりようがない、外部の視点があってはじめてパラドックスが起きる、とだいたいそんな意味のことを同じシーンで述べていました。なので、s0meok様がまとめておられる「②純粋に、サキと咲の遭遇をユーザーが見たことがパラドックスを産んだ
」というのが一応の説明として採用されていると思います。ただこれは、あくまで「内部にいる」行人が事態を解釈していることであり、舞のような外側からの説明ではありません。そしてこの作品、「内部にいる」登場人物の解釈は時々間違えていることが判明したりもします。それを考えれば、ここでの行人の説明は実は勘違いだ、ということは可能なのかもしれませんが、私は特におかしさを感じなかったので、そのままで良いかなと考えています。

「クオリア」解釈についてはたぶん私とs0meok様はそれほど違わないと思うのですが、私が「そこから一歩踏み込んで「雨が降っていた」を「私の鬱屈した気持ち」も表しているのだと読者は解釈できると主張している」という部分のニュアンスがちょっと違うかなーという気もしたのでそこについてだけ補足いたします。

たぶん私の作品解釈の方法と、作品内容の解釈とがごっちゃになっていると思うので、ひとまず作品内の「クオリア」に限定します。私の解釈だと、そもそも「雨が降っている」が一致するかどうかもわからない、というところからの出発になります。私に「雨」にみえているものが実は彼には「雪」にみえているかもしれない。逆に、彼は私にとっては「雪」に見えるものを見ているのに、「雨」と表現しているかもしれない。同じものを見ていても違う表現をするかもしれないし、違うものをみていても同じ表現をするかもしれない。「クオリア」にはそこまでの可能性があると思っています。別のものを見ていても「サキ」と表現されるし、「サキ」を見ていても銀髪/赤髪と表現している。ただ、それを言い出すと私達は究極的に、自分の「クオリア」に閉じこもるしか無いことになります。この作品は、さまざまな形でその可能性を提示しながら(リエーブルマンの世界とか、美星-美月の関係というのはかなりその「行き着いた先」に近いと思います)、そうならない可能性を模索しているのではないか。「クオリア」についてはそんな風に考えています。

作品解釈の方法に飛ばすと、最終的な意味では、確かにs0meok様のおっしゃるような「解釈」を認めてはいるのですが、それは作品に書いていないことを勝手に結びつけて良し、というのではなく、むしろ描かれていることをそこから外れないようにしながら、なおかつつきつめて考えるということを念頭に置いているつもりです。「物語の展開も完全に解明できていない」のに踏み込むのは早計、というのはまさにご指摘の通りであり、私も踏み込み過ぎている部分があるなとは思うのですが、言い訳が許されるなら私は今回、だいぶ範囲を限定して軸をとりだして、それが作品全体をきちんと貫いているのではないかという仮説を立てたつもりです。うまく行ったか否かは別として……。

実験とかには全部のデータから演繹的に法則を見つけ出すというパターンと、途中である仮説を立ててそれを検証するというパターンがあると思いますが、私は後者、s0meok様は前者を目指している。そういう違いではないかな、と。私自身はどちらの手法にこだわるということもないのですが、本作の場合は前者が余りにもキツそうに見えたので早々に尻尾を巻いて逃げ、s0meok様はその困難な山に挑んでおられるのだと考えています。

「舞が手を貸して」の部分は、正直どっちでも良さそうな感じはあります(笑)。ただ、「全てを無かったことにする」とか、舞がある種の媒介的に働いてユーザーと世界とを繋いでいるということはあると私は思っています。そしてこのことは、s0meok様がおっしゃっていたユーザーと舞のクオリアの違い(ユーザーが観測できる範囲は何によって規定されているのか)を考えるうえで何か手掛かりになるのではないかな、と漠然と考えて提示してみました。私はユーザーとこの舞台を繋ぐのが舞だと思っているからなのですが、その辺にこだわらないのなら私もs0meok様も、舞は世界を観測しているが、ある程度の制約もある、というラインでは概ね一致しているのではないでしょうか。

[2]の部分の解釈については、多少なりとも寄与できる部分があったようで、ほっとしました。また、美星と美月の関係もここに重ねるという発想はしていなかったので、新鮮な視点を頂いて感謝です。まだ自分の中ではまとまらないので、もう少しじっくり検討してみますが、なるほどうまく重なって来そうな感はありますね。

美月と美星の関係について、4D様へのコメントは拝読しておりました。その時は何が問題となっているのかよく解っていなかったのですが、舞やユーザーの位置づけに関するs0meok様のお考えをうかがった今は、作品全体の整合性を考慮して観測者にみえない部分をどう補い得るかを検討しておられたのかな、とぼんやりとですがこのコメントでのs0meok様の課題が意識できたように思います。観測者の立ち位置がどこにあるのか、また観測者と世界の関係がどうなっているかを考えるうえではポイントになってくるし、物語の世界がどう整合性を保ってくるかの鍵にもなるのかな、と。

その上で、私もs0meok様も「主観」(自分)のあり方とか生き方のようなものを見ようとしていて、s0meok様は積極的に(つまり偏見を打開し、そのうえで生きるという強い想いを抱く)生をうけとめてその価値を打ちたてようとしておられるのに対し、私は消極的に(交流とか理解とか無理かもしれないけど、それでもという形で)生をうけとめているのかも知れません。ご意見を拝読したうえでの雑な感想ですが、私の方が撤退戦で殿軍を務めきってやれやれ生き延びた、というような後ろ向きな希望を見ているように思いました。

その辺がなんとなくはっきりしてきたのも、こうしてお話をできたお陰で、本当に感謝しております。やはり色々他の方と話し合うことで深まる部分はあるなあと実感。その意味ではこうやって感想書いて色々お話できてる時点でものすごい作品楽しめてるので、随分得をさせてもらってます!

今回問題が多岐にわたっていて尽くせない部分もありましたが、概ね主要な内容については触れたつもりなのでこの辺りで失礼いたします。しかし、「この作品、過程をすっとばして結論にいたるところが多々ある」というのは全く同意で、そこがもうちょっと整っていれば苦労はなかったかも知れないと、まあ無い物ねだりですが。

何かご意見やご批判が再度ありましたらば、是非お願いします。また私からも美星と美月の関係を含め、改めて考えてご意見をうかがいにあがるかもしれません(s0meok様の他作品のご感想にコメントをつけるか、自分のこの感想にコメントを追記するなどになると思います)。その時はどうぞよろしくお願いします。あらためて、貴重なご意見と楽しい議論をありがとうございました。
OYOYO2012年08月15日

88古色迷宮輪舞曲 ~HISTOIRE DE DESTIN~ (Yatagarasu(八咫鴉))
中盤以降、バラバラだった幾つもの断片が繋がって行く。点と点の間の「伏線」(文字通りの見えない線)を繋ぐことで星図を描くシステムが、まるでできごとを連関させて物語を組み立てる作業のよう。こういうアイディア性と遊び心のある工夫を凝らした作品にはなかなかお目にかかれないだけに、もしも見逃していたら、私としてはとても悔いが残ったと思う。これからプレイする方にアドバイスするなら、「絶対ネタバレは見ないほうが良い」ということ。公式をはじめ多くの人が同じことを言っている事実が、本作の魅力の説明でもある。つまりこの作品のウリは「さきの見えない面白さ」。ネタバレしてしまうと面白さ半減なので、コンプリート要素は攻略等のお世話になるのは仕方ないとしても、一周目は自力をお薦めしたい。なお長文感想はネタバレ全開なので、プレイ予定の方はお読みにならないよう、くれぐれもお気を付けください。 → 長文感想(9148)(ネタバレ注意)(14)
総プレイ時間 : 36h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レス◆s0meok様
はじめまして。コメントありがとうございます! 返信が遅れて申し訳ありません。私の解りにくくて長い文章に反応を頂けるとは。 まさかレスポンスがあると思っておらず、油断していました。しかもかなり丁寧に読んでくださっていて、感激しきりです。

s0meok様のご意見について、私自身がそれを理解しきれたか不安ではありますが、お返事をして参ります。全体としては、「私の読みではうまくいかないところがある」。そして、「ご自分の読みのほうが正確なのではないか」(または、ご自分の読みならどうか)というご意見として受けとめました。そこでまずはs0meok様のお話の概要を確認し、ご批判・ご意見頂いた部分にお答えしつつ、s0meok様のお考えとの違いがどうして出てきたか、私の考えを書いてみるつもりです。きちんと受け損なっている部分があれば、ご指摘いただけると幸いです。

また恥ずかしながら、「よくわからない」とご指摘頂いている通り、私はあまり解りやすい文章を書けない不治の病に罹っており、相変わらず意味不明なところが多いかもしれません。できるだけわかりやすくするために理路を細かく述べるので、長くなりますがなにとぞご勘弁ください(;´д`)人。

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[1] s0meok様のお考え
s0meok様のご説明を拝読し、私は以下のように理解いたしました。
(1) 作中の「クオリア」は4種類ある。
 1.登場人物
 2.事象を移動可能な登場人物
 3.舞
 4.プレイヤー
(2) 「クオリア」は「認識が記憶や経験に左右されること」である。
(3) 「クオリア」が(2)の通りなら、「サキの髪の色」と「三月ウサギがパラドックスを与える」シーンは説明できる。が、「サキが咲にベッドで話しかけるシーン」がうまく説明できない。
(4) 舞は「《事象移動の能力が必要な人間に、それを与えるような世界》を観測している」存在。

(1)について、私は視点の種類的な違いは1.登場人物/2.舞/3.ユーザーの三分割で考えています。1と2・3の違いは観測者か否か。2と3の違いは作品内にいるかどうかです。この辺は、私は結構形式的に捉えていて、作中での意味を細かくとろうというs0meok様のお立場とは異なっているかもしれません。

些末なツッコミをすれば、s0meok様はプレイヤーの視点に関して「「その認識が観測した世界に影響を与える」がありません」としておられますが、そもそも途中からユーザーがキーワードを入力してキャラクターが反応するわけですし、サキと咲が初めて出会うシーン(帰り道)で舞が不在でもパラドックスが生じた原因は、「ユーザーという観測者がいる」ためだと述べられていました(※1)。つまり、この作品では一応、ユーザーの観測もまた世界に影響を与えることになっています。この点で、舞とユーザーとの決定的な違いが一つ消えてしまう。また「見たいもの、見たい場所を好きなように見」られるということもなく、実際には制約がある(たとえば美月と美星の過去は自由に見られない)。ユーザーが自由に移動可能な範囲は、何かに規定されていると思われます。ですからs0meok様のように視点の内在的な意味を考えるのなら、舞とプレイヤーの違いをもう少しつっこんで考える必要があるかもしれません。
(※1)…「舞さんとは違った別の視点が俺を観測することにより、俺は事象を越える方法を身につけることが出来た」

(2)について、私は《自分だけの感覚》くらいの意味で捉えていました。s0meok様のご理解との違いが把握できなかったので、それだけ述べるに止めます。直観的な印象では、それほど大きな違いは無いように思います。

(3)については「[2] ご質問」の項目で述べます。

(4)について。このご説明には2つの要素が入っています。1つは、「この世界は事象移動の能力が必要な人間にそれを与えるような世界」だということ。もう一つは、舞は「観測者」だということです。前者については、その通りだろうと思います。

しかし、後者には疑問があります。少なくとも舞は、自分が助けたいと思った相手のために世界を変えた(※2)ので、世界の構成に関与しています。その点では、私のように「世界の登場人物たちから切れた」、物語の創作者であるという説明のほうが、自分は「世界そのもの」だという舞の説明に忠実に、積極的な部分(つまり、単なる観測者ではなく世界に関与できる観測者である)をくみ取っているように、私には思われました。
(※2)…「咲が生きたいと願って、舞が手を貸して、サキが生まれた」

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[2] ご質問
[1]-(3)のところで、「サキが咲に話しかけるシーン」の意味はわかるか? といった主旨のご質問がありました。私は解説ができるほど偉くないのですが、私なりの考えはあるので、それを述べさせていただこうと思います。

私の立場だとあの場面のキモは、サキが自分は矛盾した存在だと認めたことだと思っています。直前のシーンで「私は生きるぞ」と言っていたサキが、「この半分だけの命と共に受け取ってくれ」と言った。「自分の感覚」だけでなく「半分だけのその命」を差し出す、と。「自分の感覚」というのが「クオリア」でしょう。この場合の「感覚」というのはたぶん知識も含まれていて、咲の勘違い(実は咲はまだ死んでいないこと、実は咲自身が運命を狂わせていること)を理解させたということではないかと思います(※3)。
(※3)…「その結果――『ここで、何もかもを狂わせてしまった』に至る。狂いの切っ掛けを作ったのは咲自身だった。『狂ってしまった』のではなく、『狂わせてしまった』のだ」

ところで、ここで疑問なのはそもそも「クオリア」って吸収とかできるの? という問題です。たとえば行人は自分の経験と知覚を私達ユーザーに説明してくれますが、それで私達のクオリアは変化するかというと、別にしません(サキの画像は変わらない)。「クオリア」を伝えることで可能になるのは、相手と自分の違いを明確化し、その差異によって相手と自分の存在をよりはっきりと認識することだと考えるほうが自然です。ちょうど、行人とユーザーの違いが明らかになったのと同じように、です。

だとすればここでサキは、自分の「クオリア」を伝えることで自分と咲とを明確に区別したのだと考えることはできないでしょうか。自分の知識や経験を伝え、自分は咲が生みだしたものであるということ、そして自分の存在がイレギュラーだと認めた。

もちろん、咲とサキは同一人物だからここで「クオリア」と「命」をファンタジーパワーで譲渡した、でも構わないとは思うのですが、それを言ったらもう解釈もヘチマも無い話になってしまうので……。ただ、「なぜサキが生まれたか」については作中「サキは(咲が)自身の死を回避したいがために、願って生まれた存在」という説明がされていました。そして、なぜ咲にだけそれが許されたかというと、「男爵様の声に従って、助けてってお願いしたからじゃないかな。そういう不思議なことが、この世界ではきっと通じるんだよ」というのが舞の説明。これは、サキの存在に特に論理的な根拠はない、ということでしょう。それならどんなファンタジーやオカルトが起こってもおかしくないのかもしれません。

「命」を差し出すというのをオカルト的な要素に還元しないなら、ここはサキの存在する理由(あるいは、サキが存在できている理屈)を自分で否定した、という意味にとれば良いと考えます。

この場面に続けて、「自分の運命は自分で変えるべきだ」という強い主張が述べられるわけですが、以上の流れから考えるとサキは「自分で自分の存在を否定して咲自身で運命を切り開くように伝えた」のかな、と。それが、サキの想いや経験を伝えることで可能になったのかどうかはよく判りませんでしたが、この場面はサキが「自分が否定される運命であることを認めた」ということに注目して読みました。サキ自身もまた、自分で自分の運命を変えることを決意したのだ、と。

ややこしくなったので言い換えてみます。サキの主観に即して言えば、単純な意味では自分の生をあきらめる(咲に与え、自分の存在を否定する)ことが、サキにとって本当の意味で「生きる」ことになった。そういう場面として読みました。ここで伝わった「クオリア」の中身は咲が認めたくない事実(咲自身がサキを生み、それによって運命が狂っているということ)であり、それを咲が認めるということは、サキの消滅を意味するはずです。そうと知りつつサキが自ら咲に伝えたというところに重大な意味があるのではないか。そんな感じです。

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[3] 私へのご批判
最後に、「私の考えが穿ちすぎ」というご批判。これは、「既知感」のお話と、「別の行人とサキが運命に翻弄されるというのは変(運命の輪は解消され、彼らは消えたはず)」ということを基本に、「この一秒」や「助けて」といったセリフ・描写との整合性を巡ってのものでした。

まず「既知感」についてですが、これは正直申し上げて余り重視していませんでした。というのは、単に事象を越えた存在かそうでないかの判定、別の言い方をすれば相手がある場合と同一の主観であるか否かを判定する材料くらいにしか考えていなかったためです。よろしければ、「既知感」がどのようにポイントになり、そのことがわかれば作品解釈にどういうメリットというか貢献というか良い部分がでてくるか(言い方が難しいです……)、教えていただけると幸いです。

「でも、この一秒に辿り着けただけで、私は幸せだ」については、私の説明が下手くそなだけで、s0meok様のおっしゃっているような意味で私もとっています(消えてしまうとしても~)。ただ、では何故それが彼女にとって幸せなのか、ということの説明をそれまでの文章でしていたつもりでした。これについては、後でまとめて書こうと思います。

この後も「別の」行人たちが廻り続けるかということについては、反対だ、と言われることは仕方ないかなと思っています。あくまで私の解釈は一つの可能性であって、必ずしもこの舞台装置の必然から導かれる内容ではないからです。ただ、積極的に否定もされ得ず、可能性としてはありえるはずだ、と考えています。なので、もう一度私がどうしてそう考えたかをかみ砕いて説明することで、お返事のかわりにさせていただこうかと思います。

まず、死ぬのを覚悟で事象を無理矢理越えようとした行人にサキは反対しました。その時、自分が消滅しても次の行人があらわれる、と言った行人に対してサキはこう言います。「それは今の行人じゃないっ!! 私は今の行人でなければ嫌なんだっ!!」。私はここで、「ああ、この作品は登場人物の一回性に踏み込むつもりがあるんだな」と考えました。「絶対に替えが効かない行人とサキが存在している」と書いたのは、そのような意味です。妥当な喩えかはわかりませんが、マリオみたいに次から次に新しい配管工が出てきて、トータルとしてゲームをクリアーすれば良い、という発想をこの作品は(少なくともサキは)否定したのだろう、と。だとすればこの物語は、単に運命の狂いを解消しようという話ではなく、「この」行人と「この」サキを救う話になったはずです。「最初のクリアー時にしか見られないイベント」については本筋から外れるので省略しますが、dov様へのご返信にて詳しく書くつもりなので、失礼かとは存じますがそちらをご参照いただければと思います。

ループものの常識からすれば、まず客観的な世界があって、その世界の歪みを矯正する、みたいな話になると思うのですが、この作品はそもそも主観に応じて並行世界がいくつも存在しているのでした。だから、この物語は世界の客観的な歪みを克服する話ではなく、「この」行人と「この」サキにとって現にある「この」世界を解放する世界ではないかと。そう考えると、「この」行人と「この」サキはEDで消えてしまうので、再び狂った運命の世界をユーザーが移動できるというのは(あるいは世界が残っていることそのものが)不自然ではありませんか? だって、消えてしまったハズなのだから。

でも、そこにまた戻ってきてしまうということは、ユーザーは「この」行人や「この」サキの物語を繰り返しているのではなく、今度は並行世界でまだ抜け出せていない「別の」行人たちの物語へ移った、と考えれば良いのではないか。『ドラゴンボール』でトランクスがセルと戦った後、自分の世界の未来は変わらない、と言って戻っていくシーンがありましたが、そんな風なイメージをしていました。

仮にここで再び「この」行人や「この」サキの物語が繰り返されているのだと考えると、「私は今の行人でなければ嫌なんだっ!!」というサキの叫びは台無しになってしまう(消えてもユーザーという観測者の都合で、勝手に復活してしまう)から、そのようには読みたくないなあ、というつもりでした。ユーザーが「観測」している行人やサキの物語は、一回ずつ完結しているのだ、と考えることは「穿ちすぎ」でしょうか? 私としてはそちらのほうが、この作品の(あるいはサキと行人の)想いをくみ取れるつもりだったのですが、いかがでしょう。

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最後に、蛇足になるかもしれませんがs0meok様とのお考えの違いを、私なりに感じ取った形で言い取ってみようかと思います。

私が感想本文で述べたのは、この作品世界を何か整合的に解釈してもうまくいかないのではないか、ということでした。それには二つの意味があり、まずそもそも整合的な解釈可能なの? ということ。もう一つは、それをやりきったらこの作品について何が言えるのか、ということです。前者について奇妙な点はいくつかありますが、一番わかりやすいのはサキの存在でしょうか。サキが半死半生の存在となる「カラクリ」は、以下のように説明されていました。

「私が事象を移動することにより、本来は箱の中にいるべき主観の消失が発生する。だが、店主はそれを観測していない。結果、生と死が重なった状態になる――その主観の消失こそが、ある意味での死というわけだ。箱の中で主観を失った私は、行人からの言葉を待つだけの見た目同然の人形になってしまう。これが箱のカラクリだ」

これは、実際の現象(一度箱の中から主観を移動させたサキ)と舞の観測している事態(サキはずっと箱の中にいる)とがズレたため、サキはその中間的な存在になったくらいのニュアンスでしょうか。この説明を真に受けるなら、『古色迷宮輪舞曲』という世界は基本的に実在論の立場をとらない(ものが実在してそれを人が観測するのではない)で、存在に認識が関わってくるということになります。しかし、だとすればこのサキの存在というのは都合が悪い。良い喩えかはわかりませんが、たとえば赤色が見えない色覚特性を持った人がいたとします。生まれてから死ぬまで一度も赤を認識することがなければ、この人に赤は存在するのでしょうか。そもそも認識できないのですから、存在について言及できない=存在したかしていないかは言えないということになる。たぶん正解は、「どちらともいえない」のはずです(判断不可能)。

このように、認識が存在に関わるという場合、「ある」か「ない」かだけではなく「わからない」という中間地点を認める(排中律を認めない)ということになる。しかし、本作でサキは「鏡にうつらない」などの実在性に関わる部分が変質していました。体温や髪の色は主観の認識でカタが付くにしても、鏡に映らない(主観の見え方に従って映るのではなく、そもそも鏡に認識されない)というのは、単純な認識の問題を飛び越えています。観測が事象を決定するという例で有名なのはシュレディンガーの猫の話でしょうか。半々の状態というのは生か死か定まっていない確率の問題というだけで、中間で存在する、という意味ではないはずです。しかしこの世界のロジックでいけば、箱に入っている猫は生存率50%、死亡率50%が重なり合ってゾンビになってしまう。

もちろん本作中でサキが半死半生になる理由は、片方の観測者が舞だからだ、といった事情が複雑に絡み合っているのだと思います。また、私はそれがおかしいからこの作品はダメだ、というつもりはありません。この作品はそういう世界だと認めるところから出発したい。しかし、なぜサキが生まれたかの説明を舞が放棄しているように、この作品は根本的なオカルト要素に見える部分をすべて、「単にそういうことだから」で済ませているのではないか。そのように私は考えています。これに対して何らかの有効な説明・解釈がでる可能性はあるかもしれませんが、私には到底力の及ぶところではなく、現状まったく解りません。むしろ整合的な説明が可能なら、是非うかがいたいです。

そして、そうだとすれば(本作が特に理由なくファンタジーが成立する世界であるなら)、世界を整合的に解釈しようとすることで何かこの作品にとって評価に価することが出てくるようには思えませんでした。解釈する側にしたらパズルのこたえあわせをする面白さがあるかもしれませんが、後出しの説明をすることでしか解消できない、ユーザーに示されていない要素があるようにも思われますし(少なくとも舞がどうやってユーザーにこの世界を見せているかという原理は説明されていない)、そもそも厳密な構成のパズルとは言い難いのではないか。

またよしんば説明を達成できたとしても、「こんなに複雑な要素を絡めておいて全部きちんと説明しきった作品なんだ」ということは言えるかも知れませんが、ではその世界は何がどう凄いの? と言われると、ちょっと悩む。少なくともそのように考えると、私は「世界の図式作り」とか「答え合わせ」には余り魅力を感じなくなりました。それらがなくても、この作品の魅力は説明できると思ったわけです。

なので、私は本作の魅力とか可能性を拡げる解釈をする場合、世界構成の緻密さとか、全体を貫くロジックが細部にどう影響しているかを細かく見るより、登場人物の生き方に注目したほうが良いのではないかと考えました。個々のキャラの感情や行動と不可分に交わり、また彼らの言動によって担われながらも、それを抽象化することで見出されるものがあるのではないか。登場人物の言動はさまざまな表現形式をとって発現しますが、その基底にある彼らの生を把握する形式をとりだすことができないか、ということです。

結果引っ張り出したのが、「主観によって見えてるものが違う」という断絶。もう一つが、「自分の運命は偶然的なものにすぎないのではないか」という偶然性です。この二つは、自分としてはそれほど外しているとは思っていません(何せ行人たちが散々繰り返して言っていることなので)。

前者はすごく当たり前の話で、たとえば五輪でメダルを獲れなかった選手を見て「気持ちわかる」と言ったとすれば、「当事者じゃないのにわかるもんか」と多分言われるでしょう。「あの映画感動した!」と言っても、私の感動とあなたの感動は違うかもしれない。s0meok様も仰っている通り、「認識が記憶や経験に左右される」ならば、見えているもの、感じるものの細部は個別に異なってくるはずです。ということは全く同じ人間がいない以上、すべての存在の持つ「クオリア」は異なるのではないでしょうか。作中に示された内容は突き詰めて考えればそのような意味になるはずだし、その可能性は提示されていたのではないか、というのが感想で述べたことでした。

実際いまこうして、私とs0meok様は同じ作品をしたはずなのに異なる感想を抱いたりしている。そのことからも解るとおり、私達は確かに、自分の感覚と他の誰かの感覚を直接には共有できません。そこには深い溝がある。そして多くの人はその溝の前で立ち止まってしまうわけです。理解するなんて無理、わかりっこないと。けれど同時に、それでも私達は誰かに何かを伝えようとして言葉を紡いだり関係を築こうとするのも事実です。戦争の経験を語ったり、震災の現場を映像を見たりするのは、そういう感覚が伝わると、あるいは受け取ることができると信じているからこそ可能になる。行人たちの行動は、そういう相互の「クオリア」を交わらせて行こうという試みだったのではないか。そこには、私達が他人とどう関わりながら生きていくかという問いが含まれているハズだ、というのが一つ目。

後者(運命の偶然性)は、自分の存在に究極的な根拠がない、という意味です。サキがどうして生まれたのかわからないということを逆手にとったというのもありますし、「この」行人や「この」サキと言った場合の「この」性というのを登場人物たちが認めているというのはどういうことだろう、という風に考えたつもりです。「この一秒に辿り着けただけで、私は幸せ」とサキに言わしめたのは、彼女が消えてしまう決断をすることによってはじめて「この」性を手に入れたからではないか。そういう風に考えました。それまでのサキや行人は、いわば運命の歯車のようなもので、行人が言っていたように「別の行人」が同じ役割を担えば構わない存在だったわけです。これは大風呂敷を広げれば、人間が誰でも抱えている存在の不可思議性と接続しうる話だと思います。

あんまり面倒な話にするのもどうかと思ってつっこまなかったのですが、『古色迷宮輪舞曲』は一種異様な仕掛けを施しながら、むしろ私達が当たり前すぎて見えなくなっている部分をその異様さの中に溶かし込んでいる作品と読むと、面白さの可能性を拡げられるのではないかということで、先のような感想となりました。

s0meok様は私のように意味云々にこだわらず、作品の全体像の解明を重視しておられるのだと感じました。あるいは絡め手でいかず、きちんと作品を整合的に理解して、そこから見えてくるものを拾おうとしておられる。その意味で、s0meok様のほうが作品に対して実証的に思われます。ただ、私も一応曲がりなりに作品に対して忠実に内容を拾おうとしており、大きな齟齬に見える部分は関心の違いからくるところが大きいのではないか。そのように考えたので、ちょっと(だいぶ)長くなりましたが補足の説明をいたしました。全然外していたら申し訳ありません。

以上をもってお返事になったかわかりませんが、回答とさせて頂きます。コメントありがとうございました。このようにご意見頂ける機会を得て、私も色々考えが整理されましたし(この長文のどこが整理されたのかという話はおいといて)、s0meok様のように事柄一つ一つを精査していく方針は大変刺激になりました。私も、この手の想像や話し合いが楽しく、それを求めて投稿させていただいているところがあるので、嬉しかったです。

そしてそれにもかかわらずレスポンスが遅くなって、重ね重ね申し訳ありませんでした。

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◆dov様
お久しぶりです、ご無沙汰しております! コメント頂いていたのにお待たせしてしまい、まことに申し訳ありませんでした。

s0meok様からも同様の質問を頂き、これは明らかに私が悪かったと反省しきりです。自分ではきちんと書けたつもりが全然ダメでした。何が「気づいておられる方も多」くだっていう。標高3000メートルから見下ろすくらいの目線で書いている自分をマリアナ海溝に沈めてやりたい気分。

ともあれこうしてご指摘頂いたことで説明が不足していた部分を確認でき、またその部分を補足する機会を頂け非常に助かりました。細かく読んでいただき、本当にありがとうございます。

「二度と見ることができない」シーンは、引用していただいている場面のつもりで書きました。あとは各ヒロインのマーク反転前(一葉ならキス待ち、和奏なら背中から抱きつくシーン)のシーン群もそうかなと。(何度かリトライした結果、こちらも見られないと思います。たぶん)

粗忽な私ではありますが、「ロスト3」を経て運命を吹っ飛ばせば再生可能というのは認識していました。というかコンプリート直前であれだけ派手にチャートが消えると、何が起きたのか我が目を疑い半ギレ状態で何度も確認したので……。

意図としては、チャートが飛んだあとは既に「同じ運命」ではないというのを前提にしているつもりでした。「その運命の中では二度と見ることができない」という留保つきの言い方になっているのはそのせいです。前提部分を削ってしまったので、かなりおかしなニュアンスになっています。以下、補足によって意図の説明を試みてみます。

「ロスト3」突入後、ユーザーは「事象が全て終わってしまったところ」へ案内され、「舞」に話しかけられます。その場面でチャートを開くと、一切他の事象が存在しない「始まりのメルヘン」に居ることが解ります。これは、通常のチャートには存在しない特異点であり、ユーザーはここから「事象の再構築」を迫られます。

ただ、「再構築」という言葉から連想されるとおり、事象が終わってしまったという事実は消えないということになります。つまり「ロスト3」を経て、それまで事象を跳躍していた特定の行人は同一運命内で事象を越えて「戻される」のではなく、消滅してしまい、別の運命の行人にバトンタッチしているのではないか、というのが基本のアイディアです。イメージとしてはTTRPG『パラノイア』の、「Perhaps your next clone will do better.」という感じで……。(かえってわかりにくいでしょうか)

終盤、自分が事象を移動できなくなって消滅しても、別の行人が何らかの形で復活(再構築)されるだろうと言った行人にサキはこう言っています。「詭弁を言うなっ!! それは今の行人じゃないっ!! 私は今の行人でなければ嫌なんだっ!!」。ここで私は、登場人物の一回性(「今の」性)が問題になっていると考えました。私が感想でdov様にご指摘頂いた箇所に書いている、「絶対に替えが効かない行人とサキ」というのはおよそそのような意味です。

そして、この作品で一回性を喪失するきっかけは以下の4つだと想定しました。
 1.セーブデータのスロットを変更する
 2.セーブデータをデリートする
 3.ロスト3を経る
 4.ゲームをクリアーする
この中で、1~3は世界(運命)が再構築される。4だけは同一の運命内を維持したまま観測者がその運命を観測し続けるのだ、とそのように考えています。つまりあのチャートというのはユーザーという観測者が観測している運命の足跡であり、1周目の行人とサキというのはそこから抜け出すことに成功した行人AとサキAでしかない(BとかCはなお運命図の中に存在している)けれど、同時にそれが唯一の行人AやサキAである(他にAは存在しない)ということなのかな、と。

「最初のクリアー時にしか見られないイベント」という言い方をしたので、どう考えてもインストール後1度きりのようにしか読めないですがその意味ではなく、意図としては上に述べたような感じでした。「「全てを無かったことに」しても」というのも、私の中では「同一運命内での行為」であることが基本となっていたので、ロストでの爆破ではなく「舞プラス」(笑)のヒントフラグリセットだけのつもりで書いていました。私の思考ルートでいえば「舞プラス」でのヒントフラグのリセットは、その運命の内部に居ながら、辿ってきた足跡に唯一リセットをかけられるシステムなわけですが、それをもってしてもダメ、という感じ。

ですからここの部分を修正するなら、「1つの運命図の中では最初の行人とサキしか見られないイベントが存在する」くらいの言い直しになるでしょうか。それでもやや不足感が拭えませんが、ひとまずはそのようにしてみます。

一応この部分の狙いは、行人とサキの一回性を言うことにありました。そしてそれに関しては、前述したサキのセリフなどからでも問題なく拾うことが可能かとは思います。ただやはり、イベントを絡めて論証できれば説得力も増すかなと思ってわざわざチョイスして書いた部分だったはずが、かえって逆効果になっていた疑惑……。自明のように考えて適当に書いてしまっていた部分にきちんとチェック入れていただいたこと、改めて御礼申し上げます。
OYOYO2012年08月14日

81DRACU-RIOT! (ゆずソフト)
諸葛亮をゲットしたくて荊州行ったら、登用できたのは伊籍だった、みたいな感じはありますが……。伊籍もかなり良い軍師だし、充分じゃないかなぁと思うわけです。(「三国志12」のステマではありません) → 長文感想(4922)(3)
総プレイ時間 : 18h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レス(以下の返信には微妙にネタバレ要素が含まれるのでご注意下さい)

dov様
はじめまして! 精力的なご活躍と作品に鋭く切り込むレビュー、拝見しております。お声かけ頂きありがとうございます。

頂いた「今回ばかりは苦しい擁護」というコメントにお返事いたします。ただ、拙文の具体的にどこがというわけではなく、全体のお話かと存じますので、当方の不明瞭な部分を説明する形にて。作品と関係ない話が増え恐縮ですが、ご容赦ください。

まず今回レビューを書いた時の骨格は以下です。
(1) かなり丁寧に作ってあった。構成要素はハイレベル。
(2) でも突き抜けて良い、という感じはしないのも事実。
(3) 半端な評価が多いのも、前作比較のようなユーザーの「先入観」のせいではない。
(4) では、原因は? 構成要素ではなく、構成「方法」のせい。

骨組みだけだとこれで終わりなのですが、説得力をつけたかったので作品から具体例を引いて説明しました。プラスアルファとして、
(5) このデキならきっかけ一つで化けそうだし、次回も買うかな。
(6) 販売前の雰囲気作りは成功してた。盛り上げるのはやり方次第だけど悪くない。

という作品自体とは関係のない、外的な要素を入れてひとまとまりの感想としました。実情を申しますと、あまり苦しんだつもりも擁護したつもりはありません(5と6が入っているのでブランドに好意的に見えるかもしれませんが、どちらも作品とは関係ない話なので)。むしろ、「良い素材揃えて料理方法失敗したかなー」的な感想のつもりでした。

ただ、その「失敗」を致命的なものと考えなかったのは事実です。その理由は、私が最後まで笑いながら、飽きずに完走でき、また面白いシーンのSSを撮影して保存する程度には楽しめたこと、でしょうか。本作に好意的か否かということだけで言えば、「殆どの時間は退屈だった」(こちらで引用する無礼をお許しください)と仰るdovさんとの違いはその点に尽きるかもしれません。

とはいえdovさんのご意見の真意はそこではなく、私の分析の方だと考えましたので、もう少し話を続けます。

愚考しますに、dovさんが(キャラの)「設定がきちんと煮詰まっていなかった」、「人物の描き方が平坦過ぎる」とご感想で仰っている部分に対し、私は(1)のように評価しているところが違いかと存じます。ただ、根っこの分析はそう大差ないかな、とも。

私自身がレビューでキャラについて書いたのは、メインキャラのキャラ付けが明快で、質的に変化しない。そして、感情を直接表現するということでした。こういうタイプのキャラは、たとえばマスコットのように、文脈や意味が無くてもその場その場で最大限の魅力を発揮できるのが強みです。ただ否定的な言い方をすれば、「単調で起伏に乏しく、感情描写が安直で薄っぺら」ということになるでしょうか。否定的な言い方をしなかった理由は三つ。

まず、手抜きで安っぽく作られたキャラではなく、丁寧に作られたキャラだと思えたから。次に、そのように「平坦な」キャラでもやり方次第で面白くできる可能性はあるから。ぱっと思いつくところではたとえば、HOOKさんの近作はこういったキャラを活かしやすい構成かなと思います。最後に、今のままでも実際笑えたからです。

私はあまりこの手のわかりやすすぎるキャラを高く評価しないタイプですが、それはそういうキャラが嫌いだからではなく、単なる手抜きや迷走の結果、意図せずそう「なってしまっている」ことが多いから。本作の場合はきちんと意図をもってわかりやすさを拡張し、スタンドアロンに動けるキャラを作っているように見えたので、キャラ作り自体が失敗しているとは考えませんでした。

そこで気になったのが、感想に書いたような「齟齬」の部分です。ネタバレに近くなるし解りにくいかと思いレビュー本体では書かなかったのですが、本作で私が「よく考えられてるな」と最初に思ったのは、出番が少ないどころか立ち絵すらありませんが三大寺女史の尋問でした。

捕まえた三大寺に自供を迫るとき、佑斗はこう言います。「三大寺の言葉自体はそれが蓮沢であることに確信がある様子でしたが、俺にはそれが自分自身に対して念を押すものに見えました」。これは非常に妥当な分析で、要するに三大寺が強く言い張っているというその事実こそ、彼女自身そのことを信じていないことの証明ではないか、ということです。

彼女は論理的に破綻して隙を作るタイプでも、素直に自供するタイプでもない。そのうえで、あの断言は不自然に感じられました。つまり佑斗に言われるまでもなく、三大寺の性格を考えればそれまでのやりとりはそのように読めましたので、佑斗がすごい分析している、というわけではありません。そうではなく、三大寺のようなチョイ役でも、こっちが「性格を考え」て、発言の裏を読むくらいの「含み」を持たせられているのが、素直にやるなぁ、と。偉そうですが。

また、小夜様の思考とか態度、アクア・エデンの歴史などもそう。物語を作っていたら何となく舞台ができあがったのではなく、舞台を組み上げてから物語を動かしているな、と思いました。政治性と経済性をうまく組み込んだ「カジノ特区」という設定とそのバックグラウンドをきちんと作ってあるから(完璧だとは言えませんが)、色々な事件も一応曲がりなりの説得力がある。たとえばもし、小夜の過去の物語(アクア・エデンを作る話や、ヨーロッパで「やんちゃ」していた時の話)を考えろ、といわれたら、妄想ではなくこの作品に散らばっている要素を集めてストーリーを構想できるのではないでしょうか。つまり、本編から離れて作品の世界を広げられるくらいの奥行きがこの作品にある、と考えてもいいのかなと。

このような背景と物語構成においては、キャラはむしろ物語の文脈で意味を持つようになります。ところが、本作のメインキャラは文脈を離れて単体で動いてる方が良いタイプ。dovさんが他キャラとの「関係」が描かれていないことをもって、本作のキャラ描写を「浅薄」と仰っていた部分と、このことは重なります。サブキャラのほうはきちんと構成要素としてハマっているので良いのですが、メインキャラは構成から浮き上がっているので、キャラクター間での密接な関係を築けないのだと思います。

つまり物語構成に重点をおくなら、キャラにも含みを持たせたほうが良い。ただそれは、用意したキャラの良さは失われることになる。逆に構成をメインに考えず、キャラ作成の視点から見るならば、キャラを活かす構成に物語自体を組み替えてくれ、となるでしょう。どちらが良いかは好み次第でしょうか。

以上のような私の意見から問題を整理しなおすと、dovさんは「構成にあったキャラをちゃんと作るべき」、と仰っている。「キャラは良いけどシリアスいらん」的な意見は、キャラを活かす話にしろ、と言っている。そして私の立場は、「どっちでも面白くなったと思うからどっちかに統一すりゃよかったんじゃ」という感じです。多分、作品に対する不満とか違和感のでどころはあまりかわらないのですが、考えた解決方法へのアプローチの違いが、感想の違いになったのではないか。ご意見とご感想を拝読し、そのように思いましたが、いかがでしょう。

思いつきを急いで書き並べたので乱文・長文になってしまいました……。しかも多分、全然わかりやすくなってないですよねー……。申し訳ないOTL。感想にご意見いただきましたことに、重ねて御礼申し上げ、ひとまず終えることに致します。ありがとうございました。
OYOYO2012年04月08日

78エロゲーしようよっ! (HEAT-SOFT)
思わず振り向きたくなるタイトルに面白そうな内容、そして期待以上の斬新なアイディアと切り口。ハイテンポな掛け合いも合わさって、なかなか満足できた逸品。ところで突然ですが、ここで本作の内容から問題です。『Hになればなるほど硬くなるものは?』 → 長文感想(3765)(4)
総プレイ時間 : 6h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスえび様
コメント、ありがとうございます。えびさんの感想も読ませていただきました。それを踏まえつつお返事いたします。

>この部分の致命的欠陥の為、自分はかなり低評価としました
えびさんが、主人公は健常者(普通の視点の提供者)ではなく「理解困難な、かっとび系非モテ主人公」とおっしゃっている部分と、私が「大貴もエロゲー主人公として、作品の内部で完結してる」と考えた部分が同じということかな、と思いました。なるほどです。

>事前のネタバレがあった為、より強烈な「あるある」感を期待
えびさんの、「ヒロイン側もより暗いエロゲ煉獄の深淵を覗き見る」というのは良い表現だなぁ、と感服です。「エロゲ煉獄」いいですね(笑)。私も「諒解感」とかぬるっちょいことを言っていますが、やっぱり「That's エロゲーマー!」というか、エロゲー鳥獣戯画というか、デフォルメされつつ本質的な特徴わしづかみ! みたいな内容を期待したところはあって、そういうのが欲しかったなぁ、という印象あります。「そのネタは、ボクちんには届きませんねー」は笑わせて頂きました……(笑)。

>面白いアイデアの作品ではありましたし
私の解釈はスタッフの方の考えとはズレてるかもしれませんけど、全員裏がある三姉妹の設定とか、良い味ですよね。パッケ版には小冊子というかマニュアルの親戚みたいな「設定資料集」がついていて、裏設定とかライターのDEカモさんのコメントが乗っているのですが(ご存知だったらすみません)、それを読むとえびさんが言っておられるように「作ってる方は楽しんで作ってそう」というのは、凄くピンときました。

自分が貧乏学生だったころを振り返って、どうしてもフルプライスゲームを諦めないといけない(中古待ちとか、廉価版待ちとかありますけど)ことってあって、そういう時の受け皿があるとありがたいんですよね。Hシーンをパッチワークするだけの低価格ゲーだけでなく、最近は中・低価格帯でも色々面白い作品が増えてきたので、このまま良い方向に活性化してくれたらなあ、と思います。
OYOYO2012年02月22日

78エロゲーしようよっ! (HEAT-SOFT)
思わず振り向きたくなるタイトルに面白そうな内容、そして期待以上の斬新なアイディアと切り口。ハイテンポな掛け合いも合わさって、なかなか満足できた逸品。ところで突然ですが、ここで本作の内容から問題です。『Hになればなるほど硬くなるものは?』 → 長文感想(3765)(4)
総プレイ時間 : 6h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスnaicufnoc様
コメントありがとうございます。ご指摘頂いた内容については、「鉛筆が硬い」という言い方は不正確なため、「鉛筆」という答えが適切でない、という意味に受け取りました。なるほど、と思い文具メーカーに勤務する友人に訊ねたところ、返答を貰いましたのでかいつまんでご説明します。

まず、鉛筆が硬い、と言うか言わないかで言えば、言うそうです。また、本来「芯が」と言わなければならないのを省略しているということでも無いそうです。「鉛筆」というのは基本、芯と軸から成ります。ですが、シャープペンなどと違い芯と分離するものでは無いので、「鉛筆」には「軸」と「芯」の両方の意味を自由に解釈するのが通例だということでした。あえて芯だけを話題にしたい場合などに限定を付す場合があるが、どちらが正解ということは無い(と思う)ということでした。

事実、英米圏では「Pencil Hardness」という呼称(芯はleadと言い、hard leadという言い方もするそうです)があり、これが採用され、「鉛筆硬度」と言い習わしているそうです。一会社員の、しかも又聞きの内容をお伝えするのは大変心苦しいのですが、たとえばこちらのサイトさん(http://www.djklab.com/contents/exam/butsusei/pencil/index.html)などでは確かに、「鉛筆硬度 -Pencil Hardness-」と書かれており、あながち間違いではないものと思われます。お伝えした内容に分かりにくい部分・私の浅学で伝え間違っている内容があるかもしれないことはお断りしておきます。

なお、逆にシャープペンシルの場合は、明確に「芯」と「本体」を分けて言うのだそうで、その意味では「鉛筆」ならばOKだけど、「シャーペン」だとダメ、「シャー芯」というのが正しい、ということでした。

鉛筆だけでなくシャーペンの芯も入る(だから鉛筆だけという答はおかしい)、というご批判であったなら、申し訳ありません。ただその場合でも「鉛筆」は誤答ではないので、他に可能性がある解答もある、ということで併記させていただきます。

私は空気や行間を速やかに読みこなせるほど器用でも賢明でもありませんので、意図を取り違えておりましたら失礼いたします。

なお、「こういう場での悪ふざけは感心しませんね…。」とのお言葉に対しては、悪ふざけととられてしまったら申し訳ございません。ただ、当方そのつもりはなく、まわるルートにおける本文を引用したもので、答えも作中のものであった、ということを申し上げておきます(原文は、「残念、答えは鉛筆だ」)。ですから、引用し、感想を書いた立場としては上記内容以上のことは申し上げようがございません。

疑問がお残りでしたら、以後は私にではなくメーカー様、あるいはライター様に問い合わせていただけば、確実かと思われます。

なお、書いた意図としては、この部分のやりとりは(省略された部分が)非常に面白く、もし私の感想をきっかけにプレイされる方がおられたら、「ああ、あれはココか」と、ニヤリとして頂けるのではないか、というつもりでおりました。

とはいえ、私自身よく確かめもせず迂闊に引用したことは事実であり、この度のご指摘で見聞を深める機会を頂き、僥倖と思っております。また、分かりにくい一言紹介からの繋がりで混乱を招いたことも反省して真摯にうけとめ、次回感想に生かしたいと思います。この度はありがとうございました。
OYOYO2012年02月21日

23華麗に悩殺♪ くのいちがイク! ~桃色ハレンチ忍法帳~ (softhouse-seal)
久々に踏んだクレイモア地雷。指向性散弾でユーザーの精神を粉微塵。破砕粉砕大喝采。18禁の理由はHシーンではなく、「この作品を楽しめるような大人」向けという意味でしょう。なお、感想のほうもいささか皮肉・過激な発言をしております。配慮はある程度したつもりですが、悪口が苦手な方・メーカーのファンの方もおられるでしょう。その場合、恐縮ですが、自己責任にて閲覧をお願いします。 → 長文感想(5375)(ネタバレ注意)(2)
総プレイ時間 : 3h / 面白くなってきた時間 : 3h
最新レスdoeru様
はじめまして、コメントありがとうございました。URL先の『SHINOBI GIRL』というのは初めて知りました。確かに雰囲気似ていますね。……タテ方向に移動できないあたりが特に。・゚・(ノД`)・゚・。

個人的には、18禁くの一アクション同人『コカゲの伝説』くらい遊べれば文句なしだったのですが……。

本当におっしゃるとおり、sealさんのいつものクオリティで「普通のくノ一凌辱ADV」を作ってくれれば幸せだったのです。私の感想からは伝わりにくいかもしれませんが、とにかくHシーンが(アクションパートにしか)無かったのが致命的でした。本番CG無しでエロゲーというのは予想の斜め上過ぎです。あ、思い出すとまた怒りが。

sealさんが低価格で「遊べる」作品を目指して冒険的なことをするのは、個人的には賛成なのですが、それならそれで最低限のニーズには応えて欲しいなと思います。具体的には、せめてちゃんとイベントCGとテキストをつけて、えっちぃことしてください。お願いします……。

くの一好もので印象的だったのは、Studioねこぱんちさんの『鋼の鬼~機動歩兵vs女忍者軍団~』とか、ワッフルさんの『抜け忍』あたりでしょうか。しかし、これぞ!というスマッシュヒットとはまだ出会えておりません。大昔、『メガストア』誌で連載されていたくの一小説が好きだったのですが、もうタイトルも忘れてしまい……と、余計な話になりました。

お互い、良いくの一作品に出会えることを祈りつつ、これにて失礼いたします。
OYOYO2012年02月01日

77喰ヒ人 (TinkerBell)
食事しながらこのゲームやっていたら、食欲が無くなりました。食べ物系のタイトルなのに! → 長文感想(3408)(2)
総プレイ時間 : 11h / 面白くなってきた時間 : 3h
最新レスNalaar様
はじめまして、ご感想ありがとうございます。下らぬギャグに反応頂き、汗顔の至り(汗)。パンツは、破る・ずらす・ひっぱるの使い分けでキャラに併せていました。ご堪能くださいませ(笑)。

ご購入の参考になったならこれに勝る喜びはございません。願わくは、良い出逢いとなりますことを祈っております。
OYOYO2012年01月23日

90WHITE ALBUM (Leaf)
冬が来るとやりたくなるゲーム。『WA2CC』の発売を控えて、感想を書いておこうと思い立ち。やっぱり名作。 → 長文感想(2188)(ネタバレ注意)(7)
総プレイ時間 : 20h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスmikemikedash様
はじめまして、ご感想ありがとうございます。私が省いたところや判りにくいところを指摘するだけでなく、別の読み方も出して頂き、興味深く拝見しました。むしろ、他の方の意見をうかがったり話をするために自分の意見をだしているところもあるので、コメント頂けるのはとても嬉しいです。もっとお話を深められたらと思います。とりあえず、ご質問の点について。

引っかかりは、「頷く」と「判らない」で由綺の言動がかみ合っていないというところにありました。まず、PS3版も同じ表記のままですから、誤植ではないことにします。その上で「頷く」は三通りに解釈できます。(1)特に意味はない(俯いた程度)、(2)冬弥から見て頷いて見えた、(3)本当に頷いた。推測の域をでませんが、(1)は「俯いた」なら「頷く」とは普通書かないと私も思うし、その後「再び顔を上げる」とあるなら余計、「下を向いた」のように上下で対応させるようにも思います。ただ、この箇所が何かひっかかる→原因はズレだ、というのが主旨なので、ここ別に変じゃないよ、ということなら以下の説明は読み流して、下から四段落目から読んでください。

さて、私は普通なら(2)だ、とさらっと書いたわけですが(「由綺の台詞が直接話法で書かれているのに~」)、これは「頷く」と「判らない」の片方を誤解として解決しようとしたわけです。理奈や英二、弥生とのやりとりで明らかなように、冬弥が語っていることと、キャラクターの実際の意図というのはどこかズレています。最も端的なのは、minami06さんへの返信で申し上げたのですが、英二に負けた、と冬弥が事実のように語る部分です。

つまり客観的に書いてあるように見えるところに、常に主観的な判断がさしこまれている。分かりやすく言えば、地の文には常に「~と俺は思った」という一言が省略されているということになります。本当はただ「下を向いた」だけなのに、冬弥にとっては「頷いた」ように見えた。だから、「頷いた」と冬弥は言うのに、由綺は「判らない」と、冬弥の認識とは違う発言をした(冬弥の主観と現実がズレた)。そういう風に読んでしまうことは可能だと考えていました。

こうした「語り手」の問題は、ライターさんも意識しておられたのではと勝手に妄想。ただ、それでここには冬弥の迷いが出てますね、というのはどっかの理論のあてはめとしては良いのかもしれませんが、つまんないというか、作品の中に踏み込んだ感じもありません。なのでこれだけなら書かなかったと思います。

そこで(3)が出てくるのですが、これだと後の「判らない」と矛盾が出るのが問題です。首を振った、ならわかるんですが。好きなのかと聞かれて頷いて、でも「判らない」とはこれいかに……。もし由綺が英二のことを好きだとして、それならどうして冬弥を呼んだのかが問題です。罪悪感からというのはあるでしょうが、それだけでないことは、この後の展開からも明らかです。となるとここ、どうでも良いんじゃないかとw

より正確に言うなら、mikemikedashさんが問題にしておられるように、ここの焦点は由綺が英二を本当は好きなのか否かということにあるはずです。そしてそう考えると、(2)と(3)のどちらで読んでも構わない。なぜなら、(2)なら冬弥が英二に「負けた」と思っても由綺は英二が好きか判らないのだし、呼ばれたのは冬弥なんだから実質勝ち。また(3)であったとしても、結局由綺の中で英二への「好き」は冬弥への想いに敵わないことになるからです。「由綺が最後に頼ったのが冬弥だったというそのことが、最も重要な事実」と書いたのは、そういう意味のつもりでした。

もし「英二さんは好きだけど冬弥くんは愛してる」とか由綺が言ったとしても、それは言葉では説明されますが、内実は良くわからなかったと思います。下手すれば白々しい。けれど、この場面は、頭で考えたのではなく心で一緒にいたいと思ったということを描き取っているように思いました。つまり、言葉や身体のような表面のレベルではわからなくても、心の部分で想い合う状況と言いますか。それこそが、『WA』で描きたかった愛なのかなと。美咲のフェンスの場面とかも同じような雰囲気を感じています。

だからこの場面、「頷いた」なのに「判らない」で、「あれ?」と思わせて、でもよく考えてみると頷いたということも、判らないという発言も、どちらも本当に重要ではなかった。そういう頭の判断を突き抜けた先にある、本当にどうしようもない想いを綺麗にきりとった場面として読めないか、ということでした。

その意味では、由綺が「感情と動作のどちらを信じればいいのか判断できな」くて、「そう答えざるを得なかった」という(つまり由綺のどうしようもなさの表明ということですよね?)mikemikedashさんのご意見と、大筋では一致するものと思っていますが、いかがでしょうか。お返事になったか不安ですが、そんなところです。
OYOYO2011年12月25日

90WHITE ALBUM (Leaf)
冬が来るとやりたくなるゲーム。『WA2CC』の発売を控えて、感想を書いておこうと思い立ち。やっぱり名作。 → 長文感想(2188)(ネタバレ注意)(7)
総プレイ時間 : 20h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスminami06さん
完全な私信になるのでトップにあげずに返信致します。

くだらないなんてことは全然ないです!内容については書いた私の責任ですし、質問はありがたい。むしろminamiさんが何気なくプレイしつつもちゃんと読んでおられたから、あれ? と思われたのだと思います。

発見が早かったのはマグレでもありますが、『WA』をしょっちゅうプレイするのであちこちセーブ(といってもPC版のしおりは5つしかないのですが。この辺も時代を感じます)していたので、場面をざっと見返したら、という感じでした。見つからなかったらどうしてたんでしょうね。ともあれ回答できてほっとしました。

しょっちゅうやってるのに見落としてたことについては言い訳のしようもないんですが、本命は美咲さんなのであります。御容赦を。
OYOYO2011年12月18日

90WHITE ALBUM (Leaf)
冬が来るとやりたくなるゲーム。『WA2CC』の発売を控えて、感想を書いておこうと思い立ち。やっぱり名作。 → 長文感想(2188)(ネタバレ注意)(7)
総プレイ時間 : 20h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスminami06様
はじめまして。ご感想を頂けて光栄です。吐く息が白くなってしまうような空気、たしかにありましたね。PS3版で冬弥が由綺を春に、理奈を夏に喩えますが、キャラは凄く暖かい。そういう澄んだ空気と可愛いキャラの前向きな言葉が前面にある一方、背後にはドロドロした人間関係が潜んでいて、それは分けられるものじゃないんじゃないかと思って感想を書きました。なので、少しストレートでない書き方になったのですが、同意頂けるところがあったなら幸いです。ちなみに私も、冬弥に萌えられるかは別として、良い奴だと思います。萌えはどっちかっていうと、彰萌えです!

さてご指摘の箇所(由綺のファーストキス)。私の間違いでした! 申し訳ありません! 謹んで訂正します。

由綺と冬弥がキスしたという描写がこの場面まで無いと思いこんでいました。ユーザーにわかる限りで由綺が最初にキスをするのは英二が最初だと思ってこう書いたのですが、クリスマスライブの後、由綺の部屋でキスしてました(PC・PS3版共通)。言われなければ気づかなかったところです。ありがとうございました。

では私の感想どうなるの? ということについて釈明。英二とのキスは由綺にとっては重たい裏切り、冬弥にとっては英二に対する敗北でした。論旨は、当人たちの理性では関係は破綻した、それでも二人は結ばれた、というつもりです。それは、冬弥が由綺のもとに駆けつける前、「由綺を失った」と断定していることや、由綺がこの後、冬弥とのキスを躊躇うところでも説明できるかと思います。なので、「ファースト」でなくても内容は変わりません。説得力は落ちるかもしれませんが。

しかし、由綺のキスはとりあえず冬弥くんがちゃんとゲットしていたのですね。良かった……。

なお、PS3版とPC版の違いについてですが、PC版ヒロインはテキスト上大きな変化はありません。肌色シーンもPC版本番をカットするだけで、加筆はなされていなかったと思います(少なくとも由綺は)。が、選択肢の出し方などは少しずつ変化しています。顕著なのは冒頭(PC版は二人のなれそめが選択できた)とクリスマス前の由綺からの問いかけでしょうか。そうした演出や、新キャラルートを含めて見ると、全体としては少し違う印象もうけました。

PS3版は正直、凄く良いです。声がついた、由綺がライブでにこっと微笑む、立ちグラでおっぱいがぷるn……。EDの「POWDER SNOW」も最高でした。

ただ、演出が増えた分、ユーザーが想像する余地は減りました。PC版にはライブ動画も、由綺の高校時代のCGもありません。ただそれだけに、もの凄くキャラの気持ちを色々考えて読んだ記憶があります。それを拾いたいという主旨のレビューだったので、「PC版お薦め」のような書き方をしました。作品としての完成度は圧倒的にPS3版が上ということ追記いたします。
OYOYO2011年12月16日

92無限煉姦 ~恥辱にまみれし不死姫の輪舞~ (Liquid)
人は何のために生き、何のために死ぬのか。大事なことに気づかせてくれる感動作品。クリスマス前の景気づけに。 → 長文感想(2377)(8)
総プレイ時間 : 12h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスtallerakatsuki様、PRIMO様、コメントを頂き、また書く意欲がわいてきました。ありがとうございました。
-【以下一部ネタバレを含みます】-
ご指摘の点は私も大事だと思っておりました。自分の目の付け所も満更じゃなかったと勇気づけられます。お言葉通り、王以上の絶対的存在が出るところは作品の緊張感を失わせかねない所でした。ただ、必要な要素になっていると思います。考察にしばし、お付き合い頂けると幸いです。

私は王を、どうにもならない存在の象徴、と書きました。人間にとって、この世界でどうにもならないものはいくつもあります。その究極は恐らく「死」です。死から逃れられる人は、どこにもいない。王の世界で死が極端に恐れられている所以です。本作ではそういった人の有限性に対し、二章~四章で「死に方を選ぶ」意思の尊さが提示されています。死んでしまうからこそ、たった一人の自分の価値がうまれるし、だから自分で死に方を決める意思が大事だ、というわけです。

けれど人は死から逃れられません。どこかで必ず人の意思が届かない領域、運命に絡め取られてしまう。究極的に人は「完全に自由」な意思など得られない。その象徴が、不死となった少女の前にあらわれる、(PRIMO様曰く)「真の意味での普遍」だと私は読みました。つまり、『煉姦』の少女は更に深い絶望に遭遇したということではないでしょうか。

五章以降、本作は明確に輪廻(ループ)ものを意識しています。ループというのは、絶対的運命の象徴で、それを意思の力で乗りこえて打開するというのが基本です(『スマガ』とか)。ただ、ここには決定的な問題があります。ループは、必ず打ち破られるのが前提ということです。それは、「死」のような本当にどうしようもないものとは違う。意思の力で乗りこえられるものなら、あくまで困難であって、運命でも絶望でもないはずです。

本作は、輪廻的構造を暗示しておきながら、結局ループせずに終わります(Epicは視点人物が違うので別の話だし、別途説明可能)。(『euphoria』と違い)周回プレイによって輪廻を表現せず、本作は少女の人生を歴史的に描きます。恐らく二つの理由があります。一つは、ループを裏支えする「真の意味での普遍」は決して突破できないため。もう一つは、少女の視点では、そのような「普遍」の存在は決して理解できないためです。少女の視点で語られる物語本編は、ループしようがない。もしループしたら、それは外見やDNAは同じ少女でも、違う存在だ、ということが繰り返し語られていたと思います。つまり、少女が一回的な存在であることが強調されています。「双六の駒」だと言いながら、描写ではそれを拒否しているように見えました。

運命を前に少女は、もはや誰かに見守られて死ぬこともできないし、誰かの心の中に残ることもできない。だから、彼女は死では(ギュスターブ達のようには)救われません。では、少女に救いはないのか(駒のままなのか)? というのが四章以降のテーマの深まりだと思います。そして、私はラストシーンから、少女は救われた派です。

少女の救いは、世界のためにあの選択ができたことではないかと思っています。つまり、自分には見えない運命なんて、あってもなくても同じ。自分で決めて、やったことは、必ずどこかで誰かが(象徴的には、ゲームをプレイするユーザーが)受け止めてくれる。彼女は、自分がいなくなっても自分を超えて世界は続くんだという確信によって、自分という個が全てを受け止める必要が無くなった(王との対決はそういう解釈でどうかなと)。それでようやく、運命という呪縛から解き放たれたのだと思います。

輪廻を輪廻と判るのは、観測者だけです。生きる当事者は、自分の生を外から眺めるなんてできない。それが人の限界でもあり、同時に救いともなっている。そして人の外側にあるのは、残酷な運命や冷酷な絶対者だけなく、無限に続く人と人との「連関」だ、というのがラストから読み取れることのように思っています。

最後はタイトルオチにしてしまいましたが、こういう話ができるなら、ネタバレ感想でもよかったなどと考えています。解釈をぶつけて頂いて再プレイしたり、本作をまた楽しく味わうことができました。ありがとうございました。
OYOYO2011年12月11日

92無限煉姦 ~恥辱にまみれし不死姫の輪舞~ (Liquid)
人は何のために生き、何のために死ぬのか。大事なことに気づかせてくれる感動作品。クリスマス前の景気づけに。 → 長文感想(2377)(8)
総プレイ時間 : 12h / 面白くなってきた時間 : 1h
最新レスこんにちは。お返事をして参ります(少しネタバレに近づきますのでご注意ください)。ただ、内容と関係のない工作云々の部分は皆さんの関心ではないと思われます。批評空間様のご迷惑もございます。ツイッターIDを公開しておりますので、そちらで個別にしていただければと存じます。ひと言だけ申し上げると、自分は不器用で、小学校から工作とか不得手です。あしからず。

よいそれ様
コメントありがとうございます。まず、プレイ時間について。一晩でやり終えたので、間違いではございません。仕事柄多少文章を読み慣れていますが、ゆっくりでも20h前後かと。尤もプレイ中右手を激しく動かす作業が必要になった場合、その限りでないかもしれません。

次に内容について。自分なりに、ネタバレに気を付けて書いた結果こうなってしまいました。実際、言えなかった部分、説明不十分な部分は確かにあります。伝わらなかったのは私の力不足で、ご批判は甘んじて受けます。ただ、プレイして頂ければ具体的に何を言っているか、分かるように工夫したつもりです。

なので、私の感想の具体的にどこがどう不足か。そしてあなたならどう読まれるのか。ご購入の予定があれば、プレイ後にご指摘いただけると嬉しいです。よいそれ様が長文感想を書かれた際は、是非拝読させていただきます。

最後のひと言は、私に対してでしょうか……。「いい加減にしてね」の脱字でないなら、生死を軸にした感想に対し斯様なお言葉を頂戴したわけで、精一杯「生き抜け」という暖かいメッセージとありがたく拝受いたしました。

razick様
内容について。「見ていて気持ち悪い」というrazick様のご感想は、二通りに解釈できます。(1)〈奴隷〉の少女を見る人が嫌悪をもよおす。(2)razick様がこの少女だったとしたら耐えられない。(1)ならば、作品があわないということですから、内容について私からお話することは残念ながらできません。

(2)であれば、私より深く作品に入っているのかもしれません。正視できない苦しみの中でなお、少女が生きようとするというところにこの作品のスタートがあるというのが私の読み方だからです。そして、こういう「苦痛」は、実はこの世界の誰もが、ある日突然その身に受けるかもしれない(エロではなく。人格を奪われるような苦という意味)、ということが五章で提示されるメッセージであり、私もそう思います。

話は飛びますが、最近リメイクされた映画で、『十三人の刺客』というのがございます。作品冒頭、ある女性が藩主に手足を斬られ、舌を抜かれて慰み者にされ、路上に放り出されるのですが、人間としての尊厳を剥奪されているという意味では、『刺客』のほうが数段迫力がある。ただ、その場合作品の目指すところは「復讐」で大変判りやすい。『煉姦』の場合、漠然とした生への欲求だけがあります。

三章まで進められたということは、何度かの別れを経験されたのだと思います。残された少女より、死にゆく人のほうが輝いて見えるような描写が続きます。「死」が人を縁取ることで、生が完結するわけです。逆に言えば、死なない存在になった少女は生きていないのと同じかもしれない、ということが四章末で明かされる事実に込められた意味かなと。

人は死に向かって生きるしかないのか。それは美しいけれど、寂しい、というのが恐らく五章以降の少女の内心です。本文で私が言及した『euphoria』では、凛音というキャラが「私があなたの与える行為に、どんな意味を見出すのかは、私の自由」と言い、作品はそのような相対主義をどこかで崩す方向へ進みます。そこで行われていた相対主義否定を、もっと明確に徹底した作品だったのではないかと思っています。私は、本作で一番報われたのはこの少女であって、だからこそ感動がある、と思ったわけです。

長くなりましたが、razick様のレビューを拝読し、私へのコメントも踏まえて応答させていただきました。自身の足りなかった説明を補ったり、新しく考える機会を頂けたこと感謝いたします。

lightessence様、えび様
励ましのお言葉、ありがとうございます。ネタバレ配慮が少々裏目にでたかもしれません。次回の反省材料ですね。和泉万夜氏の物語は、好みがわかれるのも確かですし。配慮した書き方を心がけたいと思います。
OYOYO2011年12月10日

72D-EVE in you (Twinkle)
どうせなら本当に、深泥ヶ原 ヘドロ子でデビューしてほしかった。 → 長文感想(1519)(2)
総プレイ時間 : 15h / 面白くなってきた時間 : 3h
最新レスえび様
こんにちは。なるほど、確かにあの場面は母方の姓が王道ですね。深泥ヶ原に気を取られて思い至らず。ご慧眼恐れ入ります。

実は本作をプレイしたのは、1週間ほど前に、えび様の感想を拝読した影響が大きかったのです(そこまで高評価ではなかったものの、上田朱音嬢の演技と歌に興味を惹かれまして)。知識に裏打ちされた多彩な切り口には、当方など及びも尽かないものですが、読んでお声をかけて頂き、光栄です。作品も楽しめました。この場を借りて御礼申し上げます。
OYOYO2011年10月17日

86VenusBlood -ABYSS- (DualTail(DualMage))
触手が足を引っ張っているが、触手を切るとVenusBloodじゃなくなるという悩ましき二律背反。 → 長文感想(1727)(ネタバレ注意)(2)
総プレイ時間 : 40h / 面白くなってきた時間 : 2h
最新レスえへへ。ビョルビョル。OYOYO2011年10月14日