路地裏猫の正体

路地裏猫の正体(ボーカル有り)

音楽得点分布

得点度数グラフ
1001
90~993
80~892
70~792
60~690
50~590
40~490
30~390
20~290
10~190
0~90

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猫になっちゃった歌なのに、猫なでボーカル。

 ボカロ曲へもカバーされた作品ですけど、初出のこちらはバンドサウンドで仕上げられております。ギターがきゅっきゅと軽快にひっかいて、目まぐるしく駆けまわって耳が楽しいです。洗練された音づくりというわけではなく、ボーカル・榊原ゆいも甘ったるい猫なで声でひと癖つけるのだけど。それはまぁ路地裏猫の歌なのだからそういうものでして、表題どおり、身のこなしの軽い音楽です。猫はいつだってシンプルな見解しか持たないから、床が水であるかのようにからだを投げ出すし、言わずもがなの慎重さで着地する。まるでウェイトを持たないかのようなシンバルだったり、動きのあやふやなベースがあったりと、足腰のさだまらない曲だけど、そうやってシンプルに身を投げ出していくところにちょっと憧れてしまいます。

 歌詞を追ってみたらば、気ままにアッチコッチへ跳びまわってて、しっぽをつかめない印象です。「この世界に君がいる」という歌い出しなのに「君が消えたあの日に」とか語り出した。人じゃなくなり、猫になったくせして「ポケットにしまい 零れないように歩いた」とか言い出すからイマイチ正体はつかめない。「なんかもう それだけで構わないんだー」が「なんかもう それだけじゃつまらないんだー」にふらりと変わったのに、となりに居させて欲しいって想いは結局そのまんま。脈絡がないふうなのに、そのスタンスはまるで変わってなくて。女よりもしなやかでボーイッシュにまっしぐらな、猫っぽい足どりです。
 もうちょっというと、この歌には、人から見た猫の世界のすがたと、猫から見た人の世界のすがたが混線していくような景色があって好きです。猫は、人とは長いこと近所づきあいしてきてくれた間柄だから、ときどき、わたしたちの似姿になっているよう思えることがあって。たとえば旅先の路地裏で出会う猫がとろくて、うかつに身を寄せてきたり、音を立てて逃げたりすると、(田舎町だろうが大都市だろうが) そこの文化とか財政には猫がうかつでいれるくらいのゆとりが在るのかなと、根拠レスに安心してしまうことがあるんです。路地裏猫にはしあわせであって欲しい。
 そうした、猫に人の似姿をかさねてみては願いをかけるようなそぶりを『路地裏猫の正体』もとります。なにしろ榊原ゆいならではの、甘えや甘やかしをふくんだ猫なでボーカルなのでして。人じゃなくなった猫の目線に寄りそった歌詞なんだけど、それを歌ってくれるのは猫かわいっがりをする人の声音。だから、猫の見え方と人の見え方が混じりあったような風景がひらけてきて、そこにあいた隙間へ、そっと入っていけるような居心地よさを感じます。

 猫の死生観というやつがあります (※直接お伺いしたわけじゃないから、実際どう考えてるかはちょっとわからないけど)。たとえば "死期がくると独りでに家をはなれ、いずこかへ身を隠してしまう" といったモチーフなんて人気がありますよね。そのときが訪れると「隠れる」というのだからミステリアスで半神じみており、猫らしい逸話なのですけれど。介護やら年金の制度設計やら、死にゆくことひとつでも話が複雑になって、結局は誰かしらに迷惑かけてしまいそうで独りになりがたいのが人間さん。そんなだから、猫のそぶりからイメージされた死生観は、なんとも自在にあって魅惑ものです。
 人間さんはしばしば、"おとぎ話には残酷さや性的なものや死が潜んでいる" ことを暴くような物語へと、ワイドショー的な楽しみを覚えて、無邪気な言葉づかいで晒したりするのだけど。そこのところ猫は隠しちゃうし、あるいは音楽もまた隠しちゃったりするみたいです。猫は「にゃー」としか言わなくて、ゆいにゃんは「今はまだちょっとわからないけどー」とか歌って、ギターが軽快なリフで鳴きつづけて。そうして大事なものを隠しておくのを、なるだけながく聴いてたいにゃーとか思います。

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