bottlearcherさんの「キラ☆キラ」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

スクリプトで制御されたリアリズム文学
それぞれのルートに分割して。



・共通ルート

バンド結成から、奔流に押し流されるように物語は動き出す。
パンクロッカーとしての作法を身に付け、度胸試しのスーパーマーケットでの実地練習。
更に重ねる修練に次ぐ修練。努力が実ったのか文化祭での演奏は成功を収める。敵として配置される軽音楽部との競争でも勝利を得る。
その後人気バンド『STAR GENERATION』との競演においても好評を博し、主人公達は夏休みを返上してのライブツアーを敢行する。

ここまでが共通ルートの流れだが、見事に主人公補正がかかっている。
これは私が10年程のバンド経験があり、またギター、ベース、ドラム、ヴォーカルの全てのパートでのライブ経験があるので、これを根拠にして話を進めるが、今まで音楽を殆ど聴いておらず演奏経験が無い四人(紗理奈だけは例外だが)が集まって、この短期間で賞賛される程の演奏と、ある一定の完成度をクリアしたオリジナルの楽曲を作成するというのは現実的な話では無い。
だが、このような指摘は『テニスの王子様』に対し「これは全くテニスとはかけ離れたスポーツであるし、物理法則からしても無理がある」という突っ込みのようなもので、野暮であるし無粋。主人公達の破竹の勢いで進む活躍を見て素直に楽しむのが正しい姿勢だろう。(『テニスの王子様』は素直にではなく現実との乖離を楽しむのだが)
「紗理奈は病弱って設定なのにクソ重いSGを弾くとかwwww」なんていう指摘も同様の理由で棄却される。
ライブハウスの雰囲気やルール、スタジオでの練習風景等は現在もバンド活動を続けているmilktubが関わっているせいかリアリティのある描写となっていた。


・樫原紗理奈ルート

病弱の資産家令嬢と思いを通じ合わせるが、境遇の違いや病気、祖父のエゴ等が障壁となり、それを除去するために主人公が奮闘するというプロット。
余りにありふれた物語の筋だが、前述した障壁は除去されず、また仲を認められぬために恋人と逃避行するというドラマティックな描写も無い。
ここで他との差別化を図っているという見方が出来る。
紗理奈ルートでは、祖父の態度は軟化したものの二人の仲については認めないし、病気は治癒する見込みも無い。主人公は境遇の違いを埋めようとするために、これからはしっかりしようと決意するが、そのための労力は多大であると自覚している。
雰囲気としてはハッピーエンドだが、よくよく考えてみると不安が山積みのエンドなのだ。この『一見ハッピーエンドだが実は…』という物語の締めは他のルートにも共通している。


・石動千絵ルート

バンド活動、またそれに付随する人々との出会いを通して一人の少女が成長する物語である。
その成長の内容だが、トルストイの言葉から引用される『人生とは幸福を希求することだ』の中の幸福の希求のあり方について、認識の変容が起こる。
まずは翠というキャラクターとの出会いが重要になる。翠と千絵は同じ家庭問題を抱えている。翠の父親は正妻を蔑ろにし、愛人を作って家庭を顧みない。千絵の父親は浮気したに惚れ込んでしまい、離婚という手続きを踏んで今までとは別の家族を構築しようとしている。
ここで重要なのは家庭問題への対処の違いだ。翠は周囲の反対も振り切って家庭から離脱しようとする。翻って千絵は何とか今までの家庭を再生しようとする。
翠のスタンスは千絵とは対照的であり、千絵のやり方に疑問を投げ掛ける。また、もう一人重要人物が登場する。千絵の父親の浮気相手だ。彼女は善良な人として描写され、翠が想像した『人の家庭を崩壊させようとする毒婦』とは正反対のキャラクターとして描かれる。この浮気相手は物語の終盤で千絵の前に姿を見せ、千絵の家庭を壊してしまったことを詫びつつも千絵の父親と添い遂げようとする確かな意志を示す。ここで千絵は『幸福の希求』におけるスタンスの違いに戸惑いながらも彼女を許してしまう。
これらの人々とのやりとりを通して千絵の『幸福の希求』の手段――自己を犠牲にして今までの関係性を維持すること――は揺らいでしまう。
千絵ルートでは主人公への思いは成就し、卒業式をジャックしてバンド演奏し生徒から多大な支持を集めて卒業してゆくという爽快な終わり方をするが、ラスト直前の台詞である

「なんでだか、考えたんだ。理解することで、それまで見えなかったものが見えて来るようになるでしょ。……そしたら、新しく、怖いものとか、いやなものとか、また、たくさん見えてくるよね。もしかしたら、それが不安なのかなって」
「ねえ鹿之助、私たち、いつまで二人一緒に居られるのかな?」

から『幸福の希求』の手段への認識の変容、その結果起こる恋人関係の将来への不安が読み取れ、これもまた『一見ハッピーエンドだが実は…』という締めになっている。


・椎野きらり死亡ルート(鹿之助ルート)

主人公である前島鹿之助が自己の問題を見つめ、それを超克する物語。
鹿之助は幼い頃に父親が他界してしまう。その後母親の連れ子として新しい家庭に入ることになる。この時鹿之助は自分が生きてゆくに当たっての基本方針を決めてしまう。迷惑を掛けないように、普通のあり方から逸脱しないように。『生きていながら死んでいるように』という処世術を実行してゆく。鹿之助のこの病理は冒頭のシーンで描かれる。彼女から別れ話を切り出され「心がない」との指摘を受けるのだ。更に鹿之助はこの状況でも彼女とのヨリを戻すことよりも、自分がこの境遇で最適な行動を取れているかということに腐心する。


『僕はいつも心を平静にして、静かに生きていたいんだ。だから、何かに動揺させられてり、感銘を受けてしまうのって、好きじゃないのに。』

鹿之助のこの歪な生き方のツケは別の形で噴出してしまう。何かに熱中してしまった時に、深層心理にまで浸透したこの処世術が肉体や精神にブレーキをかけるのだ。この結果、以前テニスに熱中した主人公は病に倒れ、これ以上テニスを続けることが困難になる。
これらを踏まえて鹿之助ルートについて見てみよう。きらりと結ばれ、ツアーを終えた後にきらりの悲惨な家庭状況が明かされると共に、火事できらりはこの世を去ってしまう。そして主人公は絶望に打ちひしがれ無為な日々を過ごすが、友人からの誘いを受けバンド活動を再開することになる。このバンド活動を続けるうちにやはり体を壊してしまう主人公。そこに死んだはずのきらりが姿を現すのである。きらりは主人公を学校の屋上へ導く。屋上に続く扉をくぐると、そこには焼け落ちたきらりの家があった。主人公は火災現場の跡でテニスラケット、ベース、テープレコーダーを発見する。これらは主人公が前述した生き方に反し熱中したものである。テニス、バンド、そしてきらり。歪な生き方では完全に掴めなかったものがあった。亡霊なのか幻覚なのか、ここに主人公を導いたきらりは、屋上のドアを開ける前にこう言った。

「あのね、鹿クンはやっぱり、少し忘れものを取り戻さないといけないんだよっ。このまま進んでいったらオカしくなっちゃうよ」

これは夢の中の体験であるが、しっかりとした内的体験であり、主人公は熱中したものを確認しそれと向き合うことによりこれまでの「心がない」生き方と別れを告げたのである。

『多分、僕はもう大丈夫になってしまったんだ。とても残酷なことに。』

そう言って再びバンド活動に戻る鹿之助。もうきらりの幻影に脅かされることも無い。復帰後のライブではきらりの曲とマイクを携えて、これまでの歪んだ生き方との決別をしっかりと宣言してくれる。


・椎野きらりルート

このルートに対し言及する前にドストエフスキーの著作である『罪と罰』について触れなければならない。プロットや人物造形についてかなりの類似が見られ、そのために『罪と罰』との差異を考慮することで、表現したかったものが浮かび上がってくるからである。
初めにプロットや人物造形の類似について軽く触れよう。


ソーニャ
マルメラードフの娘。家族を飢餓から救うため、売春婦となった。信心深い高潔な少女。

マルメラードフ
貧乏な元役人。ソーニャの父。生来の浮浪癖と酒癖が祟り、職を失して、愛娘のソーニャを売春婦に貶めてしまう。

これはそのままきらりとその父親に対応する。
また、プロットにおいては善意、救済の為の殺人が行われることが共通点である。
『罪と罰』の主人公であるラスコーリニコフは害悪にしかならない金貸しの老婆を殺害する。その時強奪した金品により未来への展望を拓き、他の価値ある人々へ善行を施すためである。
『キラ☆キラ』では主人公がきらりを悲惨な境遇から救うために殺人を行う。

「たまたま似ていただけではないか?」という声もあるだろうからそれに反論するために、作中で『罪と罰』のパロディーや引用が行われたところを抜粋しようと思う。


●人気ロールプレイングゲーム『プレストプレーニエ・イ・ナカザーニエ』略してプレナカの主人公は北国に住む学生で、究極の英雄になるために悪と戦いながら冒険を進めてゆくのだが

『罪と罰』の原題は(Преступление и наказание)
舞台はロシア
主人公はナポレオンを尊敬して、またこのような存在になろうとしている。

●「うん、『くさった長老の死体』とか、『おどるカテリーナ』とか、結構戦闘がアツいぜ」

ソーニャの母であるカテリーナは発狂して路上で踊りだす。
くさった長老の死体はおそらく『カラマーゾフの兄弟』から。

●もうちょっと先の話になるけど、主人公が売笑婦の少女の足下にひれ伏して、『僕は全ての人類の苦悩のために頭を下げるんだ!』って叫ぶシーンがあるんだが

主人公が殺人をソーニャに告白する場面。台詞も同じ。

●要塞の深部にある姫の部屋に侵入すると、部屋を守る悪の老婆があらわれた。
僕はこれを手に入れたばかりの『鉄の斧』で倒すと、そこに手下が現れて、ついでにそれも倒す。
どちらとも、『鉄の斧』の『峰打ち』で攻撃したら一発でけりがついてしまった。

主人公は老婆を『斧』の『背』で殴って殺害する。その後老婆が手下のように扱っていた妹も同じように殺害する。

●そして老婆の持ち物を調べると宝物が手に入り、僕はストーリーの要請に従ってそれを石の下に隠した。

主人公は殺害後、老婆の金品を奪い、家宅捜索を恐れて石の下に埋めてしまう。

●「部屋においつめると、隠し持った拳銃で攻撃してくるんだ。しかも正体は兄じゃなくて妹なんだ。この妹が強くて……」

主人公の妹であるドゥーニャをスヴィドリガイロフが部屋に追い詰めた時、妹は銃を発砲する。

●まるで夢の世界のような鮮烈な夕暮れの赤の中、きらりは、しゃがみこんでいた。
猫に餌をやっているらしい。手から何かを食べさせていた。もう涼しい季節だというのに薄着で、その背中には、妹にいたずらでもされたのか、『しいのこずえ』と書いた幼稚園の黄色い名札が、まるで鑑札の様に、強めの風に揺れていた。

『罪と罰』では売春婦は『黄色い鑑札』を身に付けている。


他には居酒屋できらりの父親が鹿之助に心中の吐露を行う場面が、ソーニャの父親がラスコーリニコフに酒場で同じように心中の吐露を行ったり

台詞の類似として

きらり
「あのね、もし、世界に完全に理解し合った二人だけがいて、その世界は本当にうまくいくの?いくら仲良くても、そこに食事が一人分しかなかったとしたらどうする?分け合ったら、二人とも死んじゃう。どっちかが食べれば、食べなかった方は餓死しちゃう。これって、どうやったって悲しいことでしょう。理解とかとはまた違うよねっ」

ペトローヴィチ
「つまりこういうことです。わたしが上着を半分にさいて、隣人にわけてやる、そして二人とも半分裸の状態になってしまう。ロシアの諺にあるじゃありませんか、『二兎を追う者は一兎をも得ず』と」

記述の類似として

『そのあとに生まれた十数秒の沈黙を、僕は一生忘れないだろう。』

『一分ほど黙って顔を見あっていた。ラズミーヒンは生涯この瞬間を忘れなかった』

まぁこれ位で検証はいいだろう。意識して『罪と罰』を取り込んでいることは証明されたかと思う。
では、『罪と罰』との差異は何か、それは殺人に至るまでの動機の違いだろう。ラスコーリニコフは人間を『凡人』と『非凡人』に分類し、『非凡人』である自分は皆に幸福を齎すのだから、そのために『凡人』に対しどのような扱いをしても良い。役にも立たない連中は自分の高潔な思想の元に排除しても良いといった考えから殺人に積極的に手を染める。逆に鹿之助はそのような思想は持っていない、更に消極的な『見殺し』という手段を行う機会が偶然訪れ、その結果きらりを救済するために『見殺し』を決意する。だが決意してすぐに考えを改め医者を呼ぶのである。ラスコーリニコフの思想に共感できる者は少ないかもしれないが、鹿之助のような状況だと『見殺し』を行ったことに対し、仕方が無いと思う者も少なくないと思われる。この差異によって『キラ☆キラ』で描かれるテーマ『一般的な善意により決定した行動によりいい結果が生まれるとは限らない』『共同体の維持に尽力したとしても泥沼に嵌まることもある』『それぞれが幸福の希求をした結果色々な問題が発生してしまう』等の『人生ってむつかしいね』の一言に集約されるテーマが感情的同意をもって色濃く浮かび上がってくる。

そしてきらりに『見殺し』の一部始終を鹿之助は話すのだが…。
その前にきらりの処世術のことを考えてみよう。
千絵ルートで弁舌を振るう内容だが

「全てを理解しあえなければ、一緒に楽しくやっていけないとしたら、それってとても寂しいことだよね。でも、そんなことはないじゃんっ。理解なんか出来なくたって、あたしたち、仲良しになれるんだもんっ」
「私、やり方知ってるよ。仲良くする方法知ってるよ。あのね、そういうときは、カレーパーティをやればいいんだよ」
「うん、あのね、足りなかったらね、余ってるものをちょっとずつ出し合えばいいんだよ。あのね、お金持ちも貧乏人も関係なく、おうちから、にんじんを持ってきたり、鍋を持ってきたり、そうやってみんなで持ち寄った食材と道具で、仲良くカレーを作るんだっ」
「お互いのことなんかそこまで詳しく知らなくたってさ、みんなが少しずつ出せるものを出し合って、一緒に料理をして、それで出来上がったものが美味しければ結構みんな仲良くなるよっ」
「……千絵ちゃんのオジサンがいけなかったのはね、みんなで作ったカレーをひっくり返しちゃったことだと思う。とにかくね、大事なのは、一緒に、楽しいことをやることなんだよ」

ここで示されたきらりの考えは『相互理解など不必要であり、皆が見返り等考えずお互いを愛し合えばいい、その結果構築した共同体を維持すればいい』ということである。きらりはその考えを実行する。家庭の維持のために自己を犠牲にし高給の夜の仕事に就くことに同意する。これは一般的な感性からすれば異常だが、きらりの処世術のことを考えれば納得は行く。また、これを後押しするのがギフテッドとして生まれ、幼い頃に疎外された記憶である。

「いい、わかってるけど、わかってるけど、そういう降って湧いたみたいなチャンス、私は欲しくないんだ。それにね、私は昔から、出来ればいつか社会の歯車って言うか……うまく言えないけど、まわりと上手に馴染んだ優しい人になりたかったの。私、穏やかなのが好き。歌は大好きだけど……」

歌手としてのデビューを固辞する場面だが、鹿之助と同じように自分を殺して周囲に融和しようとする姿勢が見られる。きらりは優れた能力を持つが、浮き上がらないために周りにレベルを合わせて生きているのである。

そして鹿之助の『見殺し』の告白を受け、これを契機にきらりはデビューを決意する。


「あんな状況で、みんなはバカにするかもしれないけど、でもね……」
「我慢して一生懸命頑張ってれば、いつかはきっと家族みんなで仲良く暮らせるハッピーエンドが来るって、信じてたんだ……。バカみたいでしょ?」
「そのためなら、なんだってするつもりだったのに……」

これまでの人生に対するスタンスが『理解不要の、無償の愛によって構築された共同体を自己犠牲と能力の抑圧によって維持する』であったきらりは鹿之助の告白を聞くことでその考えを改めることになった訳だ。実際父が死んでからは物事がスムーズに行き、鹿之助の苦しみもきらりの苦しみも全て無くなってしまっている。
そして考えを改めたきらりはこう言うのである。

「あたし、やっぱりデビューするよ」
「鹿クン、世の中には、悲しくて寂しいことがいっぱいあるね」
「私ね、なんだか、歌わなきゃいけないことがあるような気がして来たんだ。もしかしたら、それは私の義務なのかもしれない」
「私の周りの人は、なんだかみんなかわいそう。もう嫌だよ。本当はみんな凄くいい人なのに。だけど、おかげで、難しいことが一杯わかったんだ。悲しいことがいっぱいあったけど、わかったことは、すごくいいことなんだ。私、この気持ちをなんとか形にしたいの」
「ねえ鹿クン、わかる?私だけがわかっちゃったのかな?だとしたら寂しいな。鹿クンにもわかって欲しいの。元気を出して欲しいの」

そしてしばらく時間が経過し、歌手として成功したきらりと鹿之助の出会いが描かれるが、ひどくあっさりしたものとなっている。鹿之助もきらりも、その他の人達もそれぞれの独立した人生を持っている。これから二人の愛が深まったり、輝かしい未来がある、といった示唆も無い。淡々と、それぞれの人生が進んでゆくのだろう。きらりも、鹿之助も、これまでの物語によって背負わされた、色々なものを抱えて。


・総評

各ルートの分析を終えたところで、全てに共通するものが見えてきたかと思う。
四人が四人とも父親が原因で生まれた問題に対処するために、価値観の転換、ひいては生き方の転換を求められるのである。一種のビルドゥングス・ロマンとも言えるが、そこにカタルシスは存在しない。生き方の転換はしたものの、それで全て上手く行く訳ではないことが示唆されているからだ。フラグにより管理された四つのルートは、幕が下りた後もずっと続く四人の人生を想起させ、カタルシスは欠如しているものの、そこには雄弁なリアリズムが存在している。
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bottlearcherさんの「キラ☆キラ」の感想へのレス

>問題に対処するために、価値観の転換、ひいては生き方の転換を求められるのである

 自分は上手く表現できませんでしたが、この作品はそんな感じだと思います。
しかも全ルートに関する解説も実に分かり易かったです。
2008年01月19日00時37分02秒
丁寧だし詳細だし。いい感想を読ませてもらいました。
2008年01月21日11時28分00秒
ライターが伝えたかったことの分析が素晴らしい。
なるほど、文学ですね。
そこまで読み取れて初めて
作り手の意図した、作品の評価をできるんじゃないかと思います。

ただ、エロゲーとしてはどうなんだって気はします。
ほとんどの人はそこまで考えないだろうし、そんなものを求めてやったわけじゃない。
そこに作り手とプレイヤーのすれ違いがあるのかと考えると悲しい作品ですね。
ライターのオナニーと言えるかもしれません。
2009年11月11日22時20分03秒

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