残響さんの「その花びらにくちづけを わたしの王子さま」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

ここに一人の、自分に自信が持てない委員長少女・楓ちゃんがいる。紗良というカリスマ女子は、幼馴染パゥアーでもって、楓ちゃんを変えていくが……しかしそこには、無数の百合力学が働いて、結果、スーパーモードとなった楓ちゃんは、学園の津々浦々をメロリンチョにしてしまうものすげーご都合設定なのだが、しかし楓ちゃんじゃ仕方がないよねっ!
●その花/ふぐり屋初期事情概観

同人……否、今や商業エロゲ化もした「その花びらにくちづけを」シリーズの第二作である。この「その花」において第二作、とは、「最初の作品のキャラの後日談」ではない。
いまやあまりその花ファン界隈でも使われなくなった言葉だが、この「わたしの王子さま」は「ファーストシーズン」に属する作品だ。

どういうことか。
まず、ふぐり屋=聖ミカエル女学園ワールドは、現在(女学園限定でいえば)合計9組のカップリングがいる。
9組ということ、しかもこのそれぞれが「オンリー」なカプなので(つまり浮気関係、三角関係は皆無)、こうなると人数はもうこの段階で「18人」!と、普通のエロゲの登場人物の倍率ドン!である。

しかも、これは冗談ぬきに「この全員が主役」だからだ。
それは群像劇というものではなく、あくまで作品ごとに「そのカプに焦点を合わせて作品作りをする」ことを、一作目「その花びらにくちづけを」から貫きとおしているのだ、ふぐり屋は。

もっとも、それは「全部のカプを一つの作品だけで描く」ものではない。
ふぐり屋がとった方法は、(なかばそれは低価格同人の定めでもあったろうが)
「ひとつのカプだけを切り取って、短い物語のソフトを作る」
「その短いソフトを連ねていって、重層的にひとつの大きなゆりんゆりんワールドを形成する」
まるでブライアン・ウィルソンがアルバム「ペット・サウンズ」や「スマイル」で各曲を重層的に並べ、大伽藍を構築したようなコンセプチュアルな試みである。
とはいうものの、それは最初からもくろんでいたか、というのは疑問が残るが……w 結局は「お、こういうカプいんじゃね? よしつくろう」の連鎖でここまできたフシもあるからだ。いやこの動機が相当だろう、とわたしは考える。

で。
ファーストシーズン、とは、この9組のカプのうち、初期に登場したカプ……

・優菜×七海
・楓×紗良
・麻衣×玲緒

の三組の「馴れ初めの話」である。
これが「セカンドシーズン」になると、この三組のカプの「次の話」が描かれる。
そして「サードシーズン」は、さらに他のカプに目を移して描いていって……ということなのだが、この「サードシーズン」以降、その花/ふぐり屋においては「シーズン」の呼び名がされないため、ぶっちゃけ今もサードシーズンである。商業化したっつーのによぅ!(笑)
もっとも、このほにゃららシーズン、なるものも、結局は先行する百合……そうだよマリみてだよっ!あれのパクりなんだがなっ!

だが少なくとも、ふぐり屋はこのように段階的ステップを踏んで作品を作ることを最初から決めていた。
それは即ち、「ひとつひとつのカプを大事にしていこう」という断固たる決意の表れである。
わたしたちふぐり屋/ゆりんゆりん/聖ミカエル女子学園のファンは、彼ら(制作スタッフほとんど男なので)の「キャラ愛」を決して疑わない。だからついていく。
現在のエロゲ市場は、キャラを使い捨てる傾向が甚だしい。対し、ふぐり屋のスタイルは、時代錯誤にもほどがあるだろう。
だがこれでこそふぐり屋なのだ。不器用にも、キャラを愛して愛して、そのカプの強度を高めに高めること。これこそがふぐり屋だ。


●「わたしの王子さま」

以上を踏まえて、いや別に踏まえんでもいいのだが、今作は「初期からいるカプ」としてのふたり、である。
これを考えると、まず前作「その花びらにくちづけを(=以下「無印」)」との比較を考える必要がある。
とはいっても、キャラ談義なだけなのだから安心してほしい。
まず「無印」の優菜×七海ペア、とはなにか。
これは単純に「姉妹(スール)」ペアである。
もともとこの作品は、無印を見れば百合者にはすぐにわかるように「ああ、マリみてのエロゲ版なんだな……」というのが如実に伝わってくるものである。
そして、半ば製作者がわも、それを是として(だって彼らマリ見て大好きだもん♪)制作を進めた。よって出来た初カップルが「擬似姉妹」である。
この関係は、いわば百合において鉄板。
つまりは「お姉さま……」という妹(後輩)側の思慕と、姉(先輩)側が見せる妹へのまなざし、というこれだけでゴハン数杯は軽くいけますよっ!的なシチュなのである。ああたまらん!

だがふぐり屋はここでひとつのギミックをいれた。
この物語を「「エロ」ゲ化]さすために、「お姉さま」たる優菜を、「エロ乙女」にしたのだ。ここにその花の独自性がある。
まあそれは、男性プレイヤーに抜きどころを与える、というものではあるのだが、しかしこの構造が、逆に優菜というキャラを、ただの「おとなしいお姉さま」から遥かに脱却させ、羽化させることになった。……だがこれは「無印」レビューではないから、この項はまた別の機会に語るとしよう。

ようは、王道擬似姉妹カプが第一の作品でもってくるならば、第二の作品を同じ「姉妹」というところで区切ってしまっては、二番煎じになるだけなのだ。
ここで次の一手として投入されたのが
「再会型幼馴染」
である!!!

わたしは、以前このエロスケでも、夜のひつじ「幼馴染と十年、夏」というゲームのレビューで、「再会型幼馴染が大変好き」と語ったが、

http://erogamescape.ddo.jp/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=17496&uid=%E6%AE%8B%E9%9F%BF

その思いが芽生えるきっかけのひとつとなったゲームが、本作なのである。

しかし界隈において「再会型幼馴染系百合として結構良作」ということは、積極的には語られてこなかったと思う。

理由はいくつかあって、このファーストシーズンの3カプのうち、今作の「楓×紗良」ペアは、どうにも「弱い」という印象を与えていたからだ。

「んだとぉ! 五行なずなが出ていて弱いだとぉ! きたみり……じゃなくてなずなんに謝れ!」
おいおい声豚もちついてくれや。
しかしこの「弱い」という印象は、その花界隈において確かすぎるほど確か。いや、界隈を抜けても、やはり弱いのである。

優菜×七海カプには「姉妹」がある。それに加え「エロ乙女」の飛び道具。
この次につづく「麻衣×玲緒」というカプは、「オトコマエ女子×ツンデレお姫様」という、その花を代表するほどのカプなのだ。この「華」はさすがに大きい。

それに対し、こちらは「再会型幼馴染」……いくらこの世に幼馴染原理主義者が多くなったところで、基本的にそれは「家庭のからみ」というドメスティックな領域によるものだから、他を圧倒する「華」はないのだ。

かててくわえて、この物語の主人公たる「楓」は、おどおど系の自分に自信がない系委員長、眼鏡キャラである。
地味である……とことん地味である。

こういったことを踏まえていって、この第二作は、どちらかというと、プレイヤーが「派手なカプを拾ったのちに、手を出してみるか」的なところに収まっているように見える。

……ところが。
この作品、妙な磁力があるのだ。
本作をわたしがふぐり屋作品で最初にレビューしようと思ったのも、この磁力に他ならない。
では語る。

●楓と紗良の物語

この作品が、心に響くのは何か?
それは、わたしにとっては、とりもなおさず「再会型幼馴染」の鮮烈さを、こちらにひしひしと通奏低音として流してくれるからである。

変な表現をした。
「通奏低音が鮮烈に響く?」
おいおい、バッハの音楽じゃねえんだからよ、と思われるクラシックスキーエロゲクラスタ(なんかこのエロスケに少なからずいらっしゃるように思える)の意見もごもっともだが、
ではこう言い換えようか。

「道を歩いていて、時折見える樹木の鮮やかさ、花の美しさに、自然に心がはっとする……みたいな間隔」、だと。

そう、この物語には、いくつもの「人工的ギミック」があるのに対し、意外なほど「心にすっと入ってくるナチュラルな思い」が、いくつも散見されるのだ。

それは、集約すれば「楓と紗良がという幼馴染が、再会して、思いをつなぎなおしていく」というところにある。

もっとも、紗良というキャラは、「いけいけGOGO!」というキャラで、主人公・楓と対極である。
まして、この娘は「カリスマファッションモデル」なのだ。

得てして「相手側キャラ」を、ものっそい賛美して描く傾向にある「その花」であるが、この紗良というキャラを描く際にも、それはそれは、である。ゲーム紹介ページでも
「女優の娘」「サラブレッド」「カリスマ性」「瞬く間に学園のアイドル」
と叙述され、本編ではこれをさらに具体的にこれでもか、と、これでもか、と描写される。

……されるだけに、余計に主人公が萎縮する、というのが、本作の基本的パターンである。何をするにおいても、楓は「幼少期に分かれてから、変わってしまった紗良」に驚く。
その驚きの大半は「ステキな同姓に対する憧れ」なのだけど、しかし「幼少期、私が守っていた紗良」は今はここにはない。
さらにやっかいなことには「ステキな紗良に対する憧れ」をなんで自分が抱かなきゃいけないのか、という心の綾があるのだ。
それは嫉妬ではない。
紗良というステキに成長した娘を、自分も寿ぎたいのに、どこか遠い存在に見えてしまってやまない。だって、自分がこういうまじめ堅物な委員長なんだから……自分は平凡な存在で、彼女の輝きに対して「とっかかり」すらも得られない、みたいに。

ところが、そんなうだうだも、吹き飛ばすようにしてこちらに「楓LOVE!」を振りまいてくるのが、紗良という娘なのだぁ。

なんといっても、会った直後に、周囲の目もなんのその、学校の中でダイビングKISSですよ!
もう面食らうね、楓ちゃんは!

さらに、お互いが好きなことはもうわかってるんだから、いいじゃない、的な感じで、えちに持ち込むのも、主導権は紗良。

つまりは、自分の殻を、壊してくれるのだ。勝手に、紗良は。
それを、どこかで迷惑がって、ちょっとこじれることもあったのですが(シナリオ中で)、でもそれを乗り越えてこその恋愛だ、といわんばかりの筆致がたのもしい。


なんでここまで紗良は楓のことを愛するのか、というと、
先にも書きましたが、紗良は楓に昔守られていた。でも、もう守られなくても大丈夫だよ、ということを証明したくて、ファッションモデルやったり、社交的になったり、になったのです。

ようは、この「思いの重さ」に、うたれたわけなんすよ、楓ちゃんは。
そこから、だんだんと楓ちゃん、積極的になっていきます、性的にw
もちろんそれを拒む紗良ではないが……ひとつ、計算外のことがあった。


●スーパーモード楓ちゃん

さて、ここで百合学問のお時間です。(なんかだんだん口調が敬語になってきてるぞ)

この作品、「わたしの王子さま」と題してあります。
ああ、紗良のことだな、とここまできた読者諸賢はお思いでしょうが、ちがーうのです。この「王子」は、楓ちゃんのことなのです。

大体にして百合において「男性的ロマン形容」は、ひとつの最大級の賛辞です。
「王子」とか「騎士」とか。
それは、非女性的な記号でありながら(実際には歴史上は男しか叙勲されなかった云々)、同時に「女性がまとったら非常にかっこいい」記号でもあります。宝塚の例を持ち出したら一発ですかね。
かてて加えて、この「王子」性、「騎士」性は、カプの中でリードする立場、でもあります。専門用語を使えば「タチ」であります。まあリード、という言葉のほうがとおりがいいでしょう。

カプ力学、というものは極めて難しいもので。
この作品においては、紗良がリードする形、というのが一般的ですが、それをだんだん反転させてって、ついには楓ちゃんがものっそい王子さまとしてリードしちゃったわ、きゃあ紗良ちゃん幸せ! というのが、この作品の力学なのです。
これをカプにおける「リバーシブル」と呼びます。通称リバ。このエロゲ業界でリバといえば某リバ原氏しか出てこないかなしみよ……

カプ力学は、この「リバ」という概念をある程度どのカプにも持たせないと、展開がムズくなります。なぜなら最初から一方向のベクトルで押せ押せしてしまったら、単調になるのです。単調になるどころか、結局それはセフレ扱いかいいいい?みたいな難癖すらもつけられるのが、この百合業界です。

なぜそこまでなるかというと、百合とは「お互いの相互のかけあい」こそが最も重要となるからです。

ちょっと話しがずれますが、この相互掛け合いというのは、ゲームシステム上でも必須のもので、その花においては「主人公もいつも画面の中にいる」のです、立ち絵という形で。

どのような形であれ、お互いを「まなざす」必要があるのです。
そうでないと、一方通行になってしまう。一方通行があかんのは、今「単調」のところでいいましたね。

ふつう、恋愛アドベンチャーだったら、まなざしはモニタ越しでいいのです。
ですが、百合アドベンチャーだったら、「ふたりのまなざし」を明確に固定する必要がある。その処理は、各メーカで異なりますが、大体「いつも、画面内にふたりがいるような感じにする」という処理は行います。たとえば、いつもこのように二人を居させなくても、折りに触れて顔グラを見せる、とか。

そう、百合ゲーというのは、半ば「ふつうのエロゲー」ではないのです。この没入システムひとつとっても。欲望をモニタにぶつけるのは、むしろ百合的な楽しみを妨害する可能性がある(カプ観測)。
むしろ欲望をモニタの中でうまく処理して、展開さすこと。これがエロゲ版の百合的たのしみでしょうか。

話がずれましたが、リバ(リバーシブル)の問題。
お互いの相互のかけあいが重要だからこそ、お互いの属性が反転する、となるこのリバは、まさに百合の真骨頂。カタルシス。
「それまで」が崩壊しつつも、実際はそのキャラの本質・内面性(「それまで」)がバリバリに出るからこそのカタルシスは、まるで「化ける」……いや「羽化する」という感じで描写されます。

このゲームラストの楓ちゃんのスーパーモードの描写はどうだ。
眼鏡スキーにはヘイトでしょうが、眼鏡をあえて外して意志の強い目……紗良のカリスマ性をも凌駕する目を放ち、かつ典麗な頬の流れかた、典麗なウェーブの髪の神々しい流れ方……ここにきて、紗良がはじめて「脇役」になるのです。そこまでのスーパーモードの展開だっ! リバを経ての楓ちゃんの覚醒だっ!

いやぁ、このカタルシスには、非常にぐっときます。
なにしろ、「それまで」あっての変貌であり、かつ「紗良あって」の変貌なのです。思いは、ひとを変える。約束も、失われずに、ひとを変えた。

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