残響さんの長文コメントへレスをつけたもの

残響

そんじょそこらのB級イチャラブ&百合エロゲーマーです。よろしくお願いします。
2017/10/13 ノラとと(1)の感想を書きました。

2017/08/23 カタハネED「it's just farewell」の、ボーカルアルバムに入ってる「2017ver」について音楽感想書きました。なかなか紅殻町とカタハネについての感想が書き終わりません……

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94グレイメルカ(非18禁) (シニカルとレトリック(同人))
前半はネタバレなしの概要&良かった点。後半はネタバレ含んだ感想&キャラへの感想になります。このレベルでフリゲなことに脱帽の気持ちしかない。登場人物一人一人に語られる重厚なエピソードや絡みには、本当に恐れ入るキャラへの作り込みが感じられた。一年かけたストーリーというだけはあり、やってよかったと思えるくらいに面白かった。もしこの感想を読んでいただいて、ゲームに興味を持って頂けるほど嬉しいことはないです。(後半は6章を含んだ感想になりますのでご注意ください) → 長文感想(14114)(ネタバレ注意)(2)
最新レスどうもこんにちわ。いつも某所でお世話になっております。

merunoniaさん(この書き方は、エロスケ内ということでご容赦ください)の長文感想はほぼ読んでいたのですが、今日また、最新版のほうから順に、時間を遡って読み返していって、またこの「グレイメルカ」の感想を読んだのですね。
自分の悪癖……というか、これは良いのか悪いのかわからないのですが、「とくにプレイしてないゲームの感想を読みにいって、興味を抱き、プレイしてないなりの感想を書きつける」というのがありまして。今回もそれになります。
わたくしのなかではそれは
「批評文=レビューが、作品と関連しながらも、しかし自立してて、その中でテキストとして大切なことを語っている」
「かつ、その大切なことが、自分が今考えてることと共振している」
「そんで、レビュアーさんに対するリスペクトと興味の現れ」
ということで、しばしば「プレイしてないなりの感想を書きつけ」てしまうことになるのです。

ということで、「グレイメルカ」未プレイの感想で、大変恐縮ですが、しかしそれは、merunoniaさんのレビュー文章の自立性、ととらえて頂けたら嬉しいです。
また、そういう流れなので、ネタバレについても自分はおもっきし踏み込んだ「感想への感想」となっておりますので……もっとも、自分はすがすがしいまでにネタバレを気にしないひとではあるのですがw

なお、この感想はmerunoniaさんの感想をもとに書いていますが、
各所でmerunoniaさんの感想を、時系列・文章順番を入れ違いにしてミキシングしながら引用して、残響めは書いております。ご容赦ください。


●「本編の展開がすごいだけなら、80点くらいで点数をつけていたと思います。むしろ~」

これ、いわゆるテンプレレビューと、使っている言葉が逆ですよね。いわゆる「キャラゲー」では、「各キャラの作りこみはすごい」けれども「本編の展開が弱い」ということ。
えろすけでの感想文でもよく用いられる書き方ですが。
これはつまり、「ストーリーとキャラが相乗効果を出している」ということ。
ストーリーはキャラを主体(主役)として、理屈だっているのではなく、キャラの生きざまを物語の本質として描く。
キャラはストーリーという「避け得ない混乱の悲劇」のなかで、己の生きざまの誇りを貫く。
そしてストーリーは己の生きざまを貫くキャラにより、まさに魅力的なものとなってプレイヤーを引きずり込んでいき歴史の本流/奔流と化し、
そしてキャラはそのような怒涛の奔流のようなストーリーによって、「様々な戦争」のただ中で生きていく……。

「様々な戦争がありました」とまず書かれ、そののちに、怒涛の如くmerunoniaさんの短文フラグメントによる、
いろいろな戦い(そう、すべては「戦い」だったかと推察します)の端的な叙述。
なんだかまるで、歴史の伝記を読んでいるみたいですが、それもそれで、このグレイメルカで描かれているものは、まさに歴史の叙事詩です。その叙事詩をどう見て、プレイヤーは各々の「グレイメルカ伝」を紡いでいくのか、こそが重要なのだろうな、と思いました。

というのも、


●妄想(1)「妄想が広がるゲームは、良ゲーです。」

そのように書かれているとおり、「グレイメルカ伝」を書くのは、プレイヤーの義務ではありませんが、それでもこの歴史の叙事詩を語ることには意味がある、
というかせざるを得ない「妄想」をしてしまう、ということ。
それが、多くのキャラが出てきつつも、そのキャラすべてをmerunoniaさんのように記憶し、各キャラの生きざまを語らざるを得ない状況になってしまう、という。さぞかし、妄想を熱っぽくされたのだろうな、と思います。

merunoniaさんはどこまで意識していたのかはわかりませんが、タキトゥスや司馬遷から続く「歴史書」の書き方には、二通りあって。
ひとつは「編年体」。これはいわば、今までにあった「出来事」を年ごとに。クロノロジカル(時系列)に、「出来事」を連綿と叙述していく、というものです。歴史の教科書的に。
もうひとつは「紀伝体」と呼ばれるもので、これは「いろんな人物のエピソードを、エピソードごとに切っていって」叙述していく、というものです。

なぜこの二つのスタイルがあるかというと、どちらにもメリット・デメリットがあるのです。
編年体は、全体の流れ、構造はとてもよく見渡せます。それに対し、紀伝体の各シチュ……あっ、百合者としての言葉遣いが出てしまったw 各「エピソード」で切る紀伝体は、それだけに全体構造・流れが見通しにくい。
対し、紀伝体は、各エピソードで切るからこそ、人物が生き生きと描かれる。編年体の場合、その生き生きとさは……「小回り」がきかない連綿とした叙述形態だけに、ムズい。

何が言いたいかというと、merunoniaさんの今回……というか、およそすべてのレビューで「人物のシチュ、人物のセリフ」を引用しながら、個々のキャラを描き、ご自身の感想を述べていくスタイルは、この「紀伝体」のものにかなり似通ってる。
それがもっとも現れているのが、端的にキャラの総数が多く、またそれに対するコメントも必然的に多い、グレイメルカの感想だ、というのはわたしの読みです。

レビュー後半の各キャラ解説のところで、
「ほんとにこのひと、各キャラをよく見てるな!」と感心しました。失礼ながら、ところどころで言語化がおいついていない部分もありましたが、しかしその「わからないけど、この方向性なのだろう」という示唆もまた、面白かったです。ヘイントの「何か上を行っている」とか。

「また書きたくなったら書くかもしれません」

ええんやで(ニッコリ

「操作キャラ以外にも敵キャラもかきたかったのですが……疲れました……。」

ええんやで、書くんやで(鬼畜ニッコリ


しかし思えば、このゲームはSRPGでしたね。
そういうゲーム……各キャラの生きざまが、戦闘と相まって見えてくる、というのは、SRPGが見せるひとつの世界観なのでしょう。なるほど、人気が高いわけです、このシステムの。
そこで気づいたのですが、「このキャラにこのバトルシステム設定はねええええ!」というようなツッコミはされていませんね。それだけ、システムとストーリーの親和性が高い……というか、そもそもこのゲームシステムを使うからには、その愚はおかしませんか、そうか。


●妄想(2)

今回、merunoniaさんのグレイメルカレビューをこのように言及させていただいているのも、自分が長年温めている10mile(旧・Tarte)「カタハネ」の長文感想をどうするか、のヒントを得たような気がしたからなのですね。
自分にとってカタハネは、群像劇で、歴史もので、各キャラが歴史の奔流のなかであがいていって、そういうキャラたちが絡み合って絡み合って……というものでして。
それだけに「どこから手をつけていいのかわからない」。
ましてカタハネは自分にとって100点ゲーム。

でも、merunoniaさんの紀伝体的な「エピソードを並べることにより、全体を描く」
「そのためにも、各エピソードをいつも蒐集しておく」
ことの大事さを、改めて感じたというか。
……っていうか、そう書いたはいいものの、merunoniaさん、メモとってねえのっ!?
それでこれだけお書きになるとは……いやはや、記憶力の悪い自分には平伏ものです。(ドゲザー

シチュ、と先に言葉に出してしまいましたが、よき妄想のネタは、シチュの鮮烈あってのものです。キャラの魅力とともに。
それはこういうゲームがもたらしてくれる宝石でもあります。

>今思い返しても、本当に数多くの歴史(出来事)がありました。
それぞれの登場人物によって綴られた歴史がありました。
後悔、救済、遺恨、希望、それぞれの登場人物の歴史から、さらに各登場人物に派生された歴史がありました。


歴史は続いていく。Life goes on.(カタハネリマスター新OP)
たとえあなた(そのひと)が死んだとしても、歴史(いのち)はつながっていく。

>ご都合主義なんてものはないのが歴史。
 遺恨、復讐、すれ違い。依存しすぎた結果。使命感。

深い……。
それもまた、歴史の一幕。

さらにシチュ(エピソード)の話をすれば、会話システム、よさそうですね。
その人の素顔というか、また新たな視点が垣間見えるというか。それもまた、妄想が膨らむ……!

シチュは鮮烈さも大事ですが、それと同時に「さほど鮮烈ではないけど、意味がつけられるもの」も重要です。というか、意味をこちらから見出していく、というか。
その判断基準はどこからくるか?いうまでもないですね、骨太な物語そのものからです。また、これらの会話的フラグメントなシチュが、物語をさらに深く広いものにしていく。
それは、なかなかできるものではない……とは思うのです。
鮮烈さ、と、歴史的骨太さ。それを同時並行するのは、大変な労力がいります。
だからこその「本編の展開がすごいだけなら、80点くらいで点数をつけていたと思います。」
と最初に戻りますが、「ああ、よかった」で終わらなかった、熱以上の狂熱と突破力があったのだなぁ、
というか、自分が惚れ切った物語は、それをもとにしてレビューを書くべきだよなぁ、とか思ったり。

さらに同時に、「平時におけるかわいらしくも笑えるシチュ」と、
「戦乱における決意のシーン」の同時が必要で。
だからこそ、自分のカタハネ感想でも、百合萌えシチュと、悲劇の決意のシーンが必要であり、
そうだ、やはり百合シチュを収集しなくては!と熱き血潮の覚悟になるのでありますた(半分は冗句ですが……)

レビューの、妙な感想になってしまって申し訳ないです。
歴史ものSRPGの感想の感想、をこのように書いてしまって、ちょっとmerunoniaさんには困るかもしれませんが……

それでは、また。
残響2017年01月23日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(4)
最新レスこんにちわ。レスありがとうございました。今年もよろしくお願いします。

>模型話
フジミ飛龍!なぜ模型二作目にしてそんな難関をお選びなすった!ええい、スケモ先達には大変恐縮ですが、失礼ながらSekさんのお父上はなにをされておられたのかっ!あたかもそれはエロゲ初心者にのっけから難解な作品をぶっ込むようなもので……せめて同じフジミだったら艦NEXTシリーズか「ちび丸」シリーズ、もしくは1/700ウォーターライン(WL)シリーズを与えるなどして……とは思いましたが、しかし作りたいものを作るのが一番ですよね。エロゲと同じく。なにしろ模型は作ってナンボ。実際に経験値を積むことがナンボ。そういう意味ではSekさんは歩み出したのですね……この模型道を……!
と考えると、まさに本当の意味での胸が熱くなります。ちなみに超マニアック情報として、フジミの企業者の理念は「親子の対話が生まれるフジミのプラモ」なので、今回のSek父子のあり方は、まさにフジミの目指すあり方そのものだといえるのです。本当に。
改めまして、Sekさんが模型というホビー(趣味)に関心を持っていただき、お父上と並んで残響は嬉しいです。これは自分を振り返って思うのですが、つい我々のようなブッキシュというか、理屈とか言葉でいろんなものを言語化・理屈化さしてしまう人間は、こういった「手を汚して何かをリアルにつくる」ということをなおざりにしがちではあります。まあ、誰かに強制されて「つくる」というのもまた拷問ですが。でも、Sekさんがまさに「モノを加工する喜び」を改めて思っていただけたこと……そのきっかけとなったのが当方、だというのは本当にうれしい。
というか、Sekさん、やはりモノ作りのセンスがあるというか、実際二作目にして、フジミの飛龍……つまり「空母」を作られた、という。
空母は……仰るように、「やべえ先にこっちをやったら、もう艦載挺二度と取り付けられねえ……ていうかなんでこんなに取り付けにくいんだ、艦載挺取り付けパーツ!」といったりね。「甲板支え部分の鉄骨がー!ああっ、また角度ズレた!ああっ全体のフォルムがゆがんだっ!」といったりね。大丈夫Sekさん!これから空母制作の恒例行事、たのしいたのしい艦載機量産が待ってますよ!!
いやまあ、艦船模型あるあるはここまでにしてw でも二作目にしてそれだけのことが出来るというのは、もう「不器用」のレベルじゃないですよ。というか右往左往こそがまさに最良の教師ですし。アンテナ?多聞丸が見つける前に、伸ばしランナーとプラ棒でどうとでもなるねん!

(このあたりの軍艦の資料については、タミヤから出ている森恒英「軍艦雑記帳」(上下巻)が参考になります。というか御父上が持っていらっしゃるはず。
また、艦船模型の基本制作メソッドについては、仲田裕之「艦船模型の作り方 ものぐさプラモデル作成指南」がわかりやすいかと。というか御父上が(略))

全くエロゲと関係ない話をしてますがw、しかし本文につなげると、この「全体完成像のイメージ→細部のこだわり」というのは、以下の話にかなりつながってくる、と伏線を張って……

改めまして、前回のレスは失礼しました。なにしろ自分でも謎が謎を呼んでて、書いてて自分で混乱してしまい、ついにはSekさんに助けを求めるアリサマ。大変申し訳ない。
それだけSekさんの知性を信頼している、という証でもありますが、しかしレスをするからには、自分でも問うばかりでなく、ひとつステートメントを発しなくては、と思います。そして、Sekさんが実に丁寧にレスしてくだすったおかげで、自分がこれから述べる意見も明確になりました。ひとつのステートメントを発することが出来ます。これも、またSekさんにはお礼を述べさしてください。

では本題に入ります。今回はおおむね
・百合の局所的永遠性

・ノベルゲーの調和
について語らせてください。

●百合の局所的永遠性(1)「男性的終わりの感覚」

Sekさんが「百合は無時間性を尊ぶのでは?」と指摘されたのには、「……本質、言い当てられちゃったな……」と、しみじみ感服しました。
わたしは今回、それをよりラディカルに「永遠性」と言い換えますが(おゆるしを)、それは「しきたり」というよりは、百合がある意味、無自覚に(!)理想とする精神性、だと自分では考えています。
……っていうか、ここでちょい脱線しますが、このことっておれが自分の百合趣味HPで最後に描こうと思ってたことやねんw そのことを一足飛びにSekさんが銀の鍵を開けちまったもんだから……まぎれもない知性としてのSek8483氏におののきながら、しかし「鍵開けるのはええよww」というとこもないわけでもない。

きわめて神学的な話になるのですが……いえ、まずは具体例から語りましょう。アトラク=ナクアのネタバレをするのもアレなのですが、しかしあの初音姉様とかなこのラストはまさに「永遠性」の白き地平。「生まれ変わってもあなたとともに」を地でいきまくったものです。
そしてカタハネの、姫エファを継ぐものとしてのアンベルですが、これはそもそも姫エファの強烈な「殉死による永遠性(あまり「心中」とは呼びたくない)」を内包するものとしての、「これから歩んでいくふたり」であります。そう、「memories are here」が歌っているように「これは終わりじゃない」し「ハッピーエンドはここにある」のです。続いていくのです!
……っと、具体的とかいっときながら観念的ですがw、やはりおれは100点の百合作品を前にすると熱くなるな……! さて、このような傑作百合シナリオに「永遠性」への示唆がある、というのは理解いただけたかと思います。Sekさんあなたは正しい。

同時に、この永遠性を描くにおいて……これは残響の仮説ですが、永遠をただ永遠として描くのであったら、それは「永遠主題」という「えいえんの世界」を描くKey的手法になる……というのは、論理の帰結です。
ただ、百合の場合、一足飛びにそこまで行っているケースはそんなに多くない。
ここで、模型話に出てきた「全体と細部」を持ち込みます。すなわち、「スタティックな永遠性を指向する全体完成像的精神性j(揺るぎない完成像の精神)」と「ダイナミックな揺り動かしを常に必要とする、細部としてのシチュ」と言い換えることの出来るものです。
これは牽強付会ではありません。なぜなら、百合の場合、シチュにおけるダイナミック・スウィギンを求める、というのは前回書きましたが、それはドタバタコメディ、ギャグゲーの刹那を描くものではなく、あくまで「永遠性の美的精神性」を描くためのもの。
なぜ我々がシチュとして、物語を分割(微分)するかというと、「精神性が高まったキャラの刹那に、永遠をみるから」というふうにいえます。ああ神学的だ。
「まなざし」ひとつにしても。「おねえさま……」の思慕の瞳がみるものは、おねえさまであると同時に、永遠性への接続なのです。ふたりはここでひとつとなる。
よく言われることに、「こっち(鑑賞者)側をまなざしているのは百合じゃねえ。百合は二人同士でまなざしあってるのが百合なんだ!」という主張。わたしもその徒です。これは、上の路線を拡大すれば、すぐに納得はできます。永遠性を求めているのだから、鑑賞者の欲望なんて、どこ吹く風です。

そう考えれば、Sekさんが仰る「男性的終わりの感覚」というものは、はじめから百合は指向していない。ただそこには「シチュによる、一応の時間の区切り」があるだけ。
さて、そこから村上春樹「意味がなければスイングはない」の話になりますが、これSekさんも読まれてましたか。だとするなら、自分がスタン・ゲッツを引いたのはここからだ、というのはバレテーラ!ってとこでしたねw さすがや……。あ、「ディズ・アンド・ゲッツ」気に入って下すってよかった。あのソロバトルはロック者にも訴求すると思うのです。

では話が早い。同じ村上春樹の本で『走ることについて語るときに、僕の語ること』はもうお読みになられましたかね?
ここで後半以後に書かれている、「サロマ湖100kmマラソンの話」ですが、村上春樹はこの「ちょっと異常な(100km!)ジョギング体験」において、ある哲学的ともいえる「精神ゾーン」に入った、と述懐しています。

ーー「終わりというのは、ただとりあえずの区切りがつくだけのことで、実際にはたいした意味はないんだという気がした。生きることと同じだ。終わりがあるから存在に意味があるのではない。存在というものの意味を便宜的に際だたせるために、あるいはまたその有限性の遠回しな比喩として、どこかの地点にとりあえずの終わりが設定されているだけなんだ、という気がした。」

つまりSekさんがおっしゃる「男性的終わりの感覚」ですが、これはある種「ゴール」の感覚、と言い換えていいかもしれません。ピリオド、虚脱。それはまるで村上春樹が「マラソンレースのゴールのときは【達成感と、もうしばらくはいいや的感覚】がある」と述べているように。
その期間限定性は、限定されているからこそ濃密で、鮮烈でもある。対し、百合は、シチュという形で「とりあえず終わり」が設定されているけども、本質的には永遠性への接続。

この差異は何かな、と考えたら、やはりそれは「まなざし」にあるのかも、と思いました。つまり、前に述べた「百合っぷるはお互いをまなざすことで完結している」というやつです。そのまなざしあいには、終わりがない。永遠性です。時間を超越している。

●百合の局所的永遠性(2)「村上春樹のspontaneity」

百合論として抽象的な方面にいったので、きみはねに戻しますと、きみはねの場合、ある種「シチュの寄せ集め」的な感じはしませんでしたか? そのあたりSekさんは

>やや不自然にイベントを小刻みカットする傾向がありました

と称しますが、これはある種、この百合表現の欠点なのかもしれません。シチュの連続体、という観点は、百合者からしてみれば、「ああこれこそ!」といえるものなのですが、しかし「連綿とした物語」を指向するとなると……いや、Sekさんのプレイ傾向からすると、この「シチュの連続体」的物語にも、かなりの親近性を持っている、とわたしは推測しているのですが、それでも「一本筋の通った物語骨格」が今作の場合、普通のエロゲ(ヘテロエロゲ)に対して弱い、というところは納得です。

やおい、という言葉があります。山なしオチなし意味なし。これはこの「連綿とした物語」とは対極にあるものとしての揶揄、な言葉かと思います。やおいと百合とは、ほとんどブラザーのようなもので。ただ対象が男か女か、というだけの違いで、精神性的にはかなり近しい。その路線で考えてもいいのですが、まあ本題からはズレるので割愛。

さて、村上春樹のあたりに戻ります。
スポンティニアス、ということですが、村上春樹はよくこの言葉を用いますね。それはしばしば村上が語っているように、彼がもともとジャズ喫茶/BARの経営者だったから、という、肉体労働のひとであって、文壇という「理屈重視」な非肉体性の世界にいまだに慣れない、というあたりからも、「自分はスポンティニアスに肉体的なものを指向してしまう」というふうによく言います。
模型の話ですが、これもある種肉体性ですよね。手先性、というか。この手先、は、「ちょろまかす」という意味合いでなく、「手を動かしてモノを作るリアルさ」という意味合いでありますが。どちらにせよ、それは「現場主義」。スタン・ゲッツが理論でなく、ライヴの実際でバリバリ吹きまくる、というのと同じ。
そこには作為はなく、あくまで自発性のみがある……というのがスポンティニアス、の意味と思っていますが、同じくSekさんもそのように定義されておられていますね。

我々百合者は、キャラを論じる際に、そのキャラがどのような「立ち位置か」というのを云々します。攻と受の話です。
これはある方から指摘されたのですが、百合者は「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識を普通にしているのですが、非百合者からはそれは「?」であるようで。
ただ百合者も、この攻/受が、そのキャラのspontaneityとは異なるところで、むりくり妄想する、ということまでは好んでない、かと思うのです。いやまあ、結構無理に妄想しているひともいるのですが、それは広範の支持はやはり得られていません。
あくまで、そのキャラが自然に、攻性や受性を出すということ。それはすなわち、そのキャラやカプの「物語」にかかっている、ということです。Sekさんの言葉で言うなら、

>とてもその人らしい動揺であるということ。

です。

わたしのきみはね感想で、

>結局のところ、カプとは、カプの裏にある「物語」をいかに楽しむか、が醍醐味であり、カプそのもののコンセプトを達成しないところに、百合物語の愉悦はない。

とまで断言したのは、百合とは思考実験なのではなくて、スポンティニアスな「萌えの現場」感覚あってのものだ、ということを重点的に言いたかったから、です。
それが「しきたり」風に見えてしまって、非百合者に「百合ってめんどくせえ……こわそう」と思わせてしまうのは、これは百合者の罪かな、と。だからこそ、わたしは「百合へのいざない」を書きたかった。

かなりこの項が長くなってしまいましたが、最後に、

●百合の局所的永遠性(3)「細部のダイナミック・スウィング」

シチュを動かす、ということは、シチュという枠組みそのものを「永遠化」さしてはいかん、ということです。シチュの枠組み自体はテンプレかもしれませんが、そこには生きた時間性……スイング、がなければいけない。なぜなら、シチュによって少女たちは「ドキドキ」するわけです。

(このあたり、常に驚天動地のドキドキがあるか、というと、それは過度に一般化は出来なくて、最近の百合では、わたしの言葉で言えば「ぐだぐだ百合」とでも呼ぶべきダウナー性を積極的に持ち込んだ百合シチュがあります。ですがそれも、表面上はグダグダでも、奥底の熱い百合精神あってのことであり、静かに、大きくグルーヴ・スウィングしている、と言うこともできます)

永遠性はスウィングする必要はないですが、しかしシチュはスウィングする必要がある。それを端的に述べたのが「キマシタワー!」という言葉なのでしょう。おれこの言葉好きじゃないけど、しかしその「言い当て」は確かなものでしょう。



●ノベルゲーの調和(1)ポストロック・サウンドスケープが語る「風景と言葉」

Sekさんは……やはりポストロックの徒でありましたか……!
そういえば、vostokさんのブログで、最初にわたしにコンタクトしてくれたとき、わたしが以前に書いたポストロック記事を言及してくださいましたよね。
さて、凛として時雨ですが、たしかにわたしのフェイバリット・バンドです。
Sekさんがおっしゃる「平坦な抑揚をもって単調に繰り返す歌詞」……わたしも、実は2009年時点で、それと同じことを思っていました。
もっともわかりやすい例としては、「Sadistic Summer」ですね。延々と345が「さらわれたいなつーさでぃすてぃっくさまー」と歌うループ。それがじわじわと体温を得て、それでもやっぱり冷たい感触で。初期の凛として時雨は、その傾向があります。

ですが、ちょっとそこからわたしは、考えを改めることになったのです。その萌芽は、2009年の年末に、わたしのTwitterで、

>凛として時雨の歌詞は、音に乗せるための刺激的な言語イメージ/言語遊戯に終始すると思っていた。
>ところが昨日「Telecastic fake show」の歌詞が、実に今の自分の境遇にぴったりだ、としみじみと感じ入った。
>だから時雨の歌詞を今一度よく読んでみようと思う。そこには「伝えたい意志」があるように感じられたのだ。そして、今までそれを感じられなかった自分の不覚を恥じよう。

と言っていました。

いわゆるポストロックの歌詞は、音楽に「乗せて流す」という傾向があります。村上春樹が「村上ソングズ」でR.E.Mの歌詞を「歌詞の内容がファジー/意味を正確には把握しがたい/適当に言葉を重ねて流れていればそれでいいんじゃないか的な」というふうに述べているように。自分も、時雨の歌詞はそういうものだと思っていました。だから、「Still a sigure virgin?」までの時雨/TKの歌詞については、Sekさんと同意見です。

ところが……それ以降(つまり、「abnormalize」以降の、アニメタイアップ楽曲以降)の時雨の歌詞は、より「何を言っているかが明確になってきている」というか……もちろんそれは「タイアップありきの、世界観ありきの楽曲だから」ということではありますが、今までよりは意味内容の物語の流れがわかるようになってきた。少なくとも「テレキャスターの真実はレスポールの残像だ」なんていう暗号じゃないw(アレほんとどういう意味なんでしょうね)

それを痛切に感じるように……つまりTKの「詩人」としての意識を感じるようになったのは、あるいはソロ作(TK from 凛として時雨)の楽曲なのでしょう。とくに弾き語り……Sekさんはもう聞かれているでしょうが、例えば「tokio」における「馬鹿みたいだな この場所は」とか、「罪の宝石」における「頭の中には触りたくもない罪の宝石 いつのことだろう からっぽにしたいのはいつのことだろう」という、詩人の痛切な感情。
……とまあ、Sekさんに異議を唱えた今回ですが、それもSekさんのおっしゃることがよくわかるからこそ、そして自分がTKを好きだからこそ、このような書き方になりました。

あ、またきみはねからズレてるw しかしもうちょっとポスロクについて話をすれば、いやはや、マイブラやtoeがここで出てくるとは思いませんでした。アンタも好きねぇw
マイブラ、ビリンダ・ブッチャーのあの声でもって、浮遊感溢れる歌い方を、ケヴィン・シールズの轟音に乗せてやられると、もう唯一無二ですよね。また、toeの場合、voはむしろ「楽器の一部」ですね。
ところで、こういった「歌詞を音楽に乗せて【流す】」というのは、「楽器の一部」としての効果もありますが、同時に「サウンドスケープを構成するため」というふうにもとれます。時雨も、マイブラも、toeも、モグワイも、MONOも、シガー・ロスも、ソニック・ユースも、ワールズ・エンド・ガールフレンドも、みんな「サウンドスケープの構築」を何より追及するバンドです。
「音が語る言葉、風景」というか。あるいは、歌詞はそんな「風景の言語化」というか、手がかりというか。心地よさと、思索性と。
それは、確かにきみはねの百合空間と通底しているものかもしれません。

全体像がぱっと開け、静かな眺望がひらけてくる。というSekさんの言葉は、百合の永遠性と通じている。確かに通じている。そのスタティックさが。
そうか……ポストロックは百合だったか……!(残響は狂っていた

さて、心地よさ、について、短いですが、とても申し上げたいことを。



●ノベルゲーの調和(2)わたしはそれを愛しているのだ

そう、そのサウンドスケープ的調和。これはエロゲという、音と言葉と絵という、三位一体の表現形式が作り出す「空間」であります。まさにerogamescapeです。
なんというか「エロゲをやっているなぁ」的感覚。これこそが、まさにエロゲ体験であり、ノベルゲーム体験。
それは、没入型と観測型の違いはあれど、この「感覚」こそがエロゲの本質ではないか?と思っています。
わたしはそれを愛している。

このことについては、あまり語りすぎてもアレなのかもしれません。結局「ノベルゲー/エロゲって、こういう感じだよね。それっていいよね」をパラフレーズするだけかもしれません。
もちろん、語ることに意義はありますが、それも「プレイすればわかるよ」の領域ですから。
でも……わたしは、それを愛している。
より頭のいい人が、批評的に分析してくれたら、それはそれでありがたいのですが。わたしはそういう分析を尊敬します。
しかし自分にとって何より大事なのは「この感覚に浸ってたいな」ってことです。
ああ、エロゲ/ノベルゲーって、いいものだな、っていう。



●おわりに
最後となりましたが、こちらこそ、百合というものに関心を抱いていただき、ここまで考察してくだすって、うれしく、誇らしく思います。
さて、完全版・続編パッケージですが、ひとつ懸念していることがございまして。
「天使」の現実化ですが、さて……既存カプを食い散らかすことにはなりはしないなっ!?と、他のきみはねプレイヤーと話して、気づいたのです。
それをされたらぼくはものっそいヘイトしますよw わたしはきみはねに87点つけましたが、こんなことされたら50点にしちまいますよ!
もちろん、このスタッフがそんな鬼畜をするとは思いませんが、さて、「天使」はどのような新たな恋模様を作ってくれるのか。
考えられるのは、
(1)三人の恋のアシスト
(2)寮母さんとのラブ
(3)三人がカプを形成しなかった、という前提にたって、三人と天使がそれぞれカプになる続編大ボリューム

……(3)はないかな。だって本編と完全矛盾になりますから。
でも、「天使」が現実に堕天して、さてどのような幸せを「当事者」としてつかむか、というのは……読めません。
なんにせよ、これは見届けなくてはならない……っ!

あ、それと、Twitterの件については、これは自分の不徳のいたすところです。
把握してくだすってありがとうございます。自分が衝動的にやらかしてしまったことで……
まあ、ぼちぼち、マイペースで、いきたいと思います。軸足は、過度なSNS的のめりこみではなく、こうした長文というのが、自分の主戦場だと思いますから。

今回も、長々失礼しました。何かしら、拾ってやっていただけたら幸いです。
それでは。
残響2017年01月18日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(4)
最新レスこんにちわ。よい年越しを過ごされておられますでしょうか。

久々にえろすけトップページを見てみたら、なーんか見覚えのある長文感想の見出しがあるなー、と思ったら、なんとぼくの長文感想、Sekさんが投票してくだすってるじゃねーの!
びびりました。そしてSekさんが、ということ、誇らしく思います。
自分の感想やtwitterを読んでいただいてる、というのは過去のレスで把握していましたが、年末にきて、この熱心な投票コメに、残響涙ちょちょぎれちゃう。
改めまして、ありがとうございます。

ーー「きみはね」感想に投票いただいたことは、残響にとって特別な意味を持ちます。

投票コメ確認後、Sekさんの新作レビューはなにかな……この記述は……おお……とうとう……とうとう……と感じ入りました。
自分の「きみはね」レビューがSekさんにとっての「百合の誘い(いざない)」になっていた、と知り、こちらも誇らしいです。


……改めていうのもなんですが、自分って、百合警察ですよねw
自分は、世の百合警察のかたがたよりは穏健派だと思っていましたが、先日とあるかたに「残響に百合のことを話すとロクなことにならん」といわれまして。
いや、自分にとって百合とは「空気のように自然なもの」なのですが、それゆえに……清流に混じる淀み・軋みはすぐさま肌感覚で感じ取ってしまうので、その度に百合センサが反応!コンパイルエラー吐き出し!ビガービガー!百合警察起動ーっ!ジェイデッカーッ!となってしまうのです。
でも……それは「百合への誘い」ではありませんよね。むしろノンケヘテロ一般人エロゲマに「百合って面倒だな、嫌いだな」を誘発させてしまうもの。オタとして真に恥じるべきはそちら。
百合は、怖いものではない。楽しく優しく、時に冷ややかなシリアスもあるけれども、美しいもの……として、どうにかして百合者として、少しでも「百合への誘い」を書けないものか、と思っているのです。

それもあって、最近ブログとtwitterを停止して、本格的に百合と模型のHPを始動することになりました。サマリーページ参照していただければと思うのですが。
なるたけ、百合定義論、百合警察学校をするのではなく、百合のたのしさ・美しさ、そして残響自身が百合を愛しているサマを伝えられたらなぁ、と思って。

そういうこともあって、わたしの「きみはね」感想が、Sekさんにとっての「百合への誘い」になったということ、これが本当に誇らしいわけです。
ああ、自分の書いたものが、作品とレビューとが、Sekさんに伝わって、楽しんでいただけた。本当にうれしい!

別に、自分が百合伝道師たろう、とかって思ってはいません。
ですが、わたしの百合……いや、趣味における基本精神として、


「はっはっはっ、教えてあげたまえ!君にはその義務がある! 
君も誰かに教わったんだろ? ガンプラ
誰かに楽しさを教わったものは、それを誰かに伝えるべきだ!
そうして僕たちは繋がってゆく。いつまでも……どこまでも!」
(今ノ夜きよし・千葉智宏『ガンダムビルドファイターズA(アメイジング)』)


という言葉があって。
ぼく自身10年以上前、ぼくのエロゲ師匠に『アトラク=ナクア』を教えてもらって、
そこから『マリア様がみてる』や『まんがタイムきらら(創刊時)』に繋がるルートを教えてもらったのです。
そのルートは、ゼロ年代の百合趣味において王道にして、広がりのあるものでした。
ソフト百合も、シリアス百合(ハード百合)もともに楽しむ。

あまり義務感で趣味をするものではないですが……わたしも、出来たら、そうあれたら、と。


……全然「きみはね」の話出来てないっ!w 残響のいつものですね。はい。
では、今回は、Sekさんの長文感想のアブストラクト感想と、投票コメに頂いたご質問をつらつらと……


●Sekさんの筆致

毎回思うのですが、Sekさんの読み込みの精度といったら。
自分は、キャラのひとつひとつの行動をあんまり覚えておらず、むしろキャラの行動……「動き(モーメント)」をひとつのおおまかな「シチュ」として把握し、観測し、萌える、というものでして。
対しSekさんは、ひとつひとつを分解して読み込むように思えます。ずっと前のレスで、当たり前のように微積分をたとえとして出されたのは、今更ながらそういうことかも、とかって思ったり。
数学ネタでそう考えると、九九が出来ない残響ですが(本当)、自分のこのモーメント読みこみは、ベクトル的なものと捉えてもいいかもしれません。
(余談ですが、もっとも、この「微分か、ベクトルか」という区分け自体、数学的ジャンル越境性からいったらオカシなもので。例えば加速度などを取り扱う場合の連続モデルにおいては、ベクトルを微分しなきゃどーするのって具合ですし(残響のモーメント観測における、細部の分析的読み込み)。あるいはそもそも微積分解析の対象が流体だったりする場合(流体力学)、解析の次手からのベクトル的アプローチが不可欠なように(Sekさんの萌え解析における、連続性シチュ力学の読み込み))
このくだりは、後で「ダイナミック(スイング)とスタティック」に関わってきますが……


●BGMのはなし

Sekさんのおっしゃる「きみはね」BGM論は、エリック・サティの精神だよなぁ、と。

低価格短編エロゲにおけるBGMの固定傾向ですが、これが最も顕著なのは、「その花びらにくちづけを」シリーズですね。
なーにーしーろ、初期から近作に至るまで、「BGM使い回し」!
それもすげえ名曲、というわけでもなく、音量も小さいし音質も悪いし……。

ところが、そのしょっぱさが、毎回毎回聞かされていると、なんか妙なグルーヴ……というか、まるで風にカーテンがそよぐかのようなやわらかな質感を感じさせるのが、「その花」の奇妙な魔力です。

また、「屋上の百合霊さん」における、毎回のちょい楽しめな日常シーンにおける「きーんこーんかーんこーん」「パヤッパッパー、パパヤ、う~きのうよっりー♪(という風に聞こえる)」の限りないエンドレスなノー天気なBGM!
これを聞くだけで、「ああユリトピアにおれは戻ってきたんだ……!」と目頭が熱くなります。聞くだけで、あの色彩の薄い塗りの質感までもがふわっと!

それにしても、B級エロゲっていいですね……!(唐突に
明らかに金のかかっていない背景! 塗り! エフェクトのカクカク! そしてBGM使いまわし!
こーのしょっぱさが実にいい!本気でいい!
だから自分はサマリーページで「そんじょそこらのB級イチャラブエロゲーマーです。」と銘打っているのです。

もっとも、「きみはね」の場合は、より上品に、繊細なものですが。一環して室内楽。
ダイナミクスは必要なく、ただ家具のように少女たちの生活に溶け込む……まさにサティです。

そしてイージーリスニング、ですが、自分、よくこう呼ばれる類の音楽が好きでしてw
もっと正確に言えば「ニューエイジ」音楽。姫神とか喜太郎とか東儀秀樹とか。
「そんな!バカな!ジャズやロックを愛する残響がそんな!」と思われるかもしれませんが、このニューエイジ音楽には二つだけ、良い点があるのです。
「美メロ」と「風景喚起」。

……まあもっとも、Sekさんの仰るイージーリスニングは、ポール・モーリアとかのほう(遠い地平線が消え(略)宇宙の営みを告げていますジェットストリームジェットストリームジェットストリーム……)なのかもしれませんが。 
どちらにせよ、リズム、確かに単調ですよね。音楽的革新性、ないですよね。それはよーくわかります。
それでもわたしがニューエイジを好むのは、美メロによる風景喚起。
その精神は、サティを経由して「きみはね」にも適応されるのではないか、と思うのですよ。


●「観測」についてーースイング(1)

なぜ自分が「百合観測」の徒で、一人称・憑依没入型のプレイをしないか、Sekさんは「謎」と仰います。自分にとって、百合観測とはあくまで「空気のように自然」であり、一人称・憑依没入プレイをすると、なんか落ち着かない。サイズの違う硬い服を着てるようで……

と返答しようとしたのですが、それってとくに何も語ってないですね。もう少し考えてみましょう。

例えばそれは、間違いなく「視点」なのでしょう。建築物を見るとき、
「まず生活者としてドアから入る」のを選ぶか、「神の視点からまず全体像を把握する」のを好む、か。
ではそれはイコールでミクロとマクロか? いえ、百合者はしばしば「シチュ」という物語微分をしますから、それはミクロの思想でもあります。矛盾してますね。

では、次に「ダイナミック(スイング)」と「スタティック(静的)」の観点を導入してみましょう。
Sekさんがもうひとつの、残響に対する謎、として挙げられた、残響的文体の「スイング」ですが、考えてみればこれも百合観測……三人称的俯瞰視点、とはミスマッチです。
なのに、何故我々百合者の文章は、得てして過剰(ダイナミック・スウィンギン)になるのか。それは世間において「キマシ!系(キマシタワー!)」としてステロタイプになっているほどです。だいたいヘテロエロゲにおいて、「百合キャラ」ってこういう造形なされますよね。とくに否定はしませんが、このステロタイプから「いついつ出やる」という気分に時たまなります。

残響は己において、実は自分のどこが「スイング」なのか、よくわかってなかったりします。
何度かSekさんは自分のスウィンギーさを当てていらっしゃって、それはジャズ者の自分にとって、とても誇らしい標語であるのですが、しかし、自覚はあんまない……自分にとっての百合がどこまでも「空気のように自然」であるのと同じように。

デューク・エリントンという、ジャズの巨人の名曲のひとつに、「スイングしなけりゃ意味ないね(原題「It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing))」というのがあります。様々な名演があって、個人的には「歌もの」よりは、スタン・ゲッツがディジー・ガレスピーと猛烈にソロアドリブ・バトルをした演奏と、同じくスタン・ゲッツがボブ・ブルックマイヤーと組んだ「at the Shrine」コンサート・ライヴ盤でのラスト・トラックでの猛烈にワルでワイルドな演奏が個人的に好みでお薦めで……ってどうでもいいなw

でもこの歌詞がこんなものでして。超単純な英語ですが。ざっと残響が訳してみます。結構意訳です。


――なぁ、真に良いメロディって、何だ?
ほんとうに良い音楽って、何なんだ?
おまえさんがオイシいアレを持ってなくちゃなぁ……

それじゃメロディじゃないんだよ
それじゃ「音楽」じゃないんだよ
そこには、歌曲を完全にする、アレがあるっていうのによぅ

スイングしなけりゃ、意味がないんだぜ
そう、君のすること全部を歌にしちまうくらいの!
そんぐらいのスイングじゃなきゃ!

音楽が、甘かろうが、熱かろうが、
そこに何の違いもない!
お前さんを最高にハイにさせるリズム、
そいつが「音楽の本質」なんだ、さあ、受け取りな!

そこに意味はないのさ
充分にスイングしなけりゃねっ!


ーー前回の「駄作」のレスで、「こうも見方が違うSekと残響が仲良くレスしてるのは不思議」と仰っていましたが、まずもって、我々の見方というか、創作物における見方、そして最終到達点のようなものは、かなり異なっていると思います。それは確かです。
しかしそれと同時に、何かしらの符号するものを共有しているからこそ、こうして何回もレスが成り立っているわけでして。
Sekさんがamaginoboruさんとのレスしあいで、
「自分なんかが言葉にすることで作品にある美しさが損なわれるのじゃないかと不安」
「たぶん言葉でどうこうなるものではなく、それらの美しさへまでは及ぶことないのかな」
と仰っていましたが、おそらく回路を異なる形ではありますが、似た結論(めいたもの)に辿り着いているような気がする。あるいは、それもまた思考の旅の踊り場に過ぎなく、またそこから分岐する形ではあるのでしょうが。
残響とて、観測をする以上、作品への侵犯ということは常に気を使います。スイングの余り、作品やキャラを壊すことは、望んでいない。そういう意味では、自分は「意訳」派ではなく、「逐語訳」派であります。


●スイング(2)

残響の場合、創作をやってるということからも、「本当に良いもの」を自分が引っ張り出してくる際には、自分が「動く」ことを躊躇っててはいけない、と強く思っています。
それもあって、文体をスイングさせる……ということは、自分にとっては当たり前のことですが(まだまだ足りないと思ってる)、ひとから見れば「何その文体実験はっ」と思われるところなんでしょう。
また、観測においても、「百合のしきたり」=「カップリング順列組み合わせ」を云々するのも、ヘテロエロゲではなかなかされない「組み合わせの妙」をダイナミックに前後!前後!させることにより、キャラ性の逸脱・回転を含めて、「本当に良いものを見出そう」としています。

Sekさんはどうなのでしょうか。
ぼくから見たら、Sekさんの論理性こそダイナミックだと思うのです。同時に、Sekさんの「美しさ・芸術の構築性への侵犯への恐怖」めいたものは、何かしら別の隘路を通って、表面上スタティックだけれども、ご自身の立ち居地というものをいつも鋭く模索しておられるように見受けられる。

ところで。
観測趣味、というものは、パターナリズムに陥ります。
ついつい、カプ論争が「こういうのもあってもいいんじゃない?」「いやこれでなくてはならない!」の戦争となりますが、
しかし後者のひとも、どこかで「新風」を持ち込んでもらいたい、と思ってもいるのです。

これに対し、一人称・憑依没入型は、常に「自分(プレイヤー)」が作中世界の中で「生きる」ため、そのパターナリズム的退屈さ、とはかなり距離をおきます。
それもあっての、「きみはね」ラストのあのメタ発言なのでしょうが。

パターナリズムに対するものとして、自分はしばしば「リバ(リバーシブル)」を導入することを肯定しますが、
しかしこれも、行き過ぎれば「オリジナル要素のつおい二次創作妄想」となり、原典への侵犯、となります。
残響は、案外この方向にまではいかない。創作をやってるだというのに。

ぷらす。
「スイングしなけりゃ意味ないね」は、もちろん「リアルの只中にでダンスせよ!」の哲学であります。
これはもちろん、観測におけるスタティックな精神性とは、全く異なるわけです。

以上を踏まえて暫定的に考えると、「観測」でありながら「スイング」である、という自分の立ち位置は、なるほど確かに「謎」と見受けられてもむべなるかな、と改めて思いました。
うん……謎が増えたぞっ!ww


なんだか、今回レスが、質問を質問で返し、何回もパラフレーズしているような愚を犯してるような気もしてますが……
少し混乱してきたw それと、えーかげん6000字も書いてるので、ここできります。
ちょっと、お話の論点を明確にしたい、という気持ちがありまして。Sekさんの「謎」をより少しは、スコープを狭められたらよいのですが……。
もしよろしかったら、レスという形でちょっとお助けください。

年の瀬です。
今年一年のエロゲライフはどうだったでしょうか。
お体にはお気をつけて。

(お父上と模型のこと、そしてSekさんの模型はじめ、驚きました。そして、本当にこちらも嬉しく思っております! その理屈は上と同じでございます)
残響2016年12月29日

76駄作 (CYCLET)
頭のおかしな物語。しかし手もとは的確でした。活け造りのような手さばきでヒロインの個性を削り出してゆき、その薄汚れた血をインクにして、理解しがたい遠い夢を描いていく "駄作"。でもアリスはそのあたり完全に失敗してると思うのです。 → 長文感想(10241)(ネタバレ注意)(2)
最新レスこんにちわ。お久しぶりです。前回ウチのブログにコメントいただいてから、だいたい半年ぶりですね。その後お変わりありませんか。というかぢぬしライフは、回復を見せましたでしょうか。おいたわしや。
マァ病状ということでいえば、かくいうわたしもイマイチな状態が続いてました。この2、3日でそれなりの回復を見せたのですが、しかし明日はわからない。Sekさんの鮮血も明日がわからない血潮でありますね。まったく病気というものは、自己認識・世界認識の変革を迫るものでありますレッヴォリューション!

そんななかでありますが、先日、というか昨日(2016/05/28)、Sekさんに遅れをとることかなりですが、わたしも「駄作」の長文感想をアップしました。
Sekさんにおかれましては、自分の薦めが多少影響をおよぼしたのかしら……?というかSekさんの趣味に合わないゲームをゴリ推ししてしまったかしら……?
と、内心心配していたのですが、しかし、楽しくプレイされたようで、一安心しました。

Sekさんのレビューは、相変わらずぼくはねちっこく日々の更新を楽しみにしています。ねちっこく読んでます。ねちねち。とみに最近、偶然でしょうが、自分の愛するタイトルが結構バッティングしていますので、Sekさんのレビューがますます楽しくなっているところです。

そんなわけで、今日は「駄作」と「小宮裕太」についてお話させてください。まぁこのSekさんの「駄作」レビューにお邪魔しているわけですから、そういう話なんですけど。「ひとり/ふたりのクオリア」や、「相思相愛ロリータ」「Backstage」についても語りたいですが、それはまた席や日を改めて……。

というか、まずこのことからお伝えしなくてはならなかったのですが、わたしの駄作レビューで、Sekさんのレビューを引用させていただきました。主に「リアリティのなさ」の考察と、「アリスの今後」の考察のところです。

自分のレビューがどこからはじまったかというと、それを思い起こしてみるに、やはりSekさんが「リアリティのなさ」について考察されていて、「我が意を得たり!」と賛同したところからはじまった、というものです。
というわけで、Sekさんには恩があります。どうもありがとうございました。たぶん、Sekさんのレビューがなかったら、自分のレビューも、違った形になってた可能性がありますし、また、レビューにとっかかるのも、今以上に遅れていたかと思います。

さて、本題に入るまえに、「小宮裕太」について話させてください。前回の「朱」レビュー感想のレスで、小宮裕太についてお話くだすったときに、「おお……!ぼくと同じくらい小宮を愛している人が、居たとはっ!」と、深い感激を覚えたものでした。
それからのレスですんで、ずいぶん遅くなってしまいました。しかし忘れたわけではなく、折に触れてこのことは考えていたものです。
それをここで開陳(くぱぁ)することは、なんか昔の文士の書簡っぽくて古式ゆかしいですが。

まず「残響と小宮」ということで話をするとすれば、自分は……そうですね、まだ10年には至ってないですが、小宮崇拝歴は。しかし、小宮の存在を知って以降、完全に小宮をかみさまとして崇拝するようになりました。
なにしろ、自分の求めていたおよそ全て……ラブコメイチャラブ漫画における、すべてが詰まっている。小宮には人生の大切なことがすべて詰まってるんだよ(ガルパンネタ

自分が小宮を知って……さらに言えば『沢渡さん」を知ってから、冗談抜きに、1日も漏れなく、沢渡さん妄想をフトンの中でしているのです。脳内せっくすですよ!それほど心酔しております。その沢渡さんをとくに選んで、Sekさんが語られているのには、これまた「我が意を得たり!」でした。というかSekさんの仰られることが、いちいち自分の考えてることの先をいっておられて、まさに感服すること甚だし、です。

というか、自分えろすけで沢渡さん/小宮の話しましたっけ……?あ、そうか。twitterか。
というか2、Sekさん、ぼくのtwitterまで見ていただいて、ありがとうございます。自分のブログでSekさんについて書いたときに、即座にコメをいただけたことも嬉しかったです。ああ、読んでくれてるんだなぁ、と。

沢渡さんの何がいいか。まずもって、仰るように「クールさ(襟元がいつも綺麗なひと)」と、「かわいいこと言うひと」な要素が、背反しあってるどころか、不思議な融和をみせているところですね。
この融和は、他に類をみないところでして、まさにそれが沢渡さんの唯一無二の魅力になっております。
あえて類型を探すという無粋をすれば(実はあんましたくない。沢渡さんは唯一無二だから、俺のなかでは)、東鳩2での久寿川ささら。ちょっと似ているのですが。キャラデザも、丁寧語口調も。しかし、沢渡さんは、ささらよりも確実に大人……というか、「あからさまな幼児的弱さ」がない。
「孤高の花」と呼ばれているように、もともと沢渡さんは、孝明さん(主人公)に依存しきってる存在ではないです。しかし、付き合うにつれて、可愛く寄り添い、もたれてくるそのサマは、まさに嫁であります。
どうも、ささらの場合だと、シナリオの面でも、キャラ造形の面でも、「幼さの悪」が出ているように思えて、最終的なところで、「ちょいと」と思ってしまったのも事実(もちろん、ささら萌えのひとにとっては、その幼さこそが凶悪な萌えなのだ!とするでしょうが)
あるいは、艦これの鹿島。こちらもまた、沢渡さんと類型を示しているように思えます。自分は艦これをやっていなく、せいぜい艦船模型をたまに作る程度ですが、しかし鹿島は危なかった。俺をして、沢渡さんの代理としてハマってしまいそうな怖さがあった。……最終的なところで、沢渡さんのような「凛とした」涼しさ、よりも、よりベタ甘に甘やかそうという意思が、鹿島からは垣間見えたので、すんでのところで鹿島同人誌を100冊単位で買いまくることはせんだったのですが、危ないところだった……!

多幸感。まさにそれは小宮漫画の真髄であり、沢渡さんの真髄であります。えろすけのコメ欄でこれだけ別にエロゲとは関係ないことを書き連ねていいのか、と思いましたが、いやもう止まらないマイハート! 彼方まで突き抜けてセレナーデ! ということで、もうちっとだけ語るとすれば……必ずしも、小宮漫画では、「陽」の要素ばかりが描かれている、ということではありません。ちょっとした陰の要素もあります。だがそれは、スイカに塩をかけるがごとく、アブナい感じでもって、甘さをひきたてます……と書くと、NTRとかの礼賛っぽく見えますが、そうではない。このあたりの小宮の「アブナくも、しかし安心」という絶妙のハンドリングが魅力なのです。最近作の「痴女さん」シリーズでは、最初の「好きになった理由」こそメッチャご都合主義ながらも、その後の「キワドさを狙いながらも、しかし甘あま」というハンドリングは、まさに小宮でした。
(ところで、自分は長い間、ほぼ小宮だけを狙って「ばんがいち」を買っていましたが、最近はDMMの電子書籍で小宮の短編がバラ売りされていていいですね)

Sekさんは「超然としている」と小宮ヒロインズを称しましたが、まさにそうです。媚びていない。
しかし小宮というのは、不思議な漫画家です。寡作ですし。しかし、いつも俺達の期待を裏切ったことは……あ、あった。ウソ輪姦マネージャー話……(しつこかろうが、小宮暦の長いひとだったら、このことは思い出すでしょう)。し、しかし、最近出た沢渡さんシリーズ最新話、にして、神話、「ハッピーパフィーフラッフィー」、もちろんもはや100回単位で読み返してますよ。ここにおいて、小宮は我々の欲しいものを、すべてブチこんできましたからねー……えちの最後を「絶対結婚しようね」というふうに、沢渡さんシリーズを読んできたひとに対しての、最高のキラーワードをぶち込みますから……。

なんか、小宮について語れば、いつまでも語れますな……しかしこれでは、駄作について全然語れないぞっ!

というわけで……

●駄作のはなし

頑張って上の小宮と、駄作について連関をもたして考えてみようとしたのですが……うーむ、うまくいかない。それは、小宮ヒロインズと、駄作ヒロインズが完全に非対称をなしているか、といったら、マァふつうは「そうだ!」と言葉をつむぐのですが、しかし、駄作ヒロインズは駄作ヒロインズで「かわいい」のですね。

あえて連関させてみれば、それは「思いのまっすぐさ」ってとこでしょうか。
駄作ヒロインズは、思いがまっすぐすぎて、わき目もふりません。

小宮漫画はたいてい短編ですが(まあ連作もありますが、短編連作のカタチです。ええい俺は沢渡さんの長編も読みたいのだっ)、

・エピソードを集中させることにより、エピソードでもってキャラを生き生きと描く。記号に頼らない
・短い枠のなかで語りきることにより、さまざまの考察を誘発させる
・それだけに「思いのまっすぐさ」がこちらに鮮烈にとどく

というふうに、考えることもできそうです。このあたり、Sekさんが仰った「テンポ」の性急さと、現実感の希薄さ。エログロの鮮烈さ、になってきますね
(小宮の場合、現実感のどことなくの希薄さ、というのは、翻って多幸感の日常の白昼夢めいた感じ、になるのですが。絵の線においてもそうです)

考えてみれば、駄作はミドルプライスであったから、半ばしょうがなしにこういう構造になりましたが、しかし駄作にとって、この構造はまさにジャストフィットな構造であったともいえます。

駄作の特徴として、リアリズムを廃している、というのがありますが、そもそも「くどくどと語れない」というのは「丹念なリアリズムが出来ない」ということでもあります。
そこでもっての、早まわし。だからこその異常思考がよく目立つ。それは、ぼくがSekさんのレビューでもって「なるほど」と思ったところです。


ところで、わたしは、駄作最終ルートの評価について、Sekさんとは違ってます。
「1-3」のSekさんのご指摘ですが、なるほどこういう見方があるのか……と。枢のちんこをアリスなんぞに!という視点は、ぼくにはなかったものです。
また、「そまりと華愛美を彼女たちだけでやらせている」、これはわかりますw なんか蚊帳の外、っていう感じはしますね。いやわたしは明らかに百合者ですが、しかし、もうちょっとこう、他三人に接続するカタチになれなかったんかいな、と。別にこの作品において、そまりと華愛美は特権的な百合カプだったかいな?と
(それを言ってしまえば、実はわたし、百合者といえど、このカプに萌えなかったんですよね……いや、どこに萌える要素があったか?というツッコミはまさにその通りなんですが)

いきなりでなんですが、模型工作で、キットを組むのでなしに、オリジナル作品を作る際には、
「ミキシングビルド」
という手法があります。
それに対する概念としては、「フルスクラッチ」というものがあります。

ミキシングビルドとは、すでにあるいくつかの模型、それらをバラして、複数のパーツにして、そのパーツを好き勝手に組み合わせて、「俺のオリジナル」を作る、という手法。すげえ簡単にいえば、ガンプラ魔改造です。
それに対してフルスクラッチ、とは、パーツひとつひとつに至るまで、「自分で作ってしまう。既存のパーツを作らない」というものです。これは、「完全オリジナル」ということです。

なんだか、由貴くんの「アリス創造」は、ミキシングビルドのように見えてしまって。
いや、いい意味でも、悪い意味でも、由貴くんはミキシングビルドしか選択しようがなかった、というか。由貴くんは、もととなったキット(彼女たち)を愛していましたし、パーツに対しても執着していました。
いい意味では、それは彼女たちに対する愛情、友愛の精神ですし。
悪い意味では、各ルートで得た「傑作」としての彼女たちの形を、バラしてしまって、短絡的にくっつけた、という意味でもあります。

もともとミキシングビルドは、別に醜悪な手法ではありません。ただ、「くっつけてやったゼ、俺すげえだろ」という意識がダダ漏れになってるミキシングには、あまり感心しないのが、モデラー……まあぼくは、そうです。
なんというか、各ルートをそれぞれ「彫刻していった末の美」と捉えれば、それをバラすなんて!というのは、まさに「駄作」に堕ちてしまった、中途半端なもの、としてしか写らないかもしれません。
おそらくSekさんは、このあたりで、由貴くんのミキシングビルドが「つまらない」お見受けされたのでしょうか?
いや、手法にこだわるのは、モデラ見習いとしてのぼくの、悪い見方かもしれません。単純に、由貴くんの作ったミキシングビルドの「アリス空間」が、そもそもつまらないものだった、というところだったのでしょうか?

ピグマリオンの彫刻/工作。
わたしは、あの駄作最終ルートが、「そんなに悪いもの」だとは、イマイチ思えず。
それは、ミキシングビルドも、そんなに悪いものではない……というか、そもそも由貴くん(たち)は、フルスクラッチのオリジナルを作れない存在だったのだ、ということを思えば、ちょっと悲しくなってしまうのです。
それは、未だにフルスクラッチ(完全オリジナル)がなかなか作れない、残響自身についても思うのですが。
なんちゅうか、由貴くんのミキシングビルドは、最終的に「これをめっちゃ作りたいんだ!この精神性でもって貫徹するんだ!」という、ピグマリオンの矜持みたいなものが、希薄だったことは、確かに、です。
「まどろみ」で処理してしまった。Sekさんはそのあたりを非難されるのでしょうか。その観点は、ぼくも「うーん、確かにそうかもな」と思えます。



しかし、Sekさんはアリスが大好きやで……。まさかここまでアリスにずっぽし、とは思ってませんでした、Sekさんのレビュー。
ぼくは枢に結構ずっぽしになってしまったのですが、それは……まあ女子力がねじくれて高いという、男の娘特有の妖しさにアテられてしまったのですがw
で、Sekさんは……やっぱ貴方は闇への親近性があるのかなぁ……ちうか、アリスに即して考えてみたら、「ギラギラ」性、というか。ギラついた闇の煌き(黒曜石のような)、それを楽しむことが出来る、という……。
なかなかこの観点は、自分にはなくて、ここまでアリスについて深く考察され、深く萌えておられる姿、というのは、見ることが貴重でしたんで、自分にとっても、得るところ多かったレビューです。

今回も、また長くなってしまいました。小宮の話しすぎたw
また、何か拾っていただければ、幸いです。
残響2016年05月29日

80朱 -Aka- (ねこねこソフト)
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。 → 長文感想(12223)(ネタバレ注意)(4)
最新レス※前置きが長いです! 本レビューに対する純然たる感想は

「朱」レビュー感想本文

で下段検索かけてご覧になってください!


 どうも残響です。お久しぶりです。いつぶりだったかしら、と前回のコメ履歴を確認してみたところ、去年の年末。ご無沙汰しております。
 その後お変わりありませんか。安易に「駄作」を薦めてしまって、これはひょっとしてSekさんのお嫌いな作品パティーンかしら……とおののいていました。はい。あの枢ルートにしても「解釈次第の純愛」といわれればそう、なのですから。でも枢ちゃんかわいいよぉ。

 相変わらず、レビュー楽しく読ませていただきました。というか、ここでぶっちゃけ話をすると、自分は「テキストストーカー」「ライター/レビュアーストーカー」みたいなとこがありまして……まあこの話をちょっと以下で説明してみたくて、具体的に書いたはいいものの、それをセルフ読み返してみたら、あまりの俺自身のキモさに、即刻テキストエディタから消した次第であります。
 というわけで、シンプルに「いつもレビュー、楽しく読んでます!」とのみ書かせてください。いや、Sekさんのレビューを、以上のテキストストーカー的に待ち望んでいる、ということを具体的に書くとすると、いくら好意に基づく賛辞であろうとも、キモくて残響を「気に入らないユーザリスト」にぶっこまれること確定ですから。大丈夫!怖くないよ!(この時点で怖いよ)

……ただまあ、ふと、今年に入ってから、Sekさん、エロスケでご活動される機会が減ったかしら……? と思ったのも事実。
 しかし、こうして再び丹念な筆をエロスケで叙述してくだすっているので、大丈夫だったか……何より、と思っています今日この頃。そういう意味での、「その後お変わりありませんか」でした。

なんだかこうやって書いてくと、どんどん残響の馬脚を現してしまうような……
で、「朱」レビューの感想のくせして、これからSekさんの過去レビューテキストの感想と、Sekさんがしてくだすった過去レスに対する更なるレス、という極道ぶりをさせていただきたく。

せ、Sekさん長文派だし大丈夫だよね……だよね……(cv北見立花……なずなんを汚すなぁああああ!)と恐れおののきながら、しかしやはりSekさんにはいろいろと語らせていただきたいことがありまして、勝手ながら、ここでまとめて語らせてください。えーと、このような形式に何か問題ありましたら、DMを……って、ここはtwitterじゃないんだった。えーと、レスでそろっとお知らせいただくなり、もしくは……(Sekさんを一方的に信用して)ghost24hyピピンアットマークyahoo.co.jpまでよろしくお願いします。



・P.K.ディックのはなし

 Sekさんに対する感想が遅れてしまったのは、まずもって、前回のレスから、ディックを読み返していたから、でした。
 とはいいつつも、手持ちのディック小説の中で、Sekさんが挙げてくだすったものはまたこの残響めは持ってなく……ええいまたかこのニアミス! あ、関係ない話から先にしとくと、「ディックの非長文タイトルの駄作率の高さ」って本当でしょうかね?
 
 しかし、それでも手持ちのディックを読み返してみて……まあ内実をいうと「流れよ涙」「電気羊」「マイノリティレポート」といったところで、蔵書量はザコみたいなもの。あたかもそれはゴス少女が
「ルイスキャロル大好きー!」
とかいっておきながら、
「アンタ何読んだの?」
「アリス!」
「他には?」
「………………(無限の沈黙)」
「……せめてスナーク狩りと、シルヴィーとブルーノくらいは読んでくれよん……(流れよ涙)」
というようなもので。

ああ、ネタばかりが増えていく。で、仰る「アンドロイドの無機質な闇めいたもの」への親近感、というので、「ああ……」と納得してしまいました。たといディック経験がなくても、さすがにこうやって読み返してみて、それをわからないようではどうかしている。

 ディックの非人間的人物像……というのは何か、と抽象して考えてみたところ、「人間がシステム化してしまう」ところにあるのかなぁ、と。
いわば、純然たる機械化キャラ、というのではなく。
 「本来は人間のためにあるものだった、システム」ちうものへ、何の因果か「システム化」してしまったキャラ……の、圧殺性というか、逆説的なロマンティシズム性、というか、あるいは暗がりというか、幻惑というか。

 そんなことを考えてしまったのは、やはりこれがエロゲ言説の中であるからして。というのも、Sekさんの「エロゲヒロインには人間が最初感じられなかった」というのが、自分、わかってしまうからです。僭越ながら。
 大学入って、自分は一時、エロゲブランクというか、オタク文物ブランク、とでも称すべき時期がありまして。そんななかエロゲをたまたま「どうだったかな……」という感じでやってみると、これがまあ、違和感の塊でして。
 そのころ思っていたのは「こんなキャラ造形、コミュ造形、近代フェミ議論なんか、もーどこにいってしまったんだ。こんな都合のいい連中……リアルじゃねえ!」
みたいな、変なこじらせ方をした似非フェミ論者のバカっぽい観点から見ていたものでした。

 しかしまあ、自分とジェンダー、自分と「リアル」というものは、結構厄介なものだったようで。ようは「少女が消費される」ということへの、違和感。エロス消費のニヒリズムだとか、「人間消費」へのニヒリズムだとか。
 Sekさんの感じておられたこととは違うでしょうが、自分はそういうことでもって、この「なんか人間っぽくねえ……エロゲキャラ」という感覚を切っていました。あくまで自分は、「ここには人間性がない」をフェミ議論で斬っていた、というだけの話でもありますが。

 しかし。仰る安心チューリングテスト、ですが、自分もしていただけに、共感というだけでは済まされないなにかがあります。
 結局はフィクションの強度、妄想の強度を信じきれなかった当時の自分とはなんなのか。そして、その不信の根拠たる「リアルに対する畏怖」とはなんだったのか、と、今更ながら思うのでした。
 そう、それは、ディックの作品がもたらす、「リアルとのコンフリクト」に通ずるもので。象徴的意味でも、実際的(作中での問題解決とか)においても。 
 リアルというものを、「そこにあるもの」として自然に受け取れない。さらには、その不自然性にさらに畏怖、恐怖感を感じてしまって、身動きとれなくなる。リアルが、システム、というものと手を組むと、余計に。

 そう考えると、一介の学生たる自分には……まして、当時闘病生活をしていた自分には、荷が重いテーマだったのかもしれません。
 当時の自分に、「ディックとは英語スラングで男根を指すのだよ……」といってあげたい自分です。そんな未来の俺を、学生俺は蹴り殺すでしょうが。


・教えていただく楽曲のはなし

ところで、教えていただいた、茶太「イイコ」はよかったですねえ……
ガール&ファンキィッ! カーティス・メイフィールドじみたワウギターとベースのR&Bがいいですねえ……。

で、Sekさんが、「キャッチーなところを拾ってくれてるのでしょうか」と仰いますが、実はそんな配慮は一切してなかったりw
というか配慮を少しはしろよな自分……と逆に失礼しました、と。
でも、楽しんでいただけたら嬉しいです。

というかSekさんも音楽の造詣が深いかたやで……現行邦楽ロックのリズム感覚を精緻に分析されておられて、それをエロゲ感想に生かしておられるというとこなんか……。

・PITのはなし

PIT採用のHOOKゲー2作のレビューも当然読んでいますよ。すいません、でもまだこの2作、この期に及んでまだやってなく……

しかし、興味が非常にわいたので(このレビューで)、いつかやります。

ふと思ったのが、多分暇と金を思いっきり海原にぶちこんだら、PITを完璧に使いこなしてくれるんじゃないかと……。Cドラにそんな余裕があるかはさておき……はよあのメーカはディスクレスをだな。

しかし、ストノレビューのとこで、
「読者はPITを読んでる保証がない」
のご指摘にはぞっとしました。そう、その保証なんて、どこにもない。もともと読み飛ばされることが前提のPIT。その議論は、その存在は、プレイスタイルによっては無化されてしまう。
往々にして、PITの存在ひとつありき、で、それは最後までプレイ感覚と同期している、という感じでレビューかかれることありますが、でも、あまねくHOOKゲーユーザはそれをしているか、といったら……。

ある意味で、それは2chというよりは、2chまとめブログのコメント欄の不毛さを思わせましたね。どこにも繋がらなさというか。
「繋がるようにトータルデザインしろよ!」の御説はごもっとも。でもそこまで強いトータルデザインは、結局は「息苦しさ」に繋がり、結果PIT2ch言説空間の自壊に繋がる、と思うと……。

・観客型・没入型のはなし( X Change Alternative2)

 僕はtwitterのほうでも結構発言しているテーマの中に「観客型」思考なのだ残響は、というのがありまして。
 それをこのゲームレビューにあわせて深く考えてみると、――もっともそれはこのゲーム特有のものかもしれませんが――、僕は「没入することを怖がっている」のかもしれません。どこかでそれを怖がっているからこその、観客型、というか
 このあたり、先に話した「リアルへの恐れ」というとこにも繋がってくるかもしれません。
 「視覚情報は上」「触覚・味覚情報は下」に位置する、という分析には圧巻でした。そしてそのアマルガム的なあやふや混じり感、というのにも。

・Backstageレビューのはなし

 このレビューにはいろいろとお話ししたいことが山盛りなのですが……それは当レビューでお話しさせていただきたいのですが、まずここでひとつさせていただくならば、

「芸術と俗世の対立」
ですね。

 ふと思ったのが、こういうテーマをエロゲはよくしますが、大体において「恋は死よりも強し」の論法でもって、死よりはいささか強くない芸術モチーフは、作中において恋愛に押し流されてしまう傾向にあり。
 そこのところの話は「恋ではなく」レビューでするべきなのかもしれませんが、この「恋>芸術」というシナリオ構成は、結局のところ、純愛エロゲの至上命題「ヒロインをかわいく描け!」の順法枠内から、芸術の高み、というものをオミットする傾向にある(上段落と同じこと書いてますね)。
 まあ「芸術を達成したところで、どれだけヒロインがかわいくなるんやねん」
という、残酷なエロゲ命題ですね。だったら最初から人間を描くにはどうしたら……ここにおいて、散々作中でイチャラブらせた挙句、最後のあたりで思い出したかのように「芸術にたちもどり、愛を経た芸術でもって大団円」というのがテンプレです。
 ……ですが、芸術とラブ、そして芸術と俗世、とは?と考えると……まあラブを俗世を簡単に並べることもまた問題ですが、しかし「芸術の崇高なる高み」とはまたフェーズを異なる位置にある、とはいえると思うのです。
 そこのところの解決はどうなされるのか。これは、個人的にはちょっと気にかかっているところです。もっとも、これも再三申し上げる「リアルへの恐れ」というとこと関わってきてまして、結局「リアルと芸術とをそれぞれコンフリクトさせる形で、お前さん(残響)は芸術の崇高性を担保しているのだ」といわれたら、これまた「むぐぐ……」となってしまうのですが。


――――「朱」レビュー感想本文――――

もう言い訳しようがないほどの長文前置きレスのあとで、ようやく本筋に入ります。

 今回、詩情を感じましたね……レビューにおいて。それはあたかもNHK「シルクロード」的な作中を描写するSekさんの筆に誘われて、はぁあああるぅううぅううかぁああぁあかぁあああなぁあああたぁあああぁああ(twitterで流れていた某「は●かかなた」というゲームへの怨嗟の声をサンプリングしました)の砂漠の地への思いを募らせたか。カモン喜多郎(ネタが古い)。

 ていうか今回なついゲームを選ばれましたね……自分の追っているエロスケレビュアーの方々のなかでも、Sekさんの「次にお選びになる」ゲームはマジ予測つかねえ……。

 その二つの要素……つまり、作品の同時代性超越と、Sekさんの仙人じみた同時代性超越プレイが重なって、このレビューはある……といったら明らかに言いすぎですが、しかし「当代的萌え」とは、明らかに異なるテイストを、読んでいて感じました。

 最初から後のほうの御説のことになるのですが、当代的ゲームボイスプレイ、というとこで、自分もSekさんと似たボイスプレイ感覚を覚えます。それは確かにリッチ。考えるだに、リッチな体験なのでしょう。ここまでボイス関連が、この10年で深化してくれたら。まったく、10年前のエロゲはボイスレスが普通、パートボイスも普通だったなんて信じられねえぜ、いまや同人だってフルボイス……嗚呼! だから制作費を切迫して切迫して、ただでさえ自転車操業なのが(略

 しかしボイス感覚をそれによって、鍛えるのを甘えさせていたら、今作のような作品を、Sekさんほどは味わえなかっただろうな、とも思うのです。
 無音、あるいは言葉の発せられる順番における「ズレ」。
 縦に積み重なっていくエクリチュール(書き言葉)とは異なり、パロール(話し言葉)とは横の関連性の無限さこそが肝心なのである……というポストモダン言説をちょっと借りるとするならば。しかしパロールも、「ことば」である以上、何らかの積み重ねを前提とするものであり、超越性もその何らかの積み重ねののちに現れるのではないか、と言う議論をしたくなります。
 そして、その裏にあるのは、すなわち「関係性の進行」という、これまた手垢がついたものですが、しかし「言葉を紡いでいく」とはすなわちこういうことではないかと。まあそのあたりはSekさんが本レビューでしっかりとご指摘なさったことですから、屋上屋はやめておきます。

 さて、砂。
 当方が今仮住まいしているとこは、某砂丘王国の隣の県なのですが、世ではこの二県の区別がされてなくてブツブツブツ……。
 
 しかし、残響、まだ鳥取砂丘いったことないのですよ。え、こんだけ近くていってないの? と思われそうですが、近いからこそ逆に、ということもあって。だからまだ「砂丘」というのにはロマンスを感じられます。

 ……そのロマンスが「ソファ」でぶち壊されるのはなんとも、ですねえ。ここ笑ってしまいました。
 しかし自分も、自分の小説でそんなミスをしかねないので、ここはちょっとした胸の痛みを覚えながら、にこっと鍵ゲー的諦念笑いをすることにします。



>『指輪物語』よりさらに辛いのが、邪悪な黒の乗手が襲ってこないこと

 この点、後代の指環物語の受容が、善悪二元論のシンプリティに陥ってしまったあたりと、好対照をなしていますね。
 中つ国を旅する一行。彼らの茫漠たる旅も、また一つのロマンスであり、ひとつのベクトルによって突き動かされていたものでありますが、さあそのベクトルを抽出してみて、よりエンターテイメント性を追及すると、まあいわゆる灰ファンタジーはライトファンタジーになり。クトゥルフでもダーレスが同じ処理を行ってだな……。

 じゃあその単純なマッチョ二元論を否定して、茫漠たるカオス、茫漠たる世界が、ただ存在してるだけ、で物語を成立させようとすると……また、これもこれで、仰るように、「黒の乗手」の試練が、困難がないだけに、超アンチクライマックスな物語になってしまって……単純にいえば、「ツマンネ」。
 これ、わたしが自作小説で一番苦労してるんですよね……自分自身が善悪二元論のあらゆるマッチョを否定し、リアルのマッチョや困難を否定するだけに、じゃあ作劇をオモロくするにはどうしたら? というとこで、今もなお悩んでいるところです。

 まあそんな残響のどうでもよさとは別に。


>3, 行きて"還りし"物語

 ロードムービー論のようだな……と思いました。このくだり。というか、その感じはレビューの最初からもありましたが。
 「行くところ」に意味があるのではなくて「行くという経験」に意味があるのだ、というロードムービー論は、こうやって残響が言語化してしまうとひどく陳腐なものですが……
 しかし、経験が一義的でない以上(ポスモダ言説はこの「経験」を、リアル、の名のもとに一義化さす傾向にあると知ったのは最近でした)、その無数の経験を「人の生=物語」として、ひとつひとつ丁寧に言語化していくこと。
 そう、残響が自作小説のツマンなさをくどくどいっているんだったら、この丁寧な言語化をさっさとしなさい、って話で。その点でも、Sekさんのレビューは、勝手ながらきわめて示唆的でありました。

 行きて、「帰」と「還」の細かな使い分けには、深く染み入るように感動した自分がいます。
 「還」とはなんなのか。それはゲームを実際にプレイしないとわからないものかもしれませんが、しかし茫漠たる世界に、一滴の水として還ること。その還り自体が、また新たなモノを生まれさすということ。
 こうして言語化さすと、また残響のアホさ加減により、陳腐になってしまうのですが、大事なのは、そんな「人の生=物語」を、還ったモノたちを、継いでいったモノたちを、

>ひとつひとつの旅の軌跡だけをいつまでも大事そうに抱えこむ
 
ように、していくだけの強さをいつまでも、ということなのでしょうか。いや、疑問系にしてどうする。「ことなのです」。……と、レビューを読んで、思いました。


またもや……というか過去最大級の長文になってしまいました。ごめんなさい。
もし何か拾っていただけるところがありましたら、お願いします。
残響2015年04月15日

73うちの妹のばあい(はぁと) (イージーオー)
「お兄ちゃん……わたし、やっぱりチンポには勝てなかったよ」呆けた笑顔を見せつけてくる優香がエグい。萌えゲーのお約束をことさらプレイヤーの目の前で破り捨てるようなマネをしてるのに、稚気のある……もとい頭のネジのゆるみがちなテキストからは萌えゲーへの愛着もまた感じれてしまうあたり不条理な作品です。 → 長文感想(13618)(ネタバレ注意)(2)
最新レスどうも残響です。最近のお日柄は……まさに「駄作」!と呼ばざるを得ないところが悲しいですが、いかがお過ごしでしょうか。
(CYCLET「駄作」チョー面白いです。なんかバカなコギャル的感想ですが、ほんと面白いので近々感想でも挙げてみようかと)
前回の「ひのまるっ」レビューでは、あのような当方の頓珍漢なコメントに対して、真摯にレスを返していただき、感謝の極みです。
そんな紳士かつ、頭痛のときに時雨を聞くドジっこなSekさんには、むしろ次の音楽をすすめたほうがよかったかしら。同じカルロス・アギーレ関連ですが、あちらほどエキゾ要素は薄い、やさしい音楽です。

https://www.youtube.com/watch?v=_yc8mgkB434
(アギーレの音楽に惚れた日本人スタッフたちが編んだアルゼンチン音楽コンピ「バー・ブエノスアイレス」に収録されとりやす)
ていうか、当方のエロスケ以外の課外活動までチェックしてくださるとは……Sekさんの情報感度に恐れ入りました。ぺこり(頭下)

さて。
うちいもレビュー、一読して「これはSekさんのレビューのなかでも、裏ベスト的な最高傑作なんじゃないか」と打ち震えております。かってに。以前、次にコメントさしていただくのは「キミに贈る、ソラの花」レビュー、と申し上げましたが、それを撤回しての今回のコメとなります。
いえ、あのレビューの清新さに打たれた自分もいるのですが、しかしSekさんの感想をずっと読んできて、どこかにこのSek氏というレビュアーには「闇への憧憬」めいた何かがあるのではないか、と感じておりました。
憧憬、というとアレですが、「薄暗がりや、ねじれた感情への、親近性」とでも申しましょうか。ああ、この表現もアレですね……いえ、ヘイトしているわけではないですよ。

まあ、それを単純に「Sek氏というレビュアーに対する興味」といってしまってもいいのですが、そのドロリとした情念を、いつものように解析的・ロジカルに、筆致でもって描かれるのですから、いやはや。
……否、整然と語ってくださるからこそ、よけいに業が深いようにも感じてしまいます。

うちいもについての当方のプレイ状況ですが、
「怖くてやってねぇYO!」
というところです。笑わば笑えっ!当方、現世のいざこざに疲れたいちゃラブ野郎だいっ!

ただそれはつまり、このゲームが持っている……Sekさんも再三指摘されておられますが「落差」……ナナメ上やナナメ下へと振り分け、というダイナミクスが、自分にとっては劇薬。こわい。
それが、ただの物語装置、ギミックというだけではなく、真に「人間のおぞましさ」を描くものとして使われている、と聞きますから、こわい。

そのようなゲームを面白がれるSekさんは自分とは遠いお人だ……ということを、ここで言いたいのではないのです。むしろ、Sekさんがこのゲームの「情念」を処理されておられるのを見て、「この人は純粋性への憧憬と、情念性への憧憬を両方兼ね備えているのではないか?」という……先ほども申しましたが、レビュアーへの興味ですね。

そのように考えると、純愛系の純粋性と、NTRゲーの情念性は、どれほどパラレルで、どれほど地続きなものか……と思ったのですが、そーいや自分も「駄作」を面白がっているのですから、ああ、ああ。なんだ……。

「情念」「闇への親近性」みたいな胡乱な言葉でもって、変なことを申してしまいました。もちろん、詮索とかいうのとは無縁です。

そして、今作の「キャラ造形」なのですが、ふと、前にお話しくださった「みここの華蓮」についての言及と、通低するものがあるかも……となんとなく思いました。
Sekさんが先のレスで華蓮の「残念さ」を、一般的な残念さと比較して語られていて、その「マスプロダクト的な一般的残念」を突き抜けたところに、華蓮のギャグ的面白さがある、とすれば……今作うちいものように、マスプロ的一般的残念を「シリアス・情念方面」で突き抜けたところに、優香の情念がある……と解釈してしまっては、あまりに簡単な腑分けでしょうか。

ですがそれを「どこまでを笑うか」と接続して考えると……あな、情念とギャグとは、どれほどパラレルで、どれほど地続きなものか……と思ったのですが、そーいやわたしも「駄作」を面白がっているのですから(以下ループ)

なんだか何の話をしているのか胡乱になってきましたが(失礼!)、以上のようなことをぼんやりと考えていました……「言葉になる範囲では」。
「言葉にならない範囲」……このレビューを読んでいて、どれほどSekさんがこのゲームの闇を楽しまれて、解析されて、ギャグすら見出して、その上でご自身と闇とのバランスをとっていらっしゃる。そのお姿をぼんやりと幻視して、ふと、言葉にならない何かを感じ取っていたりします。
そのような「闇の何か」が垣間見えるレビューでありました。

それを「ブルース」の一言で片付けてしまえばどれほど楽か……と思ったのですが……
ここは、ひとつ引用して(引用しか出来ない残響豚!)、このコメをしめさせていただきます。

――彼女は祝福されし者
彼女はあなたの虜
彼女は血族
彼女はあの人とつながっている

(※1)私は行く。 でも理由はわからない
私はいつも流されてばかり
あの人が私をものにした、そんなことがありえるのだろうか

(※2)私は裸足で踊りながら
回りはじめる
おかしな音楽に吸い込まれ
ハイにさせてくれるの、ヘロインみたいに

彼女は気高い人
彼女はあなたの実体
彼女は夢中なの
自分の選んだ、あの人に

(※1)
(※2)

彼女は改造されてしまった
彼女はあなたに夢中
彼女はだんだんと興奮を覚えてゆく
あの人が自分と一緒に宙に浮かんでいることに
私は行く。でも理由はわからない。
私はいつも振り回されてばかり
重力を感じなくなるほどに

(※2)

ああ、あなたに恋してしまった
(私たちの精神の輝きが闇の中から微かな光を放つ。
まるで光あるもののように 出産の神秘
幼年時代そのものが、重い天罰なのだ。
私たちに呼びかけるものは何なのか?
どうして私たちは叫ぶようにして祈らねばならないのか?
どうして死は定義されなおされてはならないのか?
目をつぶって、腕をのばし、窓ガラスの上で回転する
罪をさせあい、何でも責任をなすりつける、
生命線、木の枝
あの人の手、そして約束
彼女が女たちに祝福されますように)

――パティ・スミス「Dancing Barefoot」
https://www.youtube.com/watch?v=gcbuG2w0Kzo
残響2014年12月10日

75ひのまるっ (WHEEL)
「肩の力を抜きなよー」と語りかけながら自らも率先して肩の力を抜いてしまう、ゆるいコメディ作品。ブラウン管のなか、調子っ外れの歌を熱唱するルル・セアブルをぼけっと眺めてると、なんかもう全て世は事もなしと思えてきました。 → 長文感想(10511)(ネタバレ注意)(2)
最新レスはじめまして……と申しますか、vostokさんのブログ(オネミリエ)で、ご丁寧にご挨拶いただいて、ありがとうございます。
B級エロゲと音楽を好む、残響と申します。
あの時のコメントでは、当方の愚文(音楽ブログ)に過分なご評価いただき、これもまたありがとうございます。
あそこまで読んでいただけているとは……ほんとに感謝の極みです。
アルゼンチン音響派、よかったですか。だとするならば(これは後述しますが)Sek8483さん……いえ、vostokさんにならってsekさんとお呼びして(突然すいません!)、sekさんには、ひょっとしたら、同じアルゼンチンの、カルロス・アギーレなどヒットするかもしれません。その透明性、という点で……いや、音響派とはまた違った音楽なのですが、グールドがいけるならいけるはず?

https://www.youtube.com/watch?v=ZKrjsiTCyXg

さて、本作「ひのまるっ!」、申し訳ありませんが、未プレイです、当方。
ですが、sekさんの長文感想を全部読みまして(本当)、まず第一にレスしたくなったのが、このレビューでして。
(付け加えるなら、偶然にも、sekさんの長文感想で取り上げられているエロゲは、当方全部まだ未プレイです。が、それは感性の違い、というよりは、ただ単に「たまたま」だと思います。失礼な言い分に聞こえてしまったら申し訳ありませんが、愚弄を申しあげているつもりはございません……)

sekさんのレビューを読んでいて、こっちが勝手に思ったことなのですが、共通しているのが、
1)ロジカルに作品全体を丹念に読まれる
2)細部のガジェットに対する注目
3)そこから翻って、「透明性に対する憧憬」のようなものが感じられる

といった感じです。(後述、はここにきます)
それが特に思えたのは、「キミへ贈る、ソラの花」レビューででした。
こちらもまたレスさせていただきたいのですが、なんといってもこれはひのまるっ!レビューのレスですからねw

で、長々と前口上が長くなってしまいましたが、本作レビューについて。




1, 想像しやすくて目に見える笑い

どっどっどりふの以下略、とか、8時だよ! 全員以下略とか……まあ、最近こういったバラエティ、少なくなりましたね。ある意味、「正統派エロゲ」よりも「正統派お笑い」のほうが修羅の世界なのかもしれません(どっちもどっち?)
ひのまるっ!というゲームについて、当方が抱いている知識は、
「なんかマイナー」で「ギャグ」
なくらいしかないのですが、本作に対して肯定的な見方ができるようになったのは、まずもってsekさんのこの箇所の紹介からでした。
時代に反しているといえばそうなのかもしれません。ですが、それはそれで、なんか……「王道」と簡略して語るのも本質を離れているかもしれませんが、「それはそれのよさ」がありますよね、と。


2, 気持ちを溜めこまないヒロイン

>しばしば"雰囲気が良いこと"を目指した萌えゲーでは、女の子が主人公に対してはもちろんお互いについても褒め称え合いをしたりします


完全同意!
とくに「さじ加減」「気分の悪い日には~」の部分なんか完全同意! あーはいはいあんたたちすばらしい個性の持ち主で人生楽しくて互いを尊敬しあっていて世界は清らかでクソックソックソッ……とかって、闇の世界の住人たるわたしには思えたりします(性格悪すぎ。sekさんはそうでない、ということを断っておきますが)。

>セリフの端々で良い子アピールをすることもなく(そもそも"行間"が含まれてません)

これ、いいんですよね。とてもいい。
自分が好きなライターで海原楓太というのがいるのですが(C:drive系でよく書いてるライターです)、最近のライターはどこか「嫌われないようにしよう、読者から……ああっ、書きすぎた、嫌われないようにしよう……削ろう……」みたいな態度でキャラを書いてるんじゃないか、と思わせるフシがあります。
ところが、海原の場合、このあたりを盛大に放り投げて、ヒロインが「うぜえ! 死ね! うんこ!」とためらいなく言うのですね。(さすがに書いてて、海原ファンながら、なんか「何書いてるんだろう自分……」と思えました)。
それと同系統のものを感じました。コメディに、過分な行間はいりません(もちろん、これも「さじ加減」ですが)


3, 意味なしオチ、意味なし勝負


「アンチクライマックス」の問題ですね。

>わたしは頭の固い方なので、物語はかくあるべしというイメージを持っています。上げて、上げて、どん底に突き落としてから、引き上げるというもの。

正直にいいますと、わたしも人生のある時点まではこのような考えを持っていたのですが、どこかで「もういいや……」という諦念に襲われて、それ以降、B級エロゲに耽溺するような感じになってしまいました
sekさんを否定しているわけではございません! 骨格あっての物語、確かにそうです。「型」があっての邪道、というようにもいえます。
もちろんそれは、

>勝たなくちゃいけない、問題は解決しなくちゃいけない、という現実世界の基本ルールを徹底して外してきたあたりには、そういった日々を暮らしているプレイヤーへの気遣いは潜んでいたかもしれません。

と仰るsekさんはよくご存知のことですから……屋上屋を重ねてしまいましたね。

「ソナタ形式のようなクライマックス」「起承転結、序破急」「オーソドックスな型」
どれも、必然性があって存在しているものですし、それから過度に逸脱してしまったものが、その後のメインストリームにはなかなかなりません(ジャズの歴史におけるフリー・ジャズのように)。
あるいは、「逸脱」が、その後の当該ジャンルにもたらす「益」としては、うまくいえないのですが、その後の作品群に「新しさのエッセンス」を香り付け(フレーバー)のように付与することにより、ジャンルの新陳代謝をもたらす、といったところでしょうか(十二音音楽がその後のクラシックの形式は変えなくても、音色を変えたように)

なんか胡乱なジャンル論になってしまって申し訳ないです。しかもこの作品のキモは最初にsekさんが仰ったように「レトロ感」なのですから(!)。
まったく、「面白さ」とはどこからくるか、わからないものです……とクリシェを放って、この長文愚文レスを終わりにさせてください。長々とすいませんでした。これからも、丹念でロジカルなsekさんのレビューを期待しています。
残響2014年10月30日

87同棲ラブラブル (SMEE)
僕は通常このような言葉をあまり好まないが、この作品に限って言えば、この言葉を使うのが最も適切だと思われる。即ち「この作品は人類が踏み出した偉大なる妄想の第一歩」であると。イチャラブがどーだとかの、そういった俗説に惑わされてはいけない。なるほど、前作に比べるとデレ時の糖分はマイルドだろう。けれども、この作品はイチャラブゲーではなくイチャ嫁ゲーなのだ。前作の恋人なりたての興奮と好奇心はその純度をいっそう高め、今作では何事にも揺るがない不動の熱愛と信頼感へと昇華しており、もうことさらにイチャイチャ描写を強調しないでも、ふたりのご飯の会話をみているだけで、最初から最後まで結婚への散歩道を楽しそうに歩んでいるふたりをみているだけで幸福感に包まれる。結婚をここまで描いたエロゲは空前絶後。むろん、その全ては花穗よっていったん否定され、そして、花嫁を越えた永遠の妹への愛によって力強く肯定されるのであった。 → 長文感想(25707)(ネタバレ注意)(1)
最新レスふと気がつくと、この作品からももう1,2年経とうということで、時間性の速度の速さ(頭痛が痛い的語用)にサルトル的嘔吐をかましそうになる今日このごろです。
いつもお世話になっております。年末からのマルセルさんのご帰還を待ちつつ、上記の慨嘆と、このゲームのある種の懐かしさについて思う所がありましたので、コメントさせていただきました。

で、BGMは深夜23時だというのにフィンランドのデスメタル(デスのくせしてクラシックの要素とメロディアスさを持ったバンド)です。
http://www.youtube.com/watch?v=-InrrfJww9Q
この曲去年一年でアホほど聴きまして……
あ、かの国では、シベリウス音楽学校出のミュージシャン、民謡もさることながら、メタル者も多いそうで。
フィんランドがエロゲ界でメジャーになる日は……あ、あった。Q-Xの「こころナビ」。

ごほん。(閑話休題の擬音)
関係ないはなし、ではないのです。
早瀬のアッパーテンションについてです。

ネタに次ぐネタ、爆走に次ぐ爆走、が早瀬の「バカネタ繰り出し」の大原則だと思うのです。
あたかもこのデスメタルのように。
で、それを覆いかぶせるように、次から次へと。
ハル君のバカ行為→花穂調子に乗る→回りが絶叫→なぜかハル君が絶叫→店長の鼻に練りワサビ
うん、まさにこの引用曲のようですね(笑)

とはいうものの。
クラシックのお好きなマルセルさんにとっては、この曲はまさに悪魔の音楽かもしれませんが、
(すいません、耳を汚すようなまねを!)
この曲、急にビートが薄くなるというか、急にテンションダウンするところがあるのです。
それが……妙に、「ラブトークがはじまるときの、ハル君&ヒロインズの一瞬の沈黙」
に似ているような気がするのです。
もちろんそこからまた爆走爆走するのですが、この「一瞬のテンションダウン」というのは、早瀬の持ち味だと思うのです。

例えば保住や「おしレシ」。
保住の場合、ここまで露骨なダウンはなく、いつもの理屈が理屈を呼ぶ形でイチャラブを展開していきます。
思えば、「おしレシ」こと「おしえて☆エッチなレシピ」というゲームがイチャラブ界隈で妙に話題になり、
実はわたしアレ、妙に波長があわなかったのですが(主にギャグの上滑り感)、
「おしレシ」は保住の理屈展開を、さらにガイキチレベルのテンションで推し進めたものと言えそうです。

……と思いきや、実はわたし、マルセルさんが「あんまり……」な評価をした
「ちいさな彼女の小夜曲」を、妙に高く評価してるのですが、
あれのマルセルさんの評語「いったい誰と戦っているんだ」
は、ものすごーーーーーーーく、納得の評語なのです。
本当にそのとおり。
あの世界観、誰もが裏読みメタ読みをすることが義務なのかと。常に頭を働かせてアホな会話をしなくてはならないのかと。
……あれ?「おしレシ」と一緒?
こうやって要素だけ並べてみると一緒ですね……でも、なんか違うのです。

ともかく。
それら「理屈並べ」と、早瀬は、似ているようで、「実態感覚的にはぜんぜん違う」。

ときに、最近小説などで、作者にたいし「おまえさん、それウィキペディアのまる写しではないかえ?」
な感じを非常によく受け取るのですが、
……インフォメーションの咀嚼にすぎない的な。あるいは「それただのお勉強やん」的な。「情報だけやん」的な。
早瀬にもそのきらいは、どこかなきにしもあらずです。
ただ早瀬は、それを原色のままぶっつける……剛速球でぶっつける、それが持ち味だと思うのです。

さて、以上を踏まえて、マルセルさんのレビューの内容に入らせてください(前置きが長すぎる!)

千夏の冷蔵庫にあそこまで読みときをされたマルセルさんのご慧眼にうなりつつ(以外とつぐみよりも所帯くささという点では千夏のほうが上だったような……って、社会人カップルと学生カップルを比べるのはアレでしたね。しかし我らがせんなつさんを社会人と称するは「(笑)」がかなりの数必要になってきます)、
このあたりのネタ攻勢を
「勢い連発」

「情報性」

「イチャラブに繋げる【枕】」
という三要素で見てみると……これはマルセルさんの議論の屋上屋をかさねるだけかもしれませんが、
これは「どこまでがどこまでなのか?」
ということを考えたら、なんか曖昧模糊としてくるような感じなのです。

いえ、実は早瀬に関しては、もっとわけられると思っていたのです。
もちろん、あらゆる文芸表現は、作中のあらゆるところから「伏線」という名の引用をしてきますし、
伏線じゃぜんぜんないものも、あとから作者は「伏線化」さしますし。
そういう意味じゃなくても、早瀬が「勢い」のモーメントをイチャラブにそのまま繋げる名手であることは言を待ちませんし、
「情報」ひとつにせよ、そこから「同棲」のイディオムを組みとる名手でもあります。
第一彼は類型的な「イチャラブ枕」という薪に新たな火を燃やすことのできる名手です。
……が、それでもこの三種は、やっぱり先の「テンションダウン」というところから、分けられるだろう、と思ったのです。

もっと考察を深めれば、「そのダウンがあるから後の爆走が担保されるのだろう」といえるのかもしれません。
……が、マルセルさんがレビュー中で幾度も言及している「ネタの連続における新鮮味のなさ」
……早瀬が「テンションダウン→爆走」の名手であると仮定するなら、「ネタ一発連続」で、レビューで指摘されてる「ちょっとしたヘタり」はどうしておこるのだろう……
と考えてしまったのです。

それは
「若さなのだよ」
のひとことで説明したら話は一気に片付きますがwいかがでしょうか……(すいません、なんかわけのわからない話で)

マルセルさんが仰っていた「どのエピソードをシャッフルしてもおんなじような感覚」を自分なりに考えたら、
このように分割して考えるのに落ち着いてきたのです。
(あ、そういえばDの宅本氏のこと書いてませんでした。……これはDの意向?それとも……ライターをこの上なく信用して、ライターの持ち味を活かすやりかた?それともDとライターが同一方向?)
ですが自分でもまたわからなくなってしまいまして……(バカ)
よろしかったら、マルセルさんのご意見をお伺いしたく。御胸をお貸し願えませんでしょうか?

長くなりました。実はほかにも「さつきルートのぬるぬる感は、マルセルさんが理想とされておられるのにかなり近かったのではないですか?」というのの言及がありましたがまた別の機会に……

ただ、最後にこれだけは、「理屈としてはわかる」のですが、「なぜそこまで?」と昔から思っていたので。
花穂の近親相姦のアンチに対するさらなるアンチの理論展開ですが、マルセルさんをそこまでこの件について追い込むのは……? と、クロポのレビューを読んだうえで、まだ「なぜそこまで?」と思うことがあります……が、これはここでは語れませんか?

長々とすいません
お暇つぶしにでも、どこか拾っていただけるところがあれば、幸いに存じます。
今年のマルセルさんに、御多幸がありますよう。お体にもお気をつけて。わたしもダイエットします(きいてねえよ)
残響2014年01月13日

87妹スパイラル (まかろんソフト)
「シナリオはイマイチだけど妹属性が好きな人にはお奨めの作品」であるが然しこの作品のシナリオはサイコーである。まずそれを順接的に言えば、傑作ロリシナリオが犇めく今年においても凜火のロリ妹っぷりは、お兄ちゃんに無自覚におしっこしーしーさせてぇと誘惑してくるほどの破壊力を保持しており、もはやギャグに等しいツンデレ妹キャラ霞空も今年で一番笑える駄忠犬妹っぷりを披露してくれるだろうが、それを逆説的に言えば、妹スマイルが義妹的テーマを用いた作品であり、妹スタイルが実妹的テーマを用いた作品であるとするならば、この妹スパイラルはエロゲならではの「可能世界妹」に照準を合わせている。複数の個別シナリオの別世界を無理矢理ひとつの世界に次元融合させ、その別世界での記憶や能力を持たない兄とそれらを持つ妹との恋愛物語から、いろんな夢を見続けるようにして、兄妹関係の新たなイチャラブ可能性を描く異次元規模の傑作なのだっ! → 長文感想(31866)(ネタバレ注意)(3)
最新レスなんと、毎月の月間マルセルを楽しみにしつつ、明らかに事物に対する好みが共振(共感のレベルじゃない)する方に、
このように暖かいレスを頂けるなど……レビュアーやっててよかったです。
そしてここに登録してよかったです。ひろいん氏の方向に海軍式敬礼をしましょう。ちなみに艦これはやってません。


改めまして残響です。
現在、twitterでアマチュア的に音楽批評なんぞを行っておりますが、もともとは漫画読み&B級エロゲマです。
なんだかんだでエロゲェに手を出して10年になりますが、ブランクもありますので、まだまだ初心者です。
そんななか、あまりにも波長の合うメーカー……しとろんとSMEEを御紹介いただいたこと、心より感謝しております。

興味深いレスをありがとうございます。マルセルさんがこれくらい語っていただけたので、わたしも結構語ってだいじょぶですよね? 冒険デショデショ?


>らぶでれは危なげ

でしたね。あれは危なげでしたね。
一応エロスケに登録した以上、多少はれびうをあげないとなー、と思いまして、
サクッとイチャラブ系のを書いたのがこちらになりますが、
http://erogamescape.ddo.jp/~ap2/ero/toukei_kaiseki/user_userreview_log.php?user=%E6%AE%8B%E9%9F%BF#userreview_log

確かに今でこそ、界隈ではらぶでれが良いよ! の機運はありますが、
しかし初心者を導くとすると、どう考えてもラブラブルであり、フレラバであります。

荒削りすぎなんですよ。
もちろん、修羅の道たるエロゲ道に足を踏み入れたからには、こういった荒削りな作品をガンガンやっていただいて、
存分にオタとしての屈託と、真の意味の「俺の嫁」を得てほしいものです。若い世代には。

>しとろん=バカ抜きゲー

結局このメーカーで一番言われるのが雷ですからねぇ……しかもあれ、イチャラブ的視点でも、バカ的視点でも、
あんまり筋がよいものでないんですよね。
むしろマルセルさんがレビューで仰ってるように、日常シーンにおける「ジジィ!」「ババア!」「好きじゃ好きじゃたけるどのぉ~」の方が、面白いというものです。

……そう、そこまでに至る、「何か」が必要。
しとろんの本質は地味な面白さであるがゆえに(ネタはキレキレなんですが)、
結局は三作も妹ものを作ったのかなぁ……と。
今まで「なぜそこまで妹にこだわる?」と思っていて、そりゃかたっぽでは「まあ海原かMOKA氏が好きなんだろう」
くらいには思っていて、
かつ、「Cドラのパクリッシュ体質だし」というのもありますが、それにしたってなぁ……と。

あれはあれで、渾身の努力だったのかもしれません。
……結局、海原がプロット書くと、玄人は唸るシナリオになりますが、キャッチー(派手はでしさ)は欠けますし。
じゃあネット展開? しかしまかろんラジオのあの調子はなんだったのでしょう……。
そのあたりもあり、発売されんのかコレ的に心配したんですよ。
発表される雛祭氏の絵、線の処理と塗りの光沢感の傾向と、あと目のキラキラ性の薄めが、
勝手な推測ですが、ゆず、サガプラあたりを参考にはしたんだろうなぁ、とは思いつつ、
でも前二者のレベルには至っていなく。
B級補正をかけてもなぁ……雛祭氏の画集買っちゃった身としても(例によって、あたり外れが異常な画集でした。ミヤス氏の画集のほうがまだまとまっていた、という)



>わたしの論考、マルセルさんレビュー引用

まずは謝らせてください。
大切な語句を間違えるという、批評の最低限のモラルに反することをしとった、ということ……
はい、「遡行性モデル」です。自分がいうた「可塑性」も、意味は全く同じです。
申し訳ありませんでした!!

しかし、そのうえで、わたしの愚文をお読みいただき、幸甚の極みです。
いつかお互いの文章でもって語り合えたら最高だよな……という、レビュアーとしての夢が、叶ってしまいました。
あとすることといったら、クロスクオリアセットが今年中に出なかったらオレが降りこんだ6000円はどうなるのだ、
という懸念を飼いならすことく……ら……い……
……そうさ、カタハネファンは苦難に慣れてるんだから……慣れてるんだからっ!慣れてるんだからっ!


もともと自分は小説を書いていた人間で、
そのような人間が、こういうヒロイン紹介で「可愛さを描けない」ちうのは、明らかに問題だろう、という話でした。
今でこそ、模型や楽器演奏のように、「趣味」としつつある小説実作ですが(そのかわりレビューを本腰入れようという)、
当時は「自分、レビュアーでいいのだろうか……」みたいな屈託があったんです。

どこかで「属性」については書いてみたく、やはりそれはどこかの長文レビューになるのでしょうが、
「これこれな属性があるから、それゆえに素晴らしい」という要素主義の論説はわたしが大嫌いなとこでして。

……でも、基本的に、わたし、解析のひとなので、気を抜くと、ついついその路線の論をしてしまうのですよねw


>しとろん・SMEE比較論

うーーーーーむ、と唸りました。この比較論。
自分も考えていたことではありましたが、ここまで明文化されたものを見るのははじめてでして
(というか、イチャラブ界隈において、あまりにsmee(か、保住)ばかり語られて、それ以外のメーカ/ライターとの比較論、というのが、未だに行われていないのが、なんだかんだでこの界隈の未だの貧しさでしょうか)

一連のマルセルさんの解釈・論考をお読みして、真っ先に連想したのが、マーラーの音楽です。
正確に言えば、マーラーのカオス性を論じた小澤征爾と村上春樹の対談ですが。
その内容と海原=しとろん、のブチ込み系カオス性とかが、なんか連想されて。

『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
という本です。

恐らくは、マルセルさんももうお読みになられたかもしれませんが、
(中学生の時点で吉田秀和お読みになられているくらいですからね。

あ、これ余談ですが、吉田氏の冥福を祈る人間のひとりです、わたしも。
「名曲のたのしみ」シベリウス回の「残り」を、他のひとの声で(信頼できるひとですが)
「名曲のたのしみ。吉田秀和」「それじゃまた。さよなら」
を聞くことになろうとは……。

吉田秀和、という人間の業績……というか、マルセルさんも訃報のときにコメントされましたが、
覚悟、の問題ですよね。
それを考えるたびに、今、似非アマレビュアーやってるわたしは、いったい「何」が出来るのだろう……
いやいや、精進するほかないのだ、と襟を正すほかありません。
だったら最近出てる一冊3900円(だった「かしら」)の名曲のたのしみの書籍版買えよの話ですが)
【余談終了】

【小澤村上本の話に戻ります】
中盤あたりでとにかくマーラーの「おかしさ(ストレンジネス、トリッキーさ、マッドネス)」について語り倒していて、
それの内容が、異様に今回のレスに共振していました。

いくつか引用してみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

村上「調性を排除はしないけれど、内部から確実に撹乱させている。揺さぶりをかけている。それが結果的にマーラーが無調に向かっていたということなんだ。でも彼が行こうとしていたところはおそらく、いわゆる十二音音楽の無調性とは、違った地点なのでしょうね?」
小澤「違うと思うね。というか、マーラーの場合は無調性というよりはむしろ多調性といった方が近いかもしれない。無調性に行く手前にあるのが多調性ですね。同時にいろんな調を入れる。あるいは流れの中でどんどん調を変えていく(略)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

村上「マーラー自身には、自分が何か前衛的なことをやっているという意識はあったんでしょうか?」
小澤「いや、なかったと思うな、僕は」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

村上「思うんですが、この一番シンフォニーの三楽章を聞いてもよくわかるように、マーラーの音楽には実にいろんな要素が、ほとんど等価に、時には脈絡なく、ときには対抗的に詰め込まれていますよね。ドイツの伝統的な音楽から、ユダヤの音楽から、世紀末の爛熟性から、ボヘミアの民謡から、戯画的なものから、滑稽なサブカルチャーから、シリアスな哲学的命題から、キリスト教のドグマから、東洋の世界観まで、とにかく雑多にすし詰めにされている。どれかひとつだけを抜き出して中心に据えて、ということが出来ませんよね(略)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マーラーの特性……これらの……いわば「非ベートーヴェン的」……あるいは「非西欧的(というか、弁証法的統合のぶん投げ)」
あるいは、「正しいライターの在るべき姿」とは、彼らは違う。

早瀬氏も海原(呼び捨てですが、それだけこのライターを愛していると捉えてください)も、
マルセルさんのモデルを思って、連想したのは、物語作家として異端、だということです。
その異端さはレスでマルセルさんが語っていただいたので、屋上屋を重ねるのはやめますが。

じゃ、この二人、どう違うのか?
自分も、まだそこは論じ切れていないのですが、
音楽に例えれば、極端な例え方ですが、
早瀬氏の場合、クラシックで僕なりに無理に例えるよりは、ジャズで捉えた方がまだ自分としては論じることが出来ます。
一般的に、早瀬氏は「楽しいライター」として捉えられてるように思えます。裏を返せば、イージーなライターだと。
しかし、あのテンションは、体力がいります。実際、SMEEのゲームって、疲れるんですよいい意味でw

で、ジャズでも、スウィング系……いわゆる娯楽系のジャズ。「ジャッジャッジャーン!」と鳴ってるようなアレです。
あのイメージが、おそらくずっと早瀬氏にはついてまわるのでしょうが、自分は、早瀬氏の「速度」「伸縮性」「なんだかんだでいい話」を総合的にまとめたら、
もっと時代が新しいモダン・ジャズ……チャーリー・パーカーのようなガイキチとまではいかなくとも、
もうちょい時代を下にいって、リー・モーガン……村上春樹曰く「永遠のボーイ・ワンダー」「誰も彼より速く撃つことはできなかった」のほうかなぁ、と。
しかし、彼が真にジャイアントとなるには……マイルズ・デイヴィスのような、クリフォード・ブラウンのような、
「恐るべき」ライターになるには、まだ時間が……というのも、事実です。
もちろん期待してるからこそこう書くんですけどね。


で、海原。
早瀬氏で語りすぎてしまったので、ひとつのネタだけ投下しますが、
早瀬/海原の違いって、ネタのどうしようもなさを担保する、テキストから感じられる「痙攣的センス」じゃないでしょうか。
ある意味海原って、シュトックハウゼンのピアノ曲のようなどうしようもなさと破綻さをはらみつつも、基本「自分は痙攣でいいのだ」と思っている節があるのですが……
早瀬氏は、痙攣するには、まだ若いというか、そもそもそっちの「陰性」の方面じゃないよなぁ……と。
エロと絡めればより分かるのですが。早瀬氏のエロって、シチュがどこかリア充っぽい。


>アーノンクール

以上の文章でお分かりになられたと思いますが、自分も比較が好きで、で、音楽に対して屈託を持っています。
で、自分がこのとき考えていた演奏は、バッハの古楽器ヴァイオリン協奏曲あたりなんですが、
「レガートとスタッカート同時」というのは


「それだぁああぁあああぁああぁああぁあ!」

と、めっちゃテンションあがりました。シュトックハウゼンとかいってんじゃねえオレ!
その後の論考は全部同意です。マルセルさんもう書きましょう!すきして……じゃなかった、してして(ややこしいわこの略称!)の某ルート!海原の最高傑作!


>指揮者ネタ

ずーっと前から自分、カラヤンに関してですが、「いい演奏」と「こりゃアカンわ」な演奏のブレが激しすぎる、と感じてるんですよ。
でも、一般的には、カラヤンって、安定の代名詞になってますし……

で、吉田氏が褒めてた、モツのディヴェルティメントをカラヤンが振ったやつ聞いて、なんか結論でました。
「この人の楽曲に対するアプローチと、楽曲に対する思い入れと、カラヤン自身のナルシシズム、そして自分の当該曲に対する考え方・感じ方」
が、ピタッと一致しないと、わりにこのひとの場合、うざったくなる……逆言えば、ハマった場合、「美しい!」になるんです。わたし。

どの指揮者でもそうだろが、と言われればそうですが、カラヤンとわたしの場合、この「お互いのナルシシズムの共振」がキーでした。

思えば、どんなに優れたライターでも、ナルシシズム……文芸的に言えば「屈託」「クセ」ですか
それが合わないと、畢竟無理です。

早瀬、海原が合うのも、そこなのかなぁ……と。
そしてトノが合うのも、そこなのかなぁ……と。

だから、合うからこそ、そのナルシシズムに対するアンチがあったとしても、わたしは「そうだよねぇ……」って思ってしまうのです。
ときに、チェリタイプというのは至極納得なのですが、トノの場合、グールドの芸術性だけでなく、人格までも継承しているように思えるのはわたしだけではないはずと思うのですがいかがでしょう?



……ぬおー……めっちゃ長くなってしまいました……
何かマルセルさんにとって、お暇潰しにでもなるものがあったとしたら、幸いです。
マルセルさんもお体にはお気をつけください。
受容体の不備は、芸術の鑑賞を曇らせるがゆえに、てめーちっとは運動せいや、みたいなものをどっかで読んだのですが、アレほんと誰だったのかしら……当時は腹立ってましたが、今ではすげー納得してますし……
残響2013年10月17日

87妹スパイラル (まかろんソフト)
「シナリオはイマイチだけど妹属性が好きな人にはお奨めの作品」であるが然しこの作品のシナリオはサイコーである。まずそれを順接的に言えば、傑作ロリシナリオが犇めく今年においても凜火のロリ妹っぷりは、お兄ちゃんに無自覚におしっこしーしーさせてぇと誘惑してくるほどの破壊力を保持しており、もはやギャグに等しいツンデレ妹キャラ霞空も今年で一番笑える駄忠犬妹っぷりを披露してくれるだろうが、それを逆説的に言えば、妹スマイルが義妹的テーマを用いた作品であり、妹スタイルが実妹的テーマを用いた作品であるとするならば、この妹スパイラルはエロゲならではの「可能世界妹」に照準を合わせている。複数の個別シナリオの別世界を無理矢理ひとつの世界に次元融合させ、その別世界での記憶や能力を持たない兄とそれらを持つ妹との恋愛物語から、いろんな夢を見続けるようにして、兄妹関係の新たなイチャラブ可能性を描く異次元規模の傑作なのだっ! → 長文感想(31866)(ネタバレ注意)(3)
最新レスはじめまして。つい昨日、このエロスケに登録したエロゲーマーです。
この妹スパイラルのレビューがあまりに素晴らしくて、筆をとりました。

もともとマルセルさんのレビューは、毎月の「月刊マルセル」とともに楽しく読ませていただいていて、
かつ、らぶでれやみここを買って、非常にハマったのも、マルセルさんのおかげなのです。
お礼を言わせてください。ありがとうございます。

そんなわけで、旧しとろん系列の新作、さてどうくるか……というかこの作品、それまでのアナウンスがグダグダで、ちゃんと出るのかいな、またお家騒動かいな、と心配していたのですが、まったくの杞憂だったようでなによりです。

本日、自分もレビューをあげたのですが、やっぱりまっさきに書いたのは、smeeとしとろんの作品でした。B級好きなんです。

そして、そのB級タッチが、海原氏から失われていなくて、本当に安心しました。
アーノンクールのバッハ演奏、というのは「ふふふふふ……」とニヤケました。
ふと自分なりに連想したのですが、アーノンクールの古楽器演奏で、「志はわかるけど、己のスタイルと「やり口」に固執しすぎじゃなかろか?」みたいに僕は思うのですが、
それは海原氏のある種の過剰性に似てはいないかと。世界観全然違いますが。
(もっとも、「それ以外できない」という面もありますが)

あと、いつか申し上げようとしていて、先延ばしになっていたのですが、
自分のラブラブルの論考で、マルセルさんの論考をたびたび引用させていただきました
http://www.geocities.jp/modernclothes24/erg
とくに早瀬氏の「可塑性」は、まったくその通りで…というかフレラバでもそれはそのまんまで……。

本当はもっともっと書きたいことがあるのですが、長文になってしまったので、ここで。
もしよろしかったら、お相手いただければ幸いです。
これからも、面白くも考察力甚だしいレビューを、楽しみにしています……とくに「どこでもすきして いつでもすきして」「魔法少女の大切なこと」をいつかいつか、みたいな感じでw
残響2013年10月11日