Sek8483さんの長文コメントへレスがついたもの

Sek8483

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77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レス どうも、すっかりお久しぶりでした。音楽感想を細々とでも書いていると、文字にしたい欲がだいぶ発散されてしまい、エロゲ本編の感想が手につかなくて悩ましいです。Sekです。日頃からツイとかやってる方々は、感想を書きあげるモチベーションがよく維持できるものだと感心します。ましてエロゲライターの人とかはすごいお仕事だと思います。なにを食べたらあんな延々とイチャラブテキストを書けるようになるのでしょうか。

(以下、『きみはね』の話はまったくしておりません。大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。)

 前回の話のつづきからいくと、時雨本隊の「#5」にはちょっとニヤリとしちゃいますよね。このバンドも、そうしたナンバリングを再び進めはじめるほどまでに年輪を重ねたわけで、なんだか感慨深いような。
 アニメ界隈での時雨/TKは「腹から声出せ」とか親しまれつつ話題になってましたけど、あの時期にはpeople in the boxやamazarashiといった辺りのバンドが、立て続けにアニメタイアップを組まれていました。最近のアニメとかは全然わかってないのですけど、どれくらい定着したのかな、邦ロック方面にはファンを引き込めたのかな、とちょっと気になります。
 エロゲもポップミュージックも、コンテンツ商売として、似たような時期に似たような斜陽のおもむきを醸してきた印象もございます (少なくともパッケージ販売においては)。もちろん、いっしょくたにそれらの商売を語ってしまうのは間違いですけど、わたしにとってはどちらも単なる趣味だから、となり合わせに捉えてしまうこともあって。たとえばART-SCHOOL「LOST IN THE AIR」なんて聴いていると、唐突に果てるようなブレイクやらリズム感、へたれたボーカルなどに、すっかり錆びついたわたしのエロゲーマー魂がいまだ共鳴してはサビ鳴りしてしまったりする。エロゲと音楽は、そのいずれもがなよなよしくてエモい趣味ではあるわけで、やっぱり普通に相性がよいのかなぁとか思います。なので、その中間地点にあるエロゲソングに向けても、ポップさがどうのと口幅ったく言ってしまったりするのですね。

 かねてから残響さんと音楽性の違い()を感じるところはあり、アニソン/メジャーJPopなどへの親しみかたについては、出発点がまるで違うみたいですよね。わたしの場合、クラスのみんなと話題をそろえるためのMステとかもきちんと観れていたクチでして。ポップミュージックのする音づくりへの抵抗感があったとしても、それはむしろ実家めいた煩わしさだったりします。
 たとえば中学生の頃だったか、はじめて自分で買ったCDとかを考えてみても、たしかGARNET CROW『first kaleidscope』でして、後にはアニメ『名探偵コナン』の主題歌とかも担当しているビーイング系列のアーティストです。「君の家に着くまでずっと走ってゆく」とか今でもなお好きですし、(関西出身でもない) わたしが「拾う」と書くときに「ひらう」と好んで字を開くことがあるのは、「Holding you, and swinging」という曲に書いてあった「やけに今 躰が音をひらうよ」といった歌詞の影響をもろに受けていたりします。
 音楽全般にしても、エロゲソングにかぎっても、ほぼほぼメジャーな上辺のところしか知らないわけでして。偉そうな口ぶりをまじえつつエロゲソング感想を書いているから誤解をさそっている気もしますが、たいそうな知識とかはありません。残響さんのいうギター機材用語とかも、実のところチンプンカンプンなのですよ (これがバレてしまうとハッタリ効かなくなって困るのですけどww)。
 楽器にさわる機会があったのは、幼稚園から小学生までくらいの期間で、ヴァイオリンを習ってました。練習とかいろいろ辛くなって逃げちゃったのですけど、いま思い返せば贅沢をさせてもらっていましたね。こうしていい歳になってエロゲソングへ感想を書いてみると、ヴァイオリンを嫌悪したり敬慕したりの記述が自然と出てきまして、なんだかんだ言いつつ自分にとっていちばん愛着あるのが、この音なのかなと思っております。こちらについてもベタな曲が好きでして、パールマンの弾いたパガニーニの「24のカプリーズ」に感動しては、いまだ聴くたびこらえきれず爆笑していたりします。

 そんなふうにヴァイオリンへのこだわりが出た感想のひとつが「Yes,You can make it!」へのそれだったのですけど、お察しのとおりで、残響さんの感想をきっかけにして書いています。新堂真弓の癖のある「Yes !」が耳にひっかかって記憶に残っていたわけですけど、わりとマイナー曲のたぐいなのではと思います。それが残響さんの口からいきなり出てきたものだから妙に嬉しくなり、寄せて書いたわけでして。「細井聡司その人です。」といかにも知ったふうに仕上げてはいますが、「たぶんぜったいこのコンポーザー聴いたことあるんだけどなー」と曖昧な手ごたえから調べつつ書いていったのが内情でして、わたしの知識の手持ち分などそんなものなのです。グーグル先生ばんざいです。
 そもそも、わたしが口切りとした「0の軌跡」感想にしても、残響さんがCrimdollのKANATAさん (次のM3でもご一緒みたいですね) と駄弁っていたラジオ (なんか妹さんが出ていらした回) をたまたま聴き、そこで話題に上がっていたこの曲をひっぱりだして聴き直したのがきっかけでした。観月あんみボーカルは「Memories are here」での言い回しがどうにも堅いニュアンスに感じてしまい、ちょっと苦手意識が先行してたのですけども。何年かたってみれば自分の聴き方もだいぶ変わっているもので、あらためて「0の軌跡」を聴いてみると綺麗に軸の通った声がすっと入ってきました。彼女の歌は、またいつか聴ける機会があれば嬉しいのですけども。

 残響さんの「空気力学少女と少年の詩」感想は、掛け値なしに素晴らしかったです。わたしにとっては、残響さんが書かれたものの中でもいちばんすんなり入ってきましたし、「音の壁」のお話など基礎的なところもふくめて教わりました。ライターさんがピクシーズからよく引用するということも、「Alec Eiffel」なる楽曲すらも知らなかったので、自身の感想でエッフェルについて触れたときから残ったままだった違和感がようやくあそこで解消されたわけで。ありがとうございます。はたしてイクテュスのくだりは、vostokさんのところで話していたのを拾っていただいたのでしょうか。最後のほうまで来てもなお「だからもっと深く読まなきゃならない、ここまで文を重ねたからには。」とか拘りつづけるのは卓司みたいで、自然とあのお話に重なっていくようなところも好きです。
 そしてあの感想を読んでみたところから、及ばずながらと「恋をしようよ Let it snow」のことを書きはじめたのですけれども。松本文紀の楽曲というのは、どうにも矛盾めいていてよくわからなくて、なかなか次の感想文には取りかかれる気がしません。
 ところで『すば日々』の楽曲については、本編はもちろんのこと、例のトリビュートアルバム『07-20-2012-1999』に愛着があったりします。X2N_「Smile of the End」とか、viewtorino「終わりの七月」とか好きなのですけど、アルバム全体にわたりローファイにねじれて鋭い音が徹底されており素敵です。ギターがはっちゃけ過ぎな曲も多めになっており、松本文紀を聴いてたと思ったらナンバガ聴いてたぜ、俺にも何が起こったか……というたぐいの人にも楽しみどころが多いような気がします。松本文紀の楽曲はこんなふうにも愛されてるものだから、感想書こうにも及び腰となってしまって。それだけに、残響さんが書き上げたものにはいっそう感服しています。
 (為念です。)
 http://jabberwocksounds.tumblr.com/post/27559140714/07-20-2012-1999

 さてさて、岸田教団についてはお察しのとおり…じゃございません。わたしの場合、誰かのファンとして逐一に追いかけることをあまりやらないタチでして、岸田教団のアルバムとかもかなり歯抜けのままになっています。かつて「ただ凛として」とかの頃にはわりと聴いておりましたが、そこからはだいぶブランクが空きまして。つい先頃になって、merunoniaさんが「Alchemy」や「ケモノノダンス」を楽しそうに聴いてらしたのを見かけたのを機に、またいくらか聴くようになった次第なのです。とりわけ「Alchemy」のギターとかはもう最高にアホでして、最近知ったなかでも指折りに爆笑していました。あれほんと好きです。
 余談だけど、以前にここエロスケで、merunoniaさんへレスしたことがあったのですけど、彼の『BackStage』感想を読んでいて、どんな人なのかとツイを見に行ったら「ばっらぁぃくっ ふぇぇぇぇぇぇぇぇいだうぇい!!」。ちょうど当時デモムービーが公開された「Tomorrow Never Comes」を熱唱していらしゃって、え、やだ、この人わたしと同じことしてる……と親近感をおぼえたからだったりします (ひょっとしたらこれは記憶の捏造で、そんな恥ずかしい人間はわたしのみだったかもしれず、その場合は大変申し訳ございません)。

 とまぁ、いろんな方の聴いているものを横目でひらいながら場当たりに書いているわけです。日曜になって陽が落ちてから、とりあえず書いて投げておかねばー、とか言いつつやっております。ただでさえ周回遅れで好きなものの感想だけ書いてるのに、理屈をこねるうちに当該曲からも離れてしまい、別の楽曲のこととかまるで関係がない話へと逸れたままになったりする、あまり行儀がよくないエロゲソング感想です。レスもつかないことだし、読んでる人も少ないだろうからと放言しているきらいがあるので、そこはもうちょっと戒めねばとか思いはじめてます。
 あるいは、入力してる評点がわりと厳しくなっちゃっているのも、ちょっと気にしております。たかが点数の話ではあるのですが、気にする方は気にするものでしょうし。ただ、どうにもエロスケの仕様に則って使うのにも気が引けていまして。たとえば、「櫻ノ詩」がデータ数225でもって99.4というスコアを表示してるのを見たりすると複雑な気持ちになります。すごくいい曲だから評価されるのは喜ばしいのですが、なにもこうやって善意のシステムでもって "この音楽はいいよね" と保証されなくとも、賛否両論の末にでも "この音楽はいいよね" と言われるべき曲だったろうにとぽいずん。


 さて。
 毒をお漏らしかけたので、さりげなく話をあさっての方向へ変えとこうと思います。
>>
ソシャゲを開始されたとのことでしたが、「あいりすミスティリア」だったのですか。楽しまれておられるようで何よりです。腹パンとか焼きそばパンとか、サディスティックなSekさんやで……。
<<
クルちゃんは、焼きそばパンをねじ込まれても「あれ、いま私ってオイシイ?」とか思っちゃう癒し系アイドルだから大丈夫です。たぶん。

 ちなみに、あの感想文では最初タイトルを明記していなかったのですが、秋口からはじめたソシャゲというのは『ぼくらの放課後戦争!』のことでした。ペンギンかわいいよペンギン。どうかいつまでもそこに居て、わたしがクリックするたびに秋刀魚とか栗ごはんとか松茸を、たーんとお食べなさい。きたる冬に向け、おなかにしあわせな油断肉を育てていくのですペンギン。そして体重計にのって、陸上部所属の妹さんとの基礎代謝の差に戦慄するのですペンギン。といったことを昨秋あたりはやっておりました。かわいいよペンギンかわいい (※幼馴染ヒロイン・相川小春のこと)。
 残響さんに全然わからない話ですみません。
 『あいミス』も『ぼく戦』もなのですけど、「素材は最高だったのに…」という怨嗟の声がそこかしこから湧き上がり、ひと昔前の萌えゲーをほうふつとさせる状況となってました。なんやかんやとあって現在、『あいミス』は休業に入ってしまうし、『ぼく戦』においては「運営チーム変更記念ガチャ」とかいう恐ろしい字面をしたシロモノが絶賛実施中でございまして。ソシャゲ事情とかにまったく疎いわたしなどは、え、やだそれまでも記念しちゃうの? ソシャゲまじ怖いってなっております。

 (エロゲーマーとしてはもうシーラカンスの干物みたいなプレイ近況のわたしですけど) エロゲーマー的な感覚からいえば、『あいミス』の主人公の間合いの取り方とかは独特で面白かったです。没入型か観測型か、一人称なのか三人称かみたいな話として、主人公の造形とかゲームでの選択肢の入れ方が、主人公の視点をプレイヤーの視点まで引き上げてしまうように調整されてまして。ヒロイン同士のキャッキャウフフを眺めていく方向に特化されていて、主人公の存在をゲーム内世界からディスプレイの前にまでキックしておくようデザインされてました。AUGUSTさんなりの、パッケージエロゲとはまた違った回答であるのかなとも思います。

 これからエロゲメーカーやそこで活躍していたクリエーターさんと、ソシャゲの関わりがどうなっていくのかというあたりには、他人事ではいれないので興味あったのですけれど。不憫萌えとかをするわたしとしては、むしろ、『天穹ノ彼方の錬星郷 (ソラカナ)』というソシャゲの背景設定なんておもしろかったです。女の子たちの人間エッセンスをごりごり削りながら防衛戦争に向かわせるという (『結城友奈は勇者である』とかと同じたぐいの) ヒロインたちの純粋さや使命感とかが愉悦な世界観でございまして。より強いレベルに育てるにつれ人格が崩れて、普通の可愛さがこぼれ落ちていってしまう女の子グラに、妙にきゅんきゅんさせられました。
 ただ、それとともに『ソラカナ』にはいまひとつ欲求が満たされない感じもありまして。せっかく共時性をもつソシャゲなのだからシステム的にも不可逆的な寿命を組み込んでしまって、古きPS時代の名作『俺の屍を越えてゆけ』のようにしてキャラクターに愛着をつけておいたらば、よりエグいものが仕上がるのにとか思ったり。ソシャゲというのは、わたしなどには馴染み深かった "資産 (宝物)としてのゲーム" から "フィービジネスとしてのゲーム" へと変わっていたみたいでして。時間経過とともにインフレが起こると、ゲーム内の手もと資産は目減りしていくのですけれど、ならばいっそ、そこに上手く適合するヒロインの儚い愛らしさを見せてもらえたらば、また感動が掘り起こされるのやもとか思います。
 そしてこのあたりがちょうど、現行のパッケージで完結したエロゲにおいて、ヒロインがずっとずっと静的に性的に可愛いところとは、衝突をまぬがれなさそうで、どうなっていくのかなぁと興味しんしんでございます (野次馬根性)。


 そんなこんなで、ほぼほぼ狭義のエロゲーマーでなくなっている近況なのですが、エロゲソング感想はしばらくこうして細々と書いていくつもりなので読んでいただければ幸いです。残響さんの音楽感想や、創作活動にも期待しておりますので、何卒。
 ではでは。
Sek84832018年02月12日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レス こんにちわ。前回このきみはね感想のところで長文レスしてから、1年と2ヶ月経って、ゲェーッそがいに時間がめがっさ経ってるのかっ!と愕然とします。ご無沙汰しております。お元気でしょうか。
 ときに、Sekさんの新作感想文章は、主にサマリー欄の「新着コメント」欄と、えろすけトップページの「音楽感想」のところを定期的に見てチェックしているのです。で、今回の主な話題はその「音楽感想」なのですが。後で思いっきりこのえろすけのシステム面については言及しますが、予め咆哮しますと、「なぜ音楽感想に、コメント機能がないのですかッッッ!」

 ソシャゲを開始されたとのことでしたが、「あいりすミスティリア」だったのですか。楽しまれておられるようで何よりです。腹パンとか焼きそばパンとか、サディスティックなSekさんやで……。

 サディスティックといえば凜として時雨なのですが(エロゲーマーの大勢には伝わらない話題展開)、前回のレスではご丁寧にありがとうございました。非常に参考になりました。
 前回の「TKの詩人性」のところで、書き忘れたのが楽曲「like there is tomorrow」だったりして。この曲こそSekさんの感性にビリビリくるのではなかろうか、このエモーションと喪失と新たなる芽吹きの感覚こそ、と。失礼しました。思いっきり忘れていたのです、ベストトラックなのに!
 さて、そろそろ時雨本隊新作の「#5」の発売ですが、「still~」以前のSekさんには、このタイトルナンバリングからしてちょっと胸じゃわめかせるものと推察しますが、いかがでしょうか。リードトラックが「chocolate passion」とかいうエロゲめいたタイトルですが(酷い)いかがでしょう。

 シューゲイザーのこともですが、「夏ゲーの蝉時雨のサウンドスケープ」と聞いて、非常に納得しました。包み込まれる時雨(いや前述のTK345ピエールなバンド的意味じゃなくて、大和言葉そのものの意味で)的感覚、ザァァアアアァ、っていう。
 Sekさんの「音と世界観と感情」への偏愛を感じとったような気がした、といいますか。そしてようやくここで本題になるのですが、

●Sekさんのエロゲ音楽感想

 いや、非常に活発に、ご健筆なさっておりますね。エロゲ作品本隊よりも、音楽の方が、去年一年、Sekさんはバリバリ書きまくっておられました。
 それに対して、いつコメントしようか、とウズウズしていたのですが。ということで、ここでまとめてコメントさせてください。
 しかし、先にも述べましたが、「どうしてえろすけ音楽感想には、コメ機能がないのですかッッッ!」という次第です。よりにもよって、OP/EDのソングがない「きみはね」の感想で、OP/ED曲談義を持ち込もう、ってハラはいかがしたものかザンキョさん、と自分でも思います。すみません。ただ、現状そういうシステムなもので、ここ以外に上手く話を展開させられる場所がないので……ご容赦ください。

 Sekさんの音楽感想を、いつも楽しみに読んでいます。なんという音楽への造詣か、と恐れおののきながら。
 浅薄僭越ながら自分も、多少は「楽曲の分解的読み込み」には自信があったクチではありました。楽曲を楽器編成とか機材とか、コードとかに分解して読み込む、という。
 しかしSekさんはそれを当たり前のようにこなしてらっしゃって、しかも歌詞や、とくに歌手の特性と有機的に絡め、「曲のエロゲ的popさ」「主題歌としてのpopさ」に目を通してらっしゃる。あくまで軸足を「エロゲ主題歌」というところに置いて。

 もともと、残響はエロゲ主題歌……アニソンというものが、苦手な人間でした。正直、同人音楽にハマるようになって、それが溶解したようなもので。
 なんでかなーと思うのですが、まあ単純に「アニソン/エロゲソングらしさ」というのが「なんかなぁ」とチューリングテストをしていたのでしょう。コンプかけまくったvoとか、歌詞のpop定型性とか。「それの微細な変化をこそ味わうのだよ!」というエロゲソング嗜み道からしたら、自分のはそもそも「お門違い」ってやつです。正直、自分にとっては、エロゲソング、アニソンのメロディラインと歌唱を聴けるようになる、っていうのは、デスヴォイスを聞けるようになるのと同じくらい難易度が高かった。
 Sekさんはそのあたりで、齟齬みたいなものは覚えなかったのでしょうか。ちょっと気になるところです。
 本題からズレていってますね。
 さて、Sekさんの各楽曲解説、レビューを逐一全部コメントしたいところですが、それをガチでやってしまっては、このコメント20000字コースになってしまうので、とくにコメしたいところだけを端的にいきたいと思います。失礼します。

>Yes,You can make it!

この楽曲がポン、と出されて、「あっ、ひょっとして自分の音楽感想をお読み頂いたのかな?」とうぬぼれています。どうだったのでしょうか? それくらいタイミング的に合っていたもので。

あまり、音楽感想をエロゲ感想と同じくらいの文量・文章構造形式でやるひとって、えろすけでも居ませんよね。それこそSekさんくらいです。この量は。それも、これだけ継続して量を書かれるのも。

自分がエロゲ音楽感想をちょっとこのエロスケでやりはじめたのは、Sekさんの影響が相当強いです。「これだけ本格的になすっている! ヤ・ラ・レ・ターッ!!」って具合で。
 自分はかつて、自分のブログ「残響の足りない部屋」で、音楽レビューめいたものをやっていて。だから音楽レビューって「古巣」なんですよね。懐かしさがある。
 そこから、今、自分自身で同人音楽を作曲して、毎年春・秋のM3で同人CDを発表するようになって……実際、現在、2018年春M3でアルバム発表すべく、制作中なんですが。
 まあ、平たくいえば「作る側」になっちまったから、「批評する側」になかなか、なりにくくなってしまったナーという気持ちがあって。気負う必要なんてまるでないわけなんですが、なんとなく。
 それでも、まだちょっと心の中に「音楽語りたいなぁ」って気持ちがあって。で、そんな中、Sekさんが本格的に音楽評論をしてらっしゃるもので、自分のなかで封じ込めてた熱が、ちょろっと漏れ出てしまったのですね。そんなわけで、「空気力学と少年少女の詩」とかをレビューしてみたりしたわけなんですが。 まだ6曲しかレビューできてないですが、ひょっとしたら、Sekさんには自分のこのえろすけでの音楽レビューが伝わっているのではないかなー? と勝手に想像していたりします。うぬぼれですね。まあ、そんな具合なんです。

 また本題からズレています。
 しかしこの曲(Yes,you~)、良い曲ですよね。「新堂真弓の歌唱の語尾」については見解を違えますが、ヴァイオリンとvoを「スピッカート(飛ばし弓)」と表現したのには目を剥きました。和風なバンドで、なんかvoを「声弦」と表現したのをどっかで見たような気がするのですが(もしかして椎名林檎=東京事変だったかなぁ)、そういう言葉遊びだけではない、声弦のコケティッシュさをSekさんは解析していらしてました。
 
 それにしても、Cドラ系列、現在追えていないのは、残響自分でも恥ずかしいところ。

>夏色ストレート

 岸田教団をここまでガチにSekさんが愛好して聞いてらっしゃったとは! びっくりしました。まず間違いなく、ほとんどのアルバムを所持していないとここまで書けません。自分が同じタチだからこそ、わかります。
 やっぱりはやぴ~恐竜ギターに言及しちゃいますよねw フライングVなどのギブソンギターにファズをかけてワウペダルを踏んで、ブルースの遺伝子を変態的に宇宙的に表現するという。その際にピグトロニクスのマザーシップなどのギターシンセといったド変態エフェクターを使っているのがまさに宇宙で、彼が最もリスペクトしてるのが、宇宙ブラックギターアフロことジミ・ヘンドリックスなのですから、さもありなん。
 ところで、ここでギター機材用語を遠慮無く解説なしで書いてますが、Sekさん、アナタ、楽器やバンドやっておられましたね? 以前「中高生がよくやりがちな、イコライザーをドンシャリにした~」ってのをサラっと書いてらっしゃいましたが、こういう記述っていうのは、確実に「経験者」でしかないですよ、バレてますよ!w
 なぁにが「残響さんには音楽には教えてもらうばかりで……」とかって仰っているのですか!(笑) だからもう何の遠慮もしませんよ!

 岸田のことに話を戻せば、いきなり超マニアックなこの曲発表当時の話をすれば、このゲームのOHPでディレクターが岸田教団のことを「いい意味で”異端”なバンド~」っていう風に表現をしていたのを今も覚えてるんですが、「何かもにょる書き方するナー」と当時から思っていました。ただ、Sekさんが仰る「やんちゃなコード、ストレートな歌唱、ふざけたギター」というのは、やっぱり「異端」なんだろな、と今になって思います。
 自分は以前、このバンドについて、「もっとインプロ部分をプログレった楽曲作ればいいのに。ジャムセッションみたいな。スリーコードパンクだけの枠じゃないだろう!」みたいに論じたことがあったのですが。しかし今になってみると、それもそれで「ないものねだり」に近いのかなぁ、と思ったり。少なくとも岸田総帥はこれだけの魅力あるメロ、歌詞で一つの強度高い楽曲を3分パンクの中に、強靱なリフワークでもって「作り上げる」ことが出来るのですから。

 重要なのは……あっいけない、ここで「ひとつでも……」と繋いで「GATE」を歌い出しそうになった!w ええと、重要なのは、曲の世界観と、岸田総帥言うとこの「哲学」なんですよね。OP論、主題歌論にもなってしまいますが、曲を聴いて何を想起出来るか。「ただ凜として」を聞いて黒い海を想起したり、っていう具合に。それをSekさんは「実例」でもって、最後のパラグラフで書いてらっしゃいますね。これなんですよ……。岸田を聞いて、脳内に意志ある情景を浮かべられる、っていうこと。
 
>apoptosis
>0の軌跡

マッツ/ラブジュ曲ということでここでまとめて。しかし、意外にもSekさんがレイルに及び腰であったと知りました。とはいうものの、この及び腰というのは、それだけレイル=希ちゃん的美学に、非常に近いところにSekさんがいらっしゃるだけに、その「相違点」に非常に違和感を覚えてらっしゃる、っていう風に見えます、勝手ながら(すいません)
 だから、レイル信者たるわたしが、これ以上Sekさんにレイルを「どうぞーっ!」って薦めることは出来ないなぁ、と。これだけ本質に近いところにいらっしゃる方に対して。
 「好きでなくちゃならない」っていうので、非常に微妙なところにSekさんは立ってらっしゃるのだと思います。これはねぇ……自分も、ジャズを真っ向からテーマにしたエロゲがあったら、非常にビビりますよ。単に角度の問題なだけなのかもしれません。自分の場合、もともと希ちゃん的バックグラウンドの文学とかは、大学でかなりやってり、個人でもやってたので、レイルのあのネタの嵐っていうのはたいていわかる。で、あとは「やるかやらないか」で、自分の場合、入射角がたまたま合っただけなんでしょう。というのも、「信天翁航海録」が自分のレイル処女を散らしたものなのですが、最初にあの屑、偉大なる屑こと「朔屋さん」から入ったもので、やっぱり屑人間に対する共鳴は世界を救うのですよ!(脳内に電波を検出しました)

 ああ、音楽の話をしていない。そうだ、前に希ちゃんに「信天翁」の音楽の参考元で、いわゆるゼロ年代後期にワールド音楽評論界隈で話題になった「バルカン・ビート」(東欧ブラス/弦な音楽。ファンファーレ・チォカーリアとか、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスとか)を参照した、と直にお聞きしたのですが、それをも飲み込み自分の楽曲に仕立て上げるマッツ/松本の音楽センスよ。
 そんな彼が、クラシックの素養を全開にするラブジュについては、Sekさんがいちばん最初に「0の軌跡」をしっかり論じられたところで、精緻に批評されています。この精緻さこそがラブジュであり、このドラマティックを計算して、表現しきる構築性がラブジュであります。そして、世界観と哲学。岸田と同じこと言ってますね自分。

 非常に綿密なスコアです。転調なんか。ここまで作り込まれた名曲を……あー、ぼるしちは……時間さえあれば!時間さえあればROCOCOは出来たねん!演出が! 演出にかける時間と予算だけの問題だったねん! 笛とJは才能ありまくりやねん!(これ以上の話は、クオリアのところでさせてください……)

>Hey Darling!

へいだーりん、きゃっちみー!(Kawaii!)
こういう可愛さはどんどん紹介してくださいSekさん。

>模型

さて、最後に模型の話なんですが。
まず、前回の最初で「フジミ飛龍!ええいお父上は……」って失礼な言葉を並べたのは、大変失礼しました。すいません。勢い余ってしまった。

 その後いかがでしょうか。Sekさんがモデルライフを楽しまれておられておいでなら、わたしとしては非常にうれしいのですが。そして、お父上のスケールモデルライフもいかがでしょうか。お二人それぞれに興味があります。

 自分は、フレームアームズ・ガールとかの「美少女プラモ」にハマってしまったり、模型展示会に出展側で参加したり、とぼちぼちやっております。

 Sekさんは「ヤスリで整形してると心が落ち着く」と仰ってくれましたが、ホント、これが模型の最大のたのしみなんだ、って今になっては思います。
 今まで自分にとっては、作り上げたモノこそが価値があって、制作過程というのは「過程、工程」であり、手段に過ぎなかったのです。そして、なんか、承認欲求とか考えてしまって、ね。

 でも、ヤスリをかけている、今まさに工作しているこのときの、心の静かな心地。これこそが、本当にたのしく、いろいろ学びや発見があって、心洗われる。
 趣味とはそういうものであって、エロゲもまたしかり。何か、ついつい余計なものを付け加えたりしてしまいがちな残響でありますが、本質は、見失わないようにしないと、と思います。Sekさんにそれを説教出来る立場になんて到底ないのですが。

 先日、自分のえろすけ近況報告欄にも書いたのですが、音楽感想で「芋虫」(「鬼作」ED)、体験版感想で、はちみつそふと「HarmonEy」のことを書きました。一歩一歩、心静かに、趣味を楽しんでいきたいと思います。創作もまたしかり。模型、工作も。

 何かを他人に伝えられる、とか、伝えよう!とかって思い込むこともまた傲慢なもので。自分はそこんところを、例えば百合において間違ってた部分もありました。ええ、そうです。自然に、自然に。


 というわけで、また長文になってしまいました(陳謝)。何かしら拾っていただければ幸いです。
残響2018年02月11日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レス
>フジミ飛龍!
 実のところ、わりと父の薦めにしたがったチョイスでありました。しかしわたしがいざ組みはじめてから「これ思ったより難しいねえ。いやこのシリーズいくつか買ってはいたけど、中身とかあまり満足に見てなかったから知らなかったよHAHAHA」ぬかしおったのが積むだけモデラーの彼です。積むだけエロゲーマーと化しているわたしと、習性が完全に一致してます。最悪です。
 いやまぁ、模型屋において「たもんまるのくうぼがいい」と言い張ったのはわたしなのですけどもww やや自分の手には余ったものの、それだけに手探りする余地もふんだんに楽しめたので結果オーライでございました。説明書を読んでもいまひとつわからない箇所にあたって、資料をひっくり返したりするときなど、まさに "モデル" と触れ合う感覚があったような。ある種のエロゲ感想をつくるときとも同じ脳みそがムキムキしていた気がします。


 さて本題なのですが、門外漢のわたしが百合の本質をこの上とやかく言ったところで、まぐれ当たりはもう見込めなさそうです。
 なので今回、百合へのいざないを受けて、あたまでっかちな初心者なりに感じとった事をしゃべらせてくださいませ。わたしは「カップリング」といった用語にこだわり過ぎて、百合を思考実験として見ていたきらいがあったかも、といった所感になります。

 まずもって、残響さんのレスを読んでいて、妙に納得してしまった箇所がありました。
>>
百合者は「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識を普通にしているのですが、非百合者からはそれは「?」であるようで。
<<
ああ、なるほ…ど? わたしが投コメに書いた「カップリングごと別の世界観をもつようなまなざしは……」うんぬんの違和感の源は、まさにコレかもしれません。たしかに、非百合者のわたしからすると「?」であります。混乱して脳みそが左右に割れちゃいそうです。
 もちろんキャラの同一性というのは、百合者だけの問題ではありません。エロゲの複数ルート制も似た問題をはらみますし、エロゲヒロインがアニメやソシャゲへと出稼ぎに行けば、そこではしきたりや法整備が異なるゆえ軋轢も起こり、彼女のアイデンティティが疑わしくなっちゃったりします。ただそれでも、これらについての主/副はわりあい判りやすく、ゆえに同一性もまとまりやすく思えます。
 これに対して、百合においては、同人の土壌で育ってきていたり、カップリング掛け算という形式ができあがっていたりと、「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識がとても説得力をもっていますね。「文×倫」と「倫×文」の場合でキャラが異なるというのは、(わたしには意味が飲み込みにくいものの) 話としては明瞭であります。
 しかしながら残響さんご自身も、スポンティニアスであるか否かという留保をつけているように、たやすく割り切れる話でもないのだろうとは想像します。あるいは、(百合疑獄の案件なのか腐海での話かで仔細は変わるのでしょうけど) メジャー/マイナー、カプ違いやリバ許容における悲劇というのは伝え聞くところです。残響さんも『きみはね』続編が「既存カプを食い散らかす」ことをいくぶん懸念されていたりと、そのあたりはナイーブな問題をはらむようでして。攻か受かのカップリングごと、キャラが (完全相互独立に) 異なっているというわけでもないようです。
 あるところではキャラの同一性をあっけらかんと手放しておきながら、別のところではキャラの同一性に執着しているようでして、わたしが頭をひねり考えてみるなら、ここには矛盾があるように見えます。

 されど、そういったところで嘘をつき、糊塗して、矛盾を許容してしまえるのこそ、物語のありがたいルーズさですよね。あるいはそうした論理のもつれには、しばしばジャンルのお約束がべっとりからみついており、自己矛盾とはわかっていても愛着を抱いてしまうような。文のもつ天使みたいな小悪魔さへとわたしが惹かれてしまうように、あるいは、わたしを含め多くのエロゲユーザーが "没入型" と "観測型" をあっけらかんと切り替えつつプレイしているよう思われるように、物語というものは、そのなかに多くの矛盾めいたものを飲み込んでくれます。
 ここにおいては「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識をごく自然に飲み込んでしまえる残響さんと、それに違和感をぬぐいきれないわたしがいました。その違いこそは、これまで百合からしたたる水をどれだけ飲んで育ってきたかの違いなのでしょうか。わたしからすれば矛盾してごちゃごちゃ入り組んでるよう考えてしまうところにも、残響さんはスポンティニアスな手先の感覚だけでさっと線をひける。なんら自覚もないまま「"これ" は良い百合だ」と口をついて出てくる。それこそきっと、百合者たる経験のなせるところなのでしょう。

 そして、その自然と湧き起こるような感覚・経験の差というのは、言葉の説明ではいかんとも埋めがたく、伝えがたいものですよね。
>>
百合とは思考実験なのではなくて、スポンティニアスな「萌えの現場」感覚あってのものだ、ということを重点的に言いたかったから、です。
<<
 このあたり省みると、わたしはちょっと勘違いというか、頭でっかちに考えすぎていたのかもしれません。肩に力のはいった初心者として、音に聞こえし「カップリング」掛け算なるものや、残響さんのステートメントにある「まなざし」なるものを、(規範的な) 型として受け取りすぎていた。よく知らないジャンル世界へと立ち入るゆえに、聞きかじりの用語だけを頼りにして読んでしまい、四角張ったしきたりとして意識しすぎていたような気がします。
 (……や、実のところ、小難しいふうな話を続けているうちに、だんだん脳みそまわらなくなってきまして。より低きへと流れる水のように「あれ? なんかもっとふつーにプレイしていいっぽい?」という気分になってきただけなのですけどww)

 以前より、よそ者として百合界隈を目にしてみると、そこではときになごやかに、ときに刺々しく「倫×陽菜がよい」「いや文×倫こそ至高なり」そんなふうな話がされていました。百合者の方々はそうした「カップリング」掛け算をごく当たり前に使いこなしていらっしゃいまして。一方でわたしは、カップリング文化というものの精神はわからないし、なにやら神秘主義的な言葉にも見えるわけでして。
 そうした百合の国の言葉をたびたび傍目から眺めているうち、わたしはついつい、「カップリング」なるものが実在しているかのように錯覚していたっぽいのです。それはちょうど「シナリオゲー」なるものや「イチャラブゲー」なるものがあたかも実在しているかのように考えるタイプの、ものの見方です。まず理想の「カップリング」という全体像がいくつかあって、しかる後にキャラたちがそこへとハマったり、あるいはあえてハマらないことで逆張りの個性を出していく、みたいな見方。"はじめに神は言った、カップリング在れと"

 ところがこうして残響さんと話してみて、「精神性が高まったキャラの刹那に、永遠をみるから」というお言葉に頭をひねったりしているうちに、見方はくるっと転回しまして。
 どうもわたしが百合の国に入るにあたり頭を使って予習してきたのとは違い、カップリングなるものは予めには決まってはおらず、ひとつひとつ肉付けられる物語のうちから、女の子やシチュから、スポンティニアスに生まれてくるものなのかもと感じるようになりました。カップリングなる "決まった仕組み" というのは実在しておらず、ただそのお話での日常の言葉づかいのみがあり、シチュによって女の子たちがドキドキするとおのずと、そうなるのが自明なものとしてのカップリングが生まれていく。そんなふうに捉えるほうがすんなり『きみはね』もわかるように思えました。
 そしてなればこそ、残響さんのように百合物語を読み続けてきた人は、カップリングが自然かそうでないかを、あまりに当たり前な体感にもとづいて判るわけで。「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」あたりでの矛盾めいたものを、自覚するまでもなく手先の感覚でさばけるのは、それが物語から自然と生まれていればこそですよね。

 ちょろっと百合エロゲをやって、残響さんおひとりとだけ話したのみですから、こうした捉え方もなんとなくの思いつきで口にしてみただけです。ただわたしの場合、カップリングの「キャラA×キャラB」という表記形式を非百合者として目にしているうち、いつの間にやら、それを物語を規範する言葉みたいに捉えていたきらいがありまして。『きみはね』プレイして、残響さんからお話を聞くうちに、カップリングはもっとずっと自然発生的なのだというふうに認識があらたまった、ような気がしております。
 「カップリング」なるものをちょっと知ってみたいくらいの百合ゲープレイだったわけで、それはいうなれば、外国人の物見遊山みたいなものでした。せっかく来日したのだから「ニンジャ」や「ガンダム」の本物を見てみたいくらいの気分だったのです。しかしそこでニンジャもガンダムも実在してないという事実に戸惑ったのち、いや私こそニンジャだった、俺がガンダムだと、ついには理解に至ったわけです。カップリングとはあくまで自分自身でもって手ずから妄想していくものなのですね。
 えらく初歩的なことがらを、もってまわった説明にしてしまいましたが、そうした当たり前のスタート地点からして、わたしには百合への勘違い (もしくは残響さんとの認識差) があったようです。このようなことは、いちいち聞かされても困惑なさるやもですけど、今回のわたしの所感となっております。



 さてさて。時雨についてなども少し。
 わたしは『Still a sigure virgin?』までを好んで聴いているので、どうもその偏食ぶりが色濃く出てしまいましたね。音楽についてはただもう残響さんから教わるのみですが、わたしのモヤッとした感覚を裏打ちしていただいたり、そこにとどまらない時雨/TKの魅力だったり、面白くレスを読ませてもらいました。残響さんも以前に同じような感覚を抱いていたとなると、ひょっとしたら、先々にはその感慨をわたしも後追いしたりするのやもしれません。
 『きみはね』感想において赤い靴のしあわせに注目したわたしなのですが、時雨については、そのシューゲイザー的な遺伝子が琴線にふれたりします。ノイジーな轟音ギターが流れ込んでくると副交感神経あたりから多幸感があふれでて、グダグダになって沈み込んでしまいます。あるいは以前に残響さんが紹介していた Dinosaur Jr.「Alone」あたりも非常に好みで (教えていただきありがとうございます)。轟音ギターが泣いて喚いて辺り一面をなぎ倒していった、そのフラットな静寂感が心地よくてもう浸りきってしまいますね。

 ところで、そんなふうにシューゲイザーなどを好むわたしの場合、エロゲにおけるサウンドスケープ的調和のひとつの例として、夏ゲーの空間にある、永遠にふりそそぐ陽射しの目眩を思い起こしたりします。
 あれです、蝉時雨です。金切り声の爆音をジージーと流し続けているだけで静寂を表現してしまうから、天然もののシューゲイザーみたく感じてしまうのですよね、奴らの狂騒。セミの声のSEというのは、あれのみで "ただひと夏の永遠" をひりつくほど感じさせられる、なんともずるっこいギミックとして物語で働いていると思います。雪がしんしんと音を消す様とは正反対の、音が間断もなく極大化していくうちにかえって意識できなくなってしまうところの浮遊感。あれを風物詩として聞き流すことができる日本人の耳というのは、なかなかどうしてナチュラルにおかしい気がします。
 前回に話したように、エロゲの冗長な音の空間がなんとなく慣れないわたしなのですけど、夏ゲーの雰囲気には没入していたくなる経験がわりかし多いです。そのひとつの理由が、セミの狂騒がもっているシューゲイザー的にドリーミィな平穏さ、それが性に合っているゆえなのかなと想像しております。もう少しいうなら、ただひと夏の恋を地で行くセミたちが、あまりにも当然にひしめき合って轟々たる日本の夏というのは、もとよりどこか仮想現実めいていまして。そのありようが、エロゲの音の過剰さやら、作品としての耐久性やらにはマッチしているように感じます。ジージー鳴り続けていく音の浮遊感のさなかでは、 ひと夏の恋とかいった足もとのしあわせだけを、じぃと見つめやすいのかもしれません。
 ついでに、それまで鳴ってたセミの声がふいに立ち消えることでホラー感まで出せるから、なかなか便利ですよねセミSE。などと昨夏に夏ゲーをやりながら思ってた記憶があったゆえ、音楽話にかこつけて語ってしまいました (残響さんのおっしゃるエロゲの本質たる「感覚」とはやや異なる気もしますが)。

 このようなエロゲに広がっているサウンドスケープについても、人の好みはそれぞれ千差万別ですし、またむりやり言葉にして語ってみれば意味がブレていきがちです。こんなふうに感傷に頼りすぎない批評的な分析もまたあるのでしょうが、それは難しいものですよね。
 けれどわたしなどの場合、残響さんのように音楽に造詣が深くないがゆえ、面の皮も厚いまま、こうしたノイジーな語りをより気軽にやってしまってる気もします。知らないとはおそろしきことでww 妄言多謝です。

 それでは。
Sek84832017年01月20日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レスこんにちわ。レスありがとうございました。今年もよろしくお願いします。

>模型話
フジミ飛龍!なぜ模型二作目にしてそんな難関をお選びなすった!ええい、スケモ先達には大変恐縮ですが、失礼ながらSekさんのお父上はなにをされておられたのかっ!あたかもそれはエロゲ初心者にのっけから難解な作品をぶっ込むようなもので……せめて同じフジミだったら艦NEXTシリーズか「ちび丸」シリーズ、もしくは1/700ウォーターライン(WL)シリーズを与えるなどして……とは思いましたが、しかし作りたいものを作るのが一番ですよね。エロゲと同じく。なにしろ模型は作ってナンボ。実際に経験値を積むことがナンボ。そういう意味ではSekさんは歩み出したのですね……この模型道を……!
と考えると、まさに本当の意味での胸が熱くなります。ちなみに超マニアック情報として、フジミの企業者の理念は「親子の対話が生まれるフジミのプラモ」なので、今回のSek父子のあり方は、まさにフジミの目指すあり方そのものだといえるのです。本当に。
改めまして、Sekさんが模型というホビー(趣味)に関心を持っていただき、お父上と並んで残響は嬉しいです。これは自分を振り返って思うのですが、つい我々のようなブッキシュというか、理屈とか言葉でいろんなものを言語化・理屈化さしてしまう人間は、こういった「手を汚して何かをリアルにつくる」ということをなおざりにしがちではあります。まあ、誰かに強制されて「つくる」というのもまた拷問ですが。でも、Sekさんがまさに「モノを加工する喜び」を改めて思っていただけたこと……そのきっかけとなったのが当方、だというのは本当にうれしい。
というか、Sekさん、やはりモノ作りのセンスがあるというか、実際二作目にして、フジミの飛龍……つまり「空母」を作られた、という。
空母は……仰るように、「やべえ先にこっちをやったら、もう艦載挺二度と取り付けられねえ……ていうかなんでこんなに取り付けにくいんだ、艦載挺取り付けパーツ!」といったりね。「甲板支え部分の鉄骨がー!ああっ、また角度ズレた!ああっ全体のフォルムがゆがんだっ!」といったりね。大丈夫Sekさん!これから空母制作の恒例行事、たのしいたのしい艦載機量産が待ってますよ!!
いやまあ、艦船模型あるあるはここまでにしてw でも二作目にしてそれだけのことが出来るというのは、もう「不器用」のレベルじゃないですよ。というか右往左往こそがまさに最良の教師ですし。アンテナ?多聞丸が見つける前に、伸ばしランナーとプラ棒でどうとでもなるねん!

(このあたりの軍艦の資料については、タミヤから出ている森恒英「軍艦雑記帳」(上下巻)が参考になります。というか御父上が持っていらっしゃるはず。
また、艦船模型の基本制作メソッドについては、仲田裕之「艦船模型の作り方 ものぐさプラモデル作成指南」がわかりやすいかと。というか御父上が(略))

全くエロゲと関係ない話をしてますがw、しかし本文につなげると、この「全体完成像のイメージ→細部のこだわり」というのは、以下の話にかなりつながってくる、と伏線を張って……

改めまして、前回のレスは失礼しました。なにしろ自分でも謎が謎を呼んでて、書いてて自分で混乱してしまい、ついにはSekさんに助けを求めるアリサマ。大変申し訳ない。
それだけSekさんの知性を信頼している、という証でもありますが、しかしレスをするからには、自分でも問うばかりでなく、ひとつステートメントを発しなくては、と思います。そして、Sekさんが実に丁寧にレスしてくだすったおかげで、自分がこれから述べる意見も明確になりました。ひとつのステートメントを発することが出来ます。これも、またSekさんにはお礼を述べさしてください。

では本題に入ります。今回はおおむね
・百合の局所的永遠性

・ノベルゲーの調和
について語らせてください。

●百合の局所的永遠性(1)「男性的終わりの感覚」

Sekさんが「百合は無時間性を尊ぶのでは?」と指摘されたのには、「……本質、言い当てられちゃったな……」と、しみじみ感服しました。
わたしは今回、それをよりラディカルに「永遠性」と言い換えますが(おゆるしを)、それは「しきたり」というよりは、百合がある意味、無自覚に(!)理想とする精神性、だと自分では考えています。
……っていうか、ここでちょい脱線しますが、このことっておれが自分の百合趣味HPで最後に描こうと思ってたことやねんw そのことを一足飛びにSekさんが銀の鍵を開けちまったもんだから……まぎれもない知性としてのSek8483氏におののきながら、しかし「鍵開けるのはええよww」というとこもないわけでもない。

きわめて神学的な話になるのですが……いえ、まずは具体例から語りましょう。アトラク=ナクアのネタバレをするのもアレなのですが、しかしあの初音姉様とかなこのラストはまさに「永遠性」の白き地平。「生まれ変わってもあなたとともに」を地でいきまくったものです。
そしてカタハネの、姫エファを継ぐものとしてのアンベルですが、これはそもそも姫エファの強烈な「殉死による永遠性(あまり「心中」とは呼びたくない)」を内包するものとしての、「これから歩んでいくふたり」であります。そう、「memories are here」が歌っているように「これは終わりじゃない」し「ハッピーエンドはここにある」のです。続いていくのです!
……っと、具体的とかいっときながら観念的ですがw、やはりおれは100点の百合作品を前にすると熱くなるな……! さて、このような傑作百合シナリオに「永遠性」への示唆がある、というのは理解いただけたかと思います。Sekさんあなたは正しい。

同時に、この永遠性を描くにおいて……これは残響の仮説ですが、永遠をただ永遠として描くのであったら、それは「永遠主題」という「えいえんの世界」を描くKey的手法になる……というのは、論理の帰結です。
ただ、百合の場合、一足飛びにそこまで行っているケースはそんなに多くない。
ここで、模型話に出てきた「全体と細部」を持ち込みます。すなわち、「スタティックな永遠性を指向する全体完成像的精神性j(揺るぎない完成像の精神)」と「ダイナミックな揺り動かしを常に必要とする、細部としてのシチュ」と言い換えることの出来るものです。
これは牽強付会ではありません。なぜなら、百合の場合、シチュにおけるダイナミック・スウィギンを求める、というのは前回書きましたが、それはドタバタコメディ、ギャグゲーの刹那を描くものではなく、あくまで「永遠性の美的精神性」を描くためのもの。
なぜ我々がシチュとして、物語を分割(微分)するかというと、「精神性が高まったキャラの刹那に、永遠をみるから」というふうにいえます。ああ神学的だ。
「まなざし」ひとつにしても。「おねえさま……」の思慕の瞳がみるものは、おねえさまであると同時に、永遠性への接続なのです。ふたりはここでひとつとなる。
よく言われることに、「こっち(鑑賞者)側をまなざしているのは百合じゃねえ。百合は二人同士でまなざしあってるのが百合なんだ!」という主張。わたしもその徒です。これは、上の路線を拡大すれば、すぐに納得はできます。永遠性を求めているのだから、鑑賞者の欲望なんて、どこ吹く風です。

そう考えれば、Sekさんが仰る「男性的終わりの感覚」というものは、はじめから百合は指向していない。ただそこには「シチュによる、一応の時間の区切り」があるだけ。
さて、そこから村上春樹「意味がなければスイングはない」の話になりますが、これSekさんも読まれてましたか。だとするなら、自分がスタン・ゲッツを引いたのはここからだ、というのはバレテーラ!ってとこでしたねw さすがや……。あ、「ディズ・アンド・ゲッツ」気に入って下すってよかった。あのソロバトルはロック者にも訴求すると思うのです。

では話が早い。同じ村上春樹の本で『走ることについて語るときに、僕の語ること』はもうお読みになられましたかね?
ここで後半以後に書かれている、「サロマ湖100kmマラソンの話」ですが、村上春樹はこの「ちょっと異常な(100km!)ジョギング体験」において、ある哲学的ともいえる「精神ゾーン」に入った、と述懐しています。

ーー「終わりというのは、ただとりあえずの区切りがつくだけのことで、実際にはたいした意味はないんだという気がした。生きることと同じだ。終わりがあるから存在に意味があるのではない。存在というものの意味を便宜的に際だたせるために、あるいはまたその有限性の遠回しな比喩として、どこかの地点にとりあえずの終わりが設定されているだけなんだ、という気がした。」

つまりSekさんがおっしゃる「男性的終わりの感覚」ですが、これはある種「ゴール」の感覚、と言い換えていいかもしれません。ピリオド、虚脱。それはまるで村上春樹が「マラソンレースのゴールのときは【達成感と、もうしばらくはいいや的感覚】がある」と述べているように。
その期間限定性は、限定されているからこそ濃密で、鮮烈でもある。対し、百合は、シチュという形で「とりあえず終わり」が設定されているけども、本質的には永遠性への接続。

この差異は何かな、と考えたら、やはりそれは「まなざし」にあるのかも、と思いました。つまり、前に述べた「百合っぷるはお互いをまなざすことで完結している」というやつです。そのまなざしあいには、終わりがない。永遠性です。時間を超越している。

●百合の局所的永遠性(2)「村上春樹のspontaneity」

百合論として抽象的な方面にいったので、きみはねに戻しますと、きみはねの場合、ある種「シチュの寄せ集め」的な感じはしませんでしたか? そのあたりSekさんは

>やや不自然にイベントを小刻みカットする傾向がありました

と称しますが、これはある種、この百合表現の欠点なのかもしれません。シチュの連続体、という観点は、百合者からしてみれば、「ああこれこそ!」といえるものなのですが、しかし「連綿とした物語」を指向するとなると……いや、Sekさんのプレイ傾向からすると、この「シチュの連続体」的物語にも、かなりの親近性を持っている、とわたしは推測しているのですが、それでも「一本筋の通った物語骨格」が今作の場合、普通のエロゲ(ヘテロエロゲ)に対して弱い、というところは納得です。

やおい、という言葉があります。山なしオチなし意味なし。これはこの「連綿とした物語」とは対極にあるものとしての揶揄、な言葉かと思います。やおいと百合とは、ほとんどブラザーのようなもので。ただ対象が男か女か、というだけの違いで、精神性的にはかなり近しい。その路線で考えてもいいのですが、まあ本題からはズレるので割愛。

さて、村上春樹のあたりに戻ります。
スポンティニアス、ということですが、村上春樹はよくこの言葉を用いますね。それはしばしば村上が語っているように、彼がもともとジャズ喫茶/BARの経営者だったから、という、肉体労働のひとであって、文壇という「理屈重視」な非肉体性の世界にいまだに慣れない、というあたりからも、「自分はスポンティニアスに肉体的なものを指向してしまう」というふうによく言います。
模型の話ですが、これもある種肉体性ですよね。手先性、というか。この手先、は、「ちょろまかす」という意味合いでなく、「手を動かしてモノを作るリアルさ」という意味合いでありますが。どちらにせよ、それは「現場主義」。スタン・ゲッツが理論でなく、ライヴの実際でバリバリ吹きまくる、というのと同じ。
そこには作為はなく、あくまで自発性のみがある……というのがスポンティニアス、の意味と思っていますが、同じくSekさんもそのように定義されておられていますね。

我々百合者は、キャラを論じる際に、そのキャラがどのような「立ち位置か」というのを云々します。攻と受の話です。
これはある方から指摘されたのですが、百合者は「攻か受かで、そのキャラは異なってくる」という認識を普通にしているのですが、非百合者からはそれは「?」であるようで。
ただ百合者も、この攻/受が、そのキャラのspontaneityとは異なるところで、むりくり妄想する、ということまでは好んでない、かと思うのです。いやまあ、結構無理に妄想しているひともいるのですが、それは広範の支持はやはり得られていません。
あくまで、そのキャラが自然に、攻性や受性を出すということ。それはすなわち、そのキャラやカプの「物語」にかかっている、ということです。Sekさんの言葉で言うなら、

>とてもその人らしい動揺であるということ。

です。

わたしのきみはね感想で、

>結局のところ、カプとは、カプの裏にある「物語」をいかに楽しむか、が醍醐味であり、カプそのもののコンセプトを達成しないところに、百合物語の愉悦はない。

とまで断言したのは、百合とは思考実験なのではなくて、スポンティニアスな「萌えの現場」感覚あってのものだ、ということを重点的に言いたかったから、です。
それが「しきたり」風に見えてしまって、非百合者に「百合ってめんどくせえ……こわそう」と思わせてしまうのは、これは百合者の罪かな、と。だからこそ、わたしは「百合へのいざない」を書きたかった。

かなりこの項が長くなってしまいましたが、最後に、

●百合の局所的永遠性(3)「細部のダイナミック・スウィング」

シチュを動かす、ということは、シチュという枠組みそのものを「永遠化」さしてはいかん、ということです。シチュの枠組み自体はテンプレかもしれませんが、そこには生きた時間性……スイング、がなければいけない。なぜなら、シチュによって少女たちは「ドキドキ」するわけです。

(このあたり、常に驚天動地のドキドキがあるか、というと、それは過度に一般化は出来なくて、最近の百合では、わたしの言葉で言えば「ぐだぐだ百合」とでも呼ぶべきダウナー性を積極的に持ち込んだ百合シチュがあります。ですがそれも、表面上はグダグダでも、奥底の熱い百合精神あってのことであり、静かに、大きくグルーヴ・スウィングしている、と言うこともできます)

永遠性はスウィングする必要はないですが、しかしシチュはスウィングする必要がある。それを端的に述べたのが「キマシタワー!」という言葉なのでしょう。おれこの言葉好きじゃないけど、しかしその「言い当て」は確かなものでしょう。



●ノベルゲーの調和(1)ポストロック・サウンドスケープが語る「風景と言葉」

Sekさんは……やはりポストロックの徒でありましたか……!
そういえば、vostokさんのブログで、最初にわたしにコンタクトしてくれたとき、わたしが以前に書いたポストロック記事を言及してくださいましたよね。
さて、凛として時雨ですが、たしかにわたしのフェイバリット・バンドです。
Sekさんがおっしゃる「平坦な抑揚をもって単調に繰り返す歌詞」……わたしも、実は2009年時点で、それと同じことを思っていました。
もっともわかりやすい例としては、「Sadistic Summer」ですね。延々と345が「さらわれたいなつーさでぃすてぃっくさまー」と歌うループ。それがじわじわと体温を得て、それでもやっぱり冷たい感触で。初期の凛として時雨は、その傾向があります。

ですが、ちょっとそこからわたしは、考えを改めることになったのです。その萌芽は、2009年の年末に、わたしのTwitterで、

>凛として時雨の歌詞は、音に乗せるための刺激的な言語イメージ/言語遊戯に終始すると思っていた。
>ところが昨日「Telecastic fake show」の歌詞が、実に今の自分の境遇にぴったりだ、としみじみと感じ入った。
>だから時雨の歌詞を今一度よく読んでみようと思う。そこには「伝えたい意志」があるように感じられたのだ。そして、今までそれを感じられなかった自分の不覚を恥じよう。

と言っていました。

いわゆるポストロックの歌詞は、音楽に「乗せて流す」という傾向があります。村上春樹が「村上ソングズ」でR.E.Mの歌詞を「歌詞の内容がファジー/意味を正確には把握しがたい/適当に言葉を重ねて流れていればそれでいいんじゃないか的な」というふうに述べているように。自分も、時雨の歌詞はそういうものだと思っていました。だから、「Still a sigure virgin?」までの時雨/TKの歌詞については、Sekさんと同意見です。

ところが……それ以降(つまり、「abnormalize」以降の、アニメタイアップ楽曲以降)の時雨の歌詞は、より「何を言っているかが明確になってきている」というか……もちろんそれは「タイアップありきの、世界観ありきの楽曲だから」ということではありますが、今までよりは意味内容の物語の流れがわかるようになってきた。少なくとも「テレキャスターの真実はレスポールの残像だ」なんていう暗号じゃないw(アレほんとどういう意味なんでしょうね)

それを痛切に感じるように……つまりTKの「詩人」としての意識を感じるようになったのは、あるいはソロ作(TK from 凛として時雨)の楽曲なのでしょう。とくに弾き語り……Sekさんはもう聞かれているでしょうが、例えば「tokio」における「馬鹿みたいだな この場所は」とか、「罪の宝石」における「頭の中には触りたくもない罪の宝石 いつのことだろう からっぽにしたいのはいつのことだろう」という、詩人の痛切な感情。
……とまあ、Sekさんに異議を唱えた今回ですが、それもSekさんのおっしゃることがよくわかるからこそ、そして自分がTKを好きだからこそ、このような書き方になりました。

あ、またきみはねからズレてるw しかしもうちょっとポスロクについて話をすれば、いやはや、マイブラやtoeがここで出てくるとは思いませんでした。アンタも好きねぇw
マイブラ、ビリンダ・ブッチャーのあの声でもって、浮遊感溢れる歌い方を、ケヴィン・シールズの轟音に乗せてやられると、もう唯一無二ですよね。また、toeの場合、voはむしろ「楽器の一部」ですね。
ところで、こういった「歌詞を音楽に乗せて【流す】」というのは、「楽器の一部」としての効果もありますが、同時に「サウンドスケープを構成するため」というふうにもとれます。時雨も、マイブラも、toeも、モグワイも、MONOも、シガー・ロスも、ソニック・ユースも、ワールズ・エンド・ガールフレンドも、みんな「サウンドスケープの構築」を何より追及するバンドです。
「音が語る言葉、風景」というか。あるいは、歌詞はそんな「風景の言語化」というか、手がかりというか。心地よさと、思索性と。
それは、確かにきみはねの百合空間と通底しているものかもしれません。

全体像がぱっと開け、静かな眺望がひらけてくる。というSekさんの言葉は、百合の永遠性と通じている。確かに通じている。そのスタティックさが。
そうか……ポストロックは百合だったか……!(残響は狂っていた

さて、心地よさ、について、短いですが、とても申し上げたいことを。



●ノベルゲーの調和(2)わたしはそれを愛しているのだ

そう、そのサウンドスケープ的調和。これはエロゲという、音と言葉と絵という、三位一体の表現形式が作り出す「空間」であります。まさにerogamescapeです。
なんというか「エロゲをやっているなぁ」的感覚。これこそが、まさにエロゲ体験であり、ノベルゲーム体験。
それは、没入型と観測型の違いはあれど、この「感覚」こそがエロゲの本質ではないか?と思っています。
わたしはそれを愛している。

このことについては、あまり語りすぎてもアレなのかもしれません。結局「ノベルゲー/エロゲって、こういう感じだよね。それっていいよね」をパラフレーズするだけかもしれません。
もちろん、語ることに意義はありますが、それも「プレイすればわかるよ」の領域ですから。
でも……わたしは、それを愛している。
より頭のいい人が、批評的に分析してくれたら、それはそれでありがたいのですが。わたしはそういう分析を尊敬します。
しかし自分にとって何より大事なのは「この感覚に浸ってたいな」ってことです。
ああ、エロゲ/ノベルゲーって、いいものだな、っていう。



●おわりに
最後となりましたが、こちらこそ、百合というものに関心を抱いていただき、ここまで考察してくだすって、うれしく、誇らしく思います。
さて、完全版・続編パッケージですが、ひとつ懸念していることがございまして。
「天使」の現実化ですが、さて……既存カプを食い散らかすことにはなりはしないなっ!?と、他のきみはねプレイヤーと話して、気づいたのです。
それをされたらぼくはものっそいヘイトしますよw わたしはきみはねに87点つけましたが、こんなことされたら50点にしちまいますよ!
もちろん、このスタッフがそんな鬼畜をするとは思いませんが、さて、「天使」はどのような新たな恋模様を作ってくれるのか。
考えられるのは、
(1)三人の恋のアシスト
(2)寮母さんとのラブ
(3)三人がカプを形成しなかった、という前提にたって、三人と天使がそれぞれカプになる続編大ボリューム

……(3)はないかな。だって本編と完全矛盾になりますから。
でも、「天使」が現実に堕天して、さてどのような幸せを「当事者」としてつかむか、というのは……読めません。
なんにせよ、これは見届けなくてはならない……っ!

あ、それと、Twitterの件については、これは自分の不徳のいたすところです。
把握してくだすってありがとうございます。自分が衝動的にやらかしてしまったことで……
まあ、ぼちぼち、マイペースで、いきたいと思います。軸足は、過度なSNS的のめりこみではなく、こうした長文というのが、自分の主戦場だと思いますから。

今回も、長々失礼しました。何かしら、拾ってやっていただけたら幸いです。
それでは。
残響2017年01月18日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レス こんちは。レスが年をまたいでしまいごめんなさい。どうぞ本年もご交誼のほどよろしくお願いします。

 この正月は帰省先で、フジミ模型の空母・飛龍を組んでおりました。
 ところがわたし、ここぞとばかりに不器用さを発揮しまして。しょっちゅうタラップを落として失くしたり、うっかりアンテナをへし折ったりと、軍法会議ものな失態が続きまして (……山口提督に怒られるぅ)。
 おまけにミリタリ知識はなくて模型づくりも二度目ですから、艦船の完成像というものが上手くイメージできず、それでいっそう、ひとつひとつ局所の作業手順がてんやわんやになっちゃいまして。「いやこのパーツを先にくっ付けたら、なんかすごいアクロバティックな隙間から接着剤を流し込むはめになったし!?」わざわざ事を難しくする、初心者まるだしな右往左往です。今しがた手を動かしてるところの細部イメージが、全体像とどうにも接続できずに、いろいろ迷走やらかしていましたww


 さて、『きみはね』の話となるのですが、これまた慣れない百合ゲーでしたので、全体像がつかめないままプレイした初心者でございました。カップリングなるものや、まなざすという距離感については、投票コメントで書いたようにちょっと謎めいています。いったい何が謎なのかすら判っていないので、自分にはきれいに論点をまとめられそうにありません。けれども頂いたレスを読んでみると、なるほど、ダイナミック/スタティックという観点にはしっくりくるものがありました。

 門外漢の雑感なのですけれども、百合ものでは、とりわけに無時間性 (スタティック) を尊ぶような向きがあるみたいです。「あぁ、お姉さま」「怖れないで。私たちの間には永遠があるのよ。そう永遠が」みたいなやつ。下品なわたしの表現でいうと、ちんこぶら下がってないエロゲゆえに、射精によるピリオドやその直後の虚脱という流れがいつまでも来ない感覚があるのですよね。達することがなく、終わりがない。
 そうしたスタティックな「百合のしきたり」のなかだというのに、(ダイナミックな) スイングをなそうとするからちょっと不思議なものです。倫たちにカップリングの前後を入れ替えながらよく動き回ってもらって、物語を生み出していってもらうところの不思議。この自己矛盾めいたものを、例の "天使" という仕掛けによって美しくまとめ上げてみせたのが『きみはね』だったのかもと思います。

 このあたりの、固定されるカップリングとそこでのスイングについては、残響さんの『きみはね』感想がよく見て取っておられましたよね。倫のバレエだったり、陽菜の「あたし王子様になる」だったり、文の誘い受け (もしくはリバ) だったり。
 そこで残響さんのおっしゃるところが、「でも倫は、自分の天使性を、まるで自覚していません。」「(陽菜は) 自分の王子様性を自覚することのあまりないままなんです」。そのとおり、その素晴らしいスイングには、自覚や意図がともなわれてないのですよね。あるいは文も、公式のキャラ紹介が言うとおりに、はじめから「やさしい小悪魔(無自覚)」でありました。あのエロシーンの「覚醒淫靡表情」はすごいのですけれど、倫が「若妻感」と表現したように (わたしも感想に書いたように) 日頃の立ち絵からもその淫靡さは漏れだしています。その小悪魔のサガは、彼女が自覚なしに最初から秘めていたものでした。
 残響さんやわたしがいう "スイング" において、この自覚のなさは大事な要素なのでしょうね。spontaneity (おのずと湧き起こるような自然さ) をもつということ。スイングとはあたまから変化を意図するものではけっしてなく、カップリングの攻め受けをはじめとした枠組みにハマりきらなかった、とてもその人らしい動揺であるということ。

 そんなふうに思ったのは、残響さんがスタン・ゲッツを引き合いに出されたゆえかもしれません。「It Don't Mean A Thing(If It Ain't Got That Swing)」なのですけど、『Diz and Getz』の録音セッションとかわたしも好きです。聴いてみると、猛スピードでせりあっていて、なんだか火花がチリチリしています。
 このセッションについては、村上春樹も『意味がなければスイングはない』において、スタン・ゲッツを語るとき引き合いにしていましたよね。ドラッグでぼろぼろになった生活の暗い側面があったにも関わらず、彼は、とにかくサックスは吹けた。ひとたび楽器を手にすれば、自由に、おのずと湧き起こるような自然さで動きだし、ひとつ箇所には定着しない即興演奏が広がっていく。スタン・ゲッツはいつだって「彼のように」吹けた。そんなふうに記していたように思います。
>>
僕としては、西も東もわからないまま、一本のテナーサックスだけを頼りに、姿の見えぬ悪魔と闇の中で切りむすび、虹の根本を追い求め続けた若き日のスタン・ゲッツの姿を、あとしばらく見つめていたいような気がする。
(…引用中略…)
彼の当時の音楽には、予期しないときに、とんでもないところから、よその音楽がすっと吹き込んでくるような、枠組みを超えた自由さがあった。彼は軽々と世界の敷居を超えることができた。自己矛盾をさえ、彼は普遍的な美に転換することができた。しかしもちろん、彼はその代償を払わなくてはならなかった。
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 『きみはね』では、ワンワン吠えてみたり、天使の羽根を追っかけて二階から飛び降りたり、まさかのスパンキングだったりと、物語をとんでもなく揺らすイロモノもその中にありました。それぞれのキャラを彩るカラーというのが鮮明でした。
 けれどもそのイロモノを平静に見つめつづける天使が、読み手との間にひそやかに介在していたことで、そのダイナミックな変化を "物語の意図" としては感じさせませんでした。天使は永遠に (スタティックに) 存在していたから、そもそも何かの結末を目論んでのふるまいというものを理解できない。とぼけた傍観をするその地の文は、人間の内心にまではちょっぴり筆が届ききっていない口下手さ (謙虚さ) をもってました。
 なので陽菜たちの自覚とかもまた判然とはなりません。自覚なしにおのずとワンワン言っちゃった風情が出来上がり、彼女たちがリラックスして「彼女たちのように」動くさまを映し出してくれたように感じます。物語をひっくり返すがためにはならず、序盤から織り込んできたキャラ自身が枠組みを軽々とまたいでいってしまう、見事なスイングのあるお話でした。いわゆるリバの局面において "攻め×受け" といった型や敷居を超えることを助ける、そんな文体をこの作品はもっていたのかもしれません。
 いや実のところ、百合のしきたりをまるで知らないので、とぼけたこと口走ってたらすみませんww


 さてさて、「BGMのはなし」についてはお察しのとおり、サティを意識しての言葉選びです。わたしはエロゲのBGMの使用法に好感を覚えることがあまりなく、いつでも流れっ放しループのまま無音の時間帯がないのが苦手です。またキャラボイスというのはおおむね主張が強いので、そこでBGMまでも存在感が強ければ、音同士がぶつかってしまい、しっちゃかめっちゃかになったりもする。常々そんなふうに思うわたしにとって好ましい、鳴っていることを忘れてしまうような『きみはね』の音楽だったように思います。

 話は少し変わって、ひとりよがりな話し方になってしまうのですが、「歌もの」でボーカルの主張が弱い (言葉として明晰じゃない) 音楽には、そのスタティックさを好ましく感じるときどきがあります。
 例えば、「O.F.T」や「illusion is mine」をはじめとした凛として時雨。最初に聴いた頃にはボーカルパートがなんだか頼りなくて、妙に平坦な抑揚をもって単調に繰り返す歌詞であることに戸惑ったものでした。ところが耳が慣れてくると、それを立派な意味のある言葉ではなくて、どちらかといえばスクリームなどに近い音の響きとして認識して、心地よく聞き流すようになりました。歌ものはどうしてもボーカルが主役になりがちなのですけど、そうはならずに、他の楽器と同列にまでボーカルパートが楽曲のなかに埋もれて、溶け込んでいることで全体が平らかに調っていると感じます。
 My Bloody Valentine「Only Shallow」には似たような心地よさを覚えますし、一方では、Toe「Goodbye」のようなボーカルの弱さというのもまた魅力的です ( https://www.youtube.com/watch?v=xqR12BvJYlk )。
 意味内容をはっきり歌い上げる曲というのは、フレーズごと単語ごとに細分化もできるから、ひとつパワーワードにひっかかればその部分の意図に拘泥してしまい、曲の全体像がつかめなくなってくる。ところがボーカルがあやふやに弱いときには、数列の問題を解くときのようにして、あるイメージ(n) から次のイメージ(n+1) への階差のみをたぐっていくことになり、そうして声の響きのもつ自然な流れ (単語でなくメロディ) をよじ登っていった先に、その全体像がぱっと姿を現してくる。静かな眺望だけがひらけている。そんなすべらかさを聴き取りやすい気がしております。

 『きみはね』の話に戻ると、先述していたリバやスイングの一瞬を際立たせるような、地の文のやや無感動な書き方や、単調なシナリオ進行がありました。同じネタを繰り返すコメディとか、引用テキストを掘り下げることなく流していってしまう自由さとか。それら言葉の弱さというものがBGMの性質とよく交じり合わさっていた、その調和を、わたしは心地よく感じたのかもしれません。ひとつひとつの局所にはたいした意味が取れなくて、流れとしてのみ見ることになるから、あるときになってスタティックな全体像がぱっと姿を現してくる。気づいてみると、部屋で彼女たちが髪を結い合ったりする風景だけが脳裏に浮かぶことになって、何かおしゃべりしているのだけど "言葉の内容" とかは耳には聴こえてこなくて、けれど触れてみるとただ楽しそうな声の響きだけが骨伝導でわかって嬉しくなるような。
 とどのつまり、『きみはね』は日常を上手いこと閉じ込めて、それへとプレイヤーを触れさせてくれたよね、という話をパラフレーズしているだけなのですけどww

 『きみはね』は倫や陽菜や文のやり取りをダイナミックに色づけていくお話だったわけですが、その周りのモノクロの部分で、天使の仕掛けやBGMがうまく抑制を効かせていたことがいっそう印象的でした。わたしの場合、ラストであの天使が物語のなかに飛び込んだとき「あ、彼女はアッチ行った。わたしコッチに取り残されたんだ」とすんなり納得しちゃいました (それでね文さんちのワンコになりたくてね)。一見客として百合エロゲをやってみたので、スタティックな側面がもの珍しく、そちらにばかり見とれがちだった気がします。なので、ダイナミック/スタティックの両面でもって遊んでいる残響さんのプレイが、いっそう謎めいて見えたのかもしれません。


 あらためまして、よき百合へと誘ってもらい、ありがとうございます。まだまだ百合エロゲへの距離感はつかみきれずなのですが、上品な甘さをよく詰め込んだ本作は、とにかく楽しんでプレイしました。ちなみに購入した直後に、完全版・続編パッケージなるものが発表されてしまったので「わお」となりました。

 (なおツイのほう現状把握しましたー。)
 ではでは。
Sek84832017年01月05日

77きみはね 彼女と彼女の恋する1ヶ月 (BaseSon Light)
文・倫こそ至高なり。ひれ伏せその他のカップリングどもっ。……みたいな闘争心とかのもろもろは、天使が羽ばたくとオフショアにさらわれて、彼女らへのまなざしだけそこに残っていく。安らかな距離の物語でした。 → 長文感想(12811)(ネタバレ注意)(6)
最新レスこんにちわ。よい年越しを過ごされておられますでしょうか。

久々にえろすけトップページを見てみたら、なーんか見覚えのある長文感想の見出しがあるなー、と思ったら、なんとぼくの長文感想、Sekさんが投票してくだすってるじゃねーの!
びびりました。そしてSekさんが、ということ、誇らしく思います。
自分の感想やtwitterを読んでいただいてる、というのは過去のレスで把握していましたが、年末にきて、この熱心な投票コメに、残響涙ちょちょぎれちゃう。
改めまして、ありがとうございます。

ーー「きみはね」感想に投票いただいたことは、残響にとって特別な意味を持ちます。

投票コメ確認後、Sekさんの新作レビューはなにかな……この記述は……おお……とうとう……とうとう……と感じ入りました。
自分の「きみはね」レビューがSekさんにとっての「百合の誘い(いざない)」になっていた、と知り、こちらも誇らしいです。


……改めていうのもなんですが、自分って、百合警察ですよねw
自分は、世の百合警察のかたがたよりは穏健派だと思っていましたが、先日とあるかたに「残響に百合のことを話すとロクなことにならん」といわれまして。
いや、自分にとって百合とは「空気のように自然なもの」なのですが、それゆえに……清流に混じる淀み・軋みはすぐさま肌感覚で感じ取ってしまうので、その度に百合センサが反応!コンパイルエラー吐き出し!ビガービガー!百合警察起動ーっ!ジェイデッカーッ!となってしまうのです。
でも……それは「百合への誘い」ではありませんよね。むしろノンケヘテロ一般人エロゲマに「百合って面倒だな、嫌いだな」を誘発させてしまうもの。オタとして真に恥じるべきはそちら。
百合は、怖いものではない。楽しく優しく、時に冷ややかなシリアスもあるけれども、美しいもの……として、どうにかして百合者として、少しでも「百合への誘い」を書けないものか、と思っているのです。

それもあって、最近ブログとtwitterを停止して、本格的に百合と模型のHPを始動することになりました。サマリーページ参照していただければと思うのですが。
なるたけ、百合定義論、百合警察学校をするのではなく、百合のたのしさ・美しさ、そして残響自身が百合を愛しているサマを伝えられたらなぁ、と思って。

そういうこともあって、わたしの「きみはね」感想が、Sekさんにとっての「百合への誘い」になったということ、これが本当に誇らしいわけです。
ああ、自分の書いたものが、作品とレビューとが、Sekさんに伝わって、楽しんでいただけた。本当にうれしい!

別に、自分が百合伝道師たろう、とかって思ってはいません。
ですが、わたしの百合……いや、趣味における基本精神として、


「はっはっはっ、教えてあげたまえ!君にはその義務がある! 
君も誰かに教わったんだろ? ガンプラ
誰かに楽しさを教わったものは、それを誰かに伝えるべきだ!
そうして僕たちは繋がってゆく。いつまでも……どこまでも!」
(今ノ夜きよし・千葉智宏『ガンダムビルドファイターズA(アメイジング)』)


という言葉があって。
ぼく自身10年以上前、ぼくのエロゲ師匠に『アトラク=ナクア』を教えてもらって、
そこから『マリア様がみてる』や『まんがタイムきらら(創刊時)』に繋がるルートを教えてもらったのです。
そのルートは、ゼロ年代の百合趣味において王道にして、広がりのあるものでした。
ソフト百合も、シリアス百合(ハード百合)もともに楽しむ。

あまり義務感で趣味をするものではないですが……わたしも、出来たら、そうあれたら、と。


……全然「きみはね」の話出来てないっ!w 残響のいつものですね。はい。
では、今回は、Sekさんの長文感想のアブストラクト感想と、投票コメに頂いたご質問をつらつらと……


●Sekさんの筆致

毎回思うのですが、Sekさんの読み込みの精度といったら。
自分は、キャラのひとつひとつの行動をあんまり覚えておらず、むしろキャラの行動……「動き(モーメント)」をひとつのおおまかな「シチュ」として把握し、観測し、萌える、というものでして。
対しSekさんは、ひとつひとつを分解して読み込むように思えます。ずっと前のレスで、当たり前のように微積分をたとえとして出されたのは、今更ながらそういうことかも、とかって思ったり。
数学ネタでそう考えると、九九が出来ない残響ですが(本当)、自分のこのモーメント読みこみは、ベクトル的なものと捉えてもいいかもしれません。
(余談ですが、もっとも、この「微分か、ベクトルか」という区分け自体、数学的ジャンル越境性からいったらオカシなもので。例えば加速度などを取り扱う場合の連続モデルにおいては、ベクトルを微分しなきゃどーするのって具合ですし(残響のモーメント観測における、細部の分析的読み込み)。あるいはそもそも微積分解析の対象が流体だったりする場合(流体力学)、解析の次手からのベクトル的アプローチが不可欠なように(Sekさんの萌え解析における、連続性シチュ力学の読み込み))
このくだりは、後で「ダイナミック(スイング)とスタティック」に関わってきますが……


●BGMのはなし

Sekさんのおっしゃる「きみはね」BGM論は、エリック・サティの精神だよなぁ、と。

低価格短編エロゲにおけるBGMの固定傾向ですが、これが最も顕著なのは、「その花びらにくちづけを」シリーズですね。
なーにーしーろ、初期から近作に至るまで、「BGM使い回し」!
それもすげえ名曲、というわけでもなく、音量も小さいし音質も悪いし……。

ところが、そのしょっぱさが、毎回毎回聞かされていると、なんか妙なグルーヴ……というか、まるで風にカーテンがそよぐかのようなやわらかな質感を感じさせるのが、「その花」の奇妙な魔力です。

また、「屋上の百合霊さん」における、毎回のちょい楽しめな日常シーンにおける「きーんこーんかーんこーん」「パヤッパッパー、パパヤ、う~きのうよっりー♪(という風に聞こえる)」の限りないエンドレスなノー天気なBGM!
これを聞くだけで、「ああユリトピアにおれは戻ってきたんだ……!」と目頭が熱くなります。聞くだけで、あの色彩の薄い塗りの質感までもがふわっと!

それにしても、B級エロゲっていいですね……!(唐突に
明らかに金のかかっていない背景! 塗り! エフェクトのカクカク! そしてBGM使いまわし!
こーのしょっぱさが実にいい!本気でいい!
だから自分はサマリーページで「そんじょそこらのB級イチャラブエロゲーマーです。」と銘打っているのです。

もっとも、「きみはね」の場合は、より上品に、繊細なものですが。一環して室内楽。
ダイナミクスは必要なく、ただ家具のように少女たちの生活に溶け込む……まさにサティです。

そしてイージーリスニング、ですが、自分、よくこう呼ばれる類の音楽が好きでしてw
もっと正確に言えば「ニューエイジ」音楽。姫神とか喜太郎とか東儀秀樹とか。
「そんな!バカな!ジャズやロックを愛する残響がそんな!」と思われるかもしれませんが、このニューエイジ音楽には二つだけ、良い点があるのです。
「美メロ」と「風景喚起」。

……まあもっとも、Sekさんの仰るイージーリスニングは、ポール・モーリアとかのほう(遠い地平線が消え(略)宇宙の営みを告げていますジェットストリームジェットストリームジェットストリーム……)なのかもしれませんが。 
どちらにせよ、リズム、確かに単調ですよね。音楽的革新性、ないですよね。それはよーくわかります。
それでもわたしがニューエイジを好むのは、美メロによる風景喚起。
その精神は、サティを経由して「きみはね」にも適応されるのではないか、と思うのですよ。


●「観測」についてーースイング(1)

なぜ自分が「百合観測」の徒で、一人称・憑依没入型のプレイをしないか、Sekさんは「謎」と仰います。自分にとって、百合観測とはあくまで「空気のように自然」であり、一人称・憑依没入プレイをすると、なんか落ち着かない。サイズの違う硬い服を着てるようで……

と返答しようとしたのですが、それってとくに何も語ってないですね。もう少し考えてみましょう。

例えばそれは、間違いなく「視点」なのでしょう。建築物を見るとき、
「まず生活者としてドアから入る」のを選ぶか、「神の視点からまず全体像を把握する」のを好む、か。
ではそれはイコールでミクロとマクロか? いえ、百合者はしばしば「シチュ」という物語微分をしますから、それはミクロの思想でもあります。矛盾してますね。

では、次に「ダイナミック(スイング)」と「スタティック(静的)」の観点を導入してみましょう。
Sekさんがもうひとつの、残響に対する謎、として挙げられた、残響的文体の「スイング」ですが、考えてみればこれも百合観測……三人称的俯瞰視点、とはミスマッチです。
なのに、何故我々百合者の文章は、得てして過剰(ダイナミック・スウィンギン)になるのか。それは世間において「キマシ!系(キマシタワー!)」としてステロタイプになっているほどです。だいたいヘテロエロゲにおいて、「百合キャラ」ってこういう造形なされますよね。とくに否定はしませんが、このステロタイプから「いついつ出やる」という気分に時たまなります。

残響は己において、実は自分のどこが「スイング」なのか、よくわかってなかったりします。
何度かSekさんは自分のスウィンギーさを当てていらっしゃって、それはジャズ者の自分にとって、とても誇らしい標語であるのですが、しかし、自覚はあんまない……自分にとっての百合がどこまでも「空気のように自然」であるのと同じように。

デューク・エリントンという、ジャズの巨人の名曲のひとつに、「スイングしなけりゃ意味ないね(原題「It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing))」というのがあります。様々な名演があって、個人的には「歌もの」よりは、スタン・ゲッツがディジー・ガレスピーと猛烈にソロアドリブ・バトルをした演奏と、同じくスタン・ゲッツがボブ・ブルックマイヤーと組んだ「at the Shrine」コンサート・ライヴ盤でのラスト・トラックでの猛烈にワルでワイルドな演奏が個人的に好みでお薦めで……ってどうでもいいなw

でもこの歌詞がこんなものでして。超単純な英語ですが。ざっと残響が訳してみます。結構意訳です。


――なぁ、真に良いメロディって、何だ?
ほんとうに良い音楽って、何なんだ?
おまえさんがオイシいアレを持ってなくちゃなぁ……

それじゃメロディじゃないんだよ
それじゃ「音楽」じゃないんだよ
そこには、歌曲を完全にする、アレがあるっていうのによぅ

スイングしなけりゃ、意味がないんだぜ
そう、君のすること全部を歌にしちまうくらいの!
そんぐらいのスイングじゃなきゃ!

音楽が、甘かろうが、熱かろうが、
そこに何の違いもない!
お前さんを最高にハイにさせるリズム、
そいつが「音楽の本質」なんだ、さあ、受け取りな!

そこに意味はないのさ
充分にスイングしなけりゃねっ!


ーー前回の「駄作」のレスで、「こうも見方が違うSekと残響が仲良くレスしてるのは不思議」と仰っていましたが、まずもって、我々の見方というか、創作物における見方、そして最終到達点のようなものは、かなり異なっていると思います。それは確かです。
しかしそれと同時に、何かしらの符号するものを共有しているからこそ、こうして何回もレスが成り立っているわけでして。
Sekさんがamaginoboruさんとのレスしあいで、
「自分なんかが言葉にすることで作品にある美しさが損なわれるのじゃないかと不安」
「たぶん言葉でどうこうなるものではなく、それらの美しさへまでは及ぶことないのかな」
と仰っていましたが、おそらく回路を異なる形ではありますが、似た結論(めいたもの)に辿り着いているような気がする。あるいは、それもまた思考の旅の踊り場に過ぎなく、またそこから分岐する形ではあるのでしょうが。
残響とて、観測をする以上、作品への侵犯ということは常に気を使います。スイングの余り、作品やキャラを壊すことは、望んでいない。そういう意味では、自分は「意訳」派ではなく、「逐語訳」派であります。


●スイング(2)

残響の場合、創作をやってるということからも、「本当に良いもの」を自分が引っ張り出してくる際には、自分が「動く」ことを躊躇っててはいけない、と強く思っています。
それもあって、文体をスイングさせる……ということは、自分にとっては当たり前のことですが(まだまだ足りないと思ってる)、ひとから見れば「何その文体実験はっ」と思われるところなんでしょう。
また、観測においても、「百合のしきたり」=「カップリング順列組み合わせ」を云々するのも、ヘテロエロゲではなかなかされない「組み合わせの妙」をダイナミックに前後!前後!させることにより、キャラ性の逸脱・回転を含めて、「本当に良いものを見出そう」としています。

Sekさんはどうなのでしょうか。
ぼくから見たら、Sekさんの論理性こそダイナミックだと思うのです。同時に、Sekさんの「美しさ・芸術の構築性への侵犯への恐怖」めいたものは、何かしら別の隘路を通って、表面上スタティックだけれども、ご自身の立ち居地というものをいつも鋭く模索しておられるように見受けられる。

ところで。
観測趣味、というものは、パターナリズムに陥ります。
ついつい、カプ論争が「こういうのもあってもいいんじゃない?」「いやこれでなくてはならない!」の戦争となりますが、
しかし後者のひとも、どこかで「新風」を持ち込んでもらいたい、と思ってもいるのです。

これに対し、一人称・憑依没入型は、常に「自分(プレイヤー)」が作中世界の中で「生きる」ため、そのパターナリズム的退屈さ、とはかなり距離をおきます。
それもあっての、「きみはね」ラストのあのメタ発言なのでしょうが。

パターナリズムに対するものとして、自分はしばしば「リバ(リバーシブル)」を導入することを肯定しますが、
しかしこれも、行き過ぎれば「オリジナル要素のつおい二次創作妄想」となり、原典への侵犯、となります。
残響は、案外この方向にまではいかない。創作をやってるだというのに。

ぷらす。
「スイングしなけりゃ意味ないね」は、もちろん「リアルの只中にでダンスせよ!」の哲学であります。
これはもちろん、観測におけるスタティックな精神性とは、全く異なるわけです。

以上を踏まえて暫定的に考えると、「観測」でありながら「スイング」である、という自分の立ち位置は、なるほど確かに「謎」と見受けられてもむべなるかな、と改めて思いました。
うん……謎が増えたぞっ!ww


なんだか、今回レスが、質問を質問で返し、何回もパラフレーズしているような愚を犯してるような気もしてますが……
少し混乱してきたw それと、えーかげん6000字も書いてるので、ここできります。
ちょっと、お話の論点を明確にしたい、という気持ちがありまして。Sekさんの「謎」をより少しは、スコープを狭められたらよいのですが……。
もしよろしかったら、レスという形でちょっとお助けください。

年の瀬です。
今年一年のエロゲライフはどうだったでしょうか。
お体にはお気をつけて。

(お父上と模型のこと、そしてSekさんの模型はじめ、驚きました。そして、本当にこちらも嬉しく思っております! その理屈は上と同じでございます)
残響2016年12月29日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス>「きさま!見ているなッ!」
うひぃっ、覗いてまひた。ちゃんと自首しますんで、おねげーですから特車二課だけには突き出さないでくださ「アップルジャーーック!」(青空署)


 さて。
 ときおり、えびさんのエロスケユーザーリストを拝借して眺めつつ、知ってる人のツイートを遡ったりとかやっとります。アカウントは稼働しておらず、フォロワーに潜伏してもおりませんゆえ、お気を揉まれぬよう。
 そういえば覗きの副産物とでもいいましょうか、amagiさんの『艦これ』プレイもちょくちょく眺めていました。ゲーム内容についてはさっぱり知らないので当て推量ですが、「どのように勝利に持ち込むか」よりは「いかにして負ける蓋然性を減らすか」という意識が根っこにあるようにも見え、ゲームへの姿勢には共感めいたものを覚えます。そうして観戦してきたがゆえ、『パンドオラ』感想にて、荒ぶるamaginoboruをいっそう爽快に読めたような気もするのでよかったです。

 眺めるかぎりエロゲツイッター界隈も楽しげですね。たとえばレス返しのスクショでもって、かなたちゃんに「は、破廉恥ですっ! 強姦魔!」と言われてるユーザーさんを見かけると羨ましくなります。あとは、エロスケで感想文に入れられなかった小ネタを垂れ流すのとかにも便利そうなのです。
 しかしながら、クリエイターとの距離感が縮まりかねないのは敬遠したいところでして。またそもそも、わたしがやっても、なんかこう素早さと経験値が低いはぐれメタルみたいになりそうでいけません。頭の回転は遅いほうなので、ゆっくりにしか書けないのです。感想文から洩れてしまったことも、こうした機会に思い出せたぶんだけを相手に話していくのが、『木洩れ陽のノスタルジーカ』ではないけど、お互いのフレームワークを通しての模様ができあがってよいかもとか思います。


 わたしはSNSは使っていないし、2chなどの匿名も含めてWebで発言した経験自体がゼロで、もちろん評論系なりサークル活動にも縁がなくて。そんな完璧なロム専でしたから、エロスケに感想を書きはじめた頃はすごいビクビクしながらでした。たびたび助けられつつもこうしていくらか続いたことに、感慨もつくこの頃だったりします。だから、とても無責任な言いぐさにはなるけど、エロゲ感想を読むのが好きな人とかは自分でもとりあえず書いてみると面白いよとオススメしたくなります。
 はじめた頃は、自分なんかが言葉にすることで作品にある美しさが損なわれるのじゃないかと不安で、それはamagiさんへのかつてのレスでも打ち明けていました。けれども今となっては杞憂だったようにも思っています。それこそ、たぶん言葉でどうこうなるものではなく、それらの美しさへまでは及ぶことないのかな、と。
 感想を書くことへの萎縮について、amagiさんは (便宜上) 理屈的なユーザー向けと感覚的なユーザー向けとの別としてお話されていますけど、実際のところ、どのユーザーもその両方の脳みそを動かしてはいるわけで複雑です。わたしとしましては、論文じみたごっつい言葉を書き連ねたヤツがその作品の美しさを知ってるわけじゃないという、その点さえ確認しておけばよいのかなと考えております。ちょうど『すば日々』も、なんかそんな感じのお話でしたよね。言葉と音の違いほど。論理と美しさの違いほど。

 Sek8483の『すば日々』感想については、どんなに引用を重ねてみたところで、当然ながらあれもひとつの見方でしかありません。例えば、羽咲のことがわりとすっぽり抜け落ちているあたりとかもうギルティですね。
 そのうえ『論考』は正直わたしでは読めない本であり、むしろその解説書である野矢茂樹『「論理哲学論考」を読む』に傾倒しているぶん、やはり偏ったアプローチではあるのです。例えば、無限のモチーフを見出したところは、同じく野矢先生の『無限論の教室』の後書きにあった「本書の精神的な背骨は、一回も名前こそ出さなかったが、ウィトゲンシュタインなのである。」という一文をヒントにしつつ、やはり野矢先生の『語りえぬものを語る』あたりから得てきた発想だったり。あるいは情緒面においても、基4%描くところのざくろの「表情を忘れてる表情」についての文とかはディキンソンの詩 "I like a look of agony (わたしは苦悶の表情が好き)" から思いなしていたり。あの感想文の出来上がりだけを見たらビックリかもですけど、そこにはタネも仕掛けもあって、わたしのオリジナリティというのは少ないです。
 そしてだからこそ感想文の軸としては、『論考』とかも知らなかった初回プレイにこそあった「なんかよくわからんけどすんげぇ」「知ってみたい」「わかったかも」っていう "私の体験" をこそ置きたくて。ゴール地点においてあの感慨をわずかなりと呼び覚ます、そんな読みものになってくれたらと思っておりました。多くの借り物の言葉と、一周まわってきて知る体験、そんなふうにして『すば日々』のモノマネをするような感想です (例えば『駄作』へは口汚く、例えば『かみまほ』へは皮肉げに、作品をマネっこする感想文やりたいのです楽しい)。
 そうして書いた感想文なので、作品をひもとける言葉はいっぱい新しく含みつつも、『すば日々』を好きな人それぞれのプレイ体験にあったろう「なんかよくわからんけどすんげぇ」を邪魔立てすることない感想文であれたらばと。そんな高望みはしております。
 なんといいましょうか、光を分解してみてスペクトルの原理を知ったところで虹の美しさが損なわれることはありえない、とわたしは思います。「なんかよくわからんけどすんげぇ」美しさを知ることは、その原理を知らずともできます。原理を知っていくことは面白いけど、それはとりたてて、虹の美しさを語りきるがためのことではなくて。難解な作品にあった不思議をひもといてみても、その美しさがほどけることはないのだと考えます。……いやほら『木洩れ陽のノスタルジーカ』のしねまもそんな感じのこと言ってましたし(笑)

 とはいえ、偉そうなことまくし立てておいてなんですが、自分の理屈によって他のプレイヤーが語り続けることを邪魔してしまうのは、やはりできるだけ避けたいものです。それで「一つの感想で作品を正しく論じ切る必要もない」といったお言葉にかこつけて、Sek8483の『すば日々』感想の理屈というのも偏っていてうさんくさいですよー、とあたふた説明しちゃったのですけど……かえって釈明させてしまいまして、ごめんなんかごめん (タメ口)
 なんのかんの考えてはみても、自分の顔にマズいところがあるときと同じように、自分の文章スタイルにあるマズさについても、それはもはや引き受けることしかできないのでしょうね。わたしがわたしのマズさを重大視するほどには、他の人は気にしていないものですから、ひとりでおおげさに萎縮しても仕方ないですし。いずれにせよ好きな作品 (嫌いな作品) へと感想文を書くときにはおのおの孤独に、自負やら恥やらをもってやってみるしかないのかなーと思います。
 そんなわけで、ご懸念いただいた点については大丈夫です! amagiさんのあずかり知らぬところですが、前回レスをきっかけに、その日のうちに思い立って『サクラノ詩』感想へは小ネタを追記しておりまして。「0.999……、無限の0.9は、1になるのですよ」という作中セリフを引きつつ、集合論がー、カントールがー、ブルバギがー。そんなうろんげな話を性懲りもなくまたやっていました。ご案じ召されるな、というか反省がぜんぜん見られなくて申し訳ないっ。やっぱり書きたいのですww


 さてさて。
 入れ替わりギミックの可能性については、わたしのほうで言えることはあまりなさそうです。にわか者としては、ひとまずもうちょいプレイしなければです。そもそも本作での入れ替わりギミックの使い方でもって期待がなまじ高まったので、amagiさんの感想にて「入れ替わり系物語では他に類を見ない、非常にハイレベルな設定です。」というのを読んだときには、ちょっと落胆しておりまして。amagiさんがご存じないとあらば、TSFにおいて類似作品を求めてもそれはあまり収穫がなさそうですよねー。
 かといってジャンルSFの話へと完全に踏み入ってしまうのは、わたし自身が次に欲しいものとは何か違うような気もします。『かいわれっ! 』(2006)について話しているわけですが、「心の均一化」系統のギミックについてエロゲを参照してみれば、まさにシナリオ・田中ロミオの『最果てのイマ』(2005) が組み込んでいたりもします。"コミュニケーション" "人のかたち" あたりのテーマとともに、その器用な豪腕でもってよく物語までもしたためていました。わたしが見た可能性とか田中ロミオの影というのは、言われてみればこっちの方向だったのかもしれません。でもあらためて考えてみれば、TSFの入れ替わりギミックとはどうも別腹な気もします。
 むしろ、わたしとしては、やはりキャラ絵やボイスの要素にもうちょっと期待したいところです。『XCA2』の美音とぜんざいカレーについても書いたことなのですけど、体(キャラ絵)・声(声優のキャラ) への執着心が強いわたしにとっては、それをあっさり入れ替えて平然と話を進めるTSエロゲって独特の違和感があるのです。そこのところをえぐっていくシチュエーションや、心の機微を、もうちょっと細かく見てみたい気はするのですよね。
 例えば本作であれば、柴森シナリオにおいて凛(優真) からしばもーへの説教がすんなり通ったりするのですけど、しばもーから凛への複雑に鬱積していた感情からしたらば、「言ってる内容はわかる。でもお前の顔が気に食わない、声も聞きたくない」となるのが人情かと思います。そこにおいて言葉と理屈なんてのは、顔というものの前にもっと無力であるはずなのです。そういったキャラ心情をフックにして、表面的な絵の印象にどうしようもなく引っ張られたり、声優さんの演技から他作品のキャラの顔まで思い浮かべてしまうわたしというユーザーに向けて、"姿見" を突きつけてくる物語だったらば何かしら感動してしまうような気はします。
 だけどもちろん、ここでわたしごときに述べられるものを見るだけでは、やはり満足できないのでしょうけど。理想のエロゲとかについて語っても、ユーザーのわたしが自分自身のニーズを知っているなんてことはまずアリエナイですよね (それを探ることは制作者の職分で、わたしはそれへ対価を支払います)。



 チラシの裏に自分語りばかりやらかした気がしますが、よく考えてみると平常運転でした。
 ときに、amagiさんの感想をちゃんと殴れないのは、むしろわたしがamagiさんの感想から影響を受けて書きはじめることが多いせいだと思います。夜のひつじ『好き好き大好き超管理してあげる』の「女神様」視点とかもパクリましたと、ここに自首するものです。『マイくろ』でも基本的な視点をもらっておき、そこに二階部分を違法増築しているような気分であります。自首します。で、でも、もう返してなんてやりませんわよっ、このツナマヨ! ほーーーーっほっほっほっほっ!!

 そんなわけで、いろいろと頂戴してばかりでございます (巻子が)。お返しできるものといえば、わたしなりの「楽しみ方」を感想文にすることぐらいですけど、お暇つぶしにでも読んでやってください。
 それでは、また。
Sek84832016年11月07日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レススミマセン、釈明を理由にもう少しだけお邪魔します。

ってかそのセリフと剃刀には「どこまで本気なんだこの人...?」と返すべきなの
でしょうがあえて「きさま!見ているなッ!」といいたい!『ナルキ』のリテイクとか
あっち見てなければ気付く率ほぼないしっ。なのにこちら一向に気付けていないん
ですが...フォロワーさんだったらマジで猛虎落地勢ですハイ。
(お心当たりなければスルーしてください。本当に偶然かもな話なので。)


そんな感じで精神的な「お礼」にビビりつつ釈明を。

というのも先の私の叫び、アレは私と同じ論文形式で書けない方、あるいは理路整然
とした考察ができない方向けのものでありまして。人には羞恥心というものがある
わけで「お前みたいに恥で感想を書きたくねーよ」と言われてしまうとそれまでなの
ですが。でも、それでも萎縮して言葉にしないのは勿体なくない?と。

落書きなら何でも書いていいってことは、それこそ理路整然とした論文形式だって
例外ではないわけで。むしろ個人で伝達媒体で起こせば好評を得られそうなものを、
あえて目の届きやすい場にて見せていただけるのですから、それは歓迎すべき事です。

ただそういった、それこそSekさんの『素晴らしき日々』評などは隙を見つける
どころか殴りかかることすらできない(少なくとも私から見れば)一つの完成形とも
いえる作品評です。それを見た私達「書けない側」は「ここまでの論評考察がある
なら自分は書かなくてもいいか」と諦観してしまいます。

けど私の恥を書くような感想でもフックさせる何かはあるわけで、そこから新たな
楽しさが開けることもあるのだから、萎縮されている方も恐れずに書いていただき
たいなと。そんな想いがあっての先のアプローチです。(反応なしに書き続けるのが
辛いのはわからなくもないのですけどね。)

なので感想に正しさや善意を持たせることだとか論評系の感想を自体を否定するとか
そういうわけではありませんのでマジごめんなさいこれからもぜひお見せください
お願いしますorz


と、いうかですね。

『すば日々』感想の建設性を否定されちゃうと私など恥しか絞り出せない生きてて
ごめんなさい的存在ですよ!論考(とその解説書)を引き合いに出して丁寧に説ける方、
エロスケはおろかエロゲー感想系サイトひっくるめてもそうはいませんて。

真面目な話、Sekさんのエロゲ評で最も衝撃を受けたのは『すば日々』です。多少なり
理解は及んでも言語解説など到底不可能だったワタクシ、一発でシャッポ脱ぎました。
(ちなみに一番嬉しかったのは『木漏れ陽のノスタルジーカ』です。)

私とは正反対の、一作品に対し精緻な読み方をなされる方だと常々思わされます。
微に入り細に入り作品へ想いを巡らせ、一つ一つ丁寧に解かれるような筆致にはいつも
感嘆させられるばかり。作品・キャラ単位の考察だけでなく何気ない所作にまで気を
置かれていて、その視点からもいつも新しい楽しみ方をいただいています。

例えば『ひま夏』はルカの「おじゃまします」だったり。
例えば『こころナビ』は勇太郎の「リンコ弁当バンザイ」だったり。
例えば『マイくろ』は沢口の「強くないよ」だったり。

大枠を俯瞰しながらも細部の機微をも捉える丁寧で外向きな論評(あるいは感想)は、
感覚に頼りがちで論点を限定的にフォーカスする、内向きな私の感想ではまず届かない
ステージにいらっしゃる、と常々実感させられます。(1作にかける時間が異なると
しても、です。)

そんな私がどうして否定できようか、と釈明させてください。
いつも以上にまとまりのない文章で申し訳ないです。


とはいえ、楽しくなっちゃってヒャッハーしたSekさんのテキストも、それはそれで
読んでみたかったり。そんな『すば日々』もちょっと見てみたかったなぁと。あと
『かみまほ』のかなたちゃんゴリ押しにはひとしきり笑わせていただきました。
「かなた好きすぎるでしょう!」とw 見た目と健気さがどストライクだったのか、
はたまた理央の扱いに対する怒りがリバウンドしたのか。とまれいつも以上に楽しく
読ませて貰えた記憶があります。

そうして自分に寄せて感想を書ける燃料と、それを与えてくれる作品というのは
やはり貴重なものだなと改めて思わされます。私も『パンドオラ』はゲーム観への
シンパシーで舞い上がり、『虹教。』はクソゲーと名鬱ゲーのコラボレにトリップ
させられ。

『かみまほ』もご指摘の通り負の燃料をくべられた結果のものですね。あの作品は
本当に良く燃えるし好く萌える。『マイくろ』を通してではありますが本作の事、
多少なり言葉を交わすことができたのは僥倖でした。より掘り下げたくもありますが、
なにぶん場所がアレですし冷静に再度読み直したい心持ちもあり。どこかでまた機会を
設けたいお題です。



さて『マイくろ』に話を戻すと、それ以前にグッズの話が大変興味深かったです。
というのも私、絵や声優買いをほとんどせずグッズも一切購入しない、新作もよほど
気にならないと購入しないクチでして。新作は直近ですと13年の『あい♂まい♀みすと』
14年の『FLOWERS』『ちぇ~んじ!』15年の『フェアリーテイル・レクイエム』と、
ロープラ作品をちょいちょい程度です。

なので「グッズで心の棚を作る」という行為には只々感心するのみです。なるほど
そうやって回避するのか、けれどシナリオ外しすぎたら憎しみ倍増もあるんじゃ?
などと考えてしまったり。それでも許されてしまうのはいわゆる「可愛いは正義」と
いうやつなのでしょうか。『かみまほ』はその補正が強そうですね。

ただ『マイくろ』をエロゲ視点でTSユーザの観点と合わせ見るなら、それはより以前の
問題「マイくろはエロゲである必要があったか?」に遡る気がします。可愛い女の娘と
性行為をする作品でありながら、その必要性をほとんど認めないのが『マイくろ』です。
より砕けば、TSユーザにしてもエロゲユーザにしても息子がお世話になりにくいエロ
しか存在せずほとんど意味を成しません。それは果たしてエロゲ、いやさキャラメインの
作品なのかと。それはシナリオ、つまり入れ替わりを用いたジャンルSFの話になるのではと。

逆にエロゲ(キャラゲー)であること必要なケースを考えてみます。
まず一つ目は主題をヒロインシナリオの否定ではなく「心の均一化」とする場合。
これなら体や声を文章以外から取り入れることができるため意味を成します。先の心の
名前を消す手法などを用いれば新たなシナリオが見えてくる気がします。文章のみでも
可能ではありますが、紙芝居ADVの方がより鮮烈に伝わるでしょうね。

二つ目は、そもそも入れ替わり作品であることを隠蔽して事前情報を流すこと。
凜やしばもーを普通のエロゲヒロインとして打ち出し、体験版は出さずに本編でだまし討ち。
プレイしたキャラゲーユーザがどんな反応を起こすか想像だにつきません。越中・百合川
シナリオが満足たる内容だとしても、ライターは刺されても不思議ではない。相当に性悪な
行為ですがエロゲとして新たな一面は間違いなく見られるかと。

そして三つ目は、これがおそらくSekさんのおっしゃっていることだと推測しますが、
ジャンルSFの話にエロゲヒロインのグラをまんま乗せることで、エロゲプレイヤーの
誤認を狙う方法。事実私はキャラとシナリオを乖離できなかったわけですが、できた
Sekさんがどのような可能性をチラ見したのかは気になります。ヒロインの存在否定
だけならグラフィックは必要ないわけですし。


ですが私がダラダラ流したこの話、エロゲキャラは関係なく純粋な入れ替えシナリオ
として、というお話であれば合点です。それはしばもー激昂の気持ち悪さであり、
越中百合川のもにょもにょであったりで、Sekさんが感想本編内や最初のコメントにて
述べられているものですよね。

ここでその手のTS作品を紹介できればよかったのですがスミマセン、寡聞にして
存じません。少なくとも全年齢コミックでは聞いたことありません。文学あるいは
大衆小説にありそうな気もしますが...いやさ不勉強で申し訳ないです。



「ほんのちょっと」といいつつ長々と居座り続けてしまいました。いつもながら
私の押し付けが過ぎる言葉にお付き合いくださりありがとうございます。『かみまほ』
の某は振り返ることもできて大変ありがたかったです。また何かあればぜひお相手して
やってください。

お礼に歯応えある物語と殴りがいのある感想をお送りできればベストなのですけどねー。
スミマセン、Sekさんの対戦相手としては私ではちと荷が勝ちすぎますw
せめてもの気持ちとして一風変わった「楽しめる」エロゲをお送りできればと思いますので、
それで堪忍したってください。んではまたー。
amaginoboru2016年11月05日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス 『ポケットに恋をつめて』ですが、奇しくも「大泉舞羽って子、顔かわええ」と思っていたエロゲだったりします。ということはつまり、わたしが虎ばさまったときには、この推しヒロインが介錯しに来てくれるのでしょうか……? プレイは未定ですが、榎津まおCVで「ぬっころすぞぉ☆」と言われる覚悟だけしておきます (どうしようヒロインに変な先入観ついた)。

 わたしなどは絵買い・声優買いの動機がわりあい強いユーザーなのですけれど、このようなキャラへの "あらかじめの" 入れ込みというのは、きっと踏み台問題のひとつ要素になってますよね。
 しばもー激昂シーンは、凛・しばもーのキャラを全否定するそのタイミングで、同時に凛・柴森シナリオを全否定しているのが巧いと思いました。物語の登場人物はどうあがこうとも紙の上の存在ですから、キャラ否定=シナリオ否定となるのはごく自然な話であって、『マイくろ』はこれをきれいにやってのけていた。
 ところがややこしいことに、物語に先駆けて抱き枕やボイスドラマなどが生産されて、そこから価値を生んでいるのがエロゲ市場の実状です。極端なことをいえば、ヒロインはその物語やその性格やその動作に先だって、あらかじめ可愛いことが決定されている。なので、たとえ噴飯もののシナリオが付いたとしても、心に棚を作っておき、その絵・その声などからキャラのみを愛でる余地というのは存在しているのですよね。この心に作った棚と、実際のシナリオのあいだに残る亀裂というのが、踏み台問題 (キャラとシナリオの対立) にまつわる心情をいっそうもつれさせていると考えます。
 しかしここで話を再び『マイくろ』に戻してみれば、キャラ(精神) とその絵・声(身体) の一対一対応をほどいていくのが入れ替わりならではの特徴です。心に棚を作らせません。なにやら入れ替わり物語には、エロゲのキャラ商売との不和があるようですが、外様のわたしとしてはかえってそこに面白みを感じたりします。入れ替わりギミックを突きつめて、それを見事に使えば使うほど必然的にエロゲキャラの個性がほどけていくさまを見せつけたのが『マイくろ』でした。キャラへの愛憎が極まっていくような『かみまほ』等とはまた別の、無感動のおぞましさをもってキャラを踏み台にしていたのが印象的です。なにかしら入れ替わりギミックの持つ可能性の、そのしっぽの毛先が見えたような気もして興味をそそられました。……ただ惜しむらくは越中・百合川についてもっと以下略



 さてさて、わたしの声高な話にamagiさんに応えていただきまして。バランスをとってまとめられた感想文への向き合い方とともに、ご自身の『かみまほ』感想への再考まで聞かせてもらい、いろいろ腑に落ちました。
 amagiさんは作品を的確に紹介して、相応しいプレイヤーへ引き合わせようとする感想がわりあい多いようにも見えるのですが、ときおりすごく荒ぶられますよね(笑) 『幻月のパンドオラ』感想はuni先輩との共鳴で終始しますし、『虹を見つけたら教えて。』感想は大草原になって。そうした我がままにもなりうる極端な話をしてもなお、気負いもなく我が身ひとつのこととして伝えておられるゆえ、わたしなどは読んでいて気持ちよいです。
 『かみまほ』感想もそのような後者のスタンスで書かれたものなのかなと感じました。もちろんわたしがあの文章に肯くことはありませんけれども、amagiさんが怒っている様子には、当時のわたしもまた読後の胸のつかえがいくらか消えたところもありまして。お話をうかがってみれば、そこはしてやられたようでなんだか悔しいですね。『かみまほ』は好きな作品なので、amagiさんの感想へと反感をぶつけれなかったのは寂しくもあり残念でもありなのだけど、やはりあの感想を読めたのはわたしにとってプラスになったのだと思います。

 エロゲは複数ヒロイン制であるがゆえに、どの女の子の顔や性格が好みだったかだけでも見方は分かれて、すんなりそれぞれに感想を書けるのが楽しいですよね。ラブレターというのは丹念に清書されていても、たとい字が汚くても、それぞれのナリで良さをもつ気がして。なればこそ稚拙でつまらない思いであっても、わたしは気兼ねせずに吐き出せるところがあります。エロゲの女の子からゆるしてもらっている気分になる。
 『かみまほ』は逆説的にキャラゲーとして優秀なようにも思えるほどに、プレイヤーごとそれぞれ別の好きなヒロインがいて、きれいに分かれているようです。そしてそれが物語への態度にも結びついて、作品の強みとなっていると思います。物語と殺し合うようなヒロインや、ついに物語から甘やかされきったヒロインや、物語に踊らされることを厭わないヒロインや、物語に打ちのめされても優しいヒロイン。そうしたキャラへの嗜好が、シナリオへの賛否を乱暴なくらいに誘ってきますから、熱の込もった感想が多く出るのもむべなるかなと。


 『かみまほ』や『マイくろ』はなんとも負の感情を誘ってくる作品でしたけど、感想を書くときに、それはとても良質な燃料になるとあらためて思います。例えば、わたしの場合でしたら『すば日々』感想などがそれに当たります。amagiさんやvostokさんとお話ししたことをきっかけにあの作品を再プレイしたわけですが、感想を仕上げるにあたっては、それとはまるで別の負の感情をくべて火を起こしてました。
 かねてから『すば日々』の周りでは「『論考』も読まずに語るなよ」といった言いがかりをしばしば見かけました。そのくせ『論考』をはじめとしたもろもろを実際に紐解くことはなく「語りえぬものについては沈黙せねばならない」とドヤ顔をして、その本のカドで他のユーザーをこづくような光景。本で殴らないでください、本を持ち出したのなら読みくだいてあなたなりに説明してくださいよと、ずっと腹に貯めてきたその怒りこそは、感想を書くにいたった原動力のひとつでした。

 いやしかしまぁ、それで当のわたしが書き上げたのがアレなので、近親憎悪のミイラ取りがミイラになってそうで怖いのですけれどww 「一つの感想で作品を正しく論じ切る必要もない」「理論武装して正当性だけを追求するのは勿体ない」といったお言葉がちょっとばかり耳に痛いのですっ。それでも、高島ざくろにボケてもらいながら、彼女のもとに還っていきながら、がんばって "エロゲ感想" にはしたつもりです。……というか、わたしに理解が足らなくて、安易に書けないことばかりだったというほうが真相なのですけど!
 いざ書きはじめれば怒りもほどけてしまい、普通に楽しくなってきちゃって。「あのリルルちゃんのテケリ・リは、むしろ原典たるポー『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』における何か白いアレを示す言葉であって、つまり由岐の立った透明な白い世界へと接続しているんだぁぁ!!」などなど便所の落書きをよくしたものです。わたしは恰好をつけた感想文を書きたがる人なので、そのあたりのうろんげな話は清書のときに除いちゃったりもするのですけれど、もっと恰好つけないで他の方から気安くツッコミいただけるような隙を残しておいたほうが、より建設的な感想文になるのかなぁとかは悩みます。

 そんな経験もありまして、感想に正しさや善意をもたせる必要性・利益は少ないというamagiさんの見解には、(やや身につまされつつ) わたしも肯くものです。
 そもそもエロゲの "正しさなるもの" 自体が変わっていってますからね。もちろん個々人の意見はいつだって色々ですが、例えば、シリアス・泣き・鬱にたいする受容というのもひと昔前とはまるで違っているわけで。かつて葉鍵の時代には「泣けずばエロゲに非ず」みたいな言葉がお決まりのジョークだったのと同じようにして、今では「シリアスならばエロゲに非ず」といった言葉がそれにとって代わり、私たちのお気に入りの符牒として流行しているふうにも見えます。ともすれば「クソシリアスはクソだ」といった酷くナンセンスな文からすらも、何かしら意味が汲めるような気がしてしまう現在のわたしです。エロスケに十年前に投げられた感想をわたしが今読んだとしたなら、前提とする文脈が違うゆえに、当時の誰かが読んだその感想とはやや別ものになっているわけでして。
 そして、また針が振れることもあるでしょうけど、もちろんかつてと同じようにシリアスが求められる日なんてのは絶対に戻ってこなくて。次はまた異なったかたちへと今現在の萌えゲーが否定されていくのでしょうから、正しさを声高に求めるのはやはり苦しいことで、わたしは怠け者ですからあまりしたくないと思います。


 どうも要領を得ないレスになりましたが、まとめると、「みんなで幸せになろうよ」といったところでしょうか (剃刀つながり)。なんだかお互いに懺悔大会になってしまい、ひと足早くクリスマスでもきたみたいですね。あと『かみまほ』の話を突きつけてごめんなさいです。
 なんにせよ、やいのやいの言っててもエロゲをやらなきゃはじまらないわけで、その点でamagiさんには本当によく背中を押していただいてます。当然ご存じないでしょうが、変なところではねこねこソフト『朱 -Aka-』とかも影響受けてプレイしていまして。
{
amagiさんの改稿なさった『narcissu』感想
 ↓
なつかしや片岡ともの旅情
 ↓
「120円の冬」読みたい
 ↓
(砂漠からの呼び声!!)
 ↓
『朱』
}
そんな紆余曲折から行き着いて、楽しくプレイいたしました。

 ではでは、このお礼はいずれ、精神的に。
Sek84832016年11月03日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス以前より『マイくろ』のことご存じでしたか...あのキャラグラは詐欺に近いですな。
他にも凛の縞パンとかフェチ要素あるなのにフタを開けたらアレですからねぇ。でも
百合川メインだったよエチも2シーンだよ柄タイツもあるよやったね!(吐瀉白目
キス恋の有海といい、Sekさんの推しヒロインでぬっころすエロゲしか挙げてない気がするw

仰るとおり、越中・百合川が綺麗に収束されていたら満足できていたと思います。しかも
終局数手前までは掛け値なしに見事だった。それだけに、ってヤツですよねコレ。
せめて越中側で記憶保持エンド、あるいはご提示いただいた「心の均一化」エンドがあれば。
百合川側で無個性という個性が掘り下げられていたら。んーたらればしか出てこない。

もう少しこの手のギミックを見てみたい、と思いつつ各メディアで巡りあえていなかった
のですが、なるほどジャンルSFですか。そちら方面明るくはないのですが、フェミニストSFと
いわれて萩尾望都の漫画群やゲーム『ガイア幻想記』などを思い出し納得です。(ガイア
幻想記は攻殻機動隊のがアプローチが近いか。)折を見て手を出してみたいですね。



『かみまほ』感想にて広げた「稚拙表現」等についてですが、ゲロってしまうと私も
ライターの至らなさだと思ってます。意図的にハンロンの剃刀を無視しております。
そうして逃げ場を減らしたあと「設定」で固めた話作りに一突きズブリ。「作品に
負感情を持った読み手の溜飲を下げる」のが目的でした。

私も悪感情を抱いた一人だったのは事実なわけで、同じ気持ちを抱いた方が僅かでも
楽になれれば、という意識は少なからずありました。自身の感情任せな部分と7:3ぐらい
でしょうか。そこへ「キャラ個性を意図的に踏み台にする性悪シナリオだ!」と叫んだ
ことで、目的の半分は成せたのかなと自負しております。なにより私自身、胸がスッと
しましたしwww


お金を取るわけでもない感想や考察です。必ずしも正しいことを書かないといけない
なんてことはありません。作り手へダイレクトに送るわけでもありません。悪意だけ
ではなく、前向きな目的を意識しての行動です。であれば、読み手が振り回すのも
決して悪いことだけではないのかなと。

更にいえば、一つの感想で作品を正しく論じ切る必要もないと考えます。せっかく
無償で正当性を求められない場にいるのに、さも学会論文がごとく理論武装して
正当性だけを追求するのは勿体ないと思うのです。

たとえ稚拙だとしても、感じたことを素直に吐き出せば他の方が綺麗に清書してくれる
ことだってあります。そこから新しい切り口が見つかることだって少なくありません。
逆に間違った解釈だからと、悪意あるコメントを貰うことはほぼありません。作者が意図
していなかったとしても、別に誰が困るわけでもありません。感想が丸被りでも気にせず
自分の言葉で上げればいい。気になるなら被り先にコメント(投票)すれば文句も出ない
でしょう。

お金を取っているなら責任が生じますし、学会等での不確かな考察はもっての外です。
けど「須らく考察・批評は厳正であるべきだ」という風潮には待ったをかけたい。よく
2chで「便所の落書き」扱いを受ける批評空間ですが、落書きには落書きのいいところ、
建設的な楽しみ方ってのもあります。それは最大限利用されるべきだと思うのです。

結果自分が満足できるのであれば、自論を振り回そうと好き勝手に書き手を解釈
しようと、何でもアリでいいんじゃないかなと。そんな風にSekさんの仰られる
「個性・作家性を見ること」を(状況が限定的ではありますが)別アプローチからも
同意したい次第です。...できてますかね?w


同時にフリーダムなだけにより節制が必要であるとも「個人的には」考えます。先の
『かみまほ』感想だってファンからすれば不快な代物なわけで、そこは低得点をつける
ことで読まない選択肢を渡したつもりです。

また『紙の上の魔法使い』は欠点以上の素晴らしい長所のある作品です。所感では
さんざ貶してはいますが、シナリオ・主題・作品構成・トリック・踏み台前提のキャラ
メイキングは一級品といって差し支えありません。グラフィック面も背景は綺麗に、
ヒロインも可愛らしく描かれていました。

そういった面を批判のテンションを落とさず評することが私の「責任」でしたが、
拙筆もさることながら自身の負感情が冷静な判断を拒んでしまった面がありまして。
結果上辺っ面でしか好評価できなかったのは落ち度ですね。「負感情を持った方への
再評価の薦め」というもう半分の目的は成せませんでした。以後の課題です。

『マイくろ』にしても同様です。前回コメントで述べたとおり、しばもーガチ切れ
シーンの感情を切り分けられていないのに、筆者へ不快感を寄せてしまったのは私の
落ち度です。そこは「表裏一体だよね」では済まさず、Sekさんからご教示いただいた
訓を元に見方を変える努力だけでもしたいところ。キャラから目を離す読み方を、
それこそジャンルSFあたりから学ばないとですね。

楽しむのは結構ですが、虎渓三笑のち周りに不快を与えたり、自らの不明に気付け
ないのは望むところではありません。その辺は常に意識したいところです。
ただ「節制」に関しては他者に奨励はしないしできません。倫理の押し付けや道徳で
事の是非を断じるのもナンセンスなので。あくまで個人的には、です。



ともあれ曲解誤解を恐れて避けちゃうのは勿体ないですよね。Sekさんの仰られる
ようにそこから真意に近づけることも多いですし、個性・作家性の追求欲も満たせる。
何より楽しい。しばもー激昂シーンはその辺を満たせるシーンだったから、嫌悪感を
むき出しにしながらも想像をより巡らせてしまえたわけで。『マイくろ』の名前を
出した身としては共感いただけたことに喜び半分、安堵半分です。

そして改めて、新しい切り口をご教示いただけたことに再三ではありますが御礼をば。
特に『マイくろ』は胸糞ゲーで切り捨てられがち。向き合えて貰えたことにテンションが
上がり「中身なくてもいいからとりあえずお礼伝えとけ!」で書いたのが先のスカスカ
コメントです。そんな勢いで事を運ぶ身ではありますが、今後もお付き合いいただければ
幸いであります。



◆余談
『こころナビ』は無粋を意識しつつもあんな感想に。なんもかんも言葉にしたがるのも
なーと思いつつやっちまいました。ただ『幻月のパンドオラ』にも同様のテーマが通底
していたのに気づけたのは収穫でした。真姫ちゃんの「いいこと、みっけ」はこれだった
のかーと。再プで改めて向き合いたいところ。

『さくらにかげつ』は欠点の多さこそ『マイくろ』と似てますが、中身は正反対で
かなりの薄味ですね。少なくとも後ろから刺されるようなことはないw
妙か不手際かはやはり十人十色でしょうが、細く儚い波長を好む私にはありがたい
作品でした。

一品もの、という点では『ポケットに恋をつめて』が印象的です。揺れ動くバナーが
妙ちきりんなエロゲですが中身も一風変わってまして、あの珍妙さは一見の価値あり
かなと。E-moteよろしく動く立ち絵などクセも強めで無理強いはできませんが...と
新たな虎ばさみを仕掛けた所で本日はお暇いたします。

ではではー。
amaginoboru2016年11月01日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス お久しぶりです。ご無沙汰しておりましたこと平に、平にご容赦下さい。
 そしてすかさず、よくもこんな難儀な作品を手に取らせてくれやがりましたねコノヤローと蛙轢死態 (TSモノなので)。

 ……いや失礼しました。いつもながら面白き物語に引き合わせてもらい、ありがとうございます。そしてプレイを終えた身には、amagiさんの「このエロゲを手に取らせてしまった感」がよくよくわかります。うん、これは、すごくオススメできないww
 土台になる凛・柴森シナリオからしてぐらついているから、船酔いのような胸のムカムカが消えません (『紙の上の魔法使い』とかは一度吐いちゃえば楽になるのですけど本作はそれが無理)。真骨頂となる百合川シナリオですら生理的・倫理的にNGとなりやすい。しかも、それで何を得たのかというと答えづらい。全体的にビミョーというしかないのですが、その全体的なビミョーさゆえに核心のところのビターがまた味わい深いという。すごく始末に負えn……もとい噛みごたえある作品でした。

 この作品については、かねてから、いずこかで目にした百合川真冬の柄タイツだけ存じ上げてました。大雑把にトーン貼り付けたような塗りなのですけど、妙にあれが気に入ってしまい覚えていたのです。なのでamagiさんからタイトル名をうかがったときには、あの柄タイツが『マイくろ』なるTSFであることを知り、そこになにか妙なご縁を感じたものでした (柄タイツとの)。
 ところが前途多難。今回プレイにあたってエロスケ確認したらば、お目当ての百合川がサブとか表記されており「えー」ってなりましたし。本編はじめてみるとメインヒロインがご覧の有り様だし、最初のうちは百合川が全然からんでこなくて「えー」ってなりますし。ついに例のしばもー激発シーンにいたっては、百合川がなげ返す微笑みのあまりの邪悪さに「う゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛」ってなりますし。百合川真冬は、まこと名状しがたい何者かでした。これではみるCVがなんぼ可愛らしくたって、もう柄タイツどころじゃないのですよ。わたしがこれまでずっと彼女に向けてきた純情な感情を返して! わたしの柄タイツ返してよっ!?

 しかしながら、amagiさんがすでに詳細に書くところですが、越中・百合川まわりの伏線の張り方はなにげに周到なのですよね。そうして良くも悪くも百合川ゲーとして収束していく作品なので、その点ではわたし喜ばしかったです。あの入れ替わりギミックの用い方にはかなり期待がふくらんで「あ、こういうTSこそをわたし読みたかったのかも」とまで思ったりしました。
 それだけに、なまじ期待してしまったから、描き込みがまるで足りないままに終わってしまったのには、ほぞを噛みました。凛やしばもーを犠牲にしてこれほどのシチュエーションを整えたのだから、そこから越中の性の葛藤なり、百合川の「化け物」なりの、キャラの部分はもっとじっくり掘り下げてみて欲しかった。そんな心残りがだいぶ強いです。

 このあたり『マイくろ』は完全にTSギミックのほうにねらいを向けていた印象ですよね。
 田中ロミオ原作という話とつながるかは不明ですけど、今回のプレイ中には、なんだかジャンルSFっぽいアプローチをとる作品だなぁとか思いながらプレイしておりました。それで越中との関係では、ル・グウィン『闇の左手』(フェミニストSFの代表格) とか思い起こしたり。記憶の改ざんや、心の並列化や、百合川が「これで自分を残せるの」と言ったりのシナリオからは士郎正宗『攻殻機動隊』まで思い起こしたり。
 (設定の緻密さなどはさておき) キャラが従でありギミックが主になってしまっているあたり、根本的にジャンルSFのほうにアプローチ手法が近いようにも感じます。それなのに、なまじキャラゲーの様式には落とし込もうともするから微妙に全体がひずんでいき、キャラを目で追えば追うほどその微妙にひずんだ情景に悪酔いしてしまうという。いっそステレオグラムみたいにして、がんばってキャラから目の焦点をズラしながら見るによい作品なのかもしれません。


 さて。
 『紙の上の魔法使い』の頃を思い出しがてら、「シナリオにキャラが踏み台にされる物語」とライターについてちょっと喋らせてください。

 ちょうど昨年の今頃でございましたか、『駄作』やらQ-X作品やら『かみまほ』やらと、行く先々でamagiさんとプレイ作品がニアミスして楽しかった時期がありました。特にamagiさんの『かみまほ』感想には心を動かされたので、時候の挨拶がてらに殴り込みかけたいなぁと画策したり (蛙轢死態)。なのですが、作品への価値判断はまるで違えども事実認識についてはほぼ一致してるように思えて、有効打となる殴り合いに発展しそうなポイントを見つけることができず。どうにも猫パンチしか繰り出せそうになかったので諦めちゃいました。
 『かみまほ』には、わたしもシナリオ中盤あたりでいったんキレております。「いやそこへのルール追加はいくらなんでも後出しすぎるだろが! 今までわたしが頭ひねったぶんのカロリー消費ぜんぶ返せよ! おい、かなた、焼きそばパン買ってこいや (※とばっちり)」そんな感じに荒ぶってました。結局のところは、かなたちゃんスマイルが最強すぎて笑ってしまったので、すべて良しとしたのですけど。
 あれもまたキャラ個性を殺しにかかってくる物語でしたが、わたしなどは読後に、もう意地でもキャラ別感想の体裁で書いてやるからなこんちきしょうという気分でした。なんとも消化に悪い作品でして、いまだ頭から離れずおります。

 わたしから見たときに、amagiさんの『かみまほ』感想でいちばん感性の違いがあったのが、エロシーンの「稚拙表現」についてや、「杜撰・短絡・ご都合な展開」についての箇所でした。amagiさんが感想文でライターの意図を見出したりもしていたそれらの箇所について、わたしはある意味よりいっそう失礼なことに「そこは単に下手で、失敗しただけなのでは?」と率直に思いました (いずこよりか「お前ナニサマだよ」「ならお前は書けるのかよ」とお叱りが聞こえてきそうで心苦しい)。
 一方では、わたしもわたしで、理央の扱いにはだいぶ感情にまかせて制作者のことをなじって糾弾してたりするのですけど、これもまた別の人の視点からしたらはげしく違和感が出てきそうです。深読みしての言いがかりとして、他の方の目に映るような箇所なのかもと想像します。
 今回の『マイくろ』でしばもーが百合川に掴みかかるシーンについても同じような事はいえます。わたしが気持ち悪さを感じた、イジメの犯人たち(緑髪黄色リボン&茶色ロング) を "実はイイコだった" にするシナリオ構成。これに対しては「イジメ犯人たちを "実はイイコだった" にして嫌悪感をひきだすのがシナリオの意図というけど、イジメ犯人たち&若田部先生の清々しい印象の一枚絵をエンディングムービーでいちいち流していたのとは整合的でないですよね?」とかの反証は想定できるのですよねぇ。凛シナリオや柴森シナリオでエンディングを迎えるたび、イジメの記憶もまだ生々しいのにあんな一枚絵をぽんぽん披露していたことからすると、実は制作側はそんな深いことまで意図してなかったようにも思えてしまう。「本当にそこまで狙っていたのか判断がつかない」。幽霊の正体見たり枯れ尾花です。

 キャラ個性を意図的に踏み台にするような性悪なシナリオを楽しむにあたっては、そこに巧みな意図を見出せば見出すほど、性悪なライターの個性を "見出す" ことになったりもします。このあたりは読み手が好き勝手にふりまわせるぶんだけ、扱いには困る感情ですよね。そこでむやみにライターの意図を見出すことにはやはり罠があって、「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」というハンロンの剃刀をたずさえておかねばと、わたしなどは反省することしきりです (Skyfish談義にひきつづき剃刀もちこんでみましたww)。
 ただ一方でこれは、ライターの個性・作家性を見ることとは表裏一体でもあります。わたしの『マイくろ』感想とかも、わたしが好き勝手に田中ロミオの影を感じたゆえに書けたところはあるのですよね。コミュニケーションへの絶望と愛着のような「内の闇を暴く一面」であったり、「ジャンルSFっぽいアプローチ」であったりという、田中ロミオの個性というものを勝手に "見出す" ことで、いくらかの誤認は含みつつも、『マイくろ』の意味をとれたところがあるのかなとは思うのです。
 まぁ田中ロミオの場合は、こうしてひそかに元プロットに関与していたり、かと思えば名義貸しだらけだったり、いちいち付き合ってもいられないのですけれどっ! 最近になって明かされた "北側寒囲" が襲名制であったという話にも、なんとも言えない困惑と納得がないまぜの感情を引き起こされて胸が悪くなったものですけど、私たちには、良くも悪くも、創作物にたいして個性・作家性を見出したい欲求があるのだなとあらためて思わされます。「お人形さん」しばもーが怒号をあげるシーンは、そういった個性への執着心に掴みかかっていきダイレクトに触れている気がします。気持ち悪かったし、面白かった、印象的なシーンでした。


 声高なことを聞かせてしまったようで、はばかりさまです。
 あらためまして、一点ものな作品を知らせていただき感謝なのです。プレイ速度がつぶれた蛙のごときわたしなのですけども、amagiさんには色々な作品を手に取るきっかけをよくもらっています。あ、『こころナビ』感想は、感覚的なところを言葉に成していただきありがとうございましたー。『さくらにかげつ』とかちょっと気になりますっ。井の中で遊んでるだけのエロゲーマーですが、どうぞまた、いろいろ教えてくださいませ。

 それでは。
Sek84832016年10月29日

71マイくろ ~オレがワタシでボクがアタシで~ (abelia)
干物みたいに潤いがないキャラ描写。けれどよく噛めばシナリオに味があるTS作品です。以前から百合川真冬の姿だけ目にして可愛いなぁと思っていたわたしは、背後から刺されました。 → 長文感想(13258)(ネタバレ注意)(6)
最新レス投票コメに収まりきらなかったのでこちらに。

新着感想のタイトル名を見ていつも以上に驚きました。というか「このエロゲを手に
取らせてしまった感」にビビりました。所謂鬱ゲーのようなカタルシスが得られる
わけでなく、TSエロ的な旨みもほとんどなし。そしてつまらない以上に嫌悪を突き
つけられる本作をプレイさせてしまい誠に申し訳ない...!

ということで猛虎落地勢(TSモノなので)
ご無沙汰しております。amagiです。

申し訳ないと思いつつ、Sekさんにマイくろをプレイいただけたのは恐悦至極でも
あり。ノベルゲー(含エロゲ)で唯一TS要素をシナリオ主題として用いた本作を
どのように読み解かれるのか興味津々でしたので。実際様々な切り口を提示いただけて
感謝するばかりです。ありがとうございました。

それにご感想でも述べられている通り、テーマの狙いはシャープで欠点ばかりの
作品ではありません。そこに多少なり何か得るものがあったのであれば、マイくろの
名前を出した身としては之幸いであります。

以下所感です。(御礼中心で中身なくてスミマセン)


◆しばもーが百合川に掴みかかるシーンの分析
プレイ中は様々な不快感が一挙に押し寄せてきて、感情の出所を特定しきれません
でした。そこを一つ一つ切り分けていただけたのはありがたい限りです。特に「凛と
しばもーの個性を好きになれないからこそ、薄気味悪さが際立つ」という指摘には
合点でした。あのヒロイン(特に凛)に泥を塗りたくる個別にも意味があったのだなと。

どうにも私、シナリオにキャラが踏み台にされる物語のどこかに地雷があるようで、
嫌悪の対象はライターへと向いていた記憶があります。しかし『紙の上の魔法使い』
との類似性を冒頭に提示されていて、あぁそういうことだったのかなと。自身の苦手と
シナリオの間に明確なパーテーションを置くことができました。改めて御礼をば。


◆心の均一化
ここに優真の聖人君主キャラがひっかかるのか!と目から鱗でした。百合川との
同一性にヒロイン達の自罰願望、なるほど納得でした。プレイヤーの姿にまで踏み込む
見解も興味深いです。主人公と読み手の同一性ってエロゲあるあるお題の1つですから。
そこへメタ的に切り込んでいるのだとしたら脱帽です。

同時にどこまで計算しているのかはわからないなとも。以前Skyfish談義でも似た
ような話が挙がりましたが、今回も同様ですね。手落ち・欠点があまりにも多くて
本当にそこまで狙っていたのか判断がつかない、というのが本音です。

ただシナリオの後ろにいる人物、原作の田中ロミオ氏までをスコープに入れるなら
狙っていたとしても納得です。氏の物語は内の闇を暴く一面がありますので。
ライターの神堂劾氏はツイッターで「原作というか元プロットは参考程度にしかせずに」
とおっしゃっていますが、どこまで踏み込んだのかは不明です。

参考URL(棘まとめです。)
http://togetter.com/li/9034


◆沢口さん
確かに可愛かったなぁ。普通のエロゲな雰囲気で実家みたいな安心感がありました。
ライターの神堂劾氏はこっち系のが得意そうなんですよね。
『私が精液中毒なのはお前のせいだ! ~お嬢様は僕の××なしにはいられない~』
とか良くできたツンデレ系イチャラブでお世話になりましたし(聞いてない
amaginoboru2016年10月27日

76駄作 (CYCLET)
頭のおかしな物語。しかし手もとは的確でした。活け造りのような手さばきでヒロインの個性を削り出してゆき、その薄汚れた血をインクにして、理解しがたい遠い夢を描いていく "駄作"。でもアリスはそのあたり完全に失敗してると思うのです。 → 長文感想(10241)(ネタバレ注意)(2)
最新レス
 お久しぶりです。

 おかげさまで、ぢぬしライフからは抜けだし、いつもどおりの小作人ライフを送っています。実を申しますと、あの感想文そのものは、ひととおり身の回りを落ち着けてから書いたものでした。せわしない日々に追われ、これは条件ばっちりと『相思相愛ロリータ』へ逃避したまでは良かったのです。ところが、せわしなく感想を書き起こしてみると、いちゃもんつけるマシーンSek8483と化してしまいまして。
{
クンデラ「キッチュもねぇ!」
 エズミ「汚辱もねぇ!」
ニーチェ「えーごーかいきも何にもねぇっ!」
}
こんな調子でした。やはり自身の手だけはいつでも綺麗に冷たくしておかないと、心にこみ上げる汚辱を文章にしたためてみても、人様に見せたいものは仕上がらないなぁと思いました。本編にならい、ぐっすり寝かせたあとに書き直したのが今のかたちとなります。

 残響さんも、どうかご自愛くださいませ。


 では、本題。
 『駄作』感想は、読ませていただいておりました。自己表現によく着目しているのが、ちょうど美術テーマのエロゲを終わらせたばかりのわたしにとって、ひときわ考えさせるものでして。さらには、レスにおける「ミキシングビルド」の観点も、残響さんならではの実感をそなえた『駄作』の姿であり、とても興味をそそるお話です。

 なのですが、ミキシングビルドを焦点にしてお互いの評価を見比べるとき、どうも残響さんとはそもそもの前提が別となっているようにも思えます。残響さんの、ミキシングビルドおよび最終ルートについての記述がこちらですね。
>>
いい意味では、それは彼女たちに対する愛情、友愛の精神ですし。
悪い意味では、各ルートで得た「傑作」としての彼女たちの形を、バラしてしまって、短絡的にくっつけた、という意味でもあります。
<<
それに対して、わたしは由貴のあのミキシングビルドこそが、各個別ルートと最終ルートをつなげて並立させる鍵であると考えています。わたしは感想で、このように最終ルートを評しました。
>>
 そのような一瞬の輝きを見たあとには、最終ルートで「みんな仲良く」の願いが叶ったありようは、美談にもなりゃしない、なんとも情けない話にも思えるのです。ある意味では、ヒロインたちがひとりひとり理想を彫り出していった、その削りかすをかき集めたようなシロモノです。
<<
この理想を彫り出したときの削りかすというのが、枢の男根、華愛美の手足、そまりの乳房です。それぞれ、枢が捨てたかった自分の男性 (暴力性) であったり、華愛美が捨てたかった人を傷つけうる能動性だったり、そまりが捨てたかった「奪われるだけの女性」なるものを象徴する部位。
 ですので、それらの "要らなくなったパーツ" を取り外し、集めて、組み合わせた由貴の行いこそが、個別ルートと最終ルートをきれいに両立させる鍵の片方になっている。そのように、わたしには見えております。鍵のもう片方となるのが、個別ルートで明かされた枢たちの理想です。そのプレイ体験を経て、彼女たちの理想に沿った形で「バラして」たのが了解されてはじめて、最終ルートはアンロックされる。私たちの理解などは望まずただ理想を彫刻していた個別ルートと、その彫刻した削りかすの部分をもって成り立ち私たちの共感を欲した最終ルートが両立します。
>>
【枢】「嬉しいなあ!! 今まで生きてきた中で一番嬉しいっ!!」
【枢】「こんな喜び、もう二度と味わえないよっ!! 私の人生、最高だったっ!!」
由貴くんが股間を往復させるたびに、私の脳漿が火花のように舞い散る。
少しずつ、でも確実に失われていく。私の全てが。
全く怖くない。
この歓喜、誰かに理解されてたまるか。
<<
 シナリオ構造としては、(ミキシングビルドを行うにあたり) パーツの過不足は起こっておらず、いずれかの肯定がもう一方の否定になることもないように考えます。むしろ『駄作』全体をひとつの作品として矛盾なく受け取りたいがゆえに、最終ルートを、個別ルートで削った部分の集まりとして、わたしは見なすことにしました。

>>
なんというか、各ルートをそれぞれ「彫刻していった末の美」と捉えれば、それをバラすなんて!というのは、まさに「駄作」に堕ちてしまった、中途半端なもの、としてしか写らないかもしれません。
おそらくSekさんは、このあたりで、由貴くんのミキシングビルドが「つまらない」お見受けされたのでしょうか?
いや、手法にこだわるのは、モデラ見習いとしてのぼくの、悪い見方かもしれません。単純に、由貴くんの作ったミキシングビルドの「アリス空間」が、そもそもつまらないものだった、というところだったのでしょうか?
<<
よって、こちらへのわたしの回答は、後者寄りとなります。ミキシングビルドの手法をつまらないと感じたというよりも、個別ルートの彼女たちに感動した "その後" では、最終ルートの「アリス空間」のありようが単純に気に食わなかったのです。

 アリスを口汚く罵ったのはレトリックであって、『駄作』感想において「好き」と言葉にするならば、クロエの流儀を真似てみたいと思ってのことでした。しかしながら、枢のちんこの件については、普通にブチ切れていまして。それは枢ルートにおいて、どんなに猛り狂ったとしても、由貴の穴を「普通」に使うことを彼女が断固としてしなかったからこそでした。CV柚木サチの優しく泡立つような声づかいも合わさって、女の子であることを最後まで貫くその姿に感じ入りました。それが最終ルートで「た、たまにはこうやって、メス穴にちんぽ挿れるのもありだよねっ……ふへぇっ!」となるのは、ちょっと勘弁なのです。個別ルートを真逆にしてみて、最終ルートにずっぽし差し込んでしまうような短絡的なくっつけ方は、あまりに乱暴だと感じました。
 そこでいったん反感をもつと、そまりが微妙に人当たり良くされているあたりにも違和感が出てきまして。「みんな仲良く」とかに我慢できる子ではないはずなんです。彼女は、まだまだうんこひれるはずなんですよと、そんなふうに悶々としていたところに、納得できないラストシーンがきてしまったのです。リアリティについて話をはじめた動機、そのもとになったわたしの拒絶反応というのが、この最終ルートのまとめ方に対してのものでした。
>>
【そまり】「普通じゃねーですよ、そまり達は……。きっとこんなところ誰かに見られたら、気持ち悪がられるんでしょうね……」
  【枢】「ふふっ……案外、私達みたいな駄作を愛してくれる人も多いかもしれないよ? こうやってさ、身を寄せあって、慰め合ってる姿に興奮するような人間…………」
だとしたら――
 【由貴】「――そんな人間も、僕達と同じ駄作だね……」
<<
そんな簡単なくくりで、わたしをはじめ、『駄作』プレイヤーの多くを十把一絡げにここに加えてしまって良いものかと思います。あまりにも "化け物" 同士の相互理解に楽天的すぎるから、ちょっとその話には乗れない。わたしはごく平凡な人間ですから、したがって、自分のなかの "化け物" を目にする機会もままあります。なので彼女たちにいくらかの親近感もあって、その幸せはわりと素直に喜べる。ですが、向こう岸にあったその幸せを、いきなりこちら側にまでお裾分けされても、それはノーセンキューでした。


 さて。
 わたしの理屈としては以上のようになります。ただ、残響さんがおっしゃるところの要点は、さきほどのパズルじみた理屈などではないような気もしまして。ミキシングビルドによる見方はなんとも魅力的ですね。

 お話を伺っているうち、ちょっとプレイ当時を思い出すところがございました。
 一周目で猟奇殺人をするときの、そまりのおっぱいを削り取っていくシーン。あそこでわたしは、"アリスの誕生日プレゼント" という物語的意味は飲み込めたものの、いまひとつ腑に落ちきってない感触もあって。そこでふと思ったのは、ヒロインのおっぱいを大きくしたり小さくしたりといったキャラメイク作業にもっと親しんでいたなら、もっと由貴の情念に近づいて、より面白き感情が引き起こされていたかもということ。例えば『Sexyビーチ プレミアムリゾート』とか、『カスタムメイド3D2』とかいったタイトルでなされるような、ヒロインの身体を自由に造形していく行い。そういった実際の経験をくり返して、"手続き記憶" をより蓄えていたなら、あれらのキャラを切り刻むシーンにはいっそう興奮できたのかなぁとか想像しておりました。

 そのようなわたしのプレイ感と、残響さんの言うことを考え合わせたとき、キャラの造形をすることについての経験の違いは分水嶺になったのかもと思うのです。わたしはピグマリオンの神話やヒロインの肉体への「彫刻」について話しながらも、基本的に比喩的なエピソードとして頭でばかり語っていたのですが、残響さんはモデラーとしての手で覚えている感覚でもって「アリス創造」を語っていらして。ひいては、ご自身の感想でも「自己表現」となる小説や音楽や絵へと話を着地させていらっしゃるのが、エロスケ感想のなかでも特有な観点かと思います。そのあたりの残響さんには多くてわたしには少なかった、ものづくりへの愛着とか、実際の経験の差というのが「アリス創造」の見え方を変えて、転じては最終ルートへの読感を分かつことになったのかもしれないと思いました。
 できれば、それぞれの身体の部位にまつわるエピソードとか思い入れが彼女たちの口からもっと語られていたならば、わたしをはじめプレイヤー一般にも由貴のミキシングビルドがより共感しやすかったかもとは思います。しかし、そこで共感を求めたとたん『駄作』のそもそもの骨組みが崩れてしまいそうですし、悩ましいものですね。


 さてさて。
 P.K.ディックの黒髪ヒロインもそうですが、ねじくれ少女・裏切り少女とかは好物だったりします。たしか残響さんは、『恋×シンアイ彼女』も買っていらしたと思いますが、新島夕によるねじくれ少女・裏切り少女の描き方とかは、わたしの気持ちのそそり勃つものがあります。
 アリスなどはもう典型的ですね。『駄作』は、プレイヤーの感情移入をほとんど排しているのが長所でもあり短所でもありますが、アリス・クロエは、残響さんも書いておられるような合わせ鏡となっていて、その間で無限に反射する空間の広がりを錯覚させた。そうしてキャラ内面の薄っぺらさにも関わらず話をよく展開できたゆえ、シナリオとしては頭ひとつ抜けていたように思います。アリスのキャラは、あまり人気なかったようですけどww

 わたしの場合、小宮裕太の「ウソ輪姦マネージャー話」とかも問題なくイケる口でして。なにやら複雑な文脈がファンの中ではあったのでしょうか。なんにしても、やはり「アブナくも、しかし安心」というバランス感覚が絶妙ですよね。小宮ヒロインズには、リアル夜道で出会ったら普通にビビって逃げたくなるオーラをまとっている子が多いですし。なんというか、物語のなかでしか存在しえない儚さと美しさをもっている子が多くて、しかし、その線の細さをガラスの器に充填させた幸せな気体 (アブナい) でもって永久保存しちゃっているような。向こう側にしかない幸せを、堂々と、真剣な顔をして語ってくれる作者さんというか。そういった点では案外と、『駄作』が向こう側の物語に (リアリティのない理想気体みたいな有り様に) 徹したのとは類似するのかもしれません。
 それにしても、怒涛の小宮ラッシュに、すっごい浅い愛好者であるわたしはたじたじですww エロ漫画自体にそれほど詳しくもなくて。エロゲから離れていた二年ほどの間に読んでいた感じなので、完全に心をもっていかれたのは小宮裕太の「沢渡さん」であったり、宮居史伎「ホログラフィ・スカイ」であったりとほんの数点くらい……って! 今しがた、宮居史伎のつづりがあやふやで検索したら、ブログに「活動を休止しておりましたが、この度執筆活動を再開させて頂きました。」とか三年ぶりの更新がされておりまして。以前に残響さんが、小宮裕太の件で狂喜乱舞していた気持ちが今わたしちょっとわかった気がします。良かった。

 宮居史伎「ホログラフィ・スカイ」は、銀の髪、銀の瞳、折れそうな身体の女の子の春を買ったはずが、いつの間にか絵の描き方を教えているといったストーリー。あまりにも綺麗すぎて救いようがなくて騙されたくなる雰囲気のお話でした。
 わたしは、いわゆる不幸萌えをこじらせてるきらいがありまして。例えば鹿島と聞けば、もとみやみつき描く、報われない鹿島しか思い浮かばなかったりします。鹿島さんは人の願望を映す鏡なのでしょうかね。いやそも提督になったことがないので、鹿島にどの程度のアイデンティティが保たれてるのかとかも知らないのですが。
 ともあれ不幸萌え気味のわたしとしては、幸せなイチャラブを志向する残響さんと話が合うのがいつも不思議ではあります。「幸福と不幸とは何が違うのでしょうか?」……というのは、つい先日からわたしが感想を書きはじめた『サクラノ詩』のテーマです。ちなみにここにも、わたしの心の琴線を引っかけていった子がおりまして、ひょっこり裏切っていくやり口が可愛すぎでした。まだ下書きなのですけど、「いったい何様」とか「ざまあみろ」とか、すでに彼女への愛情があふれそうになっております。
 それはさておき、天才と凡人の何が違うのかといったテーマもからまった作品であり、名があがるのもゴッホ、ゴーギャン、中原中也、宮沢賢治などなどの、なんか人間的に大変すぎるお歴々でございまして芸術がつらい。その感想文を書きはじめた折でしたから、残響さんの『駄作』感想とモデラーとしての見方には、なんだか妙にタイムリーに考えさせられるものがありました。


 さてさてさて。
 実は、わたしの父はスケールモデルの人でして。積んどくモデラーです。
 かつて、ご幼少のみぎりにわたしは言ったものです。「まったくお父さんは、中身スカスカでかさばる箱をなんだって部屋いっぱいに積んでおくんだろう? どうせ仕事とかで、買ってもやる暇ないくせに。地震きたらどうすんだよもう。ちょっと考えなしだよなぁ」ご聡明にも正論たてあそばれまして。……黙れコワッパ。たとえ中身がスカスカの箱だろうが、人にはそれを積まねばならぬときがあるのだ。

 そんなふうに、プラモデルの箱の峡谷のなか遊んでいたものですけど、わたしは、まっっったく興味を示さずに育ちました。ただちょっとしたきっかけがあり、今年の正月に帰省したときに、父が積んでるやつをひとつ貰って作ってみまして。姪っ子に連れられてスターウォーズの新しいやつ観てきたところだったので、作中の二足歩行機械AT-STにしました。
 ほぼ初めての経験でしたけど、パーツを切り離してゲートのところを処理しているとき、ナイフを動かしているうち無心になっていくのが何とも心地よいですねぇ、あの作業。普段づかいで酷使している脳みその部位が休まって、そこのしわをベロ~ンといったん伸ばす感じにほぐれまして。手先作業がダメなわたしなので、綺麗に削りきるのはけっこう難しかったのですけど、色々と忘れて没頭できました。あと、ガンプラとかでも多色成形部品とかが近年はすごいのですねー。金型とかもうどんな工程になってんだよという感じ。色々と面白いものですね模型。

 ちなみに実家から帰るとき、駅まで送ってもらう車のなかで父がやにわに口を開きまして。
{
「しかしなんで、急に模型やってみる気になったんだ?」
「あぁ、いや、なんか最近ネットで話した人が模型やってて、なんとなく」
「そうか」
「そう」
「……」
「……」
「……あー、礼を言っといてください」
「え? あ、はい、わかりました」
}
みたいな会話になりまして。そういったわけでして、なんと言いますか、どうもありがとうございました残響さん。

 それでは。また。
Sek84832016年05月30日

76駄作 (CYCLET)
頭のおかしな物語。しかし手もとは的確でした。活け造りのような手さばきでヒロインの個性を削り出してゆき、その薄汚れた血をインクにして、理解しがたい遠い夢を描いていく "駄作"。でもアリスはそのあたり完全に失敗してると思うのです。 → 長文感想(10241)(ネタバレ注意)(2)
最新レスこんにちわ。お久しぶりです。前回ウチのブログにコメントいただいてから、だいたい半年ぶりですね。その後お変わりありませんか。というかぢぬしライフは、回復を見せましたでしょうか。おいたわしや。
マァ病状ということでいえば、かくいうわたしもイマイチな状態が続いてました。この2、3日でそれなりの回復を見せたのですが、しかし明日はわからない。Sekさんの鮮血も明日がわからない血潮でありますね。まったく病気というものは、自己認識・世界認識の変革を迫るものでありますレッヴォリューション!

そんななかでありますが、先日、というか昨日(2016/05/28)、Sekさんに遅れをとることかなりですが、わたしも「駄作」の長文感想をアップしました。
Sekさんにおかれましては、自分の薦めが多少影響をおよぼしたのかしら……?というかSekさんの趣味に合わないゲームをゴリ推ししてしまったかしら……?
と、内心心配していたのですが、しかし、楽しくプレイされたようで、一安心しました。

Sekさんのレビューは、相変わらずぼくはねちっこく日々の更新を楽しみにしています。ねちっこく読んでます。ねちねち。とみに最近、偶然でしょうが、自分の愛するタイトルが結構バッティングしていますので、Sekさんのレビューがますます楽しくなっているところです。

そんなわけで、今日は「駄作」と「小宮裕太」についてお話させてください。まぁこのSekさんの「駄作」レビューにお邪魔しているわけですから、そういう話なんですけど。「ひとり/ふたりのクオリア」や、「相思相愛ロリータ」「Backstage」についても語りたいですが、それはまた席や日を改めて……。

というか、まずこのことからお伝えしなくてはならなかったのですが、わたしの駄作レビューで、Sekさんのレビューを引用させていただきました。主に「リアリティのなさ」の考察と、「アリスの今後」の考察のところです。

自分のレビューがどこからはじまったかというと、それを思い起こしてみるに、やはりSekさんが「リアリティのなさ」について考察されていて、「我が意を得たり!」と賛同したところからはじまった、というものです。
というわけで、Sekさんには恩があります。どうもありがとうございました。たぶん、Sekさんのレビューがなかったら、自分のレビューも、違った形になってた可能性がありますし、また、レビューにとっかかるのも、今以上に遅れていたかと思います。

さて、本題に入るまえに、「小宮裕太」について話させてください。前回の「朱」レビュー感想のレスで、小宮裕太についてお話くだすったときに、「おお……!ぼくと同じくらい小宮を愛している人が、居たとはっ!」と、深い感激を覚えたものでした。
それからのレスですんで、ずいぶん遅くなってしまいました。しかし忘れたわけではなく、折に触れてこのことは考えていたものです。
それをここで開陳(くぱぁ)することは、なんか昔の文士の書簡っぽくて古式ゆかしいですが。

まず「残響と小宮」ということで話をするとすれば、自分は……そうですね、まだ10年には至ってないですが、小宮崇拝歴は。しかし、小宮の存在を知って以降、完全に小宮をかみさまとして崇拝するようになりました。
なにしろ、自分の求めていたおよそ全て……ラブコメイチャラブ漫画における、すべてが詰まっている。小宮には人生の大切なことがすべて詰まってるんだよ(ガルパンネタ

自分が小宮を知って……さらに言えば『沢渡さん」を知ってから、冗談抜きに、1日も漏れなく、沢渡さん妄想をフトンの中でしているのです。脳内せっくすですよ!それほど心酔しております。その沢渡さんをとくに選んで、Sekさんが語られているのには、これまた「我が意を得たり!」でした。というかSekさんの仰られることが、いちいち自分の考えてることの先をいっておられて、まさに感服すること甚だし、です。

というか、自分えろすけで沢渡さん/小宮の話しましたっけ……?あ、そうか。twitterか。
というか2、Sekさん、ぼくのtwitterまで見ていただいて、ありがとうございます。自分のブログでSekさんについて書いたときに、即座にコメをいただけたことも嬉しかったです。ああ、読んでくれてるんだなぁ、と。

沢渡さんの何がいいか。まずもって、仰るように「クールさ(襟元がいつも綺麗なひと)」と、「かわいいこと言うひと」な要素が、背反しあってるどころか、不思議な融和をみせているところですね。
この融和は、他に類をみないところでして、まさにそれが沢渡さんの唯一無二の魅力になっております。
あえて類型を探すという無粋をすれば(実はあんましたくない。沢渡さんは唯一無二だから、俺のなかでは)、東鳩2での久寿川ささら。ちょっと似ているのですが。キャラデザも、丁寧語口調も。しかし、沢渡さんは、ささらよりも確実に大人……というか、「あからさまな幼児的弱さ」がない。
「孤高の花」と呼ばれているように、もともと沢渡さんは、孝明さん(主人公)に依存しきってる存在ではないです。しかし、付き合うにつれて、可愛く寄り添い、もたれてくるそのサマは、まさに嫁であります。
どうも、ささらの場合だと、シナリオの面でも、キャラ造形の面でも、「幼さの悪」が出ているように思えて、最終的なところで、「ちょいと」と思ってしまったのも事実(もちろん、ささら萌えのひとにとっては、その幼さこそが凶悪な萌えなのだ!とするでしょうが)
あるいは、艦これの鹿島。こちらもまた、沢渡さんと類型を示しているように思えます。自分は艦これをやっていなく、せいぜい艦船模型をたまに作る程度ですが、しかし鹿島は危なかった。俺をして、沢渡さんの代理としてハマってしまいそうな怖さがあった。……最終的なところで、沢渡さんのような「凛とした」涼しさ、よりも、よりベタ甘に甘やかそうという意思が、鹿島からは垣間見えたので、すんでのところで鹿島同人誌を100冊単位で買いまくることはせんだったのですが、危ないところだった……!

多幸感。まさにそれは小宮漫画の真髄であり、沢渡さんの真髄であります。えろすけのコメ欄でこれだけ別にエロゲとは関係ないことを書き連ねていいのか、と思いましたが、いやもう止まらないマイハート! 彼方まで突き抜けてセレナーデ! ということで、もうちっとだけ語るとすれば……必ずしも、小宮漫画では、「陽」の要素ばかりが描かれている、ということではありません。ちょっとした陰の要素もあります。だがそれは、スイカに塩をかけるがごとく、アブナい感じでもって、甘さをひきたてます……と書くと、NTRとかの礼賛っぽく見えますが、そうではない。このあたりの小宮の「アブナくも、しかし安心」という絶妙のハンドリングが魅力なのです。最近作の「痴女さん」シリーズでは、最初の「好きになった理由」こそメッチャご都合主義ながらも、その後の「キワドさを狙いながらも、しかし甘あま」というハンドリングは、まさに小宮でした。
(ところで、自分は長い間、ほぼ小宮だけを狙って「ばんがいち」を買っていましたが、最近はDMMの電子書籍で小宮の短編がバラ売りされていていいですね)

Sekさんは「超然としている」と小宮ヒロインズを称しましたが、まさにそうです。媚びていない。
しかし小宮というのは、不思議な漫画家です。寡作ですし。しかし、いつも俺達の期待を裏切ったことは……あ、あった。ウソ輪姦マネージャー話……(しつこかろうが、小宮暦の長いひとだったら、このことは思い出すでしょう)。し、しかし、最近出た沢渡さんシリーズ最新話、にして、神話、「ハッピーパフィーフラッフィー」、もちろんもはや100回単位で読み返してますよ。ここにおいて、小宮は我々の欲しいものを、すべてブチこんできましたからねー……えちの最後を「絶対結婚しようね」というふうに、沢渡さんシリーズを読んできたひとに対しての、最高のキラーワードをぶち込みますから……。

なんか、小宮について語れば、いつまでも語れますな……しかしこれでは、駄作について全然語れないぞっ!

というわけで……

●駄作のはなし

頑張って上の小宮と、駄作について連関をもたして考えてみようとしたのですが……うーむ、うまくいかない。それは、小宮ヒロインズと、駄作ヒロインズが完全に非対称をなしているか、といったら、マァふつうは「そうだ!」と言葉をつむぐのですが、しかし、駄作ヒロインズは駄作ヒロインズで「かわいい」のですね。

あえて連関させてみれば、それは「思いのまっすぐさ」ってとこでしょうか。
駄作ヒロインズは、思いがまっすぐすぎて、わき目もふりません。

小宮漫画はたいてい短編ですが(まあ連作もありますが、短編連作のカタチです。ええい俺は沢渡さんの長編も読みたいのだっ)、

・エピソードを集中させることにより、エピソードでもってキャラを生き生きと描く。記号に頼らない
・短い枠のなかで語りきることにより、さまざまの考察を誘発させる
・それだけに「思いのまっすぐさ」がこちらに鮮烈にとどく

というふうに、考えることもできそうです。このあたり、Sekさんが仰った「テンポ」の性急さと、現実感の希薄さ。エログロの鮮烈さ、になってきますね
(小宮の場合、現実感のどことなくの希薄さ、というのは、翻って多幸感の日常の白昼夢めいた感じ、になるのですが。絵の線においてもそうです)

考えてみれば、駄作はミドルプライスであったから、半ばしょうがなしにこういう構造になりましたが、しかし駄作にとって、この構造はまさにジャストフィットな構造であったともいえます。

駄作の特徴として、リアリズムを廃している、というのがありますが、そもそも「くどくどと語れない」というのは「丹念なリアリズムが出来ない」ということでもあります。
そこでもっての、早まわし。だからこその異常思考がよく目立つ。それは、ぼくがSekさんのレビューでもって「なるほど」と思ったところです。


ところで、わたしは、駄作最終ルートの評価について、Sekさんとは違ってます。
「1-3」のSekさんのご指摘ですが、なるほどこういう見方があるのか……と。枢のちんこをアリスなんぞに!という視点は、ぼくにはなかったものです。
また、「そまりと華愛美を彼女たちだけでやらせている」、これはわかりますw なんか蚊帳の外、っていう感じはしますね。いやわたしは明らかに百合者ですが、しかし、もうちょっとこう、他三人に接続するカタチになれなかったんかいな、と。別にこの作品において、そまりと華愛美は特権的な百合カプだったかいな?と
(それを言ってしまえば、実はわたし、百合者といえど、このカプに萌えなかったんですよね……いや、どこに萌える要素があったか?というツッコミはまさにその通りなんですが)

いきなりでなんですが、模型工作で、キットを組むのでなしに、オリジナル作品を作る際には、
「ミキシングビルド」
という手法があります。
それに対する概念としては、「フルスクラッチ」というものがあります。

ミキシングビルドとは、すでにあるいくつかの模型、それらをバラして、複数のパーツにして、そのパーツを好き勝手に組み合わせて、「俺のオリジナル」を作る、という手法。すげえ簡単にいえば、ガンプラ魔改造です。
それに対してフルスクラッチ、とは、パーツひとつひとつに至るまで、「自分で作ってしまう。既存のパーツを作らない」というものです。これは、「完全オリジナル」ということです。

なんだか、由貴くんの「アリス創造」は、ミキシングビルドのように見えてしまって。
いや、いい意味でも、悪い意味でも、由貴くんはミキシングビルドしか選択しようがなかった、というか。由貴くんは、もととなったキット(彼女たち)を愛していましたし、パーツに対しても執着していました。
いい意味では、それは彼女たちに対する愛情、友愛の精神ですし。
悪い意味では、各ルートで得た「傑作」としての彼女たちの形を、バラしてしまって、短絡的にくっつけた、という意味でもあります。

もともとミキシングビルドは、別に醜悪な手法ではありません。ただ、「くっつけてやったゼ、俺すげえだろ」という意識がダダ漏れになってるミキシングには、あまり感心しないのが、モデラー……まあぼくは、そうです。
なんというか、各ルートをそれぞれ「彫刻していった末の美」と捉えれば、それをバラすなんて!というのは、まさに「駄作」に堕ちてしまった、中途半端なもの、としてしか写らないかもしれません。
おそらくSekさんは、このあたりで、由貴くんのミキシングビルドが「つまらない」お見受けされたのでしょうか?
いや、手法にこだわるのは、モデラ見習いとしてのぼくの、悪い見方かもしれません。単純に、由貴くんの作ったミキシングビルドの「アリス空間」が、そもそもつまらないものだった、というところだったのでしょうか?

ピグマリオンの彫刻/工作。
わたしは、あの駄作最終ルートが、「そんなに悪いもの」だとは、イマイチ思えず。
それは、ミキシングビルドも、そんなに悪いものではない……というか、そもそも由貴くん(たち)は、フルスクラッチのオリジナルを作れない存在だったのだ、ということを思えば、ちょっと悲しくなってしまうのです。
それは、未だにフルスクラッチ(完全オリジナル)がなかなか作れない、残響自身についても思うのですが。
なんちゅうか、由貴くんのミキシングビルドは、最終的に「これをめっちゃ作りたいんだ!この精神性でもって貫徹するんだ!」という、ピグマリオンの矜持みたいなものが、希薄だったことは、確かに、です。
「まどろみ」で処理してしまった。Sekさんはそのあたりを非難されるのでしょうか。その観点は、ぼくも「うーん、確かにそうかもな」と思えます。



しかし、Sekさんはアリスが大好きやで……。まさかここまでアリスにずっぽし、とは思ってませんでした、Sekさんのレビュー。
ぼくは枢に結構ずっぽしになってしまったのですが、それは……まあ女子力がねじくれて高いという、男の娘特有の妖しさにアテられてしまったのですがw
で、Sekさんは……やっぱ貴方は闇への親近性があるのかなぁ……ちうか、アリスに即して考えてみたら、「ギラギラ」性、というか。ギラついた闇の煌き(黒曜石のような)、それを楽しむことが出来る、という……。
なかなかこの観点は、自分にはなくて、ここまでアリスについて深く考察され、深く萌えておられる姿、というのは、見ることが貴重でしたんで、自分にとっても、得るところ多かったレビューです。

今回も、また長くなってしまいました。小宮の話しすぎたw
また、何か拾っていただければ、幸いです。
残響2016年05月29日

80朱 -Aka- (ねこねこソフト)
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。 → 長文感想(12223)(ネタバレ注意)(4)
最新レス >vostokさんへ

 こんにちは。
 思い出のある一作とのことで、この感想が、アラミスたちを懐かしむときのただの呼び水としてあれたらよいなと願うばかりです。わたしも素直に好きといえる作品だったので、ここから十年後にはどのように覚えているものか、はたまた忘れ去っているのかが楽しみです。

 予断をもたずにプレイしていた頃の記憶は、やっぱり独特の色合いになりますよね。わたしの場合、体験版を何本かやってから最初に買ったエロゲが『最果てのイマ』という、ちょっと笑い話めいたチョイスでした。それも評判を聞いてというわけでもなく、ほぼ絵買いです。公式ページを見ながらにエロゲに手を出すのか踏みとどまるかと煩悶して、葉子のぼやけた瞳や「自分の大切なものだけ大切にして あとはさくっと切り捨てるタイプ」なる魅惑のキャラ紹介と、どれだけ睨めっこしたことか。
 そうしていざプレイに踏み切ってみれば、案の定のことポカーン。エロゲの文脈には最低限ながら予備知識があったし、田中ロミオらしく精力的にベタ展開も作るしプレイヤーの動線も作られてるシナリオなので、物語の構造はわかります。しかし、自身が手を動かして作品を完成させるような習慣がわたしには無かったので、物語の意図には戸惑うばかり。今もってプレイしきったと言えるのか微妙なところです。
 ただ、「あの田中ロミオ」と気負うことなしにあのストーリーラインを素直に読んで(……ライン?)、それで上手な意味付けができないまま内容が飛び飛びのイメージとなったままなのも、それはそれで幸せなのかもと。なんだか、シャーリーの親しい笑顔が浮かびます。脳裏では、今もって葉子が黙ったまま不可解な微笑みを浮かべてます。変な刷り込みを受けたのか、プレイ中のエロゲのBGMが気に入らないと代わりに「ジムノペディ」を流す癖がついてしまってもいたり。そして、ロミオといえば眼球舐め。最初に『イマ』でそれを見せられたときはその行為の存在すら知らなかったので、ゾッとしました。なのに今となってみれば、アラミスの瞳から砂を舐めのぞくことには懐かしさすら覚えるという。とても深いところに印象を残していった作品で、思い返してみると……うん、言葉になりませんね。

 そうして、あの当時に戻ってもやはり同じように『イマ』を選ぶだろうなと理由のわからない確信を得るのは、ヘプタポッドB言語で思考するのにもちょっとだけ似た経験なような。元ネタはvostokさんもご存知のとおり、テッド・チャン「あなたの人生の物語」。『恋愛ゲーム総合論集』に寄稿なさった「驚きのギズモ:猫撫ディストーションが見せる目的論と因果論」は残念ながら読めずにいるのですが、『朱』感想で(おそらく)似たようなアプローチを考えつつ断念したのがわたしです。
 チラシの裏なことを勝手に喋りますと、アラミスCVの有無について書いた箇所は、音声言語の線状性(話し言葉は時間に沿ってつなげて配列される)から考えを始めたトピックでした。それを「あなたの人生の物語」のように物語と合わせ見れないものかなと。キャラクターボイスのほうがテキストよりも強く持っている言語の線状性ですが、それを序盤からどこかしら絶望的な終着点を匂わせている片道の旅(宿命をなぞるかのようなカダンたちの狂信的な巡礼)、この作品の全体構造と見比べられないかなというアイデアでした。しかし、正確な話をするつもりがないにしても知識不足から形にできなさそうでしたし、実際のキャラクターボイスと合わせて考えるのは無理筋な予感もして。どうも、主人公とヒロインの一体感に話を集中させたほうが『朱』には良さそうだったので、結局のところ、そのアイデアはリサイクルボックスに放り込んでしまいました。
 だから何だよ、としかいえない話になりましたね。このままお蔵入りしかねないので、厚かましくも未練だけ聞いてもらいたかったんです(笑)

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文学史的にはたぶん、砂漠物のジャンルか何かの文法に回収しつつ、ノマドだの逃走線だの、生物の死に絶えた砂漠の無機質で無菌的なイメージがだとのいったようなことも言えるのでしょうが、それよりは「アラミスの褐色の肌はきれいだ」と一言いうほうが説得力があるのかもしれません。
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 この作品では、動物が出てこなかったという印象が強く残りました。ウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」がその名の由来といわれる、タクラマカン砂漠あたりが念頭にあったりするのでしょうか。サボテンに張り付くサソリとか、飲水が尽きたとき頭上を無神経に飛んでゆく鳥だとかが全く登場しなかったのは、むしろ不自然なほど。子供のときファウが"けもの"の首をひねったことがほとんど象徴的にすら感じます。それとともに、食べ物もあまり美味しくはなさそうだったというか、干し肉とか、挽いた粉から作るパンみたいな加工品となってから物語に登場してくる。意図されていたのかはわかりませんが、どこか現代都市じみた、ひたすら人間しかいない茫漠さを『朱』は見せつけている。
 ……という文章を、実は一度は書いていました。結局、そんな論を感想本文からキックしてしまったのは、わたしにもやはり魅力的な見方でなかったためです。最初に砂漠を渡るときBGM「砂の城」が鳴らされると単純に「おおっ!」ってなりましたし、日常的に積もっていく砂を眠る前には拭いとっておく儀式に安らぎ、「お姉ちゃん」との踊りのシーンで感動して。そうして一章のうちに完璧に引き込まれて、するともうアラミスたち以外が重要とは思えなくなっていました。あの無味乾燥な砂漠があればこその物語だけれど、彼女たちの目を通してない光景はあまりに意味が薄くて、そこに視点をやってしまった途端、もっと大事な情景を見逃してしまう気がして。いつにもまして思うがまま感想を書いていったら、上の文章を入れる文脈は失くなってました。この作品では、中世の安宿のソファにちゃんとツッコミ入れるのがもったいなく、そこでのキャラの感性にツッコミを入れるのはまぁアリかなという、そんな自分なりの判断ラインでした。

 そして、アラミスの褐色の肌はきれいですよね。ラテン系の美人さんっぽい、いかにもな色合い(国によっては、おもちゃ売り場のバービー人形たちこんな色合いで染まってるような)。けれども、ねこねこソフトだから、むしろ夏休み中を駆けまわってきた八月三十二日あたりの子供っぽくもあるような。女の子と男の子が同じ色に焼けてたあの頃をちょっと思い出します。年月のうちに大人しくなったアラミスなのだけど、その姿には子供時代にカダンと手をつないでたときの面影を残してるようでもある。ラッテたちや他の多数のエロゲヒロインたちとは異なるからこそ褐色の肌は目立つのだけども、ずっと見ていると、パートナーの男性と同じ彩色がなされているのだからむしろ自然な気もしてきて。かまびすしくない『朱』にはぴったりで、やっぱり、ただアラミスを見つめてたくなりました。

 それでは。



(2015/04/19訂正 最初の砂漠BGMは「砂銀」じゃなくて「砂の城-The Castle of Sand-」でした。十年どころか十日でも記憶が保ててない。)
Sek84832015年04月18日

80朱 -Aka- (ねこねこソフト)
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。 → 長文感想(12223)(ネタバレ注意)(4)
最新レス >残響さんへ

 どうもです。時流からは取り残されつつ、砂に足をとられたカタツムリみたいにして書いてる感想なのですが、楽しんでいただけてるようで嬉しいです。マイペースで殻にこもりがちなエロゲ性活でして、TSものに興味があってやった『X Change Alternative2』では「ヒロインになりたい」願望みたいなものをマイペースにさらけ出してもしまいましたから、ドン引きされてなくてよかったです。マイマイ願望(雌雄同体)。
 わたし自身もプレイの回転はもうちょい速くしたかったりするのですけど、なかなか無理っぽい予感。生活に追われてたりもあるのですが、それはまぁそれ。むしろ主な理由は、エロゲ感想を書き始めてからこちらというもの、いちいち作品に愛着が付いてしまってなかなか剥がせず次に行きがたいという、しあわせな羽目に陥ってたりします。『Strawberry Nauts』とかでは、みかもの鎖骨をペロペロするだけの決意をもって書き始めたのですが、妙にシステムに言及したくなる作品で、結局のところ長めな感想となりまして。さかのぼって『PriministAr』なんて、短文感想だけですまそうとプレイ前から心に決めておいたのですけど、ままなりません。
 あらためまして、読んでいただいてありがとうございます。ねちっこく書いてる感想ですから、ねちっこく(?)読んでいただけるのも本望です。

 残響さんのレビューも、夜のひつじ作品だけ除いて読ませてもらってます。『BackStage』に感想をつけるのはずっとわたしの懸案だったのですけど、やる気になったのは、残響さんの『恋春アドレセンス』感想でやにわに出没した柳田翁がきっかけのひとつでした。なにやら古きうつくしいものを垣間見せていただいたので、それを自分の感想に持ち帰ってマネてみようという経緯もあっての「芸術と俗世の対立」と泉鏡花だったりします。
 そのあたりについては、わたしの場合、完全にただのファンタジー小説好きでして。残響さんのように文学について体系的なトレーニングを受けてないだけに、より素人らしくテキトーに放言してしまえます。……おっかねぇww そして、おっかないだけに、ガチガチに文章を組みきってから人に見せようとする臆病さがわたしにはあり、この点については「スイング」のある残響さんとは好対照になってるような。たまにTwitterを覗かせてもらっては、その「スイング」が自分には足りてないのかもと、よい刺激を受けてます。そんなわけもあって、拙文からも何かの示唆なりを拾っていってもらえるのなら嬉しいかぎりです。

 そんなこんなで、『ユリキラー』に残響さんが惨殺されてるとこもオモロく眺めさせてもらったのですけど、わたしの場合は、特に『きみはね』『その花』感想のほうに得るものが多かったりします。「カプ観測」というのはエロゲへのまだ知らない接し方でして、作品中の「まなざし」の投げかけ合いをそっと見守っていたりと、情のこもった傍観を示してもらえたのが面白かったです。
 最近、TSエロゲへと興味をもっている理由のひとつでもあるのですが、わたしも「少女が消費される」ことへは関心があったりします。ジェンダーを題材にしたSFなど、フィクションに端を発してる関心ではありますけれど。エロゲをやっているとごくまれに思い出すのが、コニー・ウィリス「わが愛しき娘たちよ」。少年少女たちの寄宿舎を舞台に、獣姦によるエロス消費というテーマをあざとい技巧によって書いて、ジェンダー論でもって物議をかもしたSF短編ですね。ディック作品まで含めて、ほの暗くてアンリアルなお話へのわたしのこだわりには、そのねじ曲がり方で、残響さんと似たところもあるかもと共感めいた気持ちになりました。

 ディック作品にはアンドロイドのような不気味なコピー品が溢れかえっているのですけど、時代・作者の背景もふまえ、これは消費社会批判(あるいはメディア批判)という文脈での受容が一般的かとは思います。「私はシステムから騙されてるかも?」という疑念。そして、誰かがアンドロイドなのかもと疑うのなら必然的に「あれ、私もアンドロイドかも?」という疑念に行き着き、今見えている世界がまるごとニセモノかもしれないという、存在論的なメタフィクション文脈でも作品は受容されることとなる。その二つの疑念が寄木細工の出来損ないみたいに入り組んでいき、作者すらもいずれの疑念か判ってなさそうなほどプロットまで混乱するというのが、ディック作品のひとつの姿であると考えます。
 すると、非人間的人物像を「人間がシステム化してしまう」ものと取る残響さんの見方は、肯けるものです。そして、そこでエロゲを例に取ってエロス消費への違和感を見据えるとするなら、「システム化」していってるのは私たちユーザーということにもなりそうで。怖い怖い。自分が自動的なアンドロイドであったことに気づくわけで、これはちょうど『流れよわが涙、と警官は言った』のストーリーですよね。
 けれど、『流れよ涙』を読んでみればディックなりの乾いた希望のムードもまたあったり。あの物語はどんでん返し的に、システム側だったはずの"警官"が涙を流すという血の通った人間味へときれいに収束していました。「ディックディック、ちんこちんこ」としょうもないダジャレを覚えちゃった今のわたしには、そのあたりがほどよい物語のオチとも感じれます。それで後はダウランドに耳を傾けちゃえるなら、まぁそう悪くもないかもですね。……バド・パウエルも良いかも。「Un poco loco」「A night in Tunisia」「Parisian thoroughfare」あたりが気に入りました。

 そろそろ明るい話をしましょう。小宮裕太のエロ漫画です。わたしも好きなのですけど、マッチョイズムへの違和感からもつながりえる嗜好と思ったりします。
 まずなにより、沢渡さんを始めとして、ほんのちょっぴり超然としてる少女が絶妙に愛らしいんですよね。痴女、幽霊、セミ、宇宙人etc。それらの設定が妙にハマっているのは、瞳をぼんやりとさせて、少女マンガっぽいスッキリとした線を引き、顔のパーツをあまり動かさない画風が、表情を読みきらせずにいるためかとも感じます。特に、モノクロイラストのとき瞳の中にはっきりした線を用いず、ほのかに濃淡をつけるだけの表現をしてるのが好きです(あえてエロゲを見るならFavorite『アストラエアの白き永遠』とかは似た印象になる瞳の彩色であったような)。
 その作品を見てみれば、カップルを並べて描く構図が多い。また、なよなよとした優男のほうも「なんでコイツ頬染めてんの?」状態。沢渡さんシリーズの初めにおいて、彼女の持った洗濯物カゴから自分のパンツを慌てて回収してる男の赤面っぷりといったら、もう。お前は乙女かと問いただしたくなるような、もう。
 沢渡さんは無駄口もなく仕事をこなしますし、「この淡いブルー 好きなんです かっちりしていて 着やすいし」そんなことを言う、襟元がいつも綺麗な人。そして前述の通りほんのりミステリアスであり、そんな彼女からキスされた男が目を丸くしていたりと一喜一憂だだもれな感激屋(emotional)だから、どうも生々しい男女関係は生まれてこない。でもその関係性もまた細やかに反転していって、沢渡さんが実のところ可愛いことばかり言う人なのもすぐにバレる。キスとかハグとかのカットでも、それをする役と、されて感動する役が、次々に入れ替わっていってる。そんな風だから、ふたりして頬染めていったところに、どこまでも優しく溶けあう空気が生まれているような。
 字面のストーリーだけを追っていくならチョロイとしか言いようのない展開をしてるのだけど、なるべくしてなった感がついてるのがすごい不思議。わたしにとっても、「クーデレ」やらの一言ではあまりに足りていない多幸感を分けてくれるふたりです。

 『朱』がロードムービーっぽいというのは、わたしの所感のとおりでして、実際の作品のインターフェイスでも上下に黒帯が付いていて(レターボックス)、まさに映画を想起させようとしているものです。その黒地のウインドウへと、話者の名前を表記せずに文章を書いていくのが、わたしとしては心地よいシンプルさのインターフェイスでした。
 Tarte『カタハネ』も同様のデザインを採用していましたよね。キャラが賑やかなこともあって『朱』ほどは地味ではないものの、しばしば「シロハネ編はちょっと退屈」とかもっともな評価をされるあたりでもまた似ており、旅物語をオモロくすることの難しさが思われます。

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ふと思ったのが、多分暇と金を思いっきり海原にぶちこんだら、PITを完璧に使いこなしてくれるんじゃないかと……。Cドラにそんな余裕があるかはさておき……はよあのメーカはディスクレスをだな。
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 海原版PIT! なんとも想像しがたいところが。PIT負けすることのないテキストとなるでしょうけど、テキストを複線にしてしまうとあの魅力は削がれる気もするし。……ボケとツッコミの流れが固定化され読み易くなることで、評価は上がる可能性も?
 同会社・別ブランドの、めろめろキュート『ドラクリウス』(2007)では新品対象にしてディスクレスパッチ配布してましたね。試験的に実施してその方式は結局とりやめた、という話なのでしょうか。
 わたしも配布を受けまして、フォームからゲームアワードコードを送ると、メールでもってパッチの取得方法が返信される方式でした。ところが、わたしの場合、送ってから二ヶ月くらいしてから返信きまして(笑) 買ったタイミングからして発売からすでに一年以上たってたので「まぁ送信ミスでもあったんだろう」と忘却のはるか彼方だったので、海外から船便で送られてきたかのような悠々たる感でした。

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「ディックの非長文タイトルの駄作率の高さ」って本当でしょうかね?
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 どうなのでしょうね。ファンとしては「全体的に駄作率が高いだけのことっ!」と言ってしまいたくなります。パルプ作家の鏡みたいにして多作ですし。ただ、長文タイトルにはプロットがまとまっていて評価の高い有名作が目立ってありますね。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『流れよわが涙、と警官は言った』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』。耳に残る長文タイトルに完成度の高い作品があるための印象論といった面が強いのかもしれません。
 ちなみに去年、ハヤカワのSFマガジンでやってた人気投票の上位はこんな結果。
{
1, ユービック / Ubik
2, アンドロイドは電気羊の夢を見るか? / Do Androids Dream of Electric Sheep?
3, 暗闇のスキャナー / A Scanner Darkly
4, 流れよわが涙、と警官は言った / Flow my Tears, the Policeman Said
5, 高い城の男 / The Man in the High Castle
6, パーマー・エルドリッチの三つの聖痕 / The Three Stigmata of Palmer Eldritch
7, 火星のタイム・スリップ / Martian Time-Slip
8, ヴァリス / VALIS
9, ブレードランナー(映画)
10, 虚空の眼 / Eye in the Sky
}

>>
縦に積み重なっていくエクリチュール(書き言葉)とは異なり、パロール(話し言葉)とは横の関連性の無限さこそが肝心なのである
<<
 わたしはポストモダン言説をよくわかってないので、このあたりでは用語の文脈を充分につかめてるのか怪しいことを、ここでゲロっておきます。これまでひとりプレイしてはそれで満足してきたユーザーなので、オタク的に受容されたポスモ言説とかもほとんど知らずで。ただ、そのぶん話を聞くのが面白かったりもしますし、自分がどのあたりで喋っているのかくらいは承知しておいたほうが便利かなという気はしていたり。
 あと、このあたりと関連するかもしれないチラシの裏な話を、vostokさんへのレスで少しだけ書こうと思ってるので、もしよろしければ読んでみてください。

>>
安易に「駄作」を薦めてしまって、これはひょっとしてSekさんのお嫌いな作品パティーンかしら……とおののいていました。
<<
 その後、菜々ヶ木アリス役の声優さんが、雪村とあの生き別れの妹さんであることを知って、むしろ心がさらに傾いたりしてました。あの堂々とあざとい声づくり、好きです。枕『サクラノ詩』にもキャスティングされていて、わきあがるわたしの歓喜の声。ぶひぃ。


 なんだか好き勝手なところだけ拾って、まとまりなく書いてしまいましたが、おゆるしを。
 それでは。
Sek84832015年04月18日

80朱 -Aka- (ねこねこソフト)
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。 → 長文感想(12223)(ネタバレ注意)(4)
最新レスこんにちは。
自分が朱をプレイしたのはエロゲーをやるようになったはじめのことで、要するに中古価格が480円くらいで、なんかタイトルとパッケージのイメージに惹かれたからでした。ねこねこソフトというのが何なのかもわからず、単に安くて面白そうで絵がきれいだからやってみて、冒頭あたりでBGM「眷属」が流れてからはすっかりその空気に飲み込まれました。朱が特に音楽の評価が高い作品であることも知らなくて、予備知識もエロゲー文法の知識もほとんどないままにあの音楽と砂漠と情念の世界に浸れたのは幸福なプレイ体験で、自分の中ですごく美化された作品になりました。僕自身も当時は感想文の書き方もわからず、言葉未満の感覚を吐き出さずにためていられたのがよかったのかもしれません。アラミスやカダンのように先送りにしていた……なんてこうして言葉にすると陳腐ですけど。

だから他の方たちの評価が低かったりすると残念でしたが、そんなふうに勝手に思い入れを込められるのもまた、言葉少ない本作のよいところなのでしょう。たしかにすっきり気持ちよく終われる話ではないし、Sekさんも指摘しているように脇が甘いところもあるし、暴力的に断ち切られることで形を作られ、受け継がれているかのような思いが駆動する物語の終着点が、特に銀色を知らなかった自分には「なんじゃこりゃあ」となったところも多少はあったのですが、いつかきちんと感想を書きたいなと思いつつも果たせていませんでした(その後、長めの感想を書くのに慣れてからスカーレットやって、その感想でリベンジを果たそうとしたのですが、スカーレットは朱と違ってまともなストーリーがあるので非理性的な感じは比較的薄い)。

もう内容もだいぶ忘れてしまっていたので、こうしてSekさんが瑞々しい感想を書いてくださったのを読むことができて、僕の未練も消えてどこかに還っていきそうです。やっぱり一番印象的だったのはアラミスなので、そこらへんを語ってくださったのがありがたいです。あの肌を拭う儀式はいいですね。ストーリー上はなんの必然性もないけど、アラミスの物語を象徴するシーンのひとつになっている気がして、うまくできているなあと思います。言葉の不能性、口ごもることのテーマはロマン主義の十八番であり、そうした文脈で出てきてももはや陳腐にしかなりませんが、ストイックであると同時に狂気じみたところがあるこの作品は、そういう卑屈な見方からは離れたところにあるような気がします。文学史的にはたぶん、砂漠物のジャンルか何かの文法に回収しつつ、ノマドだの逃走線だの、生物の死に絶えた砂漠の無機質で無菌的なイメージがだとのいったようなことも言えるのでしょうが、それよりは「アラミスの褐色の肌はきれいだ」と一言いうほうが説得力があるのかもしれません。

Sekさんへのコメントというよりは自分の思い入れを一方的に書いただけになってしまいましたが、よい文章をどうもありがとうございました。いつか再プレイしたいなあ……。
vostok2015年04月17日

80朱 -Aka- (ねこねこソフト)
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。 → 長文感想(12223)(ネタバレ注意)(4)
最新レス※前置きが長いです! 本レビューに対する純然たる感想は

「朱」レビュー感想本文

で下段検索かけてご覧になってください!


 どうも残響です。お久しぶりです。いつぶりだったかしら、と前回のコメ履歴を確認してみたところ、去年の年末。ご無沙汰しております。
 その後お変わりありませんか。安易に「駄作」を薦めてしまって、これはひょっとしてSekさんのお嫌いな作品パティーンかしら……とおののいていました。はい。あの枢ルートにしても「解釈次第の純愛」といわれればそう、なのですから。でも枢ちゃんかわいいよぉ。

 相変わらず、レビュー楽しく読ませていただきました。というか、ここでぶっちゃけ話をすると、自分は「テキストストーカー」「ライター/レビュアーストーカー」みたいなとこがありまして……まあこの話をちょっと以下で説明してみたくて、具体的に書いたはいいものの、それをセルフ読み返してみたら、あまりの俺自身のキモさに、即刻テキストエディタから消した次第であります。
 というわけで、シンプルに「いつもレビュー、楽しく読んでます!」とのみ書かせてください。いや、Sekさんのレビューを、以上のテキストストーカー的に待ち望んでいる、ということを具体的に書くとすると、いくら好意に基づく賛辞であろうとも、キモくて残響を「気に入らないユーザリスト」にぶっこまれること確定ですから。大丈夫!怖くないよ!(この時点で怖いよ)

……ただまあ、ふと、今年に入ってから、Sekさん、エロスケでご活動される機会が減ったかしら……? と思ったのも事実。
 しかし、こうして再び丹念な筆をエロスケで叙述してくだすっているので、大丈夫だったか……何より、と思っています今日この頃。そういう意味での、「その後お変わりありませんか」でした。

なんだかこうやって書いてくと、どんどん残響の馬脚を現してしまうような……
で、「朱」レビューの感想のくせして、これからSekさんの過去レビューテキストの感想と、Sekさんがしてくだすった過去レスに対する更なるレス、という極道ぶりをさせていただきたく。

せ、Sekさん長文派だし大丈夫だよね……だよね……(cv北見立花……なずなんを汚すなぁああああ!)と恐れおののきながら、しかしやはりSekさんにはいろいろと語らせていただきたいことがありまして、勝手ながら、ここでまとめて語らせてください。えーと、このような形式に何か問題ありましたら、DMを……って、ここはtwitterじゃないんだった。えーと、レスでそろっとお知らせいただくなり、もしくは……(Sekさんを一方的に信用して)ghost24hyピピンアットマークyahoo.co.jpまでよろしくお願いします。



・P.K.ディックのはなし

 Sekさんに対する感想が遅れてしまったのは、まずもって、前回のレスから、ディックを読み返していたから、でした。
 とはいいつつも、手持ちのディック小説の中で、Sekさんが挙げてくだすったものはまたこの残響めは持ってなく……ええいまたかこのニアミス! あ、関係ない話から先にしとくと、「ディックの非長文タイトルの駄作率の高さ」って本当でしょうかね?
 
 しかし、それでも手持ちのディックを読み返してみて……まあ内実をいうと「流れよ涙」「電気羊」「マイノリティレポート」といったところで、蔵書量はザコみたいなもの。あたかもそれはゴス少女が
「ルイスキャロル大好きー!」
とかいっておきながら、
「アンタ何読んだの?」
「アリス!」
「他には?」
「………………(無限の沈黙)」
「……せめてスナーク狩りと、シルヴィーとブルーノくらいは読んでくれよん……(流れよ涙)」
というようなもので。

ああ、ネタばかりが増えていく。で、仰る「アンドロイドの無機質な闇めいたもの」への親近感、というので、「ああ……」と納得してしまいました。たといディック経験がなくても、さすがにこうやって読み返してみて、それをわからないようではどうかしている。

 ディックの非人間的人物像……というのは何か、と抽象して考えてみたところ、「人間がシステム化してしまう」ところにあるのかなぁ、と。
いわば、純然たる機械化キャラ、というのではなく。
 「本来は人間のためにあるものだった、システム」ちうものへ、何の因果か「システム化」してしまったキャラ……の、圧殺性というか、逆説的なロマンティシズム性、というか、あるいは暗がりというか、幻惑というか。

 そんなことを考えてしまったのは、やはりこれがエロゲ言説の中であるからして。というのも、Sekさんの「エロゲヒロインには人間が最初感じられなかった」というのが、自分、わかってしまうからです。僭越ながら。
 大学入って、自分は一時、エロゲブランクというか、オタク文物ブランク、とでも称すべき時期がありまして。そんななかエロゲをたまたま「どうだったかな……」という感じでやってみると、これがまあ、違和感の塊でして。
 そのころ思っていたのは「こんなキャラ造形、コミュ造形、近代フェミ議論なんか、もーどこにいってしまったんだ。こんな都合のいい連中……リアルじゃねえ!」
みたいな、変なこじらせ方をした似非フェミ論者のバカっぽい観点から見ていたものでした。

 しかしまあ、自分とジェンダー、自分と「リアル」というものは、結構厄介なものだったようで。ようは「少女が消費される」ということへの、違和感。エロス消費のニヒリズムだとか、「人間消費」へのニヒリズムだとか。
 Sekさんの感じておられたこととは違うでしょうが、自分はそういうことでもって、この「なんか人間っぽくねえ……エロゲキャラ」という感覚を切っていました。あくまで自分は、「ここには人間性がない」をフェミ議論で斬っていた、というだけの話でもありますが。

 しかし。仰る安心チューリングテスト、ですが、自分もしていただけに、共感というだけでは済まされないなにかがあります。
 結局はフィクションの強度、妄想の強度を信じきれなかった当時の自分とはなんなのか。そして、その不信の根拠たる「リアルに対する畏怖」とはなんだったのか、と、今更ながら思うのでした。
 そう、それは、ディックの作品がもたらす、「リアルとのコンフリクト」に通ずるもので。象徴的意味でも、実際的(作中での問題解決とか)においても。 
 リアルというものを、「そこにあるもの」として自然に受け取れない。さらには、その不自然性にさらに畏怖、恐怖感を感じてしまって、身動きとれなくなる。リアルが、システム、というものと手を組むと、余計に。

 そう考えると、一介の学生たる自分には……まして、当時闘病生活をしていた自分には、荷が重いテーマだったのかもしれません。
 当時の自分に、「ディックとは英語スラングで男根を指すのだよ……」といってあげたい自分です。そんな未来の俺を、学生俺は蹴り殺すでしょうが。


・教えていただく楽曲のはなし

ところで、教えていただいた、茶太「イイコ」はよかったですねえ……
ガール&ファンキィッ! カーティス・メイフィールドじみたワウギターとベースのR&Bがいいですねえ……。

で、Sekさんが、「キャッチーなところを拾ってくれてるのでしょうか」と仰いますが、実はそんな配慮は一切してなかったりw
というか配慮を少しはしろよな自分……と逆に失礼しました、と。
でも、楽しんでいただけたら嬉しいです。

というかSekさんも音楽の造詣が深いかたやで……現行邦楽ロックのリズム感覚を精緻に分析されておられて、それをエロゲ感想に生かしておられるというとこなんか……。

・PITのはなし

PIT採用のHOOKゲー2作のレビューも当然読んでいますよ。すいません、でもまだこの2作、この期に及んでまだやってなく……

しかし、興味が非常にわいたので(このレビューで)、いつかやります。

ふと思ったのが、多分暇と金を思いっきり海原にぶちこんだら、PITを完璧に使いこなしてくれるんじゃないかと……。Cドラにそんな余裕があるかはさておき……はよあのメーカはディスクレスをだな。

しかし、ストノレビューのとこで、
「読者はPITを読んでる保証がない」
のご指摘にはぞっとしました。そう、その保証なんて、どこにもない。もともと読み飛ばされることが前提のPIT。その議論は、その存在は、プレイスタイルによっては無化されてしまう。
往々にして、PITの存在ひとつありき、で、それは最後までプレイ感覚と同期している、という感じでレビューかかれることありますが、でも、あまねくHOOKゲーユーザはそれをしているか、といったら……。

ある意味で、それは2chというよりは、2chまとめブログのコメント欄の不毛さを思わせましたね。どこにも繋がらなさというか。
「繋がるようにトータルデザインしろよ!」の御説はごもっとも。でもそこまで強いトータルデザインは、結局は「息苦しさ」に繋がり、結果PIT2ch言説空間の自壊に繋がる、と思うと……。

・観客型・没入型のはなし( X Change Alternative2)

 僕はtwitterのほうでも結構発言しているテーマの中に「観客型」思考なのだ残響は、というのがありまして。
 それをこのゲームレビューにあわせて深く考えてみると、――もっともそれはこのゲーム特有のものかもしれませんが――、僕は「没入することを怖がっている」のかもしれません。どこかでそれを怖がっているからこその、観客型、というか
 このあたり、先に話した「リアルへの恐れ」というとこにも繋がってくるかもしれません。
 「視覚情報は上」「触覚・味覚情報は下」に位置する、という分析には圧巻でした。そしてそのアマルガム的なあやふや混じり感、というのにも。

・Backstageレビューのはなし

 このレビューにはいろいろとお話ししたいことが山盛りなのですが……それは当レビューでお話しさせていただきたいのですが、まずここでひとつさせていただくならば、

「芸術と俗世の対立」
ですね。

 ふと思ったのが、こういうテーマをエロゲはよくしますが、大体において「恋は死よりも強し」の論法でもって、死よりはいささか強くない芸術モチーフは、作中において恋愛に押し流されてしまう傾向にあり。
 そこのところの話は「恋ではなく」レビューでするべきなのかもしれませんが、この「恋>芸術」というシナリオ構成は、結局のところ、純愛エロゲの至上命題「ヒロインをかわいく描け!」の順法枠内から、芸術の高み、というものをオミットする傾向にある(上段落と同じこと書いてますね)。
 まあ「芸術を達成したところで、どれだけヒロインがかわいくなるんやねん」
という、残酷なエロゲ命題ですね。だったら最初から人間を描くにはどうしたら……ここにおいて、散々作中でイチャラブらせた挙句、最後のあたりで思い出したかのように「芸術にたちもどり、愛を経た芸術でもって大団円」というのがテンプレです。
 ……ですが、芸術とラブ、そして芸術と俗世、とは?と考えると……まあラブを俗世を簡単に並べることもまた問題ですが、しかし「芸術の崇高なる高み」とはまたフェーズを異なる位置にある、とはいえると思うのです。
 そこのところの解決はどうなされるのか。これは、個人的にはちょっと気にかかっているところです。もっとも、これも再三申し上げる「リアルへの恐れ」というとこと関わってきてまして、結局「リアルと芸術とをそれぞれコンフリクトさせる形で、お前さん(残響)は芸術の崇高性を担保しているのだ」といわれたら、これまた「むぐぐ……」となってしまうのですが。


――――「朱」レビュー感想本文――――

もう言い訳しようがないほどの長文前置きレスのあとで、ようやく本筋に入ります。

 今回、詩情を感じましたね……レビューにおいて。それはあたかもNHK「シルクロード」的な作中を描写するSekさんの筆に誘われて、はぁあああるぅううぅううかぁああぁあかぁあああなぁあああたぁあああぁああ(twitterで流れていた某「は●かかなた」というゲームへの怨嗟の声をサンプリングしました)の砂漠の地への思いを募らせたか。カモン喜多郎(ネタが古い)。

 ていうか今回なついゲームを選ばれましたね……自分の追っているエロスケレビュアーの方々のなかでも、Sekさんの「次にお選びになる」ゲームはマジ予測つかねえ……。

 その二つの要素……つまり、作品の同時代性超越と、Sekさんの仙人じみた同時代性超越プレイが重なって、このレビューはある……といったら明らかに言いすぎですが、しかし「当代的萌え」とは、明らかに異なるテイストを、読んでいて感じました。

 最初から後のほうの御説のことになるのですが、当代的ゲームボイスプレイ、というとこで、自分もSekさんと似たボイスプレイ感覚を覚えます。それは確かにリッチ。考えるだに、リッチな体験なのでしょう。ここまでボイス関連が、この10年で深化してくれたら。まったく、10年前のエロゲはボイスレスが普通、パートボイスも普通だったなんて信じられねえぜ、いまや同人だってフルボイス……嗚呼! だから制作費を切迫して切迫して、ただでさえ自転車操業なのが(略

 しかしボイス感覚をそれによって、鍛えるのを甘えさせていたら、今作のような作品を、Sekさんほどは味わえなかっただろうな、とも思うのです。
 無音、あるいは言葉の発せられる順番における「ズレ」。
 縦に積み重なっていくエクリチュール(書き言葉)とは異なり、パロール(話し言葉)とは横の関連性の無限さこそが肝心なのである……というポストモダン言説をちょっと借りるとするならば。しかしパロールも、「ことば」である以上、何らかの積み重ねを前提とするものであり、超越性もその何らかの積み重ねののちに現れるのではないか、と言う議論をしたくなります。
 そして、その裏にあるのは、すなわち「関係性の進行」という、これまた手垢がついたものですが、しかし「言葉を紡いでいく」とはすなわちこういうことではないかと。まあそのあたりはSekさんが本レビューでしっかりとご指摘なさったことですから、屋上屋はやめておきます。

 さて、砂。
 当方が今仮住まいしているとこは、某砂丘王国の隣の県なのですが、世ではこの二県の区別がされてなくてブツブツブツ……。
 
 しかし、残響、まだ鳥取砂丘いったことないのですよ。え、こんだけ近くていってないの? と思われそうですが、近いからこそ逆に、ということもあって。だからまだ「砂丘」というのにはロマンスを感じられます。

 ……そのロマンスが「ソファ」でぶち壊されるのはなんとも、ですねえ。ここ笑ってしまいました。
 しかし自分も、自分の小説でそんなミスをしかねないので、ここはちょっとした胸の痛みを覚えながら、にこっと鍵ゲー的諦念笑いをすることにします。



>『指輪物語』よりさらに辛いのが、邪悪な黒の乗手が襲ってこないこと

 この点、後代の指環物語の受容が、善悪二元論のシンプリティに陥ってしまったあたりと、好対照をなしていますね。
 中つ国を旅する一行。彼らの茫漠たる旅も、また一つのロマンスであり、ひとつのベクトルによって突き動かされていたものでありますが、さあそのベクトルを抽出してみて、よりエンターテイメント性を追及すると、まあいわゆる灰ファンタジーはライトファンタジーになり。クトゥルフでもダーレスが同じ処理を行ってだな……。

 じゃあその単純なマッチョ二元論を否定して、茫漠たるカオス、茫漠たる世界が、ただ存在してるだけ、で物語を成立させようとすると……また、これもこれで、仰るように、「黒の乗手」の試練が、困難がないだけに、超アンチクライマックスな物語になってしまって……単純にいえば、「ツマンネ」。
 これ、わたしが自作小説で一番苦労してるんですよね……自分自身が善悪二元論のあらゆるマッチョを否定し、リアルのマッチョや困難を否定するだけに、じゃあ作劇をオモロくするにはどうしたら? というとこで、今もなお悩んでいるところです。

 まあそんな残響のどうでもよさとは別に。


>3, 行きて"還りし"物語

 ロードムービー論のようだな……と思いました。このくだり。というか、その感じはレビューの最初からもありましたが。
 「行くところ」に意味があるのではなくて「行くという経験」に意味があるのだ、というロードムービー論は、こうやって残響が言語化してしまうとひどく陳腐なものですが……
 しかし、経験が一義的でない以上(ポスモダ言説はこの「経験」を、リアル、の名のもとに一義化さす傾向にあると知ったのは最近でした)、その無数の経験を「人の生=物語」として、ひとつひとつ丁寧に言語化していくこと。
 そう、残響が自作小説のツマンなさをくどくどいっているんだったら、この丁寧な言語化をさっさとしなさい、って話で。その点でも、Sekさんのレビューは、勝手ながらきわめて示唆的でありました。

 行きて、「帰」と「還」の細かな使い分けには、深く染み入るように感動した自分がいます。
 「還」とはなんなのか。それはゲームを実際にプレイしないとわからないものかもしれませんが、しかし茫漠たる世界に、一滴の水として還ること。その還り自体が、また新たなモノを生まれさすということ。
 こうして言語化さすと、また残響のアホさ加減により、陳腐になってしまうのですが、大事なのは、そんな「人の生=物語」を、還ったモノたちを、継いでいったモノたちを、

>ひとつひとつの旅の軌跡だけをいつまでも大事そうに抱えこむ
 
ように、していくだけの強さをいつまでも、ということなのでしょうか。いや、疑問系にしてどうする。「ことなのです」。……と、レビューを読んで、思いました。


またもや……というか過去最大級の長文になってしまいました。ごめんなさい。
もし何か拾っていただけるところがありましたら、お願いします。
残響2015年04月15日

73うちの妹のばあい(はぁと) (イージーオー)
「お兄ちゃん……わたし、やっぱりチンポには勝てなかったよ」呆けた笑顔を見せつけてくる優香がエグい。萌えゲーのお約束をことさらプレイヤーの目の前で破り捨てるようなマネをしてるのに、稚気のある……もとい頭のネジのゆるみがちなテキストからは萌えゲーへの愛着もまた感じれてしまうあたり不条理な作品です。 → 長文感想(13618)(ネタバレ注意)(2)
最新レス こんばんは。また良く読んでいただき、ありがとうございます。古い作品で、そのくせ未プレイ者にやさしくない感想になってるかとも思うので、こうしたコメントをもらえると気が晴れやかです。
 ひるがえって最近のお日柄はだめだめなのですが、うす雲かかって空のトーンがひとつ落ち込んでいるとむしろ居心地よかったりと「薄暗がり」も好きなSekです。いやしかし、西の方はだまし討ちみたいな大雪でシャレになってませんよね。

{
>CYCLET「駄作」
}
 公式ページを眺めたのみですが、気になってる作品です。ここのところの天候のため受信感度が良好なのか、枢ちゃんは可憐……枢ちゃんは深切……と直接脳内にゆんゆん届いたものがありまして。先ごろ手にとった『輪舞曲Duo』でフタナリ愛が足りなかったので、その初級者としては補習しておきたかったりもします。
 ただ、視覚表現があまりに赤黒く染まるようだと、そこでかえって冷静になってしまいそうなのが不安材料。『沙耶の唄』などの「実のところ純愛」評がついた作品はいまひとつ楽しめない、というジンクスも抱えておりまして。
 しかしこうして作品との縁もついたことですし、枢に辛抱たまらなくなったらプレイしたいですね。

{
>「闇への憧憬」めいた何かがあるのではないか
}
 『暗闇のスキャナー』というSF小説が好きです。それを書いたフィリップ・K・ディックは、わたしがいちばん作品数を多く読んだろう作家だったりもします。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』等のタイトルが有名ですね。
 ……だしぬけにエロゲから外れたお喋りでスミマセン。エロゲ趣味を始めるにあたっては、人それぞれに経路となったジャンル、きっかけ、衝動みたいなものを持っていることでしょうが、わたしの場合そこにディック的な"現実と虚構"が関わっており、それが残響さんの感じられたものをいくらか説明するのかもと思いまして。

 ディックは"現実と虚構"、"信頼できない語り手"、"幻視者"といったキーワードをもって語られる作家ですが、その作品ではしばしばヒロインが"虚構"に与するかのようにして主人公を裏切ります。もし黒髪ヒロインが出てきたらば、そいつ裏切ります。
 なかでも『あなたをつくります』のヒロインなんてわたしの気に入りでして、この精神を患った黒髪の天才少女は、主人公の友人の娘であり、そのエキセントリックな愛らしさで主人公をもてあそびます。のみならず主人公たちに大きな成功を期待させるような発明品をその手で造ってもくれるのだけど、それが気鋭の実業家へと売り込まれるときに、あっけなく彼女はその情婦となり発明までも持ち去ってしまう。ところがそこには損得勘定などには収まらない彼女だけの飛び石みたいな理路がはびこっていて、「よくわかんないんだけど、あなた本当にこんなことで傷ついたの?」ころころと笑いながら訊いてくるという、恐ろしい女の子(……可愛い!)。
 ディック作品のモチーフのひとつである、非人間的な人間=アンドロイドです。

 さて、わたしはエロゲを始めた頃、ここにいるヒロインはひょっとしたらアンドロイドではないかと目をすがめながらプレイしていました。ちょっとおかしな人ですね。シナリオを読み進めていって、記号的な萌えとか非現実的なキャラクターに当たるたび「ここには人間味が無い」「これもニセモノだ」と手当たりしだい疑ってゆく。そうして削って読み、削って読んでなお、ヒロインのちょっとした言葉や仕草にでも人間らしさを信じれる部分が残ったならすごく安心できるという、チューリングテストでもするかのような読み方。
 もちろんこれは仰々しく語っておりまして、実際のところはごくごく平凡に「やべぇチョー可愛い」「ヨメ度の高い娘!」とか他のユーザーさんと同じように萌え転がりながら、キャラ絵になごんだり体中で笑ったりしてもいました。まして、それなりにプレイを続けて肩の力も抜けた今となっては、いちゃラブの心地よさに脳みそまで浸っちゃってる。ただそれでも、残響さんに感じ取ってもらったあたりについては、わたしの"ディック感覚"への恐怖と嗜好がその一端としてあり、ときおりエロゲヒロインに妙な目線を向けてもいるかと思います。

 もっとも、こんなオナるような自分語りではそれこそ真実味がありませんね(笑) 感想本文でちんこちんこ言ってる流れで、ディックディック言い出したくらいに思っていただければと。ついでなのでもう一度、枢ちゃん枢ちゃん言っときます。
 ちなみに、わたしなりの"エロゲ"へのイメージソングを選ぶなら、なんとも力の抜けたギターにゆるふわ声質のボーカルがあわさって愛くるしい、茶太「イイコ」になります。
{
https://www.youtube.com/watch?v=pl_oKFHJz8U
}

{
>今作の「キャラ造形」なのですが、ふと、前にお話しくださった「みここの華蓮」についての言及と、通低するものがあるかも……となんとなく思いました。
}
 言われてはじめて気づきましたが、確かにその通りで、わたし似たことを書いてますね。それぞれの作品への見方に通底するものがあったのを教えてもらい収穫となりました。情念とギャグの距離感に興味がつきません。
 その上で検めてもおくと、これについてはわたしの感想文が似かよったレトリックを用い過ぎちゃってることから来るもので、作品そのものはやはり違いが大きいように思います。Sekが手もとにハンマーを持ってたので両方ともが釘に見えてしまったのかなと。ハンマーとなるのは"笑い"とか"あるがままのヒロイン"でしょうか。
 というか、正直なところ『みここ』は一体何だったのかもわたしよく解ってないので、まがりなりにもシナリオ構造を見てとれた『うち妹』はとりあえず別ものという判断です。笑ってよいものかわからないところまで話を混雑(対位?)させるとそこを突き抜けたヒロインをあるがまま受け容れる、という類似はあるのですが、そのための書き方については別ものになっている。

 書き方として、ひとつのルートシナリオのなかに無調の感じみたいなナニカが在ったあたり『みここ』はユニークだと思います。しかし『うち妹』の場合では、純愛と凌辱、ポジとネガに振りながらに全部で11ものエンドで優香をばらばらに描き上げており、エロゲでよく見られるルートシナリオの利用法ではあります。『みここ』華蓮については作品内に書かれたキャラ造形ですが、『うち妹』優香は(グランドシナリオをふまえ)わたしが勝手よくまとめて解釈してのキャラ造形でして、そこはやや別となるかと。
 たとえ話をすると、『うち妹』はまず純愛のストーリーラインを見せてから-1でかけ算するようにNTR凌辱へと化けさせて、正負をひっくり返しての落差を味わわせているのですが、この操作そのものは単純だし、個々のイベントについては原因・結果が歴然としてあります。一方で『みここ』については、そのストーリーラインに積分をかまして"一定期間での経過についてのみ意味を有する"ような記述に直してみなければ解らない(少なくとも感想文へは十全に書き出せない)ような予感でして、順々にテキストを拾い上げての原因・結果という視点ではどうにも捉えきれない部分が肝になっているような。何かバカっぽいたとえ方をしましたが、 つまりは、バカゲーの方が感想でその要点を書くのは難しいよね的な話でございます。

 話は変わって、おるごぅるはずいぶん表立って広報に携わってしまうライターさんで、新作のALcotハニカム『キミのとなりで恋してる!』でもメインヒロインに(あげく担当声優さんにまでも)不遇美人なキャラづけをほどこしたり、別のヒロインをオススメ!したりといった広報を展開しており、ユーザーに予断を与えておくような姿勢が見えます(むしろメーカーの方針かもしれませんが)。それに関連するかのように、『うち妹』ではエロゲであることに自覚的だったり、『リア妹』ではメタフィクションにもなってたり(業界ネタ、過去作への自虐ネタ含む)と、プロレスじみた予定調和をもった作品をシナリオ企画しています。
 そのようにして理解をつけやすい作品が多いため、おるごぅるは海原楓太よりも多くのエロゲユーザーから評価を得ています。そして「これなら俺にだって書けるかも」と読者に思わせやすい(もちろん実際には書けない)きれいなプロットを敷くライターさんです。このあたりについても『みここ』と比べたときには差異が目立つところと考えます。
 これは余談ですが、そうして「ウラがあるよウラがあるのよ」と喧伝しつつも作品内容では安心安全なシナリオを製作するのは、したたかにパイを切り取りに行く姿勢となっており、またそれは「地雷ダー! NTRギャー!」とか楽しげに悲鳴を上げる術を身につけてきたユーザーサイドともうぃんうぃんしちゃっているような。「越後屋おぬしもワルよのぉ」はにかみ笑いで馴れ合えば、その堅固なハニカム構造からしたたり落ちるは蜂蜜の味です。なお、ここまで言っておきながら、来週発売の『とな恋』通常版は買っとくつもりのユーザーがこちらとなります。


{
>パティ・スミス
}
 ほとんど名前しか聞いたことなかったのですが「Dancing Barefoot」いいですね。歌詞も好きな肌ざわりですし、『うち妹』なりとの連想をやらかしてしまいそうです。
 適度にキャッチーなところを選んでいただいてるのでしょうか、残響さんに紹介してもらう音源には、わたしいつもすぐ楽しみが見つかります。エロスケでお話させていただいた方のサマリーからエロゲを見つくろったときにも感じたのですが、遠くの隣人に靴を借りるというのは面白いですねー。自分でもエロゲ感想を出すようになってみて、そんなことをつくづく思っております。
 ではでは。
Sek84832014年12月12日

73うちの妹のばあい(はぁと) (イージーオー)
「お兄ちゃん……わたし、やっぱりチンポには勝てなかったよ」呆けた笑顔を見せつけてくる優香がエグい。萌えゲーのお約束をことさらプレイヤーの目の前で破り捨てるようなマネをしてるのに、稚気のある……もとい頭のネジのゆるみがちなテキストからは萌えゲーへの愛着もまた感じれてしまうあたり不条理な作品です。 → 長文感想(13618)(ネタバレ注意)(2)
最新レスどうも残響です。最近のお日柄は……まさに「駄作」!と呼ばざるを得ないところが悲しいですが、いかがお過ごしでしょうか。
(CYCLET「駄作」チョー面白いです。なんかバカなコギャル的感想ですが、ほんと面白いので近々感想でも挙げてみようかと)
前回の「ひのまるっ」レビューでは、あのような当方の頓珍漢なコメントに対して、真摯にレスを返していただき、感謝の極みです。
そんな紳士かつ、頭痛のときに時雨を聞くドジっこなSekさんには、むしろ次の音楽をすすめたほうがよかったかしら。同じカルロス・アギーレ関連ですが、あちらほどエキゾ要素は薄い、やさしい音楽です。

https://www.youtube.com/watch?v=_yc8mgkB434
(アギーレの音楽に惚れた日本人スタッフたちが編んだアルゼンチン音楽コンピ「バー・ブエノスアイレス」に収録されとりやす)
ていうか、当方のエロスケ以外の課外活動までチェックしてくださるとは……Sekさんの情報感度に恐れ入りました。ぺこり(頭下)

さて。
うちいもレビュー、一読して「これはSekさんのレビューのなかでも、裏ベスト的な最高傑作なんじゃないか」と打ち震えております。かってに。以前、次にコメントさしていただくのは「キミに贈る、ソラの花」レビュー、と申し上げましたが、それを撤回しての今回のコメとなります。
いえ、あのレビューの清新さに打たれた自分もいるのですが、しかしSekさんの感想をずっと読んできて、どこかにこのSek氏というレビュアーには「闇への憧憬」めいた何かがあるのではないか、と感じておりました。
憧憬、というとアレですが、「薄暗がりや、ねじれた感情への、親近性」とでも申しましょうか。ああ、この表現もアレですね……いえ、ヘイトしているわけではないですよ。

まあ、それを単純に「Sek氏というレビュアーに対する興味」といってしまってもいいのですが、そのドロリとした情念を、いつものように解析的・ロジカルに、筆致でもって描かれるのですから、いやはや。
……否、整然と語ってくださるからこそ、よけいに業が深いようにも感じてしまいます。

うちいもについての当方のプレイ状況ですが、
「怖くてやってねぇYO!」
というところです。笑わば笑えっ!当方、現世のいざこざに疲れたいちゃラブ野郎だいっ!

ただそれはつまり、このゲームが持っている……Sekさんも再三指摘されておられますが「落差」……ナナメ上やナナメ下へと振り分け、というダイナミクスが、自分にとっては劇薬。こわい。
それが、ただの物語装置、ギミックというだけではなく、真に「人間のおぞましさ」を描くものとして使われている、と聞きますから、こわい。

そのようなゲームを面白がれるSekさんは自分とは遠いお人だ……ということを、ここで言いたいのではないのです。むしろ、Sekさんがこのゲームの「情念」を処理されておられるのを見て、「この人は純粋性への憧憬と、情念性への憧憬を両方兼ね備えているのではないか?」という……先ほども申しましたが、レビュアーへの興味ですね。

そのように考えると、純愛系の純粋性と、NTRゲーの情念性は、どれほどパラレルで、どれほど地続きなものか……と思ったのですが、そーいや自分も「駄作」を面白がっているのですから、ああ、ああ。なんだ……。

「情念」「闇への親近性」みたいな胡乱な言葉でもって、変なことを申してしまいました。もちろん、詮索とかいうのとは無縁です。

そして、今作の「キャラ造形」なのですが、ふと、前にお話しくださった「みここの華蓮」についての言及と、通低するものがあるかも……となんとなく思いました。
Sekさんが先のレスで華蓮の「残念さ」を、一般的な残念さと比較して語られていて、その「マスプロダクト的な一般的残念」を突き抜けたところに、華蓮のギャグ的面白さがある、とすれば……今作うちいものように、マスプロ的一般的残念を「シリアス・情念方面」で突き抜けたところに、優香の情念がある……と解釈してしまっては、あまりに簡単な腑分けでしょうか。

ですがそれを「どこまでを笑うか」と接続して考えると……あな、情念とギャグとは、どれほどパラレルで、どれほど地続きなものか……と思ったのですが、そーいやわたしも「駄作」を面白がっているのですから(以下ループ)

なんだか何の話をしているのか胡乱になってきましたが(失礼!)、以上のようなことをぼんやりと考えていました……「言葉になる範囲では」。
「言葉にならない範囲」……このレビューを読んでいて、どれほどSekさんがこのゲームの闇を楽しまれて、解析されて、ギャグすら見出して、その上でご自身と闇とのバランスをとっていらっしゃる。そのお姿をぼんやりと幻視して、ふと、言葉にならない何かを感じ取っていたりします。
そのような「闇の何か」が垣間見えるレビューでありました。

それを「ブルース」の一言で片付けてしまえばどれほど楽か……と思ったのですが……
ここは、ひとつ引用して(引用しか出来ない残響豚!)、このコメをしめさせていただきます。

――彼女は祝福されし者
彼女はあなたの虜
彼女は血族
彼女はあの人とつながっている

(※1)私は行く。 でも理由はわからない
私はいつも流されてばかり
あの人が私をものにした、そんなことがありえるのだろうか

(※2)私は裸足で踊りながら
回りはじめる
おかしな音楽に吸い込まれ
ハイにさせてくれるの、ヘロインみたいに

彼女は気高い人
彼女はあなたの実体
彼女は夢中なの
自分の選んだ、あの人に

(※1)
(※2)

彼女は改造されてしまった
彼女はあなたに夢中
彼女はだんだんと興奮を覚えてゆく
あの人が自分と一緒に宙に浮かんでいることに
私は行く。でも理由はわからない。
私はいつも振り回されてばかり
重力を感じなくなるほどに

(※2)

ああ、あなたに恋してしまった
(私たちの精神の輝きが闇の中から微かな光を放つ。
まるで光あるもののように 出産の神秘
幼年時代そのものが、重い天罰なのだ。
私たちに呼びかけるものは何なのか?
どうして私たちは叫ぶようにして祈らねばならないのか?
どうして死は定義されなおされてはならないのか?
目をつぶって、腕をのばし、窓ガラスの上で回転する
罪をさせあい、何でも責任をなすりつける、
生命線、木の枝
あの人の手、そして約束
彼女が女たちに祝福されますように)

――パティ・スミス「Dancing Barefoot」
https://www.youtube.com/watch?v=gcbuG2w0Kzo
残響2014年12月10日

75ひのまるっ (WHEEL)
「肩の力を抜きなよー」と語りかけながら自らも率先して肩の力を抜いてしまう、ゆるいコメディ作品。ブラウン管のなか、調子っ外れの歌を熱唱するルル・セアブルをぼけっと眺めてると、なんかもう全て世は事もなしと思えてきました。 → 長文感想(10511)(ネタバレ注意)(2)
最新レス あらためまして、どうぞよろしく。
 残響さんの真似っ子するわけでもないのですが、カゼをひいて頭痛が酷くわずらわしくなった折、静けさを求めて時雨「mib126」を聴いてみた経験があります。TK吠えて頭ピリピリ。わたしバカよね。sekと申します。

{
>最近のライターはどこか「嫌われないようにしよう、読者から……ああっ、書きすぎた、嫌われないようにしよう……削ろう……」みたいな態度でキャラを書いてるんじゃないか、と思わせるフシがあります。
}
 こうしてレスをいただき考えを広げられてみると、それが優等生キャラにせよ感じ悪いキャラにせよ「書きすぎた」「削ろう」という制作者の態度、プレイヤーの好悪をあらかじめ決め打ちするようなキャラ作りというものが、わたしにとっては気味悪さのキーポイントになっているかもしれません。
 素朴な心情としては、ライターさんがのびのび書いて、プレイヤーが思いっきりキャラを好いたり嫌ったりできる市場環境になったらいいのになぁと思ったり。ただこれは、テンプレの強い売れ筋エロゲを好むわたしには堂々と言いにくいことですので、もそっと素朴じゃない言葉に直してみたいです。
("残念系ヒロイン"はシナリオを予想させるから感動しきれないのだけど、その点で『みここ』朱雀野華蓮は良かったよね!って話になります。)

         
 「嫌われないように」の応用に当たるものなのですが、「嫌われるべきところを決め打ちしといてダメージコントロールしよう」という態度というのは目につきやすくなったような。こっちの部分でヘイトを処理しておいてあっちの部分ではブヒれるようにとデザインされた、あら探しされることが織り込み済みのエロゲヒロインが定着してきた。……いえ実のところ、直近にプレイしたエロゲ体験版に出てきたヒロインことごとくが"残念"だったり"不器用"だったり"駄妹"だったりしたことから出てきた雑感なのですが。おしなべると"残念系ヒロイン"のこと。
 どこかしらの欠点に萌えるというのはどんなエロゲヒロインにも抱きうる感情なのですけど、残念系であると宣伝され「"この"残念な属性を愛でよう!」ってコンセプトが制作者にもユーザーにもよく承知されるようになると、そのあり方はやや変わるようです。

 ここでちょっと試みに、学園ものテンプレ萌えゲーを三幕構成(序破急)で捉えてみると、まず日常を描いて、ヒロインの抱える問題に対処することになって、その解決をしながらエンディングを示すという順序になる。
{
[設定]ヒロインと仲良くなって日々を楽しく過ごしている
[対立]しかしその子がクラスで上手くいかずイジメられてしまい
[解決]なんとか周囲と和解して日常にある幸せを再確認できましせっくす
}
こんなのが一例となるでしょうか。
 もちろんこのプロット整理は雑すぎるものでして、スリルを追求する映画脚本あたりの見方を無理やりにエロゲへ当てはめたせいで妙なことになっており、最初の状況を提示する[設定]にあたる日常描写が延々と続いていく作品というのがエロゲには多い。そして逆に言うなら、「エロゲは日常シーンばかりダラダラ続いて退屈!」みたいな不満とは、「もっと映画のようにスリリングなプロットへと整えろ」に近い意味となるでしょう。
 この退屈な日常という萌えゲーの課題については、コメディを常用したり、(しばしばヒロインに褒め合いをさせつつ)脳みそとろけそうな雰囲気を作ってみたりと、いろんな献策があったわけですが、残念系ヒロインもまたここにメリットを持ちえる。
 例えば、コミュ障みたいな周りと上手くやれない残念さは[対立]の要素を早くからシナリオに持ち込んで展開をスリリングにします。ヒロインが抱える問題が早い段階から顔を出してくる。しかも"残念系"となるとそれこそが萌え要素になるわけだから楽しい日常を邪魔することはなく、彼女のことを仲介したりフォローしたり介護したりすることで、問題解決の達成感、自分が役に立っている充足、誰しも欠点を持つことの安堵なんかをこまめに得ていけるようになっている。そうしてツンデレや暴力ヒロインなどの平地に乱を起こすタイプの萌え属性とも同様に、主人公に解決すべき問題をコンスタントに提供することで退屈な日常を改善できます(シナリオ作りにもやさしいですね)。本来、プレイヤーに緊張をもたらすはずだった女の子の問題点を快楽にしてしまった!というひねりが、残念系がするジャンルの基本型からの「逸脱」となる。

 しかしそのようなひねりには当然ながら無理もあって、立て続けに残念アピールの強いヒロインに出会ったりすると、"アウトレット品専用の製造ライン"でも見るかのよう。あるいはAmazonなり楽天なりで"訳あり品"というフレーズが宣伝材料として活用されていることなど考え合わせたりすると、「ここが残念だよ」とあらかじめダメージを受けてる部分をひとつだけ開示しておく手法によって自動的な好意を私たちから引き出すメカニズムがあるのではないかという、嘘くささを嗅ぎとってしまいます。
 さらには、キャラ設定に波乱を委ねてしまったゆえに、シナリオの先行きに見当がつきやすいです。コミュ障ヒロインについては、主人公コミュニティに受け容れられることが既定路線まるわかり。「このキャラは残念だよ!問題ありだよ!」と謳ったことによってむしろシナリオはきれいに丸くなり、予想しやすいスリリングさに落ち着く。ときにヒロインの残念さはおためごかしとなってしまい、ダメ人間を最後まで描き通した物語に打ちのめされるようなプレイ体験は生まれにくいです。

 ここでふと思い出すのは、海原楓太も参加した『みここ』。朱雀野華蓮が良いエロゲヒロインで、よく心に残ってます。何だか"残念系"と呼んでしまいたくはない、まっこと酷いヒロインで、可愛さのための残念さではないあたり別格。
 『みここ』では、お金にふり回されて、言行不一致で、悪癖だらけで、しょうもない華蓮のキャラをほとんど手当たり次第に描いてくのだけど、ギャグシーンたたみかけによる調性の取れてない感じのシナリオがまたそれとよく足並みを揃えてる。そうして頭で考えたら少しの弁解もできないところまでお話を持って行ってから、心のちんこへと訴えかけつつ「もうしょうがない。だって華蓮だから!」と笑い飛ばしてしまう。もしかしたら、あのギリギリのところで一笑に付すことこそエロゲならでは取り得だといえるかもしれません。お値段バカ高くて、話にまとまりがなくて、旧弊だらけで、しょうもないエロゲならではシナリオ。すっかり財布が寒くなったから思わず腹かかえて笑ってしまい、それでもって懐が温くなるというのは、なんともエロゲに似合いのお話だと思う。

 "残念系"なヒロインを立て続けに見たりするとわたしがモヤモヤしてくるのには、華蓮のような本当にダメな人のお話がそれと混ざってしまいそうなことへの抵抗感もあるかもしれません。
 華蓮は必死に考えながらも、休まずたゆまず見当違いの方向へと突っ走ろうとするバカでしたが、その考えは休むに似たりでして、ずっと同じところで全力疾走の足踏みを続けるようなシナリオになっちゃってる。そのバカっぷりにはどうしようもなく共感してしまった(笑)
 その経験をふまえると、"残念系"ヒロインたちがシナリオ上の問題と残念さと萌えポイントを束ねながら順序よく話を進行させてくれるのにはコレジャナイ感が頭をもたげる時々があって、プレイヤーから「残念だ!」と言われて物語が完成するのではなく、製作者が「ここが残念ですよ」って笑顔で完パケを出してくるのにも違和感がつきまとうような。
 「Aちゃん可愛い」「Bちゃんのがカワイイよぉ」とヒロイン相互に褒めさせないで、わたしに可愛いと言わせてみておくれよ……となる置いてけぼり感がしばしばあるように、「ここが残念ですよ!」というウリ文句でどこが残念かを決められてしまうと訝しんでしまう。プレイヤーの好悪をあらかじめ決め打ちするようなキャラ作りというのは、シナリオを強固にすると同時に、感情移入を妨げるひとつの障害にもなるようです。


 わたし自身が"型"の強いものを好むことが多いためか、なんだか自信ない物言いとなっちゃいました。
 腹を割って話すと(くぱぁ)『みここ』についても熱心になれないルートの方が多かったことですし、残響さんとはエロゲの興味分野がわりあい異なるよう思います。それだけにこのような機会を持てるのは良いものですし、頻に語りたいこともなくES以外には出没してないわたしにはなおさらのこと。『キミへ贈る、ソラの花』感想含め、他のご活動へ差し障りないくらいにでもお相手していただけるならありがたいです。

 さて。
 カルロス・アギーレ。最初に聴いた曲で民族音楽のルーツが強いのかと思ってたらそのうちジャズの匂いがぷんぷんしてきたりと、色とりどりな印象。ラテンにある極彩色を何とか理解しようと努め、それでもついには考えを休めてそのランドスケープを見つめてしまうようなバランス感、謙虚さを感じました。好いですねー。
 そして、あちらで教えていただいたバド・パウエルの録音( https://www.youtube.com/watch?v=PVNtHCnPUZw )。鼻歌うっさぃwww いやまぁ、来歴からすればわたしに悪趣味な草を生やされるような話ではないのでしょうけど。
{
>ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい。
(カート・ヴォネガット『国のない男』)
}
思い出しました。ともあれ、こういう録音にはやはりどこか惹かれてしまうようです。日頃はジャズとか射程外なのですけども、いい感じにひっかかったことですし耳慣らしも兼ねてポチってみました。多謝です。
Sek84832014年11月02日

75ひのまるっ (WHEEL)
「肩の力を抜きなよー」と語りかけながら自らも率先して肩の力を抜いてしまう、ゆるいコメディ作品。ブラウン管のなか、調子っ外れの歌を熱唱するルル・セアブルをぼけっと眺めてると、なんかもう全て世は事もなしと思えてきました。 → 長文感想(10511)(ネタバレ注意)(2)
最新レスはじめまして……と申しますか、vostokさんのブログ(オネミリエ)で、ご丁寧にご挨拶いただいて、ありがとうございます。
B級エロゲと音楽を好む、残響と申します。
あの時のコメントでは、当方の愚文(音楽ブログ)に過分なご評価いただき、これもまたありがとうございます。
あそこまで読んでいただけているとは……ほんとに感謝の極みです。
アルゼンチン音響派、よかったですか。だとするならば(これは後述しますが)Sek8483さん……いえ、vostokさんにならってsekさんとお呼びして(突然すいません!)、sekさんには、ひょっとしたら、同じアルゼンチンの、カルロス・アギーレなどヒットするかもしれません。その透明性、という点で……いや、音響派とはまた違った音楽なのですが、グールドがいけるならいけるはず?

https://www.youtube.com/watch?v=ZKrjsiTCyXg

さて、本作「ひのまるっ!」、申し訳ありませんが、未プレイです、当方。
ですが、sekさんの長文感想を全部読みまして(本当)、まず第一にレスしたくなったのが、このレビューでして。
(付け加えるなら、偶然にも、sekさんの長文感想で取り上げられているエロゲは、当方全部まだ未プレイです。が、それは感性の違い、というよりは、ただ単に「たまたま」だと思います。失礼な言い分に聞こえてしまったら申し訳ありませんが、愚弄を申しあげているつもりはございません……)

sekさんのレビューを読んでいて、こっちが勝手に思ったことなのですが、共通しているのが、
1)ロジカルに作品全体を丹念に読まれる
2)細部のガジェットに対する注目
3)そこから翻って、「透明性に対する憧憬」のようなものが感じられる

といった感じです。(後述、はここにきます)
それが特に思えたのは、「キミへ贈る、ソラの花」レビューででした。
こちらもまたレスさせていただきたいのですが、なんといってもこれはひのまるっ!レビューのレスですからねw

で、長々と前口上が長くなってしまいましたが、本作レビューについて。




1, 想像しやすくて目に見える笑い

どっどっどりふの以下略、とか、8時だよ! 全員以下略とか……まあ、最近こういったバラエティ、少なくなりましたね。ある意味、「正統派エロゲ」よりも「正統派お笑い」のほうが修羅の世界なのかもしれません(どっちもどっち?)
ひのまるっ!というゲームについて、当方が抱いている知識は、
「なんかマイナー」で「ギャグ」
なくらいしかないのですが、本作に対して肯定的な見方ができるようになったのは、まずもってsekさんのこの箇所の紹介からでした。
時代に反しているといえばそうなのかもしれません。ですが、それはそれで、なんか……「王道」と簡略して語るのも本質を離れているかもしれませんが、「それはそれのよさ」がありますよね、と。


2, 気持ちを溜めこまないヒロイン

>しばしば"雰囲気が良いこと"を目指した萌えゲーでは、女の子が主人公に対してはもちろんお互いについても褒め称え合いをしたりします


完全同意!
とくに「さじ加減」「気分の悪い日には~」の部分なんか完全同意! あーはいはいあんたたちすばらしい個性の持ち主で人生楽しくて互いを尊敬しあっていて世界は清らかでクソックソックソッ……とかって、闇の世界の住人たるわたしには思えたりします(性格悪すぎ。sekさんはそうでない、ということを断っておきますが)。

>セリフの端々で良い子アピールをすることもなく(そもそも"行間"が含まれてません)

これ、いいんですよね。とてもいい。
自分が好きなライターで海原楓太というのがいるのですが(C:drive系でよく書いてるライターです)、最近のライターはどこか「嫌われないようにしよう、読者から……ああっ、書きすぎた、嫌われないようにしよう……削ろう……」みたいな態度でキャラを書いてるんじゃないか、と思わせるフシがあります。
ところが、海原の場合、このあたりを盛大に放り投げて、ヒロインが「うぜえ! 死ね! うんこ!」とためらいなく言うのですね。(さすがに書いてて、海原ファンながら、なんか「何書いてるんだろう自分……」と思えました)。
それと同系統のものを感じました。コメディに、過分な行間はいりません(もちろん、これも「さじ加減」ですが)


3, 意味なしオチ、意味なし勝負


「アンチクライマックス」の問題ですね。

>わたしは頭の固い方なので、物語はかくあるべしというイメージを持っています。上げて、上げて、どん底に突き落としてから、引き上げるというもの。

正直にいいますと、わたしも人生のある時点まではこのような考えを持っていたのですが、どこかで「もういいや……」という諦念に襲われて、それ以降、B級エロゲに耽溺するような感じになってしまいました
sekさんを否定しているわけではございません! 骨格あっての物語、確かにそうです。「型」があっての邪道、というようにもいえます。
もちろんそれは、

>勝たなくちゃいけない、問題は解決しなくちゃいけない、という現実世界の基本ルールを徹底して外してきたあたりには、そういった日々を暮らしているプレイヤーへの気遣いは潜んでいたかもしれません。

と仰るsekさんはよくご存知のことですから……屋上屋を重ねてしまいましたね。

「ソナタ形式のようなクライマックス」「起承転結、序破急」「オーソドックスな型」
どれも、必然性があって存在しているものですし、それから過度に逸脱してしまったものが、その後のメインストリームにはなかなかなりません(ジャズの歴史におけるフリー・ジャズのように)。
あるいは、「逸脱」が、その後の当該ジャンルにもたらす「益」としては、うまくいえないのですが、その後の作品群に「新しさのエッセンス」を香り付け(フレーバー)のように付与することにより、ジャンルの新陳代謝をもたらす、といったところでしょうか(十二音音楽がその後のクラシックの形式は変えなくても、音色を変えたように)

なんか胡乱なジャンル論になってしまって申し訳ないです。しかもこの作品のキモは最初にsekさんが仰ったように「レトロ感」なのですから(!)。
まったく、「面白さ」とはどこからくるか、わからないものです……とクリシェを放って、この長文愚文レスを終わりにさせてください。長々とすいませんでした。これからも、丹念でロジカルなsekさんのレビューを期待しています。
残響2014年10月30日

76俺が♀で彼女が♂に!? 気弱美少年と完璧美少女がChange! ~出さないで! 自分のカラダで妊娠させられてイっちゃう!~ (Norn)
ただただ有名どころばかりをプレイしてきたぬるぬる萌えゲーマーです。こちらの作品で、TS童貞……というかTS処女を散らしました。 → 長文感想(3957)(ネタバレ注意)(2)
最新レス 先日、数本の萌えゲーを買い足しまして(『ころげて』含む。なぜバレたし)、どれからプレイしようかなとワクドキしてる時、静かに熱量を発するamagiさんの感想が目に入ってしまった。自分がTSエロゲに手を出すことはないと思っていたからこそ未プレイでも読み物のつもりで全文読んだのですが、桜花が「好きだ」と告げるかのような作品へのストレートな愛情表現に濡れかけました。次いでimotaさんの感想に爆笑しつつもamagiさんとの微妙な視座の違いがどうにも気になったりするうち、思わずポチっとな。先週末は雪都さお梨のチュパ音で耳を幸せにする予定だったのですが、気づいたときには自分がフェラさせられるはめに。とてもよい買い物でした。

 「エロ要らね」とか言われてしまうことも多いジャンルのエロゲばかり好んでプレイしているわたしなのですが、抜きゲー、特にニッチ作品のレビューには屈託ないユーモアで魅せる変態紳士の手によるものをよく見かけ、隣の青い芝生として憧れを抱いていたりします。
 本作についても、takanashiさん、tenlyさん、meroronさんの感想も余さず読み、楽しませていただきました。そこでせっかくだからと自分でも書いてみたのですが、どうにもこうにもロジカル。わたしのようにクソ真面目な書き口をとるユーザーが、まるで知りもしないジャンルの作品を言葉で切り刻んでしまうのが申し訳なくてビクビクしていたところだったので、ご好意あるレスをもらって実はかなーり胸を撫で下ろしてたり。
 感想を上げるのは毎度どうにも気後れします。『魔女こい』はなんか考察系らしいので、仮にプレイしたとしても、妄想を手前勝手にひけらかしてしまいそうなのが怖くて他の方のプレイが一段落するまでは感想を上げられそうにもありません。まして『らくえん』は長文感想に書いてしまえば何かを損ねてしまいそうで、無理、無理です。


 さて、TSエロゲについて。
 amagiさんが、どちらの視点で臨むかはプレイヤー次第と言うところをふまえると、「テキストが女性視点の冥利を盛り込んでいるのにもかかわらず、他要素を美少女ゲームとして構成している」というのは欠点でありながらにして、TSの肝要なところなのでしょうね。今回のプレイでは、エロシーンに興奮して頭のネジが外れながら自分がどちらの性に視座を置くべきなのかわからなくなっていく瞬間にその魅力が凝縮されていたように感じたのですが、それを引き起こすには女性視点と男性視点の混在は避けられない。しかし女性視点を強めると本作のようにホモ臭くなってしまう難がある。このあたりには構造的に避けがたいジレンマが見えます。
 ひるがえって、普段はひたすらにご奉仕フェラ音を聞かせて貰うだけのプレイヤーとしては、瑠伊(♀)視点に入ってしまうことで妙な安堵というか、「わたしは女の子のキモチだってわかってますよ。ふふーん」という満足感を得てしまいました。ちょっとした"みそぎ"ですね。理想的な女神ばかりがわたしたちを迎えてくれる美少女ゲームは、それゆえ本当の女の子を描くのが苦手というまたひとつ別のジレンマを持つのですが、TSのギミックはそこについて(解消はしないにせよ)上手く避けてしまえる利点を持つのではないかと考えました。考えました、たったひとつ作品をプレイしただけの人間が(笑)

 知ったふうな口きいて恥の上塗りをするのはもう止しておきますが、いくつかの点で面白い刺激を受けるプレイ体験となり、しかも素直に言ってプレイは楽しかったです。なにぶん食わず嫌いをしがちな者でして、amagiさんの押しつけがましさのないレビューに背中を押していただけたこと、ありがたいです。
 それでは、わたしが気兼ねなく得点つけられるくらいまで本作のデータ数が集まることを願いつつ失礼します。
Sek84832014年06月09日

76俺が♀で彼女が♂に!? 気弱美少年と完璧美少女がChange! ~出さないで! 自分のカラダで妊娠させられてイっちゃう!~ (Norn)
ただただ有名どころばかりをプレイしてきたぬるぬる萌えゲーマーです。こちらの作品で、TS童貞……というかTS処女を散らしました。 → 長文感想(3957)(ネタバレ注意)(2)
最新レス「Sekさんが書く次の長文感想はなんだろうなーころげて魔女こいアイルノーツ辺り
かなー大穴でらくえん来ないかなー(トップページを見る)なん・・・だと・・・?」

まさかのTSエロゲレビュー。しかも自分の感想が原因とあっては、嬉しさ以上に
申し訳なさというか、ニッチ極まりないエロゲに1.6k払わせてしまいごめんなさいと
いいますか。せめて値段分は(色々な意味で)感じるモノがあったことを願う
ばかりであります。


完全に私見なのですが、TSを堪能するにあたりどちらの視点で臨むかは自身の
フェティシズム・パラフィリアに相談するのがベストと考えています。
(冒頭から否定調とか失礼にも程があるのですが、まずはご容赦ください。)

男性視点による堪能がプライマリニーズなのは事実ですが、だからと読み手が
妥協することはないわけで。
加えて冒頭のオナニーシーンは明らかに瑠伊(♀)視点による興奮を誘っています。
なればSekさんの感じたフェラシーンの「女性視点での抜きにくさ」は短所として
しまっても差し支えないかなと。

これがTSスキーの場合ですと「普段は聞かせて貰っているフェラ音を、自分がはしたない
音を出して、ゴックン音まで相手に聞かせている」シチュへの興奮が不満より先に立って
しまい、業が深いといいますか上級者といいますか単なる変態ですねごめんなさい。

といいつつ、本作はやっぱり瑠伊(♀)視点重視のエロゲかなーとは思ってたり。
すると「テキストが女性視点の冥利を盛り込んでいるのにもかかわらず、他要素を
美少女ゲームとして構成している」という欠点が露見しますが、この辺の事情は
imotaさんの感想レスにて述べましたので割愛を。


話変わって、ロープライスエロゲでも丁寧に読み込まれていることに驚かされました。
地の文とセリフのベクトルとジョイントはまさにおっしゃる通りで、だから読み手は
安心して桜花に身を任せられるし、瑠伊にシンクロできる。
イケメンボイスの嫌味なさと魅力にまで言及が届いていて、同じエロゲとはいえ
アウェーのジャンルでよくここまで、とシャッポを脱ぐばかりです。

これらロジカルに判りやすく説明されているのを見ると、やっぱりSekさんのレビューは
要所を上手く伝えるなぁと。プレイ関係上ひまなつとナツユメしか読めていませんが、
次回の感想も楽しみにしています。今回も素敵なレビューをありがとうございました。
amaginoboru2014年06月09日

83向日葵の教会と長い夏休み ()
詠がおりこうだったように、雛桜が大人の事情に聡いように、色んな要素を考慮しつつ必要なところをちゃんと満たした作品。必要に応じておりこうに削られた細部とか、大人の事情もあって後回しにされたエロなんかが、ちょっと惜しいように感じられます。 → 長文感想(21333)(ネタバレ注意)(4)
最新レス お話を伺っていると、わたしのエロゲ感想にはその頃の匂いがいくらかあるのかもしれません。
 まだ十代の頃、Web上で葉鍵の二次創作SSを読んでいたことがあります。初めてエロゲの世界に触れたのがそこからでして、まだひそかに記憶に留まっているお話もあったり。ゲームそのものは全然知らなかったわけで、考察とかまではちょっと読んだ記憶が無いのですけど。これまでこのようにして人に向けた文章を書いた経験は無かったのでエロスケでの感想作りが新鮮なのですが、ぽつぽつと書いている短文感想にやたらと会話文が出てきていたりするのは、葉鍵SSがエロゲへの入り口であったことの名残なのやもしれません。

 わたしの感想を書く動機にも、自分を納得させたり何かを忘れないためのメモ的な感想というvostokさんに似たところがあり、プレイ本数が減っていくなかで、いくつかの好きな作品の不可解なところを文書にして考えたり、形に残しておきたくなったためです。そんな目的のため、こじつけてでも作品を良きものとして解釈しようという傾向はあるかもしれません。客観的な作品評価も考えはしますが、そこは投げうってしまうことも多いです。そして将来的に自分が見返すことがあったときのため、なるだけわかり易いように。
 あと、やっぱり、いっぱい誉められたいだけです(笑) そのうちにはわたしも投票機能とか使ってみます。

 vostokさんのお名前をはっきりと覚えたのは『春萌』感想においてでした。沙緒さんと"密語"の話( http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=7221&uid=vostok )。
 いつの間にやら上の方へと流れていってる感想本文を読み返すと「なんでノドグロ食べてくれなかったの?」と言ってる"わたし"って、なんか幼稚化しているようではあります。同じエロゲーマーのなかでなら誰かが耳を傾けてくれるだろうと期待して、おりこうになれない言葉を発している。そうして微妙に幼稚化してでも、密語コミュニケーションに失敗してでも、飲み込みにくいプライベートな言葉を届けようとあがいたことで、誰かへ言葉が届いたような感触をこうして得られたのかもしれないなと、ちょっとそんな風に思いました。

 それでは。
Sek84832014年05月11日

83向日葵の教会と長い夏休み ()
詠がおりこうだったように、雛桜が大人の事情に聡いように、色んな要素を考慮しつつ必要なところをちゃんと満たした作品。必要に応じておりこうに削られた細部とか、大人の事情もあって後回しにされたエロなんかが、ちょっと惜しいように感じられます。 → 長文感想(21333)(ネタバレ注意)(4)
最新レス久々に作品を起動してちょっと雛桜の声を聞いてきました。Sekさんも書いておられるように、「長い夏休み」編は彼女を見守っていく形の進行ですが、やはりいいですねえ、この安心設計というのも。一度結末を知ってしまったら読み難くなるというようなこともなく、どこを切ってもけっこう楽しめる感じがしました。自分は貧乏性なので、可能なうちにできるだけいろんなものを見てみたいと思って、エロゲーや本を再プレイ・再読することはほとんどなく、いつか(老後か)またじっくり楽しみたいなあと思いつつとっかえひっかえしているので、たまに再プレイして本当に楽しいと何だか得した気分になります。

僕の感想は1000字からせいぜい5000字くらいの短いものなので、いつも取りこぼしがあることを残念に思いつつも、半ば諦めています。たぶん書き方に問題があるのでしょうが、伝えたいことをきっちり説明していくのではなく、気になったところや思い浮かんだことを羅列していくだけなのに、そのことにけっこう時間がかかってしまって、長い文章をかけるほど集中力が持たない。マルセルさんなどが呼吸をするように延々と言葉を連ねていけるのは、頭もいいし頭の使い方も全然違うのだろうなと羨ましく思います。自分の場合は結局、他人に何かを伝えるための批評とかレビューとかというよりは、自分を納得させたり何かを忘れないためのメモ的な感想なので、そのときに書き留めておけなかったことはどこかに消えてなくなってしまう。自分の昔の感想は、「批評空間」らしく作品を無理に評価しようとしていたり、次から次へとプレイを急いだりしたせいで、簡潔な感想で済まして消費してしまった部分もあるのが残念なところです。分量だけの問題ではないのでしょうが、昔から毎回1万~2万字もの感想を書くことができていたら、駄文であっても今頃は宝物になっていたのではないかと思います。ぐだぐだ言うくらいならさっさと再プレイして感想を書き足せという話ですが…。

音楽の素養は自分もまったくなくて、音楽に憧れる文学(ロマン主義)に憧れる人達の本(研究書とか)をちょっとかじった程度なので、アイデアのある方にはどんどん書いていってほしいです。ケロQのすかぢ氏は、この「言葉を超えたいけどそれを表現する手段は言葉しかない」という人文科学のジレンマを理解している人なので、だからこそ音楽とか声優とか絵とかの質にも手を抜けないのではないかと思います(声優の演技指導までは多分しないにしても)。希実香たちが「旋律」にたどり着くまでの流れは、そういう憧れを散文的な学術の言葉ではなく、芸術の言葉で表現しようとした試みで(こんなふうに説明すると野暮の極みですが)、この先もこういう試みを何度もやってくれるのでしょう。こういう創造的な努力と比べると哀れなものですが、僕らがエロゲーをプレイして見つけたと錯覚した価値あるものを、何とか言葉に定着させようとしてする努力も、まあ多少は意味があると思いたい。えらそうなことをいってお恥ずかしいですが。いずれにせよ、そうした語りのためにはいろんなツールがあればあるほどいいのですが、最近は滋養のある本もろくに読んでいないし、いろいろと自分が衰えてきていてさみしい。特にエロゲーの声や音楽、絵を語る言葉は、全然身につけられていないままなのが残念。

ですから他の方がおもしろい感想を書いてくれるととてもありがたい。客観的な作品評価とかどうでもいいから(そもそも無理ですし)、できるだけ思い入れたっぷりに、熱量を込めて、飲み込みにくいプライベートな言葉で書いてほしいなあと思っております。僕は年齢的にはいわゆる葉鍵時代の世代ですが、エロゲーを始めたのはその時代が終わった2005年頃からで、Kanonの頃に詩的で知的で楽しい文章が沢山生み出されていた、その宴(当時を知る人にはまた違って見えるのかもしれませんが)に間に合わなかったことの残念さが出発点の一つになっています。人に説明するためというよりは自分に向けて書いている側面もあるので、あくまで出発点の一つに過ぎないのですが、育ててもらったことはありがたく思っている。今では時代の空気はだいぶ違っているのでしょうが、このサイトも含めてよい文章を書く方はまだまだいると思います。唐突ながら挙げさせてもらうと、例えばhttp://d.hatena.ne.jp/tsutsu-ji/ の方とか。他にも何人かいたのですが、引退されたり長い文章を書かなくなってしまったりしてして、最近は読み物として読める文章が減ってしまった。少なくとも、あまり目につかなくなった。最近はそういう方たちを探す努力を怠りがちだったので(マルセルさんが書いていましたが、今はどんなコミュニティで言説が流通しているのか自分のような者には分かりにくい)、Sekさんの長文を見つけてほっこりな変態紳士となったのでした。他の長文感想は残念ながら未読ですが、少なくとも夏ノ雨はそのうちプレイしますので、終わった後の楽しみにしております。

だらだらととりとめのない書き込みを失礼いたしました。
雛桜の好きなカレーライスでも作ってきます。
vostok2014年05月10日

83向日葵の教会と長い夏休み ()
詠がおりこうだったように、雛桜が大人の事情に聡いように、色んな要素を考慮しつつ必要なところをちゃんと満たした作品。必要に応じておりこうに削られた細部とか、大人の事情もあって後回しにされたエロなんかが、ちょっと惜しいように感じられます。 → 長文感想(21333)(ネタバレ注意)(4)
最新レス ヒロインボイスについては、vostokさんにどのように読んでもらえたのか、いちばん気にかかっていた箇所でした。
 vostokさんの感想が『ひまなつ』へのひと押しだったこともあり、実はあの箇所を書くときには、以前にマルセルさんの『ワンコとリリー』感想でimotaさんも交えてなされていた"ワルツの比喩"その他の話を思い返していました。音楽への素養が足らなくて内容は噛みくだけずにいますが、それでも面白く、単純なテキスト読みとはまた違った言語でエロゲを考えるためのひとつの手引きとさせてもらっていました。もっとも今回のわたしの場合そのまんまに音声を語っているわけで、直接のつながりは無いのですが、セリフと結びついた単線的な解釈から離れる発想はあそこから真似たように思っています。
 さて『すば日々』について、テキストでもって考えうる領域がどこまでなのか、あるいは"ワルツの比喩"のような音楽的な言語をもって考えうる領域がどこまでなのかということの線引をわたしの耳目はまるで捉えられていません。わたしの素養が足りないことに加えて、エンタメ作品としてよく出来てるからもう全部を物語のお約束に落とし込んでしまいたくなって、頭は余計にこんがらがります。そのことはちょっと残念だけど、『シラノ』だけ既読で、哲学書なんて読んだことない人ですから(後日に届いたAmazonの箱には野矢先生のアンチョコも同梱してもらっておきました)、物語を読めればもうそれで満足してしまいました。次のシーンなんて大好き。
{
>【希実香】「さぁ、神様、ここです。この天秤にお乗り下さいませっっ」
> 【卓司】「はははは、どんな組み合わせだよ……なんで奇跡と旋律なんだよ」
>【希実香】「そんな事ありませんよ―。神様は旋律ですって!」
>【希実香】「神様は旋律なんですよー」
>【希実香】「私、今分かりました! 神様は旋律ですよー」
}
 でも、希実香の言葉には完璧に肯けてしまった。『論考』とか読んでいなかったわたしでも。そこから転じて、ひとつの試みとしての"ワルツの比喩"みたいなアプローチにはちょっと興味があって、音楽的な認識というやつにいくらか慣れることができるようになれば、神様の姿とかまではやはり想像できないにせよ、エロゲへのサブチャンネルが開けたりして面白い景色が見えちゃいそうだなくらいの好奇心があります。
 以上のような経緯があって、最初は話の枕にだけしていた雛桜の声の話はひとつのトピックへと膨らんでいきました。というより、ざくろの声が過剰なまでに二次元のキャラクターらしくある存在感を放っていることがずっと気になっていて、そこへ結びつけられる手がかりをたまたま雛桜からは拾い出せました。しかしあらためて読み返してみると、その時に聴いていたKoRn「Twist」のせいで、唐突にぶっ込まれることになったロック歌手の話とか浮いてますね(笑)。声の語り方どころかエロゲの語り方そのものも暗中模索のところ、どれくらい強度のある説明なのかは自分でもまだ疑いつつですが、誉めていただいたことにひとまずホッとしています。

 話は変わり、vostokさんの文章は詩的で好みです。別におだててるわけでもなく、行間が広くとられて意味豊かなところを楽しんでおります。正直なところ、あのような文体へは憧れもあったり。しかしまぁ、自分の手もとに配られたカードで勝負するしかないでしょうから、なるだけ簡易でわずかに豊かな文章を書けるようになれたならと思っております。楽しかったので、また機会を見つけたら長文感想やってみたいです。今回は、危うく忘れてしまいそうなほどおりこうな詠に愛着がついていき、安心できました。
 感想投稿した翌日のことなのですが、vostokさんの感想をふらふら読んでいると、『はつゆきさくら』感想で何かがカチリとはまり、思わず声をあげて笑いました。そう言えば、シロクマはロシアでしたね(すごい納得の仕方だ!)。昨年、エロスケへと来た頃に『はつゆき』感想をひたすら漁っていた時期があったのですが、その時にしっくりきた文章だったのでよく覚えていたのです。あぁ、この文章もこの人の手だったのかと、感慨深かったです。でも実はお名前は覚えてなかったという失礼を。リアルでも、人の言葉は忘れないのに顔や名前は忘れてしまうのでよく叱られてます。もう覚えました。
 つまらない話も添えておくと、「Sekさん」と呼んでいただけたことで妙に喜んでます。「せくはちよんはちさんさん」ベッタリとした響きです。点数だけ入力して消えるつもりで本名短縮+テキトー数字のいかにも匿名なアカウント名とったものの、ご覧の有り様で、なんだか後ろの数字が邪魔にも思えてたり。

 レスをいただけたことで舞い上がり、浮かれ調子にまくし立ててしまいました。ひとりの方へと向けて喋るのは楽なので、ついつい。それでは、よい作品との出会いがありますように。
Sek84832014年05月09日

83向日葵の教会と長い夏休み ()
詠がおりこうだったように、雛桜が大人の事情に聡いように、色んな要素を考慮しつつ必要なところをちゃんと満たした作品。必要に応じておりこうに削られた細部とか、大人の事情もあって後回しにされたエロなんかが、ちょっと惜しいように感じられます。 → 長文感想(21333)(ネタバレ注意)(4)
最新レスこちらこそありがたいお言葉です。僕の駄文がこんないい文章が生まれるのに少しでもお役に立てたのなら嬉しいです。解釈が他の想像の余地を殺すというお話、業の深いことではありますが、お互い読むたびにいろんなものを見ることができるような自由な読み手になれればいいですね。

わざわざ数え上げるようなことではないかもしれませんが、ご説では特に、詠のおりこうさとノドグロのお話、猫のヨミとのコントラストや詠というヒロインの捉え方、雛桜への視線の話など、作中で描かれなかったことまで補いながら(これが普通は難しい)の語りを楽しませていただきました。それから、雪都さお梨さんと涼屋スイさん(及びかわしまりのさん)を対比しつつのヒロインボイスの機能論は見事でした。自分はざくろちゃんの声に見事にはまったクチですが、これほどうまい説明は初めて見ました。エロゲーの声の語り方というのは自分ではまだ身につけていないので、Sekさんの説明にはなるほどと膝を打つところがありました。雛桜は自分にはなかなか異性としてみるのが難しかったこともあり、声も聞き流しがちだったのですが、何だかもったいない気がしてきました。Sekさんの感想を読んで満足してしまいましたが、いつか再プレイするのも楽しいだろうなと思いました。再プレイする心のゆとりがほしいものです。

一般に作品の解釈を投げつけるのは(それが正しいにせよ的外れにせよ)簡単ですが、その解釈を然るべき形で丁寧に着地させるところまでやっておられるのが、愛情が感じられて素晴らしいなと思った次第でした。ではまた、よい作品との出会いがありますように。
vostok2014年05月09日