マルセルさんの「さくらシュトラッセ」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

適当な萌えゲーがやりたいからという、それこそ適当な理由で中古で安く買った作品なのだが、良くも悪くも適当なバランスの作品とは言い難かった。まず、一番「適当な」シナリオは人気投票ナンバーワンのルゥリィたんだろう。クーデレ、発情、子猫といった要素をバランスよくまとめつつ、最後のオチは弱いものの、細部の萌え描写が光る良質の物語だ。しかし、それ以外のシナリオは良くも悪くも極端であった。最悪な例を挙げれば、魔女っ娘のマリー・ルーデル。「ちょっと、頭を冷やそうか」というなのはさんの制裁は彼女にこそ必要だった。自分に優しく他人に厳しいちょいブサイクな子豚のマリーたんを許せる人は、将来悪い女の人に引っ掛かる可能性がありそうだから要注意。一方、ただのアホっ娘シナリオにしかみえない「かりん」シナリオは注意深く読む必要がある。僕はこれほどまで完成されたアホっ娘シナリオをみたことがない。これは文句なしの傑作である。
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☆基本データ
(判例:「キャラ名」:「攻略順」:「クリック数」:「CG枚数(差分抜き)」:「HCG枚数」:「エロ回想数」「備考」

かりん :初回  :15774 :17:7:3:特に無し
ルゥリィ:2週目 :12744 :17:6:3
マリー :3週目 :13765 :19:7:3
優香  :4週目 :136541:18:7:3:最初のエチは未遂回想
(その他。おまけミニシナリオが二つあり)

エッチ関係のクリック数もみたい。お前の駄文なんぞいらんって方は「☆エロ」で検索を推奨。
その他。システム関係は体験版を各自参照(要は手抜き)。個人的には、エチシーンでバックログが効かないのが不満ですた。
あとは特に不満なし。
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☆シナリオ 
・全体的評価 B
・かりん   A-
・ルゥリィ  B
・優香    C
・マリー   D

世間の評価とは少しズレルと思うのだが、僕に言わせればNYAON氏は不思議なライターだ。
僕は別に彼のファンというほどのものでもない。この作品にしたってつい最近中古で安く買ったくらいなんだから。
でも、間違いなく気にはなるライターの一人だと思う。この人の作品には、独特の「ダメさ」と独特の「面白さ」が微妙な割合で入り混じっていて、
両手を挙げてマンセーする気にはさらさら成れないのだけど、だけどついつい耳を傾けてしまうような魅力がある。
その「ダメさ」と「面白さ」のうち、前者については、かなり厳密に議論することができる。言い換えれば、彼のシナリオをフルボッコすることは簡単だw
そして、今回の作品には、そのダメさが物凄い勢いで異常繁殖しており、これについては火炎放射器で死体の山を焼却するが如く、徹底した批判が必要だろう。
今までの作品の傾向からして、ある程度の「ダメさ」を予感していた僕でも、これはかなりキツかっと言わざるを得ないんだから。

まず、この人のシナリオを読んでいて「どうにかなんねぇかなぁw」といつもガックリ来てしまうのは、
ものすごい単純なレベルでの「因果関係の破綻」である。何度も繰り返す必要があるが「ものすごい単純なレベル」での……である。
これはレストラン描写がどーこーとかいう、いかにもオタク的な突っ込みのレベルではない。こんなの僕にとってはどうでもいいのだ。
勿論、気にする人はいるだろうし、ちょっとテキストを付け足すだけで直せる部分ではあるので、欠点といえば欠点だとは思うが、
僕はそのような細かい部分を気にしているのではない。そのような「些細な細部」に対する無頓着を非難しているわけではない。
そうではなくて、この人の場合、作品の「重要な細部」とでも言える部分に対する配慮が、ものすごく鈍感なのだ。

重要な細部と些細な細部の違いは何か? 要はその細部がマクロのプロットの説得力に関係あるかないかの違いだと思う。
例えば、このシナリオの中で、マリーがギャクシーンで使う魔法の呪文やら効果やらは、些細な設定の一部である。
もしもこの作品が燃えゲ的バトルをメインにしたものなら、その魔法のミクロな設定とやらは重要な細部になりうる可能性があるが、
やれ、マリーの魔法は黒魔法であり消費MPが48くらいでルゥリィの白魔法に対して回避能力があるだとか燃えゲ的に薀蓄したところで、
まぁ、基本的にどうでもいいことだろう。この作品でマリーの魔法は一種のドリフオチみたいなギャグ話にしか使われていないからである。
その細部のミクロな描写やら設定が必要か不必要かは、マクロな作品の全体性によって決まるといっていい。
「To LOVEる」みたいなギャグ萌え漫画に「SF設定の基本的な欠如」を云々したり、、
「コードギアス」みたいな煽りアニメに、「視聴者の知らない戦略的情報を突如持ち出して敵を倒しているんだから、ルルーシュは軍師とはいえない」
なーんて素朴に突っ込んでも仕方がないのである。前者の作品で重要なのは萌えキャラが触手で襲われる事であって、
後者で重要なのは俺様tueeeeeeeeeeを演出することなのだから、それらの欠点批判は細かい意味ではマイナスかもしれないが、根本的な意味では欠点ではない。


では、マリーの「村の掟」という設定はどうだろう。これはプロットの重大な要素の一つである。
この村の掟が、マリーと主人公の運命を直接握っているからだ。この「村の掟」という設定について、ユーザーは深く関与することになる。
ぶっちゃけって言えば、俺のマリーたんとの仲を引き裂くムカつく設定なので、これについて色々考えざるを得ないわけだ。
ユーザーがマニア的な設定突込みではなく、普通に読んでいて素朴に「色々考えてしまうようなところ」が重要な細部だといえる。
特に、主人公やヒロインがおかしな行動を取ったり、一般的ではないやや理不尽な行動を取らせる場合、もしそのような行動をフォローしたいのであれば、
このような細部の描写(フォロー)はシナリオの重要な生命線の一つになるだろう。これ一つで、シナリオの評価ががらりと変わることだってある。

そして、この重要な細部に対するNYAON氏の無神経っぷりは、エロゲライター業界の中でも五本の指に入るものだ。。
まず、ぶったげまたのは、レストランをたった三人で切り盛りする発想……ではない。これはこれで別に良いのである。
いや、確かに「ありえない」設定であるし、もう少しどーにかしたら?とは思うものの、これはプロットに直接関係ないところのミスなので被害は少ない。
僕が問題としたいのは、優佳シナリオの第一部終了付近のような重要な場面のキャラクターの説得力を台無しにするような愚行である。
具体的に言うなら「いくらなんでも24時間バイトをする奴はいない」ということだ。

このプロットでライターがやりたいことはわかる。
要は「いろいろとキツイことを言いながらも、実は影で主人公のことを心配している不器用な優佳」を表現したいのだろう。
だからといっていきなり「毎日24時間バイトをしてぶっ倒れたました」みたいなプロットを書くのはどうだろうか?
しかも、意味不明なことに、それまでのシナリオのなかでライターは、このイベントを正当化するように状況を積み上げるのではなくて
むしろ、この状況がナンセンスであるかのように状況を積み上げている。レストランの経営がもう倒産寸前で……という状況なら優佳の行動も理解できる。。
しかし、このシナリオは逆に、レストランは今すぐ倒産するものではないと語っている。どこからみても優佳の行動は「おかしい」のだ。
勿論、人は時としておかしな行動を取るかもしれない。主人公への強い思いによって、優佳は理不尽に動かされている……こう理解できなくもない。
だけど、この場合も「いきなり24時間のバイト」というのは無茶すぎる。人はそう「いきなり」狂ったりしないものだ。
狂うにしても、自分に言い訳をしながら少しずつ狂っていくものである。例えば「私がバイトをしなかったら、借金の肩に主人公を取られてしまう」とか、
何らかの「倒錯した論理」が元で人は狂っていくものなのだ。もしこのイベントがそうした意図をもっていたとしても、
そうした感情の倒錯した論理性を全然描ききれておらず、ユーザーにキャラクターの行動の唐突さしか感じさせない。


ただ、上記のシーンはワケワカメたんであるものの、まぁ「おバカちゃんは可愛いでないの」といって、許せる類のものではある。
しかし、マリーシナリオのそれは端的にいって「ムカつく」ものが多く、許せる許せない以前に、もうなんか全部間違っているんだYO!
と頭をかきむしりながら10tトラックでどっかに突っ込みたくなるシロモノだ。
こういうことを言うとお巡りさんが家に来るかもしれないが、お巡りさんだってこのシナリオをやれば、
バカボンのお巡りさんよろしく拳銃を発砲しまくるに違いない。マリー・ルーデルには銃殺刑より重い罰が必要なのだ。

巷では、プロローグ部分の主人公とマリーの喧嘩がイマイチ評判よろしくないようだが、これは僕にとっては問題ない。
というか、NYAON氏の美点がよく現れている、結構感動的なシーンだと思う。
主人公がマリーに対してイラつくのは、ズバリ、主人公のエゴイズムでしかない。このシーンのでマリーは客観的な意味で罪は存在しないからだ。
だから、主人公は自分のムカつきをマリーに対して正当化できないし、マリーも主人公に対してシカトする権利を当然持つ。
悪評の主たる理由は「なんでマリーが主人公に謝らなきゃいけないんだ!」というものだろう。これは、客観的に言えばまぁ正しい理屈だ。
だけど、、主人公は自分のムカつきをマリーに理解して欲しいし、マリーも主人公のムカつきを理解したいと思ってしまう

つまり、ここでは、その「正当化できないムカつき」が、主人公とマリーが歩み寄る「正当化できない恋愛感情」を
逆説的に照らし出すものとして機能している。これがいいのである。もしも、主人公のムカつきが、客観的に正当化できるものであったのなら、
マリーの謝罪はたんに「一般常識的なもの」でしかないだろう。「謝るのは当然だ」というわけである。だけど、この場合はそうはいかない。
マリーは(儀礼的な意味を除けば)主人公に対して謝らなくてもいいのだから。もしも謝るのなら、
自分の行動のどこが悪かったのか、 自分の言動のなにが主人公を傷つけたのか、自分が謝罪すべきことはなにか、
これら全てを主人公に伝えなくてはいけないし、そして、何よりも重要なこととして、自分自身が
「どうして主人公に許して欲しいのか?」という根本的な疑問に立ち向かわなくてはいけない。
マリーはこれら全てのクエスチョンに答えるために料理を作る。そこでマリー自身が答えを見つけたかどうかは解からないけど、
この始めてのお料理教室は、二人の恋物語の最高のプレリュードにはなっている。春と恋の始まりのオープニングとしても実に綺麗だ。

そして、それ以外の部分はほぼクズだと断言してもよろしい。
世の中にはヴェルディの一連の作品みたいに前奏曲だけが高く評価されるオペラだってあるのだ。
なまじ前奏曲が素晴らしかっただけに、それ以降のマリーシナリオのクズっぷりには思わず眼を覆いたくなってしまう。
もちろん、繋がりがないわけではない。以降のマリーシナリオで描かれるのは、上記テーマのある意味で反復だ。
今度は、マリーが主人公の理不尽な感情を理解するのではなく、主人公がマリーの理不尽な感情を理解しなくてはならないわけ。
しかしこれが理不尽すぎるのである。先の話は主人公のいわば「プライド」が問題だった。料理に対する自分の信念がもたらしたゴタゴタだ。
しかしこれからのお話はマリーのいわば「ワガママ」が問題なのである。両方ともエゴイズムに関するゴダゴダだが、マリーのそれには何ら同重の余地はない。
とはいえ、整理のために、一先ず具体的に物語を追っていこう。
マリーには小学○年生くらいのショタ幼馴染の婚約者がいるにも関わらず、主人公が好きになってしまい、ここぞとばかりにモーションをかける。
んで、それを真に受けた主人公はマリーに告白するが、そこは我らが屁タレのマリーたん。嬉しいと思いつつも、村のおきてには逆らえず、主人公を振ってしまう。
さて、ここまでは特に問題ない。マリーの行動も感情を充分に理解できるかは人それぞれだろうが、まぁ「理解できる」とは一応建前上言える内容だ。

だが、こっから先が酷いの何のって。僕も長年エロゲをやっているが、これほど酷い振る舞いをするヒロインは滅多に見たことがないぞ。
主人公を振ったマリー、振られてプチショックな主人公の二人の間には、微妙ないや~な空気が流れる。そりゃまぁ当然だ。
主人公にしてみたら、自分の一方的な思い込みで相手に迷惑をかけて気まずいし、自分が振られたという事実を再確認するだけでも結構キツイ。
マリーにしてみても、理由はどうあれ、相手を傷つけたのは間違いないので、出来れば告白の件は早く水に流して欲しい……
なーんてことは一切マリーたんは考えない。いや、ちっとは考えているかもしれないけど、そんなことよりも、彼女にとっては
「村の掟で、主人公を振らなきゃいけなかったわたしってマジ可哀想!」というナルシズムが一番重要なのである。主人公のことなんてどーでもいいのだ。マジで。
その証拠に「あのー、告白のアレは無かったことにしてくれませんか?」ってな主人公の屁タレな願いを、マリーは無惨にも却下しちゃう。
「ええっ?、私が一番悲しんでいるのに、どうしてあなたはそんなムゴイことをいうの?」ってな反応だ。これほど主人公にムゴイ仕打ちはないというのに。

もちろん、感情的にそのようなリアクションがあるのは解かるし、「そう思ってしまう」のは仕方がないことだとは言えるだろう。
多視点描写でマリー視点にチェンジさせて、一人オイオイ泣いているところでも描写しておけば、マリーに対して同情を覚える人だっているかもしれない。
しかし、ここはあくまで「対話」のシーンだ。
振った当人が、振られた人間に対し、「振った」ということを撤回せずに、告白を忘れないで欲しいということは、何を意味するのだろうか?
あくまで結果論的に言うのなら、マリーは主人公に対しこう断言しているのと同じである。

「あなたのことは好きだけど、わたしはやっぱりショタと結婚しなきゃいけないから、あなたは一生童貞のままオナニーして死ね」

僕は自分でも倫理的でない人間だと自負しているが、そんな僕でも、この発言は鬼畜すぎると思う。これ以上残酷な宣言はちょっと考えにくい。
「偽善」という言葉は、ここでのマリーにぴったり当て嵌まる。マリーは何度も、主人公を傷つけていると自己嫌悪の言葉を漏らすが、
そんなことを主人公に対して言うくらいだったら、そもそも始めからそんな行動をしなければいいし、そんな言動自体が自分に対する言い訳にしかなっていない。
「自分が悪いことをしているのは自覚しています」といえば罪が許されると思っているのだろうか? そんなことはないだろう。
逆に相手のご尤もな非難を自分から先取りすることによって、相手の自分に対する非難を封じてはいないだろうか? これは反省ではなく防衛だろう。
それとも、これは所謂「誘い受け」という奴だろうか? そうだろう。きっとそうなのだろう。マリーは主人公に「いや、キミはそんな酷い人間じゃない」
とか慰めてもらいたいだけなのだろう。人を傷つけておいて、更には他人に慰めてもらいたいとは……いやはや、マリーたんのお○んこは処女のくせに真っ黒だ。
彼女にとっては、おそらく「わたしは人を傷つけている……」という罪悪感すら被虐の快感以上のものは無いと思われる。
だって、結局、マリーは自分を苦しめている以上に、他人をもっと苦しめているんだもの。自分への自罰は自分の行動を肯定するだけなんだもの。
そして、主人公がそんな「可哀想な私」を構ってくれないと、なんで私のことを解かってくれないといわんばかりに怒り出しちゃう。
自分のエゴを突き通しながら、それでいて自虐的に自己を正当化しながら被虐に耽りつつ、結果的に周りの人間を傷つけるマリー・ルーデルは
某君のぞの最強屁タレ主人公と肩を並べるほどのヒロインである。だれか屁タレヒロインPOVでも作ってくれないかのぅ。彼女がトップなのはまず間違いない。

ただ、ここまでなら、酷いのは「ヒロイン」だけである。いや、それでも充分酷いという人がいても当然だが、
僕の場合、それが「酷いヒロインをわざと描こうとしている」のであれば、そういうクズヒロイン萌えシナリオだと割り切って楽しめる人間だ。
しかし、これはさらに「シナリオ」そのものが酷いのだから救いようがない。どこからどうみても、このシナリオで悪いのはマリーの行動なのに、
このシナリオはそんなマリーの行動を「同情すべきもの」としてフォローしようとする。その態度自体もムカつくが、尚且つ最悪なのが、
このフォローがちっともフォローになっていないところだ。このシナリオは自分に対して喧嘩を売っているとしか思えなくなってくる。
他の登場人物たちは、マリーの選択が「村の掟に縛られているから仕方がない」と口々に言う。まぁ、ある一定の同情の余地はあるかもしれない。
しかし、村の掟とやらは、このシナリオを読む限り、そんなに大したものだとは思えない。村の掟に逆らったら一族皆惨殺、とかなら仕方ないが、
そんなものはなく、現にマリーはおきてを堂々と破って日本に来ている。つまり、村の掟以前に、マリーの選択は基本的に「自己責任」なのである。
なるほど、自己責任だから同情の余地はない、というつもりはない。しかし「マリーの責任ではない」というほど、村の掟に拘束力がないのも事実である。
それをさも「マリーには責任がない」といわんばかりに言い募るシナリオは、いったい何を考えているのだろうか?
「可愛い女の子なら何をやってもOKです♪」とでも言いたいのだろうか。そうならそうと八月みたいに開き直ってしまえばいいのに。

なかでも最悪なのは、エンド付近のマリー奪還シナリオである。ここに至っては、もうシナリオの論理自体が滅茶苦茶だ。
マリーを助けにマリーの故郷に向かった主人公は、しかしここでもまたマリーの拒絶にあう。早くこの村から出てってくれ、と。
そこでまたまた他の登場人部達のフォローが入る。マリーは主人公が村の人質になっているので、長老のいうことに逆らえないのだ、と。
これほど意味不明なシナリオ展開も珍しい。主人公とマリーが村の外に出て、脱出できる場所まで既に一度行っているのに、
人質云々言い出すシナリオは前代未聞ではないだろうか? もしも主人公が大切な人質なら、そもそも主人公を外に出さないはずだ。
主人公が人質になっているから、マリーは村の長老に従わざるをえず、ショタとの結婚を強制的に承認させられた。
だからマリーは主人公に「この村から出て行け」と言ったのだと、登場人物はマリーをフォローするが、
もし主人公が逃げ出せるのなら、マリーも一緒に逃げ出せば良いだけの話ではないか。小学生が普通に考えても、この論理は辻褄があわない。

つまり、この「フォロー」は論理展開が滅茶苦茶なうえに、マリーの行動に対する「フォロー」になっていないのである。
言い方は悪いけど、マリーが心変わりして、やっぱショタ萌えだぜっ!っていう風に属性変化したように見えても、ちっともおかしくない。
そうならそうで、マリーは最悪なヒロインなのだから、ある意味仕方ないが、それをこんな成っていないフォローで
「同情の余地のあるヒロイン」と印象つけようとして失敗しているシナリオには吐気がする。上手な偽善ならお捻りを投げてやってもいいが、
こう下手糞な偽善を堂々とやられると……昔の人は良い言葉を考えたものである。
「豆腐の角に頭をぶつけて氏んでしまえ」という呪いの言葉は、まさにこのシナリオに相応しい。


さて、ネチネチとシツコイ中年男性のセックス如くマリーシナリオを罵倒してきたが、ここで一応冷静になってみるフリをするのも悪くは無いだろう。
これらのシナリオの「グダグダ」は何を意味しているのか?
おそらく作者は、マリーのどっちつかずで、意気地のない、女の腐ったマ○コのような屁タレな行動と性格に、なんか萌えちゃっていたと思うのだ。
この「屁タレ萌え」というか「エゴイズム萌え」はNYAON氏の作品の特徴のひとつだ。
このライターは昔から、例えばもしらばの「つばさ」シナリオと(正面切って書いてないけど)「明穂」シナリオに見られるように、
ヒロインのエゴスティックな感情を好んで書く傾向がある。ただ、これは「腹黒」とか「ヤンデレ」と言うのとは少し違う。
まぁ、程度問題ではあるが、これらの属性ヒロインは、純真に見えるヒロインが「実は」黒いといったような書き方をする。
つまり、これらのヒロインの「ヤンデレ」とか「腹黒」は、「白」を前提とした上での、コントラストから見出される「黒」さである。
一見、良い性格の可愛い子ちゃんが、実はトンでもない腹黒お嬢様だったとか、主人公を思うあまり黒くなった、とかそういうやつだ。
だけど、NYAON氏の描き方はちょっとちがう。この人の描くヒロインは、どちらかというと「白い」わけだが、その白さのなかには、
ちょうど不安定な曇り空のような、ほんの少しの「濁り」が混ざっている。白でもなく黒でもなく灰色であるといった方が解かりやすいかもしれない。

ただ、その「灰色」さを、例えば丸戸氏のシナリオのように「人間らしさ」とかいって肯定しているわけでもない。
そういった人間の「黒い」部分と直接ぶつかり合って、人間関係のドロドロの中からお泪頂戴のメロドラマを構築する傾向は、
NYAON氏のシナリオにはあまり見られない。そういった黒い感情やドロっとした部分を描くことは描くけど、
そこらへんを集中して追求することはせずに、あくまでキャラクターのパーソナリティの一部として「軽く」描いているような雰囲気がある。
だから、例えば「もしらば」のような作品で、人間の死と生に関わるような重大な問題を描いていても、登場人物の行動は妙に「軽く」感じられ、
そこがどうしても許せない人がでてくるわけだ。
NYAON氏はそういった「黒い感情」を、あくまで「萌える」という言葉が適切に感じられるような、浅い部分で処理している。
だから、キャラクターの行動やプロットの一貫性を深く考えちゃうと、どうしても納得いかない部分が出てくることが多い。
それに、前述した二人のシナリオのように、どうもこの人には「それはマジで言っているのか?」と問い正しくなるような、
言わば「天然ボケ」気質のところがある。先ほどの丸戸氏と比較すれば、彼のシナリオはイチローの如くマシーン的にコントロールされているが、
NYAON氏の投げる魔球は時としてバッターを貫き観客を撃ち殺してしまうほどである。それだけに破壊力は凄いが、安定感はまるでない。

とはいえ、僕はこのような「軽さ」や「お間抜けさ」は嫌いではない。どちらかというと、僕はこのライターのそういう傾向はわりと好きだ。
具体的に作品に即して語らないと意味がない議論ではあるものの、「軽い」とか「深い」というのは一種の方法論というか
物事に対する「見方」の問題で、「軽い」のが決して悪いわけではなく、「重い」のが決して良いわけではない。
その対象が「軽い」方法に適しているか、「重い」方法に適しているのかの違いがあるだけである。
詳しくは「もしらば」の批評で語るべきことだが、この作品が生死という問題に対して「軽い」方法論をとったのは実に面白かった。

この軽い傾向がマイナスに働くと、マリーのような産業廃棄物が生まれるわけだが、プラスに働くとルゥリィやかりんがうまれる。
ルゥリィシナリオもある意味では、マリーシナリオと同じ構造だとは言えなくは無い。要はヒロインの我儘に振り回されるお話ではある。
違いがあるとすれば、マリーがデレツン、つまり「付き合いだした途端に性格が悪くなる」という地面にへばり付いたウンコガムであるのに対し、
ルゥリィが典型的なツンデレであるということだろう。舐めれば舐めるほど甘さが深くなっていく高級キャンディーのような良質ツンデレシナリオである。
細部の萌え描写だけで評価するなら、彼女のシナリオが一番だろう。本当に普段は無愛想なのにときどきすっごく可愛い鳴き声をあげる子猫を飼ってる気分を味わえる。
特に声を当てている「井村屋ほのか」さんの演技は素晴らしかった。個人的には「喘ぎ声が妙に生っぽくてドキドキするぜw」くらいの印象しかなかった
声優さんだったが、クーデレというよりも、不器用で陰気で体温低めの「感じの悪いネコ」であるルゥリィの「低い声」をよく演技できていたと思う。
第一期のデレイベントで急に声を「萌えトーン」に転調せず、あくまで不器用な低い声のままデレ台詞を演技したのもグッド
萌えデレ台詞と独特の低い声の微妙な不釣合いが、ルゥリィたんのデレとツンの葛藤をそのまま表していて、妙にエッチっぽいぞ。


しかし、僕としてはこのかりんシナリオを強く推したい。NYAON氏のシナリオのなかで、たぶん一番良くできたシナリオだろう。
個々のシーンの衝撃度で言ったらもしらばの「つばさ」シナリオには負けるが、全体的な完成度で言ったら、これが彼のベストかもしれない。
もちろん「かりんはアホ過ぎてダメだ」という人がいてもおかしくない。そして、通常のシナリオ評価なら「でも、シナリオは良いからやってみましょう」
というように説得できるかもしれないが、僕が見る限り、このシナリオに限っては「かりんのアホさ」を許容できない人は、その魅力が理解できないかもしれない。
これは、「萌え属性のみのシナリオだから」だとか「キャラクターの魅力のみで成り立っているシナリオ」だから、といった理由とは少し違う。
なるほど、そのようなシナリオも存在するし、現にルゥリィシナリオはそういうシナリオだと思う。それはそれでそういうものとして評価すればよろしい。
ただ、この「かりんシナリオ」の魅力は、そういうのとは少し離れたところにある。このシナリオは「アホなかりん」の可愛さを強調するだけではなくて、
アホなかりんの[アホっ娘の哀しみ」が重要なテーマになっているから、アホな人間について何らかの共感を得られない人間が、
このシナリオを楽しむのは難しいと思われるのだ。その点、僕は適切なレビュアーだと万人が認めてくれるだろう。僕ぐらいアホな人間を探すのは難しいでしょ?。

もしも、このポストモダンな価値相対的な世の中に「世間が認める一般的な大人像」というイメージがあるとすれば
(ポストモダンな世の中だから、過剰にそのような「規範的」イメージが求められるという可能性もあるが)
まぁ、このかりんシナリオの日常シーンでゲラゲラ大笑いしている僕は、即刻小学生から人生やり戻して来い、ということになるだろう。
かりんのアホっぷりを見ていると、僕としては「サウス・パーク」というアメリカの超下品アニメのエリック・カートマンという酷いデブのガキを思い出してしまう。
詳しくはWIKIを参照ってところだが、小児ではなく小2級の知能と、恥も外見も無い食欲貪欲旺盛っぷりは、あのデブと共通する偉大なアホっぽさがある。

あるエピソードを紹介しよう。エリック・カートマンはいろいろあって遊園地を私物化し、仲間の連中に
「オラオラ!スゲーだろ。この遊園地は全部俺のものだ!」
と自慢しながら一人で遊園地を遊びつくす。これが日本向け教育アニメだったら、オチは見え見えだろう。
一人で遊ぶのに飽きたエリックが仲間を誘うが、さっき馬鹿にされた仲間たちはエリックをシカト。
「やっぱり独りはつまらないや……」とデブが反省したところで萌えキャラが登場して彼らを仲裁してオシマイだ。
しかし、我らがエリック・カートマンはそんなチンケな人物ではない。彼はちっとも反省する様子も飽きる様子もなく、
いつまでもいつまでも同じ機械に乗って猿みたいに遊び続けてしまう。彼の脳内には「成長」とか「反省」という単語が存在しないのだ。
このようなエリック・カートマン的な性懲りの無さというか、成長の無さというか、無邪気と言うにはあまりにも異常なテンションの高さという点で、
かりんのアホキャラっぷりは他を大きく引き離しているように思える。ただ単にノータリンという点では他のアホっ子たちも負けてはいけないが、
同じアホを何度も繰り返すこの鳥頭的持続力の前には、鍵の白痴ヒロインたちも白目をひん剥いて逃げ回ることだろう。鯛焼きなんぞパクっている場合ではない。

だが、この日常シーンで「笑っている」だけでは、シナリオの重要な伏線を取り逃してしまうので、要注意だ。
この馬鹿馬鹿しい日常描写の隙間に埋められた、かりんと主人公の「幼馴染」の関係性に注意深く眼を凝らす必要がある。
一見これは典型的な幼馴染シナリオにみえる。かりんは主人公のことが好きだが、主人公はかりんを特に思っていないという片思いパターン。
もっといえば、主人公はかりんの「好き」を「異性に対する好き」とは思っていないというパターンである。
これは、義妹とか義姉といった近親的ヒロインにもよく使われる設定であるが、この設定の公式を要約すれば、このようになるだろう。


「人が異性に示す欲望には二種類ある。それは「性的」な欲望と「イノセンス」な友愛の二つだ。
主人公は近親者や幼馴染に対してイノセンスな好意を抱いていると自覚しており、また彼女たちが主人公に示す好意も
イノセンスなものだと自覚している。よって、ここには恋愛関係は生まれないし、異性的な興味も生まれない」


このベタな設定に一応突っ込んでみよう。僕らは本当に性的な「欲望」とイノセンスな「友愛」を別々に分けられるかどうか?
確かに、僕らは通常そのような二分法を用いて思考する事に慣れている。理由はそっちの方が簡単だし、色々と面倒を軽減できるからである。
近親相姦云々を持ち出す必要もなく、性的な感情を抱いたら日常生活が混乱する相手というのは確実に存在する。友達の奥さんとか自分の姉妹とか幼稚園ryとか。
故に、そういう相手に対して何らかの好意を抱いたとしても、僕らはそれを「イノセンス」な友愛だというように正当化するのだ。いろいろと面倒がないように。

とはいえ「本当はみんな性的欲望の固まりなのだ」という議論にも無理があろう。イノセンスな好意というのも、性的欲望と同じようにちゃんと存在する。
問題はそれらの境界性がとても曖昧なことだ。ピュアな純愛というものが無いように、ピュアな性的欲望というのも存在しない。
何らかの心理的感情はその性的欲望を刺激したり萎えさせたりするし、性的欲望もその心理的感情に対して色々な影響を与える。両者はお互いに関係しているのだ。
つまり「好きだからエッチしたい」ということもありうるし「好きだからエッチしたくない」ということもありうるし、
「全然好きじゃないけどエッチはしたい」ということもありうるし「好きでもないしエッチしたくない」ということだって当然ありうる。
そのうちどれかが選択されるかは、自分とその対象との関係性によって常時揺れ動いている。もちろん、安定した関係の自覚というのはあるわけだが、
たとえば妹のオナニーを見て急に異性として認識してしまったり、恋人の素のだらしない格好を見せつけられて性的欲望が萎えることだってあるだろう。
それらの動揺が一瞬で回復する場合もあれば、長続きして二人の関係に変更を迫る時もある。僕らの感情は、基本的に混乱しているのがデフォルトである。

かりんと主人公が入浴するシーンを例に取ろう。このとき、主人公は裸のかりんを見て、まぁ、欲情するわけだが、
かりんが主人公のことを性的に意識していないのを見て、主人公の興奮はやや収まる。おそらく、大半のユーザーもそうだろう。
もちろん、かりんの裸を見て勃起するユーザーはいるかもしれないし、そこで一発抜く人がいてもおかしくないだろうが、大半のユーザーは半勃起状態で、
ことの成り行きをちょっとは期待し、かりんが主人公に性的関心を抱いていないと知ると、その興奮は収まるだろう。。
この心理状態をあれこれ推測するのは容易い。やれオタクは基本的にフェミニストであるとかいっても言いし、いやいやレイプもできない屁タレだとか、
オタクたちは彼女たちの身体だけではなく心も支配したいのだとかファビョるのも、なんだか某捕鯨反対団体みたいなノリで楽しそうではある。
結論から言えば、欲望が上記のように複雑なモノである以上、これ等の分析は全て間違っているとか全てあっているとしか言いようが無いのだが、
重要なのは、ここでイノセンスな感情が、主人公とユーザーの性的欲望と深く関係していて、両者の区別が曖昧になっているということである。
一般論的な表現や論理としては、そのどちらかを選らばないといけないことが多いが、欲望の動きからみれば、この両者の判別は不可能なはずだ。

今度は、主人公ではなくかりんのことを考えてみよう。先ほどの主人公の見立てはその時では間違いは無かった。
確かに、かりんは主人公のことが好きなんだろうけど、性的欲望は一切感じていないし、また異性的な恋愛感情というのも薄い。
純粋にピュアな友愛というのはあり得ないが、それに近い感情を主人公に抱いていた、といっても間違いではない。
しかし、主人公が先ほどのシーンでかりんに対してある種の断念をしたあとから、かりんの感情に変化が現われる。
主人公に近づく女性に対して嫉妬を覚え始めるのだ。しかし、嫉妬の念は嫉妬の念に過ぎず、それは性的欲望とか異性愛とは少し違うもの。
かりんは、他の女性が主人公に近づくのをものすごく嫌がるが、しかしだからといって、主人公に対して性的欲望を覚えているわけではない。
だから、マリーから嫉妬という言葉を教えられて、それが恋愛の感情であると言われても、かりんには実感が浮かんでこない。
恋愛ドラマや恋愛映画の知識をアホなりに参照して、主人公の恋人であろうと頑張るが、本人がそれを内在化していない以上、
他人に対してその気持ちが伝わるはずも無い。それにまぁ……アホだしねぇ。一般的な恋愛シチュを記号化して演じる事などかりんには不可能だろう。
だから、かりんは、わるーい魔女の悪巧みの誘惑に引っ掛かってしまう。
かりんは、主人公を独占したいだけなのだから、主人公にほれ薬を飲ませれば、問題は解決すると思ってしまうのである。


さて、僕の友人達の多くは、この「惚れ薬」イベントを、やれ安易だとか強引な展開だとか色々ケチをつけていたが、
僕もプレイする前はそういう意見を持っていた。確かにプロットとしてはあまりスマートな展開とは言い難い。オペラみたいな強引な展開じゃないかと。
しかし……これはトンでもない間違いだとわかった。これは、テーマの発展という意味では、とても優れた運命的な展開である。
プロットを追ってみよう。惚れ薬を飲んだ主人公は、かりんの思惑通り、メロメロになって、かりんをその場で押し倒してしまう。
ここでの描写は実にスリリングだ。かりんは、始めは殆ど抵抗しないというか、主人公が何をやろうとしているかよく解かっていない。
身体のほうは少しずつ反応していくが、それよりも、何かよく解からない恐怖に駆られ、かりんは泣き叫んでしまう。レイプは未遂で終ったわけだ。
そのあとはまぁ色々とゴタゴタするんだが、結局はかりんのほれ薬がバレて、その薬の効果は長期間解けないと知らされる。

ここで注意しなければならないのは、この薬の効果が「本人の人格を捻じ曲げる」といったものではなくて、
ただ単に「本人の性欲を異常に増進させる」ものだというマリーの説明だろう。冷静に考えるならば、
主人公は「惚れ薬に操られてかりんを好きになっている」わけではないし、薬を飲んだからかりんに対して好意を覚えたわけでもない。
薬はたんに興奮時の「性的欲望を強める」だけであって、平常時の好意を作り出すことはできない。
だから、この時点で、主人公がかりんに対してメロメロになっているのは、薬の効果だけではない。
主人公がかりんを好きになってしまったのは、主人公に惚れ薬を飲ませてまで、主人公を自分のモノにしたいというかりんの欲望に打たれたからであり、
今まで主人公にひっついていたかりんが、レイプを期に、主人公に対して曖昧な態度をみせつけるようになったからだ。

この曖昧な態度は、最初はレイプした主人公に対する恐怖に見えるが、これはもっと複雑なものである。
流石にアホなかりんでも、自分が飲ませた惚れ薬が原因なのだから、主人公を嫌うのは間違っているくらいは考えるだろう(マリーとは大違いだ)
だから、かりんの戸惑いはそこにはない。かりんの戸惑いは、いつもとは違う、自分に対してメロメロな主人公を「キモイ」と思ってしまうことだ。
もっと言えば、自分が望んだメロメロな主人公が、自分の想像とはちがっていたという、理想と現実のギャップに打ちのめされているのだ。
そこで、始めてかりんは「考え始める」。かりんの脳内辞書に始めて「考える」という動詞が記入される。
「ボクが望んでいたものはなんだったのか?」という根本的な疑問が。

かりんに対してメロメロになっている主人公のことは「気持ち悪く」思い、
そして、いつもどおりに接してくれる主人公には安心感を覚える上に、前とは違って恋人のような振る舞いをみせてしまうかりん。
自分が期待していたものは「気持ち悪く」、今まで不満だったいつもの主人公の表情に胸が高鳴ってしまうのだ。そんな困惑がかりんを悩ませるながらも、
主人公がバカバカ言いながらボクを構ってくれるとやっぱり嬉しいし、その嬉しさは昨日とは違ったもっとドキドキしたもので、かりんはそれに夢中になる。
だけど、主人公は惚れ薬のせいでおかしくなっていて、なかなかかりんの望む「いつもの主人公」には戻ってくれない。
だから、自分が主人公をちゃんとコントロールして、自分から主人公にアタックして、自分が望む大好きだった主人公との関係を取り戻すこと。
これが当面のかりんの目標となるわけだが……さて、このような行動を一般的に人は何というだろうか?
つまり、かりんは惚れ薬を使って、自らが望んだ「かりんにメロメロな主人公」に遭遇した結果、自らの望みを逆に破壊されながらも、
自分が好きな、自分が好きでいたい「いつもどおりに僕をバカバカ言いならも構ってくれる主人公」という自分の「好き」をついに見出したのだ。

このかりんの「発見」のシーンはとても感動的だ。
惚れ薬の影響で発作的に発情してしまった主人公は、そのままではかりんを襲ってしまうであろう自分を抑えるべく、かりんを残して
夕暮れの路地裏、一人で発作的に耐えようと我慢する。そこで事情がよく飲み込めない我らがアホっ娘の登場だ。目の前に獲物に食らいつく主人公。
しかし……
これと同じ一枚絵を使ったイベントは、実は惚れ薬イベント以前にも登場する。この時は、主人公がテンパっているかりんを抱きしめる。
これはこれで結構良いシーンなのだが、それほど強い印象を与えるものではない。だが、これが、惚れ薬イベントのあと、
今度はかりんが主人公を優しく抱きしめるシーンで同じ一枚絵が使われると、バラバラにみえるこの物語に凄い一体感が生まれるのだ。
かりんに優しく抱きしめられた主人公は、まるで呪いが祓われたように発作から一時的に解放される。
これは、主人公の欲求が一時的に解消されたからなのだが、でも、ここで起きているカタルシスはそれだけではないだろう。
一つは、かりんが自分の意思で主人公を助けたいと思って主人公を抱きしめていること。つまり、かりんはここで始めて主人公に「恋」しているのだ。
二つは、主人公の性的欲望が、主人公とかりんが潜在的に望んでいる恋愛関係のなかで解消されていること。ここに欲望と友愛の見事な昇華がある。

そして、何よりも大事なのは、その二つのイベントに同じ一枚絵が使われることで、
かりんと主人公の関係の「変わらないもの」と「変わったもの」の同一性と差異をさりげなく表現していることだろう。
主人公がかりんを抱きしめていた時と、かりんが主人公を抱きしめていた時では、二人の関係は幼馴染から恋人へと変化しようとしている。
でも、二人が同じ場所で、同じようにお互いを抱きしめあっていたという事実は、昔も今も変わらない。
なんだか、二人とも最初から全部がわかりあっていたような、そんな運命的なものをこの反復は表現しているようだ。
もっと言えば、あくまで因果関係を云々すれば、かりんの気持は昔から変わっていないといえるのである。
かりんは今この瞬間に「ボクは今までと一緒の主人公が好きだ」と思っているんだから、理屈の上では過去の自分と今の自分は同じなのだ。
しかし、たとえ当人がそう理解したとしても、過去のかりんはその事実を認識できないだろうし、その事実を認識した今のかりんは昔と違う。
暖かいコーヒーに注がれるミルクのように、偶然と必然は物語の自然の流れの中でやわらかに溶け合い混ざりながら、
それらの矛盾は夕焼けの街に影を落としていく。だけど、この影は不吉なものではない。誰だって昨日の自分の影を踏みながら進んでいくのだから。


この「変わらないもの」と「変わるもの」のモチーフはエンディングまで持続し、とても感動的なエンディングを構築する。
ラストの展開は、まぁ、大半の人が読めるだろう。偽りの惚れ薬で結ばれた二人には、やっぱり罰が待ち受けているわけで、
予想通り「主人公の記憶喪失」が待ち受けている。ただ、これは普通の「全部リセット」とは少し違う。
主人公が惚れ薬を飲まされてから、かりんと結ばれて現在に至るまでの記憶がリセットされるわけで、確かに悲しい事には変わりが無いが、
全く希望が無いわけではない。マリーシナリオでは全くトンチンカンなアホシナリオを書いたNYAON氏だが、ここでの冴えっぷりはまるで別人だ。
惚れ薬を飲む直前の主人公は、かりんの気持ちに薄々気がついて「かりんが気になり始めていた」段階にあるわけで、かりんがちょっと頑張れば、
また元通りの恋人関係になるのはそんなに難しいことではない。だから、これは悲劇的といえば悲劇的だが、ベタな泣きゲの記憶喪失展開とは少し違う。
正確に言えば、主人公の発作の悪化を停めるために、主人公とかりんが自主的に選択した記憶喪失でもあるのだから、完全に後ろ向きな話ではないのだ。

ここで、泣きゲの記喪失展開について、その公式を少し復習しておこう。
これらの記憶喪失プロットのなかで、主人公或いはヒロインは何らかの力によって、彼らは記憶を失い、
もう片方の主人公或いはヒロインの記憶は残り辛い目にあう。あれだけ愛しあった二人なのに、もう片方の恋人はまるで自分のことを忘れている。
まず、このシチュエーションの重要な要素は、ユーザーの感情移入が引き起こす「辛い哀しみ」だろう。記憶が失ったのが主人公の場合、
哀しんでいるヒロインを見て僕らは心を痛めるし、記憶を失ったのがヒロインの場合、主人公をシカトするヒロインを見て僕らは哀しんだりする。
そして、そのような山場の解消というかたちでカタルシスをえて、物語は無事終了メデタシメデタシって訳だ。
こう論じるとなんだかバカみたいだが、基本的に主要な要素はそれなのだから仕方がないだろう。
ぶっちゃけって言えば、ユーザーの感情移入を利用したオートマティックに過ぎないともいえる。
目の前で可哀想な子犬が死ねば皆号泣というギリシャ時代から続く偉大な紋切り型である。個人的に言えばこの手のシナリオは好きじゃない。
しかし、それでも「良いなぁ」と思うシナリオと「ちっ、ベタなネタを使いやがって」とムカつくシナリオの違いは存在する。この違いは何に起因するのか?
これが、たぶん記憶喪失展開の第二の重要な要素だ。主人公或いはヒロインが記憶を取り戻す「奇跡」をどのように表現するのかがポイントである。

もしも、ある日コーラを飲んでいたら、突然記憶がなんか戻ったぜ!ラッキーハッピーいうオチだったら、
これはまぁギャグでしかないだろう。
しかし、もしも主人公とヒロインが毎日コーラを飲んでいた放課後の屋上で、あの時と同じように二人で偶然コーラを飲んでいたら、
記憶が一瞬戻ったという話には、先のギャグ話とはちがう何らかのリアリティが感じられないだろうか? 
この二つの違いをよく考えてみよう。
前者には「記憶を失う前の主人公或いはヒロイン」の経験が表象化されていなく、後者にはその経験の重要な要素が表象化されていると分類できる。
つまり、ここで表現されているのは「記憶を失っても、ヒロイン或いは主人公に残っている、何らかの経験の痕跡」である。
記憶がないのに、どうしてそのようなモノが理解できるのか?という問題は、僕の貧弱な萌えオタ脳では解明できないのでスルーする。すまん

だが、美学的な議論でこれを説明する事は可能だ。そのような「奇跡」という名の、物語の各要素を含んだ圧縮された象徴を用いることで、
死ぬ前に今までの人生の瞬間がフラッシュバックに流れるという走馬灯のイメージを読者に喚起させ、直線的な因果関係では結べないような、
普通とは違った全体像を表現することができる。これは実際に凄い作品を読んだ時には必ず訪れる感覚だ。全てのパーツがその瞬間に向かって収斂するような奇跡。
(こういう感覚がよく解らないという人は、ジョージ・セルという指揮者の1970年日本ライブ「シベリウス交響曲第二」を聴こう。図書館にたぶん置いてある)
そのような物語の「真実」を一瞬で把握するような奇跡的な瞬間と、ヒロインまたは主人公が記憶を取り戻す奇跡的な瞬間を一致させることで、
有無を言わさぬ説得力を持って読者に奇跡を納得させ、物語の論理的帰結ではなしに、作品の感覚的一貫性をもって読者に奇跡を与えることが出来るのだ。
もちろん、これは理想論でしかなく、普通の泣きゲーはこんなに上手くいかないし、あの鍵ですらこのカタルシスに成功したことは2~3回ぐらいしかない。
大半の記憶喪失シナリオは第一要素の「記憶を失った哀しみ」を強調してユーザーの涙を搾り取ることしか意識していないのが現状だろう。
だけど、ある程度マシな泣きゲーのシナリオなら、作品の奇跡的統一性と物語の奇跡との一致を狙っている。


では、このかりんシナリオで僕らが経験する奇跡とはなにか?
結論から言うと、この記憶喪失シナリオにおいて、主人公の記憶は最後まで戻らない。言うならば「奇跡は起こらない」のだ。
正直、僕はここまでは予想できた。魔法とか奇跡に頼るんじゃなくって、
魔法によって知ることができた、恋する気持ちを胸に抱いてかりんが主人公を篭絡するシナリオなんだろうな。と感じていたからである。
それはそれで、とても良いシナリオだとは思ったのだ。「魔法を使って得たもの」を「魔法を使って失ったもの」で取り戻すのはそれしか方法がないし、
かりんの最期の試練は魔法によるインチキじゃなくって、自分自身の努力によって勝ち取るものじゃないといけない。ほら、これでも話は綺麗に纏まるわけだ。
アホっ娘かりんたんは、厨房の料理を盗み食いしたり惚れ薬を主人公に盛ったり主人公にレイプされそうになったりと、まぁ色々まりましたが、
最期は魔法に頼らず自分自身の自主努力によって、記憶を失った主人公と元通りの恋人となり、みごと立派なレディに成長したのでありました。メデタシメデタシ。

……なーんて、下らないハッピーエンドを予想していた僕は、見事、このシナリオに裏切られたことになるw。もちろん、良い意味でだ。
だいたい、そんなハッピーエンドがハッピーエンドだと予想することじたい、僕はアホっ娘属性をちっとも理解していなかったわけだ。
かりんが成長してハッピーエンド? ハァ? おまえちょっと長文の書きすぎで頭がおかしくなっているんじゃないのかと言われても反論はできない。
このシナリオの統一性とはなにか? 性的欲望とイノセンスな友愛の葛藤? 魔法を使って得たものと魔法を使って失ったものの交錯?
馬鹿馬鹿しい。これだから頭でエロゲをやる奴は間違っているのだ。それらは間違ってはいないだろう。確かに部分的な要素としては合っている。
しかし、僕はそんなチンケな読解に目を取られて、一番大切なものを見失っていたのだ。このシナリオの最期、僕はようやくそれを自覚することになる。

それは、かりんが最初から最期までただの「アホっ娘」であったということ。

このシナリオに一つだけケチをつけるとするなら、告白シーン付近の展開が強引なところだろう。
今までのイベントのなかで、かりんと主人公がだいぶ解りあっているように見えるのに、あの「すれ違い」はちょっと強引すぎる。
それと「トラウマネタ」の存在が余計に感じた。かりんが「アホっ娘」なのは、主人公と交わした昔の約束が原因であって、
そのことを始めて知った主人公が「グッときて」かりんを抱きしめるわけだが、良い話だなとは思うものの「つけたし」の感は否めない。
第一そんなトラウマがなくても、かりん元からアホっぽい女の子だったろうし、第二に、それまでのイベントで主人公とかりんはある意味結ばれているわけで、
あの告白があっても無くても、主人公とかりんの恋愛物語は成立しているだろう。
この「トラウマ」告白イベントは、適当な山場のなかで告白イベントをやりたいという作者の安易な恣意性が、物語の自然な流れを阻害していると感じてしまう。
だから、このシナリオの評価はあくまででA「-」なのである。

しかし、この、あんまし重要そうではないこのトラウマネタは、しかし最後の最後に嬉しい不意打ちとして復活する。。
だから、このシナリオの評価はあくまで「A」-なのである。
なるほど、確かにかりんはこのシナリオの中でいろいろな事を学んで成長したかもしれないし、主人公との関係も幼馴染から恋人に代わり、
シナリオの「始まり」と「終わり」では、かりん自身も、そして、かりんを見ている僕ら自身のかりんの印象も大きく変わったかもしれない。
しかし、根本的なところでかりんのアホっ娘っぷりは最期まで変わらなかったのだ。脅迫的なトラウマは解消されたかもしれないけど、
かりんと主人公の根本的な絆は、シナリオの最初から最期までずーっと変わっていない。そして、それはこの物語が終ったあとも変わらないままだろう。
この「変わらないアホっ娘」かりんの姿をみたとき、僕は不覚にも少しだけ涙を流していたと思う。
照れ隠しに下品な比喩を使えば、先走り汁くらいの量の涙は涙腺から零れていたはずだ。別に何が悲しいことかあったわけでもないし、
何か物語的のなかで奇跡が起きたわけでもさらさらない。ただ、僕の予想を裏切って、かりんたんが最期までアホっ娘だった。それだけのことである。
ただ、その時の僕には、その「変わらないアホっ娘」という端的な事実が、どんな泣きゲの「奇跡」よりも素晴らしい奇跡に思われたのである。
この事実を知ったとき、僕はこのシナリオの全てが、結局は「アホっ娘」という一つの事実に向かって収束していたことを悟り、
その奇跡的な整合性を前にして、僕は言い知れぬ感動を覚えた。これは、近年まれに見るアホっ娘属性シナリオの傑作である。


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☆エロ 総合評価 B-

・各キャラのHシーンのクリック数

マリー  1:504 2:234、3;426
ルゥリィ 1;582 2:225 3:791
かりん  1:756 2:221 3:460
優香   1:112 2:922 3:571

誰が書いたかは忘れましたけど、もしらばの感想で「くすくす氏の描くエロCGは、女の子がなにか泣いているみたいで全く抜けない」というものがありました。
まぁ、確かに泣いているようにも見えなくはないですよね。

ttp://www.clearrave.co.jp/product/mosiraba/sample.html

エロゲの中のエロCGって、プレイ中の立ち絵とのギャップによって感じ方が変わってくるので、それだけでどうこういえるものではないのですが、
確かに「えちぃ」CGとは言い難いです。。全体的に綺麗で丁寧なCGとは言えます。ただ、それ以上のものではない。
全体的に淡白なんですよね。陰影のつけ方とか、全体の構図はしっかりしているんですけど、きっちりしすぎて、
表情に乏しい絵だななぁというのが、僕のくすくす氏に対する印象でした。ところが、今作はこれにえらい進歩が見られる。
例えば、ルゥリィのそれを見てましょう。

ttp://ftp.clearrave.co.jp/img2/product/sakura/cg_1.jpg
ttp://ftp.clearrave.co.jp/img2/product/sakura/cg_7.jpg
ttp://ftp.clearrave.co.jp/img2/product/sakura/cg_9.jpg

どうです。当たり前の事だと言われるかもしれませんけど、ちゃんとシーン毎によって、適切な表情を丁寧に書き分けている。
これって実は結構凄いことです。「書き分ける」のは当然だとしても、ちゃんとキャラの表情にあった書き分けを出来る人は本当に珍しい。
最初のCGがいわば「デフォ」のクール表情です。これはこれで(あくまでイメージの問題として)それほど珍しくない、普通のクール表情です。
前作の「もしらば」でもこれくらいは書けたでしょう。でも、cg_7.jpgやcg_9.jpgといったものは、たぶん「もしらば」の段階では書けていない。
これらのCGのどこか素晴らしいのか。特にcg_9.jpgが解かりやすいかと思いますが、
「恥ずかしそうにしながら、本当はそれと求めている」
といったようなキャラクターの微妙なニュアンスを余さず描ききっているところです。ただたんに恥ずかしがっているだけでも、
当然誘っているわけでもなく、次におこることを内心ドキドキしながらワクワクしているような、伏せ目勝ちだけど開き切っている目に、
無造作に乱れているように見えながらも、はっきりと小さいおっぱいが自己主張している半脱ぎの姿。全体の構図とキャラクターの表情が見事に一致している。
これで勃たない人は自分のちんぽを小一時間見つめなおしたほうがよろしいかと思われます。
僕の大嫌いな子豚のマリーたんも、ちょっと頬が垂れすぎてブサイクな感じがしますが(立ち絵だと更にこれが強調されます)

ttp://ftp.clearrave.co.jp/img2/product/sakura/cg_8.jpg

皮肉ではなく「ブサイクな表情をを厭わない」という姿勢は悪くはありません。
表情を増やすということは、そもそもそういう多様性を受け入れるということでもあるのですから。
くすくす氏はこれからも結構伸び続けるゲンガーかもしれません。応援の意味も込めて、
これからは発売日に新品を買ってみようかなと信者的なことを思っちゃいました。

では、NYAON氏のほうはどうかといえば……まぁ、悪くはないんですけどね。前作と比べれば良いほうだと言えます。
初回(優香の場合は二回目)の処女エチシーンの栗数が示すように、主人公とヒロインがエッチのなかでもちゃんと会話している、
二人の愛情がよく伝わってくるエチシーンだと思います。萌えゲの場合まずはこれをクリアしていないとお話にならないので、
そういう意味では及第点を超えているとはいえましょう。

それにルゥリィに関しては合格点を与えてもいい。「発情キャラ」というのは適当に書けばそれなりのエチ度を確保で出来そうな気がしますが、
実際にそれを書くのは案外難しい。だって、たんに発情するだけだったら、にゃーにゃ五月蝿いだけでオシマイです。
普通の萌えキャラがにゃーにゃ発情したら、それはそれでギャップ的にエロイかもしれませんけど、それって単発ネタじゃないですか。

ルゥリィのエロシーンが良かったのは、全て発情ネタだけで押し切らずに、適切な場面でそれを使っていたからです。
まず、主人公とルゥリィが「ちょっと良い関係になり始めたかな」といった、ユーザーの頬が少しだけニヤけるところでいきなり発情ネタ。
これはいいです。「をいをい、こんなところでエッチはダメだろ……」といった罪悪感が、ルゥリィの急激ないエロ攻撃で融かされて、
ルゥリィの発情にこちらまでも引き込まれてしまうようなエロさ。そして、二発目はわりとクールにS系のルゥリィたんを描きマゾ野朗を満足させながらも、
をいをい女の子はデレてナンボだろというマッチョ野朗を最後のラブラブエッチで止めを刺すってわけですよ。
三者三様のシチュををシナリオの発展と同調させた優れたエロシーンで、CG、エロテキスト、声優さんともに、何れも文句がない内容です。

ただ、それ以外のヒロインはイマイチですね。このライターさんは不出来が激しいというか、
イイ所は凄くいいのに、ダメなところはてんでダメというのが多すぎです。例えば、主人公は作中に何度も「おっぱい星人」を強調しますが、
はて、実際のエロシーンではどうでしょうか。おっぱい星人どころか巨乳バスターまじかる☆麻衣ちゃんの如くおっぱいをシカトですよ。
マリーには一応パイズリがありましたけど、あんなホルタインのおっぱいなんてどうでもいいんですよ。なんでかりんのおっぱいをもっと弄らないのか?
日常シーンであんなにおっぱいを強調していたのだから、それをスルーするのは不自然極まりないでしょう。
ルゥリィのシナリオでは、シナリオとエロが密接に連携していたのに、何故か他のシナリオではそれがあんまし上手くできない。
姉貴なんてひどいもんですよ。初エッチからあと、主人公に全然構ってもらえなくて、自分から御尻を差し出す始末ですからね。
ユーザーからみても、イチャイチャなしでいきなり御尻差し出されても全然グッとこないじゃないですか。
「面倒くさいからケツにチンポ突っ込んどけ」くらいにしか思えません。いくら声優が風音たんだからってあんまりな仕打ちだと思います。
総論として、ルゥリィ以外のエロシーンはイマイチですね。CGはどれも良いし、テキストもそれほど悪くないので、
それぞれ一回くらいは使えるかもしれませんけど、二回目はあるか?といわれたら、もっとかりんのおっぱいをを揉ませろよ!と叫びたくはなります。
新品/中古アダルトPCゲーム販売 通販ショップの駿河屋

マルセルさんの「さくらシュトラッセ」の感想へのレス

久方ぶりに読んで胸が熱くなる批評に出会えました
とりあげてくれた方、マルセルさん、ありがとうございました
2008年07月19日00時36分09秒
凄い熱意と文章量ですね。
自分にはとても書けそうもないと思いました。

機会が有ったらプレイして見ようかな?
2011年07月17日21時23分24秒
マルセルさんの感想はいつも困る(苦笑
価値観がかなりの率で合致している上に、
文章構成力と分析力が高すぎて同じ作品の感想をかけなくなってしまうんですよwww
かりんシナリオの秀逸さはもうご指摘の通りだと思うし、
マリーシナリオの駄目っぷりとそれに萌えていると思われるNYAON氏に対する分析と、

そして妙にエスプリが効いた文節。
なんだろ、この人はどこかで文章について専門の勉強でもしたんだろうかといつも思います。

・・・・けちのつけようが無い感想だと思うわ・・・・相変わらずスゲーなぁと感服しました。
2011年07月18日06時45分17秒

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